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日向 亮司

Author:日向 亮司
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掛取り

無い袖は振れぬ掛取りとの問答



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すぐに本が届いた。「直木三十五伝」(植村鞆音著)。作者は三十五こと本名植木宗一の甥でテレビ東京の取締役を務めた人である。若い頃から伯父のことを調べていて定年を機に執筆したという本格的な評伝である。

大阪生まれで大阪育ちの宗一は20才で早稲田大学に入学するため上京。学生生活半年で知り合った女性(のちの妻、佛子寿満)と同棲を始め、実家からの仕送りを使い果たし生活に困窮する。学費も儘ならなくなり退学。大正4年は就職難の時代。級友たちが就職していく中で取り残され、極貧生活の中で長女が誕生。就職出来ぬまま借金を始める。
ようやく春秋社、冬夏社という共同経営の道を見つけ、創立者として取締役に加わり破格の月給を取る身分となる。しかし長くは続かない。仲間との亀裂、浪費、芸者遊び、倒産。その後に関わる経営もことごとく失敗し借金に追われる日々となる。借金については哲学があるようで<高利貸しからしか借りない><借金取りからは逃げない>というものだった。無口でぶっきら棒、傲慢で反抗的、人の恨みを買うことに意を介さないという性格である。
直木三十五というペンネームは本名の植木の「植」を分けて数え年を付けたもの。直木三十一から始まり三十五で止めた。三十四は「惨死」に通じるとして使わなかったが、一篇だけ印刷所に回ってしまったものがあるという。
大正12年、菊池寛が私財を投じて「文藝春秋」を創刊。直木も執筆の場を与えられ創刊号から筆を振るう。雑文、随筆の類いだが、匿名で書いた文壇人を肴にしたゴシップ記事が注目され、創刊したばかりの「文藝春秋」の発行部数を伸ばすのに大いに貢献した。
「文藝春秋」創業3周年の大正14年と10周年の昭和7年に勧進元菊池寛の名で「文藝春秋執筆回数番付」が出されているが、両方とも西の正横綱は直木三十五である。ちなみに3周年の東の正横綱は芥川龍之介、10周年は武者小路実篤である。昭和10年に菊池が賞を設ける時、「直木賞」「芥川賞」と二人の名を用いた意味が解ろうというものである。
昭和8年、初めて家を建てる。富岡の家である。借金に追われ続けた彼が家を建てた理由は自身の病気療養と家族と共に暮らしかったからだと書かれている。設計は直木本人。建坪48坪。書斎、次の間、茶の間、子供部屋、女中部屋の5室。玄関はない。終の棲家となるはずだったが、直木本人が住んだのは10日足らずですぐに東京に戻っている。
翌年の昭和9年2月24日、43才で亡くなっている。
                                 (平成29年作)

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