2019年03月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年03月の記事

春興

あれこれと春興を詰め旅鞄



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出発は3月18日(月)である。全ての準備は妻がしてくれた。旅行カバンや下着、着る物、傘、薬の類い一式である。16日(土)にはほとんど完了していたようである。何事も人任せにして私は安心し切っている。さすがに前日の日曜日の夜に文句を言ってきた。
妻「もう準備はいいの?」
私「大丈夫」
妻「大丈夫って、何もしてないじゃないの」
私「ん?大丈夫だと思うけど……」
妻「何をやっているの、さっきから。植物とか食べ物のことしかやってないじゃないの。本当にそれで大丈夫なの?」
現地ジャカルタの事前情報を得ようといろいろと調べていたのである。咲いていそうな花、生っていそうな果物、インドネシアならではの料理、飲み物、知っておくべきイスラム教のことなど。
妻「そんなことよりワイハイとかは大丈夫なの?」
私「何、ワイハイって。たしか、旅行会社の人に頼んだと思ったけど……」
妻「ちゃんと知っておかないと、すぐに慌てることになるわよ。インドネシアから電話でも掛けて高額料金請求なんてことにならないようにね」
私「脅かすなよ。教えてよ。携帯で何をすればいいの?」
妻「まず、イモトのワイハイを借りたら……」
私「ちょっと待って。メモするから」
妻「空港に着いたらすぐにやってね。やることを言うよ」
私「どうぞ」
妻「違う違う。ワイハイの綴りはYじゃない。Wだよ」
私「えっ、ワイハイが何でWなの?」

空港には集合時間の30分前に到着した。メンバーはほとんど揃っていた。一緒に面接に向かう2つの会社の人達も到着していた。ビルの除震設備を製造している会社の会長さんご夫妻と特殊車両を製造する会社の社長さんである。名刺交換をしている間に旅行をエスコートしてくれる今回の仲介業者の担当者が「イモトのWi-Hi」を取りに行ってくれた。福永さんという。受け取ってさっそく妻から聞いた通りにセットしてみた。簡単である。準備完了。<案ずるより産むがやすし>とはよく言ったものである。
福永さん「全員揃いましたので、時間前ですが搭乗手続きへと向かいましょう!」
いよいよガルーダインドネシア航空での旅スタートである(写真)。
                                 (平成31年作)




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鷹鳩と化す

鷹鳩と化しいざガルーダの国へ



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インドネシア行きが決まった。<急げ、急げ>と仲介会社の担当者を急き立てたので3月中旬のフライトとなった。現地の準備、人選、旅行会社の手続きなど大急ぎで進めてくれたようである。
私はというと、まずは現地のガイドブックを買いに行くところから始まった。本屋に海外旅行のガイドブックはたくさんあったが、目的地ジャカルタとなると意外と少ないのに驚いた。私が行った本屋の海外旅行コーナーにジャカルタのガイドブックはたった1冊しか置いていなかった。
「どうしてこんなに少ないのだろう?有名なジャカルタなのに……」
読んでみて分かった。観光スポットがいやに少ないのである。遊びに行く人が選ぶ場所ではないようである。
「2泊4日というが、面接の他は何をして過ごすのだろう?」

次に行なったのはインドネシアを知るための本を読むことである。深田祐介著「神鷲(ガルーダ)商人」上下巻をアマゾンで取り寄せた(写真)。戦後のインドネシア、すなわちスカルノ大統領の時代に日本の商社が如何にインドネシアの発展に係わっていったかを描いた小説である。冒頭からデヴィ夫人が主人公で描かれている。いつもテレビで見るデヴィ夫人がその時代を如何に生きてきたかを綴っていてとても面白く読んだ。スカルノ大統領(58才)がバリ島にある別邸でデヴィ夫人(19才)に愛を告白するシーンである。

『この庭にも二本のライチの巨木が植えられている。その彼方の森に夕陽が沈もうとしていて、大気が花の匂いや土の匂いに満ちる南国の黄昏があたりを領していた。
「あの木は夫婦なんですよ。ライチの木には男と女があるんだ。実のなる木とならない木があるんです」
そういってから、スカルノはふいに直美のほうに向き直った。
「あのライチの木のように、ミス根岸、私の傍にずっといてくれませんか」
直美の肩を強く掴んでいう。
「私の霊感の源泉になって欲しい。私の力の源になって欲しい。そして私の生命の喜びになって欲しいんだ」
直美は身近にスカルノの使っているシャリマルのオーデコロンの香りを嗅いだ。
夢の中の言葉のように「Please be my inspiration. Please be my strength. Please be joy of my life.」という英語を聞いた。
南の風が二本の巨木を揺らし、庭先のポールに掲げられた紅白二色のインドネシア国旗が夕焼け空にはためき始めた。直美はあたりに潜んでいるに違いない護衛兵の眼を気にしながら、スカルノの胸に倒れ込んだ」』
(小説ではデヴィ夫人は「根岸直美」という名前で描かれている)
                                 (平成31年作)




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子猫

人攫ひめくや子猫を抱き上げて



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1月、当社工場のある工業団地の賀詞交換会があった。知った顔ばかりであるが、久し振りに会う人もいる。
私「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
吉永社長「相変わらず忙しそうだね。いつも遅くまで工場の灯りが点いているじゃないか」
私「いやぁ、早く帰りたいと思ってもなかなか仕事が終わらなくって……」
吉永社長「人手は足りてるの?」
私「いえ、ご多分に洩れず募集しても集まらないんですよ。派遣を入れたりしていますが、戦力には程遠い感じです」
吉永社長「ウチは外国人を入れたよ。いいよ、一生懸命やってくれるよ」
私「どこの国の人ですか?」
吉永社長「インドネシア」
私「インドネシア!スカルノ大統領だ(笑)」
吉永社長「日向さんも古いねぇ(笑)」

「もし興味があるなら話を聞きにおいでよ」という言葉に甘えてすぐに総務担当と一緒に会社を訪問させてもらった。先方の担当者が詳しい話をしてくれた。昨年秋に2名受け入れ、良かったのでもう1名追加するという。本当に満足しているような話しぶりだった。
私「どうする?ウチもやってみるか」
総務担当「前回のベトナムの件もありますけど、今のままじゃ、人も集まりそうもありませんから……」
私「よし、紹介された仲介会社にすぐ連絡してくれ。そこの話を聞いてから決めよう」
当社でも今から10年前にベトナム人の研修生を3名受け入れたことがあった。優秀な3名だったが、現場からは「折角教えても3年で帰国してしまうのでは日本人の方がいい」と言われてしまったのである。それ以来、外国人は受け入れていない。しかしあの頃と状況が変わっている。今は募集しても人が集まらないのだから外国人が駄目だなどと贅沢を言っている余裕はないのだ。
仲介会社の担当者が来て詳しい話をしてくれた。とても可愛い23才の女性である。
私「よし、やろう。決めた。まずは3名お願いします。最短で連れて来てください」
担当者「今から手配すると早くても11月になります」
私「11月!それはいくらなんでも遅過ぎるよ。もっと早くならない?」
担当者「いろいろ手続きがありますので……」
私「手続きは端折るためにあるんだよ。余計なことは省いて7月8月あたりにはお願いします」
担当者「結構、社長さんは強引ですね(笑)。分かりました。9月の便がありますのでそれに間に合うように努力します。そのためには人選を急ぐ必要があります。現地で面接をしていただくと早くなるのですが……」
私「了解。早くなるんなら面接に行きます(笑)」
                                 (平成31年作)




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春潮

春潮に散りゆくものの美しく



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会場に戻り、いよいよ大会が始まった。開会の言葉、理事長挨拶と続き、マブソン青眼氏による「反骨の俳人、一茶」と題した40分間の講演が行われた。
隣の男性「一茶には興味がないから、どうでも一茶(笑)」
ダジャレの好きな人に悪い人はいない。しかしここは賛同する場面ではない。黙って聞き流したが、始まってすぐに男性がコックリ、コックリとやり始めたので本当に興味がなかったことだけは理解できた。当のマブソン先生は40分の予定を大きく超過して1時間に亘って熱弁を振るった。時間にルーズなのはどうかと思ったが、小林一茶の面白さを分かりやすく話してくれたのは有難かった。
5分間の休憩を挟んでようやく句会が始まった。選者の先生4名が前のテーブルに座り、投句された206句の中から自分の良いと思われた句を読み上げていくのである。佳作20句程度を読み上げ、最後に特選3句を披露するというやり方である。マイクで一句ずつ読み上げていく。作者が誰かは分からない。自分の句が読まれたら「15番、山田一郎」というようにして番号と名前を大声で叫ぶのである。読まれたら会場の後ろにある大きなボードに係の人が〇を付けていく。〇を一番多く取った人が最優秀「実朝賞」の受賞者となるのである。
最初に山川幸子氏の選である。投句された全206句の中の1句を読み上げるのである。確率としては低そうに見えるが、自分が作った俳句には全員がそれぞれ自信を持っている。<次は自分か>と思いながら耳を澄ませて聞いているのである。読まれるたびに違う人の句が読まれることになるのだが、<次こそは、次こそは>と思う心理が面白い。私の場合などは<ここで読まれないように。ここでは読んでくれるな>と思っているのだから始末が悪い。<ここではなくて特選で読んでくれ!>と思っているのである(笑)。山川氏の佳作にも特選3句にも入らなかった時の落胆。<えっ!嘘でしょ。なんであの句の良さが分からないの!>である。プレバトの梅沢富美男さんが「えっ!なっちゃん、なんで?なんでこの句の良さが分からないんだ!このクソババァ!」とやる場面と一緒である。
<分からない人もいるんだなぁ>と思っている自分がいる(笑)。
次は松田美子氏の披講である。どんどん読み上げられていく。またまた読まれない。佳作が終わり、あとは特選3句となった。誰かの句が呼ばれた。<ダメか>と思った時である。
「白梅を散らして雨の実朝忌」
<来たァ!>
「65番、日向亮司!」
妙に声が大きくなってしまった。
<やったァ!>
隣の男性「おお、呼ばれたなぁ。大したもんだ。特選だぁ」
私「ありがとうございます。やりました(笑)」
久し振りの快感である。その後、松尾隆信氏も佳作に選んでくれた。
句会が終わって最後に選者が自分で選んだ特選句について一言ずつコメントをした。
松田氏「白梅が散るというのと実朝の死が上手い取り合わせになっていると思いました。今日、読んだ句の中で一番好きな句です」
<おお、うれしい!>
松田美子氏が高浜虚子のお孫さんで「春潮」を主宰する有名な俳人であることにその時は気付いていない。頂いた色紙は今、大切に部屋に飾っている(写真)。
                                 (平成31年作)




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右府の忌

右府の忌の激しき雨となりにけり



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蕎麦屋から戻ると会場は相当な数で埋まっていた。正式には104名の参加だったようである。私が取っておいた席の隣に男性が座っていた。70代後半とお見受けした。
男性「投句は済ませましたか?」
私「先程ここに来た時に出しておきました」
男性「ここに載ってますか?」
私「ん、なんでしょう?」
男性「事前に投句したものです」
私「ああ、私は出していません。今日のこの場所が初めてです」
この実朝忌俳句大会は事前に投句したものの審査発表と当日投句するものの審査の2種類があるようで、男性は前者のことを言っているのである。結果を一覧表にした紙を見せてくれた。
私「失礼ですが、こちらに選ばれているんですか?」
男性「はい、これです。鎌倉同人会賞というのに選ばれました」
私「おお、それは素晴らしい。今日はどちらからですか?」
男性「東京です」
私「それはそれは。遠くからご苦労様です(笑)」

しばらくして案内があり、これから近くにある白旗神社に参拝に行くという。源頼朝と実朝を祀っている神社である。式次第に「白旗神社社前祭」と書かれていた(写真)。
「雨が降っていますので無理をしないでいいですよ。20分程で戻りますので参加されない方はここでお待ちください」
雨の中を歩いて社前祭に参加してきた。立派な社殿の神社だった。向拝の下に参加した人が全員入れたので30名くらいだったかも知れない。前列に椅子が用意され、鎌倉同人会の会長さん、当日の講師マブソン青眼氏、それにその日の選者を務める宮坂静生氏、松尾隆信氏、松田美子氏、山川幸子氏の6名が腰を掛けて並んだ。私はその向かい側に立っている。宮坂氏が隣の松尾氏に話し掛けているのが聞こえた。
宮坂氏「今日はこの天気だというのに雨の句が少なかったですねぇ」
松尾氏「そうですね。もう少し、出ても良かったですね」
宮坂氏「中にはいい句もありましたが、意外でした」
選句を終えての感想らしい。<雨の句が少ない>これは104名が当日詠んだのではなく、事前に作ってきた句を提出したからだろう。<少ないけれどいい句もあった>その一言で、もしかして宮坂という人は私の白梅の句を選んだのではないだろうかと考えた。考えれば考えるほどそう思えて来て、私の妄想は次第に確信に変わっていくのである。この自信はどこから来るのだろう。俳句というものは恐ろしいものである。全て自分を中心に物事を考えていく(笑)。
                                 (平成31年作)




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実朝忌

白梅を散らして雨の実朝忌



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他人の俳句の出来不出来を云々している場合ではない。翌日の3月3日(日)は鎌倉八幡宮で行われる「実朝忌俳句大会」に参加しようと思っていたので、そこに出す俳句を考えなければならなかったのである。
昨年の3月3日は横須賀で行われた「雛流し」を見に出掛けている。倫理法人会のモーニングセミナーで会長退任の挨拶をしたあとだったので忘れられない日となっている。今年はどうしようかとインターネットで調べているうちにこの「実朝忌俳句大会」を知り、事前の参加申し込みも必要ないようなのでブラリと出掛けてみることにしたのである。
11時受付開始、午後1時大会スタートである。家を10時に出た。
妻「随分早いわね。早過ぎるんじゃない?」
私「ううん、大丈夫。早目に行って下見したいから」
俳句はその場で考えるのが一番である。いくら頭で考えても、その場で見たり感じたりしたものには敵わない。私の俳句の師である道川虹洋先生がいつも言っていたことである。もちろん推敲も大切だが、それ以上に何を詠むかが大切である。吟行の意味はそこにあるようである。事前に考えた句も何句か書き留めていたが、やはりその日その時の句を一つ作りたかったのである。車は前回、腹切りやぐらを訪ねた時に使った駐車場に停めた。八幡宮までは歩いて10分ほどなので、まずは会場まで歩いてみることにした。10時半、吟行スタートである。
その日は終日雨である。雨の句を詠みたいと思った。「雨の実朝忌」のフレーズがすぐに浮かぶ。となると、その上に乗せる上五と中七の4文字を考えればいいことになる。駐車場を出てすぐに白梅が咲いていた。雨の中でとても清楚に見えた。殺された源実朝と白梅が合うかどうかが問題だが、いい取り合わせのように思えた。傘を差して歩きながら「白梅、白梅、白梅……」とつぶやいていた。「白梅をけぶらせ」「白梅をふるわせ」「白梅を濡らして」「白梅を揺らして」白梅をどうしたいのかが問題である。

八幡宮の参道を進み、俳句会場の場所を確認し、石段を上って本殿にお参りした。戻った場所、会場の前に白梅が咲いていた(写真)。雨に打たれて散っているものもあった。「白梅を散らして」が口を衝いて出た。実朝が殺された場所のすぐそばで見つけた「散らして」の一句である。「これでいい」と思った。
会場に入って受付をした。参加費1000円を払い、住所、氏名を記載し、投句用紙をもらった。会場にはすでに大勢の人が集まっていて、おにぎりを食べたり話し込んだりしていた。まだ11時半である。用意しておいた一句と「散らして」の一句を書き添えて投句を済ませた。開始まで随分と時間があるので蕎麦でも食べて来ようと思い、大鳥居まで戻ることにした。
                                 (平成31年作)




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青き踏む

ライバルに少し差をつけ青き踏む



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3月2日(土)夕方、書道塾である。部屋に入った途端、声を掛けられた。
「日向さん、今、くしゃみしてませんでした?(笑)」
ライバルの小林さんである。
「花粉症でもないのに、やたらくしゃみが出るのでおかしいなぁと思ってたところです(笑)」
「そうでしょう。また1ランク上がってましたよ。しかも写真付きです」
「えっ、ホントですか。うれしい。ここの所、ずっと上がれずにいましたので本当にうれしい(笑)。小林さんもまた上がってたんじゃないですか?」
「いえいえ、私は据え置きです。日向さんを超えるのは至難の業ですよ(笑)」
毎月のように上がってくる小林さんは一年遅れの入会にも拘らず、私と同じ4段になっている。ここで私が上がらず、小林さんが昇格すれば逆転というところだったのである。
「選評が載っていますよ。『堅実な運筆。丁寧な筆致の中に暖か味のある線でまとめられている』と書かれています。素晴らしいじゃないですか」
「そんなに褒めないでくださいよ。まだまだ道は遠いんですから(笑)」
会話を聞いていた先生が
「日向さんも小林さんももうそろそろ『ひらがな』をやらないと駄目だよ。5段になったら今までの昇級の仕方でなく試験を受けることになるんだから。その試験に『ひらがな』もあるんだから、今からやっておかないと間に合わなくなっちゃうよ」
今やっているのが楷書と行書である。それに「ひらがな」を追加するようにとのことである。月の初めなので月謝を支払ったり、今月のお手本を書いてもらったりして席に戻った。
篠崎さんが声を掛けてきた。
「あっという間に追い越されてしまいましたねぇ。日向さんも小林さんも凄いですよ」
篠崎さんは私より1年前に入会している。年は遥かに下だが、この会では先輩に当たる。
「篠崎さんは『ひらがな』をやってましたよね。何を練習するんですか?『いろは』だけじゃないですよね」
「本に今月のお題が載ってます。それを書いてくるんですよ」
「どれどれ」
俳句が載っていた。<春愁や草をあるけば草青む>青木月斗の作品である(写真)。
「ああ、これか。なるほど」
「結構、難しいですよ。墨も自分で磨らなくちゃならないので……」
「それにしても随分とヘタな俳句を載せているなぁ」
「ええ!ヘタなんですか?日向さん、分かるんですか」
「俳句歴20年。あれっ、話してなかったっけ?」
「聞いてません」
「この俳句の悪いところ。まず、季重なり。『春愁』と『草青む』がともに春の季語。また『草』という言葉を重ねる意味があるかどうかも問題。<土手を歩けば草青む>なら分かるけど、それにしても大した句ではない(笑)」
「へぇ~。凄いですね」
                                 (平成31年作)




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白梅

白梅の何を語らむ直木の忌



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「供茶」というものから始まった。表千家の宗匠がお茶を点て、点てたお茶を住職が供えて回るというものである。
3杯点てるのだから10分以上は要したと思う。私の席からはその様子が見えなかったので随分と長く感じられたものである。続いて法要が執り行われた。直木三十五が亡くなったのが昭和9年なので85年目の法要ということになる。血縁の方だけがお焼香をした。終わって10分ほど休憩して講話が始まった。今回は直木三十五の甥にあたる植村鞆音(ともね)氏による「伯父直木三十五のこと」と題する講演である。一昨年、氏の作品「直木三十五伝」を読んでいるのでとても楽しみに講演に臨んだのである。

「伯父といっても直木が亡くなったのが昭和9年で、私が生まれたのが昭和13年ですから、伯父と私とは一度も会ってはいないのです。しかし昔から『お前が一番顔も似ているし性格も近い』と言われてきましたので親しみだけはある訳です。直木は時に傲岸とも不遜とも思われがちですが本質は小心者だったようです。そこのところが私と一番よく似ている(笑)。今も皆さんの前に立ちながら大変に緊張しておりますのも、伯父に似たからかと……」
一同「(笑)」
とても軽妙な語り口で、時に笑いを起こしながら話が始まった。初めて作ったというパワーポイントに写真を写しながら、面白い話を次々と披露してくれたのだった(写真)。その中に直木の「無口」を伝える話があった。人が直木を谷崎精二(潤一郎の弟)と間違えて話し掛けているのに<違う>と言わずに黙って聞いていたという逸話である。その話を聞きながら、直木三十五が死ぬ間際に書いた「死までを語る」という作品のことを思い出していた。本人の述懐なのだからこれが本質なのだろう。

『小学では秀才で大抵一位か二位であった。(中略)三年の時、菅原道真の事が読本に出ていた。その中に「遷され」という字があったが、先生から聞かれても誰も答えられない。
「植村」
と、最後の指名がいつもの如く私へ来た。
「流されです」
と、答えると
「意味は同じだが、うつされと読む」
と、先生が云った。それまで級中第一の自負心を持っていた私は、この間違いが、叩きのめされたように堪えた。それ以来、いかなる場合にも、知っているという合図の為に揚げる手を、決して揚げなくなってしまった。
幼稚園時代の極端なはにかみ屋が又復活して、これはその後、──今日も猶、続いている。座談会などへ出ても、自分から中々口を開かないのは、その時からの習慣が、中学を通じて天性のようになってしまったからである。』
楽しい話を1時間半聞いて長昌寺を後にした。庭の白梅がとてもきれいだった。
                                 (平成31年作)




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南国忌

石油ストーブ寄進すとあり南国忌



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知った顔はないかと見渡すと市会議員や県会議員の顔が見えた。金沢区選出議員には列席必須の催し物のようである。私が探していたのは、直木三十五が建てた富岡の別荘にかつて住んでいた知人の会長さんである。このことは以前のブログに書いた(平成29年12月29日、ひこばえ「冬ぬくし」)。いろいろと話を聞かせてもらったので、南国忌にも来ているかと思って探したのだがその時点ではまだ見えなかった。始まるまで15分ほどあったので、本堂内の写真をあちこちと撮らしてもらったあと、受付でもらった会報を読んでみることにした。昨年の講話内容である。講師は菊池寛のお孫さんである。菊池家のルーツから始まり、文藝春秋を創設し、芥川賞、直木賞を設けるところまで書かれていた。「マント事件」というのが書かれていて面白かったのであらましを書いておこう。兄が出してくれたお金で東京帝国大学(今の東大)に入った菊池寛だが、同級生の頼みを聞いて大変な目に遭う話である。

友人の佐野文夫が倉田百三の妹の艶子さんと恋仲となり、何度かデートをするうちにお金に窮するようになる。さてどうしたものか。困った佐野は一計を案じる。すなわち下級生のマントを「盗む」のである。盗んだマントは自分では行かずに「おい、菊池、これ、質屋で金にして来てくれよ」と頼んだものである。頼まれた菊池は質屋に行き、お金を作ってきて佐野に渡す。佐野はそのお金でまんまとデートを楽しむが、すぐにその盗みが発覚することになる。帝大は厳しい処分をしてくる。佐野は「な、頼むからお前がやったことにしてくれ」と懇願し、盗んだでもなくマントを質に入れに行っただけの菊池が退学処分になるのである。全くの濡れ衣で退学となった菊池だが、これも良くしたもので、一部始終を知った別の友人が自分の母親に事情を話し、その父親からお金を出してもらい、菊池が京都帝大に入る費用とその後の学費全ての面倒を見てくれることになるのである。友人の父親が銀行の頭取だったというのも凄い話だが、東大を退学してすぐに京大に入るという菊池もまた凄い人である。
当日の講話をテープに収め、後日原稿にしたようであるが、菊池夏樹氏の楽しそうな話しぶりが伝わってくるいい文章になっていた。
(注)長昌寺の壁に南国忌に寄進した人の一覧表が貼られていた。その中に「石油ストーブ2台」というのがあった。春とはいえ2月24日の命日の寒さが伝わってくる品物に思え、詠んでみた。
                                 (平成31年作)




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梅見

文豪の墓をば訪はん梅見頃



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地元金沢区の広報誌に直木三十五の「南国忌」開催のお知らせが載っていた。
直木三十五のことをいろいろ調べたのは一昨年暮れのことである(平成29年12月22日、ひこばえ「小春」より4回)。富岡にあった旧宅を訪ねたり、長昌寺にあるお墓をお参りしたりしたのだが、どういう訳か昨年2月の「南国忌」には参加していない。
<どうして行かなかったのだろう?>
手帳を出してみて分かった。所属していた倫理法人会でいろいろとトラブルを抱えていてそれどころではなかったのである。<ああ、あの件で昨年は申し込まなかったのだなぁ>と合点した。1年は早いものである。トラブルも終わってしまえばいい思い出で、何をあんなに悩んでいたのだろうとすでに過去の話となっている。
今年は参加してみることにした。まずは往復はがきでの申込みである。意外と面倒臭い。すぐに返事が来るものと待っていたがなかなか届かない。
<どうなっているのだろう?>
3週間ほどしてようやく届いた。返信はがきにはこう書かれていた。
「申込みしていただき誠に有難うございました。100名を上回れば抽選の予定でしたが、100名に達しませんでしたので、全員参加できるようになりました」
<正直だなぁ>と思った。

2月24日(日)は直木三十五の本当の命日である。昼1時からの開始だったので30分前に到着した。受付で会費1000円を支払い、「南国忌の会会報」というものを受け取った。「特別講演 祖父菊池寛の生涯と仲間たち」と題して菊池寛記念館名誉館長である菊池夏樹氏が昨年この南国忌で行なった講演の内容が掲載されていた。細かい字でびっしり書かれていて面白そうである。玄関で靴を脱ぎ、上がるとテーブルが並べられお茶が用意されていた。着物の女性が何人もいて本格的なお茶を点てている。お菓子まであるようなので勧められるままに腰を掛けた。一服ご馳走になりつつ奥の方を見るとすでに大勢の人が腰掛けて席を取っている。
<お茶を飲んでいる場合じゃないじゃん!>
早々に飲み終えて奥に進み、カメラ位置の良さそうな席を確保した。次々と参加者が入って来るので、危うく好位置を逃すところであった。
                                 (平成31年作)




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春風

春風を行く百人が一歩づつ



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次に取り組んだのが製造指示書そのものに正しい日付を書かせることだった。いつまでも鉄板に札を載せている訳にもいかない。営業担当は私が言えばすぐに従っただろうが、その次に控えている会長が曲者だった。営業担当の書いた日付を更に前倒しして現場に流していたのである。営業担当が2、3日サバを読み、工場を仕切る会長が更に2、3日サバを読む。現場では書かれた日付を見て<どうせその日には出荷しないだろう>と高をくくっているという図式である。
私「会長、現場に流す指示書の日付を出荷日に変えてください。本当の日付を現場に知らせたいんです」
会長「日向さんよ。3日前の日付を書いても間に合わないものが、本当の日付を書いたらそれこそ全部が納期遅れになるだろう。そんなことをやったら大ごとになるに決まってる。それは出来ない。社長になったからといって勝手な真似はやめてくれ」
30年以上に亘って現場を仕切ってきた人である。私より13才年上の頑固者である。
私「嘘の情報を知らせているから現場が混乱してるんです。それが分からないんですか!本当の情報を知らせれば絶対に流れが良くなるはずですから、1回でいいですからやらせてください」
会長「駄目だ、駄目だ。そんな甘いやり方で上手くいくはずがない。絶対にやらない」
事務所で怒鳴り合いを何度やったことか。社長と会長の言い争いなので事務所内は凍り付いたようになる。ようやく許可をもらったのは3回も4回も怒鳴り合ったあとのことである。苦労の末、本当の日付を製造指示書に記入し現場に流すことになった。全員を集めた。
私「今日のこのオーダーから製造指示書に本当の日付を書くことになった。機械に1日、板金、塗装に1日、組立に1日掛かると逆算してそれぞれの職場で絶対に出荷日に間に合うように作業してくれ。どんなに遅くなっても作業を終えてから帰ること。納期遅れのない会社に変わるかどうかの瀬戸際なので、必ずやり通してもらいたい。よろしく!」

その日以降、嘘のように納期遅れが解消されていった。生産能力はあったのである。その後しばらくして工場内にパソコンが導入され、手書きの工程表は廃止された。毎日何十件も入って来るオーダーを現場は画面上で瞬時に把握できるようになり、仕事の進捗管理もスムーズになった。静岡の支店長からの注文にもしっかり応えていったことはもちろんである。後日お会いした時に「変わったなぁ(笑)」と言われ、嬉しかったことを覚えている。
(注)トヨタ式カイゼンの中に「一人の百歩より百人が一歩ずつ」がある。
                                 (平成31年作)




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春寒し

春寒し箱に買ひ置くカツプ麺



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<誰が正しい日付を把握しているんだろう?>
<それがどこでどう狂ってしまうんだろう?>
正しい日付が分かっているのはもちろん営業担当である。
<なぜ、営業担当は現場に正しい日付を知らせないのだろう?>
工程表を手に営業担当にそれぞれの本当の出荷日を聞いていった。
私「これはいつ出せばいいんだ?」
営業担当「〇月〇日です」
私「なんで、その日を製造指示書に書かないんだ?」
営業担当「社長、その日を書いても物は出来ないですよ。もっと早い日付にしておかないと完全に遅れてしまいます」
私「いいから、俺に正しい日付を教えろ。その日に出荷してやるから待ってろ」
私は正しい日付を持って最初の工程であるシャリング担当のところに向かった。たくさんの鉄板が切断され台車に載っている。その鉄板の隅に本当の出荷日をマジックで書いていった。また、加工する順番を出荷日順に揃えていった。
私「ここに書かれた日付が本当の出荷日だから、それに間に合うように作業をしてくれ。終わらなかったら残業でも何でもして絶対に終らせてから帰ってくれ」
数日間その方法で進め、正しく流れていくことを確認した。鉄板に書いた字は近寄って見ることになり見づらいので、本日出荷分に「赤い札」を置き、翌日出荷分に「緑の札」を置き一目で分かるようにした。現場関係者を全員集めた。
私「みんな、よく聞いてくれ。製造指示書に書かれている日付は当てにならないようなので、ロット毎の本当の出荷日を鉄板に書いておいた。字を書いても分かりづらいだろうから赤と緑の札を置くことにした。赤は本日出荷分だから最優先で取り掛かってくれ。赤がなくなったら次は緑だ。赤も緑もなくなったら、あとは勝手にやってくれ(笑)」
のちにそのやり方を「赤いきつね、緑のたぬき大作戦」と名付けた。お陰で工程は順調に流れるようになり、出荷日には製品が出来上がっているようになっていた。
<現場が混乱していたのは正しい情報を伝えていなかったからだ>
                                 (平成31年作)




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長閑

失ひしものに気づかぬ長閑さよ



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<キャパ・オーバーなら仕方ないか>と思いつつも、工程表を持って初めて工場内を歩いてみた。それまで17年間働いてきたが、工場の中については全く関与しない道を歩いてきたのである。社長になって初めて<知らないでは済まされない状況>に追い込まれた訳である。
まずは工程の初めのシャリングの作業場に向かった。
私「作業の順番はどうなってるの?」
作業者「製造指示書に書かれている日付順にやっています」
私「進んでいるの?遅れているの?」
作業者「どうですかねぇ」
私「いつも納期が遅れているというじゃないか。ここが遅れてるんだろ?」
作業者「違いますよ。ここはちゃんとやってますよ」
私「じゃ、遅れてるのは次の曲げ工程か」
曲げの工程の責任者に聞いてみる。
私「ここの工程が遅れてるのか?」
責任者「いやぁ、やってるんですけど、途中でこれやれ、あれやれって言って来るんですよ。順番が決まってないんですよ」
私「だって、日付順に作業するんだろ?」
責任者「いや、日付はあってないようなもんですから」
私「どういうこと?」
最終工程の出荷担当に聞いてみた。
私「今日、出荷するものはどれ?」
出荷担当「まだ全部は決まっていません」
私「えっ、どうして決まってないの?いつ決まるの?」
出荷担当「品物が完成した順番にトラックを呼んだりしてます」
私「ええっ!それはおかしいだろう。完成してから出荷手配するというのは逆だろう。普通は出荷順に完成させて行くんじゃないか?」
出荷担当「そもそも、日付がおかしいんですよ」
私「なんの日付?」
出荷担当「製造指示書に書かれている日付が当てにならないんですよ」
私「ええっ!ここに書かれている日付が出荷日じゃないの?」
出荷担当「違います。これは目安です。本当の日付は工場では分かりません」
これでは静岡の支店長が怒るのも無理はないと思った。
                                 (平成31年作)




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蛇穴を出る

蛇穴を出でていきなり打たれけり



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先日、複合機導入にまつわる話を書いたところ、「知らなかった」「面白かった」「もっと書いて欲しい」とあちこちで声を掛けられたので、調子に乗ってもう少し会社の話を書いてみようと思う。あまり仕事のことは書かないようにしてきたブログなので、少し面映ゆい気もするのだがお付き合いいただきたい。
話は私の社長就任のあたりまで遡る。平成16年9月、就任と同時に得意先、取引先への挨拶回りに出掛けた。おおむね順調に済ませていったのだが、1件だけ強烈に印象に残る出来事に出くわした。営業担当と一緒に静岡の得意先を訪問した時のことである。時間通りに訪問したのだが、いるはずの支店長がなかなか出てこないのである。応接室で待っていても担当者がオロオロするばかりで肝心の支店長が現れない。
私「アポイントは取ったんだろ?」
営業「取りました。でも、もしかして出て来ないかも知れません」
私「なんで?」
営業「いろいろとありましたから……」
私「なんだよ。大丈夫かよ」
30分くらい待たされただろうか。ようやく出て来た。
私「初めまして。この度、社長に就任しました日向と申します」
支店長「俺は〇〇は嫌いだからよ!」
いきなり、会社の名前を呼び捨てにされ、<嫌いだ>と言い放たれた。
私「えっ、何かありましたでしょうか?」
支店長「聞いてないの?いろいろ迷惑を掛けておいて……」
私「いや、済みません。まったく聞いていませんでした」
支店長「オタクに頼んでも納期を守った試しがないんだよ。この間なんか、心配だから<大丈夫か大丈夫か>って何度も念を押しておいたのに、それでも遅れて持ってくるんだから、どうしようもないよ。新店だよ。オープンに合わせてお客が列を作っているのに、レジ台もカウンターも届いていないんだよ。仮のテーブルは用意しなければならないし、店からは怒られるし……。いい加減にしてくれよ」
私「そうだったんですか。それは申し訳ございませんでした」
支店長「他にやる所があれば、オタクになんか出さないんだけどさ……」
当時<納期遅れの〇〇>と揶揄されていたようである。

会社に戻ってさっそく当時の工場長や会長(私の前の社長)に聞いてみた。
私「なんだって、こんなにクレームばかり起こしてるんですか?」
会長「日向よ、そう怒るなよ。工場にはキャパシティというものがあるんだよ。それを越えて仕事を入れてくりゃ納期が遅れるのも当たり前だし、クレームの一つも出てしまうさ」
私「そうなのか。キャパをオーバーしてるんだ。それじゃ、仕方ないかぁ」
                                 (平成31年作)
(注)当社では全国北海道から沖縄までのあらゆる店舗(スーパー、コンビニ、ドラッグストア、家電量販店その他)に向けて、レジ周辺什器(レジ台、カウンター、包装台、陳列台など)を作って納めている(写真)。




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涅槃西風

捨て猫の声はかぼそし涅槃西風



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お取引をいただいている会社の創業者が亡くなった。葬儀の場所は鶴見の総持寺である。<珍しいなぁ>と思った。
過去いくつもの葬儀に参列しているが、総持寺での葬儀は初めてである。永平寺と共に曹洞宗の総本山であり、わが家もその曹洞宗の檀家である。もう7、8年も経っただろうか、母が横浜に来た折に訪ねたことがあり、それ以来となる。2月11日、総持寺の三松閣で行われた告別式に参列してきた(写真)。

<なぜ、わが家が曹洞宗なのか、それは何時からなのか>知りたくて母に電話してみた。しかし、総持寺と聞くや否や話は違う方向へ進んでいく。いつものことだが、話はどんどん母のペースになり肝心なところが一向に見えて来ない。答えは分からぬままである。母の話は次のようなものだった。
母が子供の頃、その母親(私の祖母のことである)は毎日仏壇に向かっていた。誰のことを拝んでいるのか、その頃は教えてもらえずそのまま母親は亡くなってしまう。知ったのは母が歌志内市の戸籍係で働くようになってからである。「考えてみればそれこそ導かれたみたいもんだァ」といつもの如く話は迷信めいてくる(笑)。履歴書に書いた母の達筆な字を見て上司が「戸籍係をやってみないか」と勧めてくれたのである。「4キロ痩せたァ。それでなくても痩せてるのに、気、張ったんだァ。間違われないしょ、他人の戸籍だもの」当時を振り返る時、いつも話はそこから始まる。ようやく落ち着いて仕事が出来るようになった頃に初めて自分の戸籍を調べてみることになる。山形の近江新田の町役場から戸籍を取り寄せて、そこで初めて自分に姉がいたことを知るのである。「母親は一言も言わなかったァ。毎日、拝んでいたのはその姉のことだったんだと分かったァ。戸籍では1才の時に死んだようになってたァ」それから母は行動する。庄内の近江新田のお寺に行き過去帳を調べてもらい、お骨を歌志内に持ってくるのである。「古いお寺だったけど、ちゃんとしてくれたわ」もちろん、お寺のしきたりに添って改葬してもらったのである。「6月11日が命日ということになってるけど、あの頃のことだもの、ホントのことは分からない。明治の頃は死んだら7日以内、生まれたら14日以内に届けることになってたけど、生まれても育つかどうか分からない時代だァ。ちゃんと届けたかどうかなんて分からない。だけど、私はやはり戸籍に載っていた日にちを命日ということにしたんだァ。100回忌をやってもらったんだけど、大遊さんも100回忌というのは初めてだって言ってたァ」大遊さんとは歌志内のお寺の住職の名前である。
<フムフム>聞いているしかない。話は20分30分と切りもなく続く。89才であるが、頭は全くボケていない。次から次へと切れ目なく続く。「この頃、少し耳が遠くなって来たようだァ」と話が変わった。「補聴器を買おうかどうかと思ってるけど、ヘタなところじゃ買えない」という。「移動販売も来るけど、それでは故障した時に困るから、やはりちゃんと店のあるところで買おうと思ってる」と続いていく。総持寺から始まった話が果たしてどこへ行き着くのか。まさにエンドレスである。
                                 (平成31年作)




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