2019年02月の記事 - ひこばえ
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Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年02月の記事

春夕べ

片肌のフルート奏者春夕べ



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「日向さん、あれ、いくらで頼んだの?」
「あれって、あの演奏している人達のこと?」
「そう」
「いや、知らない。頼んだのは私じゃないから」
「そうなんだ。会計幹事だから知っているかと思った」
「最終的には請求書が回って来るから分かるけど……。何で知りたいんですか?」
「いや、会社でちょっとした式典をやるので頼んだらいくら位掛かるのかなと思って」
「大したことないですよ。聞いてあげましょうか?」
「いえ、まぁ、じゃ、それなりに(笑)」
「はい、はい(笑)」
所属している会合の賀詞交換会でのことである。賀詞交換会といっても2月に入ってのことなので新年の気分はない。夕方、1時間の講演会とそれに続く1時間半の立食パーティである。過去には呼んだことがないので誰かの知合いかも知れない。事務局の男性がいるので聞いてみた。
「あれ、誰が頼んだの?」
「ウチの社長です(笑)」
「へぇ、知り合いなの?」
「どうですかねぇ(笑)。私は初めてです」
「でも事前の打ち合わせとか、あったんじゃないの?」
「社長がやってました(笑)」
「いやにマメだねぇ(笑)」
「支払いの方は、日向さん、お願いします(笑)」

しかし、それにしてもである。50名ほどの立食なので演奏中もワイワイガヤガヤと話に夢中の人ばかりである。飲んでいるので一様に声が大きい。フルートの女性が挨拶したり、曲の紹介をしていたが聞き取れるものではない。
<呼んだ席が悪すぎるよ>と言っていた人もいたが、たかだか30分の出来事である。演奏している女性達も<これではなぁ……>と思っていたのではないだろうか。後日、請求書が届いた。
「わっ、高っ!」
どうやって値段を決めたのかは知らないが裕福な会のことなので問題になるようなことはない。1年に一度の決算報告の席でも「〇月〇日、〇〇において賀詞交換会を開催。出席者数50名。費用〇〇円。以上でございます」と読み上げて終わりである。ピアノとフルートと、もう一つ、手前の楽器の名前が分からない(写真)。
                                 (平成31年作)




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春愁

診察といふ春愁も加はれり



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1月31日(木)の朝、事務所で靴を履こうと屈んだ時にチクッと腰に違和感を覚えた。
「ん?いやな感じだなぁ……」
その後、会議があり15分ほど椅子に腰掛けていたが、立ち上がる時に痛みを感じた。
「やっちゃったかなぁ……」
その日は早目に帰宅して風呂に入り湿布などを貼って寝たが、翌朝はもっと悪くなっていた。<病院に行ったところでレントゲンを撮って痛み止めをもらうだけだからなぁ……>と思いそのまま我慢していた。休みの日は寝て過ごした。月曜日の夕方、家の近くの整形外科に駆け込んだ。何もしなければ更に悪くなるような気がしたからである。患者が一人もいなかった。いつものことである。<相変わらず暇そうな病院だなぁ>と思った。
「日向さん、一番の診察室にお入りください!」
大音量のマイクで呼び出される。<そんなに大声を出さなくてもいいのに……>と思いながら、ノックして入った。
「如何されましたか?」
「腰が痛くて……」
「何時ごろからでしょうか?」
「先週の木曜日からです」
「何か重い物でも持たれましたか?」
「いいえ、ちょっと屈んだ拍子に痛みを覚えました」
「そうですか。それでは診察台に横になってください。仰向けです。はい、そうです」
足の腱の辺りを叩いたり、膝を曲げたりして痛いかどうかを聞いてくる。
「はい、それではレントゲンを撮りましょう。荷物を全部持ってレントゲン室へお回りください」
5枚ほど撮って「この辺りが悪さをしているようです」と言われ、腰にコルセットを巻かれ、薬の処方箋をもらった。
「1週間ほどしましたら、また診せてください。はい、お大事に」
案の定、何の解決もされなかった。もらった薬は2回ほど飲んで忘れてしまった。次は鍼灸院に行こうかと考えたほどである。

翌火曜日の朝、従業員から休みの連絡が入った。
「社長ですか。済みませんが、今日も休ませてください」
「どうした?」
「腰が痛くて……。昨日病院で診てもらったんですが全然良くなりません」
「病院なんか行ったって駄目に決まってるだろ。レントゲンを撮って、コルセットを巻いて、痛み止めの薬をもらっただけだろ?」
「そうです」
「それじゃ、良くなる訳ないよ。いい方法があるから俺が教えてやるよ。一発で治るから」
「ホントですか?」
「ホントだ」
電話で話しながら2年前に沖縄で出会った本のことを思い出していた。<あれは効果がある!>電話を切ってから自分でもすぐにやってみた。すごく楽になった。
<どうしてすぐに思い出さなかったのだろう、バカ、バカ、バカ>
自分の忘れっぽさに呆れた瞬間である。その日、何度もその体操を行ない、ほとんど痛みがなくなったのだからウッカリ者と言うしかない。本当に効果的な体操である(写真)。
                                 (平成31年作)
(注)本「腰痛は動かして治しなさい」については、平成29年1月20日、ひこばえ「去年今年」に書いている。




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六日

六日はや忘られもして力石



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本来ならここで一杯というところである。最後の寺を出たところで聞いてみた。
私「折角ですから一杯いきますか」
西出さん「私はいいですが、北原さんが……」
私「全然、駄目なのですか?」
北原さん「お酒ですか?お酒はダメです。もう病気してから一滴も飲んでいません」
西出さん「あんなに飲んでたのにねぇ(笑)」
北原さん「あんなに飲んでたから、こんなことになってしまった(笑)」
私「じゃ、食事だけでもいいじゃないですか?」
北原さん「いやいや、今日は帰ります。酒飲み相手に付き合っていると『少し飲んでみるか』ということになってしまいますから。悪く思わないでください」
西出さん「まぁ、そういうことですから今日は潔く帰ることにしましょう」

途中まで同じ電車で来て二人とは横浜駅で別れた。淋しいものである。一人になってそのまま新杉田駅まで来て飲み屋に入った。生ビールとつまみを注文して手帳を開いた。その日のメモが綴られている。あれこれと書いてはいるが、まだ句にはなっていない。金蔵寺の境内に据えられていた力石のことが気になっていた(写真)。昔、力自慢が集まって持ち上げたりしていた物に違いないが、今はそれを持ち上げる人もいない。
「人の心は移ろいやすく、時代は常に先を急ぐ、村に力自慢の絶えて久しく、力石はただ元の石に成り果てぬ」
力石の研究をされている雨宮清子さんの文章である。
<時代は常に先を急ぐかぁ……>
ビールに酔った訳でもないが、何となく淋しく口を衝いて出た「六日はや」の一句である。
「おねぇさん、ビールもう一杯、お代わり!」
                                 (平成31年作)




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七福神

七福のここらの神でよからふか



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次に向かったのが高田駅にある「興禅寺」である。福禄寿を祀っている。徒歩10分と7つの寺の中では一番駅から離れている。しかも長い上り坂である。差が付いた。私が上り付いた時に二人はまだ坂の真ん中あたりである。御年を考えればやむを得ないところである。北原さんなどは私より一回りは上のはずである。
北原さん「フー、休ませて」
私「どうぞ、どうぞ、先は長いですから(笑)」
北原さん「考えてみれば道川先生は健脚だったねぇ。亡くなったのが87才でしょ。亡くなる前日までスタスタ歩いていたからね」
私「それに酒は飲むわ、何にでも興味を持つわで勉強熱心でしたからねぇ(笑)」
北原さん「俳句はもちろんだけど、知らないことがなかったね。漢字なんか、私が見たこともないような字をその場でスラスラ書いてたからねぇ」
私「先生に出会えて本当にラッキーでしたよ」
北原さん「ホント、ホント。今、私が通っている会の先生なんか、道川先生に比べたら丸でなってない」
私「あれっ、どこかの句会に入ってるのですか?」
北原さん「一応、月2回は出ているんだけど、そんな感じだから顔を出すだけで入会はしてないんだよ。入れ入れってうるさいけど、入っても仕方ないから」
私「また、中途半端ですね(笑)」
北原さん「仕方ないよ。道川先生と同じように出した句を直してくれるんだけど、直されても全然納得出来ないケースが多いんだよ。直された句より前の方がいいと思っちゃうんだから困っちゃうよ(笑)。道川先生の時はそういうことは一切なかった。直されて納得出来たもんなぁ」
私「直されて先生に文句を言ってた人がいたなぁ(笑)」
西出さん「私のこと?そういうこともあったねぇ(笑)」

いくつかの寺を回ったところで北原さんから「もう、ここいらでいいんじゃない?あとは来年に残しておけば……」の発言が出た。その瞬間、去年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の最期の言葉「晋どん、もう、ここいらでよか」を思い出した。歩き過ぎて疲れたようである。私としても途中で切り上げてもらって一向に差支えないところであった。
しかし西出さんが「あと、少しだから……」と最後まで回りたそうな顔をしたので、ここまで企画してくれたことを思えば「やめよう」とは言い出しにくいものがあった。「頑張りましょう、七福神制覇でいい年にしましょう」と励ましたのは何も北原さんに対してだけの言葉でもなかったようである。写真は最後に辿り着いた新横浜の「正覚院」でのものである。午後5時を回って、辺りは薄暗くなり始めていた。
                                 (平成31年作)




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福詣

茅葺の寺に始まる福詣



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昨年の暮れに俳句の会のメンバーからお誘いがあり、七福神巡りに参加することになった。1月6日(日)正午、上大岡駅に集合した。誰が参加するとは聞いていなかったが、メールの配信先からみて少なくても5~6名の参加と思い込んでいたので、私を含め3人と分かった時には驚いた。
私「えっ、3人だけ?」
西出さん「そう、みんな都合が悪くなって……〇〇さんと〇〇さんは今日が初句会。〇〇さんは年末にご不幸があり、〇〇さんは海外旅行帰り。まぁ、楽しく行きましょうや(笑)」
もう一人の参加者である北原さんもすぐに到着した。
私「3人だけのようです。よろしくお願いします」
北原さん「家にいても行くところのないメンバーということですね。まぁ、のんびり、やるとしますか(笑)」
このメンバー、実は以前にこのブログに登場している(平成25年8月1日、ひこばえ「暑気払い」)。上大岡の居酒屋でお銚子を十数本空けたと書いてある。あれから5年半経ち、それ相応に馬齢を重ねている。
行先や回り方は全部西出さんが考えてくれている。何事も相当に細かく調べるタイプの人である。寺の見所はもちろん、一カ所毎の所要時間や交通費まで抜かりない。
西出さん「まずは地下鉄で新羽まで向かいます。日向さんはあちら。我々はこちら」
私「なになに?」
西出さん「我々にはフリーパスがあるんだよ(笑)」
私「どこでも無料なの?」
西出さん「どこでもという訳じゃないよ。東横線なんかはダメだから。それに無料といってもちゃんと負担金は支払ってますから(笑)」
私「年は取りたくないと思っていたけど、いいこともあるんだなぁ(笑)」

前日の気温から10℃以上も下がって少々寒い。着膨れ気味に出掛けたのだが、それ位でちょうど良かったようである。最初に訪れたのが新羽町の「西方寺」。まずは恵比寿様である。駅を出てすぐに大きな茅葺屋根が見えた。参道に緑や赤の幟が立っていて分かりやすい(写真)。七福神巡りなど初めてのことなのでどうお参りするものかも分からなかったが、俳句の題材探しと思えば楽しいものである。最初に境内に咲き始めていた蠟梅の木の大きさには驚かされた。
                                 (平成31年作)




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寒菊

寒菊のあらんかぎりを君がため



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あれ以来、Sさんが当社の営業担当となった。様々な機械を彼から買っていった。機械化することで効率が上がるので次から次へと設備を増やしていったのである。価格交渉も彼と行なうことになる。
Sさん「社長、それは無理ですよ。そんな無理な金額は言わないでくださいよ」
私「無理なんて言葉は使わないことにしよう。何事も無理と思ったら終わりだ。無理と思ったところから考えたり工夫したりしてクリアしていくんだ。人生とはそういうもんだ」
Sさん「社長、何も人生の話をしてるんじゃないですよ。物にはそれなりの値段ってものがあります」
私「だから、それをどうにかしてくれって言ってるんだよ。決して無理を言っているんじゃない」
Sさん「無茶苦茶だなぁ。ちょっと待ってください。すぐには答えられませんよ」
私「誰もすぐに答えろとは言ってないよ。いつまでも待ってるから何とかその金額で頼むよ」

あの設備を入れてから2年くらいした時、当社の会議室でのことである。
Sさん「社長に入れていただいたあの機械、実はあれが初めてだったんです」
私「なに?何の話?」
Sさん「あの機械で薄板を加工しようとしたのは社長の会社が初めてでした」
私「嘘!嘘でしょ。結構、何台も売っているって話してたじゃないか」
Sさん「売るには売ってましたが、みんな厚板の会社でした」
私「へぇ~、そうなの?知らなかった。もし失敗したら終わりだったじゃん」
Sさん「いやいや、社長に失敗はありませんよ。見事に成功したじゃないですか(笑)」
私「バカヤロウ(笑)、本当かよ。脅かさないでくれよ。心臓が冷えたよ。分からない俺を摑まえて、よくもやってくれたもんだなぁ(笑)」
Sさん「社長のお陰で結構他の会社にも入れさせてもらっています(笑)」
私「悪い奴だなぁ。長生きしないよ(笑)」

あの時に言った<長生きしないよ>が現実になってしまった。あんなにいい人のことを悪い奴だと言ってしまったことを今更ながら後悔している。出来る事ならあの時に戻してもらいたいと思っている。
死因はちょっとした事故だったようである。心からご冥福をお祈りすると共に、感謝の言葉を捧げたい。本当にお世話になり有難うございました。
                                 (平成31年作)




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寒明ける

今まさに決断のとき寒明くる



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月曜日の朝、関係者を会議室に集めた。
「土曜日に見てきた。あれはいいぞ。シャリングが要らなくなる」
「どういう機械ですか?」
「大板に穴を開けて、その周りをレーザーで切るらしい」
「いくらするんですか?」
「7000万」
「社長、それは無謀ですよ。今、会社は儲からなくなってきてますよね。ここでそんな大きな投資をして、もし失敗したら命取りになりますよ」
集めた7名が全員反対だという。<ええっ!全員が反対?>さすがに自信がなくなった。そもそも自信がある訳ではないが、ここは相手に騙されているのかも知れないと思った。
私「アマダに電話しろ!Iさんを電話口に呼び出せ!」
頭に来ていた。よく分からない俺を騙そうとしたに違いない。すぐに文句を言ってやろうと思った。
私「もしもしIさん、今みんなに説明したんだけど、全員が反対だってよ。俺を騙そうとしたのか!」
すぐにカッとなる方である。
Iさん「社長、騙してません。大丈夫です。皆さん、あの機械を見ていないので分からないんです。分からない人に全然分かっていない社長が説明しているんですから誰も分からないのは当然です。大丈夫です。社長、全員を連れて来てください。見れば絶対に分かります」
ということでその週の土曜日に全員を連れて行くことにその場で決めた。
「都合が出来て行けないというのは駄目だぞ。今度は全員で行く」

アマダの展示会場で全員が納得した。
私「どうだ?」
技術担当「いいですね。買いましょう!」
私「よし、買うぞ。買うに当たって俺のイメージがある。イメージ通りの物を作ってくれ。俺のイメージは夜にボタンを押して帰ると誰も居ない工場でその機械が朝まで加工している世界だ。6人でやっている仕事を1人でやってもらう。土曜日も日曜日も無人で動くように作ってくれ。金のことは考えるな。金は俺がどうにかするので、絶対に妥協しないでそれを作り上げてくれ」
買うと決めて詳細の打ち合わせを担当してくれたのが亡くなったSさんである。当社の要求事項をクリアしようとあれこれ尽力してくれた。お陰でその半年後には順調に稼働し、当社の加工工程は大きく変化し、生産性は飛躍的に伸びたのである。
                                 (平成31年作)
(注)写真はその時に導入したパンチレーザー複合機である。24時間、無人で稼働している。




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春待つ

春待ちてはたと妙手の閃めけり



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私「現場からシャリングを増やしてくれと言って来たんだけど、もっと違う方法はないだろうか」
Iさん「待ってました!社長、ピッタリの機械があります。すぐに提案書を持って伺います」
Iさんはすぐに飛んできた。しかし、説明を受けたがよく分からない。
Iさん「社長、実際の機械を見てください。見れば凄さが分かります。何人か連れて営業所に来てください」
私「よし分かった。まずは見てみよう。何人か連れて行く」
その週の土曜日に行くことにした。当時の工場長と技術担当を連れていくことにした。現場は仕事に追われていて、それどころではない。ところが行く前日になって二人とも用事が出来て行けないと言い始めた。
「ええっ!俺一人……」
行くと言った手前、誰も行かない訳にはいかない。相手は準備して待っていてくれる。一人でも行かなければならない。土曜日、高速道路を走り時間前に到着した。
「いらっしゃいませ!」
ズラッと待っていてくれた。およそ7、8名である。パンチレーザー複合機という機械だという。担当が説明する。
「社長様の会社で加工している物がこの機械ではこのように変わります」
いろいろと加工して見せてくれるが、そもそもどんな加工をしているのかも分からない私である。「なるほど、なるほど」と相槌は打つもののサッパリ分かっていない。
「この機械ではこれも出来ます。あれも出来ます。こう変わります」
「フムフム、なるほど」
おそらく説明してくれている相手も私が分かっていないことに気付いていたと思う。
説明が終わってIさんを片隅に呼んだ。
私「何なの、この機械は。全然、やってることが分からないよ」
Iさん「社長、今、シャリングで板を切ってタレットパンチで穴を開けていますよね」
私「うん」
Iさん「それがこの機械では大板に穴を開けてから外周をレーザーで切っていきますので、シャリングの工程がなくなります」
私「えっ、シャリングがいらなくなるの?」
Iさん「そうです。レーザーで切った物をすぐに曲げればいいんです」
私「おお!いいなぁ。それは楽だなぁ」
Iさん「そうでしょう(笑)」
私「いくらするの?」
Iさん「7000万です」
私「分かった。7000万ね。そりゃ、いいなぁ。月曜日にみんなに話をする」
                                 (平成31年作)
(注)写真はシャリングで鉄板を切断しているところである。




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悴む

人の訃に驚きてのち悴めり



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昨年暮れ、悲しい知らせが届いた。長く当社を担当してくれていた機械メーカー「アマダ」の営業マンの訃報である。Sさん、51才。「嘘だろう!」これが私の第一声である。亡くなる少し前に会って話をしたばかりだったので俄かには信じられなかったのである。いつもと変わらず、とても元気だったあの時の顔が目に浮かぶ。
私「この間、大磯の別荘で御馳走になってきたよ」
Sさん「聞きました。どうでしたか。満足してもらえましたか?」
私「良かったに決まってるじゃないか。そっちが担当していた時に声を掛けてくれれば良かったのに(笑)」
Sさん「私もそう思いまして、是非日向社長を誘ってくれと頼んでおきました。担当を外れても社長のことはきちんと申し送りしてありましたから(笑)」
私「調子いいなぁ、相変わらず(笑)」
10年近くも担当してもらい、気心も知れ、お互いの癖も知り尽くしている。
悲しい別れに際し、絶対に書いておかなければならないことを綴っておこう。当社が大きく変化し、成長することになった大型機械を彼に勧めてもらった時のことである。感謝の思いを込めてレクイエムを記す。

話は平成20年9月のリーマンショックまで遡る。私が54才、社長になって4年目の頃である。様々な改善を施し、まずまずの成績を収めていた。遠くアメリカの証券会社が倒産したことが、どのようにわが社に関係するかなど考えてもいなかったが影響は翌年の2月3月頃に現われた。得意先からの発注方法が変わってきたのである。1ヵ月1度の注文だったものが1週間ずつ納入するようにと4分割されてきた。在庫を減らすためだという。それでなくても納期が間に合わないところに厳しいことを言ってきたので工場はテンヤワンヤである。発注単価の値下げ要求も厳しくなってくる。そこそこ儲かっていた会社が月次ベースで儲からなくなってきた。現場から声が上がった。
「社長、シャリングが間に合いません。もう1台、機械を買ってください」
当時のやり方は2台のシャリングで鉄板をカットし、それをタレットパンチプレスという機械で穴あけ加工するというものだった。カットする係2名、切った板を拾って揃える係2名、タレットパンチの係2名の計6名の体制で夜遅くまで働いていた。それをもう1台増やしてくれというのである。
私は社長とはいえ工場生産のことについては全くの門外漢である。元々が経理マンである。工場の中でどんな加工をして何をやっているのかさえ理解していない。しかし、シャリングを増設するのは「違うな」と思った。
「シャリングを1台増やすというのは違うだろう。もっと忙しくなったら更にもう1台増やしてくれということになる。すぐに置き場がなくなって限界が来る」
そう思った私はすぐにアマダに電話をした。担当者はまだSさんではない。その前の担当者Iさんである。
                                 (平成31年作)
(注)大磯のことは平成30年10月27日、ひこばえ「秋」に書いている。




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煤払い

煤払ふ手は尊顔に触れてをり



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「畝傍山」を下りてすぐに「薬師寺」に向かった。お身拭いは1時からだが、その前に何か行事があるに違いない。またまた京奈和自動車道路を走って30分前には到着していた。薬師寺は天武9年(680)、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気回復を祈願し発願(ほつがん)された寺である。この寺を見ないで旅を終えられない。
お身拭いが行なわれる「金堂」に入ると「撮影禁止」の札が貼られていた。
「えっ!それを撮りたくて来たというのに……」
係の人が見張るように立っていて、その眼を掻い潜って撮影することなど出来そうにない。首から一眼レフを下げた本格的な人がカメラを向けた途端に注意されている。なぜ駄目なのかは分からないが、これだけの人が一斉に撮り始めると行事の妨げになるのかも知れない。NHKの腕章をした人がいてカメラが左側に据えられている。右側にも他のテレビ局のカメラが置かれている。そこだけは許されているらしい。
時間があったので金堂の裏に回ってみた。煤を払うお坊さん達が裏から入って来るに違いないと思ったのである。その姿も見ておきたい。しかし、そこには背中に「薬」と書かれた緑色の法被を着た学生さんが20名ほど集まっていた。
<なんだろう?>話を聞いてみた。
私「学生さん?」
女性「そうです」
私「アルバイトか何か?」
女性「いいえ、青年衆といいます」
私「青年衆?」
女性「薬師寺で行われる行事に参加していろいろな文化や伝統について学んでいます」
私「へぇ~、それは功徳がありそうだなぁ」
青年衆の皆さんはその後しばらくして入場してきたお坊さん達と一緒に金堂の裏口からゾロゾロと中に入って行った。お経が上げられ、散華が撒かれ、いよいよお身拭いが始まった。青年衆の皆さんはと見れば、雑巾を洗ったり、それを竹の先に付けて上にいるお坊さんに渡したりして手伝っている。写真は撮れない。行事はどんどん進んでいく。その時に思い付いた。<そうだ、あの手でいこう!>家で留守番をしている娘にメールした。
「今日の7時のNHKのニュースを録画しておいて。お願い」
写真は帰宅して再生したニュースの画像を写したものである。私のスマホでは到底撮れそうにない一枚を手にすることが出来て旅の結びとした。

1ヵ月にも亘って長々と書いてしまったが、神武天皇、雄略天皇、天武天皇、持統天皇を知るとても楽しい旅行となり、これから行われる天皇陛下ご退位に伴う様々な儀式を興味をもって見ることが出来そうである。
                                 (平成31年作)




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冬山路

冬山路遠く光るは甍なり



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お参りをして参道に戻ろうとすると反対側から入って来る人がいた。
私「そちらには何があるのですか?」
男性「真っ直ぐに行くと出口ですが、その途中に畝傍山に登る入り口があります」
私「畝傍山?登ることが出来るんですか?」
男性「はい」
ということで、入り口まで行ってみることにした。
私「途中まで登ってみようよ」
妻「いいわよ」
誰もいない山道をゆっくりと登り始めた。
<どれ位掛かるのだろう?>
高い山ではなさそうだが、実は薬師寺で1時から行われるお身拭いを見ようとしているのであまり時間が掛かるようならば考えなければならない。登り始めたのが10時半である。時折、鳥の羽音がする。あとは自分たちの枯葉を踏む音ばかりである。5分ほど登ったあたりで男性とすれ違った。
私「お早うございます。頂上まであとどれ位ですか?」
男性「20分位かなぁ」
計算していた。<20分ということはあと30分かな>金峯山で人の倍掛かったことを思い出していたのだ。道は山の周囲を廻るように緩やかに続いていた。決して息が切れるような急な場所はない。木々の合間から遠く町並みが見えたりするが、それがどの辺りなのかは皆目見当も付かない。また男性とすれ違った。
私「お早うございます。頂上まであとどれ位ですか?」
男性「10分位です」
なんとなく正確な情報に思えてきた。頂上と思える場所が近くに見えてきたのだ。結局は30分を要して到着した。頂上には「畝火山口神社社殿跡」の碑が立てられ御神酒が供えられていた。写真は頂上から見えた耳成山である。5分ほど休んで20分で下りてきた。ちょうど1時間コースだった。年の最後の山登りが大和三山の一つ「畝傍山」となり、思い出の登山となった。
                                 (平成31年作)




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紀元節

紀元節四海波なく静かなり



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「藤原京跡」から「橿原神宮」へと向かった。広大な敷地である。駐車場も広い。数台しか停まっていなかったので、参道の入口に近い位置に停めて歩き始めた。時刻は10時を少し回っていたが、参詣客も疎らでとても静かである。玉砂利の上を歩き、南神門をくぐり、外拝殿の入口へと進んでいく。大きな絵馬が飾られていた。外拝殿の屋根まで届こうかという高さなので5メートルもあろうか。今年の干支のイノシシが描かれ、記念撮影をしている人がいる。
ここは初代神武天皇が即位された場所である。建国がいかに困難で辛苦の多い大業であるかは言うを俟たない。あれから2,679年、神武天皇の建てられたわが日本国が天皇のご子孫の一系の天子を仰ぎ、これほどまでに長く続いていることは世界の歴史の不思議と言うほかはなく、我々の誇りとするところである。紀元元年2月11日、この日を建国記念の日とし、国民の祝日としている。
外拝殿に賽銭箱が据えられ、そこからのお参りとなった。二礼二拍手一礼にてお参りした。お参りして上を見ると、垂れ幕に隠れて日の丸が飾られているのが見えた(写真)。
「どうして見えない場所に飾られているのだろう?」
答えはすぐに分かった。正月はその外拝殿から先へと進み、内拝殿の前まで入ることが出来るそうで正月の参拝客はこの日の丸を高々と仰げるわけである。「なるほど」と思った。
「それにしても……」
と思ったのが、この頃の「日の丸掲揚」についてである。昔は祝祭日ともなれば家々に日の丸が掲げられ、バスの前面にも小旗が飾られていたものだが、この頃はとんとその姿を見なくなってしまった。今や国民の祝日に日の丸を揚げようとすると、それ相応の「勇気」と「意味づけ」を求められてしまう世の中になってしまっている。「日の丸」すなわち「宗教」「戦争」と関係づけるような教育を受け、意味も分からぬままに受け入れてしまった結果かと思う。自分の国の国旗を掲げることに何の問題があろうか。それが戦前回帰へつながることなどあり得ず、特定の宗教とも係わりのないことは明白であるが、なぜか抵抗を感じてしまうのは、まさしくある種の思想が意図的に行なった日本の文化の破壊のように思えて仕方ないのである。かといって自宅のベランダや会社の正面玄関に日の丸を掲げようとでもすると「何をやっている人だろう」「特殊な考えの会社ではないだろうか」などとあらぬ誤解を受けてしまうのも容易に想像できる。悩ましい限りである。星条旗を自由に掲げているアメリカの映像などを見るたびに、「日本人の誇り」や「美しい習慣」を失ってしまったように思うのは私だけだろうか。

妻は「ヤタガラス」の御守りを買い、私は「こころの文庫──神武天皇」という小冊子を買った。今年の建国記念日にはしっかりと思いを巡らし、お祝いしようかと思ったものである。
                                 (平成31年作)




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山眠る

いにしへの大和三山眠りたり



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2日目もまた「飛鳥」の隣「橿原」に向かった。病膏肓に入るとはこのことである(笑)。初日と同じく京奈和自動車道を走り、まずは「藤原京跡」を訪ねた。天気は前日と変わらない。山に雲はあるものの晴れている。車を置いて歩いた。結構な広さである。
壬申の乱に勝利して天武天皇となった大海人皇子は在位13年で崩御する(686年)。その後すぐに後継争いが起き、大津皇子が皇太子である草薙皇子への謀反を計画し殺害される。その2年半後には草薙皇子も病気で他界する。こうして再び皇位継承問題が取り沙汰され、皇后鸕野讃良(うののさらら)が草壁皇子の子の軽皇子(のちの文武天皇)の即位までの中継ぎとして第41代持統天皇となる。天皇の業績として名高いのが藤原京の建設である。中国の条坊制を採用した日本で最初の本格的な都城であった。藤原京の広さは南北4.8キロ、東西5.2キロに及び、耳成山、香具山、畝傍山の大和三山をすっぽりと収めるほどのものである。私達が立った赤い柱の立つ原っぱは太極殿や朝堂院といった国の儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などのあった場所である。柱は発掘された礎石の上に当時の建物を視覚的に示すために設置されたものである。近づいてみても只の柱である。原っぱの広さを強調するばかりである。風が冷たい。遠くに香具山が見える(写真)。
私「あれが衣干すちょう天の香具山かぁ」
妻「大和三山の中では一番だらしがない」
私「だらしないって?」
妻「形がダラ~としてる(笑)」
私「なるほど、山頂らしきものがハッキリしてないからなぁ。確かに畝傍山と耳成山は形がシッカリしている(笑)」
その場所から三山がよく見えるのである。
私「折角だから香具山の写真を一枚撮らせてよ」
妻「どうぞ」
私「雲に覆われていて後ろの山と同化してるけど、日矢が差すといい写真になるに違いない」
それからしばらくは香具山に日の差す瞬間を待ってじっとしていたが、ついに差すこともなく立ち去ることになってしまった。
妻「ホントにいいの?」
私「いい」
妻「まだ早いから大丈夫だよ……」
私「雲の通い路、吹き閉じよっていうのもあったなぁ……大丈夫、次に行こう」
                                 (平成31年作)




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品書きに鯨と見れば喜べり



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夕食はホテルではなく、外に食べに行くことにした。
妻「部屋で休んでしまってからでは出掛けるのも大変だから、少し早いけど行っちゃいましょうよ」
私「オッケー」
近鉄奈良駅の周辺の飲食街に行くことにした。私が買ったガイドブックの見開きに大きく広告を出していた店があったのである。外でメニューを確かめてから店内に入った。
店員「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」
私「いいえ、予約はしていません」
店員「少々お待ちください」
少し待たされて、すぐに「どうぞ、こちらへ」ということになった。まだ5時前である。
「そんなに予約で一杯なの?」と疑ってもみたが、私達の後に入ってきたフリーのお客が次々と断られていたので満更嘘でもなかったようである。広告の効果だけでもないだろうが人気店のようである。注文はタッチパネルで行なうので一々店員を呼ばなくてもいい。「あれも食べたい、これも食べたい」とタッチパネルを操作していく。鯨なども置いている。しかも注文するとそれほど待たせずに確実に出てくる。手軽である。また店の雰囲気もいい。オシャレな内装をしている(写真)。お燗が何本も出て来て、妻もいつになくいろいろなカクテルを注文していた。
妻「奈良は4回目かな」
私「そんなに来てるの?二月堂のお水取りは知ってるけど」
妻「春山さんと一緒に来た時はバスで回った」
私「それはいい回り方だなぁ」
妻「薬師寺のコンサートも良かったよ」
私「誰の?」
妻「〇〇」
私「へぇ~、薬師寺でコンサートなんかやるんだ。あそこにそんなに大きな会場があるの?」
妻「いやいや、金堂と大講堂の間にある広場に椅子を置いてやったのよ」
私「雨でも降った分には大ごとだねぇ。それにしてもコンサートを奈良まで見に来るっていうのも凄いね」
妻「貴方だって新聞小説を読んだくらいで奈良まで来るんだから同じようなものだよ」
私「そりゃ、そうだけど(笑)」
                                 (平成31年作)




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