2019年09月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年09月の記事

二百十日

極楽や二百十日の湯に浸かる



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港南区にある「お風呂の王様」に時々出掛けている。家から車で10分ほどの場所にあり、風呂上りに食事も出来るので家族には好評である。9月になってこれから会社も忙しくなるので、まずは温泉で<自然治癒力を増幅し、自己回復力を万全にしておこう>と考えたのである。9月1日(日)出掛けてきた。昔の厄日に当たる二百十日である。
中は混み合っていて芋を洗うようである。<こんな熱い中によく入っていられるものだなぁ>と昔からずっと敬遠してきたサウナにも入ってみた。体重が過去最重量となっているので、汗を掻いて少しでも落としておこうと考えたのである。10分ほど入っただろうか。なかなかいいものである。入った後で水風呂にも入ってみた。
<おお、これもいいもんだなぁ>
年を取って好みが変わるということがあるようだが、サウナもその一つかも知れない。「水風呂」のあと「壷湯」という温めの湯に浸かりながら、天野忠(1909-1993)の「極楽」という詩を思い浮かべていた。

『死んだらもう来られんでな
そうじゃとも
死んだらもう来られんでな

お婆ぁが二人
あめ色の湯にどっぷりつかって
さっきから同じことを云って有難がっている。
ここは極楽みたいで
ぼんやりしていて 湯気があがっている。

ここは子供のとき
頭のすっかり禿げた父親と初めてきた温泉
世間といさかいをして逃げてきた父親は
どぼんと湯につかると
ああ ほんまに極楽やな 坊んよ と
ふうわり 手拭いを頭にのせた。

死んだらもう来られんでな お父っあん
私は
父親そっくりに禿げてしまった頭の上に
ふうわり 手拭いをのせて それから
眼をつぶった。』

(注)絵は北海道歌志内市出身の芥川賞作家「高橋揆一郎」(1928-2007)の画文集「帽灯に曳かれて」から、往時の炭坑の銭湯を描いたものである。
                                 (令和元年作)




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岩魚

岩魚あり酒あり鍋は頃合ひに



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宿は昨年5月に泊まった「はせを亭」である(平成30年6月18日、ひこばえ「浴衣」)。
3つの部屋を1つにぶち抜いてとても広く使わせてくれるのが良くて選んだのである。今年も当然同じ部屋だと勝手に決め込んでいたが、案内されたのはその真下の1階の部屋だった。<あれっ、違う部屋だ>と思ったが、入ってみると作りは全く同じである。初めての娘とカズ君は大喜びである。
娘「すご~い。本当に広い。面白い間取りをしてるねぇ(笑)」
カズ君「スゲー、広~い。オモシロ~イ(笑)」
大はしゃぎである。「薬師の湯」という大風呂に入って部屋でマッサージチェアに横になると夕方だというのに一瞬で寝てしまった。爆睡である。朝3時に起きて車を走らせ、疲れているところに宿に着くなりサービスのビールを出されたのだから起きていられる訳がない。横をカズ君が鬼ごっこなどして走り回っても2時間ほどグッスリと寝入ってしまった。目が覚めて2回目の風呂に入りすぐに夕食である。部屋食なので寛げるところもありがたい。

ビールは昼も夕方も飲んだのでお燗を注文した。夏でも冬でも昔からお酒はお燗と決めている。1合徳利と2合徳利があるので聞くと、ここは1合だという。それではということで2本お願いした。
子供たちが小さかった遠い昔、伊豆あたりに出掛けた時のことである。何度も頼むのも面倒なので初めからまとめてお燗を5本注文したことがあった。さすがに女中さんが驚いて「1人で一度に5本頼んだ人はいません」と言われ「何度でもいいですから声を掛けてください」ということになったと思うが、今でも時々思い出しては笑い話にしている。
「1合と言ったって180cc入っている訳じゃないよ。いいところ150ccくらいだろう。それはここのお店の人が儲けようとしているんじゃなくて、徳利を作っている会社の方がその辺りのことを忖度して小さくしているんだと思う。お店の儲けを考えて180cc入らなくても満杯になるように作っているんだよ(笑)。お客もそこいらのことは分かっていて、中を量って文句を言う人はいない。どんな呑兵衛でも中味が180ccきちんと入っていると信じている人はいないだろうし、そもそもそんなことで文句を言ってちゃお酒が美味しくない。それを逆手に取って『当店では1合180ccのところ200cc入る徳利を使用しています』なんてアピールすれば『おー、良心的だなぁ』ということになって喜ぶ呑兵衛もいるかも知れないと思うけど、どうだろう(笑)」
詰まらない話をしながらも、あっという間に2本を飲み終えて、すぐに2本を追加し、終わる間際にもう1本を頼んで最終的に5本を飲んでいるのだから、初めから5本というのも満更ふざけた話でもない(笑)。

翌朝は雨だった。宿で11時近くまで風呂に入ったりしてゴロゴロし、わたらせ鉄道に乗ることもなく田中正造記念館にも寄らずに帰って来た。九州に上陸した台風の影響は関東にも及んでいた。
                                 (令和元年作)




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夏雲

夏雲や道より低き峡の駅



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美術館に入る前の蕎麦屋で「わたらせ渓谷鉄道」のトロッコ電車に乗る話をしていた。
私「渡良瀬渓谷の中でもこの辺りの景観が一番良いらしい。美術館を出た後、その先にある『神戸(ごうど)駅』から今日泊まる宿に一番近い『水沼駅』までの区間を乗ってみたい」
その会話の中で神戸駅の手前にある「沢入駅」の名前を何度か口にしている。上りと下りの逆方向にある駅の名前である。乗るのは私とカズ君で車は娘が運転して妻と一緒に水沼駅に先回りして待っていてくれることになった。美術館でどれだけの時間が掛かるかが分からないので、乗る電車は行き当りばったりということにした。
美術館を出たところで時刻表をみると神戸駅12時55分発の電車に間に合うことが分かった。12時半頃のことである。
私「よし、それに乗ろう」
駅の近くまで来た所に看板が出ていた。
私「ここで降ろしてくれていいよ。ここから駅までは歩いて行くから。よし、行くぞ~!」
カズ君「おー!」
駅に向かう高台の上で降ろしてもらって階段で駅まで降りていった。
駅構内に入ると物を売っている男性に声を掛けられた。年恰好は私と同じくらいである。
男性「これ一つ、買ってくださいよ」
私「なになに?」
男性「ジャガイモです。美味しいですよ」
私「要らない、要らない。今、蕎麦を食べてきたばかりだよ」
男性「そうですか」
私「それより、沢入行きの電車はどうやって乗るの?切符はどこで買うの?」
男性「沢入行きは今、出たばかりですよ」
私「えっ!1時頃って書いてたけど」
男性「何を見たんですか?電車は間違いなく今出て行きました。次は2時過ぎになります」
ヤバイ、時間を見間違えたようである。娘に戻って来てもらわなくてはならない。こんな所で1時間半も待ってはいられない。携帯に電話をするとまだ近くにいてすぐに迎えに来てくれることになった。写真はその時娘が高台から撮ってくれたもので、私とカズ君が写っている。
妻「1時間ちょっとなら、何か飲んで待っていればいいじゃないの?」
私「そうか、そうするか」
ホームの反対側に古い電車を利用した食堂があったのでそこで時間をつぶすことにした。跨線橋を渡って食堂に向かうホームに電車が停まっていた。逆方向に向かう電車だろう。食堂に入って飲み物を選んでいたところでその電車は出て行った。食券を妻に頼んで客車食堂に座った時にハッとして気付いた。
<ヤバイ!今出て行った電車が乗ろうとしていた電車だった。男性に聞いた時に間違えて「沢入駅」と言ってしまったが、本当は「水沼駅」と言うところだったんだ>
慌てて食券を買おうとしていた妻を止めた。
私「やめた、やめた。宿に行こう。どうしようもない。滅茶苦茶だ」
間違った経緯を妻に説明した。
妻「いいじゃないの。そんなに乗りたければ明日、乗ればいいじゃないの」
<なるほど、なるほど>それにさえ思い付かないあたりは相当に動揺している(笑)。
駅を出る時に男性から「ジャガイモ」を買った。
                                 (令和元年作)




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色鳥

装へど鸚哥色鳥とは言はず



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中に入るとロビーの広さと白を基調とした館内の美しさに目を奪われた。
「ワァー、きれいだなぁ」
また、作品を展示する部屋の壁面が全て円を描いている。丸い部屋がいくつも隣り合って続いているという感じである。作品を見始めてすぐに思った。
「部屋を一回りすればその部屋の全ての作品が見られるようになっているんだ」
順路と書かれた矢印の順に見て回った。
絵を見ればそれが何かはすぐに分かる。文を読めば心温まるやさしい言葉が綴られていて、<なるほど、なるほど>と頷ける。ベッドに横になりながら筆を銜えて描いたのだから一つ一つが長い時間を費やして出来上がった作品だろう。<心を込めて>とはその製作過程を思い描くだけでも充分に伝わってくる。この鸚哥(インコ)の絵も何度、色を換えたことだろう(写真)。色を換えてくれたのは誰だろう。自分で調合出来ないのだから、指示する方もされる方も根気よく進めていくことだろう。いろいろと想像されて、作品の前を簡単に素通りしてはならないような感じがしてくる。
隣で一緒に観て回っている妻のことを想像してしまった。
私「次、その色」
妻「どれ、これ?」
私「違う、それじゃない。もっと濃い色。それじゃない。その隣」
妻「もう……」
3日と持たないような気がする(笑)。
駆け足で一通り観た後で、ビデオ室があったので入ってみた。星野富弘さんご本人が出演していて製作を始めた頃の話や付き添ってくれたお母さんのことなどについて語っているものだった。怪我をして絶望的になっていた頃のことや絵に出会って表現する喜びを見出した頃の話。動けなくなってしまった自分を献身的に支えてくれたお母さんの話やそのお母さんに辛く当たって泣かせてしまった話などを語っていた。僅か10分ほどのビデオだったが、自然と涙が流れた。流れる涙を手で拭った。拭いながら、星野さんは自分の涙さえも一人では拭えないのだと思えてまた泣けてきた。妻の友達の〇〇さんが感動したというのも、会社の〇〇君が良かったですよといっていたのも、このビデオを見たからではないだろうかと思った。

喫茶コーナーで待っている娘とカズ君を妻が迎えに行っている間、私はパンフレットなどを見ていた。そのパンフレットの中に「詩画」募集という記事があることを見つけた。「詩画」とは聞き慣れない言葉だが、絵と詩を一枚に描いたものだろうと想像出来た。すぐに構想は浮かんだ。
<よし、一枚、描いてみよう。テーマは「母」にしよう>
                                 (令和元年作)




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外寝

さういへば猫の外寝をいまだ見ず



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「足尾銅山観光」の次はそのすぐ近くにある「足尾歴史館」に寄りたかったが、面白くないと言われること間違いなしである。「富弘美術館」に向かうことにした。途中、蕎麦屋に寄って生ビールを飲んだ。運転は娘に代わってもらうことにした。自宅から高崎まで150km、高崎から足尾まで90kmの計240kmの道のりを延々と走り続けて来たのだから疾うに交代時期は超えている。宿まであと僅かである。
「富弘美術館」についてはあまり調べていなかった。車内での会話である。
私「たしか、身体が不自由で絵筆を口に銜えて描く人だったよなぁ」
妻「高崎かどこかの高校の先生だった人じゃない?○○さんが見に行って凄く良かったと言っていたのを覚えている」
私「へぇ~、あの○○さんがねぇ。あんまり、絵をみて感動するようなタイプには見えなかったけど(笑)。会社にいた○○君というのも、見に行って感動した話をしていたことがある。もう20年近くも前の話だけど」
妻「出来たのは随分前っていうことよね」
私「長く続けて来られたんだから、余程いいものなんだろうなぁ。我々も感動出来ればいいんだけど」
妻「そうね」
入り口に「星野富弘が描く動物たち」と書かれた看板が出ていた(写真)。見ると猫の絵が描かれている。この猫、転がって腹を出しているようにも見える。それを作者は逆様な視点から描いているのである。構図がいい。しかも文章が添えられている。「野良猫よ。たった一匹、自給自足で頑張っているのか」と呼び掛けているのである。
「面白い!」
入場券を買おうと女性に声を掛けると「JAFの会員になっていますか?」と聞かれた。
「なっていますけど……」
「カードはお持ちですか?」
「車の中にあります。持ってくるのは面倒くさい(笑)」
「大丈夫です。ご呈示いただけたものとして割引しておきますので(笑)」
「ありがとうございます」
<この美術館のコンセプトは「やさしさ」かな>と思った。いくらの割引でもないだろうが、心温まる対応は印象付けられる。猫の絵といい女性の対応といい、星野富弘という人の「やさしさ」を思った。
                                 (令和元年作)




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滴り

滴りや動く坑夫は蝋人形



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「400年の歴史を誇り、かつて“日本一の鉱都”と呼ばれ大いに栄えた足尾銅山の坑内観光施設です。閉山後に坑内の一部が開放され、トロッコ電車に乗って全長700メートルの薄暗い坑道に入っていくと、当時の辛く厳しい鉱石採掘の様子が年代ごとにリアルな人形で再現されています」
足尾銅山観光のホームページに書かれていた文章である。

朝一番の電車だというのに何組ものお客が乗り込んで来た。3両電車の2両目に座り、全員が座ったところで出発した。ガタン、ゴトンとゆっくりと進んでいく。しばらくすると、すぐに止まった。駅のような場所があり車両の切り離しをするという。ものの1分も走っていない。<なになに?>何をしようというのだろう。先頭車両が切り離され、先に進み、頭のなくなった状態で客車が自力で進むという。<なんだか、面倒なことをやってるなぁ>と思った。電車は再び走り始め、すぐに坑内入口へと突入した。急にヒンヤリとした。
「おー!涼しい」
声が上がる。暗い坑道を走り始めたが、またすぐに止まった。
「はい、終点です。ドアの鍵を外しますので、そのままお待ちください」
<えっ、もう終わりなの?700メートルもあった?随分と短いジャン?>
「乗車時間わずか5分」といった感覚。文句の言う相手もいないので黙って降りたが、あまりの早さに拍子抜けした感じである。
「これで700メートルもあったんだろうか?」
誰に言うでもなく呟いてみたが、返してくれる人はいない。みんな、見学場所がある線路の先へと歩き始めている。それから30分ほど坑内を歩きながら飾られている人形などを見て回った。手掘りの時代、機械化された時代、ダイナマイトで粉砕する時代などと作業方法の変遷が分かるように並べられていた。薄暗くて怖がっていたカズ君も徐々に慣れて来て、ダイナマイト発射ボタンなどをやたらと押しまくっている(写真)。
なるほど、「観光」である。坑内についてのビデオやたくさんの模型などが展示されていたが「鉱毒」については多くを語っていない。田中正造の「辛酸」についてはやはり田中正造記念館に行かなければならないようである。
その後の妻との会話である。
私「700メートルって書いてあったけど、そんなにあったかなぁ?俺の距離感覚からすると、上中里団地一周が600メートルなのでその半分300メートル位の感覚なんだけど……」
妻「トラック400メートルを2周ってことよね」
私「えっ、トラック!」
詳しくは聞いていないが<高校時代に短距離でもやっていたんだろうか>と勝手に想像してしまった。運動音痴の私としては一歩引いてしまうことになり、話もそれっきりになっている。
                                 (令和元年作)




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山滴る

滴れる山に過去あり蔽ひけり



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渡良瀬川沿いを走って足尾銅山跡に9時45分に到着した。「足尾銅山観光」という施設で坑内の様子を見学しようというのである。10時のオープンを見計らって走って来たので、正に計ったような正確さである。時間まで辺りをグルグルと回って町の様子を眺めてみたが何がある訳ではない。昭和48年に閉山している。
銅山の歴史は古い。発見は1610年だという。1648年に徳川幕府の御用銅山となり、江戸城や日光東照宮の銅瓦にも使用されたそうである。1684年頃に最盛期を迎えたが、江戸末期には廃山同然の状態になっている。その後、1877年(明治10年)に古河市兵衛が買収し経営に乗り出し、近代技術を用いた鉱源開発により多くの鉱床を発見し、再び活気を取り戻していく。様々な近代的手法を取り入れて大躍進を続け、東洋一の銅山へと発展していくのである。
その傍らで日本初の公害問題を引き起こし、田中正造(写真)の「辛酸」へと繋がっていく。
「辛酸」を読んだ時、私の想像していた内容と大きく違っていたので大いに慌てた。私としては「鉱毒」とまで書かれていたので、当然その「鉱毒」についての詳細が記されているものと思ったのである。しかしそれにはほとんど触れず、ただひたすら田中正造の生き方について書かれている。それはそれで興味を持って読めたのだが、やはり銅山内部の様子も取り上げてもらいたかったように思う。経営者側、労働者側の姿が見えてこない。
他の本を探している時間がなかったので自宅のパソコンで何かないかと探したところ、「知ってるつもり?」という古いテレビ番組の映像が見つかった。関口宏の司会で足尾銅山と田中正造を特集している。45分間、釘付けで見入ってしまった。「鉱毒」の何たるかも、被害の惨たらしさも、もちろん田中正造の凄い生き様も充分に伝えていた。コメンテーターで出演していたマリ・クリスティーヌさんが最後に流した涙も印象に残った。
まずはその「銅山跡」の見学である。「観光」という名前がいかにも軽いが、6才のカズ君が一緒の旅には持って来いの場所になるかも知れない。大人820円、子供410円の入場料を支払って改札を通り抜けた。
「さぁ、トンネルに潜り込むゾ~!トロッコ電車に乗り込め~!」
「オ~!」
                                 (令和元年作)




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墓洗ふ

父母のため父母のせしまま墓洗ふ



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夏休みの8日間をどう過ごそうかと考えると<まずは高崎の墓参りに行かなければならない>となる。すると昨年の新田義貞、足利尊氏めぐりのことが思い出されて<よし、1泊で温泉に入ってこよう>となる。群馬の温泉となると十指に余る名湯揃いだが<昨年泊まった宿も良かったなぁ>ということになり<何という旅館だったっけ?>となる。いろいろと調べて宿のホームページに辿り着き、空き状況を見てみると8月13日(火)しか空いていないことが分かった。すぐに妻にメールした。
「墓参りに行こう。前回の温泉。13日しか空いていない。至急、お願い」
いつもならすぐに反応があるところだがなかなか返事が来ない。<どうしたのだろう?>しばらくして連絡が入った。娘も一緒に行くと言い出して、いろいろとやり取りしていたらしい。随分と時間が経過してからメールが届いた。
「予約完了」
念のため、メールを1つ入れておいた。
「朝は早いよ。行きたい所があるから。4時出発」

前日のニュースで関越自動車道の渋滞情報などが出ていて、早朝から混んでいるようなので<4時は絶対だなぁ>と思っていたが、やはり朝はドタバタとして30分遅れの4時半の出発となってしまった。<朝から渋滞はいやだなぁ>と思いつつ、コンビニに寄るなどしてスタートしたが走り始めると意外と順調である。カーナビによる到着予定時刻7時10分のところ、途中で休憩などしていたため7時半にお寺に到着した。順調である。お盆ということもあり、朝から何組もお参りに来ていた。墓を洗い花を供え、お参りした。思うことはいつも一緒である。大切な娘さん(妻のこと)を幸せにしているかどうかの報告である。<………>報告は長い(笑)。
お参りを終えて、いざ出発である。私が今回行きたいと考えていた場所は次の通りである。
① 足尾銅山を見学する
② 富弘美術館に行く
③ わたらせ鉄道に乗る
④ 田中正造記念館に行く
もちろん、城山三郎の「辛酸──田中正造と足尾鉱毒事件(角川文庫)」は1週間前ほどに読み終えている。初めての場所ばかりなので楽しみにしていた。
                                 (令和元年作)




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暴風津波

堤防を壊し暴風津波来る



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台風15号の影響が今なお続いている。千葉の市原市のニュースが大きく報じられたためか、私の会社のある横浜市金沢区の工業団地のことはあまり報道されていない。それでもあちこちから問い合わせの電話が入る。
「日向さん、台風の影響はどうでしたか?」
「ありがとう。幸いにも工場は大丈夫です。しかし周辺の会社は大変なようです」
台風が直撃したのは9月8日(日)深夜である。目が覚めると風も小止みになり、雨もそれほどでもなかったので、いつもより少し早めに家を出た位にしてノンビリと構えていた。車が工業団地の入口付近に着くといつもは混まない場所に車が並んでいた。しばらく待っていたが信号1つで車1台しか進まない。<何かあったな>と思い、違う道に回ってようやく会社の近くまで辿り着いた。あと少しで会社という場所に到達して立ち止まった。
<どうなっているのだろう?いつもなら次々と車が走っているはずの道なのに1台の車も走っていない>
不審に思いながらも進んでいくと道が冠水していて川のようになっている。
<ワワワ、ヤバイ、ヤバイ。浸水してしまう>
慌ててバックして戻った。どこに迂回しようかと海側の道に回ってみたが、道という道が全て冠水している。どっぷりと水に浸かって乗り捨てられている車もある。会社に電話してどの道を行けばいいかと聞くと山側だという。遠回りしながらもその通りに走ってようやく会社に辿り着いた。
まともに会社に到着した従業員は約半数である。渋滞で車が動かない。電車が止まっていて身動きが取れない。バスが来ないなどの連絡が入り、休みと決めた数名を除く全員が揃ったのが昼過ぎである。建物の一部に浸水した個所があったが何ほどのことでもない。いつも通りに仕事に取り掛かった。
しかし知らないところで事態は深刻になっていた。当社のすぐ近く、海側にある会社の社長から入った連絡では相当のダメージを受けているという。
「1階にあった機械や製品が海水に浸かって全部ダメになってしまった。停電していて何も動かせない。保険でやろうと思うけどどこまで補填されるのか分からない。納めなければならない仕事もあるが一向に目途が立たない」
聞けば聞くほど深刻な事態である。そのうち、あちこちから情報が集まって来る。堤防が崩れたらしい。スクラップ会社のゴミが流され散乱しているらしい。道路が浸水して時間が経つほどに泥水となり異臭を放っている。どこそこの会社が大変らしい。機械が全部ダメになったらしい。知っている会社の名前が次々と挙げられる。
<大丈夫だろうか?>
月曜日はもちろん近づけない。火曜日も道はドロドロしていた。ようやく木曜日になって堤防まで行ってみた。大きく壊れていた(写真)。どの会社も後始末に大変で仕事どころではない様子である。知っている会社には近寄りがたい。物見高く思われるのも嫌であり、きっとそれどころではないはずである。ニュースによると100社近くが海水に浸かったらしい。
<こんな形で被災するとは………>
一日も早い復興を願うと共に今後の対策には万全を期してもらいたいと願うばかりである。
                                 (令和元年作)
(注)道川虹洋先生から20年ほど前に教えていただいた「暴風津波」という季語を使う時が来ようとは……。




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夜学子

夜学子に理解及ばぬ定理あり



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妻から映画に誘われた。菅田将暉主演「アルキメデスの大戦」である(写真)。
私「何の映画なの?」
妻「戦艦大和の製造に係わった数学者の話みたいなんだけど……」
私「ふ~ん、なんでアルキメデスなんだろう?」
妻「そこまでは分からない」
アルキメデスの原理って何だっただろう。パスカルの原理とゴッチャになっている。「容器の中の液体に圧力を加えると、同じ強さで液体のすべての部分に圧力が伝わる」というのがパスカルで、「液体の中の物体は、その物体が押しのけた液体の重さと同じ大きさの浮力を上向きに受ける」というのがアルキメデスである。
<ああ、船の浮力の計算だからアルキメデスなのか>
映画は戦艦大和の沈没シーンから始まった。そしてその世界最大の戦艦を建造するか否かを決める日本帝国海軍の最高会議のシーンに遡る。建造推進派が提出した見積金額に対し、反対派が「そんな安い価格で出来るはずがない」と疑義を申し立てる。「何かカラクリがあるはずだ」「本当に掛かる費用はいくらなのか」反対派はその金額を算出する必要に駆られる。限られた期限の中で僅かな資料を基に本来要するだろう費用を算出していくのが菅田扮する海軍主計少佐である。天才的数学力を以て見事に金額を算出していく。圧巻は参謀たちを前にして黒板に計算式を書き入れ、金額を算出していくシーンである。<演技とはいえ、よくもあれだけの数式を暗記したものだなぁ>と菅田将暉の凄さに圧倒された。
私「面白かったなぁ」
妻「良かった(笑)」
私「菅田将暉ってあんまり知らなかったけど、見直したよ」
妻「なかなかの演技力だったでしょ」

このブログを書きながら「ピタゴラスの定理」について考えていた。「直角三角形の斜辺の2乗は、直角を挟む辺を2乗して足したものと等しい」である。
10年程前、会社にベトナム人研修生が3名いた。3年間「機械工」として働いてもらった。実際の職場は機械工1名、板金工1名、塗装工1名であったが、1年が経ち「機械工」としての試験を受けることになった。実技試験である。機械工として働いていた1名は何の問題もなくクリアしたが、他の2名は落第した。やったことのない作業なので1ヵ月間練習しても上手くいかなかったのである。聞きつけた私は「なぜ落ちたのか」を検証するため、同じ作業を目の前でやらせてみた。その時、図面に寸法が記入されていない個所を見つけた。
私「ここの寸法が分からなければやりようがないだろう。だから面倒なやり方になっているんだ」
職長「社長、この寸法は難しいですよ」
私「バカヤロー、ピタゴラスの定理で計算すれば簡単に出るだろう」
職長「何ですか、ピタゴラスって?」
職場全員に「ピタゴラスの定理を知っている者は手を挙げろ」と言うと誰の手も挙がらなかった。<こいつら、学校で何も勉強してこなかったな>と思った。その反面、ベトナム人は3人が3人とも正しく理解していた。当社従業員のレベルが低過ぎるのか日本の学校教育の方法が間違っているのは分からないが、ベトナム人には確実に負けていることだけは確信した。
                                 (令和元年作)




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秋出水

川の名にペンケパンケや秋出水



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洞爺湖から歌志内まで150キロはあっただろうか。走りに走ってようやく戻って来た。歌志内を流れるのはペンケウタシナイ川、上砂川を流れるのがパンケウタシナイ川である。「ペンケパンケ」とはアイヌ語で「上と下」を意味する。
泊まりは上砂川の「ペンケの湯」である。予約したが手続きされていなかった「チロルの湯」や急遽そこで紹介された「浦臼の湯」のことを踏まえて<またどんなことになるのだろう>と身構えてもいたが意外としっかりした対応と想像以上に広い部屋が用意されていた。夕食も別の広間を貸し切って使わせてくれて、家族だけでゆったりと最後の夜を過ごすことが出来た。満足、満足である。

翌朝、またまた早く起き出して上砂川駅の方まで一人で出掛けてみた。駅舎は上砂川線の廃線に伴って使われなくなっていたが、ドラマ「昨日、悲別で」を記念して保存されている。現役で使用していた時とは建物の向きを変え、位置も少し移動したようである。鍵が掛かっているかと思いきや、ドアが開いた。中に入ってみた。プーンと黴臭いような匂いがした。当時のポスターや写真、シナリオなどが展示されていた(写真)。中を見て歩きながら昔のことを思い出していた。上砂川駅前に靴屋があり、そこの息子と私が高校で同じクラスだったのである。私が「ひ」で彼が「ふ」だったのでいつも続けて名前を呼ばれていた。東京で彼と会った。私が大学生で彼は働いていた。いや、浪人生だったかも知れない。どうやって連絡を取り合ったのかは忘れたが新宿あたりで飲んだような気がする。私も荒んだ生活をしていたし、彼も何となくヤバそうな雰囲気だった。楽しい酒という訳ではなく覚めたような気まずい酒になってしまったことを覚えている。45年も前の話である。あれ以来、連絡も取らず消息も聞いていない。今も靴屋はあるようなので電話一本で分かることなのだが、なにか怖いような気がしてそのままにしている。
外に出てその靴屋の前まで歩いてみた。早朝なのでシャッターは下りたままである。建物は昔と変わっていない。
「昨日、悲別で」の主人公「リュウ」や「おっぱい」「駅長」なども都会に翻弄されながら必死に生きていたが、自分も同じように不安な思いを抱えながら生きてきたような気がする。あの頃のことを思い出すと、今こうして普通に生きていることの方が不思議に思えてくる。
宿に戻って朝食を済ませ、すぐに実家に向かった。仏壇を拝んだ後、親戚の墓参りに出掛け、再び実家に戻ってしばらくしていよいよ出発である。「いろいろと有難う。身体にだけは気をつけて」と母に言われ「……」返す言葉が見つからない。家の横に立って見送ってくれる母の姿をしっかりと目に焼き付けようとするのはいつものことだが、見ようとすればするほど歪んできて見えなくなってしまう。
                                 (令和元年作)




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登山道

母が子に背ナで教へる登山道



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翌日は晴れていた。歌志内に戻る日だが時間はたっぷりとある。朝食後にまた<どこへ行こうか>の話になった。
私「馬に乗ろう。この近くに乗馬クラブみたいのがあった。思い出になるぞ~」
娘「そうよね、怖がると思うけど、行けば何とかなるだろうから(笑)」
「要予約」となっていたので、フロントに行って申し込むことにした。フロントではすぐに先方に電話をしてくれたが、当日分はすでに予約で一杯だという。
私「へェ~、満杯かぁ。考えることはみんな同じだなぁ(笑)。じゃ、昨日登れなかった有珠山に登ろう。天気もいいので洞爺湖も太平洋も一望出来るんじゃないか?」
チェックアウトのあと、昨日と同じコースで有珠山へと向かった。ケーブルカー乗り場はゴッタ返していた。
私「すごい人だなぁ。そうか、今日は日曜日か。だからこんなに混んでいるんだ(笑)」
団体客と乗り合わせてギュウギュウ詰めになりながら登っていった。着いた場所には何もない。右に行けば洞爺湖方面を望む展望台。歩いて1分ほどで、すぐにでも行ける距離である。左に行けば有珠山の火口を望む展望台だが、これは相当な距離を歩いて登らなければならない。普通なら何も考えずに左に歩き始めるところだが、89才の母がいるのでそうもいかない。
私「どうしようか?」
妻「どうしよう」
カズ君は常備された杖の中から好きなものを選んで振り回している。行く気満々である。
私「どこかで休んで待ってる?」
母「いや、大丈夫だ。行ける所まで行ってみる」
<本当に大丈夫かなぁ>と思いながらも、<キツければ戻って来ればいい>と考えて歩き始めることにした。杖も選んで準備万端である。最初は緩やかな下りである。結構な距離を下った。その後の上りは階段である。坂の傾斜に合わせて奥行きの広い階段が続き、急坂になるに従いその幅が狭くなるというものである。母も登り始めた。気合を入れたようである。スタスタスタと勢いが良い。<大丈夫かなぁ>
私が小学6年生の時、校舎の周りを何周も回る長距離走があった。上がり下がりの難コースである。その日の朝、母から言われたことを今でも覚えている。<自分が苦しい時は人も苦しいもんだ。苦しい時こそ人より前に出るもんだ>
イヤイヤイヤ、命に係わる話である。無理はしないでもらいたい。子供に伝えた教訓を今の自分で証明しようとしているのではないだろうか。ムリムリムリ。止めたほうがいい。山の上では救急車も呼べない。
母は階段の横の土の部分を歩いた。階段は使っていない。一段一段力を入れて段を上がるより、土の方が楽だという。我々より少し遅れるようになりながらも、途中1回休んだだけでとうとう上り切ってしまった。134段。標高573mに登頂成功である(写真)。
<苦しい時こそ人より前に出るもんだ>
肝に銘じた。
                                 (令和元年作)




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起し絵

起し絵の男に曰くありげなり



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カフェ「ゴーシュ」を出てホテルに戻る途中、湖畔に大きな彫刻があるのを見つけた(写真)。急ブレーキを掛けて停車し、すぐ横にある駐車場に車を停めた。有珠山噴火記念公園という。作品の名前は「月の光」である。写真を撮ろうとして車を降りた時、その彫刻の横に知っている人の姿を見つけた。若いアベックである。知っていると言っても知人という訳ではない。その日2度ほど見掛け、それが3度目の出会いとなった二人である。女性がとても綺麗な人で、しかもホットパンツなどを穿いていたので印象に残っていたのである。先方が私のことに気付いているかどうかは分からないが、ここは声を掛ける場面である。
私「こんにちは。今日はよく会いますね」
女性「???」
私「火山科学館に行きましたよね」
女性「あっ、ハイ(笑)」
私「その後、ウニを食べに行った」
女性「あっ、そうです!ああ、ご家族で一緒の……」
私「そう、そう」
女性「お一人なんですか?」
私「今、一人でコーヒーを飲んで来たところです。写真を撮りましょうか?」
女性「お願いします(笑)」
ということで、二人のツーショットのシャッター係を請け負うことになり、それからいろいろと話が始まった。彼女が横浜、彼氏が東京で学生、泊まっているホテルは私達が泊まっているホテルの隣ということが判明してくる。
私「1日に3回も会うなんていうことはなかなか珍しい。余程縁があるのか、洞爺湖が狭過ぎるのか(笑)。これをブログに書いてもいいですか?」
女性「ブログをやってるんですか?ええ、もちろんいいですよ。何というブログですか?」
私「『ひこばえ』といいます。よかったら見てください。その時、お二人のツーショットの写真をそこに載せてもいいですか?」
女性「ええ、いいですよ(笑)」
男性「いやいや、ちょっと、僕はマズイ」
女性「えっ、どうして?」
男性「だって、マズイよ……」
女性「どうして?どうして駄目なの?」
私「まあまあ、じゃ、写真は止しておきましょう。記事は書きますので読んでくださいね」
女性「はい、楽しみにしてます」
この文章を読んでくれているかどうかは勿論分からないが、それよりも何よりもあの時私のせいで険悪な事態にならなかったかどうかが気になっている(笑)。
                                 (令和元年作)




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紫陽花

紫陽花を活けて湖畔のカフェテラス



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コーヒーが出来るまでキョロキョロしながら待っていると店の奥から男性が出てきた。大泉洋である。原田知世と何か言葉を交わしているが何を話しているのかは聞こえて来ない。コーヒーが運ばれてきた。
女性「お待ちどうさまでした」
私「ありがとございます。撮影は全然駄目なのですか?」
女性「はい、ご遠慮いただいております」
私「遥か遠くからやって来たんですけど……たった一枚の写真のために(笑)」
女性「……」
コーヒーとミルクと砂糖を置いて無言で去っていった。<ムムムム、原田知世には冗談が通じないようである>
こういう場合は諦めるしかない。とは思いつつ、カウンター越しに話し掛けてみた。
私「小説を読んで来たんですけど、そういう人って多いですよね」
女性「はい」
私「何かメモリアルになるようなものってありますか?」
女性「特に……」
<手ごわい。諦めよう。もういいや>と思った。
都合20分もいただろうか。会計をお願いした。お金を払いつつ‥‥
私「あのテーブルに飾っている白い花は何という花ですか?」
女性「アナベルといいます」
私「庭に咲いているやつですね?」
女性「はい、結構長い間咲いています」
私「形はアジサイに似てますけど、アジサイの仲間なんですかねぇ?」
女性「そうです」
この会話だけは自然だったような気がした。
<結局、俺は何をしに来たのだろう>と思いながらも、このアナベルを知っただけでも良しとして帰ることにした。
写真はアナベルとカフェ「ゴーシュ」の全景である。薪を積み上げているところを見ると室内に薪ストーブがあったようである。詳しく見たり聞いたり出来ないというのはとても残念なことである。小説「しあわせのパン」の中では傷心の人達を暖かく慰めてくれたカフェ「マーニ」であったが、実際のお店はまた違った趣を展開していた。「マーニ」とのギャップをどう埋めるかで苦労したのかも知れないと考えていた。
                                 (令和元年作)




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サングラス

もてなしの心にもあるサングラス



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食事を終えてホテルに戻った。妻は本を読み始め、母と娘とカズ君は湖畔で白鳥のボートに乗りに行ったようである。私はすぐに車で「しあわせのパン」のモデルとなった月浦という場所にあるパン屋さんを目指した。店の名前はカフェ「ゴーシュ」。小説ではカフェ「マーニ」となっていたが、実際の店の名は「ゴーシュ」のようである。
住所が「月浦150-2」なのでカーナビに入れようとすると「150」が見当たらず、しかたなく近い数字の場所を選択した。湖畔の道を走りながら10分ほどで月浦に到着した。しかし店の位置が特定しない。それらしき看板を目当てにグルグルと回り、ようやくその店に到着した(写真)。車が1台停まっていた。東北ナンバーなので先客だと思った。ドアの外から店内が覗けないのでどんな雰囲気か分からない。<入りづらいなぁ>と思った。入ると左にカウンター、右にテーブル席、奥に一段上がって4人掛けのテーブルがあった。但しその一段上がった場所にはピアノとチェロが置いてあり、上がるにはスリッパに履き替えなければならない。一人では上がって行きづらい感じがする。
女性「いらっしゃいませ」
原田知世が挨拶する。ひと言だけである。<どこに座ろうか……>カウンターには先客のアベックが座っているし、奥には行きづらい。どう考えても右側のテーブル席しかないようである。座った。最初に目に飛び込んできたのはテーブルの上に置かれた「撮影禁止」の札である。<ムムムム、ブロガーの私にとって最も嫌いなものが……>
まずは店内を見渡した。パン屋ではないことはすぐに分かった。小説では大泉洋がパンを作っていたので勝手にパン屋と思い込んでいたのである。メニューにはたくさんのコーヒーが書かれていた。ケーキも注文出来るらしい。女性がメニューを持って来た。
私「ホットをお願いします」
女性「コーヒーにもいくつか種類を用意しておりますので、どれかお好きなものを選んでいただきたいのですが……」
<ムムムム、イヤなパターンだなぁ>コーヒーなどに拘りはない。また選ぶにも知識がない。とんでもないものを選んでしまいそうである。想像するにキリマンジャロとかコロンビアとか出ていそうなものだが、水出しとか深煎、浅煎とか書いていて銘柄を選ぶのではなさそうである。<水出しとは何だ?水からコーヒーを沸かすのだろうか?時間が掛かり過ぎだろう……>結局は上から2番目のものを注文した。何というコーヒーだったかは覚えていない。私が純粋にコーヒーを楽しみに来たのではないことはすぐに気付いたはずである。
私が注文してしばらくしてアベックが席を立った。ほとんど会話をしていない。原田知世も話し掛けていない。店内には「無言でいる」というルールがあるような気がした。
                                 (令和元年作)




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