ひこばえ
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四月馬鹿

空手形切つて溜め息四月馬鹿



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借りた日の土曜日は会社があり、習字があり、家族で食事に出掛ける予定があったりしたので読む暇はなかったが、翌日曜日は目が覚めるとすぐに読み始めていた。プロローグでいきなり強姦シーンである。「相変わらずだなぁ、田中さん」と思いながらもストーリーの展開の速さに引き込まれていく。途中、用事があって出掛けたりしながらも夜中には一巻読み終えていた。
月曜日は祭日だったので火曜日に田中さんにメールを送った。
「お早うございます。このたびはまたまた面白い本をご紹介くださいまして有難うございました。早速読んでみましたが『さすが、船戸与一!』でした。息もつかさぬ面白さで一気に読み終えました。すぐに次が読めないじれったさを味わっております。次回お会いするまでが長そうです」
折り返しメールが返ってきた。
「日向さんは私にとって大切な書友(読書を共にする友人)です。まずは船戸与一の男のロマンの世界を共有しましょう。ありがとう」

1週空けて4月1日(土)、田中さんはやってきた。
「面白かったでしょう。いやぁ、日向さんは最高だよ。日向さんと本の面白さを共有できるというのはこの上ない喜びだよ。ありがとう、ありがとう。重くて全部は持ってこられなかったけど、まずは4冊。あの4兄弟に自分を重ね合わせて読んでいると、まさに歴史のど真中にいるような錯覚に捉われるよ。これぞ血沸き肉躍る世界っていう感じだよね。返さなくていいからね。読み終えたら次に日向さんがいいと思う人に譲ってあげてよ。きっとその人も喜ぶに違いないから(笑)」
朝からテンションが高い。しかも笑顔が素晴らしい。豊かな人生を送っている人であることが分かる。一緒にいてとても心地良い。私もこういう人物になりたいと心の底から思う。
それにしてもあと8巻……フーと溜め息を付きつつ、満州は遠いなぁとも思う(笑)。
                                 (平成29年作)

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つちふるやかの満州に馬賊あり



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一昨年の10月26日のブログ「燈火親し」に書いた田中さんのことを再び書かなければならない。あの時は一杯飲んで品川から戻り、上大岡で乗り換えた電車の中で田中さんに会ったのだった。そこから杉田駅までの僅か4分の間に是非にと勧められた船戸与一の「砂のクロニクル」。あれだけ熱心に勧められたのでは読むしかないと上下2巻を読み切ったのだが、それ以降も会うたびに船戸与一の面白さを語ってくれていたのである。

3月18日(土)の早朝勉強会に久しぶりに田中さんが見えた。
「お早うございます。久し振りですね」
「いやぁ、日向さん、相変わらず元気そうだねぇ」
「田中さんの笑顔には敵いませんよ。見習いたいものです」
「日向さん、今、何か読んでいるの?今日はいいのを持ってきたんだよ」
「これから読もうと思う本があり、今アマゾンから届くのを待っている所です」
「ちょうど良かった。それならその前にこれを読んでみてよ」
「また船戸与一じゃないでしょうね」
「当たり。これは凄いよ。絶対にお勧め。彼の絶筆だよ。これを書き終えるまで死ななかった執念は凄いものだよ」
「また、中東ですか?」
「いや、今度は満州」
「満州!」
「壮大なドラマだよ。まさに血沸き肉躍る世界だよ。絶対に面白いからまずは一冊読んでみてよ」
「何巻あるのですか?」
「全部で9巻」
「えっ!9巻も……」
「大丈夫、大丈夫、日向さんなら、あっという間に読んでしまうから」
「相変わらずだなぁ」
「いやぁ、日向さんが読んでくれると思うだけで本当に嬉しくなっちゃうんだよ、ありがとう。今日は一冊しか持ってきていないけど、次はまとめて持ってくるから」
「ひゃー、強引だなぁ(笑)。読むかどうか分かりませんが、それでは一冊だけはお借りします」
「ありがとう、ありがとう。いやぁ、日向さんは最高だ。絶対に読んでくれると思った(笑)」
ということで、第1巻目の「風の払暁」(満州国演義1)を借りることになったのである。
(注)霾(つちふる)とはモンゴルや中国大陸から強風に吹き上げられ、大空を渡って降ってくる黄砂のことである。
                                 (平成29年作)

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ルピナス

ルピナスや異国に馳せる夢ひとつ



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シャンソン歌手という言葉は聞いたことがあるが、タンゴ歌手というのはあまり聞いたことがない。倫理法人会が新横浜のホテルで行なった講演会のゲストがタンゴ歌手の香坂優さんだった。別の誰れかが講演したあとでタンゴでも歌うのかなぁなどと勝手に考えて出掛けたのが、何と何と香坂さんご本人が講話し最後にタンゴを歌ったのである。しかもその話の素晴らしかったこと。会場にいた250名は水を打ったように聞き入り、絶妙な語り口に泣かされたり笑わされたりと感動の時間を過ごさせてもらったのである。

話は今から30年前の淡谷のり子さんとの出会いから始まった。初対面同士で行なうジョイントディナーショーである。下手な歌手に対し「あれは歌手ではなく、カスだ」などと言い放つ人である。緊張したことは言うまでもない。しかも会場に到着すると淡谷さんはすでに来ていてリハーサルの真っ只中。大先輩に先を越されてハナから出遅れる。「気が散るので出て行きなさい」と言われた所からお付き合いが始まったというのだから、この話面白くならない訳がない。
「あなたはあと何年、歌っていたいの?」と聞かれ「先生と同じ年になるまで」と答えると「それならその歌い方では駄目。きちんとボイストレーニングしなさい」とアドバイスされる。トレーナーを紹介され、通うこと2年。その後、彼女の前で歌うと「あなたの声はシャンソンでもカンツォーネでもないわねぇ。そうねぇ、タンゴがいいわ。タンゴをやりなさい。やらないのだったら歌手を辞めて再婚でもしなさい」と決め付けられたそうである。「ちょうど5か月後にアルゼンチンのコルドバで音楽祭があるから行きなさい。今からスペイン語でタンゴを7曲覚えて歌ってきなさい。それ位出来ないようじゃ、歌手はやめたほうがいいわねぇ」と追い込んで来る。その後何度となくアルゼンチンに通い、ようやくタンゴ歌手としての道を歩み始め、成功を収め今に至るのである。
話のあと、何曲か歌った。大いなる拍手である。話に感動し、歌に聞き惚れたものである。

終演後、私は著作本を買いサインをしてもらった。感動させてもらったのだから当然である。それを横で見ていた友人の三宅さんが笑いながら混ぜ返してくる。
「話は面白かったけれど、歌は日向さんの方が上手かったなぁ。日向さんが歌う『霧子のタンゴ』には敵いませんよ(笑)」
「何を言っているのかねぇ、この人は……」
と言いながらも、それから二人でボイストレーニングに向かったのだから、これまたよく分からない話になってくる。
                                 (平成29年作)

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田楽

田楽のたちまち串の山と化し



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この旅の目的はもちろん友人から依頼された講演である。しかし、こうして文章を書いてみると、講演に費やした労力よりも芭蕉に費やした方が大きかったことが分かる。「芭蕉紀行文集」を繙き、服部土芳を調べ、「三冊子」など取り寄せた分には講演で話した40分より遥かに多くの時間を費やしている。芭蕉を「風狂人」という。広辞苑で「風狂」を引いてみると「風雅に徹したこと」と書かれているが、もう一つ「気ちがい。狂気」とも書かれている。芭蕉はもちろん前者であるが、私の場合は後者に近いものがあるようで、何事も程ほどにしておかなければ「紙一重」と言われることとなりそうである。

「蓑虫庵」を後にして友人の会社を訪問し工場見学などをさせてもらった。ホテルにチェックインし、すぐさま夕食会場へと向かった。私は友人と一緒に今回主催の倫理法人会の幹部の人達と会食することとなった。創業200年の店で伊賀の郷土料理だという豆腐田楽をいただいた。串に差された田楽の数16個。豆腐好きでもない者には少し多すぎるようにも見えたが、伊賀の人達は当たり前のように平らげていく。私一人が食べ残すわけにもいかないので全て食べ切ったが、その味噌の甘かったこと。一年分の豆腐を食べたような気がしたものである。あとで聞くとその店は会のメンバーの方のお店だという。翌朝、その女将さんにご挨拶しお礼を申し上げたことは言うまでもない。片や我が工場長は友人の会社の幹部の方々と一緒に伊賀牛の焼肉を食べに出掛けたとか。芭蕉翁が田楽で、門人曽良が伊賀牛である。
「そらー、違い過ぎだろ!」などと洒落てみた所で詮無いことである。食べた田楽で一句詠んでみた。
講演は無事に終わった。聞きに来ていただいた50名ほどの皆さんには喜んでもらえたようで、友人からもお礼を言われ役目を果すことが出来た。伊賀まで行った甲斐があったというものである。

後日談がある。会社に伊賀市の隣の名張市出身の男性がいるので話を聞いてみた。
「伊賀牛ですか?とんでもありません。あんな高級な物、食べたこともありません。まさに高嶺の花ですよ。一度は食べてみたいものです。豆腐田楽ですか?聞いたことはあります。昔からの物ではないと思います。最近、忍者ブームで賑わっていますから、それに便乗して昔風の豆腐を売り出しているのだと思います。大したものじゃないと思います」
                                 (平成29年作)

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鳥雲に

師のあとをただ追ふばかり鳥雲に



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村井さんから連絡が入っていたようで「蓑虫庵」に到着すると男性が笑顔で出迎えてくれた。「聞いています、聞いています、さぁ、どうぞどうぞ」と言葉を二回繰り返す勢いである。私を「凄い人」と思っていたかも知れない(笑)。すぐに庭に案内されて説明が始まった。まずは「蛙飛び込む」の石碑の説明である。「この蛙の石碑は……」
実はこの説明、すでに村井さんから話を聞いていたのである。何といっても芭蕉生家での村井さんとの会話は長かったので、蓑虫庵のことも服部土芳のことも大概は話してくれたようなのである。「これを見てください」スマホを見せてくれる。「写っているのはこの石碑に留まっている蓑虫です。さて蓑虫は何と鳴くでしょうか?」鳴くはずもない蓑虫が何と鳴くかと聞いてくる男性。その熱意だけは充分に伝わってくる。「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」(芭蕉)なので、そう言いたくなる気持ちが痛いほど分かるのである。
男性「さぁ、次は庭を歩きましょう、蓑虫庵の眺めが二番目に好く見える場所にご案内します」
私「二番目?」
男性「そうです。一番目は楽しみにしておいてください(笑)」
私「一番、二番は誰が決めたのですか?」
男性「いやぁ、それは私です(笑)」
私「……」

「笈の小文」の旅程表に貞享5年(1688年)3月11日、土芳の蓑虫庵を訪問したとの記述があった。本文には記載がないようである。あの再会から3年経っている。途中、芭蕉は伊賀に来ているので何度も会っていたことだろうが、庵を訪ねて来てくれた時は嬉しかったに違いない。蓑虫庵が一番よく見える場所に案内し、二番目によく見えるという四阿にも招いたかも知れない。蓑虫の季節とは違っているが、鳴く鳴かないの談義もあったかも知れない。大喜びの土芳さんの姿が目に浮かぶ。
元禄7年(1694年)芭蕉が51才で亡くなった時、土芳は38才である。あの20年ぶりの再会から9年しか経っていない。どんなにか悲しかっただろう。蓑虫庵の中でどんなにか泣いただろう。その後、芭蕉の俳論や俳句を「三冊子」や「蕉翁句集」「蕉翁文集」として後世に伝えた土芳の功績の奥に芭蕉との喜びや悲しみ、深い繋がりがあったことを忘れてはならないようである。蓑虫庵に導いてくれた村井さん、案内してくれた男性には心から感謝したい。男性の方にはお名前も聞かずに立ち去ってしまったことを大変申し訳なく思っている。感謝申し上げると共にお詫びする次第である。
                                 (平成29年作)

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