2020年06月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2020年06月の記事

日傘

富士見坂日傘の一歩また一歩



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長女「お巡りさんは何だって?」
私「お巡りは最初、堂本君に謝れという」
長女「えっ、なんで?」
私「なんでだったかどうかは忘れたが、金持ちに依怙贔屓の時代だったのかぁ。しかし、やはり金持ちが悪いということになる。金持ちが謝ったかどうかは忘れたが、最終的には自分の犬ばかり可愛がって人の犬を思いやらない心は醜いということになったんだよ。やはり心だよ、心。一件落着してまた力を合わせて大八車を押して行ったという話だよ」
長女「子犬はどうなったんだろう?」
私「……」
妻「何でまた、そんな話を思い出したの?」
私「だって、引越しだからだよ」
妻「引越しじゃないよ。引越しはとっくに終わって今日はお披露目会だよ」
私「同じようなもんだよ」
長女「そういえばこれから行く所に坂があるんだ。家のすぐ近くなんだけど……」
私「おお、堂本さんの引越しと同じだなぁ(笑)」
長女「その坂に俳句が書いてあった。坂の名前にもなっていた」
私「どんな俳句?」
長女「詳しくは覚えてないけど仕事帰りの旦那さんを思いやるような俳句だったと思う。これから通るから見てみて」
私「そんな思いを書くのは俳句じゃなくて和歌なんじゃないか?」
長女「えっ、どうだろ」
私「俳句は五七五、和歌は五七五七七だよ」
長女「どっちかなぁ。長かったかなぁ、短かったかなぁ(笑)」

写真の和歌が掲げられていて坂の名前にもなっていた。「妻恋坂」。名前を変えたのは最近のことらしい。念のために掲げておく。
『お仕事に疲れて帰る道すがら愛しき妻に急ぐこの坂』

飲み過ぎて昼まで寝ていた日曜日。ぼんやりと「坂道」のことを考えていた。
<いつ読んだっけかなぁ……>
磯子図書館か金沢図書館か、どちらかで読んだような気がする。もう20年以上も前のことである。堂本君と金持ちの主人はどんな言い争いをしたのだろう、お巡りさんのジャッジは正しかったのかどうか、子犬はどうなったのか、質問されても答えようがないほどに忘れていた。もう一度読んでみたいが頭が痛くて図書館に行く気にもなれない。
                                 (令和2年作)




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片蔭

片蔭に犬が猛獣とも見える



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長女が大和市に家を建てたので見に行くことになった。土曜日に昼食を兼ねてということだったので車で迎えに来てもらった。一杯飲むことになるので帰りも送ってもらうことになる。真っ直ぐに向かえば40分ほどだというが、あちこちで買い物などするので2時間コースとなってしまった。車の中には三姉妹もいる。
私「中学校の国語の教科書に『今日は堂本さんのお引越しです』っていうのがあったなぁ」
長女「何それ、聞いたことない」
妻「知らない」
私「えっ、お前も知らないの?」
妻「全然聞いたこともない」
私「壺井栄だよ。『坂道』っていう小説」
長女「壺井栄って?」
妻「『二十四の瞳』を書いた人だよ。それがどうしたの?」
私「これがどういう訳か忘れられないんだよ。50年経った今も忘れられないでいる。戦後の貧しい家に両親を亡くした堂本君がやって来る。1年ほどして堂本君が近くに引越しをすることになった。下宿か何かは分からないけど、出て行くことになったんだよ。今と違って車がある訳じゃないから大八車に家財道具を載せて押していくことになる」
全員「フーン」
私「一緒に暮らしていた子供たちが手伝うことになる。大八車を押して行く。堂本君が可愛がっていた子犬も一緒だ。坂道に差し掛かる。みんなで力を合わせて登り始める。と、その時、大きな家の前に差し掛かった時に、子犬が飛び出してその家の大きな犬に噛まれてしまうんだよ。ガブッ!」
長女「ヒャ~」
私「すぐに助けたいんだけど、大八車なので手を放すことが出来ない。放せば坂を転げ落ちてしまうことになる。堂本君は叫ぶしかない。大声で助けを求めたんだ」
全員「……」
私「大きな家の中から主人が出てきて大声で怒鳴る。『この乞食ども、何を文句言っているんだ』って具合だ」
長女「乞食って今は使わないよ。禁止用語だよ」
私「いやいや、今はそうでもあの頃は普通に使っていたはずだよ」
長女「なつ、意味、分かる?」
なっちゃん「使わないけど、なんとなく分かる」
私「貧乏人ってことだよ。物乞いかなぁ」
妻「まあ、それはいいから先はどうなったの?」
私「金持ちの男にとって小汚い格好をして大八車を押して文句を言っている奴等なんかは相手じゃない。犬が噛まれようと何だろうと関係ない。そうこうしている内にお巡りがやってくる。どっちがいいか悪いか、判定が始まる」
長女「へ~」
                                 (令和2年作)




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薫風

薫風や高さ揃へし卓と椅子



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娘「明日、脚を持って行きたいんだけど」
私「大丈夫だよ。塗装もあるので作るのに半日は欲しいって言ってた」
娘「半日?もっと掛かると思ってた。そんなに急がなくても大丈夫だよ(汗)。何時頃に行けばいい?」
私「何時でもいいよ」
娘「じゃ、子供たちの学校が終わってから行くね。こっちを出るの、11時頃かな」
私「オッケー、待ってます」

11時半にやってきた。なっちゃん、みやちゃん、さわちゃん3姉妹も到着である。設計の担当者が現物を確認し、娘に嵩上げの構造を説明している。「はい、はい」と頷いていた娘だったが、あとから聞くと全く分かっていなかったそうである。昼を食べに行ったレストランでの会話である。
娘「行ったらすぐに図面が出されるんだもの。ビックリだよ(笑)」
私「俺もどういう風に作るのか分からないけど、彼に任せておけば間違いないよ(笑)」
娘「天板も見ないで作っちゃうんだからすごいよね」
私「どんなのが出来るか、オレも楽しみだよ」
娘「明日には出来るって言ってたけど、じゃあ、また連絡してから来るね」
3姉妹の食欲に驚きながらも「これが猫背じゃ可哀相だな(笑)」「そうでしょ(笑)」

会社に戻ると早くも工程を流れていた。パンチ・レーザー複合機でカットし、曲げて溶接している。部材が4つある。写真に収めて娘に送った。
娘「4つも作る予定だった?2つは試作?」
私「2つ1組だって。オレには全く思いも付かない構造になっている」
娘「すごいね。明日、取り付け方をしっかり教わらなくちゃ。皆様によろしく伝えてください」
ということで翌日またまた4人がやってきた。説明を受けた娘。
娘「すごいよ、これ。考えてもいなかった構造だよ。プロの仕事って感じ。おそらく私と同じような悩みを持っている人、世の中に多いと思う。これって仕事として成り立つんじゃない?」
私「1ヵ月1億やっている工場だよ。テーブルの手直しをやって、やっていける訳ないじゃん(笑)」
娘「そうか!それもそうだね(笑)」
私「今回4センチ上げたけど、みんなの身長が伸びてまた猫背問題が発生した時は相談してください。データが出来てるんで、脚の現物は不要です(笑)」
持ち帰ったその日に組み立てて完成し、見事に使い易い椅子テーブルに変わったことを報告してきた(写真)。
娘「今更ながらおーちゃんの会社が凄い会社だったことを知りました。本当にありがとう(笑)」
                                 (令和2年作)




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豆飯

豆飯や育ち盛りの三姉妹



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娘とメールでやり取りをしていた。
娘「あっ!おーちゃん!別件なんだけど、ダイニング用に買った椅子が床から座面までの高さが高すぎて使いにくいから、おーちゃんの会社で脚を切ってもらえないかな~。素材がスチールなので自分では切れないんだよ(汗)」
私「工賃、高いよ(笑)。写真を送ってみて」
すぐに写真が送られてきた。
娘「こういう椅子です」
私「下のアジャスターは簡単に外れるの?拡大して送ってみて」
娘「アジャスターってこれのこと?簡単には取れそうもないけど……」
私「そうだよ。このプラスチックみたいなものをまた付けなくちゃならないんだから。椅子の脚を切るよりテーブルの高さを上げた方がいいんじゃない?」
娘「テーブルの脚がさ……こういう脚なわけ」
テーブルの写真も送られてきた。
私「簡単そうに見えるけど」
娘「えっ!高さを上げる方が簡単なの?」
私「何センチ上げたいの?」
娘「5センチくらいかな」
私「どんな構造かは知らないけど、見たら同じ物を作る自信あり」
娘「そりゃ、すごい!!!!!実物が明日届くから、来たらまた細かいところを見て報告する!」
私「猫背にならないようにね(笑)」
娘「すごいよ~!もっと早く相談すれば良かった(笑)」
私「毎日、テーブルや台を作っている会社だよ。ダイソー、マツキヨ、成城石井、ありとあらゆるお店が当社のお客様だよ(笑)」

テーブルの天板の裏側や脚の写真が送られて来た。翌日のやり取りである。
娘「脚はこんな仕様になってます」
私「今、設計に見てもらいました。脚があれば希望の高さまで上げますとのこと。来てすぐ作るという訳にはいかないので、一旦預かりたいとのこと」
娘「ありがとう!脚だけ持っていけばいい?天板は大きくて重くて、持って行くの大変そうなんだけど」
私「脚だけで大丈夫だって。念のため、天板の裏に開いてある穴の拡大写真だけは欲しいみたい」
                                 (令和2年作)




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五月晴れ

五月晴れ句碑建立の日なりけり



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1000回目の「ひこばえ」を迎えた。
この記念すべき日に初めての句碑建立の記事を書くというのだからこれ以上は望むべくもない最高の喜びである──と書きたいところだったが少々ドタバタしている。まず句碑が間に合わない。このブログがアップされる6月21日(日)の昼頃に設置される予定である。そうなった事情が私のいい加減さにあるというのだから誰にも文句の言いようがない。5月23日(土)に筑西市まで出掛けて来たが、その時に言われた納期が6月末である。当社の期の変り目が7月1日なのでそれに間に合わせてくれるならと思って良しとしたが、「ひこばえ」1000号が6月中に来ることに気付いてからが忙しくなった。
私「おお、悪いなぁ。もっと早く設置させられないかなぁ(笑)」
川上君「いつ頃までですか?」
私「実はブログの1000回目が6月25日に来るんだよ」
川上君「おお、それは重要ですね(笑)。分かりました、向こうの社長さんに少し早めるように言ってみます」
その結果が6月21日、予備日22日辺りへの繰り上げである。先方の予定を数日前倒ししてくれたようである。
私「オッケー、オッケー。ありがとう(笑)」
それで一件落着するはずだったが、ひょんなことから6月25日が1000回目かどうか怪しいということに気付いた。ブログの管理画面にアップされた回数と私の思っている回数と2つ違うのである。私の数え方は過去のブログの1ページ目を200枚入りのバインダーに入れるというアナログなものである。管理画面が990のところ、私のバインダーの収録枚数が988になっている。
<何で2つ違うのだろう?>
いろいろ考えた結果、ただ単に私がバインダーに2つ入れ洩れているのだろうということになった。それを探すのに2日掛かった。ようやく見つけた。
<ということは6月21日(日)が1000号だ。当日の句碑建立では遅すぎる……>
たまたま現地調査と土台作りにやって来た石屋の社長を摑まえてもう少し早めてくれと頼んでみたが、業者を使ったりするようで勘弁してくれという。
<まあいいか、1日ぐらい……>
細かいようで大雑把なところがある。
私「オッケー、オッケー、いいよ。分かった」
社長「本当にいいですか」
私「いい。その代わり石の写真だけは事前に送ってほしい」
社長「はい、それはもちろんです」
16日に送ってきた写真がこれである。
私「オッケー、オッケー。分かるからこれでいい(笑)」
何事もこの調子である。細かいと言えば細かいが、いい加減と言えばいい加減である。
かくして1000号目の記事を書き終えた。後日談があるようなら、また書くことにしよう。まずは1000回にお付き合いいただいた皆様に感謝申し上げる次第である。
                                 (令和2年作)




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新樹光

奥入瀬のゆるき流れや新樹光



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今回のこのブログが通算999回目の「ひこばえ」となる。
平成25年6月からスタートして丸7年。「よくもここまで続いて来たものだなぁ」と我ながら感心している。初めの頃は月に5~6回のペースでアップしていたが、いつの頃からか2日に1度のペースに変わり、今ではすっかり私のライフワークとなっている。「よく書くことが無くならないものですね」と時々言われるが日記と同じである。書くことに困ったことはない。書き溜めて1ヵ月先の分まで出来上がっていることも珍しくはなく、毎日アップしようかと考えたこともあったくらいである(笑)。
スタート時のことを書いておこう。「ブログでもやってみたいなぁ」と呟いたかどうかは分からないが、パソコン音痴の私がその類いのことを始めようとするとまずは妻に手伝ってもらうしかない。電源の入れ方も分からないようなレベルなのだから、おそらくそのようにして始まったに違いない。かと言って他人のブログも見たことのないような私にブログのイメージがあった訳でもないだろう。どんなことになるかも分からず妻が作ってくれたものに向き合ったはずである。最初の頃のものを見ると今のものと何も変わっていないことに驚く。俳句の位置、分類、写真の貼り方、文章、句作年月など、全くと言っていいほど何も変わっていない。すなわち成長していないのである。それはなぜか。変え方が分からないからである(笑)。
始めようとした時のことを覚えている。折角作ってくれたブログだったが開始するのに1、2か月掛かってしまった。気に入ったテンプレートが見つからなかったからである。たくさんあるテンプレートの中から「どれでもいいから選んで」と言われたが、どれもこれも気に入ることはなくスタートが切れずにいたのである。どこをどう探しまくったかは忘れてしまったが、ようやく「奥入瀬」(写真)というテンプレートに出会い「これだ!」と思った。水が流れ、葉っぱが戦ぎ、恰も奥入瀬渓谷にいるような清涼感が感じられて、一瞬で気に入ったのである。そして第1作目の「ひこばえ」となる。あれから999回目である。「よく続いて来たものだなぁ」と同じ言葉を呟いてしまう。
ここ1ヵ月ほどのことだが、その「奥入瀬」が画面上に映らなくなってしまった。「パソコンの具合でも悪くなったのかなぁ……」と思っていたが、妻は「違う」と言う。
妻「おそらく配給元が配給を止めたんじゃない?」
私「それじゃまた、他のものを探さなくちゃならないか」
妻「別にいいんじゃない。背景が黒くなって却って文章が引き立って見えるわよ」
私「そうか……」
1000回目を前にしての大いなる変化である。意図した変化ではないが、妻がそう言うのだから、それもいいだろうと受け入れることにした。
                                 (令和2年作)




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老鶯

老鶯や石に線引く石工の目



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当日は朝からの雨である。湾岸道路から常磐道に入り北関東自動車道を走るルートである。2時間半掛けて昼前に到着した。着いた頃には雨が上がっていて少し日が差すようになっていた。山の中腹の畑の際に石切り場があり、広い作業場の中央に当社の石がドーンと据えられてあった。我々が到着して5分後に石屋の社長が到着した。
私「西に行ったり東に行ったり、忙しいよ(笑)」
社長「どうもスミマセン。よろしくお願いします」
私「出来上がったら今度は北に行ってくれって言うんじゃないだろね(笑)」
社長「イヤイヤ(笑)」
それから1時間ほど掛けて、そこの石切り場の男性も交えて石の向きや文字の位置などを決めていった。まずは石をどう切るかである。切る位置で全ては決まる。天辺に角のようなトンガリのある石なので普通はそこを中心にするのだろうが、敢えてそこを左に避けた。トンガリを主役にしたくなかったのである。何事も左右対称では面白味に欠ける。社長も石切り場の男性も不思議がっていたがそこはセンスである。着いた時はトンガリを中央にして石が据えられていたので紙を貼るにも全て傾けて貼ることになる。それをスマホで写してあれこれやっている。
私「一回、フォークリフトで吊るしてみてよ。実際に傾けて見てみよう」
ベルトが回され、吊り上げられる。3トンはないけれど、それに近いくらいあるという。遠く離れて傾きを見ていた。
私「うん、その辺りだなぁ。そこで降ろしてみよう」(写真)
社長「おお、いいですね」
私「裏はどうなってる?」
川上君「別におかしくはありません」
私「よし、これでいいよ。これで決まりだ」
それが決まればあとは簡単である。男性が石の下あたりに白線を引いている。その線に沿って裏側にも線を引き、その通りにカットするという。社名や俳句の位置はおおよその場所を決めると下の線と平行になるように位置決めしていくという。慣れたものである。手際よく白線を書き込んでいる。
私「これで大丈夫?」
男性「任せてください。あとは俳句の文字をもらうだけです(笑)」
私「おお、プレッシャーを掛けるなぁ(笑)。明日には書くから大丈夫だよ」
雨は完全に上がり、ウグイスが鳴いていた。
「老鶯」──夏のウグイスである。男性が「石工」として石を削り文字を彫り込んでいく姿を想像していた。一発勝負の職人技と「老鶯」は合っているような気がした。
                                 (令和2年作)




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青田風

畦を抜け我が四肢を抜け青田風



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石屋の社長から送られてくる写真では文字の大きさや位置がいまいちピンと来ない。特に裏側は中央にある尾根が邪魔をしているようでバランスも何もあったものではない。しかもこちらから送った切り文字を石に貼り付けて写真を送ってくるだけなのでとてもアナログである。
私「普通は今どき、キャドか何かでやるだろう。イチイチ送った紙を貼り付けて、いいだ悪いだ言っているようじゃ、いつまで経っても決まらないぞ」
川上君「そうですね。現物を見ないでやり取りしていても一向に進みません。社長にまた行ってもらうことになりそうですが……」
私「また俺が行くの?面倒臭いよ」
川上君「いや、社長、それでないと決まらないと思います」
私「何か決める度に真鶴まで行かなくちゃならないとなると大変だよ」
川上君「まぁ、これ一回だと思います」
私「分かった。じゃ、明日でも行くか」
川上君「先方の都合を聞いてみます」
聞いた結果、1週間後の土曜日にしてくれという。
私「なんだって1週間も待たなくちゃならないんだ?すぐやればすぐ終わることじゃないか」
川上君「いや、社長、石を切る場所が違うようなんです」
私「どこ?」
川上君「茨城県の筑西市と言っています」
私「えっ、嘘だろ?」
川上君「本当です。そこで土曜日に待ち合わせて全部決めたいと言っています」
筑西市とは先日行った結城市の隣町である(令和2年4月28日、ひこばえ「涅槃吹く」)。
遠い。抑々どうしてそんな遠くまで石を運ばなくてはならないのだろう。真鶴の石切り場で見たあの石が筑波山の麓まで運ばれていると思うと情けないような気もして来る。
私「石を切る機械を持ってないのか?」
川上君「そうらしいんです」
私「どうなってるんだろ。石の仕入れから加工まで全部自分のところでやっているということじゃなかったっけ。石が大き過ぎて切れないというんだろうか。まぁいいか。行くか。真鶴に行くのも筑波山に行くのも同じようなものだからな。行かなければ決まらないというんじゃ行くしかないか。了解。分かった。行くと伝えてくれ」
(注)写真は出掛けた日の筑波山遠景である。
                                 (令和2年作)




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青嵐

青あらし酒酌み交わす句碑の前



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石屋の社長に送った私の句碑のイメージである(写真)。見て驚いたに違いない。いやに小さなスペースに書いてきたのだから社長のイメージとは大きく違っていたはずである。しかしそれよりも問題はどの句を句碑にするかである。
<プレス機が揺らす夜なべのコップ酒>
最初に思い浮かべたのがこの句である。1週間ほどは何の疑問も持たずにいた。しかし、<待てよ>と思った。実はこの句、自分の会社を詠んだものではない。取引先の会社が廃業しようという時に訪ねて行って、社長に話を聞いてその時に詠んだ句なのである。古い時代を象徴するような句なのでいいかと思っていたが、会社の玄関に掲げる句ではないようである。
次に浮かんだのが「ひこばえ」の句である。
<ひこばえや殊に小さき妻の靴>
このブログの表題にもなっている句で、私の俳句の出発点のような句である。初めての句碑には持って来いの句に思われた。<やはり、これしかないよなぁ>しばらくはこの句にしようと思っていた。しかし思わぬところから<待った>が掛かった。妻である。家族のグループラインでのやり取りである。
妻「ほんとにその句にするの?その句はなんか違うような気がする」
次女「もっと会社や社員に寄り添った句にした方がいいよ」
妻「それならまだ<プレス機>の方がいい気がする。会社に関係ない句だから」
私「なるほど、独りよがりは良くないなぁ。それなら会社の全員が知っている句ならどうだろう。忘年会の時に全員の前で詠んだ句があるんだけど」
<年忘れ膳に山なす海の幸>
妻「忘年会は楽しかったんだろうけど、会社の玄関には相応しくないよ。<声掛けて>の句はどうなの?その方がいいと思うけど」
<声掛けて一人二人と夜業果つ>
次女「それ、いいと思う」
妻「わびしい句だけど、そんな時代を経て70年。しんとした空気が感じられる」
私「夏井いつき先生並みのコメントだなぁ」
妻「そうやって会社を支えてくれた社員の皆さんのための句だよ。<妻の靴>なんて言ってる場合じゃない」
私「ヒャ~」
次女「決まったね」
長女「無事決まって良かったね」
次女「(グ~)」
どうして急に妻が<声掛けて>の句を思い出してくれたのかは聞いていない。そういえば工場長もその句のことを言っていたような気がした。冷静に判断するはずの私が初めての句碑ということで舞い上がったようである。収まるべくして収まった感がある。
                                 (令和2年作)




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薫風

薫風に立つ貫録の石一つ



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5月1日の真鶴での石選びのあと、川上君と石屋の社長とのやり取りは進んでいたようである。しかし、肝心の見積書が送られて来ない。価格を決めないでいるのはいやな方である。
私「見積書はまだか?」
川上君「すぐに出すように言っているんですが、いろいろあるようです」
最初に考えていたものより随分と大きな石を選んだので金額も相当にアップするだろうと覚悟していたのだが、まずはそれを決めないでいては話にならない。連休も挟んでのことだが2週間も経ってからようやく出てきた。
私「なんだ。随分と安いな。これだけでいいのか?」
川上君「そうです」
私「これで本当に設置までやってくれるんだ。石は目方じゃないんだなぁ。よし、この見積通りでもいいけど気は心だ。切りのいいところまで交渉してくれ。……いや待てよ。縁起物だからなぁ。値切るのは良くないか。……いや、やっぱりそのまま買うのも良くない。……まぁ、いいか。任せる。あの社長が喜んでやってくれる範囲内で適当に決めてくれ」

その後、急にやり取りが加速したようである。入れる文字の大きさ、位置、字体。更に石の裏側の写真も送られてきて「ここにこういった感じで文字が入れられます」などとサンプルを送ってきたりした。
私「何これ、俳句がいやに小さいじゃん。俳句より建立した年月日の方が大きいというのもいい加減な話だなぁ」
実はあの日、現場で次のような話をしている。
私「表には会社の名前を入れるとして、裏に日付だけというのも勿体ないなぁ。俺の俳句でも入れるか(笑)」
工場長「おお、いいですね。プレス機の俳句でも入れますか(笑)」
私「おお、そうかぁ。それもいいなぁ。よし、入れよう。社長、大丈夫ですか?」
社長「大丈夫ですよ。俳句でも何でも入れますから(笑)」
私「よし、そうしよう。句歴25年にして初めての句碑建立だ(笑)」
そのサンプルが送られてきたのだが、いやに小さいスペースになっている。
川上君「石の裏側のほぼ中央が縦に盛り上がって尾根のようになっているんです。それを避けて配置してるんですね」
私「フーン。そうか。よし、俺がレイアウトしてやる」
社長が送ってきた写真にイメージを書き込んで送ってやった。どの句にするかは「プレス機」から「ひこばえ」「海の幸」へといろいろ変遷していった(笑)。
                                 (令和2年作)




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風知草

風知草人の出入りのかたはらに



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当社ではお客様のご要望に合わせて様々な製品を作り出している。
<このような仕様の製品を作って欲しい……>という問い合わせも多い。
ある日、東京の原宿にあるデザイン会社から電話があった。オシャレな家具を作って欲しいという。早速、その会社の担当者が工場にやって来た。女性である。
<おお、メッチャ美人だなぁ>
いろいろなお客様が来社するけれど、こんな美人は初めてである。
<さすが原宿あたりの女性は違うなぁ>と田舎者丸出しで感心したものである。
「どんなことでも言ってください。必ずご期待に応えられるよう頑張ります」
挨拶だけ済ませて、あとは担当者に任せた。
それから相当に長い時間を打ち合わせていたようである。彼女が帰ってからの会話である。
私「随分と打ち合わせが長かったなぁ。美人だからといって無駄話してたんじゃないだろうなぁ(笑)」
担当者「違いますよ。結構こだわった仕様を考えているようで、まずは1台、試作してみることになりました」
私「独身だな、指輪はしてなかったぞ」
担当者「社長もいろいろ見てますね(笑)」
私「まぁ面倒見てやれよ。頼んだぞ」
担当者「社長、それもいいんですが、一つ頼みがあります」
私「なんだ?」
担当者「結構、話が長引きましたので、彼女、途中でトイレに行ったんですよ」
私「フンフン」
担当者「トイレはどちらですかって言うから、1階のトイレに案内したんですけど、格好悪いですよ、あれじゃ」
私「何が?」
担当者「もう和式の便器を使っている所はないですよ。参っちゃいましたよ」
私「バカヤロウ。今はどうか分からないけど、畏れ多くも皇后陛下だって和式の便所にしゃがんでいた時があったはずだぞ。何も恥ずかしがることはないじゃないか」
担当者「でも社長、相手は原宿ですよ。生まれてこの方、跨いで使う便所は見たこともないんじゃないですか。戻ってきた時、恥かしくて顔も見られませんでしたよ」
私「原宿かぁ……」

と言うことで工場のトイレを全面改修した。もちろん全て洋式便器である。昭和57年の建設以来なので38年振りの改修である。花などを飾って原宿でも青山でも大丈夫なようにした。
                                 (令和2年作)




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一人寝のベツドの軋み夜の雷



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大型連休最終日の5月6日(水)、関東甲信地方では夜にかけて気圧の谷が通過し、激しい雨と共に雷が鳴った。夕食を済ませて部屋でベッドに横になり「石川淳選集」を開いていた。雨が降ったことには気付いていない。急に大きな音と共に稲光が走ったのである。<ピカッ……ゴロゴロゴロ……ドーン>である。
何度か光ったが雨の音はしない。二重ドアのサッシを開けて外を覗いてみると黒い雲はあるもののやはり雨は降っておらず雷だけが鳴っていたのである。ピカッと光り、しばらくしてゴロゴロドーンである。それが何度も立て続けに起きているので、もしかしてと思い、スマホを持ち出して光る間際にシャッターを押してみると運よく3回目にしてこの写真を撮ることに成功した。今まで雷が光る夜空に向けて何度シャッターを押したことだろう。一度としていい写真を撮ったことがなかっただけに狂喜した。<おおお、メッチャ、いい写真じゃん!>
すぐに茶の間でテレビを観ていた妻に知らせに行った。
「ミィ、ミィ、見て見て、凄い一枚が撮れたよ」
「あら、ホントだ。よく撮れたわねぇ」
とても気を良くしていた。この喜びを誰かに知らせずにはいられない。家族のグループラインに送信した。「大丈夫?ヘソ出して寝てない?カメラの腕を上げました!」という喜びのコメントを添付した。すぐに長女から返信が来た。「こっちだけかと思った!」「みやとさわは光ってから音がするまでの時間をずっとカウントしているよ」と来た。「おお、光は瞬時で届くけど、音は1秒330メートル。計算すれば落ちた場所が分かるというやつだ。科学してるなぁ」すぐに娘は豚が指パッチンしている画像を送って寄こした。嬉しい!
話はこれで終わらない。2階の本棚から寺田寅彦(1878-1935)の本を取り出してきた。「俳句と地球物理」である。彼が気象現象について書いていたことを思い出したのである。俳句の季語の分類について異議を唱えていたことを覚えていた。「雷」もその一つである。何て書いていたかを調べたくなったのである。
「俳句季題の分類は普通に時候、天文、地理、人事、動物、植物に分かれるが、後の3つは別として、初めの3つの分け方は現代の科学知識から見ると決して合理的とは思われない」と書いているのである。「天文学は天体、すなわち星の学問である。気象学とは分野を異にする。しかし俳句の『天文』には気象学的現象のものを多数入れている。天文台も気象台もゴッチャになっている。そうかと思うと『時候』に入っている立春とか夏至などは星学上の季節であり、また考え方によっては気象学上の意味も含んでいる。一方、『地理』に入っている雪解とか水温む、凍てる、水涸るなどは気象であり、汐干や初汐などは『天文』と言えなくもない」としている。物理学者ならではの視点とも言える。
雷は「天文」に属する。<気象現象は天文……>などと考えながら寝返った時にベッドが軋み、この句を思い付いた。
                                 (令和2年作)




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傘雨忌

故もなき芭蕉ぎらひや傘雨の忌



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石川淳選集第12巻「評論随筆」には多くの文人達の死が語られている。「太宰治昇天」「安吾のゐる風景」「敗荷落日」「宇野浩二」「わが万太郎」など、死に際しての思いを語り、交友を振り返っている。
「太宰治昇天」では訃報に接した時の衝撃、入った酒場で太宰を皮肉った青年の一言に激怒するシーン、三鷹の入水現場まで翌日出掛けて行った話などが紹介され、強くその死を悼む筆致で書かれていた。
「それにしても、太宰治といふ今日に掛替の無い作者の死に於て、その天稟も才能もひとしくほろびて、歎ずべし、今後いくたびの春秋にひらくべき花は永く絶えた。惜しいね、きみ、太宰君、べらぼうだよ、何といふもつたいないことをする」と綴っている。
「安吾のゐる風景」ではその交友を語り、生前病を得た坂口安吾の姿を記している。
「安吾の病氣はなにか。はじめ、わたしはその病名を知らなかつた。病院に見舞に行つたとき、安吾はすでに眠つてゐて、其の眠は一カ月つづくべきものだといふ。病名はメランコリイと、主治醫の某氏からきかされた」
眠りから覚めるとまた目まぐるしく活動を始める安吾だったが、何かに追われているような、怯えた気配を示す時もあったという。
「やつらはおれを狙つてゐる。ここまで來る途中も、ずつと追跡された。おれは車を迂囘して、やつらをまいてやつた。一度はあぶなかつた。すんでのことに、やられるところだつた。おい、大きな聲をしちやいけない。ここのうちのまはりにも、やつらは網を張つてゐる。やつらは警察にも、もつと上のはうにも連絡があるんだ。内閣の更迭。おれのやり方次第で、そこまで行くんだ。しつ。足音がする。庭にしのび寄つて來た。きみは知らないんだ。しつ。緣の下に……」
上機嫌な安吾が不機嫌な安吾にすり替わっていく姿に接しながら、愛情深く見守っていたことが綴られている。
それに比べ「敗荷落日」での一文は苛烈なものになっていた。晩年の永井荷風を一刀のもとに斬り捨てている。
「晩年の荷風に於て、わたしの目を打つものは、肉體の衰弱ではなくて、精神の脱落」
「荷風晩年の愚にもつかぬ斷章には、つひに何の著眼も光らない。事實として、老來やうやく書に倦んだといふことは、精神がことばから解放されたといふことではなく、單に隋筆家荷風の怠惰と見るほかないだらう」
そして最後にこの文章で締める。
「日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと緣が切れたところの、一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一燈をささげるゆかりも無い」
迫力のある文章だけにそれぞれの交遊録に重みがあり、とても面白い。
(注)久保田万太郎の章では「万太郎が芭蕉嫌い」と聞いたことへの真意を石川淳が本人に質すシーンがあった。その時の万太郎の答えは「芭蕉は旅と連歌がいい、それを取ります」だったという。
写真は石川淳愛用の帽子とステッキである。
                                 (令和2年作)




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五月

風五月丸めし反古の行方かな



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年譜を見ていると奥様が書いたという回想録があると書かれていた。「晴のち曇、所により大雨──回想の石川淳」という題名である。すぐに注文して連休前に入手した。石川活さん(1919-1996)、石川淳54才の時にもらった20才年下の女房である。石川淳の知られざる一風変わった一面が覗けて面白い。いくつかを紹介しよう。
「その1」
夫婦で軽井沢に出掛けた。ホテルの窓から幹が太くて大きな葉を茂らせている木があったので「あれは何という木かしら」と聞いてみた。石川はすぐに「あれはゴムの木さ。おれは子供の頃、ゴムの木を育てていたからよく知っている」と言った。しばらくして作家仲間が集まるパーティーがあった。作家先生、評論家先生が草木の話を始めたので何気なく軽井沢でのゴムの木の話をすると「万平ホテルの庭にゴムの木なんかないよ」と一笑された。「軽井沢にゴムの木が育つ訳がない」「それは朴の木ではないかしら」との話になった。隣で石川はダンマリを決め込み私の方を睨んでいる。「しまった。余計なことを言ってしまった」と思ったが遅かった。あんなに物知りの石川だったが、草木の知識だけについては弱かったようである。
「その2」
石川にも嫌いな新聞社があった。ある夜、その新聞社から電話が入ったので石川に受話器を渡した。「何ですか?えー、何かくれるんですか。それなら、お宅にMさんがいるでしょう。Mさんに渡してくれればいいですよ」と言っている。電話は或る文学賞の受賞を知らせるものだった。受賞式の当日、新聞社から迎えの車が到着し「奥様もご緒にどうぞ」と勧められたがいやな予感がして出席を見合わせた。式の様子は見ていないが、どうやら石川は片手で賞状を受け取ったらしい。石川という人は、何か気に入らぬことがあると無礼をして平気な人であった。
「その3」
石川には奇妙な癖があった。人みな寝静まった夜半に突然隣室から大きな叫び声が起るのである。結婚したての頃はびっくりして飛び起きたものである。初めはどうしたことかと不安だったが、次第に分かってきた。石川はどうやら頭の中で考え構想していることを声に出して言うらしいのである。思念が高まってくると、つい叫んでしまうのである。それが分かってからは安眠できるようになった。
「その4」
石川は昼は原稿を書かなかった。石川にとっての昼はおおよそ読書に費やされるための時間であった。石川が原稿用紙に向かうのは、夕食に日本酒を少し嗜んだ後、一眠りして起き出す12時頃からであった。それから明け方5時頃までが彼の大切な己れの全てを賭けた時間なのであった。
石川は下書きというものを一切しなかった。小説であれ、エッセイの類いであれ、いきなり原稿用紙に万年筆を走らせて、そのまま書き直すことなく編集者に渡していた。だから、石川の身辺に反古紙が散らかっていることはただの一度もなかったのである。
(注)写真は亡くなる2年前86才の石川淳である。
                                 (令和2年作)




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古茶新茶

武蔵野に住みしことあり古茶新茶



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益體もなき己の古日記などを取り出して、今は昔の呑兵衞共のあれやこれやを綴つてみた處で詮無きこと、無聊ここに極まれりと長い許りのゴールデンウヰーク、ゴロゴロウヰ~と飮んでばかりも居られず、思案六法擧句の果てにハタと氣付いた文豪石川淳選集全十七卷の小説、戲曲、評論、隨筆の類ひ、埃被つた書棚の奧にまづは一卷手に取ればその讀みづらきこと甚だし、行けども行けども讀點ばかり、文の終はりの句點はと見れば文中にある鉤括弧、會話の中に二つ三つ、一向に一文に終はりなく、如何したものかと讀み進めていくうちに、何といつしかその文體の美麗にして流暢、淸楚、端麗、秀色神采、天衣無縫とは手拭ひの亊にあらず、瞬く閒にその虜となつてゐる始末、浦島太郎禁斷の玉手箱宜しく、明ければ五月の連休も石川淳一色にて白煙の如し。

石川淳の文体を真似て書いてみた。和漢洋に通じた文豪の文章なので真似たといっても真似られるものではないが、およそ雰囲気だけでも伝わっただろうか。
私が石川淳(1899-1987)の本に出会ったのは20才の頃である。おそらく「普賢」や「焼跡のイエス」「紫苑物語」などを読んだのだと思う。すっかりその虜になり、分かったかどうかは分からないが随筆なども読んで何かを感じていたようである。選集17巻を買ったのはそのずっと後のことであるが、諸事に紛れて人生を過ごし、読むこともなく本棚の肥やしとなっていた。思い立ったが吉日である。早速箱から取り出してみると、カバーのセロハンがすっかり茶色に変色し、何もしなくてもパリパリと破れる始末。45年近くを経た浦島太郎の今の姿である。第1巻の「葦手」から読み始めた。
「おー、こんな文体だったなぁ……」
すぐに蘇った。懐かしい。長々しいのは饒舌体という文体で初めは読みづらいと思うがすぐに慣れる。旧字体や旧仮名遣いも慣れてくる。写真は小説「葦手」の一節である。括弧内が一つの文章となっている。
「面白い……」
連休の1日目に第1巻を読み終えた。20才の私が今66才となり、また同じ本を読んでいるのである。感慨を覚えずにはいられない。あの頃に住んでいた西荻窪の「武蔵野荘」のことや一緒に遊んでいた友人の顔が思い浮かぶ。みんな、今頃どうしているのだろうか。ちゃんと生きているだろうか。会ってみたいと思う。
(注)俳句結社「雪解」主宰皆吉爽雨の俳句に「人々と新茶ひとりの今を古茶」がある。当時のことは以前書いている(平成26年6月27日、ひこばえ「爽雨忌」)。
                                 (令和2年作)




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