2019年01月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2019年01月の記事

枯銀杏

注連揺れてをり葛城の枯銀杏



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「ワカタケル」には葛城のことが何度か出てくる。武内宿禰(たけのうちのすくね)という葛城氏の祖とも言われる人物が出てきて、これから天皇になろうというワカタケルに「葛城の血を絶やさないでくれ」と頼むシーンを読んだばかりである。葛城の血を引く韓姫(からひめ)を后(きさき)にと頼むのである。葛城氏とは朝鮮からの帰化人のようで、日本書紀を読むとその頃の日本がいかに朝鮮や中国と密接に拘わっていたかが分かる。
駐車場に車を停めて本堂まで歩いた。参拝客と擦れ違ったので誰もいなかった「国見神社」とは違うようである。境内に大きな銀杏の木があった(写真)。樹齢1200年。注連が張られ神木として大切にされてきたようだが、枝が切られ、支え木がされ、少し傾いているようにも見えた。往時の葛城氏を思う。
その向かいにこちらも葛城氏の祖と言われる葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)のことを歌った乙女の歌が歌碑となっていた。
「葛木の其津彦真弓 荒木にも 憑めや君がわが名告りけむ」(万葉集)
<葛城の襲津彦の強弓の荒木にも頼むではないが、信頼してあなたは私の名を人に明かしたのでしょうか>という意味であることが書かれていた。
日本書紀にはこの葛城の一言主の神と雄略天皇となったワカタケルが一緒に狩をする物語が書かれている。互いに名乗り合い、一緒に狩をし、別れるのだが、最後にそれを見ていた百姓が「徳のある天皇だ」と言って結んでいる。歴史のある神社である。お願いごとは文字通り一言で済ませなければならないようである。一言であれば何事でも聴いて下さる神様だという。その日、あちこちでお参りをしてきたが、ここだけはしっかりお願いしておくべきである。並んでお参りした。
妻「何てお参りしたの?」
私「判断を間違わないようにとお願いした」
妻「ふ~ん」
私「今年もまたいろいろとやらなければならないから」
仕事人間である(笑)。
                                 (平成31年作)




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短日

短日の神鈴振ればすぐに止む



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「飛鳥寺」を出たのは3時近くになっていた。遅くはなっていたが思い切って御所市、葛城市の方に移ることにした。「国見神社」と「葛城一言主神社」に行ってみたかったのである。まずは「国見神社」である(写真)。横須賀の豊川稲荷別院を訪ね、「神武天皇遙拝所」の石碑を見たことは前に書いた(平成30年12月20日、ひこばえ「冬の鳶」)。あの時にこの神社のことを知ったのである。初代神武天皇が東征を終え、橿原の地で即位した後、この国見の地を訪ね「なんと良い国を得たものか」と述べられた場所である。
車1台しか通れないような農道を通り、切り返さなければ右折出来ないような曲がり角を曲がった。車を停めた場所も道の行き止まりで、帰る時のUターンは妻に見ていてもらわないと出来ないような場所である。鳥居をくぐり、山道を上った。参道というにはあまりに自然そのままである。落ち葉を踏みながら進み「国見神社の沿革」という看板の前に出た。神武天皇の東征伝説から書かれている。
「天照大神の命により高天原から地上に降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)から三代を経た後に生まれたのが、神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)こと神武天皇である。『東方に青山をめぐらした美しい国がある。天業を推し進めるには最適の地であり、必ずや政(まつりごと)の中心となるであろう』と決意して東へと進軍した。難波(なにわ)から大和に入ろうとしたが抵抗が激しく、海路苦難の末、熊野の地に上陸、抵抗する士族を排し、ようやくこの地を安住の地と決められた」と書いてある。そのあたりのことは周知のことである。さらに続く。
「日本書紀によれば、神武天皇は夏四月、腋の上(わきのほとり)の嗛間丘(ほほまのおか)に登って国見され、『なんとよい国を得たものだ。内木綿(うちゆう)の狭い国だが、蜻蛉(とんぼ)の臀呫(となめ)のようだ』と言われ、以後この地を秋津州(あきつしま)と呼ぶと記載されている」
「となめ」とは交尾のことである。トンボの交尾?
私「何だろ?トンボの交尾って?『あきつ』はトンボの別名だから分かるけど」
妻「……」
私「しかも夏四月だよ。トンボなんか飛ぶ季節じゃないのに……」
妻「……」
私「『神話おおかた愛の争い建国日』という句もあるけど、天皇ともなれば自由に女を自分のものにしたんだろうなぁ……」
妻「……」
私「それに……」
妻「いいから、そんなことばかり言ってないでお参りしましょ。神聖な場所なんだから」
                                 (平成31年作)




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水仙

水仙の香の陵を巡りけり



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首塚の隣の「飛鳥寺」を訪れた。日本最古の仏像「飛鳥大仏」がある。数度の火災に遭い補修の痕も痛々しいが、凜とした趣はやはり国宝級のものである。元々は金の鍍金が施されていたようだが、今は黒鉄色をしている。ホテルに置いてあった本に仏像渡来について書かれた文章があった。
「百済の聖明王が欽明天皇に仏像・経典を献じたのを、その始まりとする。(略)日本古来の神々が、ある姿かたちに表現されることはなかったし、造像されたものとしては人物埴輪があるだけの当時である。おそらく全身に鍍金を施されていたであろう最初の仏像を見た時、人々は驚嘆の目をみはったに違いない」

次に向かったのが「天武・持統天皇陵」である(写真)。小高い山をなしていた。大海人皇子であり、その妻「うののさらら」の墓である。駐車場らしきものが見当たらなかったので階段の下の空き地に停めた。それほど人が来る場所ではないらしい。左右の田畑を見下ろしながらゆっくりと階段を上っていった。
壬申の乱(672年)を制し、即位した天武天皇は天皇の権力を強化し法律や戸籍、歴史書の編纂、新羅との外交などの施策を推し進めていく。その後を継いだ持統天皇もその遺志を受け継いで完成させていく。中でも持統天皇の事蹟として名高いのが「藤原京」の建設である。日本で初めて中国的な条坊制を採用した本格的な都城を完成させたのである。
誰もいない陵(みささぎ)は静かである。周囲を歩いてみることにした。水仙が咲いていた。柵が廻らされてはいたが、小道は歩きやすい。裏は竹林になっていて時折、鳥の声がする。
「日本書紀」は持統11(697)年8月1日、持統天皇が孫の軽皇子(文武天皇)に皇位を譲ったところで終わる。その後も持統天皇は文武天皇の政治を助け、律令国家最盛期の基本法典となる大宝律令が施行された大宝元(701)年の翌年に57才で崩御している。天皇として初めて火葬され、天武とともに合葬されている。
                                 (平成31年作)




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冬田

冬田見て首塚を見て飛鳥なり



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「石舞台古墳」のあとに訪ねたのが第35代皇極天皇の皇居だった「飛鳥板蓋宮跡」である。蘇我入鹿はこの場所で暗殺された。海音寺潮五郎著「大化の改新」をもとに暗殺の場面を再現しておこう。写真は入鹿の首塚である。

一切の準備が整い、決行の時機を待つばかりとなった。すると時あたかもよし、三韓(高句麗、新羅、百済)から進貢の使者が来た。その儀式に入鹿は必ず出席するはずである。
「よし、その日にやろう!」
役割を決めた。倉山田麻呂は表文を読む役、佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田は入鹿を斬る役、中心人物の中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足は咄嗟の変化に応ずる役。
6月12日、天皇が大極殿に出御し、やがて入鹿も来た。入り口で入鹿の剣は預かっている。いよいよ儀式が始まった。倉山田が三韓の表文を読み始めた。斬る役の佐伯と葛城は剣を持って控えている。勇敢剛力で名高い二人だったが、ことがことだけに昂奮し、恐れ、食事も喉に通らない。水を掛けて流し込んだが飯を忽ち吐き出してしまう始末。
「いくじない。男たるものが何事だ!」
鎌足が二人を励まし続ける。
表文を読み終わろうとするのに二人が斬り込んで来ないので倉山田の声が乱れる。恐怖に汗まみれとなり手が震える。
入鹿が怪しんだ。
「なんで、そんなに震えるのじゃ」
それでも二人は出て来ない。もう猶予がない。中大兄皇子が「やぁ!」と叫んで躍り出た。つられて二人も飛び出した。中大兄皇子が駆け寄りざまに入鹿の頭と肩の間に斬り付けた。佐伯が大上段から斬り下ろして片脚を斬った。
「どうしたことだ!なぜ、まろはこんな目に遭わなければならないのだ!」
天皇も驚いている。
「これはどうしたわけです」
中大兄皇子が床に伏して言上した。
「入鹿は皇族全部を殺して、この国を奪おうとしています。それゆえの誅伐です」
佐伯と葛城がズタズタに入鹿を斬って斬り殺した。
                                 (平成31年作)




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冬の景

石一つ二つと重ね冬の景



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「大化の改新、虫殺し(ムシゴロシ)」と覚えて年号645年を記憶したものだが「国栖の里」を出て向かったのがその舞台となった「飛鳥」である。当時の大和朝廷を牛耳っていたのが蘇我氏である。蘇我稲目から始まって馬子、蝦夷、入鹿と4代続く。天皇と姻戚関係を持ち、財政を握り、物部氏を討ち果たすや一極体制を作り、天皇もないがしろに権力を欲しいままにしていったのである。その蘇我氏を滅ぼしたのが中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足である(乙巳の変)。宮中にて入鹿を暗殺し、父蝦夷を自殺に追いやった。そしてその後、天皇を中心とする統一国家へと変貌を遂げていくのが「大化の改新」である。
まず訪れたのが馬子の墓とされる「石舞台古墳」である(写真)。山を下ると突如として現われた。公園として整備されているようで子供連れが遊んでいる。<誰でも勝手に入れるのだろうか?>と思った。古墳であるだけに遊び場と同じでは如何なものかと思ったのである。さすがに入場料を取って一線を画していたので<なるほど>と思ったが、馬子には少し悪いような気がしたものである。
入ると看板が立てられていて作り方などが図解されていた。<てこ、ころ、ろくろ、滑車などを利用して>などと書かれている。<フムフム>これだけの大きさの石を運ぶのも大ごとである。<よくぞ、こうして積み上げたものだ>と感心するしかない。妻と石室に入っていった。
私「石と石がいやにピッタリと合っている所がある」
妻「どれどれ?」
私「この正面の石。見事に線が合っていると思わない?」
妻「ホントだ。削ってから載せたんだね」
私「すごく丁寧な仕事をしてる」
妻「見て見て、こっちの石。仕事ぶりが全然違う」
私「何だろ?ただ石を載せただけみたいになってる。随分とこだわりのない仕事ぶりだなぁ」
妻「作業を受け持ったグループが違ったんでしょうね(笑)」
私「(フムフム)そのあたりのことは掘り起し調査をしたっていうから解明されているだろうね。どう書いてあるか、見てみたいもんだよ。性格の違いとか書かれているんじゃない?(笑)」
昼はすぐ近くの食堂に入った。妻は古代米のカレーを注文し、私は白米の定食を頼んだ。揃って同じ物を注文したことは過去なかったような気がする。性格の違いではなく、ここは嗜好の違いである(笑)。
                                 (平成31年作)




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紙漉き

紙漉いて犬は飼はざる国栖の里



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車の中で妻には「国栖(くず)の里」に伝わる犬の話をした。
私「大海人皇子が敵に追われてこの国栖の里に逃げ込んだ時のことなんだ。川で渡しをしていた老夫婦が川原に置いてあった舟をひっくり返してその中に皇子をかくまった。そこに犬が現われて皇子の匂いを嗅ぎ付けたようで舟に近づいてくる。翁は慌ててその犬を追い払おうとして石を投げつけた。しかしその石は運悪く犬に当たってしまい、犬は死んでしまった。運悪くというのは実はその犬、皇子が可愛がっていた犬だったんだ。老夫婦はあとからそのことを知って嘆き悲しみ、犬の死骸を丁重に葬り、皇子に詫びたんだよ。それ以来、この国栖の里では決して犬を飼わなくなったという話なんだよ」
妻「ふ~ん」
私「だからおそらく、ここでは犬を見かけることはないと思う」
そんな話を道々してきたのである。
停めた車に戻り、またまた細い道を通ってようやく普通の道に出た。
私「こんな山奥まで来て、神社一つじゃ悪かったね」
妻「いいえ、いつものことですから(笑)」
私「紙漉きの現場くらいは見ておきたかったね」
妻「さっき、あったじゃない。あれは楮(こうぞ)か何か干してたところだよ」
私「えっ、本当?見なかった」
妻「まぁ、いいじゃない。これから古墳とかいろいろ見るんだから(笑)」
私「まぁな。ここで犬でも出てくれれば最高なんだけど。『犬は飼わざる国栖の里』とでも作るか(笑)」
妻「あっ、いた!」
私「えっ、うそ!」
妻「今、いた。車に繋がれてた」
私「ホント?車、停めるよ」
ということで車を停めて写した一枚である。そのあと、車内で大笑いしたことは言うまでもない。
私「ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ(笑)」
妻「そんなに可笑しい?(笑)」
私「可笑しい。これ以上に可笑しいことって世の中にないと思う。ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ(笑)」
妻「そうかなぁ(笑)」
私「だって、国栖の人達を信じていたんだから。絶対に犬は飼ってないはずって(笑)」
妻「そう思いたくなるよね(笑)」
私「それにお前のあの『あっ、いた!』のタイミングが良すぎたよ。オレが話したすぐあとだよ。『犬は飼わざる国栖の里』ってやったそのすぐあとだから、驚くを通り越して笑うしかないよ。ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ(笑)」
                                 (平成31年作)




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山眠る

大御酒を供へ吉野の山眠る



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「桜木神社」のあとは更にその山奥となる「国栖(くず)の里」に向かった。和紙と割り箸の産地として有名だが、もちろんそこにも神武天皇に纏わる神社がある。「浄見原(きよみはら)神社」である。壬申の乱の時に追っ手から身を隠した「天皇淵」と呼ばれる吉野川の流域の上に鎮座している。写真で見るかぎり崖面に造られた祠が古めかしく、毎年旧正月14日に「国栖奏(くずそう)」と呼ばれる翁の舞が奉納されるらしい。神社ばかり訪ねるのだから興味のない妻には本当に申し訳ないと思うのだが、これだけはどうしても見ておきたいと思うのだから仕方ない。6キロほど車を走らせた。道々、割り箸の看板が出ている。
私「割り箸を作っているところなんかも見てみたいな」
妻「もう、12月も暮れだよ。やってないよ」
私「紙漉き体験は要予約って書いてあった」
妻「そんなのこの時期、やってる訳ないよ」
冷静な妻である。浄見原神社の位置もカーナビでは検索出来なかったので適当な場所を登録して走っている。道の途中で停まって誰かに尋ねようとしても人が見当たらない。トンネルを越えた所で急に「浄見原神社」と書かれた柱が現われた。矢印が細い道を指している。入って行くと途中で若い男性を見かけた。聞くまでもないとそのまま進んで河原に突き当たった。降りて探してみたが神社は見当たらない。ここはやはり男性に聞いてみるしかないと車を戻したが、河原の方向を教えてくれるばかりである。半信半疑とはあの状態のことをいうのだろう。同じ道を進み、ウロウロしながら更に少し先に進むと社務所のような建物が見えた。てっきりこれだろうと思って入っていくと庭仕事をしていた男性が出てきて「ここは〇〇で、神社はもっと先だ」と教えてくれた。ようやく分かった。案内板などもなく、あまり人は来ないようである。川沿いの道をさらに進むと鳥居があり、「翁の舞」の舞台があり、さらにその先に崖の際に石段を作って祠を祀っている(写真)。どうしてこのような危ない場所に造ったのだろうと思いつつも、お供え物もされ清掃も行き届いているので村の人達によって大切に護られているのが伝わってきた。「大海人皇子をかくまった」という誇りが1,350年を経てもなお続いているようである。
私「この辺りに犬塚というのがあるようなんだけど、それこそ見つけるのも大変そうだからそこは止めておこう」
                                 (平成31年作)




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雪散れり「虎に翼」の碑に散れり



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最初の目的地は「吉野」である。しかし「吉野」といっても豊臣秀吉の「吉野の千本桜」でも世界遺産の「金峯山寺」でもない。地図に載っていない「吉野」である。カーナビに「宮滝遺跡」と入れてみたが出て来ない。それではと「桜木神社」と入れてみたがこれもまた出て来ない。何と入れようかと迷っているとレンタカー屋の男性が出口で待っているようなので、ひとまず「吉野神宮」と入れて出発することにした。大海人皇子(のちの天武天皇)が皇位継承争いの難を逃れ、出家して隠棲した場所である。ここから挙兵して「壬申の乱」へと繋がっていく大切な場所なのである。
天気は上々である。寒波が押し寄せていて日本海側は雪とのことだったが、奈良はいい天気だった。京奈和自動車道という無料の高速道路を走り抜けて、橿原、飛鳥の地へ入り、峠を越えて吉野の地へ入って行った。あれほどの天気が急に曇り空に変わったのは峠を下り始めた辺りだった。吉野川に掛かった所で雪が舞い始めた。
私「おお、雪だよ。<吉野の里に降れる白雪>だよ。風花で詠んでもいいなぁ。情緒ある~(笑)」
妻「風花じゃないでしょ。これは雪だよ」
私「一行が吉野に逃れてくる時も雪だったんだよ。芋峠という所で難渋したことが書かれていた」
目的地に入れた「吉野神宮」が近づき、「宮滝」という地名を見つけて入れ直した。さらに5、6キロ離れていた。吉野川沿いの細い道路を進み、ようやく「宮滝」に到着した。宮滝遺跡のある場所である。そこをさらに1、2分脇道に入った所に「桜木神社」の駐車場があった。雪がゆっくり落ちていた。もちろん誰もいない。車も1台として通らない。「象の小川」のせせらぎの音と時折起こる鳥の声があるばかりである。

天智10年(671)10月17日、病が重くなっていた天智天皇が使いを出して弟の大海人皇子を枕元に呼んだ。
「私の病気は重い。もう長くはないだろう。後のことをお前に任せたい」
しかしこの時、大海人皇子は裏に陰謀の匂いを嗅ぎ付けていた。実はこの年の1月に天皇は息子である大友皇子を太政大臣に任命し、事実上の後継者指名をしていたのである。何かの裏があるに違いない。
「私は不幸にして元から多病で、とても国家の大役を務める訳にはいきません」
一旦は断るが、それでも許されず、
「今日にも出家して仏道への修行に励み、天皇の病が一日も早く治るように祈ってまいります」
そう宣言してようやく許され、その日のうちに剃髪して吉野行を決めたのである。
神社の入り口付近に「虎に翼を着けて放てり」の碑が建てられていた(写真)。生まれながらにして人に抜きん出、とりわけ成人してからは人間業とは思えない武徳があると讃えられていた人である。当時の人もこのままでは終わるはずがないと予見していたのだろう。吉野宮へ向かう大海人皇子を見て呟いた言葉だという。神社の祭神は大己貴神と少彦名命、そして天武天皇である。
                                 (平成31年作)




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冬の月

冬の月ありて三笠の山いづこ



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バスから降りた時、まだ辺りは暗かった。
私「寒~い。風呂でも入りたいなぁ。サウナなんかないかなぁ」
妻「そんなに都合のいいものがある訳ないでしょ。コーヒーでも飲んで待ってましょうよ」
私「何か、もっと温かいものが飲みたい」
妻「はい、はい」
JR奈良駅のバスロータリーに降ろされたようである。時刻は6時20分。構内にモスバーガーがあるが6時30分の開店である。10分間待たなければならない。コンビニの中で待たせてもらうことにした。ビルの合間から下弦の月が見えた。<冬の月だなぁ>と思った。<三笠の山に出でし月かも>が浮かんだ。この近くに三笠山があるはずだが見えるはずもない。コンビニで時間をつぶす10分間とは長いものである。飲み物とスナックを買った。しばらくしてチョコレートとバナナを買った。ウロウロして目に付いたホッカイロ(写真)も買った。同じバスから降りたと思われる女性も店内をウロウロしている。モスバーガーに行くのかも知れないと思った。
ようやく時間がきてモスバーガーに入った。「朝モス」と書かれていたのでてっきりモーニングセットばかりかと思いきや、どのメニューを注文してもいいという。何にしようかと迷っていると妻が<コーンスープがいいんじゃない?>と勧めてくれた。<きっと温かいわよ>
飲んだことがないのでカップにそのまま口をつけた。
<アチチチチ……>
火傷しそうになった。
私「何だってこんなに熱くするんだろ……」
妻「気をつけなさいよ」
私「カップまでこんなに熱くする必要があるかなぁ。どうやって飲むの?」
妻「スプーンがあるでしょ」
私「そうか」
妻「美味しい?」
私「美味しい……グッド、チョイス(笑)」
レンタカー屋の場所を確認したり、訪ねる先を地図で探したりして時間を過ごした。
私「レンタカー屋は何時?」
妻「確か9時だったと思う」
私「随分、時間があるなぁ」
妻「ちょっと待って。調べてみる。……あっ、8時からだ」
私「よかった。あと2時間もここにいたら、さすがに気が引けるよ」
                                 (平成31年作)




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寝に落つるほかなき冬の深夜バス



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仕事仕舞式を終えて帰宅し夕飯を済ませてから出発した。横浜駅にあるYCATへは10時半に到着した。初めて来た場所である。北へ南へ方々へ向けて旅立つバスがある。次から次へと案内され、順次到着したバスに乗り込んでいく。慣れない人もいるようで係の人に問い合わせている。外人も多い。子供連れもいる。乗り込むバスの案内は10分前に行なうという。その時間には近くに集まっていなければならない。中には来られなかった人もいるようで大声で呼び出されている。どこにでもそういう人はいるものだ。事情が発生したのだろう。
我々が乗り込むバスが到着した。キップも何もない。名前を言って係員が名簿にチェックするだけである。
「乗り場にバスは到着していますので受付を済ませた方から順番に乗り込んでください。バスはすぐに出発します」
バスの横に男性が立っていて預ける荷物はないかと聞いている。運転手さんのようである。乗り込むとすでに乗客がいる。東京方面から乗ってきた人のようである。席は3列で、通路が2本。それぞれが離れて配置されている。我々は左側の一番奥の席である。荷物を後ろに置いてコートは網棚に載せた。窓にはカーテンが引かれていて外が見えないようになっている。腰を下ろして背凭れを少し倒してみたりしている内に出発の時刻となった。「それでは出発します」とアナウンスされた。11時10分、定刻である。何の狂いもない。私の横の席は30代の女性である。目が合った瞬間、カーテンが引かれた。プライベートカーテンと言うらしい。アナウンスでそのような言葉を使っていた。前の席も女性である。20代に見える。顔は見えないが服装でそう思ったのである。シートベルトを締めて、足元のプレートを出し、リクライニングを倒したあたりで再びアナウンスがあった。
「このバスはあと5分ほどしましたら消灯します」
<ええっ~、早い、早過ぎるよ>乗せて走り出してすぐに消灯である。<何か準備をする人もいるだろうに>と思ったのだが、私自身5分後には寝てしまったようで消灯された瞬間を覚えていない(笑)。目が覚めたのが3時である。
<寒い!>どうなっているのだろう。頭の上から冷たい空気が吹き掛けてくる。頭はもちろん足の方もいやに冷たい。<寒すぎるよ!>すぐに空気の吹き出し口を閉じ、網棚のコートを降ろして足に掛けた。<これじゃ、風邪を引いてしまう>冬だというのにこの車内の寒さはどうなっているんだろう。窓のカーテンから覗いてみると高速道路を物凄いスピードで走っている。<どのあたりを走っているのだろう?>そう思う間もなくまた寝に落ちてしまった。
次に目が覚めたのが京都駅である。朝5時20分に到着した。<早い。こんなに早くに降ろされてどうするのだろう>と思った。京都と奈良は近いと考えていた。<奈良にもすぐに着くだろう>そう思っているうちにまた寝てしまい、奈良駅に着いてから妻に起こされた。朦朧として降り立った。朝6時20分である。まだ辺りは薄暗い。
                                 (平成31年作)




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うるはしの国まほろばへ冬の旅



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昨年9月から日経新聞で始まった池澤夏樹「ワカタケル」を毎朝楽しく読んでいる。読み始めた当初、あまりの面白さに雄略天皇の本でも買って読んでみようかと思っていたところへ我が社の持統天皇こと「さららちゃん」が9月12日に入社してきたのでややこしくなる。21代天皇と41代天皇である。まずは「日本書紀」を読み直すところから始めた。もちろん原書などを読む余裕はないのでガイドブック的なものを選ぶことになる。いろいろと取り寄せてみた。福永武彦「日本書紀(現代語訳)」、海音寺潮五郎「大化の改新」、黒岩重吾「天の川の太陽」、ムック本「日本書紀─古代ヤマトを旅する」などである。そうこうするうちに奈良に行きたくなってきた。
私「年末、奈良に行こうよ」
妻「いつ?会社はいつまでなの?」
私「28日までということになっているけど、仕事が薄くなるだろうから26日で終わりだろうなぁ」
妻「オッケー、じゃあ27日出発で2泊ということでいい?行きたい所はあるの?」
私「宿はどこでもいいよ。レンタカーを借りてあちこち走るから」
妻「新幹線?」
私「そりゃ、そうだろ」
妻「深夜バスというのもあるわよ」
私「オーッ、いいねぇ。それで行こうよ。沢木耕太郎の深夜特急だな」
妻「それほどじゃないと思うけど(笑)」
それが11月半ばの出来事である。12月27日の夜11時10分に横浜を出発するバスを予約し、ホテルも確保した。しかし12月に入った途端、大口の仕事が舞い込んだ。大型店舗のレジ台1500台の製作である。それを12月と1月で納めなければならないことになった。やり切れないほどの量である。26日で仕事を終わる訳にはいかなくなった。どうしよう!本来なら28日まで工場を動かし、29日(土)も休日出勤させなければならないところである。しかし、バスもホテルも予約してしまっている。
結局、27日を仕事仕舞いとして28日は必要部署のみ休日出勤扱いで動かすことにした。少々後ろめたさが残る。
「1日、正月休みを長くして皆さんにはゆっくり休んでもらうことにしました」と全員の前で挨拶したが、何と迫力に欠けた言い方になってしまったことか。この1日がのちのち大きく影響しなければいいがと思いつつ、心は「倭(やまと)は国のまほろば」へと飛んでいたのである。
                                 (平成31年作)




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クリスマスイブ

クリスマスイブはグリルで肉を焼く



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皇居東庭から坂を下り「坂下門」を出るのには難渋した。あれだけの人が一斉に狭い門を潜ろうとするのだから大変である。外に出てようやくホッと出来た。店に電話を入れることにした。キャンセル料100%との対決である(笑)。
私「もしもし、日向と申します」
女性「ああ、11時半にご予約の日向様ですね」
私「連絡が出来ずに申し訳ありませんでした。今、ようやく電話が出来る状態になりました。これからでしたら、そちらに向かえるのですが大丈夫でしょうか」
女性「これからですか?少々お待ちください。聞いてみますので……」
少し待たされた。
女性「日向様、それでは1時半にご来店いただけますでしょうか?」
私「はい、大丈夫です。1時半ですね。伺います」
時刻は12時20分になっていた。
私「大丈夫だって。悪かったね、心配掛けて(笑)」
妻「良かった。駄目かと思った」
私「何事も諦めたら終わりだね。雨も上がりそうだし、のんびり歩いて行こう」
妻「オッケー(笑)」
銀座はクリスマスモードに飾られてとても綺麗だった。5分前に到着した。
私「予約しました日向と申します」
女性「お待ちしておりました。すぐにご案内いたします」
予約していたコース料理を満喫した。
食事のあと、ボーイさんに聞いたところ予約の7~8割がインターネットからだそうである。
私「当日のキャンセルもあるの?」
ボーイさん「たまにございます」
私「その時のキャンセル料が100%というのはどうかね。本当に徴収するの?」
ボーイさん「どうですかねぇ。私は係ではありませんので、ちょっと(笑)」
私「そりゃ、絶対に徴収するべきだよ。当日にキャンセルする方が悪いんだから」
ボーイさん「そうですか」
私「だけど、取られた方はガッカリするよなぁ。食べてもいないのに支払うんだから。もう二度とこの店に来ないということになると思うよ。やはり客商売ともなれば、ここは違う判断もあるかと思うけど」
ボーイさん「はい、有難うございます。係にそう申し伝えます。お客さま、お料理の方は如何でしたか?」
私「最高だったよ。ラムチョップ、美味しかったよ。店の対応も良かったし、満足、満足(笑)」
                                 (平成31年作)




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天皇誕生日

傘の花咲かせ天皇誕生日



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妻「お店に遅れるって電話を入れておいたら?」
私「ちょっと待って。何時になるか分からないから、分かってから電話する」
妻「キャンセルすれば」
私「当日のキャンセル料は100%だよ」
妻「ええ~、勿体ない」
私「しょうがないよ。いろいろ予定が狂っちゃったんだから(笑)」
妻「そもそも11時半の時間設定が早過ぎたよ」
私「仕方ないよ、その時間しか空いてなかったんだから」
時々落ちてくる雨に打たれながら今回の反省点を考えていた。
①10年前は並ばなかった。1時間も並ぶことになるとは考えてもいなかった。事前の調べが甘かったようである。
②東京駅での人身事故。何があったのかは知らないが多くの人の迷惑となる方法での自殺は止めるべきである(人身事故が自殺とは限らないが、勝手にそう思い込んでいる)。不測の事態に備えて余裕ある行動を心掛けるべきである。
③初めてのスマホでの店の予約。慣れないことは止めた方がよい。
手荷物検査を終えて、<それっ>ということで走ったが、またまた皇居前広場でストップが掛かった。時刻は11時30分になっていた。3回目の一般参賀が始まるまであと10分である。諦めた。店にも到底間に合わない。
私「2つとも駄目になるようだなぁ」
妻「……」
列が動き出し、二重橋へ向かったのが11時45分である。もしかして参賀の途中に間に合い、天皇陛下の姿が見られるかも知れないと淡い期待を持ったのだが、長和殿の前に到着したのが11時55分である。エントランスに皇族の皆さんの姿はなく、誰もいない方向へ向けて写真を撮っている人がいるばかりである。その時スマホに着信があった。見るとお店からである。<キャンセルポリシー>とある。
「キャンセル料につきましては以下の通り申し受けます。
当日(連絡があった場合)100%、当日(連絡が無い場合)100%」
雨は急に激しさを増して落ちてきた。
                                 (平成31年作)




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極月

極月や電車を止めるまでの事故



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一般参賀は午前10時20分、11時、11時40分の3回である。東京駅まで電車で1時間ほど掛かるので、歩く時間も入れて8時半には家を出ることにした。銀座の店を11時半に予約しているので10時20分の参賀に間に合えばと思っている。新杉田駅から京浜東北線に乗り、文庫本などを広げて何の問題もなく進んでいた。トラブルが発生したのは蒲田駅の少し手前を走っている時である。車内アナウンスがあり、東京駅で人身事故が発生したことが知らされた。蒲田駅に到着すると<この電車は次の大森駅で事故の復旧を待つことになります>と放送された。9時15分頃の出来事である。
<しょうがないなぁ>と思った。しかし<すぐに動くだろう>とも思っていた。そのまま乗り続けて大森駅に到着し電車は止まった。乗客の一部は電車を降りてどこかへ出て行ったが、<どこへ行くのだろう、乗り換え出来る電車はないはずだが>と思っていた。しばらくして<10時頃の再開が予定されます>との放送があった。
私「10時に動いたとしたら11時の一般参賀になっちゃうなぁ」
妻「しょうがないよ。待つしかないよ」
私「店が11時半だからギリギリだなぁ」
妻「そのままお店へ行っちゃう?」
私「そりゃ、ないよ」
電車は9時45分に動き出した。30分の遅れである。<このタイミングで事故が起こるとはなぁ>とボヤいてみても詮無いことである。
東京駅を出ると雨がポツポツと落ちてきた。
私「あれっ、降水確率20%だったのに」
妻「大丈夫よ。青空が見えてるじゃない」
みんな皇居の方に向かっている。凄い人の数である。2つ目の信号を渡ったところに係員がいて、人の列の一番後ろに並ぶように誘導された。
私「なんだろ、ここから並ぶの?」
妻「そうみたいね」
私「ここはまだ皇居前広場にも達してないよ」
妻「今年で最後だからじゃない?」
私「そうかぁ。それにしても凄い数だなぁ」
10年以上も前に一度来ている。あの時はこのように並ぶこともなく簡単な手荷物検査をされ、そのまま二重橋へと進み一般参賀を済ませたのだった。待つことがなかったのである。並び始めたのが10時15分である。列は一向に進まない。そのうちに1回目の参賀を終えた人達が帰ってきた。<我々は2回目だな>と思った。30分が過ぎ、40分が過ぎ、2回目11時の参賀に出たと思われる人達が戻ってきた。11時15分になってようやく動き出した。我々は3回目のようである。待つこと1時間である。レストランの予約時間11時30分になろうとしていた。
                                 (平成31年作)




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年惜しむ

連れ立ちてたまの銀座に年惜しむ



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12月23日(日)は天皇誕生日である。昭和天皇として最後の誕生日となる。一般参賀に行こうと思った。
調べてみると午前に3回のお出ましがあるようだ。妻に連絡すると行くという。二人で出掛けたのは10年以上も前のことである。我々にとっては2回目の一般参賀である。<昼はどうしよう?>と思い、久し振りなので<銀座で食事を>と考えた。メールした。
私「銀座三笠会館のフレンチなんか、どう?」
妻「そんなに気取った所じゃなくていいよ」
私「いやいや、折角ですから」
妻「ピヤ~(画像)」
私「予約しておくけど何時がいい?」
妻「2回目のお出ましに参加するとして、12時?」
私「了解です」
妻「フレンチよりイタリアンの方がいいなぁ」
私「ええ!難しいよ。メールしておいてよ。お願い」
しばらくして連絡が入った。
妻「予約出来るのはクリスマスランチ6000円しかないよ。よく考えよう」
私「いいよ、それで」
妻「いやいや、よく考えよう。レストランは他にいくらでもあるんだから」
私「大丈夫だよ」
妻「クリスマスランチは4名様からだって」
私「フー」
確かにクリスマス時期である。銀座名店は予約が一杯のような気がした。三笠会館が駄目ならどこがあるだろう?業界の会合で使う三笠会館には親しみはあるが他は知らない。インターネットで調べてみた。「銀座、ランチ、フレンチ、ランキング」などで検索すると山のように出てきたので上から見て行くとやはり予約は一杯である。ここも駄目、あそこも駄目と見て行くうちにようやく予約可の店を見つけた。<スマホで簡単予約>などと書かれている。やってみた。意外と簡単に進んでいく。<このプランを予約する><日付、時間を入れる>11時30分しか空いていない。<名前、電話番号、メールアドレス>を登録。<申込みボタン>を押すと<エラー>と表示される。何かを間違えたようである。見ると質問事項に答えていない。<アレルギー食材はございますか?><ない>と答えて申し込む。予約完了。フー。大ごとである。
私「予約完了。銀座1丁目の店。初めてスマホで予約した!」
妻「ありがとう。11時半とは早いね。一般参賀は10時20分にしたほうがいいと思う」
私「ちょっと忙しいけど」
妻「いいよ。良さそうな店だよ。ありがとう」
これが当日大騒ぎとなるそもそもの第一歩だったようである。フー。
                                 (平成31年作)




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初湯

初湯して低く国歌を唱したり



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明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては良き新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
平成25年5月に始めたこのブログも皆様に支えられながら5年半を経過し、回数も730回を超えるまでとなりました。
思わぬ所で思わぬ人に「いつも楽しく読ませてもらっていますよ」などと声を掛けてもらった時の喜びといったらありません。まさに至福の瞬間です。私事に関わることばかりを並べておりますが今年もまたお付き合いいただければと思います。
最近は正月といってもその過ごし方が多様化し、昔行っていたことが簡略化されたり省略されたりしています。お正月を迎える前の大掃除、門松、注連飾り、鏡餅。大晦日にはお節料理を用意し除夜の鐘を聞きながら年越しそばを食べ、元旦にはそのお節料理やお雑煮を食べ初詣に出掛ける。年賀状を見、子供たちはお年玉をもらう。昭和が平成となり、また次の時代へと変わって行く中で、忘れてはいけない美しい日本をもう一度思い起こしておきたいところです。
三木露風の「お正月」という詩をご紹介します。

「お正月」
正月がきた。
お正月。
早く、起き出て、お雑煮を、みんな、そろうて、たべまする。

おぢいさん、明けまして、お芽出たう。
おばあさん、明けまして、お芽出たう。
おとうさん、明けまして、お芽出たう。
おつかさん、明けまして、お芽出たう。

よい着物着て親戚まはり、
「昨年中は、ありがたう、
どうか、ことしも、よろしく」と、
頭を、さげて、出て、きます。

凧を、上げよう、お羽根を、つかう。
日本晴れの、お正月。
みんな、楽しく、暮しませう。
お正月、七日は、松の内。
                                 (平成31年作)

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