2018年12月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2018年12月の記事

浮寝の鳥

人同じからず浮寝の鳥もまた



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翌日は修善寺の山の上にある名勝「もみじ林」を散策するところから始まった。紅葉は散っていてすっかり冬の景となっていたが、富士見の高台までの坂を上っていくのは心地良いものである。あいにく富士山は雲に隠れていたが全員で上る楽しい時間となったのである。予定ではその後、三島にある大吊橋(スカイウォーク)に向かうことになっていたが、女性陣から修善寺にある日枝神社にお参りしたいとの要望が出た。縁結びの神社だという。独身女性が3人いるのでその声を無視する訳にはいかない。来た道を戻り、町中の大型駐車場にバスを停めた。全員で修禅寺とその隣の日枝神社を目指した。遊歩道「竹林の小径」を抜けたところに「独鈷の湯」がある(写真)。思い出の場所である。
20年以上も前になるが、会社の有志7名で「呑兵衛会」というものを作っていた。会社の帰りに居酒屋に集まる酒好きの面々だったが、そのうち飲んでいるだけでは詰まらないとあちこちを旅行して歩くようになった。関東6県はもちろん、長野、山梨、静岡、石川など方々へ出掛けた。ワゴン車で出掛けていたが電車やツアー参加の時もあった。この修善寺にも来ている。車の中で相当に飲んできて当時混浴だった「独鈷の湯」に昼の日中に入ったものである。観光客が見ている中で裸になったのだから飲んだ勢いというのは恐ろしい。足湯となった今の「独鈷の湯」が少し情緒に欠けるように見えるのも仕方ない話である。当時の7名が2名になってしまった。亡くなったり退職したりといろいろである。一人一人の顔を思い出したら切なくなる。残ったのは私と庄司さん(76才)だけである。「独鈷の湯」を見下ろしながらの会話である。
庄司さん「あの頃は楽しかったなぁ」
私「よく飲んだよなぁ」
庄司さん「みんな元気だったからなぁ。いつの間にか居なくなってしまった」
私「20年経って、とうとう二人か」
庄司さん「俺はまだまだ働けるから頼むよ(笑)」
私「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
庄司さん「何?」
私「いや、こっちの話。みんなの分まで頑張るか」
庄司さん「そうだな」

帰りのバスの中で最後の挨拶のマイクが回ってきた。「独鈷の湯」の話でもしようかと一瞬迷ったが、グッと迫るものがあって止めておいた。従業員の前で感極まる姿を見せるほど、まだ年は取っていない。
                                 (平成30年作)




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年忘

酔ふほどに絡まれもして年忘



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宴会が始まった。豪勢な料理が並んでいる。冒頭にまたまた私の挨拶である。他の人に替わってくれても良さそうなものだが、これが私の仕事のようである(笑)。

『今回の旅行も〇〇旅行社さんにお願いしました。もう20年以上のお付き合いとなります。行先の温泉を決めるにあたり、3件ほど候補地を挙げてもらいました。会社からバスで行ける所ばかりですが、今回は迷わずここ修善寺に決めました。決めた理由があります。見積もりを見たところコンパニオンさんの代金が載っていましたが、ほかの温泉地に比べ一人当たり2000円ほど単価が高くなっていました。即効、ここに決めました。2000円高いということはきっと美人が揃っているに違いないと思いました。また、きっとサービスが良いに違いないと思ったからです。見積もりに書かれていた人数より2名多くお願いしました。きっと皆さんに満足してもらえると思っています。大いに期待してもらって楽しく過ごしてくれることを願っています』

昔はコンパニオンの数が少ないと叱られたものである。
「また、社長のヤロウ、ケチケチしやがって。全然こっちに回って来ないじゃないか!」
「こういう時こそ、お金を遣ってもらいたいね。遣い方を知らない人は困るよ」
「儲かっていると言う割にはやることがシミッタレてる」
言いたい放題である。あの頃のことがトラウマになっているようで、ついついこんな詰まらない挨拶になってしまう。昔なら「おー!いいぞー!サイコー!」などと掛け声の一つも掛かったところだが、今はそんな反応は皆無である。
昔に比べ従業員の雰囲気が大きく変わった。昔は芸達者な人が結構いたものである。また飲んで暴れる要注意人物も何人かいた。舞台に躍り出たり、芸者に絡んだりとあちこちで勝手し放題となったものである。二次会、三次会と流れ、揉め事が起きたり救急車騒ぎになったりしたこともあった。しかし最近の宴会は大人しい。問題を起こす人がいなくなった。大ハシャギする楽しい男がいなくなった。社長に絡んでくる酒乱もいなくなった。普通に飲んで、二次会では歌を歌い、三次会ともなるとパラパラである。「いまどきの」という言葉があるが昔の人が凄過ぎたのかも知れない。一抹の淋しさを感じながらも普通に飲んでいられる平穏を実感している。夜中の12時近くに部屋に戻り、寝て起きたのは8時だった。熟睡である。平和である。有り難いと言えばこれほど有り難いことはない。
                                 (平成30年作)




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マスク

運勢の悪しき一日やマスクして



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12月7日(金)会社の忘年会。今年は伊豆修善寺へのバス一泊の旅である。昼で仕事を終えて大型バスに乗り込んだ。席に着くなり飲み始める者もいて楽しさ全開である。バスの中での私の挨拶である。

『一年があっという間に過ぎてしまいました。年を取ると月日の流れを早く感じると言いますが本当です。しかし早いと感じることが一概に悪いとばかりとも言えないようです。病院のベッドで寝ている人や仕事が無くて家にいる人の一日の長さを思えば分かります。仕事が山積みで一年が忙しかったという状態は有難いことなのです。まだ終わった訳ではありませんが順調に推移した一年となりそうです。ゆったりと日頃の疲れを取っていただき大いに盛り上がる旅にしてもらいたいと思います。
今回は新しく入社した人はもちろん、女性陣も全員参加してくれました。有難うございます。初めて参加する人には特に楽しんでもらいたいと思います。
これから行く修善寺は鎌倉幕府にゆかりのある場所です。源頼朝が13才で流されたのがすぐそばにある蛭ケ小島です。その子頼家が幽閉され殺された場所が修善寺です。歴史本を読み、ゆかりの場所を訪ねることを趣味としている私にとってはとても嬉しい場所です。
歴史つながりで話は飛びますが、今年事務所に入社した〇〇さんのことを改めて紹介しておきます。名前を<さららさん>と言います。この9月に面接した時「どなたが付けた名前ですか」と聞きましたら「父です」と答えました。「珍しい名前ですね」と言いましたら「持統天皇の名前から取ったと聞いています」とのことです。驚きました。女性天皇です。凄い名前だと思いました。あれから3か月経ちましたが私は今「古事記」を読み「日本書紀」を読み「大化の改新」「壬申の乱」を調べているところです。第41代持統天皇の諡号(しごう、おくり名)は<うののさらら>です。どうしてお父さんが<うののさらら>から名前を取ったのか知りたいと思いました。また、こうなると奈良にも行ってみたくなります。正月休みに出掛けてくるつもりです。何にでも興味を持つタイプですのでとても有難い出会いとなりました。〇〇さんがお酒を飲むかどうかは聞いていませんが、どうか声を掛けていただきたいと思います。もちろん〇〇さんだけではありません。新しい人に積極的に声を掛けていただき親交を深めていただきたいと思います。
最後に今日の運勢について話しておきます。私は毎朝8チャンネルのテレビ「めざまし占い」を見てから会社に来ます。もう10年以上になりますが、あれは当ります。信じています。私は「やぎ座」なのですが、今日の占いは「酔っ払いに絡まれる恐れあり」でした。「早い帰宅を勧めます」とも書かれていました。本来なら占いに従って早く帰宅したいところですが今日だけは帰宅することが出来ません。くれぐれも皆さんには私に絡まないようにお願いいたしまして冒頭の挨拶とさせていただきます』
                                 (平成30年作)




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クリスマス

誕生日ケーキあり我がクリスマス



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私が生まれた昭和28年12月25日(金)の読売新聞のコピーをもらった。1面には「奄美群島 復帰協定に調印」という記事が載っている。24日午後6時55分より外務省会議室で日本側岡崎外相とアメリカ側アリソン駐日大使との間で調印され、25日午前0時を期して完全に日本の主権下に復帰したとある。日米戦後交渉を進めていた時期である。沖縄、小笠原はまだ返還されておらず、極東での脅威と緊張が続く限り継続する旨も書かれていた。
裏を見るとラジオ番組欄がありNHK第一、第二、ラジオ東京、日本文化の4局が書かれていた。テレビ欄はNHKテレビと日本テレビ2局があるばかりである。小さなスペースしかない。その横に「女性の声」というコラムが載っていた。読んですぐに違和感を覚えた。

女性の声「飲めや歌えの忘年会──妻子とともに楽しめないものか」
▽年の暮は、主婦ともなればなにかと心せわしく、それに子供にでもカゼで寝こまれたりすると、その看病にと、からだも心も休まる暇もないものです。それに引きかえ、男の人は外でのん気に、やれ忘年会のなんのと、いつもの月より飲めや歌えやの大騒ぎです。疲れたからだをガマンして、時計を見ながら、いまかいまかと耳をそば立てて主人の帰宅を待つ妻。それなのに『おい芸者と遊んできたよ』とよたよたになって帰ってきたときの悲しさ。 ▽人に誘われたならまだしも、年に一度とはいえ、自分から芸者を呼び、しかも夜中の二時、三時まで、はじめて知合った行きずりの女と、妻には語れぬくだらぬ話をしながら酒をくみかわして、何が面白いのでしょう。男はただきれいに着飾った女がよいのでしょうか。こんなことを考えると、女に生れた悲しさ、妻としての情なさに胸がいっぱいです。 ▽世のご主人方は、ぜひそんな妻を悲しませないで下さい。忘年会、新年会など、妻にも子供にも喜ばれるようなやり方はないものでしょうか。(沼津市・新井恵子・主婦)

これを読んでの妻との会話である。
私「これは男の文章だなぁ。男性記者が女性の名を使って書いた文章に違いない」
妻「どうして?これは女性が書いた文章よ。内容を読めば分かるでしょ」
私「『妻には語れぬくだらない話』なんて、聞いてもいない妻が書くのはオカシイ」
妻「『今か今かと耳をそば立てて主人の帰宅を待つ妻』なんて、女性じゃないと分からない感覚よ。いつ帰ると連絡もくれないで食事の用意だけはさせておいた人には分からない感覚だと思うけど……」
私「えっ、俺のこと?昔の話じゃん」
妻「昔の話じゃないわよ。待たされる方のことも考えてもらいたかったわよ……ああ、思い出したら腹が立ってきた。今日は料理を作りたくない!」
私「……」
あの日<オギャァ>と生れた私がその65年後に妻に攻め立てられている(トホホ)。
                                 (平成30年作)




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燗熱し

燗熱し年相応に酔ひにけり



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会合は3時から始まり4時半に懇親会となった。丸テーブルが並べられそれぞれが座るテーブルは決められている。テーブルの中での席は自由である。7人掛けの席はほとんどが知った顔なので来た順に座ることになる。その間に信用金庫の役員、部長クラスが入り懇親の場となる。私の右隣に最近金庫が力を入れているという「よろず相談承り所」の室長が座った。
私「よろず相談をうけたまわるというのも凄いね。何を相談するの?」
室長「それこそ何でもです。社長様の悩みを何でも相談させていただきます(笑)」
私「私の悩みは決まってるよ。どうやって女房と上手くやるかってことだよ(笑)」
室長「大丈夫です。その手の悩みは得意中の得意です(笑)」
私「ホントかなぁ(笑)」
料理は中華だった。コースのメニューが席に置かれている。写真を撮った。
室長「何を撮ってるのですか?」
私「料理の写真だよ。これを女房に送るんだよ。すると何がしかの反応がある。これが唯一絶対のコミュニケーションになるんだよ」
室長「なるほど、考えてますね。素晴らしい」
私「食事をしながらも考えているのは女房のことばかりだよ(笑)」

左に座ったのがクリーニング会社の社長さんである。顔は知っているがそれほど深く話したことはない。ビールで乾杯したあと「次は何にしますか?」と聞かれ、「社長さんこそ何がいいですか?」と聞き、「それでは」ということで熱燗を頼むことにした。
私「社長さんの会社も長いんですよね」
社長「戦後まもなくです。父が技術者でして、戦争で焼け残った機械を払い下げてもらって始めたのが今の商売です」
私「失礼ですが今おいくつになられましたか?」
社長「私ですか。恥ずかしながらもう2になりました」
私「72」
社長「ええ、商売を始めた年に私が生まれました。昭和21年の生まれです。社長はおいくつになられましたか?」
私「私はこれから5になります」
社長「へぇ~、私より3つ上だぁ」
私「いえいえ、5と言っても75じゃありません。65です。勘弁してくださいよ(笑)」
社長「いやぁ、失礼しました。てっきり私より上かと思ってました(笑)」
笑いごとではない。絶対に間違ってもらっては困るところである。ヤケ酒という訳ではないが、それから1時間ほどで銚子が10本並ぶことになった。
                                 (平成30年作)




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冬の鳶

大勝利山が放てし冬の鳶



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信用金庫の総代になっているので年2回、横須賀のホテルで開かれる会合に出席する。終わった後に必ず飲食があるので電車で出掛けることになる。横須賀中央駅で下りて「みかさショッピングプラザ」という長い商店街を通ると、その途中に「豊川稲荷、成田不動尊」の看板がぶら下がっている。何年前だっただろうか、看板の矢印に沿って階段を上がってみたことがあった。あれ以来、会合があるたびに立ち寄ってお参りするようになっている。
今回も上がって来た。生憎の雨模様だったので傘を差しながらの石段164段である。手摺があるとはいうものの少し息が切れる。「徳寿院」と書かれた山門が目的地である。横にはもう少し上まで続く石段があるのだが上ったことはない。山門をくぐって、いつもなら横にあるベンチで一息付くところだが、濡れているのでそのまま本堂の前に進んだ。豊川稲荷別院である。誰もいない。真新しい扁額には「山川豊」と書かれている(写真)。もちろん山号「豊川山」のことである。兄の鳥羽一郎の「兄弟船」は知っているが、弟の山川豊のヒット曲は一曲も知らないことをここに来るたびに思い出す。賽銭を抛って鰐口を鳴らす。隣のお稲荷さんにもお参りする。豊川市にある豊川稲荷に行ったことを思い出す(平成26年3月17日、ひこばえ「春」)。あれから4年、早いものである。
小さな庭を抜けた先に成田不動尊がある。千葉の成田山新勝寺には比ぶべくもないが、ガラス戸の奥に見えるお不動さんの眼光は鋭い。そこでもまた賽銭を上げてお参りする。
山の上から横須賀の町を一望する場所があり「神武天皇遥拝所」の石碑が建てられている。日清戦争の勝利を記念したものだという。明治28年の建立である。初代天皇の名を刻むという心意気は凄いものである。山の名前を「大勝利山」というが、その勝利を記念して付けられたものかどうかは分からない。勇ましい名前である。
10月から日経新聞に連載されている池澤夏樹「ワカタケル」を面白く読んでいるだけに歴代天皇の名前を見るとワクワクする。来年は新天皇の即位に向けて何かと忙しいことになるだろう。「次回上ってくる時には新しい年号に変わっているんだなぁ」と思いながら、「国見(くにみ)」の神武天皇よろしく横須賀の町を眺めたのだった。
(注)有名な「神武天皇御東征」の絵には弓の先に留まった金色の鴟(とび)が光り輝いて描かれている。
                                 (平成30年作)




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雪女

後ろより声すれば雪女なり



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他のメンバーが強羅駅に4時に到着しホテルの送迎バスに乗るというので、直接向かう私としては4時半には到着しておきたいところである。車は順調に進み、3時半には着きそうである。いつもならポーラ美術館に寄るところだが、事前の調べで私の趣味ではない企画が展示されていたので別の美術館に行くことにした。「箱根美術館」である。強羅なのでホテルも近い。3時40分に到着し、駐車場の係の人に聞くと4時までに入って4時半には出なければならないという。忙しい。入場料900円を支払ってパンフレットをもらう。見所は庭園である。<130種類の苔と200本の紅葉>と書かれていて苔の種類の多さは日本一だという。時間がないので急ぎ足で回り始めた。観光客はパラパラといた。庭園内の案内図を見ながら一回り、紅葉の庭を歩いた。この庭は「神仙郷」と呼ばれ、平成25年に国の登録記念物に指定されたようである。
本館と呼ばれる建物に入ってみた。展示室になっていてガラスケースの中に壺や皿が飾られている。それらの価値については全く分からない。素通りするしかない。2階に上がってみた。ここにも皿などが置かれていたが別の部屋には埴輪などが置かれていた。ここは見ておきたい場所である。入口に「フラッシュ撮影はご遠慮ください」とある。
「あれっ、フラッシュを使わなければ撮影していいんだ」
俄然、撮る気になった。客は3~4人いた。一番手前にある縄文式土器の写真を撮る(写真)。凄い土器である。「縄文火焔形深鉢」と書かれていた。見ると紀元前3500年~2500年前とある。ヒヤ~、スゴーイ!卑弥呼の邪馬台国が3世紀あたりなので、その3000年も4000年も前の土器である。隣の埴輪も撮る。これは古墳時代6~7世紀のものと書かれている。土器の方が遥かに古い。また土器の方に戻ってあちこちの方向から写したのだった。
女性「あのォ、ガラスの内側には手を入れないようにお願いいたします」
私「ん?」
ああ、係の人か。さっきから私の方をずっと見ているので何だろうと思ったが、係員らしくは見えなかったのである。こういう時はこちらから話し掛けるしかない。
私「それにしても凄い模様の土器ですね。3000年も前の人が作ったとは思えませんね」
女性「そうですね。内側に黒く焦げた跡が残っていますので物を煮たりしていたようです」
私「ほう、そうですか。この形で出土された訳じゃないですよね」
女性「みんな破片で出てきました。それを貼り合わせて元の形にしています」
私「完璧ですね、継ぎ目が見えない。それの近くに手を入れたりしちゃ駄目ですよね。スミマセンでした(笑)」
女性「いえいえ、大丈夫ですよ(笑)」
笑いを取ったところで退出した。
駐車場に戻ったのが4時20分。急いでホテルに向かい全員と合流した。風呂のあとの宴会は深夜12時まで続くことになった。翌日もマイケルを聴きながら帰ってきたことは勿論である。
                                (平成30年作)




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革ジャンパー

往年のロック奏でし革ジヤンパー



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今年も昨年同様、鋼製家具懇話会の忘年会が箱根で開かれて車で出掛けてきた。朝、出掛けに妻に聞いた。
私「去年はマイケル・ジャクソンの曲を聴きながら東名を走ったんだよなぁ。ノリノリで最高だったよ。あれ以来マイケルを聴いていないけど、何かCD持ってない?」
妻「あるよ。THIS IS ITでいい?でも、マイケルよりクイーンの方がいいと思うよ。今、話題だから」
私「クイーンって、あのクイーン?」
妻「そう、あのクイーン(笑)」
借りたクイーンを会社に行くまでの車の中で聴いてみた。
「???」
何の感興も催さない。どこで何を感じればいいのだろう。私には合わないようである。やっぱりマイケルしかないと思った。箱根までの2時間は長い。ツタヤに寄って買っていくことにした。

マイケルはツタヤの棚の下の方に置かれていた。4~5枚である。少ないなぁと思った。みんな英語で書かれているのでその中から適当に2枚を選んでカウンターに持って行った。1枚は何の問題もなかったが、もう1枚は倉庫の奥を見に行ったりして手間取っていた。ようやく見つけて呈示されたのが、分厚い箱入りのものである。
店員「お待たせしました。こちらの商品でよろしいでしょうか?」
私「何なのこれ?随分立派なものだね。CDじゃないの?」
店員「DVDです」
私「そうなんだ。車の中で聴きたいんだけど、掛かるの?」
店員「はい、大丈夫です(笑)」
そもそもCDとDVDの違いが分らない。車に乗り込んですぐに掛けてみた。コンサートの録画のようである。矢印が左右上下に向いて4つ表示されている。何のことだろう。ただのCDとは違うようである。取り敢えずスタートボタンを押してみる。掛かった。これでいいようである。走り出すと映像は消える。何が映っているのかは分からない。相当に長い時間、観客の騒ぐ音やインタビューの声が続いていた。一瞬失敗したかなと思った。しかし、さにあらず。さすがにマイケルである。曲が始まるとすぐにノリノリのいい感じになった。映像は見えなくても雰囲気だけは伝わってくる。素晴らしい。初めて聴く曲ばかりだったが、この乗りの良さは心地良い。スピードを出し過ぎないように注意しながら快適に箱根を目指したのだった。<フォ~!>
(注)昨年のマイケルの記事は(2017.12.11ひこばえ「冷まじ」)に書いてある。
                                 (平成30年作)




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魴鮄

生きてゐてこその魴鮄美しき



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船宿では味噌仕立てのごった煮を大きな鍋で用意しておいてくれた。冷えた身体には温かいものが何よりの御馳走である。手を洗い、顔を洗い、眼鏡を洗ってから美味しく頂いた。車に乗り込むと何となく魚の臭いが残っているようで気持ちが悪い。衣服に付いた潮の臭いがそう思わせるのかも知れない。
娘「まだ少し酔っているような気がする」
私「どうも臭いが気持ち悪いなぁ」
娘「長時間揺れていたからすぐには治らないのかもねぇ」
私「顔もなんだかカパカパするし……早く風呂に入りたい」
12時に帰宅した。すぐに風呂に入って全身を隈なく洗った。昼飯を食べたがどうも調子が悪い。<体力が落ちたのかなぁ>と思った。ウトウトとしてきたので布団に入ることにした。本を開くまでもなく一瞬で眠りに落ちた。目が覚めたのは5時である。台所からは美味しそうな匂いがしている。
私「天婦羅にしたの?」
妻「もう……キスを下ろすのも大変なんだから」
私「トラギスも?」
娘「あれは海に放してきた。クーラーボックスの中でシロギスは死んでいたけど、トラギスは全部生きていた。生命力はトラギスが一番」
私「ホウボウはどうした?」
妻「煮付けにしたわよ。大き過ぎて鍋に納まり切れなかったので頭は落としちゃったからね」
隣で釣り上げたのを見て「俺も釣りたい」と思ったホウボウだが、いま皿の上で頭を落とされて煮付けにされた姿を見ると、あの気持ちは何だったのだろうと思ってしまった。何事も終わってしまえば、夢のまた夢である。その時その時を怒ったり笑ったりして生きていても過ぎてしまえば所詮は皿の上のホウボウである。
私「俺はいいから、ホウボウはみんなで食べてよ」
娘「あら、そう?じゃ、いただきます」
妻、娘「美味しい!」
カズ君「ウメェ~」
                                 (平成30年作)




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毛布

船酔ひに掛けし毛布のいと古し



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カズ君がトイレに行くというので娘も付いて行ったが、そこで見たのはキャビンで寝ている5人の姿だった。
娘「みんなダウンしてた」
私「あのミニスカートと薄着じゃ、寒くて釣りどころじゃないだろうからなぁ」
娘「酔っちゃったんだろうね」
私「あまり近くばかり見ていると、こっちも酔っちゃうから気を付けないとね。遠く水平線の方を見るようにしよう」
娘「私もさっきグッと来ちゃったわよ。よくカズが平気だって。エライ、エライ(笑)」
カズ君「もう帰りたい……あと何分?」
私「ん?あと?……あと60分」
娘「疲れたら、寄り掛かってもいいわよ」
私「さぁ、カズ君が喜ぶようにガバガバ釣るかぁ(笑)」
7時半に出船し、8時にはポイントに着いている。納竿は11時である。3時間といっても子供にとっては長丁場である。私が60分と答えた時点で本当はあと120分残っていた。どうしてもあと2時間とは答えづらく、ついつい60分などと短く言ってしまったのだが、ちゃんと記憶していた。1時間経って再び「あと何分?」と聞いてきたときに「あと1時間」と答えると「さっきと同じじゃん」と言われてしまった。1時間が60分であることを知っているようである(笑)。
隣のお父さんが大物を釣った。ホウボウである。25センチくらいの大きさである。船長が「煮付けで食べると美味しいですよ」と教えている。小学生の娘さんも大喜びである。その大物を見せられると、シロギスがいやにチンケに見えてくる。
「こっちもホウボウが釣りたい~」
人間の悲しい性である。隣の魚が大きく見える。シロギスを釣りに来てホウボウを望むのも可笑しな話だがそれが現実である。俺もホウボウが釣りたい。と、その時である。娘の竿が大きく撓んだ。大きい。何だ?何だ?釣り上げたのはまさしくホウボウである。
「へぇ~、こんなこともあるんだなぁ」
時間が来て竿を納めた。シロギス15匹、トラギス10匹、ホウボウ1匹がその日の釣果である。

港に着いて若者たちもキャビンから出てきた。青白い顔をしている。
男の子「ボク、よく酔わなかったね。気持ち悪くならなかった?」
カズ君「大丈夫」
私「結局、何匹釣ったの?」
男の子「ゼロです。一人気持ち悪くなったら、みんな気持ち悪くなりました(笑)」
女の子「船酔いって、メッチャつらいですよね。あの中、変な臭いがするし……」
                                 (平成30年作)




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冬空

冬空へひよいとトラギスよく釣れる



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船は八景島の横を抜けて千葉の富津沖へと向かった。波は穏やかだが、物凄いスピードで走るのでどこかに掴まっていないと飛ばされそうである。座っているだけでも力が入る。時折襲ってくる波しぶきに背を向けて足を踏ん張ったりしながら景色を眺めていた。
「スゲェ~、船がジャンプしてる。波が追い掛けて来る~。速ェ~」
乗り物好きのカズ君が疾走する船に乗ったのだから大興奮である。しかし初めの頃こそ面白がっていたものの徐々に疲れてきたようで「まだ~?」などと聞いてくる。長い。5才児にはツラいところである。
20分ほどしてようやくポイントに到着した。大きくエンジンを唸らせながら船の位置を移動し、向きを整えたところで「はい、どうぞ!やってみてください」と船長が合図した。さっそく準備に取り掛かった。竿に糸を通し仕掛けをセット。エサを付けて投入。チョンチョンと錘を動かし、当たりを待つ。隣のカズ君の竿を出す余裕はない。まずは1匹釣ってみせないことには話にならない。波はない。ゆっくりと船体が揺れているだけだ。すぐ近くに木更津の工場群が煙を吐いている。5分ほどしてヒットした。
「来た来た来た~」
小さい魚信(あたり)だったが確実に何か乗っている。巻き上げると10センチほどのシロギスが掛かっていた(写真)。サイズは小さいが本日の1匹目である。写真を撮ってバケツに放流した。カズ君も大喜びである。我々の横には小学校5、6年生の女の子を連れたお父さんが乗っていていい型のキスを上げていた。後ろの若者たちにも釣れたようで「これ、キスか」などの声が聞こえる。娘にもヒットした。なかなか出だし好調のようである。
時には20センチくらいのキスも掛かる。重い。巻き上げる途中にも強い引きを見せる。「トラギス」というのも掛かってくる。娘は「ダボハゼ」と呼んでいたが、おそらくトラギスが正解だろう。小さな魚信のあと、何も反応しなくなるので逃げられたと思って釣りを続けていると、このトラが掛かっていてシロギスが食い付く邪魔をしている。2回に1回はこのトラが顔を見せる。カズ君が数を数え始めたのでトラもバケツに放り込んだが、食べられるのかどうかは分かったものではない。油断しているとこのトラが指に噛みついてくる。結構、獰猛である。
途中から少し風が出て来て船も揺れ始めた。釣り始めて30分もしない頃、振り向くと後ろの若者たちの姿が消えていた。5人ともいないのである。
「あれっ、どこに行ったのだろう?」
                                 (平成30年作)




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冬の海

火を焚いてその真向かひに冬の海



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11月18日(日)、朝はドタバタである。娘とカズ君は6時に起きてきた。天気予報を確認すると<曇り、波の高さ0.5メートル>と変わっていた。
「晴れから曇りに変わっている。海上は寒いかも知れない。波はほとんどないので大丈夫だけど厚着はしていこう」
あれこれとやっているうちに時間が過ぎていき、家を出たのが6時40分になっていた。車を走らせて5分ほどしたところで道具の話になった。
私「あれっ、ハサミ、持って来なかった?」
娘「持ってきてないよ」
私「さすがに糸を切る時にハサミがないと話にならないだろう」
娘「店で売ってないの?」
私「何でも貸してくれると言っても、小物は置いてないだろう」
娘「どうする?家に戻る?家に行けば釣り道具一式あるよ」
私「戻ろう、ハサミは絶対に必要だ。昔のように歯で糸は切れない」
Uターンして家に戻った。娘が走って小物入れと釣竿などを持ってきた。
私「7時になっちゃう。急ごう。遅れたらマズイ」
大急ぎでコンビニでおにぎりや飲み物を買い、船宿に到着したのはギリギリ7時20分である。

船宿の男性が駐車場で待っていてくれた。
私「予約しておいた日向です」
男性「お待ちしてました。中へどうぞ。まずは乗船名簿を書いてください。時間がないので早目にお願いします」
船にはすでにお客が何名か乗り込んでいた。急いで名簿を記入し、代金を払い、ライフジャケットを着て、貸竿、氷などを受け取った。ギリギリに来たからといって他の人には迷惑を掛けたくない。サッサと済ませた。
我々が慌ただしく用意している横で談笑している若い男女がいた。男子2人、女子3人である。全員20才前後に見える。しかし同じ船に乗る人には見えない。なにせ、女の子の一人はミニスカートであり、男の子はとても薄着である。
<その格好でこの季節の釣りは無理だろう>
本当に乗るのだろうか。見ていると慌てる様子もなく一人ずつ代金を支払っている。乗るつもりである。ライフジャケットを着て「格好悪~い」などと言っている。乗船すると我々が右舷の席で、反対側の左舷に彼らが並んだ。
「初めての人に釣り方を説明しますので集まってください」
船長が竿と糸のセットの仕方、巻く時の注意事項、錘の落とし方、シロギスの誘い方などを教えてくれる。最後にエサであるアオイソメの付け方を説明する。
女の子「ええっ!それに触るの!気持ちワル~イ!」
                                 (平成30年作)




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手袋

その小さき手に手袋を忘れずに



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11月17日(土)朝、会社に向かう車の中から釣り道具を載せて走っている自転車の男性を見かけた。
「釣りかぁ」
久しくやっていないことを思い出した。夢中になって釣りに出掛けていた頃から30年近く経っている。ソ連崩壊のニュースを聞いたのも釣りに向かう車の中のラジオだった。1991年12月の出来事である。
会社に着いて翌日の天気、波の高さを調べてみた。<晴れ、東京湾1m>とある。
「絶好の釣り日和じゃないか!」
以前行ったことのある釣り船屋「進丸」のホームページを見てみる。<シロギス、午前船>とある。
「冬なのにシロギスがまだ釣れるのだろうか?」
シロギスは「夏」の季語である。本当に釣れるのだろうか。今月に入っての釣果などを見てみると<14~58匹、12~20センチ>などとある。釣れているようである。
「これならカズ君を連れていっても大丈夫だなぁ」
さっそく、メールを入れてみた。
私「明日、波1メートル。釣り日和、キス釣り、行こうよ。進丸、7時半出船」
娘1「天婦羅、美味しいよねぇ」
絶対に行くはずのない長女がすぐに反応してきた。
私「食べる方ではなく、釣る方だよ」
キスを待って投入したエサにダボハゼが食い付いてきたようなものである(笑)。
娘2「明日、予定入れちゃったよ」
本命がヒットしてきた。
私「今年最後のチャンスだよ」
娘2「キャンセルするか。道具は?」
私「買ってもいいし、借りてもいいし」
帰宅してあれこれと準備を進めた。船宿にも予約の電話を入れた。娘もカズ君も行く気満々である。
「寒いと思うからガッチリ着込んで行こう。道具は借りればいいよ。7時半の出船だから7時には船宿に着いていたい。6時半には家を出よう!」
「おー!」
                                 (平成30年作)




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紅葉かつ散る

紅葉かつ散れり西洋美術館



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Wikipediaでルーベンス(1577~1640)を調べてみるとカタカナ文字が多くて読みづらい。しかも長い。
「祭壇画、肖像画、風景画、神話画、寓意画、歴史画と様々なジャンルの作品を残した」とあり、最後のカテゴリには「フランドルの画家、17世紀の画家、宮廷画家、美術品収集家、ジーゲン出身の人物、ドイツの外交官、ベルギーの外交官」と書かれている。画家としてはもちろんだが、その他にも多彩な人生を送った人のようである。
会場には70点ほどの作品が飾られていた。長澤まさみさんによる音声ガイドを聞きながらゆっくりと回り始めた。平日とはいってもやはりたくさんの人が入っている。とても美しい絵ばかりだが全て1600年代の作品である。日本でいえば「関ヶ原の戦い」の時代ということになる。武士や百姓の姿を思い浮かべることは出来ても、その時代の人たちが筋肉隆々たる男性や豊満な女性の裸を描いている姿は思い描けない。さすがの德川家康もこれを見たら<ビックリ仰天>して驚くに違いない(笑)。
素晴らしい作品ばかりだったが、私を釘付けにしたのはやはり最後に飾られていた「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」だった(写真)。ギリシア神話の一場面を描いている。古代アテネの王ケクロプスの美しい3人の娘たちは王のいない間に女神アテナから「絶対に中を見てはいけない」と言われて1つの籠を預かる。見てはいけないと言われれば見たくなるのは何も日本の昔話だけではない。開けると幼子と蛇が入っていて3姉妹はその蛇に噛み殺され、幼子は成長してアテネの王となるという物語である。
音声ガイドではその絵の素晴らしさを彫刻と比較して説明していた。ルーベンスは絵を彫刻を描くことで学んでいる。様々な構図を描いたことだろう。彫刻はその周りを自由に回って見ることが出来るが絵は一方向からしか見られない。それをルーベンスは異なるポーズ、異なる向きで表わし、しかも色彩を与え、本当に生きているかのように表現したのである。まさに理想的な女性像が今にも動き出しそうにして描かれている。出口に向かうのがとても惜しいような気がして、いつまでも絵の前で立ち止まっていた。
庭園にあったロダンの「考える人」ももちろん素晴らしいが、「ケクロプスの娘たち」を見た目にはどうしても色褪せて見えてしまうのは雨に濡れているからだけとも思えなかった。
                                 (平成30年作)




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冷たし

「考へる人」打つ雨の冷たさよ



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東京都美術館で「ムンク展」が開催されていた。一度は見ておきたい<叫び>である。しかし日曜日などに出掛けると混んでいて身動きの取れない状態になりそうである。そんな状況では見たくない。平日に行くしかないと考えていた。ちょうど赤坂で得意先の会合があったので、少し早く出て観て来ることにした。
平日でも上野は人で溢れ返っていた。しかも雨である。少し寒い。傘を広げて駅を出て横断歩道を渡ったところで「ルーベンス展」の看板を見つけた。
<ルーベンスか。ムンクよりいいなぁ。そっちにしよう>
急に行先を変えた。国立西洋美術館に入ることにした。ルーベンスは昔ルーブル美術館で観ている。ダビンチのモナリザを見ようとして、急に現れたルーベンスに圧倒されたことを覚えている。ムンクのあの憂鬱そうな絵よりもルーベンスの迫力ある大作の方を観たいと思ったのである。
美術館の入り口を入るとすぐに庭園になっていて、そこにいくつかの彫刻が置かれている。ブールデルの「弓をひくヘラクレス」、ロダンの「カレーの市民」「地獄門」、もちろん「考える人」も置かれている。20年以上も前のことになるが、知り合いの画家とのやり取りを思い出した。野田さんという。当社の工場の一画で板金仕事を請け負う社内外注の仕事をしていた。その人が所属する絵画の会の発表会が毎年上野で開かれていて何度か誘われて見に来たのだが、その時たまたまこの西洋美術館に立ち寄ったのである。そこで初めて見た「考える人」に私はとても驚いたのである。
「あの有名な『考える人』がここにあるの?」
「複製?本物?世界にこれ1つだけ?」
「そもそも外に置いていて大丈夫なの?」

「日向さんもああいうのを見て感動していちゃ駄目だなぁ。有名な作品だからといって何も臆することないんだから。自分がいいと思ったものがいいんであって、有名なものが決していいものとは限らない」
会社の帰りに寄る居酒屋で彼がそう言っていたことを覚えている。あまりに私がロダンのことを驚いて話していたからだろう。
「いやいや、野田さんの絵よりも、やっぱりロダンの方が凄いでしょ。比較するものじゃないとか何とか言う以前の問題だと思うけど……」と言ったような、言わなかったような。
私の友人の中で唯一「画家」と称する人だったので、こと芸術に関しては一目置いていたつもりだが、決して彼の描いた作品を素晴らしいと思ったことがなかったので私にとっては画家だか何だか分かったものではない(笑)。
もう久しく会っていない。
                                 (平成30年作)




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