2019年12月の記事 - ひこばえ
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Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年12月の記事

冬雲

冬雲を映し湯の川暮れゆけり



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部屋の広さに気を良くして館内を探検してみることにした。廊下やロビーに大きな油絵が何枚も掛けられていた。
ロビーに行くとバスで一緒だったご夫婦が出掛ける用意をしてマイクロバスを待っているところだった。
私「お風呂ですか?」
男性「いえ、風呂は食事を済ませてから行くことにして、明るいうちに温泉街を歩いて来ようと思っています」
私「えっ、その手がありましたか。行きます、行きます。今、着替えてきます。ちょっと待っていてください。我々も連れてってください」
大慌てで部屋に戻って浴衣に着替えてお茶を飲んでいる妻に言った。
私「早く、早く、着替えて、着替えて。温泉街を歩いて来よう。バスが来てしまう。急いで、急いで」
「もう、いきなりなんだから……」と言いつつも大急ぎで着替えて、間一髪マイクロバスに間に合った。普段なら叱られそうなところだが、部屋の広さに気を良くしているのは妻も私と変わらない。とにかく、城崎温泉で一番の部屋と聞いた限りは少々のことでは腹も立たない(笑)。
マイクロバスで温泉街の一番奥にある城崎温泉駅まで届けてもらってブラブラ歩くことにした。目的地は本館の<つたや旅館>である。そこで頼めばマイクロバスで送迎してくれる。5時50分まで着けば大丈夫と決めて歩き始めた。さっきまで降っていた雨も止んで、枯柳の温泉街を下駄を鳴らしながら見て回ったのであった(写真)。志賀直哉の記念碑を訪ねるのを忘れてしまった。<城崎に来た限りは志賀直哉にまつわる場所を訪ねないと……>と思っていたが、時間がなかったのと5時50分が気になって先を急いでしまったのである。
つたや旅館に5時40分に到着すると辺りはもう暗くなりかけていた。冬の日は短い。フロントにバスをお願いして玄関先で待っているとロビーに掛け軸などが掛けられているのが見えた。<ああ、桂小五郎だなぁ>フロントに声を掛けて上がらせてもらった。桂小五郎の写真。奥様の松子(芸妓時代の名前幾松)の写真も飾られている。奥のガラス戸には小五郎の書と思われるものが3本掛けられていた。何と書いてあるのだろうと見始めたところでバスが来た。パチパチパチと大急ぎで写真を撮らせてもらってバスに乗り込んだ。
<あとで湯巡りに来た帰りにじっくりとみよう>
長く潜伏し逗留したようなことが何かに書かれていたので、これはというものがあるのかも知れない。<何でも見てやろう>は昔から変わらない。
                                 (令和元年作)




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冬座敷

番頭が湯町を語る冬座敷



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宿に着いたのが4時である。表のガラス戸を開くと狭い玄関と高い上り框である。「つたや旅館」の別館のようなので新しい建物を想像していたが、築年数の相当に経った建物である。番頭さん、女中さんが出迎えてくれた。
番頭さん「いらっしゃいませ。靴はそのままにしてお上がりください。初めに簡単に館内の説明をさせていただきますので狭いですがロビーでそのままお待ちください。その後でそれぞれのお部屋にご案内いたします」
元気の良い声である。ロビーに立たされたまま説明を受けた。そしてすぐに部屋に向かうことになった。
番頭さん「お客様はどちらのお部屋ですか?」
私「絹巻という部屋です」
番頭さん「ああ、それではこちらになります。どうぞ、どうぞ」
とても愛想がいい。鍵を渡されて1階の突き当りの部屋に案内された。ドアを開け、スリッパを脱ぎ、襖を開けて座敷に入った。
私「オー、広いなぁ」
妻「あらっ、本当だ。随分と広いわねぇ(笑)」
私「何なのだろう、この広さは。広縁まである。火鉢も置いてある。手あぶりもある。衝立まである。庭にも降りられる。これは凄いよ」
妻「どの部屋もこれと同じということはないでしょうね」
私「さすがにこんな部屋ばかりということはないだろう」
写真の部屋が主室とすればその手前に同じ大きさの前室があるというただっ広さである。まずはテーブルに座ってお茶でも飲もうかと思ったが落ち着かない。
私「湯巡りはどうする?行ってみる?」
妻「この時間だからねぇ」
4時15分になっていた。夕食の時間が6時である。食べてから出掛けることにして浴衣に着替えることにした。サイズが「中」のものしか置いていない。試しに来てみるとツンツルテンである。内線電話でフロントに「大」をお願いした。1分と経たずに番頭さんが「大」を持って来てくれた。
私「随分と大きな部屋だね、ここは」
番頭さん「お客様は運がいいですね。この部屋はここで一番広い部屋となっております。他の部屋は大体8畳ですが、ここは25畳あります。私が知っている限り城崎温泉で一番の部屋だと思います」
私「そうなんだ。そりゃ嬉しいね(笑)」
番頭さん「ここにはいろんな人が泊まっています。大物政治家の先生とかはいつもここです。司馬遼太郎が『竜馬がゆく』を書いたのもこの部屋です」
私「いやいやいや、凄いね。あとで追加料金が来るんじゃないだろうね(笑)」
番頭さん「そう願いたいところではありますが、大丈夫です(笑)」
                                 (令和元年作)




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冬の浜

鳴き砂を鳴かせ師を恋ふ冬の浜



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2日目の行程は丹後半島をバスで周遊して城崎温泉に入るというものだったが、「伊根の舟屋」のあとも見どころ満載のコースとなっていた。伊根の舟屋─経ヶ岬─丹後松島─屏風岩─大成古墳─立岩─琴引浜─玄武洞公園─城崎温泉と見て回るコースである。写真で見る限り、玄武洞は凄い迫力がありそうに見えたが、あとは余り心動くようなものはなさそうである。ただ、琴引浜の「鳴き砂」にだけは興味があった。道川虹洋先生の句に「己が影踏むや砂鳴く浜の秋」があり、句会に出された時に<どこの砂浜に行ったのだろう>と思ったことを覚えていたのである。
大成古墳を歩いている辺りで雨が降ってきた。天気予報では晴れだったが山陰の天気は変わりやすい。ガイドさん曰く「弁当を忘れても傘忘れるな」が丹後地方の教えのようである。天気雨のようだったが心配していた。「雨が降ると砂が鳴かない」とガイドさんが言っていたからである。<鳴き砂の浜に行って砂が鳴かないのでは困る!>
幸い、雨も小止みになって琴引浜に着いた時には晴れていた。ガイドの男性も「大丈夫です」と言って砂浜に案内してくれた。きれいな砂浜である。そこで泣かせ方を披露してくれた。写真はその時のものである。「砂を鳴かせて秋惜しむ」というのも先生の句である。亡くなって7年が経つが先生への思いは尽きない。先生の姿を思い浮かべながら砂浜を踏みしめていた。
玄武洞は想像以上に凄いものだった。自然が造ったものというのは人知を超えて美しいものである。何枚も写真を撮ったが、あの迫力を伝えることの出来る一枚はとうとう手に出来なかった。偉観を呈するとはあのようなものをいうのかも知れない。
ようやく宿に到着である。バスの中で説明があった。
添乗員さん「城崎温泉では3つの宿に分かれてご宿泊いただくことになっております。内2つの宿は温泉街の中にありますが、1つは少し離れた場所となります。外湯に入っていただく場合でもマイクロバスでの送迎になります。これからそれぞれの宿の割り当て表をお配りいたします」
私「ん?<つたや旅館>じゃなかったの?我々はどこの宿に泊まるの?」
妻「ショウガナイでしょ。ちょっと大人しく待っててよ」
私「少なくても、そのマイクロバス送迎の宿っていうのだけはイヤだなぁ」
妻「そうよねぇ。そうならないことを祈りましょ(笑)」
結果として我々が割り当てられたのはそのマイクロバス送迎の宿であった。
第1班と第2班が温泉街の真ん中で降りた時、残された第3班の人達の暗いこと。温泉街を通り抜けて山の方へどんどんと上って行くにつれ「これじゃ歩けないなぁ」とか「外れだなぁ」という声も聞こえて来た。旅館の名前が「つたや晴嵐亭」である。「つたや旅館」とは違うようである。
私「桂小五郎の宿じゃなさそうだなぁ……」
来る前に注文しておいた「幾松という女」という本が家に届いている頃である。
                                 (令和元年作)




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まぎれなく鰤は丹後の誉れなり



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2日目はホテルから1時間程の場所にある「伊根の舟屋」の見学からスタートである。専門のガイドさんが案内をしてくれた。天気は最高である。
こういう時はガイドさんの近くにいて話を聞き漏らさないようにした方がよい。俳句の吟行と同じである。先生が教えてくれることを聞くか聞かないかは大きな違いとなってくる。私の俳句の師匠道川虹洋先生の句に「しんがりに居て笹鳴をききもらす」がある。聞き漏らしてはいけないと最前列に位置を占める。
ガイドさん「この1階部分が舟を格納する場所になっており、2階が居間になっています」
私「フムフム」
ガイドさん「この建物には釘が使われておりません。木に切り込みを入れて楔を打って行く工法です。台風などで波が押し寄せても、錆びたりしないように出来ています」
私「フムフム、なるほど」
話は舟屋の造りから、地形、漁法、獲れる魚の話と広がってくる。
ガイドさん「ここでは昔から鯨を獲っていました。1年に2~3頭、湾に入ってきたところを逃さず、入口を塞いで出られないようにして捕獲します。それぞれに役割が決まっていて鯨が入って来ると夜中であっても舟を出して取り囲みます。そしてモリで突いて弱らせていきます。獲れた鯨は全所帯に分配されます。助け合って生きて来た町なんです」
私「鯨漁はいつ頃までやっていたのですか?」
ガイドさん「昭和35年を最後にやめております」
鯨の話のあとにイルカを獲る話になった。<イルカはさすがにマズイでしょう>とは思ったが、捕鯨問題を語るような場所ではない。<以前日本の漁村でイルカを捕獲して外国人と揉めたようなことがあったけど、ここがそうだったのだろうか>などと思ったが、そんな問題を抱えているような雰囲気はない。すぐに話は鰤(ブリ)に移った。
ガイドさん「日本三大ブリ市場というのがありまして、氷見のブリと五島列島のブリとここの伊根のブリということになっています。このブリ漁は昔から行われておりまして、江戸時代の<×××>に<丹後のブリを以って××となす>と記載されております」
<ヒャー、聞き逃してしまった>
イルカのことを考えていたので、ブリを称える肝心な個所を聞き漏らしてしまったのである。話の途中で質問を挟むような無粋なことはしない。場所を移してゾロゾロと道を歩いている時に質問した。
私「さきほど、聞き逃したのですが<丹後のブリを以って何となす>って言ったのでしょうか?」
ガイドさん「<上品となす>です。最上級ということです」
私「何という書物に書かれていたのでしょうか?」
ガイドさん「本朝食鑑です。カガミというのは金を書いて……」
私「大丈夫です。これですよね」
ガイドさん「そうそう、その字です」
<丹後のブリを以って上品となす>
遊覧船で伊根湾を一周し、バスに乗り込んでからも<上品となす>が頭から離れなかった。
                                 (令和元年作)




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枯山

枯山となりて鬼棲む大江山



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山頂公園を出て次に向かったのが与謝野町にある「丹後ちりめん街道」である。しかし走り出してすぐに眠ってしまったようである。目が覚めた時にバスガイドさんが話していたのが酒呑童子についてであった。
<なになに、酒呑童子?大江山?>
ちょうど語り終えたところだったようで、すぐに目的地到着の案内に変わってしまった。
<ひゃ~、聞き逃してしまった。大江山も見逃してしまった。ああ、ヤバイヤバイ……>
寝起きの朦朧とした頭で「ちりめん街道」まで歩き、あまり見るべき所もなくバスに戻ってガイドさんに話し掛けた。
私「酒呑童子の話、聞き逃しちゃったよ(笑)」
ガイドさん「ちょうど食事の後でしたからねぇ。グッスリとお休みでした(笑)」
前から4番目の席でガイドさんの真正面に座っていた。
私「もう大江山は見られませんか?」
ガイドさん「明後日の帰りに京都丹後鉄道に乗ります。その時に車窓から見えますよ」
私「丹後に来て大江山を見ないで帰るなんて考えられないよね」
ガイドさん「そうですか?」
私「大江山生野の道の遠ければ……だから」
ガイドさん「そうですよね。その話もさっきさせていただきました(笑)」
私「ああ、そうなんですか。いやぁ、残念だったなぁ」
「ちりめん街道」を出てホテルに向かう手前で天橋立を対岸から臨む「雪舟展望台」に立ち寄った。時刻はすでに5時を回っていて日が落ちる寸前である。長い階段を上り切って天橋立を眺めたがよく見えるものではない。増して小屋の天井に掲げられた雪舟の描いたという絵などは暗くて何も見えない。コースにあるので寄ってはみたが……ということになってしまった。
宿泊は10階建てのマンモスホテルである。天橋立に向いて山の中腹に聳えている。しかし大人数を処理するための施設となっていて食事もバイキングである。<日本三景に来てこれではなぁ>と団体旅行の悲しさを味わうことになってしまった。隣の席で大声を出して騒いでいるのは外国人ではなく日本人である。
「団体の酔っ払い客はよくないなぁ」
早々に食事を終えて1階にある土産屋に立ち寄った。見るでもなく買うでもなくフラフラしていると「酒呑童子」と書かれた日本酒を見つけた(写真)。聞き逃してしまったことを思い出しながらこの写真を撮っていると後ろから不意に声を掛けられた。
男性「何か謂れのあるお酒なんですか?」
私「いえ、バスの中で酒呑童子の話を聞き逃したものですから……」
同じバスの人だったかどうかも分からず、ただ反射的に思っていることを口にしてしまった。後で思えば、たとえ同じバスの人であったとしても到底理解されそうにない答え方である。聞き逃したことを相当に悔やんでいたことだけは確かである(笑)。
                                 (令和元年作)




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冬の湖

それぞれに色変へてゐる冬の五湖



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新幹線の指定された席に座るとすぐに添乗員の女性が声を掛けてきた。
女性「お早うございます。添乗員の加福と申します。3日間よろしくお願いします」
私「お早うございます。加福さんとはまた珍しい名前ですね。どちらのご出身ですか?」
女性「生まれは青森ですがルーツは分かりません。大阪あたりに何名かいるようですので、添乗員をやりながら自分のルーツを探しています(笑)」
「また余計な話をして」と隣から言われそうなのでそれくらいで切り上げて、弁当のことやオプションのことなどについては妻に任せた。名古屋の一つ先の岐阜羽島駅までである。「ひかり」には乗ったことがあっても「こだま」にはない。名古屋まで新幹線で1時間という頭があるので2時間40分を要して到着した時には驚いたものである。各駅停車とは悠長なものである。今回の旅行の3日間が乗り物ばかりに揺られていたようなコースだったので、この各駅停車はその象徴のようなものである。実に腰掛けている時間の長かったこと。岐阜羽島駅からバスに乗り込みホテルに到着したのが5時半なので北海道や沖縄よりはるかに遠い丹後ということになった。
バスは関ケ原を抜けて、伊吹山を見ながら琵琶湖沿いを走り、三方五胡レインボーラインを走った。途中で立ち寄ったのが「レインボーライン山頂公園」という場所である。この山頂に立てば三方五胡全景はもちろん日本海まで見渡せるという。登らない訳にはいかない。ケーブルカーでもリフトでも団体割引料金700円は自己負担である。バスの外に出ると風が冷たい。リフトに揺られながらも手が悴んでくることが分かる。相当なる絶景を期待した。
「オー」
眼下に広がる三方五胡の美しさは格別である。ここまで観光客を運ぼうという理由も分かるような気がした。しかしその山頂にあまりに多くのものを詰め込み過ぎているような気がした。5分もあれば一回りできそうなスペースに展望台2ヶ所、足湯、恋人の鐘、和合神社、かわらけ投げ、薔薇園、野外彫刻、トイレ、売店、カフェ、休憩所、天狗堂、めだかの池などが隣り合いながら並んでいる。来場客に喜んでもらえそうな物を<これでもか、これでもか>と揃えたようである。昨年までは「カブトムシの館」まであったという。
その中でも特に私の心を捉えたものがあった。「五木の園」と題された五木ひろしの記念碑と「倖せさがして」と彫り込んだ立派な石碑である。記念碑に記された「世界のエンターティナー」という表現には心から賛同する一人である。<もう少し書きようがあるだろう>と思うような文章ではあるが世界のエンターティナーのためにもここに載せておくことにする。
『この五木の園の製作にあたり当地出身の五木ひろしさんのふるさとを愛する心とその功績を讃え世界のエンターティナーに最もふさわしい場所と考え三方五胡を背景にした絶景の地を選びました。この地と共に親しまれることを祈念して建設致しました。訪れる方々にこの地で一瞬でもふるさとを想いうかべていただけたら幸せに存じます』
旅行中ずっと「倖せさがして」のメロディーが頭から離れなかったのには少々閉口するところとなった。
                                 (令和元年作)




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乗り継ぎて城崎までの冬の旅



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定期的に旅行会社からパンフレットが郵送されてくるが、特にどこへ行きたいということもないのでほとんど手にすることもないのだが、その時だけはどういう訳かペラペラと捲ってみて日本三景「天橋立」の文字に引き寄せられた。
私「これいいなぁ。天橋立と城崎温泉がセットになっている」
妻「どれどれ」
私「行きも帰りも新幹線だって。楽でいいじゃん」
妻「『城崎にて』って志賀直哉だっけ?」
私「そうそう、蜂の死骸を見て生きることの意味を考えるってやつだよ。読み直してから出掛けるか。よし、そうしよう。ワー、楽しみ~」
見て決めるまで10分である。決断は早い。その後、文庫本を取り寄せて読んだことはもちろんである。降りる新幹線の岐阜羽島駅から走る三方五胡レインボーラインのコースなども調べてみて旅行の概略を頭に入れた。しかし肝心の泊まる宿の名前を聞いていない。出発前日の会話である。
私「城崎温泉はどこに泊まるの?」
妻「ちょっと待って、パンフレットを見てみる……『つたや旅館』って書いてある」
私「そうなんだ。志賀直哉が泊まったのは三木屋という旅館だったらしいよ」
妻「残念でした。三木屋ではありません」
その「つたや旅館」を調べてみると、「桂小五郎ゆかりの宿」となっている。
私「桂小五郎?木戸孝允。なんでそこがゆかりの宿なんだろう?」
妻「ちょっと待って……時は幕末、京都蛤御門の変が起こり、会津・桑名連合軍と戦った長州藩は、利なくして敗走。当時33歳だった桂小五郎は幕吏から追われ但馬の国の出石に逃れてきた。しかしそこでも追捕の動きが急となるや、彼は城崎温泉の弊館、当時の名は松本屋に滞在することになる……って書いてある」
私「へぇ~、それじゃ、志賀直哉より桂小五郎について調べておかなくっちゃダメじゃん」
急遽、アマゾンで「幾松という女」(南条範夫著)という文庫本を注文してもらった。木戸孝允夫人松子の芸妓時代の名前である。旅行から帰ってきてから読むことになるが、楽しみが一つ増えたというものである。
朝9時26分発の新横浜なので少し早目の7時半には家を出てコーヒーなどを飲んで過ごした。丹後地方の天気は3日間とも晴れとなっている。
                                 (令和元年作)




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差し入れの餅食ふにはか似顔絵師



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1組目が終ってすぐに2組目である。休んでいる暇がない。おばぁちゃんと一緒に遊びに来た女の子が1組目と同様に揃って前に座った。またまた2人である。
その日描いたのは女の子2人、女の子2人、女の子と赤ちゃん、女の子とお母さん、女の子とお父さんとお母さん、最後に女の子1人の6組12人である。いずれも失敗はなかったようである。お父さんまで入ってきた時には<おいおい、いい加減にしてくれよ>と言いたいところだったが、「大丈夫です、大丈夫です」と笑って言っている自分がいて<おそらく上手く描けるだろう>と思っていたのだからたくましい成長である(笑)。赤ちゃんまでお願いされた時は<どう描くのだろう?>と一瞬迷ったが、難なく描けたのだから自分でも驚くしかない。
描いている間のお母さん達との会話も楽しい。こちらは夢中なので口数は少な目だが周囲がいろいろと話をする。それも娘達の絵が出来上がって行く過程でのことなので期待に胸を膨らませての明るさがある。
最後の一人は終了時間の2時になって会場の片付けが始まり、私がトイレに行って戻ってきてから始まった。女の子が座って待っているのである。お母さんから「もう、駄目ですか?」と言われ「終わりです」などと言えるはずもない。その日、初めての一人描きで中央に堂々と描けた時は<やっぱり、一人の方が伸び伸びと描けるなぁ>などと余裕さえ感じていた。案ずるより産むが易し。何事もやってみるものである。

朝はごろぉさんと二人でスタートしたが途中からひろし君が仲間入りした(写真左下)。昨年に続き2回目だという。小学6年生である。どうやって描くのだろうと見ていると下書きもせずにそのまま水彩絵具で描いていく。水彩なので濡れているのだが、素早く布で拭きながら描くのである。しかもお客さんと会話をしながらである。自信を持っているのが分かる。絵も上手い。出来上がった作品を手にしたお客さんが一様に喜んでいるのだが、決してお上手を言っているような類のものではない。本当に喜んでいるのである。人物を描いた作品として立派に成り立っている。
<描いてすぐに拭き取るとはなぁ>手法と同時に思い切りの良さ、的確な構図の捉え方に驚いていた。
ごろぉさんの素晴らしさは言うべくもない。瞬時に特徴を捉え、瞬く間に芸術作品に昇華させていく(写真右下)。きっと額に入れて飾ると得も言われぬ存在感を示すことだろう。私もいつか作品を描いてもらいたいと思っている。
1号いくらの値段を付けられるかは分からないが、いずれの時にか是非にと願っている。
2時の予定が我々だけ2時半となり、最後の女の子を描き上げたところで終了となった。家に着いたのが3時半である。妻とその日の話で大笑いをしながらも、4時になると急に睡魔に襲われた。
「疲れたァ。ちょっと横にならせて。心地よい疲れという言葉があるけど、まさにそれかなぁ。非常に眠たい……」
                                 (令和元年作)




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手袋

手袋の手を取れば頬赤かりき



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スタートは9時半である。しかしお客さんは早くからやってくる。近くに住むお母さんが二人の娘さんを連れて9時前にやって来た。会場内をワァーと元気よく走り回っていきなり私の前の椅子に腰掛けた。
「ママ、これやりたい」
それに応えるように、お母さんが「もう、こちら、よろしいですか?」と聞いてくる。
<お母さん、私ではなく向こうにいる人がプロですから向こうの人に頼んでください。私の先生です。私にはまだ完成させた一枚の作品もありません。上手く描けたことすらありません。しかも、まだ開始時間の30分前じゃないですか。いい加減にしてください>
と言いたいところではあったが、心とは裏腹の言葉が口から飛び出す。
「大丈夫ですよ。ちょっと待ってください。すぐに準備しますから」
心を決めて色紙とペンを用意して<さて>と向き合ってみると、更に次の試練が待っていた。お嬢ちゃん二人が揃って私の方を見ているではないか。
<ワワワ!!!一人でも上手く描けたことがないというのに、二人いっしょに描いてくれっていうの???>
失敗する確率が倍になるということである。しかしこうなってはやるしかない。どうなるかは知ったものではない。「似てない似顔絵屋さん」とごろぉさんが書いてくれているので、最悪の場合はお金を受け取らなければいいだけのことである。描き出した。まずは輪郭である。鉛筆でおおよその位置と顔の輪郭を決めていく。目の位置、眉の位置、鼻の位置、口の位置を決めていく。これでよし。誰からも文句は出ていない。次にペン入れである。輪郭をなぞる。上のお姉ちゃんから描き出して目、鼻、口、前髪までを描き上げる。次は下の子である。なかなかのお転婆でジッとしていない。「こっちを向いて」と言うと向いてくれるが、すぐに横を向こうとする。それでも何とか描き上げた。色付けは水彩である。肌色の作り方は練習してきた。背景のハートや星は白いクレヨンで最初に描いておき、そこに黄色と緑を乗せるのである。最後に名前を聞いて完成させた。第1号である(写真左上)。
お母さん「ワ~、うれしい。上手く描いていただいてありがとうございます。本当にうれしいです」
正直、途中で手が震えた。緊張すると手が震えるというのはダグラスグラマン事件の海部さんを見て分かっていたが、まさか自分が体験するとは思っていなかった。
<あー、よかった。ホッとしたぁ>
終ってホッとしていると後ろから男性が声を掛けてきた。
男性「本当に初めて描いたの?嘘でしょ」
描いている途中にお母さんに初めての似顔絵描きであることを話していたのである。それを聞いていたようである。
私「本当です。2週間前に誘われて大急ぎで練習して、昨日初めて孫の絵を描きました。ぶっつけ本番の心臓バクバクです(笑)」
男性「いやぁ、上手いよ。初めてには見えない。凄いよ。驚いたなぁ」
男性は隣のブースで「お菓子釣りゲーム」を担当していた人だがお客の数の割にはスタッフが多過ぎたようで、いつもブラブラしていてその日私が描いた総勢12名を最初から最後まで全て見ていてくれたのである。最後に名刺交換すると上場企業の顧問をされている方で、描き終わるたびに声を掛けてくれたのには励まされたものである。
                                 (令和元年作)




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冬の雨

描き掛けの絵が泣いてゐる冬の雨



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会社のパソコンで「似顔絵の描き方」と検索すると、出るわ出るわ、いろいろな動画が出てくる。本格的な物もあれば漫画風に描いている物もある。ごろぉさんから5分から10分で描くようにと言われているので本格的な物は描けるはずがない。この辺りだろうと当りを付けて練習を始めたが、目の描き方、口の描き方、輪郭の捉え方など難しいことばかりである。途中、会社の女性が「社長、何を描いているのですか?」と聞いて来たが、まさか似顔絵屋になるとは言えない。誰かをモデルに練習もしてみたいが、一人でもやってしまうと一斉に話が広まりそうである。懸命に働いている従業員に対し「社長が似顔絵描きの練習をしている」ではケジメが付かない。それまでに描いたのはカズ君ただ一人だけである。本当に大丈夫だろうか。心配になってくる。
前日の天気予報では23日の「勤労感謝の日」は降水確率80%である。屋外の芝生の上にテーブルを持ち出して行なうと聞いていたので中止になるだろうと確信し、ある意味ホッとしていたのである。その割には午後になってもごろぉさんから連絡がない。メールを入れてみた。
私「明日は雨のようですがどうなりますか?中止ですか?」
ごろぉさん「ご安心ください。屋外は中止ですが室内にテーブルを用意してくれることになりました。予定通りです」
<ヒェ~、中止にならないのかぁ……>
そこに朗報が舞い込んだ。なっちゃんが遊びに来るという。前日の夜である。銀行の集まりがあり一杯飲むことにはなっていたが、7時前には帰宅できそうなので「似顔絵を描きたいので帰らないで待っていて」と頼んだことはもちろんである。大急ぎで帰宅した。
ちょうど夕食が終わったところだったのですぐにモデルになってもらった。色紙を用意して本番と同じ気持ちで描いてみた。それなりに出来上がった。会心の作ではないが、妻も娘も「上手い、上手い」と言ってくれた。しかし、当のなっちゃんが絵を見て全く喜んではいない。「じゃまた、遊びに来るね」と言って帰って行った。たまたま、なっちゃんのお母さんである長女からメールが入り「なつの絵は上手く描けたの?」と言って来たので写真を撮って送ってみると「似ているような、似ていないような。こんなアナウンサーがいたなぁ(笑)」と返してきた。
<ワー、明日、本番だよ。どうしよう……>

朝起きると雨が降っていた。予報通りである。川崎の会場に8時半集合なので7時には家を出た。到着するとごろぉさんはすでに来ていてテーブルなどの設営をしていた。狭い会館の中にいろいろなコーナーを設けるらしく係人でごった返している。
ごろぉさん「テーブルに貼る作品は持って来ましたか?」
カズ君となっちゃんを描いた私の全作品2枚を渡した(写真)。なっちゃんについては朝早くに描き直してはいるが、隣のごろぉさんの絵とは比較になるものではない。月とスッポンとは正にこのことである。
                                 (令和元年作)




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鴛鴦

ひとところ日の差してをり鴛鴦の池



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3日目の土曜日は新宿から戻り書道塾に行き、夕方6時から長女の旦那の妹さんの結婚祝賀会に出席するため横浜中華街に出掛けてきた。家族全員が勢揃いである。いつもは行き当りばったりの挨拶で済ませるところだが、お祝いの席でもあり読み上げる文章を事前に用意しておいた。名前はプライバシー保護のこともあり私以外は全員「吾輩は猫である」の登場人物に置き換えることにした。読みづらい名前があったとしたら漱石先生に文句を言ってもらいたい(笑)。
私が読み上げる横で花嫁である雪江ちゃんが号泣してくれたことはもちろんである。

『雪江ちゃん、ご結婚おめでとうございます。珍野家の皆様、本当におめでとうございます。
祝宴が始まります前に一言お祝いの言葉を述べさせていただきます。
平成16年4月11日、今から15年前になりますが高校生だった雪江ちゃんは中華街の「萬珍楼」に向かっておりました。
お兄様でいらっしゃいます珍野苦紗弥様のご結婚が決まり、そのお相手であります日向鏡子様のご家族との顔合わせの席に向かっていたのです。そこにはお兄様はもとより、お父様であります珍野虎蔵様、お母様であります珍野おさん様もいらっしゃいました。
日向家からはお父様であります日向亮司様、お母様であります日向鼻子様、それに妹御であります日向富子様が出席されておりました。
あの日から15年の月日が流れ、様々な出来事が珍野家、日向家に起こりました。
まずは平成18年7月16日、珍野とん子様が誕生されました。
そしてその2年半後の平成21年1月22日に珍野すん子様が誕生されました。
またその3年後の平成24年1月24日に珍野めん子様が誕生されました。
そしてその翌年、平成25年1月23日に日向三平様が誕生されました。
そして平成29年6月1日、珍野藤十郎様が誕生されました。
もちろんこの15年の間にはお祝い事ばかりではありませんでした。
本来ならこの席にいて一番喜んでいるはずのお父様珍野虎蔵様が平成23年8月にお亡くなりになっております。
おそらく今、空の彼方から幸せな雪江ちゃんに一番の祝福のエールを送っていることと思います。
あの日から15年が経ち、とても幸せな我々家族であります。
そして今日、令和元年11月16日、我々家族に新しい一員が加わることになりました。
古井武右衛門様でございます。
古井様には雪江ちゃんのご主人様として、また藤十郎君のお父様としてしっかりとお二人を支えていただくと同時に、このような家族ではございますが、珍野家、日向家とも、末永いお付き合いをお願いするところでございます。
どうかよろしくお願い致します。

話は長くなってはいけませんが、まだ3分の1を終えたばかりではございます。
大切な3つの袋の話もまだしておりません。
(ええっ………)という声も聞こえてまいりましたので、残りの3分の2につきましてはこの祝宴の席にて、ということにさせていただくことと致します。
限られた時間ではございますが、皆様で楽しくお過ごしいただきたいと思います。
本日は誠におめでとうございます』
                                 (令和元年作)




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穴深く熊はおそらく寝てをりぬ



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高田馬場の和食屋で日本酒を飲み、二次会の焼鳥屋でホッピーを飲み、新宿のカプセルホテルに辿り着いたのが11時半である。1階のカウンターで名前を言うとしっかりと予約されていたのでホッとした。料金を支払った後、いろいろと説明を受けたが酔っているようで頭に入って来ない。受け取る物を全て受け取ってまずはロッカールームに向かった。リストバンドに書かれている番号とロッカーの番号を合せるところまでは分かったが、着替えるべき着替えを受け取っていない。隣にいた人に「着替えはどこにありますか?」と聞き、ロッカールームの入口に置いてあることを知る。きっと説明があったはずだが完全に聞き漏らしている。<荷物はどこに置くのだろうか?寝る所まで持って行くのだろうか>「スミマセン。荷物は寝る所まで持っていきますか?」「ここに全部置いて行きます」<なるほど、なるほど……>
2階の風呂には階段で上った。裸になって身体を洗い、湯船に浸かった時には少し酔いが醒めて来たような気がしていた。<新宿のあの雑踏の中をよくここまで辿り着いたなぁ>と考えていたのである。振り返る能力も回復しつつあるようだった。歯を磨き、1階のロッカールームに戻ってスマホを取り出してリストバンドに書かれた6階までエレベータで上がった。ドアがあり何かが書かれていたが読みもせずに入った。開けると写真の光景である。
<オー、これがカプセルホテルかぁ。きれいだなぁ>
写真を撮りながら「回転島田」という言葉を思い出していた。養蚕のカイコを育てるための小さな部屋のことをそのように呼ぶように記憶していた。一つひとつの穴を当てがわれて、そこに納まるカイコの姿に重ねたのである。リストバンドの番号と同じ番号の部屋を探して潜り込んだ。キョロキョロしようにもそのスペースがない。枕と薄い掛布団を確認して、備え付けの水を一口飲んで電気を消した。おそらく1分後には寝ていたと思う。熟睡である。5時半頃に鳴った他人の目覚まし時計で目が覚めた。それからもう一寝入りして6時に起きた。風呂に行き、朝食会場に行き、おにぎりを2個食べた。休憩所でジュースを飲んで新聞を眺めてから帰ることにした。
「追加料金はございません。ありがとうございました」
<追加料金?ああ、そういえばマッサージなんかもあったなぁ。朝食会場に個室もあったなぁ>
初めてのカプセルホテルではあったが、寝るだけの場所と考えると案外使い易いかも知れないと思った。酔っていても何のトラブルもなく宿泊出来たこのシステム自体にも感心していた。白い繭の中のカイコになった気分である。間違いようがないところがいい。
ホテルを出て朝の新宿は物憂い雰囲気を漂わせていたが、それも束の間、駅に入るとすでに雑踏と化していて電車を待つ列に並んだ時には完全に普通の都会人に紛れていた。
                                 (令和元年作)




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漱石忌

黒猫とペルシヤ絨毯漱石忌



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折角の高田馬場なので一駅手前の早稲田駅で降りて「漱石山房記念館」を訪ねてみた。前回、東大、谷根千、根岸と一緒に回った妻には抜け駆けのようで悪いのだが、一駅違いという魅力には勝てなかったのである。地下鉄の駅を出て「夏目坂」を上り下りして、漱石生家跡に建つ碑を眺めたりしてから記念館に向かった。
モダンな建物である。2年程前に漱石生誕150年を記念して建てられたそうである。館内に入るとすぐに受付があるかと思いきや、受付は一番奥にあり、手前に様々な展示物や書棚が置かれ、テーブルに腰掛けて3~4人の女性が本を読んでいた。受付まで進んで入場券を求めた。美人の係員が対応してくれた。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「いや、結婚はしています」
「???……ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ(笑)」
「大丈夫です。危ない人ではありません。夏目漱石ファン1名、お願いします」
「500円になります(笑)」
最近こんなに受けのいい人は見たことが無いというほどに笑ってくれた。無料の音声ガイドも首に掛けてくれた。
「使い方は分かりますか?」
「ニャ~」
「ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ(笑)」
最初に訪ねたのが漱石先生の書斎である(写真)。庭には好きだったという芭蕉や木賊(とくさ)が植えられている。男性が待機していていろいろと説明してくれた。ペルシャ絨毯の上に書籍が積まれている。おそらく探し物をする度にその山が崩れて大変な思いをしたことだろうと想像した。そしてその絨毯を見て前日の家族とのやり取りを思い出していた。絨毯を掃除する時の掃除機の正しい掛け方についてである。
私「そういえば掃除機の正しい掛け方って知ってる?テレビでやってたんだけど、95%の人が間違った掛け方をしているらしい」
妻「知らない。そんなのがあるの?」
私「あるよ。まず今、どうやって掛けてるの?」
妻「普通に掛けてるよ」
私「前後に押したり引いたりしてるんだろう。ほとんどの人がそうやっているんだけど、それが大間違い」
娘「そうなの?正解は?」
私「折角の掃除もやり方を間違っては綺麗にならない。ムダな作業になっている」
娘「もう、勿体ぶって!おーちゃんが掃除をしているのを過去一度も見たことが無い!」
妻「そうよ、そうよ。掃除のことを貴方にだけは言われたくない!」
違う方向に話が逸れそうになってしまった。
私「正解を言うよ。掃除機は引く時に一番吸い込みが良く、押す時には力を発揮しないんだって。すなわち、掃除機は引いて使うものなんだよ。押すはいらないんだよ」
二人「おー、なるほどね。知らなかった」
私「取扱説明書には必ず書いてあるんだって。何事にも正しいやり方があるということだよ」
妻「だから、貴方にだけは言われたくないって」
教えてやって文句を言われるのだから割に合わない(笑)。
                                 (令和元年作)
(注)夏目漱石は大正5年12月9日に亡くなっている。




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焼鳥

酔ふほどに焼鳥固くなるほどに



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2日目の金曜日は業界の忘年会である。いつもは箱根の温泉で開いているのだが先日の台風の影響で登山鉄道が不通になっていることもあり、急遽、東京の高田馬場の料理屋がセッティングされた。<また遠い場所を選んだものだなぁ>と思ったが、ほとんどのメンバーが東京なので文句も言えないところである。その2週間前に同じ会のメンバーN社長と別の会合で会った時に高田馬場の話になった。
私「高田馬場の店って以前使ったことがありましたよねぇ」
N社長「ありますよ。美味しい日本酒を出す店です。酒屋さんが経営している料理屋ですから、いろんなところの美味しい酒がどんどん出てきます」
私「そんなに飲んだら家に帰られなくなってしまう(笑)」
N社長「ホテルを予約しておけばいいんですよ。そしたら安心して飲めるじゃないですか。そうしましょうよ。あの店の近くに美味しい焼鳥屋もありますから付き合ってくださいよ。あそこの焼鳥は是非一度、食べてもらいたい。安くて美味しい。学生の頃から通っている店です。よし、日向さん、行きましょう。そこには僕が案内しますからホテルだけは確保しておいてください(笑)」
二次会の約束までされてしまった。
翌日会社で高田馬場駅前のビジネスホテルを当ったがこれというのが見当たらず、新宿辺りのホテルになってしまいそうである。その時に思い出したのが「カプセルホテル」である。東京の友人と関内辺りで飲むと必ずといっていいほどカプセルホテルに泊まっていく。「どんな所なの?」と聞くと「カプセルですよ。でも寝るだけですからいいんです。風呂もありますし、朝食も付いてます。安いのが一番です」と言っていたのを覚えていた。検索すると「安心お宿」という名前のカプセルホテルがヒットした(写真)。<随分と分かりやすい名前を付けたもんだなぁ>と思いながらも、そこを予約してみることにした。自分でいろいろとやってみたがどうしても手続きが出来ないので、総務にやってもらうと一発で予約が完了した。
忘年会が始まる前に宣言したことはもちろんである。
「N社長に言われてホテルを予約して来ましたので、今日は遅くまで付き合えます(笑)」
「おー、いいね、いいね(笑)」
「乾杯、乾杯!」
前日の鰭酒のこともありあまり飲み過ぎてはいけないと思ったが、テーブルには日本酒の壜が何種類か並んでいて早速「冷や」で味見を始めている人もいる。給仕の女性にチェーサーをお願いしたことはもちろんである(笑)。
                                 (令和元年作)




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鰭酒

鰭酒やつい軽口に舌を焼く



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似顔絵展のことを書く前に、木曜、金曜、土曜と続いた飲み会3連発について書いておこう。
最初の木曜日は2ヵ月前から予約している男二人の飲み会である。Tさんという。夕方6時に品川で待ち合わせ、9時半頃まで飲む。2ヵ月に一度のペースで三重県から上京してきて、いろいろな人と会い、最後に私と会って一杯やって帰るという行動パターンである。もう4~5年続いている。私より2才年下だが同業者であり、業界では大先輩であり、人脈が相当に広い。
「私もいろんな会社のいろんな経営者を見てきたけれど、日向さんほど面白い人はいない(笑)」と褒めてくれる。何が面白いかというと<改善話>だそうである。<ここをこういう風に改善して、こういう問題をこう解決した>という話が面白くてたまらないと言う。「今回はどこを変えましたか?」と言って話が始まる。
本人も大きな工場で設計、生産管理に携わり、専務までなって営業の第一線で名前を売ってきた人なので、知識は豊富であり、また勉強もしている。
出会いは7年前である。当社に大きな物件の引き合いがあり、自分の工場だけではやり切れないので、もっと生産能力の高い大きな協力工場がないかと探していたところ、知人に紹介されて出会ったのがTさんだった。取引を始めるに当たり、お互いの工場を見ておこうということになり、まずはTさんが来社した。
「凄いですねぇ。驚きました。小ロット、短納期に対応した究極の工場を作り上げていますね。いろんな工場を見て来ましたが、ここまでやっている会社は初めてです。凄いの一言です。とても敵わない」と絶賛してくれた。私も三重県の工場まで見に行った。「とても敵わない」と言いながらも広大な工場の中には様々な工夫が施されていて、無人化、ロボット化、タクトタイム管理、原価管理が見事に出来上がっていて驚かされたものである。それからの仲である。
生ビール2杯のあと、鰭酒を注文し、注ぎ酒を1回か2回するのがいつもの飲み方である。
「日向さん、喜んでください。ようやく長男が結婚することになりました。相手のお嬢さんとも会い、先方のご両親とも先日会食をしました。まったく気の置けないいい人達のようで夫婦共々喜んでいます」
「それはおめでとうございます。一番の心配事でしたからねぇ(笑)」
「そうですよ。結婚する気があるのだか無いのだか分からず、ヤキモキしていましたから(笑)」
「次は、じゃ、初孫だ(笑)」
「いやぁ、人生、捨てたものじゃないですね(笑)」
「じゃ、もう一杯、祝杯といきますか……お姐さ~ん、注ぎ酒、もう1本ずつ!」
                                 (令和元年作)




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紅葉且つ散る

紅葉且つ散る一片を描きにけり



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与えられた時間は2週間しかない。その間にいろいろと予定が入っている。週末3日間は飲み会が続いている。翌週もバタバタである。のんびり構えている余裕はない。まずはどんな似顔絵を描くかである。ごろぉさんは何でもいいと言っていたが、自分の描けるレベルでスタイルは決めておかなければならない。ユーチューブで「似顔絵の描き方」を検索してみた。いろいろな描き方があるようだが、5分から10分で完成させるとなればやり方は限られてくる。サインペンで顔の輪郭を描き、軽く色付けするというのが無難なようである。<まぁ、このあたりかなぁ>というものを見つけてトライしてみることにした。
まずは道具を揃えるところからである。ごろぉさんには「色紙は百均で」と言われている。会社の帰りに寄ってみた。3枚1組で100円である。在庫全てを買い占めた。色は水彩絵の具を使おうと思っていたが、24色クレヨンが100円で売っていたので買ってみた。随分と安いものである。ペンは前に買ったものが家にあるはずなのでそれで良しとした。ユーチューブで紹介していたコピックの色ペンも数本揃えて不足があればその時のこととした。
帰宅して簡単に描いてみた。まずは構図である。マンガ風に描いてみた(写真)。作品には日付、場所、本人の名前などを書き入れなければならないと思ったのでそれらも描き加えてみた。紅葉も添えた。妻に見せてみた。
私「こんな風でどう?」
妻「なにこれ?これじゃ駄目だよ。全然、話にならない」
私「いやいや、イメージだよ。こんな風に描いたらどうかなってことだよ」
妻「丸書いてチョンじゃないの。これじゃ駄目だよ」
私「分かった、分かった。よし、カズ君を描いてみよう。オーイ、カズ君、こっち来て、モデル、モデル……」
ぶっつけ本番である。
私「ちょっと、笑って」
カズ君「ヤダ!」
ゲームをして遊んでいるところを呼んだので不機嫌である。色付けをする前までに要した時間が7分、色も慣れてくれば3分と掛からないだろう。10分以内には出来そうである。
私「どう?」
妻「おっ、いいねぇ。似てる、似てる(笑)」
私「まだ目とか口とかの描き方を練習していないから良くないけど、練習すればもう少し上手くなると思う」
妻「いいねぇ。今度は私を描いてみてよ」
私「えっ、お前を……」
妻を描く自信はない。他の人であればたとえ似ていなくても笑って許してもらえるだろうが、もし似ていないとなると何を言われるか分かったものではない。増してや相当なる美人である。それ以下に描こうものなら大変なことになる。君子危うきに近寄らずである(笑)。
                                 (令和元年作)




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