2020年05月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2020年05月の記事

桜葉となる

正門の桜葉となり賑はへり



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4月の半ばに塗料メーカーの部長が来社した。コロナ騒動となってからメッキリと訪問客が減ったので久し振りの来客である。
私「マスクしたままで失礼しますよ(笑)」
部長「お互い、コロナに罹ると重症化しそうな年齢ですからね(笑)」
私「部長の場合、コロナに罹ったくらいで死ぬような顔には見えないけどなぁ(笑)」
部長「こう見えても繊細に出来てるんです。社長とは違いますよ(笑)」
私「今回は長引きそうだから体力勝負だなぁ。どう、世の中の情勢は?」
業界の情報通である。様々な企業に入り込んでいるので教えてもらうことが多い。30分ほど話し込んで取引先、得意先の情報をいろいろと教えてもらった。そして帰り際である。
部長「社長のところに来るのに看板がないので、お隣さんの大きな看板を目標に来るんです」
私「何言ってるの。もう何十回も何百回も来てるくせに、今更……」
部長「いえいえ、今日は若いのに運転させて来ましたので道案内するのに困った訳ですよ(笑)」
私「カーナビの時代に部長が道案内するようじゃ、迷わなくてもいい道も迷ってしまうに決まってるよ(笑)」

部長が帰ったあとで考えた。
<やっぱり、看板は必要かなぁ……>
会社の看板は十数年前に外している。以前はプラスチック製のものが建っていた(写真)。看板と鉄柱の間が腐食してグラグラするようになり、春に降った雪の重みで傾いたのを機に外したのである。その後何度か新しいものを考えたのだが気に入ったものが思い付かずそのままになっていたのである。新たに作るとなるといろいろと条件が見えてくる。デザイン性、耐久性、風格、見栄え。センスが問われる話である。
<石で作るか。デザイン性は兎も角、耐久性、風格には石よりいいものは見つからない>
すぐにパソコンで検索して正門に石碑を置いている会社の画像を並べてみた。会社の入口に立っておおよその大きさもイメージしてみた。関係者を集めた。
私「よし、看板を立てることにした。会社設立70年の記念碑ということにしよう。俺のイメージはこれだ。石で作る。大きさは横2メートル、高さ1.5メートル。小さなものだったら貧弱なので一定の大きさは必要だ。すぐに石屋に当ってくれ」
                                 (令和2年作)




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端居

人同じからず端居の人もまた



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呑兵衛会のその後のことを書いておこう。旅行や飲み会はもちろんその後も続いていたが、私も守屋さんも役員そしてその後の社長を務めるようになり、それまでと同じように気楽に騒いでもいられなくなって自然と回数も減っていったようである。7人のうち最初に会社を辞めたのが守屋さんである。平成14年に社長になり、2年勤めて会長となり、その2年後に引退している。平成18年9月15日、66才での退職である。
2番目に辞めたのが野田さんである。彼は工場の中で社内外注として働いていたが、守屋さんが辞めた同じ年の12月末で辞めている。辞める前に一悶着あった。前年6月に社長だった私が一人の取締役の職を解いた。私にとっては苦渋の決断だったが明確な理由があった。しかし野田さんの目には非情なやり方に見えたようである。「日向さんよ。あまりに冷たいやり方じゃないか」「野田さん、傍から見るとそう見えるかも知れないけど良く考えた上でのことだから間違いない。これしかなかったんだ」「だけど今まで一緒にやってきた仲じゃないか」「今までとこれからは違う。俺がそうした理由を説明しよう」「説明なんていらないよ。日向さんは頭がいいからそれなりの理由を挙げるんだろうけど、俺には付いていけない」「理由も聞かないで批判されるんじゃ困るなぁ」それから1年ほど口も利いてくれない状況が続いて辞めていった。辞めて5、6年して会社を訪ねて来てくれたことがあった。会社に飾っている自分の絵を見に来たようである(写真)。「上手くいっているようだね」「まずまずかな(笑)。まだ怒ってるの?」「ああ、あの時のこと?守屋さんからも話を聞いたりしたけど、まぁ、日向さんらしいと言えばそうなんだろう。社長にしか分からない苦労もあったんだろうなぁ(笑)」「誤解があったとしたら許してよ」「とっくに許してるよ(笑)」
3番目が佐久間さんである。平成18年に定年を迎え、その後1年間勤めてくれたが、身体がキツイといって平成19年6月29日に退職していった。塗装の職場だった。61才。今はビル掃除の仕事をして働いていると噂に聞く。会っていない。
4番目が好川さんである。定年後も勤めてくれていたが、足の血管が異様に膨れ上がる病気に罹っていた。医者には通っていたが一向に良くならない様子でビッコを引いていた。「酒の飲み過ぎから来たんじゃないの?」「酒?ああ、あれは薬。大丈夫、大丈夫。へっちゃら、へっちゃら(笑)」仕事が踏み台を上がったり下りたりする内容なので辛そうである。仕舞いには工場の2階の階段が上がれないという状態にまで悪化していた。「好川さんよ。そんな身体では仕事出来ないんじゃないの?医者は何と言ってるの?」「痛いのは今だけ。すぐ治る」「だって階段も上がれなくなってるじゃん」「上がれる、上がれる。平気、平気」「まず、ちゃんと治しておいでよ。治ったらいつでも働かせてやるから」「社長!今、治った。治ったから大丈夫」「……」「治ったら本当に雇ってくれる?」「大丈夫だ。約束する。治して来い。医者の言う通りにしっかり治して来い」平成21年6月4日のやり取りである。その後しばらくして、家に電話しても出なくなり、訪ねて行ったアパートは空き家になっていた。
坂口さんのことはブログにも書いた(平成27年3月16日、ひこばえ「料峭」)。平成23年4月28日に退職し、平成27年3月2日に死亡した。
今も会社に残っているのは私と庄司さんだけである。庄司さん78才。酒は最近あまり飲んでいないようだが仕事は一生懸命、毎日元気に頑張っている。
                                 (令和2年作)




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山桜

山ざくら伊豆の旅籠の二階より



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平成7年4月12日(水)「教祖」
2日目は主役が替わる。旅行2日目に何かが起こるという悪いパターンは今回も繰り返された。早目に宿を出て、松崎のなまこ壁、長八記念館、波勝崎の野猿苑と見て回り、2日目のメイン「一条竹の子村」に到着した。予想以上の人出で、着くや否やゴム長靴を履かされ、マイクロバスで竹藪まで案内された。今年は竹の子の成長が悪い上、イノシシが荒らしてしまったとかで、通常1000円の入場料はなく掘った分だけ目方売りするという。係員に探し方や掘り方を教わってすぐにスタートした。運よく一つ見つけた。感動である。鍬を振り上げ、初体験の一個を手にする。その後あちこちと探して回ったが結局は見付からず、最初の一個だけとなる。みんなも一つは手にしたようだが好川さんだけは最後まで見つけられなかったようである。マイクロに乗り込む時もブツブツ言っていたが、今思えばあの時がその日の悪夢の出発点だったかも知れない。竹の子定食に竹の子の刺身を注文すると、彼は迷わずビール3本を注文した。車の中にダイエー100円ビールがワンサカとあるのに、そこで飲まずにいられなかった竹の子一個の怨み。1日目の出発以来、車中での話題は専らオウム真理教(写真)。新聞の一面を連日賑わしている渦中の事件であるだけに話は面白い。そのオウムを参考に自分も新興宗教を作ると言い出した好川さんの教団の名前は「ライク・リバー教」。ライクが「好」でリバーが「川」である。
これには大いに笑わせてもらった。本人も相当に気に入っていたようで執拗にその名を連呼していた。まさにライク・リバー教教祖誕生を広く印象づけようとした彼の戦術だったかも知れない。
竹の子村を出発し一路帰路に着くと、すぐに渋滞に嵌まってしまった。教祖たるべき好川さんが徐々に変貌し、狂祖の様相を呈していくのは、その渋滞を利用した悪魔の導きだったのかも知れない。しゃべり出すと止まらない。英語交じりの意味不明な日本語が切りもなく続く。水を飲むように酒を煽る。笑ったり怒ったり、おどけてみたり燥いだり。
変わって行く彼の姿を見ながら、私は宗教なるものについて思いを巡らしていた。
民衆の貧困、病気、苦しみ、悩み、おののきなどに対し、手を差し伸べ、心を掴み、救いへと導いた者が教祖となるのだろう。好川さんの場合はどうだろう。民衆に手を差し伸ばすべき男が誰かに支えられなければ歩けなくなるほど酩酊してしまうのはどうしたことだろう。神の力を得るべき男が酒の力しか借りられないとはどうしたことか。民衆の心を摑まえなければならない男が誰からも見向きもされないでいるのは何故だろう。絡まれるとややこしい。狭い車内が更に狭くなる。
私はふと朝訪ねた波勝崎の野猿苑でもらったパンフレットを取り出してみた。そこにはこう書かれていた。
──サルを観察する時の注意──
① サルに近寄らない
② サルに触らない
③ サルの目を覗き込まない
④ 菓子や果物を見せない
⑤ 手荷物は要注意
夜9時、440キロの旅を終えて無事到着した。「大丈夫、大丈夫」と言いながら杉田商店街の中にふらふらと消えて行く好川さんの後ろ姿を見ながら、教祖となり切れなかった男の淋しさを思ったものである。
                                 (平成7年作)




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山葵田

山葵田に影さす雲の早さかな



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庄司さんと好川さんに纏わる話をもう一つずつ書いておこう。

平成7年4月10日(月)「笹熊」
呑兵衛会7名の1泊2日の伊豆の旅。天候にも恵まれ、絶好の行楽日和を満喫できたようだった──たった一人の男を除いて。
庄司さんはその前日の親交会幹事引継会で日頃食べ慣れぬフランス料理を口にして腹の調子を壊したようである。朝、車に乗り込んだ時から本調子ではないようで、アルコールも進まず、口数も少なく、ごくごく普通の人に成り果てていた。西湘バイパスの途中で軽食を摂ったものの、熱海錦ヶ浦では他の6名が記念写真を撮っている間も公衆便所に入ったまま出て来ない。「大丈夫か?」と聞くと「大丈夫、大丈夫」と連発するが顔はすでに限界に近づいたような白さである。初日の最初の目的地「城ケ崎」に到着するや、車を降りてすぐに吐いたようである。人出でごった返す景勝地の入口で前日の日本酒を後悔した訳である。昼はラーメン屋に入った。彼も食べるだろうかと見ているとニンニクまで入れてタレも残さず完食したものだ。会費1万7000円の元を取る決意と見えた。その後、車は渋滞し、ようやく第二の目的地「修善寺」に到着した。少し持ち直したようで「独鈷の湯」に入るという。一人では入りづらいが全員なら怖いものなしである。大勢の観光客に見られながらの入浴となった(写真)。第三の目的地「浄蓮の滝」では下まで降りた。庄司さんも随分と調子が良くなったようで売店でわさび入りソフトクリームなど食べている。観光地で美味いものを食べずして何が旅行ぞ。
車はいよいよ宿泊地である「安良里」を目指して山越えとなった。伊豆の尾根を越える細い道である。ウネウネと曲りながら登っていく。出会う車とてない快適なドライブと思ったその瞬間、不幸が始まった。庄司さんの異常な様子に車を停めるといきなり飛び出して地に伏してラーメンとソフトクリームに別れを告げた。汚れた衣服を洗おうとする間、誰もいない山地にゾロゾロと男7名が車から降りたのだから、見ていたお婆さんが慌てて家に飛び込み助けを求めたようである。農夫と見られる数名が現れて遠巻きにされたので怪しい者ではないことを説明する。オウム真理教と間違えられたようである。片手にビニール袋を持たせ、助手席に座らせて再びスタートした。長い長い登りを終えて峠で小休止した。6名は夕日に向かって立小便。伊豆の海が美しい。「こんなに美しい光景があるだろうか」と感動していると誰かが「庄司がいない」という。確かにさっきまで蹲っていた場所に姿はない。「庄司ィ~、庄司ィ~」と呼ぶが、笹薮を吹く風の音しか聞こえない。妙な静けさの中、ガサガサと笹が動く音。「笹熊だ!」と誰かが叫んだ。「笹熊?」「何だろう、そんな熊いるの?」私は知らなかったが居るらしい。猫よりも少し大きく、手足も太くゴロンとした感じらしい。それらしい説明を聞いていると本当に居そうに思えるから不思議なものである。誰かが小石を拾って笹薮に放った。何の音もしない。もう一つ放ると「プー」という音がして「危ないから投げてよこすな」と庄司の声。我々が夕照の美しさに心奪われていた時に笹薮の中で野糞を垂れていた訳だ。「来年、あのあたりの笹だけが大きく伸びているだろう」と皆で笑いながら宿へ向かった。
旅館「宝来屋」で一人7000円の料理に10000円の豪華舟盛りを追加しての夕食である。女将ちづるの心づくしのサービスを満喫しつつ、一日目の成功を祝って乾杯。随分と回復してきた庄司さんだがやはり本調子ではない。刺身を少し摘まんで、お酒はやはり飲めないようだった。
翌朝は完全復活である。「チクショー、チクショー」と言いながらアジの干物を丸ごと食べて、人の残したアジの頭まで食べた時には会費返還の道を残しておくべきだったかと考えた次第である。
                                 (平成7年作)




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夏来る

街角に事件多発の夏来る



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(承前)一瞬で悪い予感がした。持ち上げた植木の根っ子から土が零れている。次の事態を想像して守屋さんの顔を見ると彼もすぐに事態を把握したようである。行動に移した。君子危うきに近寄らず。三十六計逃げるに如かず。天は自ら助くる者を助く………階段を降りたというより飛んだと言った方が正しい。私より早く、守屋さんの姿はもうそこに無かった。韋駄天だと思った。以前から勘の良さと対応の上手さには感服していたものだが、土が零れるのを見て即座に姿を消す素早さには改めて驚かされた。
100パーセント出来上がっていた好川さんの姿は目にしていない。当然逃げ遅れた口と思っていたが、今日、話を聞くと上手く逃げおおせたとのこと。酔ってはいても、いざとなると上手くやるものである。どこに隠れていたのか、どこをどう走ったのか、彼は語ろうとしない。もしかして、植木に化けていたのかも知れないと思った。
さて庄司さんだ。彼は言う。「植木を倒したのは誰だ?」と。更に言う。「俺はあの日、あんまり酔っていなかった気がする」と。我々は言う。「庄司よ。お前がやったことは完全に常軌を逸していた。犯罪だ。刑法第261条、器物損壊の罪で三年以下の懲役または三十万円以下の罰金に値する。やめろという私の声も聞かず、植木鉢を振り回した罪は大きい」と。三人があっという間に散ってしまった屏風ヶ浦の駅前で庄司さんはあのあんちゃんに捕まる。
私は駅前に停まっていたタクシーに飛び込んでいた。乗り込んだ瞬間、走り出したのでその後のことを詳しくは見ていない。最後に見たのはあのパンチパーマで小太りのあんちゃんが血相を変えて走って行く姿であった。タクシーの中で祈った。何事も無事に終わりますように。警察沙汰にだけはなりませんようにと。
その後の顛末を今日、庄司さんから聞いた。興奮し切ったあんちゃんと交番に行ったこと。運良く巡査がおらず二人で押し問答になったこと。「植木代1万円、支払え」と言われ「飲み代を払った上にそんなものまで払えるか」と言い、「住所を言え」と言われ「テメェに教える住所なんぞ無い」と啖呵を切ったことなど。時間が経つにつれ、あんちゃんの興奮も収まって来て、最後は「また飲みに行ってやるから小さなことを言うな」と言って握手して別れたとのこと。さてさて大したものである。ロータリークラブとロータスクラブを間違えた男と同一人物と思えぬほどの胆力。男の中の男。イヨー、日本一。飲まなきゃもっといい男。

夏休みにまた呑兵衛会で千葉に行くらしい。私は予定があって参加出来ないが大いに盛り上がってくれることを期待している。それにしても「正しい」とか「誠」とか本物臭い名前を持った男には要注意である。くれぐれも事件のないように祈りながら、植木鉢事件のペンを置くことにする。(一部、敬称を略したことをお詫びします)
(注)庄司さんの名前が「正」であり、好川さんの名前が「誠」である。
                                 (令和2年作)




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夜の薄暑

スナツクの名は女の名夜の薄暑



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平成6年8月8日(月)「植木鉢事件」
5日(金)に起きたスナックAに於ける植木鉢放擲事件は連日の熱帯夜が引き起こした小さな暴発事件と言える。
主人公は庄司さんだ。またしてもあの庄司がやってくれた。
その日、会社のビアパーティでタダ酒をタラフク飲んでコンパニオンを口説き損ねた庄司さんが二軒目の「のん木」に着いた時には8割方出来上がっていた。隣には9割方出来上がっている好川さんもいて「のん木」の奥座敷はツマミも注文しない連中でごった返していた。いつもの7人衆の内、佐久間さんと坂口さんは来ていない。替わりに須田副社長と岡村先生ご夫妻が同席していて静かに会話を楽しむ場となるべきところではあるが、二人の酔っ払いにより杯盤狼籍の様相を呈していた。
「のん木」を出た我々は屏風ヶ浦の駅まで歩く。もう夜中の12時に近い。当然帰るべき時間ではあるが、岡村先生を送ったあと庄司さんが歌を歌いたいと言い始める。副社長は「のん木」の途中で帰っている。野田さんは翌日千葉に行くとかで「のん木」の前で別れた。残ったのは庄司さん、好川さん、守屋さんと私である。駅の隣の雑居ビルの2階にスナックAはあった。いつも冷静であるはずの私も酔っていたのか店の名前を覚えていない。仮にAとしておく。店にはやーさん風のあんちゃんが居て、最後には我々を追い掛けるという重要な役割を果たすことになる。店は混んでいた。カウンターに7、8人がいたように思う。まずはビールを注文した。「ビール2本」と言うと最低一人1本は注文しなければならないと言う。随分とケチ臭いことを言う店だなぁと思いつつも、まずは歌をリクエストする。すぐに順番がきて庄司さんが立つ。立っているのか座っているのか分からないほどだが、声だけは大きい。あんちゃんが怒る。「もっと小さな声で歌えないかなぁ。貸し切りじゃないんだから」と。「何、言ってやがるんだ」と文句を言いつつ、次は好川さんが歌う。好川さんの熱唱でカウンターの客がゾロゾロと帰り支度を始める。守屋さんが歌う。もう誰も人の歌など聴いていない。めいめいに大声で話している。女性二人連れが入ってきた。ヨシ!と立ち上がって私が歌う。みんなが上手いと絶賛する。しかしあんちゃんだけは文句を言う。「ベラベラ喋ってないで、もう少し静かにしてくれないか」「なにィ」飲みに来て喋るなとは何事か。無視してそれから各自3曲くらい歌って勘定となる。一万一千円。このサービスの悪さにしては取り過ぎじゃないかと思いつつも、ニコニコ現金払い。「じゃ、また来るよ」とドアを出たのは、私、守屋さん、好川さん、庄司さんの順。順番が悪かった。私が最後であれば、あの事態は防げたかも知れない。階段を半ばまで下りて振り返ると、どうしたことか、あの庄司さんが店先の植木鉢から木を引き抜いて、階下に放り投げようとしているではないか。何、何、何ィ!(つづく)
                                 (令和2年作)




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春の夢

春の夢死ぬも生きるも屁のごとし



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(承前)皆々、鼻を押さえる。堪えきれずに庄司さんは客室の方へ移動して行った。その臭いたるや、自分でも驚くほどに強烈で、広い範囲を漂ったようである。しばらくして急に笑いが込み上げてきた。他人に屁を嗅がせておいて笑ってしまっては弁解の余地もない。必死に堪えていたが、周りでじっと我慢している人達の胸中を考えると申し訳ないと思う気持ちよりも笑ってしまいたくなるような気持ちの方が大きくなったのである。自分で屁をこいて、一人で笑いを堪え、知らぬ顔を決め込んでいる図である。
乗り込んだ時、洞爺丸事件やソ連船に沈められたという樺太からの引き揚げ船を思い浮かべていた。大荒れの海に、これから死んでいくかも知れない船内の緊張を思った。しかしその思いとは裏腹に、沈まぬことを確信し切っている自分が自分の放屁に笑いを堪えているとは何と軽薄で何と詰まらない男の姿であることか。自嘲せずにはいられなかった。哀れな男である。

船揺れて死ぬも生きるも屁のごとし

到着した久里浜港は嘘のように凪いでいた。船は何事もなかったかのように接岸し、ロープが抛られた。係員の合図に従って船底から次々と吐き出される車の列に混ざり、ひときわ大きくエンジンを吹かして我々呑兵衛会7人衆は無事横須賀に上陸し旅を終えたのだった。

翌日この日記をコピーしてメンバーに配った。数日後、野田さんから手紙を受け取った。
「日向さんの安房での思い出が………
東洋一の大仏でもなく
寒風の中で釣り上げた二匹のフグでもなく
下請の人間がどのようにして別荘を手に入れたかという、その興味でもなく
あの荒波の中、船底が海面を叩く「ドーン」と鳴る音で、洞爺丸の惨事に思いを馳せ、放屁一つで生き死の問題を笑い飛ばしていたとは………
弛緩した日常を送る我々に、物事に真摯に立ち向かい畏れを持って臨めという警鐘なのでせう」

別に警鐘を鳴らした訳でも何でもないのだが、そう受け止められたようである。
このあたりから呑兵衛会で行事を行なうたびにレポートするようになり、メンバー全員が終わってからの楽しみとしてくれたようである。
(注)写真左から野田さん、坂口さん、佐久間さん、好川さん、守屋さん、庄司さん。みんな、若い。
                                 (令和2年作)




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虫干し

虫干しや読めば涙の古日記



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外出禁止令が出されたようなゴールデンウィークになってしまった。どう過ごそうかと考えて、ダンボール箱に放り込んだままになっている昔の写真などを整理してみることにした。最初に出てきたのが古い日記帳3冊である(写真)。平成5年9月27日から平成8年9月14日までの3年間付けていたものである。ペラペラと捲っているうちに止まらなくなってしまった。読むに堪えない文章もあれば懐かしく思い出す文章もある。面白そうなものだけを拾い出して書いてみよう。まずは呑兵衛会のことからである。

平成6年1月24日(月)「安房に遊ぶ」
天候は晴れ。南西の風強く、海上は白く波立っていた。初日は日本寺大仏の見学と館山の野田別邸宿泊。2日目は安房神社参拝と白浜フラワーラインのドライブ。野田邸では手製のちゃんこ鍋に舌鼓を打ち、濁り酒は濁れるごとく、海の味覚に酔いしれながらマグロの目玉を啜った頃にはお腹の具合は少々弛緩状態となっていた。
帰りのフェリーの時間を気にしながら金谷港に到着したのは午後3時。吹き荒れる風の強さに驚きながら待合室で聞いたのは次便欠航を告げるアナウンス。東京迂回のことを考えれば最終便に乗れる幸運は天与のものである。3時35分の定刻を20分遅れで久里浜丸は出航した。
入り江を出た途端に船は大きく揺れ始めた。乗客はほぼ満員で座る椅子とて無い。犇めく客室内に熱気が立ち込める。デッキに出てみたが強風に舞い上がる波しぶきですぐに眼鏡が曇り、あまりの寒さに車で飲んだアルコールが一気に抜けて行った。空は抜けるように青く、離れ行く房総の山並みがくっきりと見える。海は砕け散る白波が時折虹を作り、時に青く、時に淡いグリーンに色を変えてうねり続けている。船は大揺れである。波の上に大きく乗り上げて落ちる時、船底が海面を叩く。ドーンという音と共に船体が激しく振動し、乗客の悲鳴が上がる。
野田さん、守屋さん、好川さんの3名は客室中央の階段付近に位置を占めていた。庄司さん、佐久間さん、坂口さんと私の4名はトイレの入口に近い通路にしゃがみ込み、ガラス越しに海の様子を眺めていた。トイレに行く客が引っ切り無しに行き来するが、しばらくすると船酔いの客が混じり始め、中で嘔吐する苦しそうな音が聞こえてくる。
航程も半ば近くに達すると、大きな揺れにも慣れ、騒ぎ立てる人も居なくなり、軽食を口にしたり、ビールを飲んで声高に話す老若のいつもの姿に戻っていた。しかし相変わらずトイレを使う人は多く、途中で通路にしゃがみ込む人も増えていった。ここで私は不覚にも音無しの放屁をしてしまった。前日からの腹具合の悪さによるものである。瞬時にその臭いの強烈なることを自覚する。近くにいる坂口さん、庄司さん、佐久間さんが異臭を嗅ぎ、「臭せぇなぁ~」と口にする。
「トイレが壊れたんじゃないの?」
「詰まって逆流しているのかな?」
「それにしても凄い臭いだなぁ……」
(つづく)
                                 (令和2年作)




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目借時

はやり目の目ヤニ拭ふや目借時



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1週間ほど前から急に目ヤニが出るようになった。拭ってもなかなか取れないので、水道の水で洗ったり、家にあった市販の目薬で何とか凌いでいたが一向に良くならない。やはり眼科に行って診てもらうことにした。4月11日(土)の朝のことである。
涙目で杉田の眼科に通ったのはいつだっただろう。ブログを見てみるともう5年も前のことである(平成27年6月1日、ひこばえ「春愁」)。いやに個性的な先生だったことを覚えている。受付にも人がおらず、検眼から診察、会計まで一人でやっていたことにちょっとした不安を覚えたものである。今回は違う眼科に行くことにした。以前、一度だけ行ったことがあった眼科である。女性の先生である。ホームページで番号を調べて電話をしてみた。
私「もしもし、初めて電話します。目の調子が悪くてこれから診てもらいたいんですが」
女性「はい、こちらは予約制ではありませんので、今日でしたら9時から12時までにお越しいただければ大丈夫です。お待ちしています」
歩いて15分である。以前どうしてこの病院に来たのかは覚えていない。涙目だったとしたら「セカンドオピニオン」ということになる。それとも医者を変えようとしたのだろうか。記憶がない。
とてもきれいな受付である。女性が二人いて名前を言うと「ああ、先程の電話の方ですね」と感じのいい対応である。保険証を渡して「4、5年前に一度来たことがある」と伝えると、そのままロビーで待っているように言われた。お客は私の他に1名いただけである。5分程して呼ばれた。いやに早い。まずは検眼台で両目を覗かれ、眼圧などを測定した。次に視力検査である。眼鏡を外して遠くの丸の切り口を当てるのだが、ボワッとしていて見えるものではない。専用の眼鏡を掛けてレンズを何枚か変えて両方とも1.2と言われて終了する。すぐに隣の部屋に移り、先生の前に座った。<ああ、この先生だったなぁ>
先生「日向さん、5年前に一度、見えてますね」
私「はい、そうです」
カルテを見ている。
私「先生、その時の私は何で来てますか?」
先生「涙目ということで相談に見えています」
私「ああ、そうですか。なんで来たのか、思い出せなかったものですから」
先生「その後は如何ですか?」
私「あの時ほどではないんですが、やはりその傾向はあります。鼻涙管が細いようです」
先生「そうですか。それでは診察しますね。ここにアゴを載せてください」
診察の結果「結膜炎」と診断された。1週間分の抗生物質と目薬を処方され1日4回差すように言われた(写真)。
先生「目を触ったりする時にはきちんと手洗いをしてからにしてください」
私「はい」
小学生のように素直な私がいた。3日目に効果が確認された。腰といい目といい、ここのところ続く医者通いは寄る年波ということだろうか。
                                (令和2年作)




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春愁

助成金手続き春の愁ひとも



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新型コロナウイルスの影響で売上が下がった場合の助成金制度があるというので総務担当に調べるように指示した。今まで利用したことはないが調べておくに越したことはない。助成金のこととなると詳しい人がいる。友人の落合社長である。電話をしてみた。
私「もしもし、コロナの影響はどうですか?」
社長「ウチはまだ影響は出ていませんけど、そのうち得意先の方から何か言って来るんでしょうから、いろいろ考えています。日向さんのところは?」
私「急に仕事が減ってきました。これ以上減るようなら助成金の手続きでもしようかと思って調べているところです」
社長「そうですか。今回は手厚い制度になっているようですから手続きしておいた方がいいですよ」
私「さすが詳しいですね。社長に聞けばやり方が分かるかと思いまして(笑)」
社長「あの時はいろいろやりましたからねぇ(笑)。助成金といえば、オヤジのことを思い出しますよ」
私「会長がどうしたんですか?」
社長「リーマンショックの時だったと思いますけど、売上が落ちたので助成金の手続きをして工場を止めて役員だけが出ていた時なんです。オヤジが出勤して来て工場が止まっているのを見て怒り始めたんです。
『バカヤロウ、仕事が減ったからといって国に助けてもらおうなんて何を言ってるんだ、お前らは!
工場を止めているようじゃ、ツブレだ、ツブレだ!会社をやっている意味なんか、ねぇぞ!
こういう時は仕事を取ってくるんだ。どこにでも行って仕事をもらって来い!』
凄い剣幕で怒って飛び出して行ったんですよ。そしたら翌日、ちゃんとデカい仕事をもらってきましたからねぇ。驚きましたよ。オヤジの凄いところを見せられた気がしましたよ」
私「へ~、そんなことがあったんですか。凄い根性してるなぁ」
社長「しかし、日向さん、話はそれで終わらないんですよ。仕事を取って来たのはホントに凄いんですけど、その翌月だったか助成金が振り込まれて来たんです。200万位だったかなぁ。それをオヤジに言うと言うことがいいんですよ。
『なにィ、そんなに振り込んできたのか。それじゃ、仕事をやっているよりいいじゃないか。ヨシ、これからはそれで行こう。何もアクセク働くばかりが能じゃない』
お金を見たら急に態度を変えましたからねぇ。オヤジらしいと思いましたよ(笑)」
会長が55才になって起こした会社である。会社を急成長させた辣腕ぶりとお金に対する執着心は見習いたいと思ったものである。
(注)落合会長の十八番「網走番外地」(写真)はいつも替え歌で歌うものだった。懐かしい。
                                 (令和2年作)




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花曇り

花曇り旅してみたき奥六郡



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新型コロナウイルスの感染拡大を受けて4月7日(火)夜、安倍首相による「緊急事態宣言」が発令された。対象となる7都府県では外出自粛はもちろん様々な業態への営業休止要請なども行われるという。神奈川県も当然その対象となっている。
私「駄目だなぁ」
妻「駄目だね」
私「しょうがないな」
妻「しょうがない」
ここ数日、どうしようかと話し合っていたゴールデンウイーク中の旅行についてである。諦めることにした。3ヵ月も前から練っていた計画で、新幹線も旅館も予約している。
妻「じゃ、キャンセルするからね」
私「オッケー、しょうがない」
その夜、全ての予約をキャンセルした。

計画していたのはNHK大河ドラマ「炎立つ」の舞台「東北」である。3年前に本を読み行きたいと思っていたのだが、その時はどういう訳か訪ねてはいない。「今年はどうする?」と言われた時にいの一番に思い浮かべたのが「炎立つ」だった。
27年前にテレビで放送された時は見ていない。随分後になって高橋克彦の小説を読んだだけである。
「前九年の役(1051-1062)」「後三年の役(1083-1087)」「奥州藤原氏の滅亡(1189)」──その舞台となった東北を奥州平泉中心に回ってみようと思っていたのである。計画は次の通りである。
5月2日(土)、朝6時半、自宅出発─新幹線「はやぶさ103号」東京駅7時56分出発─一ノ関駅10時8分到着─レンタカー借受け─「黄海の戦い」の地─屯岡八幡宮─中尊寺ほか平泉見学─奥州平泉温泉「そば庵しづか亭」宿泊
5月3日(日)旅館出発─平泉見学─衣川古戦場跡─磐神社(男石神社)─江刺藤原郷─花巻台温泉「松田屋旅館」宿泊
5月4日(月)旅館出発─安倍館址─厨川柵址─盛岡駅─東京駅─帰宅
3年前に読んだ全5巻を1ヵ月近く掛けて再読した。ムックも買った。東北の行事も調べた。ヨシ!と思った矢先の「緊急事態宣言」である。一縷の望みを期待しつつ内容を聞いていたが最終的には首相の次の一言でとどめを刺された。
「地方に移動するなどの動きは厳に控えていただきたい」
いつになったら訪ねられることやら。このブログを書いているのは4月8日であり、アップされるのが5月4日である。1ヵ月近くも「もぬけの殻」状態で過ごすこととなる。
「ふ~」
                                 (令和2年作)




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二日灸

二日灸屁っ放り腰を浮かせけり



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リモコンでテレビを点ける。<マスダオカダ>岡田圭右の「クイズ!脳ベルSHOW」をやっている。毎朝、観ているがその日はそれどころではない。まずは顔を洗う。高さ70センチの洗面台が恨めしい。手で水が掬えない。タオルを水に浸けて絞って顔を拭いた。パソコンを持ち出してコタツに乗せるという行為さえ至難の業である。柱に掴まらないと膝も曲げられない。両手でパソコンを持っているので柱が掴めない。椅子の背凭れに肘を乗せて、片方の膝をゆっくり曲げて姿勢を落していくという方法である。全身に力を入れると、腰から脇腹の筋肉に激痛が走る。
<こりゃ、どうなっているんだろう?>
今まで腰が痛くて整形外科に通ったことは何度かあるが、このような痛みは初めてである。
<骨に異常があることは絶対にない。コタツで寝た姿勢が問題だったんだ……>
いつも行く整形外科の先生を思い浮かべる。
「ハイ、まずレントゲンを撮ってみましょう」
「骨には異常なし。良くなるまで電気を掛けましょう。気持ちいいですよ」
「そのあと腰痛を防ぐ運動をします。しばらくは通ってみてください」
「コルセットを装着してください。持ってますか?そうですか。それじゃ、今回はいいということに……」
「薬は飲み薬と湿布を出しておきます。ハイ、お大事にどうぞ」

今回は整形外科ではなく鍼に賭けた。痛い所にブスブスと刺してくれれば一発で治るような気がする。妻に付き添われて10時にインターンホンを押した。
「いらっしゃいませ~。いつもお世話になってま~す(笑)」
若い女性がドアを開けて迎えてくれた。
<???この人が先生?助手?どっち?>
「どんな状態ですか?」
<ヒャ~、こんなに若い人なの?しかも超美人。この人が先生なの?凄いじゃん!>
「おお、お、おはようございます。よろしく、お願いします。こ、こ、このあたりが痛くて……」
急に背筋が伸びたような気がした。
<こんな美人だとは一言も言ってくれてないじゃん!>
<こんなにいいところが近くにあったなんて、聞いてない、聞いてない>
聞いていたのは娘の友達だということだけである。
上半身、裸になって50分ほど鍼と灸をしてもらった。
「アチチチチチ……」
と言いながらも普段より我慢強い私がいた。
2日通って小康状態を得た。感謝、感謝である。
                                 (令和2年作)




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