2019年07月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年07月の記事

虎が雨

高麗山に老女ありけり虎が雨



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名店「なか卯」の中で店の位置を確認すると、ちょうど平塚と大磯の中間地点にあることが分かった。平塚までまた同じ道を戻るというのも面白くないので大磯を目指すことにした。出てすぐに「花水川」があった。平塚と大磯の間を流れる川である。梅雨で増水しているのかも知れないが、普段の流れを知らないので滔々とした流れに見えるだけである。向かいに「高麗山(こまやま)」がある(写真)。形がいい。歌川広重が「東海道五十三次」の「平塚」の絵の中央に大きく描いたのも頷ける話である。その山の周囲を巡るかのようにして大磯駅を目指した。
橋を渡ってすぐに「高来神社入り口」という交差点があった。いつもなら入って行くところだが、駅まで相当な距離を残しているので素通りすることにした。その先をしばらく行くと今度は「虚空蔵堂」というお堂が現れた。
「虚空蔵と熊野権現を祀ったお堂があり(現存)、ここに下馬標が立っていた。大名行列もここで下馬し、東照権現の併祀された高麗寺に最敬礼をして静かに寺領内を通った」と書かれている。
<なになに!>高麗寺と高来神社とは同じもののようである。大名行列も下馬したほどの神社を見逃してしまったようで戻ろうかどうしようか迷ったが戻るには進み過ぎている。
<よし、来週、来た時に寄ってみよう。それしかない!>と思った。
実は1週間後の土曜日に昨年接待を受けた「翠渓荘」にまた招かれているのである(平成30年10月27日、ひこばえ「秋」)。妻も「またぁ!」と言いながらも付き合ってくれることになっている。昨年に続き今年も大きな機械を導入したので「同じ場所ですがお付き合いください」と誘われたのだ。宿泊のその翌日に高来神社に寄ってみようと思ったのである。
<よしよし、少しその辺りのことを調べてから来ることにしよう。楽しみ~>

大磯駅に着いて軽く一杯飲みたくなった。駅の向かいに喫茶店のような店があったので入ってみた。
「いらっしゃいませ」
「ビールをお願いします」
「あのぉ、すみません。ここはアルコールを置いていないのですが……」
「あっ、そう。じゃ、アイスコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
咽喉が乾いていたので別にビールでなくても良かったのである。通りに面したカウンター席に座り、スマホで「高麗山、高来神社」と検索してみた。高来神社について読んでいると虎御前のことが書かれている。「曽我物語」の主人公「曽我十郎」の恋人であり、生涯を十郎の鎮魂に捧げた人である。その虎御前が出家をした場所が高来神社だという。また晩年を高麗山の辺りで過ごしたとも書かれていた。十郎が亡くなった旧暦5月28日に降る雨を虎御前の涙「虎が雨」という。
                                 (令和元年作)




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梅雨出水

見附より見張るは賊と梅雨出水



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祭り会場の外れに「平塚宿」の絵看板が立てられていた。立てたばかりなのか妙に新しく、とても分かりやすいものになっていた。江戸寄りの入口「江戸見附」から京寄りの出口「京方見附」までが俯瞰され、様々な史跡が一目で分かるようになっている。制作者の「緑と歴史のまちなみづくり、平塚宿まちなみ景観協議会」という名前が如何にもお役所らしい。その横に見附跡という石垣があり、上に竹矢来が組まれている(写真)。雨は止み、傘は不要となっていたが、風は相変わらず強い。
「本来、見附は城下に入る門を示す『城門』のことをいい、城下に入る人々を監視する見張り場の役目を持っていた」と説明文に書かれている。
<フムフム、赤坂見附、四谷見附とは、そんな役割を果たした城門だったのか。知らなかった>
頻繁に赤坂見附に行く割には、<ボーッとして生きてきたなぁ>と疑問も持たずに過ごしてきたことを反省する。
「二か所の見附の間が平塚宿内で、東西に1.5km、中に本陣、脇本陣、東西の問屋場二ヶ所、高札場、旅籠などがあり、江戸時代には200軒を超える町並みが続いていた」とある。
見るところ、町並みはもうない。道幅は広いが江戸の名残りなどは望めそうもない。絵地図に書かれた本陣その他の建物もみな「脇本陣跡碑」「高札場跡碑」「問屋場跡碑」であり「本陣旧蹟碑」である。<空襲にでも遭ったのかなぁ>と考えていた。
その「平塚宿」を京方面に歩いてみることにした。歩き始めてすぐに空腹を覚えた。朝から何も食べていないのである。ここ数カ月、朝食を抜くようにしているのだが、さすがに起きて6時間も経つと昼まで何も食べないという訳にもいかない。平塚駅前でどこかに入ろうかとも思ったのだが、歩き始めてしまい、今、店のない場所に差し掛かっている。コンビニもない。いくつもの「跡碑」を見つけたが、ただの棒杭のようにしか見えない。それより食べる場所がないか、気になっている。
通りの向こうに「高麗山」が見える。<あの先に大磯があるのかぁ。フー>
ようやく「京方見附」に達した。「高麗山」も近くに見える。しかし、それよりも何よりも食べる場所が気になる。
<あった!「なか卯」だ!>
入ったことはないが入るしかない。腹が減るというのは知的興味以上に人間を行動的にするようである。風に背中を押されながら自動ドアから入り、お勧めと書かれた「酢だち卸しうどん」(490円)のチケットを自販機で買った。
「お待たせしました」
「おー、待ちかねたよ(笑)……いただきます」
<美味い!>
大根おろしと酢だちの風味、冷たいうどんの絶妙な歯ごたえ。
<なか卯という名店があったじゃないか!ボーっとして生きてんじゃねーよ!>
                                 (令和元年作)




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洗車雨

洗車雨の濡らせし街となりにけり



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家に帰って早速20文字の練習である。1文字1文字、まずは何回も練習して書き順や形を覚えることに専念した。すぐに一通り書けるように思えてくる。半切1枚に膝付きのポーズでチャレンジしてみる。丁寧にと言われたが、あまり丁寧にやっているとスピード感に欠けるような気もする。かと言って、文字の形も掴まないうちにスピードよくやると、ただの乱暴な字になるだけである。<焦ることはない。紙は100枚ある。駄目ならまた買いに行くだけだ。ゆっくり時間を掛けてレベルを上げて行こう>

翌朝、日曜日。早く起き出して、まずはビデオに撮った「なつぞら」と「如懿伝」を観てすぐに習字の練習を行なった。<フゥ~、根を詰め過ぎても良くないなぁ>
急に今日が7月7日であることに気付いた。
<七夕かぁ。雨だけど、平塚にでも行ってみるか>
どういう訳か、今まで平塚の七夕を見に行ったことがない。雨模様だがそれほどのこともない。何時からどんなイベントをやっているのかも調べずにまずは出掛けてみることにした。家人はまだ寝ている。8時に家を出た。
電車の中で「工場改善」の本などを読んでいる。読みかけなので終わらせたいのだ。習字、七夕、工場改善とバラバラな自分がいる。9時に平塚に到着した。駅を出ると霧雨のような雨が降っていた。傘を差している人もいれば、手に持っているだけの人もいる。商店街に七夕飾りが吊るされて、ここがメインストリートなのだろうかと思ってもみる(写真)。屋台も並んでいるが、さすがにまだオープンはしていない。準備中だったり、人がいなかったりしている。たしか金曜日も土曜日も雨だったはずである。織姫と牽牛どころではない。<この雨のことを何と言ったっけ>などと考えながら、通りを進んでいった。風が強い。
広い通りに出た。交通規制がされて両脇に屋台がびっしり並んでいた。交通整理の男性が立っていて、自転車で横切ろうとする人を見つけては「この中では自転車に乗らないでください。降りて歩いてください」と呼び掛けている。しかし降りる人はいない。制止を振り切って自転車は通り過ぎるばかりである。
私「人がいないんだからいいじゃないですか(笑)」
男性「今はいいんですけど、これから人が増えて来るとぶつかったりするんですよ。昨日も大騒ぎしました。警察を呼んだりして大変でした」
私「なるほど」
そう言っている横をまた自転車が通り過ぎていく。
私「この辺りに平塚の宿場町の跡ってないですかなぇ」
男性「ああ、すぐそこに昔の門の跡がありますよ。ここを真っ直ぐです」
雨の中とはいえ折角の平塚なので歴史散歩をしてみることにした。
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梅雨じめり

梅雨じめり滲みし反古を丸めけり



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一週間後の7月6日(土)、塾に着くと雨模様にも拘らず混み合っていた。
先生「おっ、日向さんが来た来た(笑)。じゃ、いる人の分の手本を渡そう。全部並べるからね」
そう言ってお手本を貼り出した(写真)。生徒の名前が書かれているので、誰の分かはすぐに分かる。
Aさん「おお、日向さん、難しそうですねぇ」
Bさん「ホントだ。字数が多いし、難しそうな字が多い」
私「やり甲斐、あるなぁ(笑)……とは言ってもホントに大丈夫かなぁ」
先生「一字一字、丁寧に書いていけば大丈夫だよ」
私「先生、この簾っていう字の書き順はどうなってるんですか?」
先生「こうだよ」
私「この長いっていう字は?」
先生「こうだよ」
私「流れるっていう字の点はいらないんですか?」
先生「あっても無くてもいい。まず字典で調べた方がいいんだよなぁ。いろんな書き方があるから、それを調べた上で練習した方が身に付くと思うよ」
私「ま、勉強するよりも先生が書いた通りに書く方が確実です。その方が手っ取り早い(笑)」
先生「どうでもいいけど、書いたらすぐに持って来てよ。3ヵ月って意外と時間がありそうでないから」
全員「はい」
私「先生、半切っていうのを始めて買うんですけど、お勧めの紙ってありますか?」
先生「普通の紙で大丈夫だよ。〇〇(文具屋)で私の名前を言えば相談に乗ってくれるし、安くしてくれるはずだから」
私「あそこにちょっと太った女の子がいますよね。あの子は本当に愛想が悪いんで参っちゃいますよ。前回買いに行って先生の名前を出してもフンって感じでしたからね」
先生「ああ、あの子ね。あんまり愛想良くないよなぁ(笑)」
私「あっ、分かりますか。先生もそう思うようじゃ、余程なんだなぁ。あの子じゃない子から買わなくちゃ(笑)」

練習もそこそこに切り上げてすぐに文具屋〇〇に出掛け、半切100枚と墨汁を買ってきた。店には例の女の子もいたが、今回は違う店員に声を掛けて選んでもらった。ついでに墨池というものも買ってきた。先生と同じように膝を付く姿勢で書くことになるので普通の硯では不自由だろうと思ったのである。兎に角、やる気満々である。20文字に挑戦するというだけでこんなに嬉しいとは。目標を持つことは大切なことである。
                                 (令和元年作)




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来ぬ人を待つともなしに蛍の夜



如意



家に帰っても上機嫌である。
私「やったぁ、20文字に挑戦。五言絶句。国破れて山河ありだ!」
妻「楽しそう(笑)」
<さて、どの漢詩にしようか>である。最初に考えたのが魏の曹操、曹丕である。ついこの間までBSで観ていた「司馬懿」の中でいい詩を読み上げていたような気がした。<あの中に五言絶句があったのではないだろうか?>調べると長いものばかりである。古詩と言われる時代のもので長くて話にならない。有名な「豆を煮て羹(あつもの)となし」は曹丕の弟の曹植の詩だが、これもやはり長い。先生に言われた通り五言絶句を探すしかない。
日曜日の朝、本棚の中から昔買った本を引っぱり出して読み始めた。「漢詩のたのしみ」である。ペラペラと捲って五言絶句だけ探せばいいところだが最初から読み始めた。面白い。漢詩の基本中の基本が書かれている。読んでいくと途中でいい詩を見つけた。<これだ!>「玉階怨」という。すぐに今観ている「如懿伝」を思い浮かべた。<よし、これにしよう!>即決である。すぐに先生にメールを入れた。「玉階怨」にも2つあるようなので、間違わないようにと20文字も打ち込んだ。先生からは連絡がない。届いたかどうか分からないので電話を入れてみた。
私「先生、昨日はどうも有難うございました。早速、書きたい詩を見つけましたのでメールを送りました」
先生「今、見ていたところだよ。これは何の詩?」
私「これは宮殿の女官の話です。皇帝が夜訪ねて来てくれないので、それを怨んでいる詩です」
先生「そうなの?またいいのを選んでくるね(笑)」
私「大丈夫ですか?」
先生「ああ、頑張ってみるよ。来週、手本を渡すから」
私「お願いします。楽しみにしてます(笑)」

「司馬懿」が終わってガッカリしていたところに始まった「如懿伝」である。「あまり面白くないなぁ」と思いながらも回数を重ねる毎に止められなくなっていき、今では毎週日曜日の朝が楽しみになっている。
清の第6代皇帝「乾隆帝」(1711-1799)の後宮での女の争いを描いたものである。

夕殿下珠簾 (夕殿 珠簾を下ろし)
流蛍飛復息 (流蛍 飛んで復た息う)
長夜縫羅衣 (長夜 羅衣を縫う)
思君此何極 (君を思いて此に何ぞ極まらん)
                                 (令和元年作)




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硯洗う

丹念に洗ふ硯に願ひあり



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6月30日(土)書道塾。いつもの時間に行くと女性が1人いるだけである。いやに少ない。雨模様の天気を敬遠したのかも知れない。着くなり先生から秋の書道展の話をされた。これから3ヵ月掛けて練習に取り掛かるのでまずは参加申込みと紙の大きさ、額のことなどを決めてくれという。<ああ、また10文字かぁ>と余り気乗りがしない。段位は準5段まで上がっているのだが、長い半切に20文字30文字と書く練習をしたことがないので<どうせまた10文字だろう>と諦めている。
先生「今年はどうする?去年は半切だっけ、1/2だっけ?」
私「どっちなんですかね。文字数は10文字でした」
先生「ああ、それじゃ1/2だ。今年もそれで行くか」
私「少し文字数を増やしてくださいよ。また10文字じゃファイトが湧かないですよ」
先生「じゃ、来週まで何を書くか決めてきてよ。いいよ、何でも」
私「何でもと言われてもなぁ……」
席に戻って習字の練習を始める。
女性「去年は10文字だったんですか?」
私「そう、その前の年も10文字」
女性「書きたいものはないんですか?」
私「そりゃ、ありますよ。昔、習った漢詩ですけど、いつかはあれを書いてみたいと思ってます」
女性「じゃ、それにすればいいじゃないですか。書きたいものがあるって素敵ですよ」
私「とは言っても実力が伴ってないからなぁ……」
先生「何ていう詩なの?」
私「それ天地は萬物の逆旅にして光陰は百代の過客なり、而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞっていうんですけど……出だしです。高校の時に宿題で丸暗記した漢詩です」
先生「題名は?」
私「春夜の宴がどうのこうのというんですが、はっきりは覚えてません」
それから二人ともスマホなどで調べてくれて「春夜宴桃李園序」という李白の詩であることが分かった。
先生「あった、あった、これかぁ。随分と長いなぁ」
私「途中で切ってください。それにします。やってみます」
先生「駄目、駄目、詩は途中で切るもんじゃないんだよ。そんなことは出来ないよ」
私「大丈夫ですよ、先生。切りのいいところまで書きますから」
先生「駄目だって。詩を途中まで書くというのは基本的に駄目なんだよ。文字数は増やしてもいいけど、途中で切るのはよくないよ」
私「えっ、文字数を増やしてもいいんですか」
先生「大丈夫だよ。まだ日があるんだから練習さえしっかりやれば物になるよ」
私「20文字くらいでもいいですか」
先生「う~ん、大丈夫だろう。その代わり練習だけはしっかりやってよ(笑)」
私「ハイ、大丈夫です。ガンバリます!やったぁ、20文字。五言絶句だぁ。来週までに決めてきます(笑)」
                                 (令和元年作)




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夏越祭

夏越祭前のこの海このしづけさ




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先日、工場を歩いているといつも私のブログを読んでいてくれるK君から声を掛けられた。
「社長、梅が咲いていたんですか?」
「梅?ああ、梅ね。梅の花じゃなくて梅の実だよ、青梅。梅の実が生っていたんだよ」
「そうなんですか。なんで梅なんだろうと思いました(笑)」
6月28日のひこばえ「梅は実に天神様は坂の上」を読んでくれてのことである。
「天神様って菅原道真のことだよ。学問の神様。その天神様には必ず梅の木が植えられているんだよ」
「へぇ~、そうなんですか」
「そうだよ。菅原道真が詠んだ和歌に有名な梅の歌があるんだよ。え~と、有名だと言いながら、すぐに浮かんでこない(笑)。とにかく、天神様と梅とは切っても切れない関係なんだよ。天神様の句に違う植物を持って来てもなかなかいい句は出来ない。俳句ってそういうものなんだよ」
「結構、奥が深いですね」
「そうでもないけどね(笑)。天神様にお参りして俳句の題材はないかとキョロキョロする。一句、作りたいと必死だからね(笑)。狛犬があったり、大きな牛の置物があったりする。源頼朝が腰掛けた石なんかがあったりして注連が張られている。普通の俳人ならこの辺りでスラスラと出てくるところかも知れないけど、才能がないんでそう簡単には出てこない(笑)。見ると梅の木がある。近づいてみると実が生っている。ああ、『梅は実に』だぁ。やっとここで季語が決まる」
「ふ~ん」
「季語が決まれば、あとは簡単。どうとでも作れる。あの天神様の特徴は急な石段を上っての高い場所だからね。自ずと『天神様は坂の上』ということになる。大した句じゃないけど、あの石段を上ったことは私も妻も忘れないだろうから、この句を見ればあの天神様を思い出すということになる。俳句は自分史だからね。思い出づくりだよ」

K君が私のこのブログを読むようになったのは平成26年7月21日付のひこばえ「夏越」からである。地元の富岡八幡宮で行われた「祇園舟」というお祭りに当時小学1年生だったお嬢さんと一緒に来ていたK君と出会い、「祇園舟のことを書くから読んでみて」と頼んだのが契機となって読むようになってくれたのである。先日そのお嬢さんとも5年振りで会うことが出来、とても可愛らしい6年生になっていて月日の早さを覚えたものである。
                                 (令和元年作)




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五月晴

五月晴声高らかに乾杯す



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『皆さん、こんにちは。只今ご紹介をいただきました中込製作所の日向と申します。
先日、磯子支店の平野支店長が会社に訪ねてまいりまして、いきなりこの総代会の後の懇親会で乾杯の挨拶をしてくれと言います。「おたくの理事長のように話の上手い人もいれば、私のように口下手で上がり症の人もいる」ということで「とてもとてもそんな大切な役目はお受けできない」とお断りをしました。すると「それでは」ということで「懇親会のあとの締めの挨拶はどうでしょうか」と聞いてきます。「世の中で最後の締めの挨拶ほどイヤなものはない。人が楽しく飲んでいる間もそれが気になって気になって、落ち着いて酒も飲んでいられないことになってしまう。絶対にそれだけは勘弁してくれ」といいますと「それではやはり乾杯の音頭を」ということになってしまいました。
このようにたくさんの諸先輩がいらっしゃる中で甚だ僭越ではございますが、そのような経緯がございましたのでご了解いただきたいと思います。

当社も創業以来、ずっと「かな信さん」にはお世話になっております。何十年も働いてきている訳ですから、そろそろ無借金経営などというものをしてみたいものですが、借金と言う財産だけは増える一方のようで、経営者としての実力の無さを痛感しております。
何年か前に総代というものに選んでいただき、総代会には毎年参加させていただいておりますが、毎期毎期黒字を続け今期も67回目の連続黒字という「かな信さん」には本当に素晴らしいものだと感心させられております。
また、平松理事長になられましてからの「かな信さん」の変化、成長ぶりには驚かされるばかりです。いつも壇上でニコニコと優しげに話をされている理事長ですが、おそらく仕事をしている時の顔は別の表情をされているに違いありません。これだけの変化をさせていく訳ですから、きっと鬼のような顔をして仕事をしているのだろうと勝手な想像をしております。自分も会社の中に於いては常に厳しくありたいと願っています。この総代会に来るたびに刺激を受けているものの一人です。
これからも「かな信さん」には引き続きご指導をお願いするばかりです。
平野支店長からは「短くてもいい」と言われておりますし、また「長すぎては駄目だ」と釘も刺されておりますので、この辺りで乾杯に移らせていただきます。

それでは「かながわ信用金庫」様の益々のご発展と本日ここにお集まりの皆様方のご健勝ご多幸、またそれぞれの企業のご隆盛を祈念いたしまして乾杯をさせていただきます。ご唱和お願いします。乾杯!』
                                 (令和元年作)




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麦茶

麦茶飲み干して舞台の中央へ



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取り戻したカバンを手に2時40分頃に会場に到着した。かながわ信用金庫の皆さんが出迎えてくれた。
「社長、無理言ってスミマセン。今日はよろしくお願いします」
何人かに声を掛けられた。私が乾杯の挨拶をすることはあまねく広まっているようである。
3時に総代会が始まり4時半に終了した。懇親会は4時50分からである。宴会会場に場所を移して指定されたテーブルに就くと隣に座った友人の落合社長が冷やかしてくる。
「楽しみだなぁ。日向さんの話は面白いからなぁ。ビデオにでも撮っておこうかな(笑)」
「やめてくださいよ。ものの2、3分で終わるんだから、所詮いい加減なもんですよ」
「いやいや、期待してますよ。頼みますよ(笑)」
「いろいろ言うから緊張して咽喉が渇いてきたよ(笑)。麦茶でももらおうかな」
「麦茶と言わず、ビールでも何でも言ってください(笑)」
「もう、調子いいなぁ(笑)」
そこへ信用金庫の総務担当の女性がやってきた。初対面である。
「今日はよろしくお願いします」
「急で悪いんだけど辞退させてください。無理です。本当に出来ません。お願いします」
「エッ!(オロオロ)」
「大丈夫、大丈夫、日向さんは冗談が上手いから(笑)」
「驚かさないでくださいよ。本気で言ってるのかと思いました。ビックリです。本当によろしくお願いいたします。あ~、驚いた」
理事長の挨拶に続いて私のプロフィール紹介があり、一礼して壇上に上がった(写真)。150名ほどいるようである。マイクの音量が気になったので指で叩いてみた。係の人が「大丈夫です。入っています」と声を掛けてくれた。会場を見渡すと知った顔が何人もいる。「アガッていないな」と確認できた。一呼吸置いてから挨拶を始めた。
「皆さん、こんにちは。只今ご紹介をいただきました……」
概ね上手くいったようである。考えていたことのほとんどを話し終えることが出来、まずまずの出来栄えだったように思う。終わって何名かの方に良かったとお褒めの言葉をいただいた。理事長も席に回って来てくれた。
「日向さん、盛ったなぁ(笑)」
「いえいえ、盛ったというほどでもありませんよ。あの通りですから(笑)」
「それにしても私のことも含め上手く話してくれたねぇ。期待していた通りだよ」
「期待って、もしかして理事長が仕組んだんじゃないでしょうね」
「何言ってるの、私に決まってるだろ。日向さんにやらせたら絶対に面白いから頼んでみろって(笑)」
「そうなんですか。道理で支店長の押しが半端じゃなかったですからねぇ(笑)」
「いや、本当にありがとう。さすがだよ」
(注)次回のブログに挨拶の全文を載せておくことにする。
                                 (令和元年作)




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梅雨

梅雨入りして駅に溢るる遺失物



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夕方の懇親会なので当然飲むことになる。いつもなら工場長に迎えに来てもらって会社に行き、会社から横須賀まで電車で行くところだが、その日たまたま工場長が風邪で休んでいたので自分の車で会社に行き、早目に自宅に車を戻して京浜急行の杉田駅から横須賀中央駅に向かうことにした。
各駅停車の電車に乗り込んだ。時間は早い。急行に乗り換えずにそのままドン行で向かうことにした。車中では本を開いたが途中で眠ってしまったようである。目が覚めたのは横須賀中央駅で、停まっていた電車のドアが閉じた時だった。
「ヤバッ!乗り過ごしてしまった!」
時計を見ると2時前である。かながわ信用金庫の総代会は3時開始である。<大丈夫、大丈夫、早目に出て良かった>と思った。次の駅「県立大学」で降りた。上りの電車はまだ来そうにない。ベンチに腰を掛けて、目の前の看板などを眺めていた。「駅徒歩3分、賃料76000円。学生さん10000円引き」などと書かれている。<大学生の町なのか……>
通過電車が1本走り去った。しばらくして各駅停車が到着した。乗り込むとすぐに電車はドアを閉め出発した。その直後である。
「アッ!カバンを忘れた!」
寝惚けた状態が続いていたようである。一瞬で目が覚めた。
「ヤバッ!どこで忘れたんだろ?」
電車はすぐに横須賀中央駅に着いた。乗り過ごした電車の中だろうか。県立大学駅のベンチの上だろうか。皆目見当がつかない。読んでいた本もない。本はカバンの中に入れたのだろうか?記憶もない。どうしよう。県立大学駅に戻ろうか?思案の末、まずは横須賀中央駅の係員に届けることにした。それが常道だろうと思った。
「スミマセン、カバンを忘れてしまいました。電車の中か、駅のベンチか思い出せません」
「どちらの駅ですか?お客様はどちらの駅から乗られましたか?」
2、3分で説明したと思う。すぐにあちこちに電話をしてくれていた(写真)。
「カバンの中には何が入っていましたか?」
「たしか、読んでいた本と扇子が1本、先日参加した会合でもらった資料なんかが入っていたと思います」
「名前が証明されるものは何か入っていますか?」
「う~ん、ないかと思います」
20分ほどしてようやく県立大学駅のベンチに忘れられていたのが確認され、次の電車で取りに行くことになった。行ったり来たりで忙しいことではあるが、事なきを得てホッとした。何事も寝惚けていてはいいことはない。待たされて改札の横に立っている間に2、3人の知人が私の横を通り掛かった。「どうしたの?」と声を掛けてくれたが、恥かしくてカバンを忘れたなどと言えたものではない。
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日焼

よく日焼けして支店長よく喋る



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朝、取引先のかながわ信用金庫の支店長から会社に電話が入った。
「もしもし、日向社長ですか。今、お忙しいですか?」
「いや、大丈夫ですけど」
「実は今、御社の近くまで来ていますのでよろしければこれからお寄りしたいのですが……」
「いいですよ。お待ちしてます」
10分程して訪ねてきた。
「いやに早いですね。どうしたんですか?」
「実はお願いがあってまいりました」
「なになに、ちあきなおみの『4つのお願い』じゃあるまいし、1つぐらいにしておいてくださいよ(笑)」
ちあきなおみを支店長は知らない(笑)。
「実は今度の総代会の後の懇親会で乾杯の挨拶をお願いしたいと思いまして……」
「乾杯?誰が?俺が?他に誰かいるでしょう」
「いやいや、社長にお願いしたいんですよ。是非、お願いします」
「駄目駄目、他を当ってよ。面倒臭いよ。世の中にはしゃべりたくてウズウズしてるのが一杯いるんだから(笑)」
「そこを何とかお願いしますよ」
「無理だって(笑)」
「じゃあ、一杯飲んだ後の締めの挨拶は如何でしょうか?」
「バカヤロウ、それこそ一番イヤなやつだよ。オチオチ酒も飲んでいられないジャン」
「じゃ、やっぱり乾杯の方でお願いします」
<この頼み方は何だろう?誰かに言われて来たな>と思った。
「しょうがないなぁ。いいよ。分かったよ」
「ホントですか。いいですか。ありがとうございます。じゃ、ちょっと待ってください。今、部長に連絡します」
「部長って、誰?アイダさん?」
「そうです。……もしもし、部長ですか。今、日向社長に了解をもらいました。オッケーです」
「どれ、電話、変わってよ。……もしもし、アイダさん、何、これ。どうなってるの?アイダさんの指示?いい加減にしてよ。どうなっても知らないよ(笑)。了解。分かりました。やらせてもらいます。オッケーです(笑)」
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ビール

球場の最上段へビール売



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質屋を出て、樋口一葉旧居跡を訪ね、東京ドーム近くのラーメン屋に入ったのが1時半である。試合開始2時ということなのでちょうど良い時間になっていた。特に野球に興味がある訳でもないので、のんびりとしたものである。ビールを飲みながら会話していた。
私「そういえば、昔、テレビで毎日のように巨人戦を観ていたことがあったよなぁ」
妻「そうだったわね」
私「クロマティの頃だからもう20年以上も前のことになるんじゃないか」
妻「今の家に引っ越す前だから、もっと前じゃない?」
私「そうか。クロマティがいなくなって俄然興味を失ったからなぁ」
当時の4番打者は原選手だったと思う。私の中ではどうも打てないイメージが強く、ここぞという場面で空振りをして天を仰ぐという姿が目に焼き付いている。期待しつつも「打てないだろうなぁ」と斜に構えて観ていて、三振でもしようものなら「ああ、やっぱりなぁ」と冷ややかに見てしまうところがあった。「巨人軍の4番は常に奇跡を起こしてくれなくっちゃ!」とミーハーならではの勝手な言い分を繰り広げていたものである。その点、クロマティはいつも何かやってくれると期待するところがあり、たとえ三振したにしても「しょうがない、しょうがない、ドンマイ、ドンマイ」と妙に納得してサバサバと眺めていた。クロマティの明るさが好きだったようである。
ラーメン屋を出て入場ゲートを探し、手荷物検査などを受けて初めてドームの中に入った。
「オオオッーーー、きれいだなぁ」
試合はすでに始まっていて、早くも1回に2点、2回に2点と相手チームに4点先行されていた。チケットに指定された席はもちろん巨人ファンの中である。オレンジ色のユニフォーム姿の観客の中に座ると自然と昔の巨人ファンに戻ったような気になる。<クロマティでもいりゃ、一発打ってくれるんだろうけどなぁ……>
「ビールは如何ですか~」
売り子の女性が叫んでいる。
<ビールは飲んできたので違うものにしよう>
「ハイボールは如何ですか~」
「おっ、ハイボールか、いいな、それにしよう。お前は」
「私はサワーがいい」
<よし!>
「おねえさ~ん!ハイボール、ちょうだい!」

試合は6回裏にビヤヌエバの同点満塁ホームランが飛び出し、続く阿部慎之助に400号メモリアルアーチがあり逆転に成功した。ハイボール3杯を飲み干し、球場を後にした。
                                 (令和元年作)




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一葉忌

「なつ」の名を記す質札一葉忌



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行きに見つからなかった「一葉の碑」を帰りには簡単に見つけることが出来た。「一葉樋口夏子碑」と彫られた石碑と「樋口一葉終焉の地」と書かれた説明文が建てられていた。明治5年の生まれで亡くなったのが明治29年、わずか24年の生涯である。「本名は奈津。なつ、夏子とも称した」と書かれていた。死因は肺結核である。
「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「ゆく雲」など珠玉の名作は亡くなる直前の2年間に書かれたもので「奇跡の2年」と言われているそうである。その中の「にごりえ」は白山の遊女を描いたものである。遊郭「菊の井」の看板娘「お力」が、彼女のために落ちぶれて妻子とも別れた源七と情死するまでを描いている。内容も然ることながら文体が素晴らしい。雅文体というらしいが、一つの文章が長く、句点を連ねていつまでも続き、読点が驚くほど少ない。会話も鍵カッコを使わず、地の文に組み込んでいくのでとても滑らかな印象を与える。名作と言われる所以であろう。極貧の生活の中で、必死に書き上げて行く姿が目に浮かぶようである。
碑を見たあとは一葉の旧居跡を目指したが、その途中に一葉が通ったという質屋があった。「伊勢屋質店」といい明治2年の創業である。昭和57年に廃業していたが平成27年にとある学校法人が買い取り、今は建物内部を無料で一般公開してくれている。一葉が亡くなった際にはその質屋の店主から香典が届けられたという。入ると女性が室内を案内してくれた。中での写真撮影は禁止されていたが目を引いた一葉の文章があった。明治26年5月2日の日記である。質草を包んで行こうとする様子を井原西鶴の句などを引いて自嘲気味に綴っている。
                    *******
母君と共に摩利支天もうでに趣く。家主西本来る。かきを結ひ直さんことのおくれたるを言ひになり。此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ、羽織二つ、一風呂敷につゝみて、母君と我と持ゆかんとす。

長持に春かくれ行くころもがへ

とかや、誰やらが句を聞し事あり。其風流には似ざるもをかし。

蔵のうちにはるかくれ行くころもがへ              
                                 (令和元年作)




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風薫る

白山に残る待合風薫る



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いよいよ「おかめ笹」の舞台「白山」を訪ねることとなる。伝通院の前の春日通りを真っ直ぐに下り、左に折れて白山通りを上がっていく感じである。白山は昔の三業地である。料理屋、芸者置屋、待合の営業を許可された歓楽街すなわち「花街」のことだが、もちろん今は当時の面影はない。ただ一二軒古い建物が残っているだけである。
私「この辺りに樋口一葉の碑が建っているはずなんだけど……」
歩きながらキョロキョロ探している。
妻「地図で確認したほうがいいんじゃない?」
私「大丈夫だよ。通り沿いだから、すぐに分かるよ」
荷風生家の位置は事前にこと細かく調べ、地図などをメモしてきたが、白山の方は「行けば分かるだろう」と何の用意もしていない。「たしか、この辺りなんだけど……」と言いながら随分と歩いてしまった。マンション売り出しの看板を首から提げてチラシを配っている若者に声を掛けた。
私「この辺りに樋口一葉の碑があるはずなんだけど……」
若者「すみません。僕はこの辺りの者ではありません。アルバイトなんです」
尋ねる人を間違えたようである。立ち止まってスマホで検索すると、少し行き過ぎてしまっていたことが分かった。
私「帰りにもう一度この道を通るから、先に進もう。『花みち』という待合と『浜の家』という料亭の跡がこの先にあるはずだから」
両方ともすぐに見つかった。よくぞ残っていてくれたものである。「花みち」は元「田川」という名前の待合だったそうで今はスタジオとして使われているそうである(写真)。「おかめ笹」は鵜崎巨石と名前ばかりが勇壮だがうだつの上がらない年の頃40才前後の主人公と、鵜崎が長年食客としてお世話になっていた画家の先生の長男のどら息子が、白山の待合を訪ねて馴染みの芸者を呼ぶところから始まる。「花みち」の建物を眺めながら、その格子戸がガラリと開いて二人連れの男女が出て来る姿を思い浮かべたりしていた。
                                 (令和元年作)




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荷風忌

荷風忌が過ぎ臘梅は実となりぬ



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松本哉著「永井荷風の東京空間」には生家のすぐ先に「鶯谷」という場所があり、「小径は忽にして懸崖の頂に達し、紐の如く分れて南北に下れり」と荷風先生が書いていると紹介していた。「その場所に立つと荷風先生が書いた文章そのままの風景が現れたのには驚いた」とも書かれていた。行ってみるしかない。本には手書きのイラストの地図まで載せてくれているので迷うことなくその場所に到着した。
「???」
<ムムム、それほどの場所でもないじゃん!>
なるほど、小道は突然のようにして崖の上に達してはいるが下に民家が立ち並び、道より高いマンションや二階建ての家に遮られて崖の上という感じがしない。なるほど、道は二方向に分れてはいるが、舗装され、ガードレールが出来ていて「紐の如く」という風情ではない。荷風先生が見た光景から100年も経っているのだから期待した方にこそ無理があったようである。はるか彼方に富士山でも見えただろうと想像力を働かせるのが精一杯のところであった。またまた松本氏の文章に乗せられたようである。しかしその途中で思いがけない物を発見した。写真の蕾である。何の蕾か、はたまた実か、さっぱり分からないが形が面白い。一つ捥いでみようかとも思ったが、人様の家のものである。
私「あれは何かの蕾だろうか?それともあれはあれで完成形で、ああいう物なのだろうか?」
妻「何かの実じゃないの」
私「実かなぁ。何の実だろう?初めて見た」
もちろん図鑑を持ってきた訳でもなく、スマホで検索しても容易には見つからない。少しモヤモヤした気持ちになりながら「伝通院」へと歩いていった。家に帰ってパソコンで「何の実、画像」と検索してすぐに「ソシンロウバイの実」であることが分かった。荷風先生の日記に何度も登場する臘梅である。

伝通院へ向かう道を歩きながらの会話である。
私「人間、たまたま何何をした日に何何に出くわしたなんてこと、あるよね」
妻「何のこと?」
私「いや、荷風先生が何十年か振りでこの伝通院を訪ねた日にとんでもないことが起こるんだよ」
妻「なに?……」
私「荷風先生がアメリカ、フランスに渡って帰国したのが29才の時。外遊して帰るんだから意気揚揚としたもんだろうと思いがちだが、実際には家にも帰りたくない気分。将来が見通せなかったんだと思う。船が神戸の港に近づくに従い、逃げ出そうかと思ったとも書いていた。着くと港に弟が迎えに来ていた。父親から出迎えに行くように言われたらしい。家では帰還のお祝いなんかをしてもらうんだがその後が宜しくない。厳格な父親から<詰まらない職業に就くくらいなら、屋敷内には場所も食べ物もあるので外に出ないでいてくれ>と言い渡される始末。まぁ、しばらくは籠って小説でも書いていたんだろうなぁ。そんなある日、伝通院まで散歩をするんだよ。<何年振りだろう>などと感慨に浸っている。そしてその日、家に帰って眠りに付いた頃に伝通院は燃えてしまうんだよ」
妻「ほんと!」
私「そういう偶々って、あるよね」
妻「あるかなぁ?」
                                 (令和元年作)




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