2019年11月の記事 - ひこばえ
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Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年11月の記事

蔦紅葉

搾り出す赤のチューブや蔦紅葉



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11月10日(日)は天皇陛下御即位「祝賀御列の儀」のパレードと「横浜マラソン」が重なり、いつもの高速道路が利用できないことになっていた。環状線を走って集合時間1時の少し前に到着した。前回お会いした顔が集まっていたので仲間に入れてもらい、お互いの画帳など見せ合って先生の到着を待っていた。
私「先生はまだなんですかね?」
風雨子さん「あらっ、誰もごろぉさんのことを先生って呼んでませんよ」
私「そうなんですか。でも先生ですよね」
ひろし君「そりゃ、そうですけど、先生っていうと嫌がると思いますよ、きっと」
私「そうかぁ。でもごろぉさんとは呼びづらいなぁ(笑)」
風雨子さん「あっ、ごろぉさんが来た来た」
どう呼ぶにせよ、先生という呼び方だけは止めた方が良さそうである。周りとの調和が取れそうにない。不承不承ながら皆さんと同じように「ごろぉさん」と呼ばせてもらうことにした。
ごろぉさん「じゃ3時にこの場所に集合ということで描いて来てください。天気もいいですから外がいいですね」
集まったメンバーはごろぉさんの他、風雨子さん、ひろし君、佐藤洋子さん、天羽さん、私の6名である。まだ他にも数名いるようだが、その日の参加者はこのメンバーである。全員、外に出てこの会館の外観を描き始めた。建物全体に蔦が這っていてそれが見事に紅葉しているのである。<しまった!>てっきり室内で描くと思っていたので絵具を持って来なかったのである。ごろぉさんが「いいよ、いいよ、これを使えば」と絵具を勧めてくれたが、まずは墨で描くことにして準備を始めた。写真はその日のごろぉさんである。絵の具で大まかに全体を描いてから墨を置き始めている。墨で描いてから色を塗るのではない。しかも墨を置くのは筆ではなく拾った木の枝を使っている。何でもありである。
描き始める前の会話である。
私「同じように墨で描いてもごろぉさんの迫力が出ないんですよねぇ。おそらく迷いなく思いっ切り描くんでしょうね。今日はその描き出しの所から見せてくださいね」
ごろぉさん「いやいや、緊張するなぁ(笑)……まぁ、何枚も描いていると自分のスタイルが出来てきますから、最初から上手く描く必要もないですよ。そのうち、これがいいなぁというのに出会うんじゃないですかねぇ」
前日描いた熊手の絵や富弘美術館落選の絵などを見てもらった。
ごろぉさん「上手く描けてるじゃないですか。いいですよ。ちゃんと構図も取れているし、濃淡も出来ている。これでいいですよ。上手く描こうとすることも大切ですが、やはり楽しく描くっていうのが一番ですから(笑)」
佐伯祐三という画家の話をしてくれた。対象をしっかり捉えて自分なりの作風に仕上げて行くことの大切さを教えてくれようとしたようである。
ごろぉさん「日向さん、今度、似顔絵展があります。お客がたくさん来ますので日向さんも描いてみませんか?」
私「描いたものを出品するんですか?」
ごろぉさん「いやいや、日向さんがお客さんの似顔絵をその場で描くんです。1枚300円徴収します。『似てない似顔絵屋さん』と掲げていますから、似てなくてもいいんです。練習になりますよ。やりましょう、やりましょう」
私「何で描くんですか。墨ですか?」
ごろぉさん「何でもいいんです。好きなもので描いてください。だいたい1枚を5分から10分で仕上げます。ひろし君も風雨子さんも参加します。楽しいですよ」
<妙なことになったなぁ>と思いながらも小学6年生のひろし君が描くというのだからおそらく大丈夫だろうと考えて参加することにした。似顔絵展は11月23日(土)勤労感謝の日である。
                                 (令和元年作)




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酉の市

亡き人に会へる気がして酉の市



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土曜日の朝、会社に向かう途中で知り合いの社長が車のトランクから大きな熊手を取り出しているのを見かけた。
前日8日は酉の市である。急停車して声を掛けた。
「随分と大きなのを買って来たねぇ(笑)」
「ああ、おはようございます(笑)。毎年の恒例にしています」
「またガッツリと掻き込もうってんだ(笑)」
「日向さんとこほどじゃありませんよ(笑)」
会社に到着してすぐに社長から電話が掛かってきた。
「これを買っておかないと落ち着かないんですよ」
「あれでいくらするの?」
「9万円です」
「9万!随分するもんだねぇ。縁起物だから値切りは出来ないんだ」
「いや、値切った値段ですよ。でも引いてくれたらまた御祝儀を包まなくちゃならないんです。1万円引いたら5000円包むって感じです」
「でもまぁ、それがあるから安心して商売やっていけるんだろうなぁ」
「そうなんですよ。オヤジが毎年行ってまして……それを引き継いだようなもんなんです。オヤジは亡くなる前の年の酉の市に足が痛いからって行かなかったんです。いつも行ってたのに……」
「えっ、そうなの?」
「だから続けておかなくっちゃと思うんですよ」
「ああ、それは間違いないなぁ。ということは会長もお酉様に行っておけば亡くならずに済んだかも知れないということかぁ……」
「そういう訳でもないんですが……」
そのあと会社でこの絵を描いた。とてもお世話になった会長のことを思い出しながら描いていた。描き終えてメールで送信した。
<イヤイヤ、熊手が上手く描けていません>という文章を添えた。
社長からは<さすがは、かじがやごろぉさんの門下生。上手いもんですねぇ>と返ってきた。
私のブログをしっかり読んでいてくれているようである。感謝、感謝(笑)。
翌11月10日(日)は前回台風のため中止になってしまった「スケッチ会」が開かれることになっていた。
2ヵ月ぶりのごろぉ先生との再会である。出掛けてきた。
                                 (令和元年作)




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焚火

焚火へと抛る落選通知かな



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帰宅した時、1階にある郵便ポストを開けるのが習慣となっている。家人が取って行くのでほとんど空だが、たまに夕刊や郵便物、チラシなどがそのままになっている時がある。その日も遅く帰ると夕刊などが入っていた。中に見覚えのある葉書が1枚入っていた。先日富弘美術館に作品(写真)と共に返信用として送った手書きの葉書である。選考結果が届いたようである(令和元年10月12日、ひこばえ「晩秋」)。表面だったので、心の中で<入選していますように>と祈りながら裏返してみた。
「選外」
<おお、ガッカリ……>
こうなるのではと思ってもいたが、もしかしてという気持ちもあったようである。5階の自宅までの階段の長いこと。「ただいま」の声も小さくなる。
妻「あらっ、お帰りなさい。どうしたの?元気なさそうだけど……」
私「いや、別に……」
妻「会社で何かあったの?」
私「いや……」
風呂の中で考えていた。<レベルが違ったんだろうなぁ>
入賞、入選、選外の3段階である。入賞は最優秀作品も含め6点、一定の基準を満たした入選は74点選ばれることになっている。計80点も選ばれるのである。<80の中には入るだろう>と考えていたが、それにさえ入らなかったのである。<そもそもの所で違うんだろうなぁ>と考えていた。
ゴシゴシと顔を洗い、気分を変えて風呂を出た。
私「さっき、ポストに通知が届いていた」
妻「何の?」
私「富弘美術館」
妻「あらっ、駄目だったの?」
私「そう。選外だった」
妻「それで元気なかったんだ。良かった。何かと思った(笑)」
私「いやぁ、少なくとも入選ぐらいはすると思ったよ」
妻「甘いよ。あれで入選するようじゃ一生懸命絵を描いている人に失礼だよ。たった1日でしょ、あれを描いたのは。もっと描き込まなくっちゃ。プレバトの水彩画を見てたら分かるじゃない。結構レベル高いよ。いい作品はあの先生、見た瞬間<オーッ>という表情をするけど、貴方のじゃ<フーン>としかならないよ。次回、頑張るしかないよ」
散々な言われ方である。<そこまで言わなくても……>とは思ったが、確かにプレバトの採点基準に照らしてみると全然ダメだったことが分かってくる。プレバトの採点基準は①切り取り方②正しい描写③明暗である。
<ああ、②の正しい描写が全くダメだったなぁ。なるほどなぁ……>
                                 (令和元年作)




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海鼠

生海鼠どこが口やらお尻やら



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ユーチューブで見たナマコの捌き方は次の通りである。
① 包丁で叩く(叩くと固くなるらしい)
② 口から包丁の先を入れ、腹を裂く
③ 内臓(このわた)を取り出す
④ 水で洗う
⑤ 口ばしを取る
⑥ 肛門を取る
⑦ 塩でヌメリが取れるまで洗う
⑧ 刻んで、出来上がり

娘が台所を使い終わったところでボールにナマコを入れて用意をしてくれた。
娘「オッケー。大丈夫だよ。出来るよ」
私「よし、やってみるか」
見たところ、ヌメリが出ていて死んでいるのか生きているのか分からない状態である。
私「いやぁ、気持ち悪いなぁ。手袋はなかったっけ?」
娘「ちょっと待って。あったと思う」
透明のビニール手袋を嵌めてようやく調理開始である。まずは包丁の面を使って叩くところからである。
ピチャ、ピチャ、ピチャ……
私「ワッー、汚ねぇ~」
娘「ハハハ。洗ってないでしょ」
私「あっ、そうか。洗ってなかった」
洗うと切りもなく汚れが出て来る。
<まあ、いいかぁ……>
最後に塩で洗うとあるので、適当なところで切り上げて次は包丁の先を口に入れて腹を裂くところである。
私「あれっ、どっちが口だろう?動画ではハッキリと写っていたけどなぁ」
何度見てもどっちが口か肛門か分からない。眼鏡を外して近づけてもみるが分からない。
私「まぁ、どっちでも同じだろう」
<ブチュ!>腹に刃を突き刺した。
<ビュ~!>
「ヒャ~!」腹の中から液体が飛び出した。
娘「ハハハ。サイコーだね(笑)」
私「イヤイヤイヤ、笑いごとじゃないよ。大変だよ」
腹を裂いてしまったあとは簡単だった。内臓を取り出して塩で揉んでヌメリを取り、刻んで出来上がりである。
晩酌のツマミとしては最高の一品である。ポン酢で食べた。
カズ君も食べてみたいと言うので挑戦させたところ「食感がいいなぁ。美味い」などと生意気なことを言っている。
                                 (令和元年作)




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引き寄せてゐるは鯨か地引網



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参加者は10家族ぐらいだっただろうか。ほとんどが子供連れなので30名近くはいたようである。左右に分かれて沖にある網を引き揚げて行く。何回も後ろに下がってはまた前に戻って引きに行く。どれだけの獲物があるのか期待に胸が膨らむ。
「いやに少ないなぁ」
誰かが言っている。少ないらしい。どうするのだろう。全員に配るだけあるのだろうか。係の人が説明している。
「みなさん、テントの方に集まってください。魚が少ないので抽選になります。代表の方にクジを引いてもらうことになります」
魚は6尾だけだという。6人にしか当たらない。しかし当らない場合でもお土産にサンマが用意されているという。カズ君に引くように言うと「おーちゃんが引いてよ」という。責任重大である。あみだくじになっている。名前を書き入れて発表を待った。
女性「〇〇さん、当りました。1番です。好きな魚を取ってください。ハイ、マダイですね。おめでとうございます」
女性「2番目、〇〇さん。ハイ、好きなのを取ってください」
次々と当って、あと1尾となる。
女性「最後です。6番目、日向さん、当りました。おめでとうございます」
私「オー、当ったなぁ。当らなかったらどうしようかと思ったよ(笑)」
女性「当らなくてもサンマがありますから大丈夫ですよ(笑)」
私「まだ、サンマはもらっていない」
女性「どうぞ、どうぞ、何人ですか?」
私「参加しているのは3人だけど、家で待っているのはあと3人いる(笑)」
家にいるのは妻だけだがここは大袈裟に言うべきところである。余計に言ってみる。
女性「ハイハイ、分かりました。入れておきます、どうぞ、どうぞ(笑)」
漁は不漁でもお土産はズッシリと重い。
女性「あと、ナマコが獲れていますよ。誰か、持って行きませんか?」
全員「……」
女性「お父さん、どうですか。美味しいですよ(笑)」
私「ナマコか。食べるのは好きだけど、調理するのはちょっとなぁ……」
女性「簡単、簡単。洗って内臓を出すだけだから。出来る、出来る。ハイ、持って行って(笑)」

地引網を終わって、そこで配られた料理屋のチラシを頼りに昼食を摂って帰ってきた。車の中でナマコの調理法をスマホで調べていた。ユーチューブで動画が流れている。
私「簡単そうだなぁ。よし、帰ったらやってみよう(笑)」
                                 (令和元年作)




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秋の浜

腰掛ける木切れ拾ひて秋の浜



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会社では横浜市勤労者福祉共済(略称、ハマふれんど)に加入している。定期的に会報が配られて来て従業員の福利厚生に役立っている。観劇、音楽鑑賞、スポーツ観戦、旅行、各種イベントなどの割引券や補助、様々な給付金支給など内容は多彩である。昔、一度だけ利用したことがある。30年ほど前、子供たちがまだ小学生だった頃、箱根の旅館に宿泊する時に使ったのである。箱根登山鉄道の強羅駅の近くだったと思う。宿の名前を「ゐがゐ」といった。子供たちには「ゐ」が読めない。「るがる」と読んでしまう。今でもその話になると「るがる、るがる」と言って大笑いする。その宿がとてもお粗末だった。詳しくは忘れてしまったが、寝た部屋がガラス戸で仕切られていて枕元を余所の人が通るというものだった。昔ながらの造りで情緒があるといえばあるのだが、大概は安心して寝られないということになる。当時でも少しひどいなぁと思えた。窓から出て屋根に上がることも出来た。危険極まりないものだったが子供たちには印象深く記憶されたようである。過去に泊まった中で最もひどい旅館だったと言える。我々が泊まった半年後にはハマふれんどの指定からも外れたようで<クレームでもあったのだろうか。やはりなぁ>と思ったものである。あれ以来、ハマふれんどは利用していない(笑)。
いつもは会報が配られても読むことなく捨ててしまうのだが、今回は表紙に「地引網」と書かれていたので目に留まった。娘が行きたがっていたことを思い出したのである。伝えると案の定、申し込むという。会員番号などを伝えて手続きは娘が行なった。10月26日(土)、三浦海岸に出掛けることになった。天気は最高である。

10時10分現地集合のところ10時ちょうどに到着した。受付をすると「10時半に網を引くのでそれまで自由に過ごしてください」とのことだった。娘とカズ君は前のグループがやっている地引網を見に行った。私はといえばコンビニに行って缶ビールを買い砂浜で一杯やって待つことにした。房総半島まで見えるいい天気である。海を見ながら飲む一杯は格別である。ビールと一緒に買ったビーフジャーキーも美味しい。
腰掛けた砂浜に植物が生えていた。<何の花だろう?>スマホで調べてみることにした。実はその数日前に妻が見つけてくれたアプリがあった。花の写真を撮るだけでその花の名前が分かるというアプリである。家では図鑑の写真で試してみただけなので本当に分かるかどうかはその時が初挑戦である。しかも写真のごとく花が咲いていない。葉っぱだけである。撮ってみた。すぐに「浜昼顔」と出た。<スゴイ!>花が咲いていなくても検索してくれた。これはいい。これからは旅行に出掛ける時に図鑑を持ち歩かなくてもいいのである。感謝、感謝である。すぐに妻にメールを入れた。
「浜昼顔。花が咲いていないのに分かった。すごいアプリだよ。ありがとう」
                                 (令和元年作)




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山の芋

オタンチン・パレオロガスと山の芋



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家に帰ってさっそく羽二重団子を食べてみた(写真)。食べると同時に「猫」の中に羽二重団子がどう書かれていたかを調べてみた。しかしそう簡単に調べられるものではない。なにせ角川文庫500ページの中の一個所である。何度捲ってみても探せるものではない。途方に暮れて諦めようとした時、後ろに注書が書かれていたことを思い出した。文中、説明を要する事柄については*印が打たれ、注書がされている。その中にきっと羽二重団子があるはずだと思ったのである。あった、あった。羽二重団子はなかったが、芋坂があった。羽二重団子は芋坂の団子と書かれていたのである。
「行きましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食ったことがありますか。奥さん一ぺん行って食ってごらん。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」
もと苦沙弥先生宅の書生をしていた多々良三平君が現われて先生を外へ誘い出すシーンである。
その前後の文章を読んでみると先生宅に泥棒が入った辺りから始まっている。深夜忍び込んだ泥棒が主人のメリヤスの股引の中に子供のちゃんちゃん二枚を押し込んで首に巻き、主人の紬の上着に細君の帯、主人の羽織、襦袢、その他あらゆる雑物を包み、三平君から送られた箱入りの山の芋まで背中にしょって出て行った。翌朝、巡査が来て尋問するが埒が明かない。盗まれた品を表にして金額も入れ「盗難告訴状」を書いて提出するよう言って出て行く。その後の夫婦のやり取りが面白い。主人が座敷に筆硯を持ち出して細君を前に始めるのである。
「これから盗難告訴を書くから、盗られたものを一々言え。さあ言え」「そんな権柄ずくでだれが言うもんですか」「盗まれた帯はどんな帯だ」「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒襦子と縮緬の腹合わせの帯です」「値はいくらだ」「六円ぐらいでしょう」「生意気に高い帯を締めてるな。今度から一円五十銭ぐらいのにしておけ」その後、延々と問答が続いていく。そして山の芋の値段のことになり、喧嘩口調になる。
「それだからきさまはオタンチン・パレオロガスだというんだ」
「なんですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」
「なんですそのオタンチン・パレオロガスっていうのは」
「なんでもいい。それからあとは」
「あとはなんでもようござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かしてちょうだい」
「意味もなにもあるものか」
「教えてくだすってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私をばかにしていらっしゃる」
「愚なことを言わんで、早くあとを言うがいい。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」
「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えてちょうだい」
「うるさい女だな、意味もなにもないというのに」

これで一連の漱石物を書き終えた。そこに妻が取り出してきたのが以前テレビで放送されたという「夏目漱石の妻」というドラマの録画である。「よく録っておいてくれたなぁ。ありがとう。見よう、見よう。オタンチン・パレオロガスを見てみよう」
                                 (令和元年作)




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糸瓜忌

百年忌過ぎて糸瓜の青かりき



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当初の予定では地下鉄で「早稲田駅」に向かい漱石公園などを訪ねようと思っていたが、蕎麦屋を出た時点で2時半になっていた。
私「早稲田はもういいや。その代わり、羽二重団子をお土産に買っていこう」
羽二重団子は随分昔に二人で食べている。子規庵を訪ねた帰りに寄ったのである。
私「あれから10年くらい経つかなぁ」
妻「そんなものかしらねぇ」
私「普通、子規庵を訪ねたら一句ぐらいは詠むはずなんだけど、詠んでないだよなぁ。一句も作った記憶がない……」
団子屋は見れば思い出すと思っていた。しかし建物が目の前に現れた時、全く記憶が蘇らなかった。
私「ここ?ここは来たことがない」
妻「あるでしょ。ここよ、ここ、ここ」
私「こんなにモダンな建物じゃなかったと思うけど……」
<違う>とは思ったが、妻が強く断定するのだから<そうかもしれない>とも思えてくる。中に入った。
私「団子の持ち帰りは出来ますか?」
店員「はい、出来ますよ」
私が注文して待っている間、妻は店内を見渡している。
妻「そうよ。こんな感じだった。こんなような椅子だった」
私「もっと古めかしい感じがしたと思うけど……」
土産の団子をぶら下げながら次なる「子規庵」へと向かった。
私「結局は前回来た場所を辿ることになってしまったなぁ」
妻「あれから随分経っているんだからいいんじゃない?」
私「あった、あった。子規庵だ。ここは覚えている」
入場料を支払い、ビニール袋に靴を入れ、中に上がった。病床六尺の部屋があり、文机が庭に向いている。ヘチマがぶら下がり、鶏頭が咲いている。庭に出てみる(写真)。
妻「前に来た時と変わっている」
私「本当だ。立派な碑が建てられている」
<子規居士百回忌に当り建立する 平成十三年九月十九日>と書かれている。
私「ええっ!平成13年というと今から18年前だ。ということは我々が来たのはそれより前だから20年近く経ったことになる。10年どころじゃなかった……」
妻「そういうことよねぇ」
私「あの団子屋の建物も20年前からあったとは思えないなぁ。最近建った建物のように見えた……」
妻「……」
                                 (令和元年作)
(注)9月19日は正岡子規の命日であり、糸瓜忌という。




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秋夕焼

そぞろ行く谷中銀座や秋夕焼



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漱石旧居跡の近くに根津神社があり、千本鳥居や「文豪の石」などがあった。漱石や鴎外などが座った石だという。
社殿は三百年以上も前の創建である。七五三のお参りで来ていた人もいればコスプレ姿でフラフラしている女の子達もいた。「あれは〇〇というのよ」と妻が教えてくれたが、何と言う言葉だったかは思い出せない。「文豪の石」の横のコスプレなど、あれほど似つかわしくないものはないと思っていた。我々は神社の西口から入り、お参りを済ませて表参道口から出たのだが、通りを進んで左に曲がるなどしていたので大きな交差点に出た時には方向感覚を失っていた。妻は迷うことなく真っ直ぐに進んでいく。
私「ちょっと待って。位置を確かめる」
地図を見たり、次に向かう鰻屋の位置をスマホで確かめたり、交差点に戻って東西南北を確認したりした。
私「違う、違う。そっちじゃない。こっちだよ」
妻「そう?どっちに行っても同じじゃない?」
私「同じってことはないだろう。迷っちゃうよ」
意外と大雑把である。あとから聞くと妻は散歩なのだから少々迷ったところで問題ではないと考えたようである。しかし私はお腹が空いていた。早く鰻屋に行きたい一心である。フラフラしている余裕などなかった。スマホの地図を頼りに「吉里」という鰻屋に辿り着いた。1時を過ぎていた。
私「腹減ったなぁ。まずは入ろう」
戸を開けた。着物姿の女性が現れた。
私「予約していないんですけど、大丈夫でしょうか?」
女性「はい、大丈夫ですけど、少々お待ちいただくことになります……」
私「どれくらい待ちますか?」
女性「1時間半から2時間くらいだと思います」
私「ええっ!」
店を出て通りを進み、谷中銀座商店街の中で食べ物屋を探した。
私「どこでもいいんだけどなぁ……」
いつもならあるはずの店が見つからない。タコ焼き屋であったりハンバーガー屋であったりして普通の飲食店が見つからない。とうとう「夕焼けだんだん」と呼ばれる場所まで来てしまった(写真)。
私「谷根千の思い出は腹が減ってしかたなかったということになりそうだなぁ……」
結局は「だんだん」の上の蕎麦屋に入り、何と言うこともない普通の天ざるを食べたのであった。
                                 (令和元年作)




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色無き風

猫の目の色無き風を捉へけり



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どこまでも続く東大の敷地だが、その切れ目のすぐ先に夏目漱石旧居跡があった。旧居跡といっても碑があるばかりである。明治36年1月にイギリス留学より戻り、この地に居を構え、デビュー作「吾輩は猫である」を執筆する。忽ち天下の注目を浴び、その後続々と作品を発表し、その名を不動のものとしていく。碑には「千駄木町は漱石文学発祥の地である」と記されている。その後ろにコンクリート塀があり、猫が置かれていた(写真)。
久し振りに読んだ「猫」について書いておこう。まずは長い。角川文庫500ページである。よくも長々と書き綴ったものである。しかし厭きない。面白い。内容は猫の主人たる苦沙弥先生宅に様々な人物が集まって他愛もない話に気炎を挙げるというものだが、猫の目にはそれが一向に面白くなく映っている。そこが面白い。
「吾輩は大人しく三人の話を順番に聞いていたが、可笑しくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰すために強いて口を運動させて、可笑しくもないことを笑ったり、面白くもないことを嬉しがったりする外に能もない者だと思った」
人間が繰り広げる様々な行動を「滑稽なもの」として扱き下ろしているところが面白い。
時には褒めることもある。三人娘の行儀の悪い朝食風景を前にして一言も発せずに自分の飯を食っている主人を見ての感想である。
「主人は娘の教育に関して絶対的放任主義を執るつもりと見える。今に三人が海老茶式部か鼠式部かになって、三人とも申し合わせたように情夫をこしらえて出奔しても、やはり自分の飯を食って、自分の汁を飲んで澄まして見ているだろう。働きのない事だ。しかし今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、鎌をかけて人を陥れる事よりほかに何も知らないようだ。(中略)これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびに撲ってやりたくなる。(中略)こんなごろつき手に比べると主人などは遥かに上等な人間と云わなくてはならん。意気地のないところが上等なのである。無能なところが上等なのである。猪口才でないところが上等なのである」
とても愛情のある褒め方のように思える。

碑のほかには塀の上の猫しかないので、何枚もベストショットを狙って写真を撮った。よく見るとやさしい表情をしている。シッポも立てている。誰が作った猫かは知らないが、きっと猫のポーズの中ではベストポーズなのだろう。金木犀の甘い香りがとても優しい。
                                 (令和元年作)




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秋風

秋風や暗渠を塞ぐ鉄の蓋



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赤門、三四郎池、安田講堂と見てほぼ東京大学に来た目的は達成されたようである。安田講堂の正面に地下に潜る階段があり「中央食堂」と矢印表示されていたので「入ってみる?」と聞いたが「特に見たくはない」と言われてしまった。おそらく想像以上にオシャレになっているだろうと思ったが、見たところで食べたりはしないのでパスすることにした。食べる場所は事前に調べてあり、谷根千の「吉里」という鰻屋と決めていたのである。予約はしていない。
妻「次は?」
私「漱石旧居。何があるという訳ではないけど見ておきたい。その次が根津神社。文豪の石というのがある。そのあと、吉里という店で鰻。それにしても腹が減ったなぁ」
妻「起きてから何も食べてないの?」
私「そう。何か食べておけば良かった。4時に起きたからもう8時間も経っている(笑)」
東大構内を正門めざして歩いていた。スケッチなどしている人がいる。<絵になるなぁ>と眺めていた。その横に大きなマンホールの蓋があった。東京帝國大学と書かれている(写真)。その中央に「暗」とある。
私「暗って何のことだろう?」
妻「アンキョじゃない?」
私「アンキョ?」
妻「ほら、地下を流れる排水溝のことをそう言うでしょう」
私「ええっ!聞いたことが無い」
妻「調べてみてよ」
調べるよりも何よりも、妻の即答に驚いていた。「暗」の一文字で「アンキョ」が出て、意味まで説明されたのだから驚くしかない。自分の知らないことを普通に言い当てられて「調べてみなさいよ」と督促されている。ムムムムム……ヤバイ……<アンキョも知らないの?>とやられるシーンである。私がスマホで調べようとしないので妻が調べた。
妻「あった!アンキョ。字はこの字だよ」
スマホを見せてくれる。
私「暗渠か。知らなかった……」
妻「地下に埋設されたり、蓋を掛けたりした水路のことだって」
私「よく知ってたなぁ。おれは全く知らなかった」
正門を出てレンガの塀に沿って歩いていた。<暗渠──東大で教わった言葉だからおそらく忘れることはないだろう>と思っていた。物知りという点ではいつも私の上を行く妻である。
                                 (令和元年作)




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銀杏降る

弓を引く放つぎんなん降りにけり



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初めてみる「赤門」である。古めかしい中にも美しさと威厳がある。
「文政10年(西暦1827年)加賀藩主前田齊泰にとついだ11代将軍徳川家齊の息女溶姫のために建てられた朱塗りの御守殿門であり、重要文化財に指定されています」
書かれた立札も赤門と同じ朱色である。
中に入ると守衛所があり脇にはキャンパスの案内図もある。三四郎池の場所を確かめて歩き始めた。両脇の銀杏はまだ黄葉していない。ただし銀杏の実をたくさん落としている。それが踏まれて潰されて銀杏特有の臭いを放っている。
妻「この臭い、苦手なのよねぇ」
私「そう?それほどイヤな臭いでもないと思うけど……この建物は昭和だろうなぁ。少なくても漱石の頃の明治っていう訳ないよなぁ」
妻「うん、やっぱりこの臭いは嫌いだなぁ」
左折してすぐに弓道場があった。周辺にはたくさんの学生が袴を穿いて弓を手にしていた。日曜日だというのに集まって練習しているようである。学生生活を謳歌しているに違いない。みんな優秀そうな顔に見えてくる。
私「たしか三四郎池はこの辺りなんだけど……」
妻「看板が出てないわね」
私「もっと先かなぁ」
崖の下を覗いてみると池が見えた。そういえば小説の中で憧れの美禰子を初めて三四郎池で見掛けるシーンも、遥か上の方に立っている姿を見上げるように書かれていたことを思い出した。
私「あんなに下の方にあるとは思わなかったなぁ」
妻「そうよねぇ。降りてみよう」
急坂に気を付けながら池の畔に辿り着いた。<なるほど、これが三四郎池かぁ>
しばらく写真を撮ったりして池を眺めていた。
私「痒い!蚊に食われた。藪蚊だ」
手の甲を食われた。
妻「クサイ!ここも銀杏の臭いが堪らない」
私「ヤバイ、ヤバイ。退散しよう。ここにいたらドンドン食われてしまう」
三四郎と美禰子が出会った神聖な場所にも拘らず、藪蚊と銀杏の臭いで台無しである。
                                 (令和元年作)




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柳散る

瓦斯灯が消えて湯島に柳散る



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泉鏡花の「婦系図」のことを考えながら春日通りの坂道を上っていた。<読んでなかったなぁ……>
休み明けにすぐアマゾンで注文したことはもちろんである。いいキッカケなので読んでおこうと思ったのである。
<別れろ切れろは芸者の時にいう言葉>
過去何度となく聞いたセリフである。これを<知らない、読んでいない>というのは宜しくない。どうせ本屋には置いていないだろうとアマゾンで注文することにした。アマゾンの中古本は便利である。1円、配送料257円、計258円で手に入る(写真)。

届くとすぐに読んでみた。読んで大いに驚いた。どこにも「別れろ切れろ」が出てこないのである。湯島天神すら出てこない。<どうなっているのだろう?>
出だしは「お蔦」から始まっている。「お蔦主税(ちから)の心意気」なのだから当然だが、そのお蔦の登場シーンが極端に少ないのである。冒頭は幸せそうなお蔦。置屋から出て主税と所帯を構えたばかりの姿が描かれている。次が静岡へ去る主税が新橋駅から汽車に乗り込むシーンである。汽車の窓を降ろした時に一緒に乗り込んで来るお蔦の姿を見つける。お蔦登場わずか3行だけである。その前にあるはずの湯島天神はない。次が病に臥しているお蔦である。お蔦のところに主税の師である先生の令嬢が訪ねてくるシーンである。病は相当に進んでいる。そして最後、お蔦が亡くなろうというシーン。二人を別れさせた先生が心無いことをしてしまったと謝るシーンである。お蔦が出てくるのは新潮文庫400ページの内のほんの50ページくらいのものである。想像していたものとあまりに違っていたので驚いたというのが読んでの感想だった。
調べてみると小説「婦系図」はその後芝居となり、芝居のために別れの場面だけを脚色して「湯島の境内」が書かれ、そこに「別れろ切れろ」が書かれているのである。

早瀬 お蔦。
お蔦 ………
早瀬 俺とこれッきり別れるんだ。
お蔦 ええ。
早瀬 思切って別れてくれ。
お蔦 早瀬さん。
早瀬 ………
お蔦 串戯(じょうだん)じゃ、──貴方、なさそうねえ。
早瀬 洒落や串戯で、こ、こんな事が。俺は夢になれと思っている。
お蔦 ほんとうなのねえ。
早瀬 俺があやまる、頭を下げるよ。
お蔦 切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。蔦には枯れろ、とおっしゃいましな。
早瀬 お蔦、お蔦、俺は決して薄情じゃない。
お蔦 ええ、薄情とは思いません。
早瀬 誓ってお前を厭きはしない。
お蔦 ええ、厭かれて堪るもんですか。
早瀬 (略)
お蔦 ですから、死ねとおっしゃいよ。切れろ、別れろ、と云うから可厭(いや)なの。死ねなら、あい、と云いますわ。私ゃ生命は惜くはない。
                                 (令和元年作)




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初紅葉

初紅葉裾の乱るるをんな坂



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そこで諦めないのが私である。パレードは見られなくても漱石巡りはしてみたい。次の日曜日に出掛けることにした。10月20日である。ランチの予約はしていないので出発の時刻は適当である。準備が揃い次第ということで8時20分に家を出た。天気は降水確率0%の曇り空。散歩するにはちょうど良い。
上野界隈の散策にはこれまで何度か出掛けている。根岸にある「子規庵」も訪ねている。あれはいつだっただろうか。10年前か15年前か。行ったことは覚えていてもどういう訳か俳句を詠まなかったようで一句も思い浮かばない。今回「子規庵」は予定していないが漱石と子規がテーマなのであの時のことをあれこれ考えていた。
京急電車で品川まで行き山手線の御徒町で降りた。「アメ横」と書かれた看板を見て「また来てしまったなぁ」と笑う。我々夫婦には懐かしい場所なのである。
私「この道を真っすぐに行くと、後楽園遊園地にぶつかる」
地図を片手に歩いているので、つい先日東京ドームで巨人戦を観戦したことを思い出す。
私「手前に湯島天神がある。来たことないよなぁ」
妻「うん、前に来たのは神田明神だったよね」
私「まずはお参りしてから漱石を辿ることにしよう」
歩いて行くと<湯島天神女坂入口>の看板を見つけた。
妻「男坂より女坂の方が上りやすい(笑)」
「北島三郎書」と書かれた「おんな坂」の碑も建てられている。上がってみると石段の一段一段の高さが思った以上に高い。
妻「女坂と言ったって、これじゃ着物の裾が割れるわねぇ(笑)」
私「おお、着物の裾ねぇ。いい表現だなぁ。これで一句詠まなければ来た甲斐がない(笑)」
その坂を上り切ったところにいくつかの碑が建てられていた。<講談高座発祥の地><新派>の碑などである。その隣に<瓦斯灯>と書かれた看板が建っていた(写真)。
「おお、湯島の白梅だ。小畑実だ」
ちょっと口ずさんでみる。
「湯島通れば 思い出す お蔦主税の心意気……」
昭和の懐メロのファンなので古い曲はおおよそ知っている。カラオケなどに行っても「いやに古い歌を知ってるなぁ」と不思議がられる。昔は懐メロの番組があれば必ずと言っていいほど見ていたものである。コロンビア・トップの司会が懐かしい。妻に歌って聞かそうと思ったが、サッサと本殿の方へお参りに行ったようで姿が見えない。ジックリと看板を読み、書かれているガス灯の写真を撮ったりして句を考えていた。

本殿の裏で梅酒の試飲会が開かれていた。一杯いただこうとプラスチックのコップを探すと受付に置いてあるという。面倒だなぁと思いながらも受付に行くと1700円もするという。
「なんで試飲が1700円なの?要らない、要らない。これから歩くっていうのに1700円分のお酒を飲んだら歩けなくなってしまう」
「婦系図」の情緒も何もあったものではない。サッサと境内を出てお茶を買って赤門へと向かうことにした。
                                 (令和元年作)




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燈火親し

吾輩ハ猫ナリ燈火親しめり



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9月から日経新聞で伊集院静「ミチクサ先生」の連載が始まっている。夏目漱石と正岡子規の物語で毎朝楽しく読んでいる。漱石の作品を読んだのは学生の頃である。読んだとはいえ今では何も覚えていない。改めて読み直してみようと「三四郎」から始めて「吾輩は猫である」「坊っちゃん」を読み、伊集院静の「ノボさん──小説正岡子規と夏目漱石」を読み始めたところである。実に45年振りの夏目漱石ということになる。あの頃住んでいた西荻窪の「武蔵野荘」を思い出す。小説を読んだり、俳句に興味を持ち、知り合いに頼んで皆吉爽雨主宰の「雪解」俳句会に参加したのもあの頃である。
改めて読んでみるとやはり漱石先生は文豪である。面白い。語彙が豊富である。また変人の嫌いがある。興味が湧く。その足跡を辿ってみたくもなる。ちょうど10月22日は「即位礼正殿の儀」で皇居から赤坂御所までパレードもあるので、パレードを見る傍ら東大赤門、三四郎池から根岸、早稲田の旧居跡あたりを歩いて来ようと思い立ったのである。
私「パレードが3時半からなので青山あたりのランチを予約しておこうよ」
妻「またこの前のようなことにならないでしょうね(笑)」
この前とは平成30年12月23日の天皇誕生日のことである。予約していたランチの時間に間に合わずアタフタしたことを指している。(平成31年1月3日、ひこばえ「年惜しむ」)
私「大丈夫だよ。今度はあんなふうに待たされる場所はないから。いろいろ見て回るだけだよ(笑)」
青山にあるオシャレなイタリアン料理の店を予約することにした。
私「手続き頼むよ」
妻「またぁ。たまには自分でやってよ」
私「インターネットの予約は無理だよ。電話した方がいいよ」
妻「何が難しいのかなぁ(笑)」
私「支払い方法とか、パスワードとか……」
ブツブツ言いながらも手続きしてくれたのでまずはひと安心である。
その時間に合わせるように見て回るコースを決めて行く。御徒町駅──赤門──三四郎池──根津神社──漱石旧居跡──地下鉄──夏目坂──漱石公園──地下鉄──青山レストランというコースである。あとは天気がいいことを祈るだけ。準備万端である。
しかし、17日(木)夜、帰宅すると言われた。
妻「パレードが中止だって」
私「えっ、嘘!」
妻「台風19号で甚大な被害が発生したことに配慮して延期するみたいよ」
私「そうなのか。それじゃ仕方ないなぁ」
妻「ランチはキャンセルしておくわよ」
私「……」
                                 (令和元年作)




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