形代 - 宗教
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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形代

形代の影もろともに崩れけり



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次に向かったのが「新田荘記念資料館」である。総持寺のすぐ傍にある。駐車場に車を停めて入口に向かうが開館時間には30分以上あった。係の人が竹箒で落葉を掃いていたので「早く入れてくれませんかねぇ」とダメ元で聞いてみると「隣の東照宮は見ましたか?」と言われた。<今回は家康ではないんだよなぁ>などと思いながらも時間があるのでそちらを先に見て来ることにした。境内を横切るようにして正面まで進むと立派な拝殿の前に出た。上野東照宮も凄かったが、こちらも凄い。世良田東照宮という。看板に「徳川氏発祥の地」と書かれている。由来書きには「寛永二十年(1644)、三代将軍徳川家光公は世良田が徳川氏の先祖の地ということから、日光東照宮古宮(元和年間造営の奥宮)を移築し、家康公をお祀りした」と書かれていた。絢爛豪華である。入り口にある黒門を見ようとして外に出ると、その横に長楽寺の看板があった。ここは新田一族の菩提寺である。これは見て来るしかない。さては新田次郎が小説の各章に置いた取材メモに書いていた新田と足利の今を象徴するお寺とはここだったのかと気付いた。こんな風に書かれていたのである。
「新田氏一族の菩提寺の長楽寺は広い敷地を持った大きな寺だったが、訪れる人は少なく、境内は荒れ果てた感じだった。足利氏の菩提寺、足利市の鑁阿寺の賑わいぶりを見てきた私の目には、この二つの古寺が、足利氏と新田氏の最後を象徴しているかのように映った」(「新田義貞」上巻236頁)
覗いてみると書かれていた通りである。シーンとして誰もいない。お寺の風格はさすがに重厚なものがあるが、人がいないのは新田次郎が訪ねた時と同じようである。義貞亡き後の新田一族のことを思った。
一回りして再び東照宮に戻った。受付に男性がいたが、中に入るのは止めておいた。それよりも脇にあった人形代祈願所が気になった。小さな鳥居の先に手水鉢があり、水が流れている。そこに人形(ひとがた)を浮かべるらしい。人形は季語である。形代(かたしろ)とも言う。俄然やる気になった。受付の男性の所へ戻り、祈願料300円を支払い人形の紙を受け取った。「どうやって書くんですか?」と聞くと、鳥居の前に説明書きがあるという。ぶっきらぼうだが、ペンだけは貸してくれた。氏名を書き、願いごとを書き、身体を3回拭い、鳥居の回りをぐるぐる回って手水鉢の前に立った。人形を浮かべてお参りし写真を一枚撮った。「もっと真ん中の方に置いた方がいいんじゃない?」と妻が言う。真ん中に置いたつもりだったが、流されたのである。<そうだな>と思い、指先で移動させようとした。すると紙が崩れた。指で触っただけなのに破れてしまい、一部が底へ沈んでいってしまった。溶けやすい。ペンで字を書き入れる時はしっかりしていたが、水に入れた途端に溶けてしまったのである。<美しいなぁ>と思った。この儚さが心に染みた。
その後に訪ねた「新田荘記念資料館」の中でもこの人形の儚さばかり考えていた。
                                 (平成30年作)




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