2019年06月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年06月の記事

十薬

一叢の十薬ここが生家跡



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「牛坂」を下って「安藤坂」に出て、ひとしきり上った所の交差点を左に曲がり、「永井荷風生育地」と書かれた案内図の前に立った。有名な「川口アパートメント」の前である。案内板の脇の小道の先に荷風先生の生まれ育った場所がある。しかし今では何があるという訳ではない。広大な敷地を有していた生家はとうの昔に取り壊され、ごく普通のアパートや民家が建っているだけである。

私「この生家を題材にした『狐』という作品があるんだよね。荷風先生が5、6才の頃に生家で起きた出来事を書いた話なんだけど、これがなかなか面白い。話していい?」
妻「どうぞ」
私「まず荷風先生の父親というのが凄い人なんだよ。武家の出で元高級官吏。その後は銀行の支店長や日本郵船の支店長などを勤めている。明治の家父長制をそのままに厳格を極めた人といっていい。その人がここの土地を次々と買い増して邸宅を建てた。おそらく木々に覆われ、藪なんかもあったんじゃないかと思う。古井戸の話なんかも出ていた。
ある日その父親が庭で弓道の稽古をしている時に狐を見かけた。すぐに書生を呼んで巣穴を見つけるよう言い付けたがいくら探しても見つからない。そのまま日を過ごして、いつしか狐のことは忘れていたが、しばらくして今度は鶏小屋が荒らされることになる。飼っていたニワトリがやられたのである。『やっぱりこの敷地内に棲みついているんだ』ということになって、今度こそは絶対に見つけ出そうと懇意にしている植木屋や車夫、鳶の親方などに手伝ってもらって大々的に探索を始めた。そしてとうとうその巣穴を見つけることに成功する。穴の中の狐を煙で炙り出して、出てきたところを一撃で仕留めた。漸くにして憎き狐を退治したので協力してくれた人達をもてなそうと屋敷内で酒盛りを始めることになる。酒を飲むとなると料理が必要である。料理は荷風先生がヒヨコから育てて可愛がっていたニワトリということになる。『ニワトリをつぶせ』という父の一言でニワトリ2羽が殺され料理された。ニワトリを殺した狐を退治したまでは良かったが、祝宴のためにまたニワトリがつぶされてしまったことは子供心にもショックだったようで大人の論理に疑問を呈していると、まぁ、そんな話なんだけど……」
妻「フーン」
                                 (令和元年作)




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梅の実

梅は実に天神様は坂の上



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世の中には物好きな人もいるもんだなぁと「永井荷風の東京空間」(写真)を読んでいて思った。永井荷風の著作を読みまくって、その足取りをあれこれと探って歩くというのも凄い話だが、それを本にして出版までしてしまうのだから「病膏肓に入る」もここまで行けば本物である。本に書かれた通りに歩いてみて作者松本氏の感じたところを追体験し、「なるほど、なるほど」と頷いてみるのも面白そうだと思い、まずは牛天神から訪ねてみることにした。
「牛天神下」という交差点を曲がり、神社の入口を探した。本には次のように書かれている。
『牛天神下という交差点はあるのに牛天神が見当たらなくて困ったものです』
実際には困るほどのことはなく、すぐに鳥居は見つかった。
「意外と大袈裟に書いてあるんだなぁ(笑)」
作者は饒舌家のようである。
鳥居は一風変わった形をしていた。「牛」「天」「神」の文字を書き入れた提灯を掲げるため、またそれを守るようにと屋根までこさえた形をしている。夕方になると電気が点くのかも知れない。凝った仕掛けになっていて風情を感じた。その先に続く石段は53を数えた。松本氏の文章には石段を上った先の天神様や北野神社の記述はない。あまり興味を持たなかったようである。文章は次のようにすぐに隣の「牛坂」に移っている。
『いったん石段を下りて、裏に回ってみましたら、これまた人の意表をつく坂道になっています。街中の坂道としては異常なくらいの急勾配で、一方通行の狭い坂道ですが、たまに下ってくる乗用車なんか、今に転がり落ちるんじゃないかと思うほどです』
相当な急坂を思い浮かべる。お参りをしたあと、石段を下りずに神社の裏側にある駐車場を横切って「異常なくらいの急勾配」の「牛坂」の頂上に出た。上るよりも下る方を選んだのである。そして坂を見下ろした。
「???」
<えっ、これだけ?>文章を読んで想像したものとはおよそ似て非なるもので、またしても「大袈裟な表現」だったことを知る。荷風さん大好き人間が荷風さんゆかりの地を訪ねると、多分に思い入れたっぷりの表現になることを微笑ましく思ったものである。自転車を漕いで上がって来る女性とすれ違いに、ゆっくりと坂を下りていった。
                                 (令和元年作)




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銭葵

銭葵日々の暮らしをつまやかに



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朝9時に家を出て磯子駅のコーヒーショップに入った。朝食メニューがあったので注文した。500円。二人でちょうど1000円である。千円札1枚を支払い、品物を受け取った。
私「これがいいよなぁ。気持ちいいよ。消費税で端数が付くのは困り物だよ」
財布の中に小銭が溢れるのがどうも苦手である。家では小銭を入れる容器が用意されていて、いつも出掛けに小銭を抛り込む。パイナップルの入れ物である(写真)。今から20年ほど前に家族でハワイ旅行をした際、自分自身のために買った品物である。これほど役に立ったお土産が他にあるだろうかと自慢のパイナップルである。
私「この前、パイナップルの小銭を全部持って行ったよ」
妻「知ってる。持って行ってどうするの?」
私「だって100円玉と500円玉は無くなっていて、1円と5円と10円玉だけが残ってるジャン。あれじゃ、しょうがないよ。コンビニで買い物する時に使うことにしたんだよ。毎朝、お茶を買うんだけど129円なので1円玉9枚数えて渡すと受け取ってくれる。この頃、毎朝なのでコンビニの兄ちゃんから顔を覚えてもらったよ(笑)」
妻「銀行に預ければ受け取ってくれると思うけど」
私「さすがに商売といっても、あれだけの量は出しにくいよ(笑)」
妻「今回、貴方が持って行った量と同じくらいのものがあと2袋ありますので、よかったらそれもどうぞ(笑)」
私「ヒャー、そんなにあるの!」
妻「何年分も貯まってるから」
私「何かの折にどこかに寄付でもしようか」

電車に乗り込んで飯田橋まで1時間である。
妻「今日、回る場所は決めているの?」
私「決めてるよ。まずは牛天神にお参り。永井荷風が散歩したり小説『おかめ笹』にも出て来たりしている神社。今回読んだ松本哉という人の『永井荷風の東京空間』という本にも詳しく書かれていた……あっ!」
妻「なに、なに、急に大きな声を出さないでよ」
私「車から小銭を持ってくるのを忘れた。お賽銭……」
妻「驚くほどのことでもないじゃないの(笑)」
<お賽銭200円として、一挙に1円玉200枚を使用することが出来たのに>と考えたのだった。
                                 (令和元年作)




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薄暑

小石川あたりへ日和下駄薄暑



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5月の連休明け、当社出入りの電気工事会社の専務が声を掛けてきた。
専務「社長!野球はお好きですか?」
私「全く興味なし。どうして?」
専務「実はチケットがありまして、もし興味があればと思いまして」
私「残念だが興味なしだなぁ(笑)。横浜スタジアム?」
専務「いえ、東京ドームです」
私「おっ、東京ドームか。野球には興味ないけど、東京ドームには興味ありだなぁ。入ったことがない」
専務「それじゃ、行ってもらえますか?巨人戦です」
私「どうしたの?」
専務「父がシーズンシートを買いまして(笑)」
私「よし、行こうか」
専務「チケットは2枚です」
私「女房が行くかどうかは分からないけど、取りあえずお願いしておこう。いつ?」
専務「この中からいい日を選んでください」
ということで6月1日(土)に出掛けることになった。妻に連絡すると付き合ってくれそうである。
<よし、よし、永井荷風の生家跡を訪ねてこよう>
私「社長によろしく言っといて」
専務「はい」

永井荷風を夢中で読んでいたのは25年ほど前である。今では全集を持っているので何でも読めるのだが、その頃は文庫本や単行本を買って読んでいたようである。「おかめ笹」という小説が読みたくて営業に頼んだことがあった。総務担当だった私が役員になり、営業の統括も任されたあたりである。
私「悪いけど、古本屋に寄って『おかめ笹』という本を買ってきてくれ。本棚を探してもないだろうから店の人に聞いてしまった方が早いぞ」
営業「おかしな題名の本ですね。変な本じゃないでしょうね?」
私「バカヤロウ、永井荷風だよ。言えば分かるよ。どうせ、営業でブラブラしてるんだから、アチコチ古本屋に入って探してきてくれ。頼んだぞ」
どうしようもない上司もいたものである(笑)。今でもその営業とは「おかめ笹」で盛り上がる。
営業「店に入って『おかめ笹という本はありますか?』と聞くと、決まって『ない』と言われました。
帰ると『あったか?』と聞かれますので何軒も回りました。あの時は参りましたよ(笑)」
6月1日は生家跡だけでなく「おかめ笹」の舞台となった小石川、白山あたりにも足を伸ばしてみようと思っている。
                                 (令和元年作)




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小判草

誰が植えしや門前の小判草



小判草



5月最後の土曜日、その日もまた休日出勤である。土曜日は工場全体で朝礼を行なうので必ず一言挨拶をすることにしている。すなわち、特段の用事がない限り、土曜日は出勤日と心得ているのである。その日も6時45分に到着し、ポストから新聞を取り出すところから始まった。見ると小判草が咲いている(写真)。
<またこの季節が来たかぁ。一年は早いなぁ>
小判草を見るといつも思うことである。
いつからそこに咲いているのかは分からない。何十年もそうだったかも知れないし、ここ十数年のことかも知れない。気付いて十年以上経っている。名前が小判草なので縁起がいいと思い込んでいる。何の気はなしに写真を撮ってみた。背丈が30センチほどなので、どうしてもしゃがみ込まなければならない。しかもコダワリ派である。会社の門の前でカシャカシャと何枚もやっていた。
女性「社長、大丈夫ですか?」
私「おっ、おはよう。何が?」
女性「気分でも悪いのでしょうか?」
私「いやいや、写真を撮っていただけだよ」
女性「あら、そうなんですか(笑)。てっきり具合が悪くなってうずくまっているのだとばかり思いました」
出勤してきた女性である。遠くから歩いて来て誰かがうずくまっているのが見える。近づくに従い自分の会社の前だと分かってくる。誰だろう。会社の人だろうか。動かずにじっとしているので、具合が悪くなって吐いてでもいるのだろうかと心配になったという。

ひと笑いしたあとで事務所での会話である。
私「毎年咲くので、今年もまた咲いたかと一年の速さを思ったんだよ」
女性「何という花ですか?」
私「小判草。大判小判だから縁起がいい。あとから見てきたら?」
女性「そうします。小さな花にもみんな名前があるんですね」
私「よく見ると雑草でもきれいな花はたくさんあるよ。それを図鑑なんかで調べて名前が分かるととても嬉しくなるもんだよ」
女性「そうですよね。知らないというのは勿体ないですよね」
私「今からでも遅くないよ。一つ一つ覚えて行ったらすぐに植物博士になれるよ。やってみたら。植物博士になったら人生が本当に豊かになると思うよ」
                                 (令和元年作)




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夏の海

離れ行く壱岐しづかなる夏の海



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早くも最終日である。「気~付けち、お帰りまっせ~!お~きにな!」の横断幕に送られてホテルを後にした。バスは私が早朝歩いてきた道を途中まで進み、左に折れた。「鬼の足跡」の見学である。ガイドさんが語る鬼にまつわる話などを聞きながら、対馬経由で渡ってくる中国人や朝鮮人を受け入れてきた壱岐の人たちの苦労を考えていた。
<鬼も退治したくなるよなぁ>
「鬼の足跡」の後は「左京鼻」である。これまた海に突き出した絶壁や岩の見学である。そのために島の最西端から最東端へ移動するのだから忙しい。といっても直線距離14kmである。30分そこいらで到達する。バスの中でガイドさんは福山雅治の話をし始めた。壱岐の宣伝プロモーションビデオに登場したらしい。「壱岐、福山雅治で検索してください」とアピールしている。撮影にまつわるエピソードを紹介するのだがとても熱が入っている。
「人気があるだけにスタッフ数名とお忍びで来島し、極秘で撮影したようです」
「もし来ることが事前に分かったら空港から何から行く先々で大パニックですからね」
「一緒に写っている島民も前触れなしに現われたのでビックリしたそうです」
「そりゃ、いきなり福山雅治が目の前に現われたら私だって驚きますわぁ」
「小嶋神社は潮が引いた時に歩いて渡れますが、その時はたまたま満潮で渡れなかったそうです。それを見て男性が手漕ぎ船を出してくれたんですが、福山雅治と一緒に船に乗れるなんてラッキーですよねぇ。私だったとしたら、とても二人では乗れませ~ん」
<彼女が熱烈な福山ファンであることだけは間違いない>と思いながら延々と続く撮影話を聞いていた。
話に出た「小嶋神社」はコースに入っておらず遠くに眺めながら通過しただけである。
すぐ隣にあった「はらほげ地蔵」にお参りした(写真)。満潮時には身体が浸かるというのだから見てみたいと思ったが、満潮時に来たとしたらまた干潮時の様子を見たいと思うのだろうから我がままな話である。酒蔵「壱岐の蔵酒造」を見学し「岳ノ辻展望台」へと回り、最後の昼食を摂り12時50分に印通寺港に到着した。1時20分の出船である。あっという間の2泊3日の旅だった。一緒に回った11組のご夫婦の特徴も大体分かってきたところである。「似たもの夫婦」とはよく言ったもので、このご主人にしてこの奥様という風に納得できる組み合わせになっていることを発見する。我々もそう見られているのかも知れない。「邪馬台国の秘密」を読み終えて「歳時記」を開いている私と暇さえあれば文庫本を読んでいる妻。
「あの夫婦はいつ見ても何か読んでるよねぇ」
声が聞こえて来そうな気がする(笑)。
                                 (令和元年作)




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麦の秋

「祝国境離島新法」麦の秋



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蚊に悩まされるという珍事があったにもかかわらず、5時半に目が覚めた。外は明るくなっていた。<麦畑の写真を撮りに行こう>と起き出した。こっそり着替えて顔を洗い、外へ出た。前日にバスで通って見た場所まで行ってみようと思ったのである。5時40分にホテルを出て歩き始めた。「この辺りでは一番夜遅くまで店を開いている」とガイドさんがバスの中で紹介していたマツモトキヨシの横を通る。一気の上り坂である。道路の頂上と見える場所が遥か遠くに見える。<フー、どれくらい歩くことになるのだろう>
途中、農協と思われる3階建ての建物に「祝国境離島新法制定」の横断幕が貼られていた。なるほど、新法の内容は分からないが、外国と接する国境に位置するために様々な対策が施されているのだなぁと思った。昨日、支配人に「天国だ、楽園だ」などと言ってはみたが、住んでいなければ分からない苦労は想像以上のものだろう。「祝」の文字の赤色が心に沁みた。上り切ると次は下りである。交差点はあるが車はいない。「壱岐では車が5台並ぶと渋滞といいます。10台並ぶことはありません。もし並んだとしたら大々渋滞です(笑)」とガイドさんが話していた。ゆったりとした坂をのんびりと下りていった。右側に「天の川酒造」という焼酎の蔵元があった。<おお!昨夜、俺が最初に頼んだ『壱岐づくし』じゃないか>
パチンコ屋があった。広い駐車場である。<壱岐の人もパチンコをやるらしい>その先にまたパチンコ屋が現れた。<この小さな町にパチンコ屋が2軒とは!>さらにその先にもう1軒。<ギャンブル好きな島民かも知れない……>
右に「天手長男神社」という看板が現れた。壱岐には1000もの神社があるという。お参りしてこようかと道を逸れたが、見ると小高い山の上のようである。まだ麦にも出会っていないのに寄り道も出来ない。諦めてまた直線コースを歩き始めた。すぐに小学校が現れた。「柳田小学校」と書かれている。また住居表示に「郷ノ浦町柳田触」とあった。「触」である。司馬遼太郎の「街道を行く」にこの「触」のことが出ていた。庄屋が触れて回れるほどの集落を意味する壱岐特有のものらしい。そんなことを考えながらも一向に現われない麦畑を思っていた。<もう30分以上も歩いている……どこまで行けばいいのだろう>しかしここまで来て諦める訳にはいかない。進むしかない。下りたり上ったりを繰り返し相当な距離を歩いている。<1時間4kmとして30分で2km>と頭で計算していた。目的地はJA壱岐農機具センターという建物の先にあった。<おお、ここだ、ここだ>ようやく到達した。何枚も写真を撮ったことはもちろんである。撮り終えて6時15分になっていた。途中でオロナミンCを買って、飲みながらホテルに戻ったのが6時50分である。
妻「おはよう。どこまで行ってきたの?」
私「エヘヘヘ、麦の写真を撮ってきた(笑)」
妻「そうなんだ」
私「ちょっと風呂に行ってくる」
妻「何言ってるの。7時から朝食だよ。分かってたんでしょ」
私「も、もちろんだよ」
計ったようにピッタリだったとは驚きであり、ラッキーでもあった(笑)。
                                 (令和元年作)




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蚊を憎む

玄関に寝床移して蚊を憎む



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その夜、1時に目が覚めた。痒いのである。右手の中指のつけ根あたりが痒くて左手で掻いたりしている。<どうしたのだろう?>寝惚けた状態でも何が起きたのかを必死に考えている。部屋は真っ暗でトイレの電気が少し洩れて来るくらいである。しばらく考えていた。<蚊かな?>と思った。この痒みは蚊に刺された時のものである。<どうして指なんかが食われたのだろう?>いろいろ考えている。その時である。
「ブ~ン」
<ヤバッ!蚊だ>耳元に近づいてきて、またどこかを狙っている。腕を布団に潜らせて、一瞬頭も布団の中に入れた。蚊を驚かせるためである。そのあとしばらくはジッとしていた。<殺すしかない!>殺意が芽生えるが殺す手段が思いつかない。<フマキラーなどないはずだ><電気を点けて探し出そうか。きっとカーテンの上の方にいるはずだ><しかし妻を起こすことになる><寝ているのに起こすのは申し訳ない>いろいろと考えていると、また「ブ~ン」と近づいてきた。ガバッと布団を被って攻撃を躱した。しばらくは潜っていたが、暑い。苦しい。息苦しい。<どうしよう、こんなことを朝まで繰り返してはいられない……>
私が取った行動は<部屋から出る>であった。部屋は襖で仕切られている。玄関と上がり框の上の辺りに布団を移して襖を閉めてしまおうと思ったのである。薄暗い中を起き上がって、ぼんやりと見える布団を畳んで持ち上げた。その時である。
妻「どうしたの?おねしょでもしたの?」
私「する訳ないだろ。蚊だよ。蚊。蚊がいて寝られない」
廊下に布団を敷いた(写真)。幅が狭い。狭くて布団がUの字のようになっている。それでも横にはなれる。しっかりと襖を閉めて横になった。<蚊の対策は出来た>と思ったが、蚊がいる場所に妻を残して来たことを少々後ろめたく思っていた。<今度はあいつが刺される番だろう><申し訳ない……>そんなことを考えてウトウトして寝に落ちようとした時である。今度は枕元にある冷蔵庫のスイッチが入った。
「グゥゥゥ~ン」
<何だろ?><何で電気が入ったのだろ?><すぐに切れるのだろうか?><ウルサイ……>
そう思っているところで寝に落ちたようである。あとの記憶がない。
                                 (令和元年作)




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焼酎

みな壱岐の焼酎なればかくも酔ふ



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宿泊は島の中心地「郷ノ浦町」のホテルである。最北端での「辰の島クルーズ」を終え、途中、住吉神社にお参りしたあとホテルに入った。夕方4時と少し早い。風呂に行く前に散歩に出た。<麦畑の写真を撮っておこう>と思ったのである。バスで来る途中、麦畑を目にしている。すなわち北に向かえば確実に麦畑はあるのだが、相当に長い距離を歩かなければならない。地図を見ると、南に向かえば港のようだし、西は市役所などのある繁華街なので、まずは東に向かって歩いてみることにした。麦畑があるかどうかは定かではない。ホテルの前の交差点の名前は「八畑」である。畑があれば麦畑もあるだろうと歩き始めた。いきなりの上り坂である。<フー>写真1枚のために上り続けた。上り切って少し行くとダムのようなものが見えた。見る限り、麦畑はない。<フー>戻ることにした。
妻「どこに行って来たの?」
私「ちょっとね。お茶を買って来た」
麦の写真1枚に拘っていることは到底理解されないだろうと心得ている(笑)。

夕食は豪華だった。夫婦が向かい合って座る2人用のテーブルで、前日のイカ料理の時のような窮屈さはない。まずは生ビールを2つ注文した。刺身、シャブシャブ、アワビの踊り焼きと並び、食べるに従って順を追って次々と料理が出されてくる。すぐに飲み終わって焼酎を頼むことにした。
私「スミマセン。焼酎をお願いします」
女性「銘柄は如何しますか?」
私「いろいろとあるねぇ。どれが美味しいかと聞けば、どれも美味しいと答えるしかないよなぁ(笑)」
一人で言って一人で笑っている。上機嫌である。
私「何だって全部同じ値段にしてるんだろ?差をつけておいてくれれば選びやすいのに」
メニューには7種類の壱岐の麦焼酎が並んでいる。グラスが550円でボトルが3300円である。度数も1種類だけ22度で、あとは全て25度である。
私「ボトルにするか?」
妻「そんなに飲まないでしょ。グラスでいいわよ。私は『壱岐の島』にしようっと」
女性「お水で割りますか?ロックにしますか?」
妻「じゃぁ、ロックでお願いします」
私「おっ、キツそうだな。大丈夫?じゃ、俺は『壱岐づくし』っていうのにしてみよう。飲み比べてみよう」
飲み口がいい。そのあと、また違う銘柄を頼んだりして長々と過ごしていた。他のメンバーは次々と食事を終わって席を立っている。我々だけが残っているかのようになっていた。急に男性が話し掛けてきた。
男性「お客様、お料理の方は如何でしょうか?」
私「ん?おお、時間か!」
男性「いえいえ、そういう意味ではございません。私はこのホテルの支配人でございます」
私「また、偉いのが出てきたねぇ。あんまり長っ尻なんで一言文句を言いに来たんじゃないの(笑)」
男性「違いますって(笑)。壱岐は如何でございますか?」
私「壱岐?こんないい所はないよ。まさに楽園だね。天国の島だよ。永住したいくらいだよ(笑)」
男性「ありがとうございます。本当にごゆっくりして行ってください。よろしければもう一杯如何でしょうか」
                                 (令和元年作)




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夏潮

夏潮に揺れて近づく絶壁ぞ



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博物館のあとは昼食、「猿石」の見学、「辰の島遊覧船」観光という順で進んでいく。
妻「お昼は『生ウニの昼食』って書いてあるわよ」
私「ウニは食べ過ぎると、とんでもないことになるからなぁ」
妻「そんなに量が出る訳ないでしょ」
私「分からないよ。ウニ丼、ウニ飯というのが壱岐の名物みたいだから」
私の<とんでもないこと>とは10年程前、北海道の実家に帰省した時のことである。夕食に生ウニが出て、お酒のつまみにして一人で何パックも食べたのである。夜中、全身が痒いので目が覚めた。<部屋に虫でもいるのかなぁ?>あまりの痒さに風呂に入ったりしたが、治まるものではない。身体中にブツブツと脹らみが出来ていて、てっきり虫に刺されたと思ったが、翌朝、母に「ウニの食べ過ぎだべさ~」と笑われた。
妻「奈美もウニのアレルギーみたいなのよねぇ」
私「なに、食べ過ぎたのか?」
妻「あなたと一緒に旅行した時じゃないの?あんなに好きだったのに食べられなくなったというのは可哀想だわよ」
私「あれっ、何時だろ?奈美と一緒に旅行したという記憶がない。あいつも食いしん坊だからなぁ、どこかでガッついたんだろう(笑)」
<アレルギー>すなわち<食べ過ぎ>と思い込んでいるので、長女が山盛りのウニを食べているのを想像して笑ってしまったのである。実際のところは本人に聞いてみないと分からない。
昼食は「刺身定食」のようなもので、ウニは小鉢にチョンと載っている程度のものだった。
私「丼もご飯物も好きじゃないけれど、やはり壱岐に来た限りは名物の形で食べてみたかったよなぁ」
個人旅行でなかったことをここでも悔やんでいる(笑)。

「猿石」もその隣の「黒崎砲台跡」も大したことはなかったが、「辰の島クルージング」だけは想像以上の素晴らしさだった。エメラルドグリーンの海、海蝕が作り出す洞窟、奇岩、50メートル以上ある断層、絶壁(写真)。個人旅行では絶対に乗ることはなかっただろう遊覧船なので、この時ばかりはツアーの有難さを感じたものである。
船には自ずとそれぞれの夫婦が並んで座る。ご主人は景色の写真を撮りながらそれを背景に奥様の写真を撮っている。
妻「みんな、奥さんの写真を撮ってる……」
私「……」
妻「どうなのよ、これ」
私「なに?撮って欲しいの?」
妻「別に……」
                                 (令和元年作)




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夏帽子

漢文のレ点目で追ふ夏帽子



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印通寺港フェリーターミナルにバスが待っていた。荷物を格納すると決められた席順に従って座りすぐに出発である。私としては港の中にある「唐人神」というものを見たかったのだが、コースにないのだから致し方ない。実はこの「唐人神」、いろいろなご利益があるらしい。唐人とは中国人、朝鮮人のことであるが、その昔この島に唐人の下半身だけが流れ着いた。それを地元の漁師が丁寧に葬って神として祀ったという。鳥居があり、男性のシンボルを象ったものと女性のもの(これは赤い布で覆われていて、覗いた人だけに見えるようになっているらしい)が置かれているそうで、性病、夫婦和合、安産、良縁にご利益があるという。ツアーの不便なところである。見られずに立ち去ることになってしまったのは心残りである。
バスが最初に向かったのが「壱岐国博物館」である。小高い丘のような所に登って行くのだが、その途中にある「原の辻遺跡」はガイドさんの説明だけで素通り、一面に広がった麦畑はちょうど刈り入れ時だったがこれも素通りで、見たい場所がどんどん過ぎて行く。
博物館はとても新しい建物だった。平成22年に出来たという。館内に入るとすぐに専任のガイドさんが案内役となって説明を始めてくれた(写真)。壁に貼られた「魏志倭人伝」の文章の中の「壱岐国」の記述57文字を読んで解説してくれる。一文字、一文字、丁寧に声に出して読み上げてくれた時は新鮮な感動を覚えた。原文を読みもしないで解説文だけを読んでいるのは間違いであることに気付かされた。レ点、一二点、返り点のことを久し振りに思い出していた。
シアターで映像を見たり、展示品の説明を受けたりして最後は展望台に上って360度の風景を楽しんだ。

途中、ガイドさんと話をしている。
私「今、麦の刈入れ時なんですね。近くで写真を撮りたいんですが、これから行く場所の近くに麦畑はありますか?」
ガイドさん「麦は島中どこにでもありますので気に留めたこともありませんでした。きっとあると思いますよ(笑)」
博物館を出て丘を下り、広大な麦畑の横を走った時にバスを停めてくれた。
ガイドさん「車内からとはなりますが、麦の写真を撮られる方はどうぞお撮りください。右も左も麦畑だらけです」
わざわざ、停まってくれた。感謝、感謝である。しかし、コダワリ派の私が車内からの写真では満足できないことを私自身がよく知っていた。翌日の朝の行動へと繋がっていく。
                                 (令和元年作)




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海月浮く

一海を渡る千余里海月浮く



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日経新聞の連載小説「ワカタケル」に壱岐について書かれた部分があった。大王となったワカタケルが渡来人の李先生に「そもそもの初め、いつ誰が海彼から渡来して行き来が始まったのですか?」と聞くシーンである。海彼(かいひ)とは海の向こう、外国のことである。
「この島々にはあまたの民草が居た。すでにその中に渡来の者が混じっていたかもしれない。人は海を渡るものだ」
鳥は飛び、人は漕ぎ出す。「任那から対馬が見える。対馬から壱岐が見え、壱岐からは筑紫の山々が見える。見えれば渡ることを考える」

翌朝7時50分ロビー集合である。フェリーの時刻があるので朝食会場の開始時刻7時からはそれほど時間の余裕がない。慌てて食べて荷物を取り纏めバスに乗り込んだ。取り纏めたといっても全ては妻任せなのだから偉そうなことは言えたものではない(笑)。10分ほど前に下りて行くとほとんどの人はすでにバスに乗り込んでいた。年寄りはさすがに朝が早い。前日の夕食の店の前を再び通って唐津湾のフェリー乗り場に到着した。1時間45分の船旅である。いよいよ海を渡る。嬉しい。
妻「どの辺りに座る?」
私「進行方向左側の椅子席にしよう」
妻「おっ、迷いがない(笑)」
こんなに天気の良い日はそうそうあるものではない。東松浦半島の眺めを目に焼き付けておきたいと思ったのである。魏の使者たちが眺めた光景に違いないからである。
私「ちょっと待って。ビールを買って来る。船の中には売っていないと書いてあった」
妻「そういうところにだけは目が行くのよね(笑)」
乗船後10分程して船は静かに動き出した。波はない。転舵して向きを変え半島が間近に見える(写真)。湾の外に出ても波はない。ベタ凪の状態である。蒙古来襲を防いだ暴風雨のことを挙げるまでもない。一年中でこのように波のない日が幾日あるだろうか。僥倖という他はない。半島を離れるまでビールを飲みながら眺めていた。眺めに倦み始めた頃、再び「邪馬台国の秘密」を読み始めた。
「また南に一海を渡ること千余里、命(なづ)けて瀚海(かんかい)と曰う。一大國(いきこく)に至る」
10時25分、予定通り壱岐の印通寺港に到着した。
                                 (令和元年作)




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烏賊

烏賊の目の潤みてをりぬ食ひにけり



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夕食会場はホテルからバスで10分程の場所にあるイカ料理の専門店だった。「呼子のイカ」である。事前にもらっているパンフレットには「お一人様イカ150g」と書かれていた。妻がそこのところを何度も言うのでてっきり150gとは食べられない程の贅沢な分量のことだと思っていたが、目の前に出されたイカは普通のヤリイカ1杯である(写真)。
「おお!活き作りじゃないか。一人1匹とは贅沢だなぁ」
「これなら150gと書かないで『お一人様イカ1杯』と書いた方が分かり良いんじゃないか?」
「とは言っても、1杯じゃ、沢山という意味にも受け取られかねないからなぁ(笑)」
ほとんど独り言である(笑)。
席は向かい合ってそれぞれの夫婦が並び、横に4人掛けである。少し窮屈である。添乗員さんが「飲み物はそれぞれで注文してください。お会計は銘々でお願いします」と言っている。<なるほど、なるほど>旅行中、飲み物はこのスタイルで行くようである。早速、生ビールを注文した。隣はと見れば、ビールの人もいれば冷酒の人もいたが、ほとんど9割の人はお酒を飲まずに食事を始めている。ポットに入ったお茶を注ぎながら、それぞれ向かい同士で黙々と食べている感じである。イカは刺身で食べられる以外は天婦羅に調理して出してくれた。お店の人が回収して天婦羅にして持って来てくれるのだが、要領よくやっているようで時間は掛からない。食事時間1時間を予定していたが、飲まない人は30分もすれば食べ終えてしまう。一人二人と席を立つ。私もビール1杯なのですぐに食べ終えてしまった。ビール代を払おうとレジに進むと「私たちはホテルまで歩いて帰りたい」と添乗員の女性に言っている人がいる。我が儘な人もいるものだなぁと思ったが「バスで来る時に見た唐津城に登ってみたい」と言っているのである。「おお、それなら私たちも登ってみたい」とすぐに便乗した。添乗員さんはカバンから書類を取り出した。なにやら、別行動となる場合の一筆らしい。
「こちらにフルネームでサインをお願いします。くれぐれもホテルまで気を付けてお帰りください」
改めて文書にサインさせられると無事に帰れるかどうかと心配にもなるのも不思議なものである(笑)。
夕暮れの城下町のそぞろ歩きである。ほとんど人がいない。高校の前を通る。早稲田佐賀高校である。「大隈重信が佐賀出身なのでここに早稲田がある」とバスの中で聞いていた。そしてその上に佐賀城の天守閣が見える。
<自分の学校の横に天守閣があるっていうのはどんな気持ちだろう。郷土愛を育む環境としてはこれ以上のものはないだろうなぁ>
お城の石段を上がり天守閣の入口まで登った。時間が過ぎていて中には入れなかったが唐津の町が一望出来た。雲一つない晴天である。日が西に傾き、徐々に暮れようとしている。ついさっきまで会社にいて仕事をしていたのに夕方には佐賀のお城にいるのだから旅とは愉快なものである。
                                 (令和元年作)




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籠枕

倭の使者を待たせ魏帝の籠枕



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バスに乗り込んだのは12組24人の夫婦である。どの人とどの人が夫婦なのか、その時はもちろん分かっていない。一緒に食事をしたり、会話をしたり、あれこれと見て歩くうちに徐々に分かっていくのである。バスは福岡空港を出て高速道路を走り、一路「唐津」へと向かった。途中、糸島半島を横切り、トンネルをくぐったり、畑の中を走ったりして近づいていく。
<この辺りを魏使たちは歩いたんだなぁ……>
もちろん、今はたくさんの民家が建ち、道路も整備され、当時の姿とはおよそ違っている。しかし、現代に作られたものを全て頭の中で排除してゾロゾロと歩いている魏使たちを想像することは出来る。卑弥呼への献上品などを運んで歩いている姿が目に浮かんでくる。
<東南のかた陸行五百里にして、伊都国に至る>
高木彬光の「邪馬台国の秘密」では違う場所を比定しているが、昔ながらの定説ではバスは奴国、伊都国を抜けて末盧国に入って行くことになる。
BSテレビの「三国志」を毎週観ている。魏の司馬懿(字は仲達)の物語である(写真)。曹操、曹丕、曹叡、曹芳と魏帝4代に仕え、西晋の礎を築いた人である。西晋が建国されたのちには西晋の高祖、宣帝と追号されている。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のあの仲達である。ドラマを見ていると当時の魏の様子が見えてくる。呉や蜀との争いの中で軍事力を高め中央集権国家を作り、政治体制を整えている。法律を定め、高い文化レベルを確立している。古墳時代の5、6世紀になってはじめて製鉄が始まる日本とは比べ物にならない程、全てにおいて秀でている。あのドラマで映し出される高い文化を持った魏の使者たちが歩いたであろう場所を車窓から眺めていた。

車内での会話である。
私「あの黄色いのは何だろう?あちこちの畑にある……」
妻「何かしら、きれいね」
私「麦かな?『麦は黄に』という季語がある……」
歳時記で調べてみる。
私「おお!やっぱり麦だ。麦秋。初夏の今頃が刈り入れ時と書かれている」
妻「きれいねぇ」
私「(カシャ、カシャ、カシャ)写真を撮りたいけど、走りながらではいいのが撮れない……」
バスは糸島半島を過ぎ、「虹の松原」という名所を通過し、唐津市内のホテルに到着した。それぞれの部屋に荷物を運び込み、休憩は1時間くらいである。5時半予約の夕食会場へまたバスで移動しなければならない。風呂に入る間もなく、ほんの一休みして再びバスに乗り込んだ。
                                 (令和元年作)




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五月

高々とガイドの小旗風五月



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本ばかり読んで過ごしたゴールデンウィークだったので、その翌週に予定していた旅行のことをすっかり忘れていた。妻に言われて「あっ!いけない」ということになってしまった。ツアーに申し込んだのが4ヵ月前の1月10日なので、意識がそこに向いていなかったのである。2泊3日で行く「唐津、壱岐の島を巡る旅」。慌ててコースを確認し、それぞれの見どころを押さえはしたものの、肝心の「魏志倭人伝」までは手が回らない。
<しようがないなぁ、行き当りばったりだ>
本棚の中から随分以前に読んだ文庫本一冊をカバンに入れて出掛けることにした。5月10日(金)、会社を10時に飛び出して家に戻り、着替えなどして11時に家を出た。羽田のロビーで12時20分に集合し、1時15分のフライトである。到着すると30分ほど余裕があったので二人でラーメンを食べることにした。もちろん、生ビールで乾杯である。
私「今日泊まることになっている佐賀の唐津は魏志倭人伝では『末盧国』ということになっている。邪馬台国を訪ねる魏使たちが韓国から対馬、壱岐と渡って最初に上陸した場所が唐津あたりに違いないというのが定説なんだ」
妻「ふーん」
私「だけど、この本は唐津ではなく、もっと博多の先の神湊(こうのみなと)というところに上陸したはずだと言っているんだ」
妻「ふ~ん」
私「これは悩ましい」
妻「そうなの?」
私「昔読んだのではっきりは覚えていないが、唐津あたりに上陸して東へ東へとゾロゾロ歩くのはムダだと言っていたと思う。少し距離はあっても舟で行ける所まで行くというのが普通だろうと。風の向きや潮の流れも東へ東へだから舟の方が手っ取り早い」
妻「……」
機内に入り、本来なら一瞬で寝てしまうところだが、読み始めた高木彬光著「邪馬台国の秘密」に夢中になっていた。博多空港に到着しても、切りの良いところまで読みっぱなしである。
<楽しい旅行になりそう……>

空港の出口に旗を持った添乗員の女性が待っていた。
「日向様ですね。お二人様。皆様がお揃いになるまでこの近くでお待ちください」
トイレに行ったり、お茶を買いに行ったりして集合を待った。
「皆さ~ん、全員が到着しました。こちらまでお集まりくださ~い」
ゾロゾロと集まった。
私「えっ?えっ?なに、なに、これ。随分と年寄りばかりじゃないか」
妻「何を言ってるの。あなたが選んだツアーですからね」
私「そうだっけ?」
妻「ツアーの名前が『同世代ご夫婦でゆったり寛ぐ壱岐の旅』。ちゃんと覚えておいてくださいね(笑)」
私「同世代って、いくつ?」
妻「65才以上」
私「そうかぁ、こりゃ、参ったなぁ。同世代といってもオレが一番年下のようだなぁ(笑)」
                                 (令和元年作)




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