2020年03月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2020年03月の記事

春山

春山に御廟といふも穴一つ



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瑞泉寺に行った抑々の目的が初代関東公方足利基氏公の墓にお参りすることだった。瑞泉寺中興の祖であり、歴代の公方の墓も祀られている。庭園内を一回りしたあと墓のある場所を確かめようと山門まで戻った。山門の横に見取り図のような絵看板が立てられていたからである(写真)。ペンキで書かれた絵のようで全体に色褪せているが、よく見れば読めるようにはなっている。本堂、方丈、庫裡とあり、その右側の山のように描かれた場所に「開基足利基氏公廟所」と書かれている。
<どうやって行くのだろう?>
道があるようには見えない。庫裡で聞いてみようと思い、再び山門をくぐった。
「スミマセ~ン」
すぐに女性が出てきた。着物姿である。
「ご朱印帳ですか?」
「いえ、ご朱印ではありません。この裏にある基氏公のお墓にはどうやって行くのかと思いまして……」
「ああ、あいにく公開はしてないんですよ」
「えっ、見られないんですか?」
「はい、すみませんが……」
「写真なんかもないんですか?」
「はい、ありません」
ムムムム……折角来たというのに入れないようである。残念と言うしかない。
山を降りて再び総門のところに戻って来た。先程の男性と目が合った。
「ありがとうございました」
「結構、花、咲いてたでしょ」
「花はいいんですけど、見たかった基氏公の墓が見られなくってガッカリでしたよ」
「ああ、あそこはダメなんだよ」
「そこが見たいトコなんですよね(笑)」
「なんも、小さな穴倉の中に祠があるだけだよ」
「ホコラ?」
「祠っていうか、何ていうか、石を3つ4つ積み上げていて……」
「ああ、石塔だぁ。なるほど……」
見たことのある人には、特段何んということもない物のようである。しかし見ていない者には「一度でいいから……」という思いがある。何となく想像は出来たがあくまでもそれは想像に過ぎない。百聞は一見に如かず。心残りである。お礼を言って瑞泉寺を後にした。鎌倉宮の近くの蕎麦屋で十割蕎麦を啜って12時半には家に戻っていた。
                                 (令和2年作)




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冬日射す

死をいとふ日々竹林に冬日射す



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誰もいない禅林をゆっくりと歩いた。とても静かである。昔のことを思い出していた。古い手帳を見ると平成12年(2000年)1月となっている。もう20年も前のことである。浜風句会の人達と一緒に道川虹洋先生を囲みながら瑞泉寺を訪ねている。吟行のあとに句会を開いていて全員が出句している。先生を含め12名である。私が46才。浜風句会に入って3年目である。その時のメモや詠んだ句が残されている。全員5句ずつ出している。

武者凧を駅に飾りて古都の春
臘梅や念誦のひびき堂に満つ
禅林の冬菊色香失はず
耐ゆること秘めて紅さす冬木の芽
木漏れ日にこぼれて碧き竜の玉

道川先生の句である。鎌倉駅に集合したのだが、そこに飾られていた武者凧のことを詠んでいて「集合した時からもう句を作っていたのだなぁ」と心構えから教えられたような気がしたことを覚えている。禅林という言葉もその時に教えてもらった。草花のことに掛けては知らないことがないというほどの知識量だった。夜遅くまで机に向かい、図鑑を調べながら漢字の練習までして造詣を深めていたことを亡くなった後になって娘さんから聞かされた。推敲前の作り立てホヤホヤの状態であるが、どの句をとっても気品がある。いい先生に出会ったことを今更ながら痛感している。
私がその時に詠んだのが掲句である。どなたからか「日向さん、よくそうやって上手く詠めるものですね」と褒められたのだが、実は上五の「死をいとふ」は瑞泉寺境内に据えられていた石碑からの転用なのである。歌人吉野秀雄の和歌「死をいとひ生をもおそれ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ」から取ったのである。
苔に被われた石段(写真)を登り切るとその石碑が20年前と同じ姿で置かれていた。懐かしくあの時のことを思い出すと共に、もう会うことの出来ない先生のことを想って胸が苦しくなるのであった。
                                 (平成12年作)




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椿散る

鎌倉に椿散り込む遺構あり



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瑞泉寺へ向かう小道を歩いていると椿の花が水路に散り込んでいた(写真)。とてもきれいである。水があまり流れていないようで散った姿をそのままに留めている。「椿」は春の季語。何かここで一句、物にしたいところである。椿の花は花が丸ごと落ちるのが特徴であり、「落椿」「椿散る」という季語もいい。鎌倉には似合いの花のように思える。写真を撮り、句を考える。落ちたこの水路を何と詠むべきだろう。小流れ、水路、溝、掘割、排水溝、側溝などの言葉が浮かぶが確信が持てない。「開渠」という言葉も浮かぶ。東大構内で妻に教えられた「暗渠」とセットになっている(令和元年11月9日、ひこばえ「秋風」)。
「遺構」という言葉も浮かぶ。調べてみる。
「遺構は過去の建築物、工作物、土木構造物などが後世に残された状態、言い換えれば過去の人類の活動の痕跡のうちの不動産的なものを指す。現在まで残存している部分のみを言ったり、かつての建造物の構造の痕跡が確認される全体を指したりする」(ウィキペディア)
「過去」と「後世」が出てくるので、どれくらいの時代の物を対象にするかは分からないが、私の感覚では山と海に迫られた狭い鎌倉の地形から相当の昔からこの水路はあったものに違いないと推察する。
<これは正しく遺構と言える物なのではないだろうか>
道を上がりながら、そんなことを考えていた。

瑞泉寺の総門に到着した。久し振りである。拝観料200円を納める。男性に聞く。
私「コロナの所為で参拝客が少ないんじゃないですか」
男性「少ないねぇ。いつもの半分も来てないよ」
私「じゃ、ゆっくりと見せてもらいますよ」
男性「どうぞ、どうぞ(笑)」
私「梅は今、何分咲きなんですか?」
男性「今年は早くて、もう上の方のは散り始めてるよ」
私「まだ3月に入ったばかりじゃないですか」
男性「暖冬だからねぇ。いろんな花が例年より早く咲いてるから花好きにはいいんじゃないかな(笑)」
私「そうですか。特に花好きという訳でもないけど、じゃ、まぁ、楽しませてもらいます(笑)」
                                 (令和2年作)




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池温む

太鼓橋架けてひようたん池温む



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次に目指すは足利基氏の墓がある瑞泉寺である。「岐れ径」の交差点を曲り、鎌倉宮の前のコインパーキングに車を停めた。瑞泉寺にも駐車場があるようだが、ノンビリと歩いてもみたかったのである。コロナウイルスの所為だろうか、人通りは極端に少ない。夜中に雨が降ったようだが、汗ばむような気温であり雲一つない青空である。途中に「永福寺旧蹟」の碑が建っていた。これも大正9年3月建立である。内容を読んでみた。
「永福寺 世に二階堂と称す 今に二階堂なる地名あるは是がためなり 文治五年頼朝奥州より凱旋するや彼の地大長寿院の二階堂に擬して之を建立す 輪奐荘厳洵に無双の大伽藍たりきと云う 享徳年間関東管領の没落せる頃より後 全く頽廃す」
<オオ、『炎立つ』ではないか。奥州藤原氏、源義経ではないか!>
瑞泉寺に行く前に見ておかなければならない場所が出来た。早速入ってみることにした。
<オオオ……>
広大な敷地である。池がある。その向こうに礎石が並べられている。また、その先に本殿の土台なのか、きれいに盛り上がった場所がある。そこに存在した永福寺の土台部分を発掘した跡らしい。手前に看板が立てられていた。
「永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192年)に、工事に着手しました。鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年(1981年)から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を配した庭園の跡を確認しました。堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られていました。鎌倉市では、昭和42年(1967年)度から土地の買収を行っており、現在史跡公園として整備事業を進めています。平成24年(2012年)3月、鎌倉市教育委員会」
写真はその看板に描かれていた「復元想像CG」(湘南工科大学作成)である。
<これで完成なのだろうか?それとも本殿などを再現する計画があるのだろうか?>
詳しいことは書かれていない。一回りしてみることにした。礎石の上に乗ってみたりしながら本殿の方に近づいて行く。遠くに犬を放し飼いにして遊ばせている人がいた。困った人である。私のように犬嫌いがいることを考えていないのだろうか。もちろん、その人に聞けば「この犬は噛み付くことはない」と言うのだろうが、どんなに訓練された犬だろうが時に不機嫌な時もある。近づいた。案の定、犬が私の方を見ている。ヤバイ。それに気付いた飼い主が犬に声を掛けている。「熊除けの鈴」ならぬ「犬除けの鈴」「犬嫌いを示す鈴」などを考案したら売れるのではないだろうかと思った。犬のいない方を辿りながら池を一周して戻ってきた。犬が怖くて史跡巡りどころではなくなる。
                                 (令和2年作)




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春草

春草や幼な公方も踏みし草



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カーナビには足利公方邸旧蹟の碑があるという「浄明寺4丁目2」を登録して走り始めた。釜利谷を通り朝比奈峠を抜けて15分ほどで目的地に近づいた。ナビが右折を指示する場所に到着したがいやに道が狭く、しかも急な上りである。<本当に入って行けるのだろうか?>
後続の車にクラクションを鳴らされた。思い切って入ってみた。降りてくる車と向かい合わせになった。強引に上ってスレスレに躱した。ナビは更に右折を指示してくる。住宅地である。空き地のような場所があったのでひとまず停めて外に出てみた。運転の下手な私にとっては最もイヤなパターンである。大きく深呼吸して辺りを見渡した。
「鎌倉公方」のことを考えている。室町時代の関東地方を知る上で欠かせないのが「鎌倉府」であり「鎌倉公方」のことである。京都に本拠を置いて西日本から中日本を支配していた足利幕府に対し、関東から東日本を支配する機関として置かれたのが「鎌倉府」であり、その長官が「鎌倉公方」である。初代鎌倉公方となった「足利基氏」は足利尊氏の実子であり、2代将軍足利義詮の弟に当たる。ウィキペディアによると暦応3年(1340)生まれで貞治6年(1367)に亡くなっている。享年27才ということになる。鎌倉公方の在任期間は貞和5年(1349)から亡くなるまでなので、9才で公方になったことになる。当然補佐が必要となり、のちに関東管領となる上杉憲顕が選ばれている。どなたかのブログに「魑魅魍魎うずまく南北朝時代にあって珍しい正義感に溢れた立派な人物であった」と書かれていた。そしてその根拠として次のようなことが綴られていた。
「足利基氏は京都で生まれました。彼が生まれた時、兄の義詮は鎌倉におり、兄とは面識なく育つことになりました。彼が9才になった時に兄と交代で鎌倉に赴くことになります。京を出発したのが貞和5年9月9日で兄の義詮が鎌倉を出発したのが同年10月3日です。たった数日かも知れませんが兄弟が直接対面する機会があったと思われます。そしてこれが兄弟が出会う唯一の機会であり、二人は二度と直接顔を合わせることはありませんでした。僕が基氏を素晴らしい人物と評する最大の点はこの人生たった一度出会っただけの兄に対し終生協力を尽くし、関東における室町幕府の基礎を築き上げたことです」
住宅地の中をグルグル歩き回ってようやく碑を見つけた(写真)。「大正9年3月建立」と記されている。数えればこの3月でちょうど100年目ということになる。少し傾いているところが気になると言えば気になるが、巡り合わせと言えるのではないだろうか。建てたその日のちょうど100年目に私が立っている。
                                 (令和2年作)




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野焼き

連れ立ちて野木の野焼きを見にゆかん



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テレビで渡良瀬遊水地での葦刈りのニュースが流れていた。
<渡良瀬ってどこだろう?>
随分と広い葦原のようである。トラクターか何かで刈り取りをしている。調べてみると栃木、群馬、埼玉、茨城4県に跨がる33平方キロメートルの我が国最大の遊水地とある。葦刈り作業は12月から3月中旬まで行われ、最後は葦焼きで終わるようである。歳時記を見てみると「葦刈り」は「秋の部」に入っており(写真)、春3月には相応しくない。「葦焼き」という季語はないが、「野焼き」「野火」「末黒葦」などは春の季語となっている。
「ヨシ、葦焼きを見に行こう。3月21日の土曜日に行われるらしい。日帰りでは大変なので一泊してこよう」
妻に話し掛けると話はトントン拍子に進んでいく。
「温泉なんかじゃなくてもいいよ。ビジネスホテルに泊まって食事は別のところで美味しいものを食べて来よう」
遊水地の近くのホテルを当たる。古河(こが)が出て来る。
「古河?もしかして古河公方の古河?それはいいなぁ」
急に古河を調べ始める。やはり古河公方の古河である。古河城址、古河公方館、古河公園、桃まつりが出て来る。
「ちょうど、桃まつりの最中みたいだなぁ。葦焼きを見て、桃の花を見て、古河公方ゆかりの地を歩く。いいなぁ」
そこでどういう訳か水原秋桜子の第一句集「葛飾」を思い出し、調べている内に高浜虚子の「嫌な顔」に辿り着き、「ブリ野郎」となるのである(令和2年3月13日、ひこばえ「東風」)。

更にそうこうしている内に「古河公方」から「「鎌倉公方」に移り、初代鎌倉公方「足利基氏」の旧居址や墓地へと繋がっていく。
私「明日、鎌倉に行ってみるけど一緒に行かない?」
妻「明日?新型コロナウイルスで国を挙げて出歩かないようにしているというのに?」
私「お寺巡りだから誰とも接することないよ」
妻「行かない。時宜を得ていない」
私「じゃ、一人で行ってくる……」
3月1日(日)、朝9時に家を出た。
(注)遊水地は大半が栃木市に属しているが、他に栃木県野木町、茨城県古河市、埼玉県加須市、群馬県板倉町に属するという。「野木の野焼き」と韻を踏んでみた。
                                 (令和2年作)




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星朧

亡き人を想へば星もおぼろなり



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桜木町のビルの4階である。みなとみらいの夜景を一望する眺めの良い場所であり、いつもの野毛や関内の安い店とはひと味違う。待ち合わせの10分前に着くとメンバーはすでに到着していた。私を含め3人、MさんとOさんである。
私「あれっ、どうしたの?ビール飲んでないの?」
Mさん「今までかつて日向さんが到着する前に飲んでいたことがありますか?(笑)」
私「いつも飲んでたじゃん(笑)」
Mさん「おそらくそれは飲み放題コースでない時だと思います。今日は飲み放題コースにしましたので、日向さんが来る前にスタートすると少し損することになります(笑)」
私「そういうことか(笑)」
今年の初顔合わせなので近況を確認したあと、本来もう一人いるはずのI君の話になっていった。当初その4人のメンバーで飲んでいたのである。カラオケに行くのも4人だった。しかしI君は今、倫理の会の会長を務めている。なかなか忙しいようである。
Mさん「I君も誘ったんですが、倫理と重なってしまったそうです」
私「ただ一人、倫理で頑張っている貴重な男だからなぁ。凄いよ、あいつは」
Mさん「一番頼りない感じだったんですが、会長まで上り詰めるんですから本物ですよね」
私「イツ子さん(写真)から託された想いもあるんだろう。あの話は本当に倫理そのものだよなぁ」
Mさん「なんですか、イツ子さんの話って?」
私「あれっ、言ってなかったっけ?イツ子さんが亡くなってすぐにご自宅に弔問に行った帰りにI君本人から聞いた話。I君の涙の理由……」
Mさん、Oさん「知らない、知らない、聞いたことない」
私「イツ子さんのお別れの会の時に、集まった皆さんにこの話をしていいかと聞いたけどI君に断られた」
Mさん、Oさん「おお、聞きたい、聞きたい」
私「倫理で何か催事があった時のことなんだけど、いつもは出席するイツ子さんが出席できないということになって会に金一封を包んで来たんだよ。封筒に入れて会計担当だったI君に渡したんだけど、I君、あれやこれややっている内に封筒を紛失してしまったんだ。ホテルの会場や自宅など心当たりの場所は全部探したんだけど、やはり見つからない。当時の会長にも報告したらしい。紛失したお金を自分で補填するという手もあったかも知れないけど、封を開けていないので金額すら分からない。そこでI君はイツ子さんの所へ行って正直に話したんだ。話を聞いたイツ子さんは『失くしたと思ったものはいつか必ず出てくるものだからもう一度探してごらんなさい。その間、会計を締めなくちゃならないでしょうから同じ金額のものをもう一度預けておきます』と言ってお金をまた包んでくれたそうなんだ。イツ子さんらしいよなぁ。I君は言われてもう一度、探すんだけどやはり見つからなかったらしい。自宅を探したんだから奥さんにも息子さんにも失くしたことを話している。お金は催事も済んでしばらくした頃にホテルに預けておいた書類の中から見つかったんだ。すぐにイツ子さんの所へ持って行ったらしい。話を聞いたイツ子さんは『良かったわね。でも一度出したお金は受け取る訳にはいかない。折角だからそのお金で一緒に食事をしましょう。奥様にもお子さんにも心配を掛けたんだから一緒に連れてらっしゃい』ということになって食事をしたらしい。その場所でイツ子さんが何を話したかは聞いていないけど、大体想像つくよねぇ。そのイツ子さんが亡くなってご自宅にお邪魔した時にI君が泣くんだ。『どうしてそんなに泣くんだ?』と聞いた私に帰りの車の中で話してくれた内容だよ。I君が泣いた意味が分かったでしょ」
Mさん、Oさん「いい話だなぁ」
飲み放題を時間まで飲んで、野毛のスナックで終電間近まで騒いでMさんの送別会とさせてもらった。
                                 (令和2年作)




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三月

三月の別れを笑ふ自虐ネタ



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Mさん(写真中央)から携帯電話に着信が入った。
<また飲み会の誘いだな(笑)>
新型コロナウイルス感染防止対策として国が不要不急の集まりには出ないようにと呼び掛けている最中のことである。
私「もしもし、また一杯やろうって言うんじゃないでしょうね。コロナウイルスの真っ只中に(笑)」
Mさん「日向さん、実は転勤ということになりまして……」
私「あれっ、定年でしたよね」
Mさん「そうなんです。嘱託で会社には残るんですが、勤務地が横浜から埼玉に変わりますので、そのご挨拶で……」
私「埼玉とはまた遠くに飛ばされちゃったなぁ」
Mさん「そうなんです。で、どうでしょうか、送別会ということで……」
私「自分の送別会を自分で企画する人も珍しいが、出ないという訳にはいかないでしょう(笑)」
Mさん「ありがとうございます。それでは都合の悪い日を何日か教えてください」
ということで、国の呼び掛けに反して飲み会が行なわれることになった。濃厚接触者となる人がどれだけ集まるかは分からないが、Mさんのためなら、たとえ火の中、水の中という物好きが何人もいる(笑)。

Mさんとの出会いは語り草となっている。私が倫理法人会の朝の勉強会に出席するようになってしばらくした頃にMさんが入会してきた。もちろん名刺交換はしたと思うが親しく口を利いたことがない。リーゼントの髪型をしっかりと決めて、真面目そうな顔付きで毎回出席して来る。<面白くなさそうな人だなぁ>と思っていたが、そう思っていたのは相手も同じで「真面目そうで面白くなさそうな人だなぁと思っていました」と当時を振り返る時に必ずMさんが言うセリフである。その関係が一変する。お互い誘われて初めて夜の勉強会に参加した時のことである。勉強会が終わって野毛の飲み屋に流れ、狭い場所でそれぞれの席に着く。特に親しい人もいないので適当な場所に座っていると、私の隣の席が一つだけ空いていてそこに座ったのがMさんである。「しょうがないんですよ、そこしか空いてなかったんですから(笑)。イヤな人の隣になってしまったなぁと思ったんですが、それも束の間、ビールで乾杯して5分後には『こんなに面白い人がいたのか』ということになりました。人は見掛けに拠りませんでした(笑)」それ以来、倫理で学ぶというよりも飲みに行くと言った方がいいほどの関係が続いていった。私がその会の会長を務めるようになってもMさんはただの会員である。しかし夜の会の出席率だけはいい。倫理を辞めてもその関係は続き、定期的に集まり、飲んで歌って楽しく過ごしている。そのMさんの送別会である。出掛けない訳にはいかない。
                                 (令和2年作)




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獺の祭

登山道具を獺の祭のごと並べ



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会場には15分前に到着した。コーデネーター役の若い男性と山登りガイドだという72才の男性が並んでいた。名前を聞かれ名簿にチェックされたあと、会場に案内された。2組4名の女性がいるだけである。
私「いやに少ないね。何人位、来る予定なの?」
男性「今日は約20名を予定しています」
本当にそんなに来るのだろうかと見ていると私の後からもゾロゾロと到着して席を埋めていった。男性6名、女性14名である。女性の方が多い。12時ちょうどに始まった。
若い男性「こんにちは。これから事前説明会を始めますが、コロナウイルスのこともあり、会社からマスクをしたままで行うよう指示がありましたので、この状態で進めさせていただきます」
見るとほぼ全員がマスクをしている。国内で感染者数838名、死者3名と先程食堂のテレビで見てきたばかりである。
若い男性「これから約2時間、コースの全容と登山に関する注意事項などを説明していきます。それが終わって30分ほど休憩し、2時半から希望者の方だけですが登山用品の店にご案内いたします」
私は説明会だけに参加するつもりである。道具はほぼ持っている。まずは富士登山の説明から始まった。今回の目的が富士山なので当たり前だが、ほぼ1時間を費やしてその話をしていた。登るコース、高山病、山小屋、トイレ、体調管理、上り下りの注意事項などである。フムフムと頷きながら聴いていたが、最後に気になる個所があった。1泊2日のコースと2泊3日のコースの違いである。
ガイドの男性「何か質問はありませんか?」
私「スミマセン。一つよろしいですか。普通、富士山は日帰りで上り下りする人もいると聞きますが、どうして2泊3日もしなければならないんですか?」
ガイドの男性「いい質問です。これは確率の問題です。今回のコースは事前に日にちを決めて登頂しますが、天候によってはどうしても途中で引き返さなければならない日も出てきます。1泊2日ですと大体75%は大丈夫ですが、25%は途中で帰ってくることになります。しかし2泊3日ですと95%は登頂できます。折角、8合目、9合目まで登って帰ってくるのは残念ですよね。私はそういうこともあって、2泊3日を勧めています」
<本当にそんなに高い確率で戻ってくるものだろうか?>いまいち信じられない気持ちである。
後半1時間は登山用品の説明である。必要な物のリストはプリントされているが、やはり説明を聞かなければ分からないようなことも多い。一つ一つ丁寧に説明されていった(写真)。特に服装のことなどについては吸湿性、発散性、速乾性などが大切であり、重ね着の重要性を教わったのは良かったと思う。防寒対策は必須のようである。
<相当に買い足さなければならないなぁ>と思いつつ、2時ちょうどに解散となった。
<まだ半年先のことだ。それより、基礎体力の方が重要だ。足腰の鍛錬を始めよう>
隣の女性「どうする。2泊3日にする?」
相方「1泊でいいんじゃない。山の上で2泊もしてたら飽きるよ」
春一番が吹き荒れるポートサイトを戻ってきた。
                                 (令和2年作)




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東風

トロ箱を飛ばして東風の魚市場



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説明会の開催場所が横浜駅東口のポートサイド地区にあるビルの1階である。開催時刻が12時から2時となっている。
<12時?昼メシはどうするの?>
その日は土曜日だが会社の出勤日となっている。ちょっと抜け出して参加して来ることにした。高速道路で行けば20分位だろうが食事時間も考えて10時半には会社を出ることにした。食べる場所はポートサイドの近くにある横浜中央卸売市場の中の食堂と決めていた。行ったことはないが一度は入ってみたいと思っていたのである。カーナビに案内されるままに市場内の駐車場に入り込んだ。昼食時だというのにあまり混んでいない。朝の仕事を終えて作業員が帰ったあとなのだろうか。まずは食堂を探すところから始まった。車から降りて市場の中に紛れ込む。フォークリフトを運転する人や水を撒いて清掃している人がいた。男性に食堂を尋ねると入り口付近にあると教えてくれた。「コーヒー、朝食」などの文字が見える。中に入ると飲食街となっていて向かい合って何軒も食堂が並んでいた。一瞬どこに入るか迷ったが、一通り歩いてみて一番奥の「カネセイ」という店に入ることにした。
「いらっしゃいませ。奥のテーブルで相席でお願いします」
女性に言われて男性客と向かい合わせに座ることになった。市場の作業員風に見えた。何を食べようかとメニューを見ていると「お待ちどうさま」と言って男性に料理が運ばれてきた。「まぐろ鉄火丼」である。私は女性に「船盛定食」とビールを頼んだ。車だが説明会には歩いて行こうと思っている。向かいの男性は食べる前に鉄火丼の写真を撮っている。市場関係者がいちいち写真を撮るわけがない。作業員ではないようである。私はビールを飲みながら持ってきた本を読み始めた。男性は食べ終えて出て行った。私の「船盛定食」が運ばれてきた(写真)。早速写真を撮った。そこに新たにお客が入ってきて私の前に座ることになった。40才位の女性と外人の男性である。壁のメニューを眺めたり、手元のメニューを見て考えている。すべて英語である。私の「船盛定食」を見てどうのこうのと言っている。男性は「ノーノー」と言っている。<人の食べているものを見てノーノーはないだろう>と思ったが言い返す術はない。女性が注文した。「焼き魚定食一つと船盛定食一つ、お願いします」
と、その時である。外人が足を組んだようでテーブルがガクンと持ち上がった。たまたまその時、醤油差しを持って小皿に注いでいた時なので醤油をお盆に零してしまった。「あっ、スミマセン……」男性ではなく女性の方が私に謝ってきた。「いや、大丈夫です」女性が男性に英語で何かを言っていたがそれが足のことを注意したかどうかは分からない。男性は私の顔を見て顔色一つ変えるでもなく、エヘラ笑っている。変な顔をした外人である。テレビでは新コロナウイルスのことを流している。外人が「コロナ」と言ったので英語でもコロナはコロナというのだなと思った。男性が何人なのかは分からない。アメリカ人ともヨーロッパ人とも分からない。少しおかしな顔をしている。決して美男子ではない。<どこの国だろ?>どうでもいいことだが少し気になる。ようやく私が食べ終わる頃になって二人の分が運ばれてきた。「船盛定食」は女性が食べるようである。男性には「焼き魚」が運ばれてきた。「オッー!」外人が声を上げた。私もつられて覗き込む。「オー!」焼き魚といっても魚の頭一つなのである。
私「いやに、大きいねぇ(笑)」
女性「本当にスゴイ(笑)」
私「これ、何の魚なの?」
女性「ブリ?」
私「エッ、ブリ?ブリってもっと大きいんじゃないの?」
女性「たしか、ブリだと思うんですけど……」
その後、外人と女子の会話が始まった。もちろん英語である。男性が箸でブリの頭を突いている。硬くて箸も刺さらない。女性が頭をひっくり返してやる。半身になっている。ついでに身をほぐしてやっている。やさしい。男性は見ているだけである。<オイオイ、女性にやらせているんじゃないよ。自分でやれ、このブリ野郎>と口には出来ないことを心で思っている。<そうだ、こいつの顔はブリに似ている>クダラナイことを思っている。<お前の国に焼き魚はないのか><なんで女性にそこまでやらせているんだ!>男性がブリを食べた。「グー」<何がグーだ。このパー野郎>どうしてこの男性にここまで敵意を持ってしまったのかは分からないが、たまたまその時に読んでいたのが高浜虚子の「嫌な顔」である。自分に反逆した水原秋桜子のことを書いた小説と言われている。
                                 (令和2年作)




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春の山

「おらおらでしとりでえぐも」春の山



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ゴールデンウィークの予定を立てようと旅行のパンフレットを見ていると「テーマのある旅──シリーズ登山」という記事が出ていた(写真)。
私「オッ、これいいなぁ。『シリーズ登山』。5回シリーズで登山の基本を教えてくれる」
妻「何言ってるのよ。私が以前『こういうのがあるよ』って言ったら全然興味を示さなかったくせに……」
私「いやいや、おそらくその時は登る山が低過ぎて、そんな所を歩いたって意味がないと思ったんだよ。だけど、これを見てよ、富士山だよ、富士山登頂まで面倒を見てくれるんだよ。これはいいよ。行こうよ、二人で頑張ろうよ」
妻「私は行かない。ゾロゾロと列をなして登っている姿を思い浮かべただけでも行きたくない。あんなのは楽しくも何ともない」
私「そうなの?年を取ったら登りたくても登れなくなるよ。まぁ、いいや。今回は一人でも参加してみる。これはいいぞぉ。8月に富士山登頂だ。ヤッター!」
以前から登りたいと思っていた富士山が急に目の前に現れた。山小屋にも泊まれるようである。俄然やる気になってきた。
私「事前の説明会があると書いている。出なきゃマズイかなぁ」
妻「参加するなら行って説明を聞いておいた方がいいんじゃないの?」
私「いやぁ、だって、俺は初心者って訳じゃないからなぁ」
妻「そういう自信ってどこから来るのかなぁ。靴紐の結び方だって知らないでしょ」
私「紐の結び方?そんなの、どうでもいいジャン。解けなきゃいいんじゃないか」
妻「何でもそういう風に考えるのよね。謙虚に学ぼうという心がないんだから」
私「まぁ、じゃ行ってくるか。申し込みはスマホでやるようだよ。お願いします」
妻「自分でやってみて」
私「無理、無理、無理、お願いします」
妻「しょうがないなぁ……何でも他人任せなんだから」
妻のスマホ、私のスマホ、自宅のパソコンなどを使って、何だカンだと言いながらも事前説明会と第1回目の高尾山を申し込んでくれた。
私「こんなに面倒なことを、皆、本当にやっているのかなぁ?」
妻「普通だよ。貴方があまりにも出来ないだけだよ」
私「先が思いやられるなぁ……」
妻「……」
私「1回目だけでも一緒に行こうよ。高尾山。ハイキングだよ」
妻「いい、行かない」
頑なである。
(注)宮沢賢治「永訣の朝」の中に(ora ora de shitori egumo)がある。妹が語った「私は私は一人で行きます」の意味である。「しとりで」の「で」は私が勝手に入れたもので原文と違っている。
                                 (令和2年作)




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疫痢

疫痢悲しや父のこと母のこと



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北海道の新型コロナウイルスの拡散が止まらない。母は大丈夫だろうかと電話をすると「外に出ないようにしてる」と言い「周りの人も気を付けて出歩かないようにしているから大丈夫だ」という。そしてすぐにウイルスの怖さ、菌の「しぶとさ」についての話が始まった。私が2才半の時の出来事である。昨日のことのように語り始めた。
「アキラ(弟)が生まれて40日目のことだ。お前がエキリに罹って大変なことになったんだ。アキラを産んですぐだもの、私も無理は出来ないしょ。お前をおんぶったり出来ないので手を引いて医者に行こうとしたんだけど、隣のフミちゃんが向こうから来て「なにしてるの。亮司の顔が真っ赤じゃないの。歩いてなんか行ってる場合じゃない。すぐに医者を呼んだ方がいい」と言われたんだ。その当時、加茂で有名な医者がいて、みんな「由良医者、由良医者」って言っていたんだけど、本当の名前は知らない。その先生に来てもらおうと迎えに行ったんだけど、先生、釣りに行っていないもんだサ。戻ってきたら来てくれるように頼んでおいたら、釣りから帰ってすぐにタクシーで来てくれたんだ。すぐにお前の便を検査してエキリだと言うんだ。爪楊枝みたいなもので細かく見るもんだったァ。すぐに乗ってきたタクシーに乗せて荘内病院に連れて行ってくれたァ。あの時は父さんがいたもの、父さんが付き添いで付いて行ったんだけど病院でお前の首の辺りに注射をするんだとサ。動脈か静脈かそれが入らないんだとサ。7本も8本も打ったらしい。「変わってやれるもんなら変わってやりたかった」と父さん、何度も言ってたァ。まだ2才だもの、血管も細かったんだべサ。それでも注射を打ってしばらくしたら熱が下がったそうだから、ホントに命拾いしたァ。夏の暑い盛りだったァ。忘れられない。
それから半年して保健所から通知が来て検査をしろって言うんだ。2月頃だったァ。病院から保健所に連絡してあったんだべサ。やったら、やっぱり便から菌が出たんだわ。すぐにこの薬を飲ませなさいって言うから飲ませたんだけど、半年経っても菌て死なないもんだァ。恐ろしいもんだサ。お前はなんも変わりなく元気にしてたっけサ。あの頃、家のすぐ裏に下水があってそこで遊んでたもの。顔に泥が掛かれば手でこすったりして口にも入るべサ」
初めて聞く話だったが母にとっては忘れられない出来事だったようである。遊んだという裏の下水のことを覚えている。それにしても63年前のことをこんなにしっかりと覚えているものだろうか。記憶力の良さはもちろん、再現させる力にも驚かされる。
(注)写真はグーグルマップで検索した私の生家である。外観は変わっているだろうが形は同じような気がする。その裏に下水があった。道の先にはクラゲで有名になった加茂水族館がある。
                                 (令和2年作)





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亀鳴く

亀鳴くや苦肉の計も破れたり



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新型コロナウイルスの感染拡大を受けて安倍首相が全国の小中高に向けて臨時休校の協力を呼び掛けた。
「いまからの2週間程度、国内の感染拡大を防止するため、あらゆる手を尽くすべきだと判断した」
時期は卒業式直前でもあり、賛成する声ばかりではなく戸惑いの声も聞こえてくる。
「学年を共に過ごした友達との思い出を作るこの時期に学校を休みとする措置を講じるのは断腸の思いだ。責任ある立場として判断しなければならなかったとご理解いただきたい」
フムフム、難しい決断を迫られたようである。
中学1年生のなっちゃんも休みに入ったようである。母親である長女からメールが送られてきた。最初に「臨時休業中の課題」と題されたプリントの写真が送られてきた。<???臨時休業?臨時休校じゃないの?>と思ったが、そこは気にするところではないようである。
① 一年国語「今に生きる言葉」
② 「ねらい」学習した故事成語が生活の中でどのように使われているかを確かめる。
③ 「課題」新聞記事や本や雑誌などの文章から「故事成語」が使われている部分を探し、切り抜き、またはコピーを貼る。また、その故事成語の意味を確かめる。
休み中もしっかりと勉強させる学校のようである。

長女「なつの宿題。故事成語が入った文章が載っている新聞や本のコピーを貼り付けるという宿題……」
透かさずメールを返した。
私「なっちゃん、三国志を読んでいたなぁ」
なっちゃん「三国志!読んで見る!」
私「『~してみる』の『みる』は補助動詞なので、『見る』は使いません。そこんとこ、よろしく!」
なっちゃん「間違えた(笑)」
私「泣いて馬肉を食う、というのもあったなぁ(笑)」
長女「なにそれ?本のタイトル?」
私「三国志。諸葛孔明のいいシーンだよ。泣いて食うほどの馬肉って美味しいだろうなぁ(笑)」
それからメールは途絶えた。娘が「泣いて馬謖を斬る」を知らないことは分かったが、「馬肉」と「馬謖」で話はいい方向に展開していくものと考えていた。しかしその思惑も外されてしまったようである。朝のメールが夕方になっても一向に進展してこないので私の方からメールしてみた。
私「なっちゃんは故事成語の入った文章を見つけることが出来たのだろうか?馬肉などを食べているのではないだろうか?大丈夫だろうか?」
娘「安倍首相の会見で『断腸の思い』というフレーズを聞いて、『これにする!』って言ってたよ」
私「三国志じゃないなぁ。三国志の故事成語が選ばれなかったことを受け入れるのは断腸の思いだよ」
(注)写真は昨年の夏、東京国立博物館で開催されていた「三国志展」を見に行った時に飾られていた関羽像である。「三国志」大好き人間の私である。
                                 (令和2年作)




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春の闇

春の闇エンドロールは最後まで



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何の映画かを調べもせずに観始めることになってしまった。<アカデミー賞受賞作品なのだからハズレはないだろう>ただそれだけである。いきなり半地下のアパートに暮らすキム一家4人が映し出される。全員失業中。上の階のWi―Fiを使ったり、ピザ屋の箱の組立のアルバイトでクレームを出したりしている。昔行った韓国の路地裏を思い浮かべた。息子の友人が「山水景石」という石を持って来る。幸福をもたらす石だという。その友人がIT会社の社長令嬢の家庭教師という仕事を持って来る。経歴を偽造し採用されるあたりからストーリーがテンポよく動き始める。見ていてこれはコメディかと思ったほどである。家族全員が社長宅に採用される。英語の教師、美術の教師、運転手、家政婦である。「パラサイト」まさに寄生虫となって生活を変えていく。それにしても安直にストーリーが進んでいく。あり得ないと思う出来事を有無も言わさずに押し付けてくる。何だ、何だ、何だ!!!この映画は……。
ところが話は思わぬ方向に進んでいく。えっ、えっ、えっ???そんな風に進んでいくの?そうなんだ……。
地下の核シェルターが出てくる。北朝鮮を隣に持つ国だ。シェルターは当り前かも知れない。洪水が起こる。家屋に浸水する。体育館で避難生活を送る人達が映し出される。日本でもここのところ頻繁に起こる災害が韓国でも同じように起きていることが分かる。フムフム、なるほど、なるほど……頷くところも多い。
急に暴力的なシーンに変わる。ワッワッワッ……一瞬、目を瞑りたくもなる。迫力ある描写が続く。音響も効果的だ。次から次へと矢継早に物語が進んでいく。サスペンスあり、スリラーあり、狂気あり、家族愛あり……。
カメラワークもいい。俯瞰したり床面から写したりとバラエティに富んでいる。
最後は考えもしなかった結末である。何、何、何……ヒャー……こんな展開になると思わなかった……すごい……フー……なるほど……面白かったぁ~。
終ってしばらくして身体に力が入っていることを知った。全身が硬直している感覚である。エンドロールを見ながらその緊張を解こうとしていた。<なるほど、アカデミー賞だなぁ……>涙はなかったが、所々に笑いがあり驚きがあり、納得の2時間になっていた。素晴らしい。いい映画だ。これ以上の表現が見つからない。
夕食時の妻の感想である。
妻「息を詰めて画面に見入ることを久々にやったって感じね(笑)」
私「そうそう、本当にそういう感じがした(笑)」
                                 (令和2年作)




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春ショール

春ショール同じシネマに隣り合ふ



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上大岡のトーホーシネマズには3時に到着した。20分開演なのでちょうどいい時間である。キップの手続きをするのは妻である。スマホで予約したのが妻なのでそうなるのは当たり前だが、過去一度としてやったことのない私としては一人では映画も観られない状態になっている。お金を入れてキップを買う時代から全く進化をしていない。
トイレに行くと言って妻がいなくなった。ポップコーンや飲み物を売っているカウンターの前に立ってボンヤリしていた。しばらく待っていたがなかなか帰って来ない。3時10分になって放送があり、ロビーで待っていた人が一斉に入場を始めた。それでも妻は戻ってこない。<どうしたんだろう?>自分の分のチケットは渡されている。<一人で入れってことだろうか?そんなことは一度もない。どこに行ったんだろう?>
ようやく戻ってきた。
私「どこに行ってたの?」
妻「トイレって言ったでしょ。すごく並んでいて時間が掛かった」
私「どこに行ったのかと思ったよ」
妻「あとどこに行くというのよ。飲み物ぐらい買っておいてくれればいいのに」
私「……」
妻が買った飲み物を持って館内に入った。上から2段目の席である。アイスコーヒーを零さないように階段をゆっくりと上ってNの列に到着した。一番端に女性が座っている。妻が「スイマセン」と言いながら女性の前を通りチケットの席を確認している。Nの12番と13番である。私も妻の後ろに従い女性の前を通った。妻がチケットを見ながら奥に座っている女性に話し掛けている。<どうしたのだろう?>やり取りは聞こえない。妻が振り返った。
妻「貴方の席、Nの12でしょ」
私「ん?そう、12だけど……」
再び座っている女性と話している。その向こうにももう一人女性が座っている。そちらにも声を掛けている。
<どうしたんだろ?>
しばらくして座っていた女性が立ち上がった。コートを抱えトレイを持って何も言わずに私の横を通り抜けて行った。トレイには山盛りのポップコーンと飲み物が載っていた。<NとMを間違えたな>と思った。<紛らわしいからなぁ>しかし見ると女性は前の席に座ることなく階段を降りて行くではないか。上ってくる人の列に逆らって慌てるようにして下りて行く。妻と私は12番と13番の席に座って飲み物を口に含んだ。
私「間違えたの?」
妻「そう」
映画のあと夕食をしながら聞いたところでは日付を間違えたらしい。翌日のチケットを買ってしまったそうである。
妻「スマホで予約すると間違えそうになるのよね。テッキリその日と思ってやっていると違う日だったりして。私も間違えそうになったことがあるんだけど、最後の確認画面に日付が出ていないんだよ。可哀そうに」
私「そうなのかぁ」
妻「飲み物もポップコーンも買って、さぁ、これからっていうところだったのよね。あの後、どうしたんだろう……」
                                 (令和2年作)




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冬林檎

包丁の顎以て抉る冬林檎



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アカデミー賞が発表され、韓国映画「パラサイト」が作品賞を受賞した。
私「韓国とは珍しいね」
妻「英語圏以外の作品では初めての受賞だから、これからのオスカーも変わっていくんじゃないかって書かれていた」
私「上映したら観に行こうよ」
妻「もう上映されてるよ。随分、前から」
私「上大岡でも?」
妻「今、ちょうど、やってるんじゃないかなぁ」
私「そうなの。じゃ、行ってみようよ」
妻「ええっ、あんまり観たくないなぁ……」
私「どうして?」
妻「パラサイトっていうところが……」
慰安婦問題や徴用工問題などがあるので韓国嫌いになっているのかなぁと想像しつつも、なんとか観に行くことで話がまとまった。スマホで予約している。建国記念日の2月11日(火)3時20分で取ってもらった。当日は朝から本を読んだり、絵を描いたりして過ごし、2時半に家を出ることにした。その少し前、2時に宅配便が来た。母からリンゴが届いたのである。毎年、青森の業者に連絡して送ってくれているのだ。
妻「お母さんに電話して。私が掛けると話が長くなるので貴方が掛けて」
私「ハイよ」
すぐに繋がった。
私「リンゴ、ありがとう。今、届いたよ」
母「この頃、年を取った所為か、何事もすぐにやれなくなってしまって悪かったね。いつもだったら暮れに送っていたんだけど、こんな時期になってしまって……」
私「別に1ヵ月、2ヵ月、ズレたからって誰からも文句を言われることじゃないんだからいいんじゃないの?」
母「それでもやることは早くやった方がいいんだァ。何でも後回しにしていたら、いやなもんだサ」
それから母の長話が始まった。親戚の話、千葉の台風の話、異常気象の話、お寺の話、昌ちゃんの十三回忌の話。頭の回転のいい人なので次々と話が続いていく。2時10分に始めた電話があっという間に2時30分に近づいてくる。妻は玄関で待っている。どこかで話を終わらなければならないが、切りのいいところが見つからない。習字の話に移った。
母「報恩講で、もう30年にもなるんだけど……」
私「母さん、悪いけどまた明日電話するわ。ちょっと出掛けなければならないから」
母「あっ、そう、じゃまた(ガシャン)」
いつも電話を切る瞬間はいやなものである。ちょっと後ろめたさが残る。
私「悪い、悪い、なかなか切れなくて……」
妻「そうなんだよね。分かる、分かる(笑)」
                                 (令和2年作)




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