2019年04月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年04月の記事

家康忌

重き荷をときには解きて家康忌



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新杉田駅前に大型バスが停車していて到着した順に乗り込んでいく。席は好きな所に座ってよい。案内では7時30分集合となっており、スケジュール表の出発時刻は8時00分となっている。この30分の違いは何だろう。参加者25名のうち24名は7時半までに到着したが、1名だけは8時ギリギリの到着となった。
「8時の出発ですよねぇ」
一人遅れたことを気にしたようであるが、バスが動き出せばそれまでの話である。すぐに飲み物が配られツマミも用意され乾杯となる。朝のビールの美味さは格別である。一人2本までと言われていたが何本飲んだか分からなくなる人も現れて、一気に車内は笑い声に包まれていく。
今回はたまたま隣の席に人がいなかったので、ガイドさんの話を聞いているうちに眠たくなってしまった。日光に到着する手前で目が覚めた。通路を挟んで隣の女性が声を掛けてきた。
「日向さん、よくお休みでしたね(笑)」
「そんなに寝てましたか。5分くらいかと思いましたが(笑)」
「お酒を召し上がると、眠たくなりますもんねぇ(笑)」
「今月、会社に新入社員の女性が入ってきました」
「えっ???」
「彼女に私が言ったことは、私が寝ているように見える時があるけれど、それは寝ているんじゃなくて考えている時だからねと。特に昼飯のあとなんかはよく考える時間にしているので、決して寝ているなんて勘違いしないようにと」
「面白い(笑)」

東照宮に到着した。バスは一般の駐車場ではなく特別の駐車場まで進んで行った。添乗員の説明では今回の参拝は特別参拝でお土産付きだという。確かに到着した場所には他のバスもなく、神主の姿をした男性が出迎えてくれた。
「ようこそお参りくださいまして有難うございます。今日はこれから皆さんに特別なコースで見学していただきます。一回りしていただいたあと、直会の席もご用意させていただいております」
世の中にそうそう特別なものがある訳ではない。ましてや我々一般人が特別な扱いを受けるというのだから端から期待はしていない。おそらく「特別」と称する一般的なコースだろうと思いながら、案内役の女性のあとを付いて行った。人の通らないような庭先を抜けて広場に出た(写真)。五重塔が正面に見え、石鳥居も見える。
「最初に見学していただく五重塔は今から200年前に再建されたものですが、現在の東京スカイツリーと同じ免震構造が施されています。心棒が10センチほど宙に浮いている構造です。今回、特別に中が公開されています。拝観料が別に必要となります。300円です。ご希望の方は私と一緒にお進み下さい」
<出たぁー!特別だぁー>
全員が入ったかどうかは確認していない(笑)。
(注)家康の命日は陰暦4月17日である。新暦5月21日にあたる。
                                 (平成31年作)




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春の山

春の山見て結構といふなかれ



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今年の優申会の研修旅行は「日光東照宮」参拝である。<誰が決めたのだろう、小学生の修学旅行でもあるまいし…>と思ったが、ここは考えようである。<三猿>と<眠り猫>程度の知識しかないことを思い、この機会にしっかりと東照宮について学んでおこうと考えたのである。まずは、アマゾンで「日光東照宮の謎」(講談社現代新書、高橋晴俊著)という本を一冊取り寄せて、その成り立ちや彫刻の意味などについて一通りの知識を得、また数年前に読んだ山岡荘八著「徳川家康」全26巻の最後の章「立命往生の巻」を読み直し、家康が亡くなる前に東照宮について何か言い残していたかどうかを確かめたのである。そもそも家康がなぜ日光に祀られているのか。あっという間に読み終えた。遺言にはこうあったと書かれていた。
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎてから下野国の日光山に小堂を建てて勧請せよ。そして神と祀られることによって八州の鎮守となろう」と指示したとある(金地院崇伝の日記「本光国師日記」より)。
八州とは「関八州」であり、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野のことである。関東の北の地、江戸城の真北に当たる日光の地に祀られ、のちの世までを見守ろうというのである。
「天下統一に至る過程で、どれだけ多くの血が流されたかを、誰よりもよく知っていたのが家康その人であった。それゆえに、再び戦乱の世に逆戻りすることがないよう、考えうるあらゆる施策を施したのである。その仕上げともいうべきものが「神に祀られる」ことであった。すなわち、家康は、わが国の平和永続のための守護神=国家鎮護の神として祀られることを望んだ」
フムフム、さすが家康公である。死んだのちのことまで抜かりがない。経営者とは……いやいや天下人とはこうあるべきなのだとますます家康の凄さに魅了されたのであった。
東照宮の彫刻についても面白いことがたくさん書かれていた。<三猿>や<眠り猫>のことはもちろん、行った時には是非見てみたいと思ういくつかの彫刻があった。
<これだけ知っていれば、まずはオッケー>
「日光を見ずして結構というなかれ」のフレーズを口ずさみながら4月20日(土)早朝、家を出た。
                                 (平成31年作)




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花冷え

花冷えや託す人なき投票日



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アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスで暗殺されたのが1963年11月22日、今から55年前のことである。その弟ロバート・ケネディ(略称ボビー)がロサンゼルスのアンバサダーホテルで凶弾に倒れたのが1968年6月6日、50年前のことである。ケネディ兄弟については、その若さやスタイル、ダンディズム、スマートで頭が良くて、魅力的で、今日のどの政治家も足元に及ばないほどの格好良さを持っていたのだが、その本質は決して外見的なものではなく、彼等の人生哲学であり、政治理念であり、夢であり、生きざまの素晴らしさにあったと言っていい。20世紀の歴史に不滅の足跡を残したケネディ兄弟について落合信彦氏が著書の中に書き記した文章を断片的に挙げておこう。(「ケネディからの伝言」より)

■ケネディ兄弟が残したもの、彼らがその短い人生において人々に示したものは、一言で言えば不可能に挑戦し、それをひとつひとつ打ち破っていく「チャレンジング・スピリット(挑戦の精神)」であった。
■ケネディ兄弟は政治家として、また一個人として人間の持つ最高レベルの要素を国民に示した故に抹殺されてしまった。信念もなく低レベルなところで活動している政治家はまず殺されることはない。
■1992年の金丸騒動を始めとする相次ぐスキャンダルに見るまでもなく、この国の政治家については、われわれが誇り得るところは何ひとつ存在しない。彼らは夢を語ることも、理想を掲げることもなく、考えるのは自分の地位を守り、次の選挙に通ることだけ。個人として政治家として、人間が最低レベルに落ちた時はこうなるという見本でしかない。
■大部分の国民は政治に絶望し、ひたすら無関心を決め込み、自分たちの小さなカラに閉じこもる。その結果、大きな夢を語る人物がいなくなった。理想や志に燃える若者がいなくなった。
■これらすべての悲しい現象の原因をたどると、この国にはジョン・ケネディやロバート・ケネディが生まれてこなかったという決定的事実に行き着くのではないだろうか。

2冊の本を読み終えた4月7日(日)は統一地方選挙の投票日だった。国民の義務ともいえる投票ではあるが、ケネディ兄弟の精神に触れた直後だけに投票所に向かう足取りが重く感じられたのは致し方ないところではある。
                                 (平成31年作)




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鳥雲に

留置所の窓は小さし鳥雲に



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映画の中でトニーとドクターが二人揃って留置所に入れられるシーンがあった。
夜中、次のコンサート会場に向かって走っている途中に逮捕されたのである。当時、黒人の夜間外出を禁ずる法律があり、車を止められ白人警察官に職務質問を受けたのだが、土砂降りの中を外に出るように言われた上、イタリア系の名前ヴァレロンガを「お前も半分は黒人か」と侮辱されたトニーが警官を殴ってしまったのである。当分、留置所から出られないと言い渡された二人だが、弁護士に連絡する権利を申し出たドクターが許されて電話した先が当時の司法長官ロバート・ケネディだった。すぐさま二人は釈放され、喜ぶトニーと自らを恥じるドクターである。
私「あれって本当の話だろうか?」
妻「実話というんだから本当じゃないの」
私「弟の方だよなぁ、司法長官だから……」
久し振りにケネディの名前を聞いた。落合信彦の本を夢中で読んだのは25年も前の話である。
私「あの本はもうないよなぁ」
妻「ないよ。今の家に越してくる前のことだから」

すぐにアマゾンで取り寄せることにした。「2039年の真実」と「ケネディからの伝言」の2冊である(写真)。
届いてすぐに読み始め、あっという間に読み終わった。「ケネディからの伝言」の中にジョン・F・ケネディが大統領選の最中に黒人に対する姿勢を明確にするシーンが書かれていた。黒人の偉大な指導者であり、後にノーベル平和賞を授与されたキング牧師が逮捕され、刑務所の中で白人の服役者たちによってリンチされるか、看守によって殺されるか、いずれにしても生きて刑務所を出て来る確率はゼロと思われていた状況の中でケネディが行動を起こすのである。
「ケネディに躊躇はなかった。彼は遊説先のシカゴのホテルから直接キング牧師の妻コレッタ・キングに電話を入れ、事態を非常に憂慮しており、できる限りのことをすると約束した。このケネディ介入の話はたちまちのうちに黒人社会に広がった。翌日、ボビー・ケネディはキングに有罪判決を言い渡した判事に電話を入れ、キングを即刻釈放するよう説得。彼がどう説得したのかは今もって定かではないが、ボビーのことだからかなり強引な話し方をしたのは確かだ。即日キング牧師は釈放された。このケネディの介入が黒人たちの心を動かしたのは言うまでもない。(中略)北部や東部の黒人たちは雪崩を打ってケネディ支持にまわった」
                                 (平成31年作)




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遅き日

涙もて出づ遅き日の映画館



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私「たまには映画でも観に行こうか」
妻「おっ、珍しい(笑)」
私「何か面白いの、やってるの?」
妻「グリーンブックかな。前から観たかったんだ」
私「グリーンブック?何それ、何の映画?」
妻「黒人の差別問題を扱った映画だけど、アカデミー賞を獲った作品だよ」
私「重そうだなぁ……」
日曜日の午後3時55分からの上映である。遅めの昼食のあと杉田駅までゆっくり歩いて3時半には上大岡TOHOシネマズに到着していた。一番後ろの真ん中の席である。そこが妻のお気に入りらしい。お客が疎らにしか入っていない。
私「いやに空いてるね」
妻「封切られてから随分と経ってるからね」
私「そんなものなの?」
そう言いながらも<あまり人気のない作品なのかも知れない>と思っていた。買って来たジュースを飲みながら、あまり期待していない自分がいた。

映画は主人公のトニー・リップ(写真左)が用心棒として勤めるナイトクラブを辞めるところから始まる。相手を殴りつけるシーンなどは迫力ものである。<何だろうこれは。アクション映画だろうか?>話はテンポよく進んでいく。面接、採用、愛する家族、2か月間の長旅、クリスマスイブには帰ってきてね、フムフム。1962年はまだまだ人種差別が根強く残る時代である。黒人でも泊まれる宿のガイドブックのことを<グリーンブック>というらしい。ガサツで荒っぽいがどことなく憎めない主人公が天才ピアニストである黒人ドクター・シャーリー(写真右)の南部アメリカの演奏の旅の運転手に雇われ、黒人嫌いだった彼が徐々にドクターに親近感を覚えて行くという内容である。行く先々で差別的な扱いを受けるドクター。彼の素晴らしいピアノの技。徐々にそのドクターを守ろうとし始めるトニー。グッとくるシーンがあり、クスッと笑わせるシーンがある。
旅を終えて無事に戻ったトニーの家には親戚が集まっている。「あの二グロはどうだった?」と親族の一人が言う。「おい、その言い方はやめろ!」とトニー。そこに現われるドクター。抱き合う二人。泣く映画ではないと思っていたが、最後の最後に泣かされてしまった。久し振りにいい映画を観たような気がした。真っ暗な映画館で最後の字幕が流れている。「エンドクレジット」というらしい。音楽を聴きながら、その時間が<涙が乾くのを待つ時間>であることを初めて知った。
                                 (平成31年作)




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物種

物種や世界に一つだけの花



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この4月に小学1年生になったカズ君のことを書いておこう。
3月末に初めて教科書をもらってきたようで娘が名前を書き入れたりしている。音楽の教科書があった。たくさんの歌が載っていたが、カズ君はその中の一つ「世界に一つだけの花」がお気に入りのようで何度も繰り返し歌っている。
娘が出掛け、妻が炊事をし、カズ君と二人きりという状態である。
カズ君「おーちゃん、この歌、知ってる?」
私「知ってるさ」
カズ君「じゃ、歌ってみてよ」
私「いや、その歌じゃなくて、まだ他にもいろいろあるんじゃないか?」
カズ君「この歌がいいよ。歌ってみてよ」
私「オッケー。はなやのみせ~」
カズ君「違う、違う。全然違う。どら、貸してみな、オレが教えてやるから。はなやのみせさきに~」
(一緒に)「ならんだ~」
カズ君「おーちゃんはヘタクソだなぁ(笑)」
私「違う歌にしようよ」
カズ君「いや、まだ2番をやってないじゃん」
私「2番はいいよ」
カズ君「じゃ、歌うから聞いててよ。こまったようにわらいながら~」
私「……」
カズ君「どう。分かった?」
私「分かった。『困ったように笑いながら』というところなんかはよく分かった(笑)」
カズ君「じゃ、初めから歌ってみてよ」
私「いやいや、もういいよ。もう、分かったよ」
カズ君「いいから歌ってよ」
私「いや、もういやだ」
カズ君「歌え、この~、もっと上手くなったほうがいいじゃん」
私「いや、ヘタでもいい……」
カズ君「ヘタでいい訳ないだろ。このォ~、やろ~よ!」
私「ひゃ~!」
                                 (平成31年作)




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日焼

ジヤワ更紗みな日焼してよく似合ふ



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朝食を終えてロビーに集合したのが11時である。帰国のフライトが夜11時なのでのんびりとしたスケジュールになっていた。ロビーで蜂谷社長が翻訳機(写真)を取り出した。いろんな物を持っている人である。ボタンを押して日本語で話しかけるとインドネシア語に翻訳してくれるという代物である。その逆も出来るという。試しにやってもらった。
蜂谷社長「何て入れましょうか?<負けてください>って入れてみましょうか」
私「お願いします」
蜂谷社長「はい、分かりました。<負、け、て、く、だ、さい>」
しばらくして表示された。
蜂谷社長「ん?何だろ?<野菜>って表示された」
私「<負けてください>の最後の<さい>だけを捉えたようですね。気合を入れて値切ると野菜が出てくるみたいですから、ホドホドにしておきましょう(笑)」
そのあとも蜂谷社長は何度か試していたようである。しかし旅行中に一度としてそれを使って会話しているのを見ていないので、おそらく今回はカバンの肥やしになったようである。とはいえ機械に興味を持つということは素晴らしいことである。何にでもチャレンジしていくタイプの人のようで、きっと会社でもいろいろなことに挑戦しているに違いないと思った。

車に乗り込んで最初に向かったのがショッピングセンターである。私のために<ブンガワンソロ>のオルゴールを探そうとしてくれたのだが扱っている店は見つからなかった。皆さんには申し訳ないことをしたものである。そのあと東南アジアで一番大きいというモスクを見学した。専門のガイドが付いてくれて隈なく内部を案内してくれた。ちょうどお祈りの時間に当り、大勢の信者がお祈りをするのを間近に見ることが出来た。
お土産屋ではバティックを勧められた。インドネシアのシャツでジャワ更紗ともいう。<これを買っていつ着るんだろう>と私自身は見ていただけだが、蜂谷社長はご自分の分のみならず奥様にも買っていたので、果たして喜ばれたかどうかは聞いてみたいところである(笑)。
遅めの昼食は「バタビア」というインドネシアがオランダ領だった頃の建物を利用したレストランだった。「ここは高級店です」と通訳の人が話していた。そこで食べた「ソト ブタウィ」というスープとご飯は絶品だった。
あれやこれやと気を使わせた3日間になってしまった。研修生を選ぶという任務は果たしたのでまずまずの出張だったということになるが、事前に調べておいた花や果物などに出会うことは叶わなかった。心残りといえばその辺りのことである。最後の最後に空港でEチケットを紛失して大慌てするというハプニングはあったが、無事に機内に乗り込んだのだから結果オーライである。「日向さんは乗り込んですぐ、離陸する前にすでに熟睡していた」とは後ろの席にいた福永さんの証言である。旅先で出会った皆さんとのご縁を大切に、半年先の研修生を迎える準備に取り掛かろうかと思っている。
                                 (平成31年作)




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スコール

スコールや椰子の葉陰のシヤワー小屋



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橋の先に沐浴場のような場所があった(写真)。橋の上から眺めていると男も女も入って行く。洗面器を抱えているし、出て来ると髪を濡らしているので沐浴場だと見当がついた。男が一人、入口付近に立っている。沐浴をした人なのか、沐浴場の番人なのか。洗面器も持っていないし、煙草を吹かしたまま動こうともしない。目が合った。バツの悪いものである。少し口角を上げて微笑みかけてみたが、どう受け取っただろうか、男は何も表情を変えない。前日に書いてもらったメモ<中を見学してもいいですか?>のことがちょっと過ぎったが「ノー」と言われることが想像出来た。しばらくして男が中に入って行った。いなくなったのでこの写真を撮った。
少ししてから沐浴場の方へ近づいてみた。スリッパが乱雑に脱ぎ捨てられている。<イスラム教の沐浴とは何分くらいするものだろう?>、<1日に何回行なうのだろう?>、<そこは有料だろうか?>そういえば小説「神鷲商人」の中にも沐浴シーンがあったことを思い出した。女性のシャワーシーンを覗いたとか覗かなかったかを言い争う場面である。写真を撮って不審者扱いされては大変である。素通りすることにした。手前で少し立ち止まって見ただけだが、中には通路があり、その左右にドアが付いていて10室以上あるように見えた。ベニヤ1枚の扉のようにも見えた。女性が入っているのを知っているのでジロジロ覗くのはマズイと思った。さきほどの男の姿が奥に見えたので、そそくさと通り過ぎることにした。別に悪いことをしている訳ではないが、所詮、興味本位なので後ろめたさが残る。ガンジス川での沐浴シーンとは大きく違うので、これが本当に沐浴なのか只のシャワーなのかも分からないままその場を立ち去ることになってしまった。

先を行くと男が腰掛けて野菜を刻んでいた。掘立小屋のような建物の前でまな板代わりに簡単な板を渡して何かを切っている。日本なら「何を切っているのですか?」と声を掛けるところだが、素通りするしかない。放し飼いのニワトリが周りをウロウロしていた。
広場に出た。いろんな物が置いてある。道で引き売りをする屋台が何台も置かれている。工事の土砂のようなものが山となっている。煙が立っている。放し飼いのヤギが何匹も草を食んでいた。
来る時に見た<工事車両が通るような場所>というところに通じているのが分かった。遠くにオートバイが何台も走っているのが見える。逆に入って来たとしても先程の沐浴場にも橋にも行けなかったに違いない。掘立小屋の脇に入口があるので、入ろうとする訳がないからである。ひとまず大きな通りに出て、ホテルに戻る道を進み、途中でまた違う方向に歩き始めた。2時間以上の散歩となりホテルに戻ってすぐに沐浴ならぬシャワーを浴びて朝食会場に向かった。
(注)この旅行で出会わなかったものにスコールがある。
                                 (平成31年作)




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夏川

夏川に傾く椰子の二三本



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校門の前が行き止まりのようになっていた。<戻るしかないか>と思っていたところ、思わぬ方向からオートバイが出てきた。校庭の壁の横に細い路地があったのである。見ると人1人、オートバイ1台がようやく通れるような細い道である。<戻るよりいいか>と思い、入ってみることにした。50メートル程の距離だが、途中まで行ったところで先にオートバイが見えた。ライトを点けているのですぐに分かった。私が通り終えるのを待っているようなので大急ぎで先まで進んだ。<よくもこんな路地に入ってくるものだ>ジャカルタのオートバイ文化には感心するしかない。そこからは更に狭い道が続いた。民家の庇の下を潜るような場所もあった。家の中が丸見えで横になっている人の背中も見えた。裸足の女性が立っていたり、煙草を吹かしている老人もいた。写真を撮るのも憚れるような雰囲気である。急にニワトリが飛び出してきたり、やせ細った猫がこちらを見ていたりする。前日に回った地域よりも貧しい地域のようである。
急に鼻を衝くような臭いがしてきたかと思った途端、川に出た。橋が架かっていた。ホッと息を継いだ。橋の真ん中に立って見た風景に懐かしさを感じた(写真)。来る前に読んできた金子光晴の詩の世界である。昭和の初めに金子光晴が見たジャワ島の風景を見るような気がした。

『洗面器』

(僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが爪哇(ジャワ)人たちはそれに羊(カンピン)や魚(イカン)や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたへて、花咲く合歓木(ねむ)の木蔭でお客を待つてゐるし、その同じ洗面器にまたがつて広東(カントン)の女たちは、嫖客(へうかく)の目の前で不浄をきよめ、しやぼりしやぼりとさびしい音をたてて尿(いばり)をする。)

洗面器のなかの
さびしい音よ。

くれてゆく岬(タンジヨン)の
雨の碇泊(とまり)。

ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。

人の生のつづくかぎり。
耳よ。おぬしは聴くべし。

洗面器のなかの
音のさびしさを。
                                 (平成31年作)




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夏未明

夏未明ルピア紙幣をしのばせて



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翌朝は前日よりも少し早めに起きた。ホテルの窓から見えるモスクを訪ねようと思ったのである。イスラムの礼拝とはどのようなものなのか。アラーへの祈りとはどのように行なうのか。通訳の人には前日イスラム語で「Bolehkah Saya Masuk Ke Masjid ini Untuk Melihat-lihat?」と割り箸の紙に書いてもらっている。<中を見学してもいいですか?>という意味である。これを見せれば入れてくれるはずだと言ってくれた。蜂谷社長も誘ったが断られた。
「そんなに早く起きられません。それに何かトラブルに巻き込まれそうな気がするので遠慮しておきます(笑)」
今回はルームカードを失くさないようにしっかりと財布に仕舞い込んで、まだ明け切らぬジャカルタの街へと繰り出した。何かあってはいけないとルピア紙幣も少し持っていった。車とバイクの行き交うホテルの前の通りを進み、歩道橋を渡る。いろんな人と擦れ違うが2日目なのでさほど怖さは感じない。モスクに向かって一直線に進んでいった。私の目見当では10分位の距離である。しかし曲がり角があるだろうと思っているモスクへの道が見つからない。途中、工事車両が通るような未舗装の道が一本あっただけである。
「???」
どういうことだろう?あたりはすっかり明るくなり、交通量も一段と増えてきた。道は大通りに突き当たった。大きな大使館のような建物がある。見上げるような高層ビルが何棟も建っている。そこを左折し、さらにしばらく歩いて行った。10分どころの距離ではない。朝だというのに背中に大汗を掻いていた。
ようやくモスクの方に向かう道が見つかった。オートバイにぶつかりそうになりながらも進んでいった。突き当りに小学校があった。小学生を後ろに乗せたオートバイが次々と到着する。登校時間のようである。いやに早い。モスクはと見れば柵がされて入れないようになっていた。お祈りの時間に間に合わなかったのかも知れないとも思ったが、果たしてそこが本当にモスクだったのかどうかも怪しい気がしていた。柵に凭れながら小学生が校庭に走って行くのをしばらく眺めていた。持ってきたお茶を飲みながら汗を拭った。
                                 (平成31年作)




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ビール

カタコトを覚え異国にビール酌む



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私「いやぁ、疲れたねぇ(笑)」
会長さん「お疲れ様でした。仕事は終わりましたので、あとはゆっくり飲むだけです(笑)」
面接を終えて到着したのは「武士道」という名前の日本料理店だった。会場からさほど遠い距離ではないが優に1時間半は掛かっている。どこを走っても渋滞に巻き込まれるのである。この時は現地会社の社長さんも一緒に参加していた(写真左側、手前3人目)。会長と従兄弟同士だという。こちらも日本語があまり得意でないようで、いつもニコニコしているばかりである。ビンタンビールで乾杯したあと、銘々が好きな物を頼んだのだが、皆さんが刺身や焼き鳥を注文する中で社長さんだけはカレーライスを頼んでいる。しかも大盛りである。飲まない人らしい。
私「ジャワカレー?」
社長さん「これ、この店で一番美味しい。大好きです(笑)」
隣のインドネシア人に通訳してもらうと社長はいつもジャカルタではなくジャワ島の中央部あたりの町にいるらしい。そこに本社があるという。
私「それじゃ、ソロ川の近くですか?」
社長さん「そうです。会社のすぐそばをソロ川が流れています。自然そのままの川です」
私「それじゃ、いつもブンガワンソロを歌っているんじゃないですか?」
社長さん「カラオケ店も経営しています(笑)。ブンガワンソロを知っているのですか?」
私「もちろん知っています。インドネシアで一番有名な歌ですから。ブンガワン、ソロ~」
社長さん「ブンガワン、ソロ~、イワヤヌ~イニ~」
カレーライスを食べながら口ずさむので少々行儀が悪いが、とてもいい人である。
この曲は小説「神鷲商人」(深田祐介著)の中でスカルノ大統領とデヴィ夫人が初めて出会うシーンで歌われた曲となっている。クラブ歌手をしていたデヴィ夫人に「これからインドネシアの偉い人が来店するので、急で悪いがこれを歌ってくれ」と楽譜を渡しながら接待役の商社マンが頼むのである。見事に歌いきったデヴィ夫人に「ブラボー!」と駆け寄るスカルノ大統領が描かれている。
私「ブンガワンソロのオルゴール、売ってないかなぁ?」
この一言で翌日いろいろな店を回ることになり、お付き合いいただいた皆さんには本当に申し訳ないことをしたものである。

隣に座った蜂谷社長はとてもいい人だった(写真右手前、49才)。埼玉県でキャンピングカーの製造販売の会社を経営している人である。旅行中、やたらと写真を撮りまくっているので聞いてみると、ブログに載せるらしい。
私「社長は機械に詳しそうですね」
蜂谷社長「そんなことないですよ(笑)」
私「私のスマホは全然インターネットに繋がりません」
蜂谷社長「どれ、貸してください。ああ、これではだめですね。<イモトのWi-Fi>はどうしました?空港で借りていましたよね」
私「繋がらないんでホテルに置いてきました」
蜂谷社長「戻ったら見てあげますよ」
私「お願いします」
夜中、私の部屋に立ち寄ってくれた。
蜂谷社長「電源が入っていません。これじゃ、繋がりませんよ(笑)」
メカに強い人は頼もしい。
                                 (平成31年作)




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虹架けて日本に夢を託しけり



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面接が始まった。まず1名ずつの自己紹介である。私の正面に起立し大きな声で挨拶する。
「ハジメマシテ。ワタシノナマエハ、〇〇デス。〇〇ト、ヨンデクダサイ。19サイデス。ドクシンデス。ジャワトウノ、〇〇カラキマシタ。イッショウケンメイ、ガンバリマス!ヨロシク、オネガイ、シマス!」
全員が同じ口調である。何度も練習してきたことが分かる。相当に緊張しているのが伝わってくる。必死なのである。4名が終わったあと、私の自己紹介となる。会社の歴史や作っている物、工程、人員、仕事の内容などを話していく。ひと区切り話をすると、通訳が説明をするというやり方である。研修生の頷き方で理解されたかどうかが分かる。
私「あなたたち4名は背の高い人達です。塗装の仕事をしてもらいます。他の仕事に比べ、キツイと思うかもしれませんが、会社にとっては大切な仕事です。どんな仕事でもやり切る自信がありますか?」
通訳が大声で説明する。
「ハイ、ダイジョウブ、デス。ガンバリ、マス!」
答え方や表情で性格が見えてくる。言葉が通じなくても大体が理解できるというのも不思議なものである。午前の部、約1時間半で4名の中から良さそうな2名に印を付けた。昼食を挟んで午後の部である。一斉に5名を呼んだ。同じように自己紹介から始まり、会社案内、仕事の内容説明と進んでいく。また、良さそうな2名が見えてくる。
福永さんに頼んだ。
私「ここで私が決めるのもいいですが、やはり当たり外れが起こる可能性があります。会長に聞いてもらえませんか。9名の中でも推薦する順番があるでしょう。送り出し機関としても企業側に喜んでもらいたいと思っているはずですから、長い間一緒にいて会長がいいと思う順番を教えてもらいたいのです。聞いてみてください」
福永さん「実はもう預かっています。初めに日向社長にお渡しすると、そういう目で見てしまいがちですから3名を選ぶ最後の時の参考にしてもらえればと思っています」
最後も何もあったものではない。すぐに見せてもらった(笑)。選んだ4名は会長のリストでも上位に書かれていた。<なるほど、見方は一緒だなぁ>いい人材を日本に送り出そうとしていることが分かった。企業側に喜ばれてこその派遣事業である。
4名を3名に絞り込んで決定した。再度、一人ずつ呼んで話をし決定を伝えた。
「アリガトウ、ゴザイマス。イッショウケンメイ、ガンバリマス」
福永さんから<最後に社長から一言>と言われたので次のように話をした。
私「日本に来るにあたり、これだけは忘れないでもらいたいと思います。一つ目、今の気持ち、選ばれた感謝の気持ちを忘れないこと。二つ目、想像しているものと現実は大きく違うと思います。どんなに違っていてもまずは全てを受け入れること。受け入れることから始まります。三つ目、日本に来る時にしっかりと目標を立ててください。それを最後まで忘れないように頑張ってください」
研修生を前にしながら、この人達の大切な3年間を預かる責任をひしひしと感じていた。
                                 (平成31年作)




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夏負け

夏負けのあやしき日本語となりぬ



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無事に朝食を済ませ、9時にロビーに集合した。他の人達がネクタイに背広姿だったので驚いた。
私「えっ、皆さん、ネクタイなんですか?」
福永さん「大丈夫です。その格好で何の問題もありません」
私「軽装は駄目って書いてあったのを、Tシャツと短パンが駄目という意味に理解したんだけど」
福永さん「日向社長、大丈夫ですって。たまたま、お二人がそうしただけで日向社長の格好で何の問題もありません」
私「今更問題だと言われたって手遅れだよ。部屋に置いてあるカバンにはサンダルと半ズボンしか入っていないから」
車に乗り込んで約1時間後に到着した面接会場で研修生たちは整列して出迎えてくれていた(写真)。
車の中で福永さんに叫んだ。
私「福永さん、ネクタイと背広!すぐにどうにかして(笑)」

前日出迎えてくれた会長さんはじめ、社長さんやスタッフの皆さんが揃っていた。全員と挨拶を終えてすぐに面接となった。当社は3名の研修生受け入れを予定しているので9名の候補生がピックアップされていた。他の2社は2名ずつなので6名の候補生である。面接の仕方は会社ごとのやり方に任せるという。他の会社は1名ずつ会っていくという。
私「9名を一人ずつじゃ、集中力が続かないよ。ウチはまとめてやらせてよ」
福永さん「どうぞ、社長さんのいいようにやりますので指示してください」
私「ウチでは身長が高くないと務まらない職場があるので背の高い順に4名まとめて呼んでもらいます。その中からその職場で働いてもらう人を1名決めます。高い順に4番、6番、7番、9番の人を呼んでください」
私が中央の机に座り、福永さんが右に、インドネシア人の通訳が左に座って進めることになった。研修生が座るためのプラスチックの椅子を5脚用意してもらった。いよいよ面接開始である。通訳の人が外に出て行って一人ずつ入って来るように指示したようである。しばらくしてやってきた。ドアの外に立って大声で尋ねてくる。
「失礼します!入って宜しいでしょうか?」
「どうぞ!入ってください」
「ありがとうございます。失礼します」
4人が4人とも同じ言葉を唱和する。
「シツレイ、シマス。ハイッテ、ヨロシイデ、ショウカ」「アリガトウ、ゴザイマス。シツレイ、シマス」
この声が全員大きいのである。こちらは聞かれるたびに大きな声で答えなければならない。
ついつい「ドオゾ、ハイッテ、クダサイ」となる。
                                 (平成31年作)




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羽抜鶏

羽抜鶏うなづくさまに彷徨へり



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翌朝の予定は6時から9時の間に朝食を摂り、9時にロビーに集合して研修生との面接会場に向かうというものだった。
5時に目が覚めた。何やらスピーカーでお祈りのような声が流れていた。ホテルの密封された部屋の中で聞こえるのだから相当な音量と思われる。イスラムのお祈りだと思った。顔を洗ってホテルの外に出てみることにした。薄暗い中を歩き始めたがすぐに明るくなった。ホテルの前に墓地が広がっている。その中からオートバイが次々と走って来るので中に入ってみることにした。裸足の人と擦れ違った。道端に蹲っている人もいる。鶏が放し飼いになっていて餌を探している(写真)。高層ビルが乱立するジャカルタの町にこのような一画が残っているのである。舗装もされていない道を二人乗りのオートバイが器用に走ってくる。ぶつからないようにしながら先へと進んでいった。細い道路に面して犇めくように建っている古い民家。開けっ放しの入口から中が丸見えの家もある。道には屋台が出ていて食事を摂っている人がいる。列を作ってパンを買っている人がいる。小学生が家から飛び出してきて父親のオートバイに飛び乗った。登校時間のようである。家々の前に鳥籠がぶら下がっている。文鳥のような鳥もいればインコや九官鳥のようなのもいる。鳥を飼う習慣があるようだ。少し豪華な家もあるが、そういう家は決まって頑丈そうな壁や門扉があり、門兵を立たせている家もある。車の進入を防ぐように手動式の遮断機を上げ下げしている家もある。1時間程、歩いて来て町の様子がなんとなく分かってきた。メイン通りの交通量は一段と増えていた。車もオートバイも引きも切らずに続いてくる。活気溢れるジャカルタの朝を垣間見たのだった。

ホテルに戻る路上でルームキーを失くしたことに気付いた。ズボンのポケットに入れておいたのだが、スマホを出し入れしているうちに落としてしまったようである。
<どうしよう。朝食会場で提示を求められるかも知れない>
ロビーに戻り、福永さんに電話を掛けてみた。名刺に書かれた番号に掛けると<インドネシア>と表示されるだけで何度やっても繋がらない。正しい電話の掛け方を聞いていなかったのである。部屋を訪ねようかと思ったが誰の部屋番号も聞いていない。誰かいるかも知れないと朝食会場に行ってみたが生憎と誰も居ない。
<どうしよう>
しばらく考えて結局はフロントに行くことにした。
「ルームキー、ロスト」
「???」
「ルーム、カード、ロスト」
「ルームナンバー?」
「エイト、オー、シックス」
「オッケー」
英語となると途端に小心者となる(笑)。
                                 (平成31年作)




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熱風

空港を出て熱風のジヤカルタへ



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機内での席はバラバラだった。窓際の席に座って隣は空席である。片道7時間12分、誰にも邪魔されずに読書が楽しめそうである。金子光晴著「マレー蘭印紀行」のインドネシアの章を読み返し、松下幸之助著「素直な心になるために」を読み始めた。飲み物の注文を聞きにきたので「ビール」を注文する。銘柄はもちろんインドネシアビール「ビンタン」である。しかしツマミが出てこない。日本の航空会社なら絶対に出てくる場面である。
松下幸之助曰く「素直な心というものは(中略)物事に対して臨機応変、自由自在に取り組むことの出来る心ではないかと思うのです。したがって、素直な心が働くならば、いつどのような物事に出くわそうとも、必要以上に驚きあわてることなく、また窮して行き詰まることもなく、常に正々堂々と物事に対処し、そこより良き成果を生み出していくことが出来るのではないでしょうか」(第1章「融通無碍」より)
この章を読んだばかりだったのですぐに行動に移した。
私「ツマミ、プリーズ」
笑顔のキャビンアテンダントがすぐに持ってきてくれた。<百万ドルの笑顔>ならぬ<百万ルピアの笑顔>である。
1万ルピアが78円なので7800円ということになる。言ってみるものだと思った。松下幸之助<様様>である。

初めて赤道を越えた。ほぼ予定通りにフライトし、夜7時30分に到着した。日本と2時間の時差があるので現地時間では5時30分ということになる。少し得した気分になる。入国審査や荷物の受け取りなどに手間取り、6時40分にようやく現地のスタッフと合流した。空港を出た途端、気温28℃の熱風を浴びた。南国であることを否応なく感じる。車2台に分乗してジャカルタ市内のレストランに向かったが、途中、途轍もない渋滞に見舞われた。高速道路が動かないのだ。乱暴なドライバーはその渋滞の中でも車線を変えようとする。クラクションを鳴らす。急ハンドルを切る。後ろからクラクションを鳴らされる。脇をオートバイがすり抜ける。よくも事故が起きないものである。延々と進んだり停まったりを繰り返して8時過ぎに到着した。店では送り出し機関である会社の会長さん(写真)が待っていてくれた。39才だという。少し辛めのインドネシア料理を食べながらビンタンビールで話が始まった。
会長「ジャカルタの印象はどうですか?」
私「まだ来たばかりだから分からないけれど、美人が多いような気がする(笑)」
会長「ヒナタさんは面白い人だ(笑)」
私「インドネシアは一夫多妻制だといいますが、会長さんには何人の奥さんがいますか?スカルノ大統領と同じくらいいますか(笑)」
会長「スカルノ大統領ほどではない(笑)」
私「4人か?」
会長「ノーノー、大統領は4人ではない。7人だ」
日本へ研修生を送り出す仕事をしていながらあまり日本語の上手くない会長とはインドネシア人の通訳を入れての会話となる。会社を起こすまでの苦労話や研修生の教育方法などについて聞きながら楽しい夕食時間を過ごしたのだった。ホテルに到着したのが11時半。日本時間の1時半である。もちろん、いつもならとうに寝ている時刻である(笑)。
                                 (平成31年作)




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