2018年10月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2018年10月の記事

体育の日

体育の日なりザックを取り出せり



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予約しておいた赤岳を取りやめたのは書道塾の発表祝賀会と重なったためである。自称「塾期待の星」であるだけに欠席はできない(笑)。やむなく山小屋にはキャンセルのメールを入れて「さて、どうしようか」となった。赤岳にこだわるか他の山に変えるかである。百名山の写真を見ながら油絵で描きたくなるような山を探すことにした。もちろん、身の丈を考えて上級者コースなどは望めない。初心者コースで足立源一郎張りの絵が描けそうな山。いろいろと捲っているうちに見つけた。
「あった!」
金峰山にある「五丈石」である。以前、登ったことのある大菩薩峠のすぐ隣である。「初級レベル」と書かれている。車でそばまで行けて、歩くこと片道2時間のコースである。しかも2599mと私が登る山としては最高峰である。ここしかないと思った。この五丈石を描いて来ようと思ったのである。

10月6、7、8日は世にいう3連休である。しかし会社は6日(土)を通常の出勤日としていた。7日か8日しかない。台風25号が通過した後、天気予報では「7日曇り」「8日晴れ」となっていた。この頃の予報は当たる。8日(月)の「体育の日」に出掛けることにした。
インターネットで調べてみると「大弛(おおだるみ)峠」にある駐車場に停めて歩くようである。カーナビで検索すると我が家から3時間30分となっていた。日の出時間を考慮して朝5時には着いていたい。途中の休憩なども入れて夜中の1時には出発することにした。0時半の起床である。着て行く服などは間際のドタバタであるが、画材一式には抜かりがない。しっかりとリュックに詰め込んで車を発進させた。
保土ヶ谷バイパス、東名、圏央道、中央道と走り、勝沼インターで降りるコースである。途中、談合坂で休憩したのが2時40分である。順調である。順調すぎて早過ぎる到着となりそうである。ゆっくりとコーヒーなど飲んで余裕を決め込んでいた。高速を降りて町中を走り、コンビニでおにぎりなどを買って徐々に山道に入っていった。民家の間を抜けたところで急に細道となった。しかも道を照らす明かりも付いていない。車のライトを上向きに変えてスピードを大きく落とした。
「なになになに、怖いよォ……」
真夜中にこんな道を走りたくない。運転は苦手な方である。事故を起こさないように慎重に運転していった。その時、カーナビから流れたのが「adagio in g minor(アルビノーニのアダージョ)」という曲である。iPodに入った曲をランダムに流していたので、演歌やポップスも流れていたが急にこの曲が選択されたのである。しかも長い。「いやな曲だなぁ」と思ったが、車の運転に夢中で他の曲に替えたりする余裕がない。そのまま聴いていた。葬儀場を連想させるような重苦しさがある。
「なんだって、このタイミングでこんな曲が……」
延々と走り続けた。山を登るのだから蛇行ばかりである。車1台が通るのがやっとという場所もある。対向車が来たらどうするのだろうと思いながらも、1時間以上も1台の車とも出会うことなく上り切った。4時30分ちょうどに駐車場に到着した。
(注)写真は当日、雲の切れ間の一瞬に撮った「五丈石」である。
                                 (平成30年作)




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天高し

天高くあれば山岳画家を恋ふ



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9月2日(日)の日経新聞「美の粋」に足立源一郎氏(1889-1973)の記事が載っていた。写真は「北穂高岳南峰」という作品である。横には峰に向かって絵を描いている足立氏の姿も添えられている。徹底した現場主義を貫き、その場で絵を描くことに拘り、時にハーケンを岩場に打ち込み、ザイルで体を固定しながら描いたとも書かれていた。山岳画家である。
「俺がやってみたいのは、これだ!」と思った。折角登った山で写真を撮って帰ってくるだけでは面白くない。たとえ下手でもその場で描いた作品は思い出の一作となるだろう。過去いろいろと油絵を見てきたが、上手い絵もあれば下手な絵もある。要は作者の思い入れなのである。作者本人がいいと思えば、他人が何を言ったところで「いい物はいい」ということになる。あの日あの時あの場所で描いた絵に誰が文句を言えよう。10月13日(土)に登る赤岳には画材道具一式を持って行き、私なりの絵を描いて来ようと思ったのである。

さっそく準備に取り掛かった。まずは道具の用意である。足立氏は4号(24㎝×33㎝)のキャンバスを使用したと書かれていた。新聞ではそれを「小さい」と表現している。私にとっては「大き過ぎる」である。フラフラになって登って行くであろう私が背負うリュックの他に何かを持って行くなどということは考えられない。少なくともリュックに入る大きさでなくてはならない。しかも描いたばかりの絵を保護する物も考えなくてはならない。相当に小さくなるだろう。休みの日に横浜まで出掛け、「世界堂」であれこれキャンバスを眺め、選んできたのは1号(16㎝×22㎝)というサイズである。小さ過ぎるかと思ったが山で描く時間には制限がある。何時間も描いている訳にはいかない。せいぜい1時間がいいところだろう。このサイズなら急いで描けば仕上げられる気がする。それからそれを入れる箱を百均で買って来た。硬めの蓋付きの箱を選んだ。折角描いた作品がグチャグチャになっては意味がない。箱の底に穴を開け、キャンバスの横に紐を付けて固定する方法である。会社で千枚通しを借りてやってみたが上手くいった。少々のことで潰れることはない。準備万端である。
                                 (平成30年作)




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名にし負ふ鴫立つ沢に秋を訪ふ



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大磯には何度か来ている。俳句の会の吟行で「小淘綾(こゆるぎ)の浜」や「鴫立庵」「島崎藤村の旧居」などを訪ねている。その時、今回招待された「翠渓荘」の前も通っているが通りに面したその奥にこのような立派な建物があるなどとは想像もしていない。「そのまま車で入って来てください」と事前に連絡を受けていたが、普通は車で入って行くような場所ではない。昔ながらの松並木の道をゆっくりと進んで行った。4時半までにと言われていたが、鎌倉あたりが混み合っていてギリギリの到着になってしまった。着物姿の女性が並んで待っていてくれた。
「お待ちしておりました。お荷物をお持ちいたします」
その日のお客は我々夫婦だけと聞いていたので、なぜこんなに大勢がいるのかと驚いたものである。先日会社まで訪ねて来てくれたSさんと営業担当のNさんも待っていてくれた。
建物に入ると冷房が効いていた。とても暑い日だったので生き返ったような心地がした。大きな庭に面した居間のような場所で冷たい飲み物を供され、女将さんの挨拶を受けた。建物の説明を受け、その日のスケジュールなどを伝えられる。その後、庭の散策となった。女性が案内役となり広大な庭を巡り目の前に広がる小淘綾の浜へと案内してくれた。明治時代に京都から移築したという「龍吟庵」という建物は内部まで案内してくれて歴史を感じさせてくれた。約30分ではあったが素晴らしい案内をしてもらったのであった。夕食の時間まで部屋でくつろぎ、大浴場の檜湯を独り占めして殿様気分を味わうことになった。

とても立派な場所である。江戸時代の幕臣で、明治になって外交官、政治家を務めた林董(はやしただす、1850~1913)の別荘跡だという。幕府の留学生としてイギリスに留学し、帰国後、戊辰戦争で榎本武揚軍に加わり、榎本軍敗北により捕えられ投獄。新政府では外務省に出仕し、岩倉大使欧米巡行に随行。工部省を経て、香川県知事、兵庫県知事を務め、1891年外務次官。駐清公使、駐露公使を経て1900年駐英公使。1906年外相となり日仏、日露、日韓協約を締結したとある。凄い人である。その人のお屋敷だった場所である。予約をすれば食事などは出来るようだが、貸切で使わせてもらうというのは正に特別扱いである。どれくらい飲んだか分からないほどのお酒を頂き、いい時間を過ごさせてもらった。お二人には感謝の言葉もない。妻も満更でもなかったようで「おもてなしを受けるというのもいいものね」と喜んでいた。翌朝、早く起きて周囲を散歩しようとして部屋を出ると、廊下が心地良く冷されていた。寝ている間も全館クーラーを掛けてくれていたようである。
写真は早朝、部屋の浴室の窓から写した「龍吟庵」と手前の池である。池にアオサギが1羽いるのが見えるだろうか。見つけてから飛び立つまで15分ほど裸のままでカメラを抱えていたが、シャッターチャンスに恵まれずいい写真にはならなかった。「サギ立つ沢」とはいかなかったが、お陰でアオサギの鳴き声はしっかりと覚えた。
                         (平成30年作)




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夜業の灯

無人機の灯り夜業の灯とも見え



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ある日の夕方、社内電話が鳴った。
「社長、工場にアマダの人が見えてます。社長はいるかと言ってます」
「誰?」
「あまり見掛けない人です。偉そうな感じの人です」
行ってみると確かに知らない人が立っていた。
「社長の日向と申しますが……」
「いやぁ、突然お伺いしまして。私、このエリアを担当しております〇〇と申します。いつもお世話になり有難うございます」
名刺交換をした。
「おっ、また偉い人が突然に(笑)。どうしたんですか?」
「いえ、今回また大きな機械を購入いただきましたので、ご挨拶方々、現場を見せてもらいたいと思いまして」
「ああ、そうですか。本当にいい機械を入れていただきましてこちらこそ感謝しております」
その後30分ほど立ち話した。「お茶でも如何ですか?」と言ったが、急いでいたのかそのまま帰ってしまった。
その数日後、今度はアマダの担当者が来社した。
「この前、急に〇〇さんが見えたよ。お茶も出さずに帰しちゃったからよろしく言っといてよ」
「いや、社長、お茶はいいんですけど、今度一度、お時間戴けないでしょうか?」
「お時間?何の時間?どういうこと?」
「いえ、一度、一杯やらせてもらえないかと思いまして」
「へぇ、珍しいねぇ。いいよ、いつでも」
「来月の8日の土曜日なんかは如何でしょうか?」
「なになに、いやに具体的だね(笑)」
「はい、接待させていただきたいと思いまして」
「大丈夫だよ。空いてる」
「場所は大磯になります」
「大磯!また随分と遠いところを選ぶね。何なのそれ?」
「実は会社の施設がございまして、ご面倒でしょうがそちらまで御足労いただきたいのですが」
「そんな遠い場所じゃ、飲んだ後、泊まることを考えなくちゃ」
「大丈夫です。宿泊も出来ますので(笑)。その時、奥様もご一緒いただきたいのですが」
「なになに?何なの?本格的な接待だね」
「はい。大切なお客様ですので」
「女房のことはちょっと待ってくれる?聞いてみないと分からない。そういう場となると着て行く服がないとか、持って行くバッグがないとかが始まるんだから。大変なんだよ、準備にお金が掛かって(笑)」
「(笑)社長、その場に先日の〇〇もご一緒させていただきます」
「ははぁ、なるほど、そういうことか(笑)」
                                 (平成30年作)




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黄落

黄落や戻ることなきこの道を



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「毛生え薬」のその後を書いておこう(平成30年9月14日「秋の風」参照)。
(前回のブログではY先生と書いたが、いつもはYさんと呼んでいるので書き方を改めることにする)
そもそもYさんによると、これは「毛生え薬」ではないという。たまたま膝が痛くて治療に来ていた人にビワ温灸の原液を湿布したところ、その部分に毛が生えてきたのだという。膝に毛が生えるくらいなら頭にも生えるはずと思いやってみたところ、本当に生えてきたので「これは間違いない」と思い、人に勧めているということである。
Yさん「5、6年前に私も少し髪が薄くなってきたのでカツラでも作るかと思っていた所、それが分かったのでやり始めたんだけど、見て分かるでしょ、全然薄くないでしょ。白髪もないでしょ。間違いないんだから。私を信じろって。何人もいるよ。何人じゃなくて何十人だよ。まずはすぐに白髪が黒くなるからやってみろって(笑)」
<膝に毛が生えたので頭にも>というのは少し飛躍し過ぎるような気もしたが、あまりに熱心に勧めてくるので付き合ってみることにした。
初日、風呂場で髪を洗ったあとに吹きかけてみたが説明を聞いているようで聞いていない。どのくらいの量を掛けるのか分からない。Yさんは自分の頭に2、3回吹きかけて見せてくれたのだが、さすがに2、3回では少な過ぎるだろうと思い、シュッシュッと全体に掛けること10回位。そのあと指先ですり込んでいった。そして鏡を見て驚いた。
「ワワワ~!オ、オ、オバケだよ、これじゃ」
顔じゅう真っ黒になっている。原液が黒いので頭から流れた液で顔が真っ黒になったのである。
<シャワーで流していいものだろうか?どうしよう?>
そういえば衣服に付いた時は取れなくなるので気を付けてと言われていた。もし付けてしまった時のために石鹸を付けておくとも言われていた。顔の部分だけはもらった石鹸で洗い、あとはそのままにして以後気を付けることにした。

1か月後の会話である。
Yさん「付けてるの?」
私「付けてるよ。全然、変わらないけどね(笑)」
「私の言う通りにやってる?右左の片一方だけに付けるんだよ」
「なんで?」
「だから言ったじゃないの。全部に付けたら変わったのが分からないでしょ。そのうち、変わらないって言い始めて付けなくなっちゃうでしょ。なに聞いてるの、私の言うこと、全然聞いてないでしょ」
「片一方だけ付けたら変なもんだよ。白と黒になっちゃうじゃん」
「馬鹿だねぇ。そんなに急に黒くなる訳ないだろ。変わったなと思ってから全体にやればいいんだよ。いいから私の言う通りにやれって。信じてやってれば必ず変わるから」
「大体、何か月くらい掛かるの?」
「私の場合で3ヵ月だったから、あんたならもう少し掛かるかな」
「ひゃー、長いなぁ」
「何言ってるの。あっと言う間だよ。瞬く間。私を信じろ!」
3か月後に次回報告がなされるかどうかは自信がない(笑)。
                                 (平成30年作)




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月影

月影や添へぬ恨みのおわら節



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演舞場には1時間ほどいて「町流し」を見に行った。これを見なければ来た甲斐がないというものである。雨は完全に上がっていた。坂を上った辺りには出店があり、飲んだり食べたりしている人がいた。他のお祭の夜店と変わりない。
私「何か、飲む?」
妻「いい。大丈夫」
この「おわら風の盆」は私の強っての願いで実現した。妻が見たくて来た訳ではないので、彼女が気に入ったかどうかは気になるところである。「盆踊り?興味ないかなぁ(笑)」と言っていたのを覚えていて気になっていた。
通りに出てここが何町なのか分からない。11もある町の名前を覚えてはいない。それでも歩いていればどこかの「町流し」に出会うはずである。
すぐに人が集まっている場所を見つけた。「町流し」に違いない。しかし近づいて行っても歌や鳴物の音が聞こえては来ない。ようやく人の背中越しに町流しの姿を確認した。しかし音は聞こえない。ああそうか、小説の中にも書いてあった。<遠くから見ると無音の踊りの姿しか見えず、近づいて来るに従って歌が聞こえて来る>と。マイクなど使っていないので、近くに行かなければ音は聞こえて来ないのだ。先回りすることにした。地図に書かれた道を迂回して、踊りの正面で待ち受けることにした。踊りの列を先導して通路を確保するように係の人が誘導している。カメラを構えてより良い場所を占めようとする人に向かって「下がってください」と頼んでいる。踊りの先頭が見えてどんどんこちらに向かって近づいて来るのだが、その時でも自分の居場所が確保できないでいる。強引に場所を取ろうものなら演舞場の団体客と同じ轍を踏むことになる。前の人の肩越しに横の人に押されながら通り過ぎる「町流し」を眺めていた。
行き過ぎるのを待って次の「町流し」を求めて歩き始めた。しばらくするとすぐにまた出会った。しかしまた道は塞がれている。踊りを見ようにも人、人、人である。「27万人を連れて帰ってよ」と言った人の気持ちが分かるような気がした。諏訪町と西町、それに鏡町の「輪踊り」を見て集合場所の駐車場に向かった。虫が鳴く川沿いの道は暗く、人が溢れ返った本通りよりもなぜか「風の盆」らしさを感じてしまったものである。

小説「風の盆恋歌」に描かれていた無音の踊りのシーンを書いておこう。それこそが見るべき「風の盆」なのかも知れないと帰りのバスの中で思っていた。
『足音のない踊りは、灯の数が少なくなった町筋を影絵の動きを思わせながら進んで行く。
(中略)その位置からは、胡弓の音も歌の音もなく、二列に坂をのぼるぼんぼりの灯の間を、踊りだけが宙に漂いながら揺れて近づいて来る。どこかに操る糸があって、人形の列を思いのままに動かしているように見えた。
「あなた、これは、……ねえ、この世のものなの」
(中略)踊りが近づいて来る。胡弓の音が耳に入り、歌が聞こえ始めた。踊り手たちは目深にかぶった笠の下で、ひたとやや斜め下を見つめながら、漂いつつ二人の前をすぎて行った。』
                                 (平成30年作)




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風の盆

糸車回るやおわら風の盆



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夕食を終え30分程で八尾に到着した。大型駐車場で我々を降ろしてバスは別の場所に移動した。広場で帰りのルールを説明され、最初に向かう演舞場までを添乗員さんと共に歩くことになった。禅寺橋を渡り、写真でよく見る石垣の坂を上り、町中へと入って行った。演舞場での開演時間まで1時間以上あったので他の方々と別れて歩くことにした。地図を見ながらのそぞろ歩きである。雨は上がっていて気温もちょうど良い。大勢の観光客に流されるようになりながら見て回った。町流しはまだ始まっていない。
夕方ではあるがまだ日は落ちていない。所々の行燈が灯され、これから徐々にその数を増していくところである。通りの様子を写真に収めたいと思ったが、如何せん人の多さが邪魔をする。3日間で30万人の人出と言うのだから、人のいない場所などあるはずがない。人の流れに流されながら諏訪町本通りを歩き(写真)情緒豊かな格子戸の家や蔵などを見て回った。時折、奥から三味線の音が聞こえて来たりしている。小説の中で中出えり子が植えさせたという酔芙蓉の鉢を玄関先に置いている家が何軒かあった。お土産屋に立ち寄ったり、店先で休憩させてもらっているうちに演舞場での開演時間が近づいてきた。とっぷりと日も暮れてきた。

坂を下った会場の入り口で添乗員さんが待っていてくれた。人数の確認をしているようだった。いつも思うことだが、人が楽しんでいる間、気遣いばかりしているのだから大変な仕事である。上手くいって当たり前、トラブルでも起きようものなら何を言われるか分からないのだから私などには到底務まる仕事ではない。
演舞場は小学校のグラウンドにステージを設けた特設会場である。前にパイプ椅子を並べ、番号が振られていた。何百席あるか数えられたものではない。大勢が座って開演を待っていた。我々の席は前の方だったが、少し端の方である。舞台を45度の方向から見上げるような位置である。私の前の席がたくさん空いていた。そこを予約した団体客がまだ到着していないのだった。お陰でとても見やすかったのだが、始まってしばらくして到着した。バラバラと座り始めた。自分達の席を探そうと腰を屈めるでもなくウロウロして後ろにいる人達を気遣う様子もない。哀愁漂う「おわら節」に合わせ、艶やかな踊りが繰り広げられている舞台の下で、場所を探してワーワーやっている団体客である。「こっちだよ。こっち、こっち」と手招きなどして遠慮がない。席に着くまでのことではあるが、30万人もいれば中にはこんな人達がいても不思議はないよなぁと思って眺めていた。
(注)八尾町は昭和初期まで養蚕業で栄えた町である。糸車との関わりは深い。
                                 (平成30年作)




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八朔

八朔や祝ひ膳とて鯛も出て



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その日の降水確率は80%である。気象レーダーで見ると富山の辺りには雷雲が懸っていた。最初に向かう演舞場とやらは雨天決行だというが、その場合でも傘は差せず合羽を着ての観賞になるという。絶対に見たいと思っている町中を踊りながら進む「町歩き」は雨なら中止だという。日は1ヵ月も前に決めていたので、こればかりはどうしようもない。星空観察ではないが、またまた僥倖を待つしかない。本を読みながら時々眺める外の景色は雨に滲んでいた。しかし日本海側に出て休憩に下りたドライブインでは雨が上がっていた。
私「天気予報の80%って何だったんだろう?」
妻「まだ分からないわよ。行ってみなくちゃ」
松尾芭蕉の「早稲の香や分け入る右は有磯海」の句碑が建っていた。
夕食会場はおわら風の盆が行なわれる八尾町の少し手前の料理屋だった。午後4時の夕食である。風の盆を見た後、夜遅くにホテルに到着するので夕食は早目に済ませることになっていた。立派なお膳が並べられ鯛1匹のお造りも添えられていた(写真)。誰かが「何かのお祝いみたいだなぁ」と言っていた。一杯飲めと言わんばかりの料理である。飲み物は自己負担だというのでお銚子を頼むことにした。参加人員18名だが、お燗を頼んだのは私だけである。
「お姐さん、お銚子は何合なの?」
「1合です」
「じゃ、2本持ってきて。お燗して」

二百十日の前後は台風到来の時節である。収穫前の稲が風の被害に遭わないように祈願をし、豊作を祈るのが「おわら風の盆」の起源のようである。バスの出発時間は確認していたので大丈夫なのだが、みなさんは次々と食べ終わると外へ出て行った。女中さんが気を使って「ゆっくり召し上がってください」と言ってくれるものの、妻も先に出てしまったので一人だけ取り残されることになってしまった。飲めばどうしても長っ尻(ながっちり)になる。
「悪いですね。一人だけで……」
「構いませんよ。まだ時間はたっぷりありますから(笑)」
「それにしても一人に鯛一匹とは豪華ですね」
「いえいえ、これは鯛ではなく赤鯛なんです。氷見の赤鯛と言います」
「あっ、鯛じゃないんですか。真鯛だとばっかり思ってた。見栄えは最高ですよね」
「見た目もいいですが、味もいいですよ」
「みんな鯛だと思って食べてましたよ。美味しかったです(笑)。天気は大丈夫ですかね?」
「一時降っていたようですが、八尾の方は今は上がっているようですよ。この2、3日、雨ばかり降っていたので今日あたりはいいんじゃないですか。折角来て雨じゃ可哀相ですからねぇ」
                                 (平成30年作)




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二百十日

越中に二百十日の八尾あり



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7月初め頃の会話である。
妻「貴方、前から『風の盆』を見たいって言ってたわよね」
私「そりゃ見たいさ。でも、あれは日が決まってたんじゃなかったかなぁ?平日とか」
妻「9月1日から3日まで。今年は土日よ」
私「おっ、土日、いいねぇ。行きたい。行こうよ」
妻「八ヶ岳から帰ったその3週間あとだけど……」
私「いいよ、行こうよ。一度見てみたかったんだ。富山だよね。行こう、行こう」

手帳に書き入れたまではよかったがそれっきり忘れていた。バスで出掛けて帰りは新幹線ということは覚えていたが、詳しく「風の盆」のことを調べたりはしていなかった。行く間際になって大急ぎで調べ始めた。辿り着いたのが高橋治著「風の盆恋歌」である。さっそくアマゾンで注文した。「風の盆」にとってこの小説が果たした役割は大きい。それまで3万人だった観光客が小説が発表されテレビドラマ化され注目を浴びて30万人まで膨れ上がったのである。「あなたのお陰で30万人にもなってしまったんだから27万人を連れて帰ってよと言われた」とどこかの文章に書かれていた。本が届いたのが出発前日である。始めのあたりを少し読んで、あとは行きのバスの中で読んでいくことにした。泥縄式とはこのことをいう。
八ヶ岳の時と同じ旅行会社だった。東京駅集合も同じである。行くとバスが停まっていた。
私「あれっ、同じバスじゃない?」
妻「あっ、ホントだ(笑)」
さすがに添乗員さんは違っていたが、バスの運転手とガイドさんは同じ人だった。
私「先日はどうも(笑)」
ガイドさん「あらっ、この間はお世話になりました。また御一緒させていただきます。よろしくお願いいたします」
私「こちらこそ、よろしくお願いします。あのォ、旅行ばかりしている訳じゃありませんからね。ちゃんと仕事もしてますから(笑)」
ガイドさん「大丈夫ですよ。よく分かっています。勉強熱心なことも分かっていますから(笑)」

本は車中で読み終えた。不倫が美しく描かれていた。主人公と相手の女性が二人とも死んでしまうという結末はどうかと思ったが、実際の「風の盆」を見ていないのだから何とも言えない。死を彷彿とさせる踊りなのかも知れないと思い、ますます「風の盆」への期待が膨らんでいく。
                                 (平成30年作)




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秋晴れ

秋晴れやあの山頂にいざ立たむ



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思い立ったが吉日である。早朝ウォーキングも1週間続いて山登りの本も買って来た。まずは行く日を決めなければならない。今回、妻の不参加は決定的である。
<よし、一人でも行こう!>
本の情報によると10月中旬までが最適な時期のようである。
<それを過ぎると寒くなるということだろうか?>
よく分からないがそのギリギリの10月13日(土)に行くことに決めた。泊まる場所は「行者小屋」か「赤岳展望荘」のどちらかのようである。1時間ほど離れていて、山頂に近いのが展望荘である。初日に1時間余計に歩くか、翌日にするかの違いである。会社に詳しいのが一人いるので聞きに行った。井手君という。
私「山小屋を予約するんだけど、どんな感じなの?」
井手君「私が泊まったのは大部屋でゴロ寝でした。布団1枚敷いてあって寝るだけでした」
私「寒そうだねぇ。どっちに泊まったの?」
井手君「私は赤岳展望荘です。初めに行った所が満杯で『上に行ってみろ』と言われて行ったら空いていました」
私「そこも一杯だったとしたら野宿か?」
井手君「そんなことはないですよ。なんとか泊めてくれると思いますよ」
私「結構いい加減だなぁ(笑)。予約して行かなかったんだ?」
井手君「は、はい。あまり予約とかはしません」
井手君はベテランである。会社が休みのたびにどこかの山に登りに行っている。筑波山も鍋割山も彼に聞いてから出掛けている。
私「赤岳は体力的にはどうなの?筑波山や鍋割山に比べてキツイの?」
井手君「あそこはガレ場とかありますので歩きにくい所もありますが、鍋割山を登ったんですから大丈夫ですよ。私はそのコースじゃないコースを歩いていますのでハッキリは分かりませんが大丈夫だと思いますよ」
私「そうか、大丈夫か。行くまでにもう少し足腰を鍛えておくよ」
井手君「社長、あんまり無理しないでくださいよ。特に天候にはよく注意してください。予報を見てあまり天気が良くなさそうな時は中止した方がいいですよ」
私「分かってる、分かってる、大丈夫だよ」
井手君「無理して出掛けるのが一番良くないですから……」
私「オッケー、オッケー、大丈夫だって」
さっそく山小屋にメールで「個室、朝夕2食付」を申し込んだ。8月29日のことである。
                                 (平成30年作)




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残月

残月や坂の半ばに立ち止まり



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2つ目が筋トレである。八ヶ岳連峰の赤岳(2899m)を見て登ってみたいと思った。一昨年、筑波山、鍋割山と登っているが、昨年はどこにも登っていない。<よし、この秋、赤岳に登ってみよう!>さっそく妻にメールした。
「秋、赤岳に登ろう。山小屋に泊まろう!足の鍛錬が必要。今から頑張ろう!」
「ヤダ!本格的な登山の知識も技術もないのに、案内人もなしでそんなのしたくない。無謀すぎる。高望みし過ぎ。自分の実力を知るべき」
いやに否定的である。あの鍋割山での「遭難一歩手前事件」が頭を過ぎったに違いない(平成28年12月16日、ひこばえ「冬近し」)。それなら一人で行くしかない。<よし、まずは筋トレだ。また一昨年同様、早朝ジョギングからスタートしよう!>基礎体力を付ける所から始めるしかない。まだ2ヶ月あるので、その間で自信を付けようと思った。

家の周囲2キロを回るコースである。初日、朝3時半に起き出し、顔を洗って3時50分に家を出た。家の前で足首を回したり、腱を伸ばしたりの柔軟体操を行ないスタートした。どれくらい体力が落ちているか分からない。軽く走って途中で苦しくなったら歩くことにしようと考えていた。家を出て300mは軽い下り坂である。トンネルの中を走ったりするが、そこは問題ないはずである。しかし走り始めてすぐに2年前と違うことを感じていた。お腹の贅肉が揺れるのである。<ヤバ!こんなに肉が付いてしまっていたのかぁ>そしてその下り坂の途中で息が上がってきた。<えっ、下り坂で!>少し息苦しくなってきた。その後は300m続く上りの急坂である。コースの難所である。2年前は始めの頃こそ上れなかったが、そのうち普通に天辺まで駆け上がっていたものだ。それが上り口で止まってしまった。朝といっても暑い。汗が出てくる。流れる。<ヤバい。凄い体力の落ちようだ>まずは上まで歩くしかない。結局、頂上まで歩き、そこから下りを少し走って、平らなコールになってまた歩いて家まで戻ってきた。30分かかった。2キロ30分では全て歩いたようなものである。<フー>老いて行くとはこのようなことなのかも知れない。知らず知らずに衰えて行く。しかし物は考えようである。この最低の状態から一歩ずつ上げて行けばいいのである。<頑張ろう>赤岳が待っている。あの頂上に立つ自分をイメージして体力を蘇らせていこう。
(この文章は2日目のジョギングを終えた8月23日(木)に書いている)
                                 (平成30年作)




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秋思

検眼の遠き文字見る秋思かな



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八ヶ岳から戻って2つのことに取り組んだ。まず1つ目は眼鏡である。星を見ながら少し度が合っていないことに気付いていたが、それ以上に眼鏡のガラスの汚れが気になっていたのだ。いくら落としても汚れが落ちない。石鹸で洗ったり眼鏡洗浄液に浸けたりしてみたが落ちるものではない。使っていて不自由がある訳ではないが、見る人からはその汚れが見えるのかも知れないと思い、眼鏡屋で落としてもらうことにして日曜日に買ったところへ持って行った。
「ここで作ってもらった眼鏡なんですが、汚れが落ちなくて困っています」
「お預かりします。いつごろ作った眼鏡でしょうか?」
「2、3年経つかなぁ」
「お調べいたします」
しばらくして戻ってきて、3年半前だという。
「えっ、もうそんなに経ったっけ」
「お客様、この眼鏡はもうコーティングの部分が剥げておりますので、汚れを落とすことは出来ません」
「えっ、出来ない?そうなの?付いた汚れが落ちないというのも変な話だけど……」
しばらくやり取りしたあと、結局は新しい物を作ることになった。検眼から始まった。「見える見えない」「暗い明るい」などを繰り返すこと20分。
「お客様、以前のデータと比べて相当に視力が変わっています」
「そうなの?」
「左が5段階、右が2段階」
「へぇー、そんなに悪くなってるの?」
「いえいえ、逆です。良くなっています」
「えっ、良くなるなんていうことがあるの?」
「年を取ると眼球が変化します。お客様の場合は近視ですが、これが随分良くなっています。今までずっと眼に合わないキツイ眼鏡を掛けていたことになります」
眼鏡を掛けて40年以上になるが一度として良くなったと言われたことがない。驚きである。と同時に、今更少しくらい良くなったところでどうなるものでもないとの思いもある。
「フレームは今までと同じものでいいよ」
「お客様、このフレームはもうお取扱いをしておりません。同じようなものの中からお選びいただきたいのですが……」
「そうなの?人気がなかった商品なんだ」
「いえいえ、そういう訳ではございません。どんどん流行が変化していきますので……」
「へぇー、そういうもんなのかねぇ」
妻や娘に見てもらいながらようやく決めたのだが、見えない目で見て決めるというのも大変なものである。綾野剛君がドラマで掛けて話題になったというフレームと同じ物を選んだ。
                                 (平成30年作)




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小鳥来る

恋人に小鳥来しこと告げに行く



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台風24号が日本列島を縦断し各地に避難勧告が出されている最中、なっちゃんが修学旅行に出掛けていると聞いた。
「おい、おい、大丈夫かよ」
と、言ったところで詮無い話である。そのなっちゃんから葉書が届いた(写真)。宿泊先で書いてくれたという。届くと同時にお土産も届けられた。
私「きれいな字を書くねぇ」
妻「貴方の書き方に似てるわね」
私「……」
たまには妻も嬉しいことを言ってくれる。さっそく返信を書いた。

『なっちゃん、葉書ありがとう。修学旅行は楽しかったようですね。お土産の「いちごパイ」は有難くていまだ食べられずにいます(笑)。今は修学旅行と言わずに体験学習と言うのですか。葉書をもらって何度も読み返しています。
おーちゃんの小学6年の修学旅行は北海道の洞爺湖でした。第一滝本館というホテルに泊まり、噴煙の上がる昭和新山に登り、クマ牧場を見学しました。今から53年も前のことです。その帰りのバスの中から見た光景が今も忘れられずにいます。モクモクと煙を上げているタンカーです。室蘭港の横を通り掛かった時に見たのですが、「機船ヘイムバード桟橋衝突事件」として今も日本の重大海難事故に記されているものです。
事故が起きたのは昭和40年5月23日午前7時10分です。大量の原油を積んだノルウェー国籍のヘイムバードというタンカーが室蘭港に入ります。水先人の誘導のもと、室蘭製油所の原油桟橋に接舷する予定でした。船を桟橋に向けて直角に進み、適当な距離となった時に左舷錨を投じて行き足を止め、引船を使用して左舷回頭を行ない、船体を桟橋に平行に横付けするというものです。6時30分頃ヘイムバードは揚錨を終え、水先人の来船を待っていました。6時34分頃、水先人が船に上がり打ち合わせを行い、その後、ヘイムバードは航路入口に向けて進行します。微速力で前進し、舵を切り、機関停止、惰力進行などをして進んで行きます。7時0分頃、船首が回り始めて間もなく、当初の計画通りに操船することが難しくなったようで急遽計画を変更します。ここは本来ならばすぐさま行き足を止めて引船を利用し回頭を援助させるべきところですが、水先人はそのまま自力で左舷回頭を続けても大丈夫と考え、引船を使用せず回頭を進めました。衝突する少し前、ヘイムバードの船長や一等航海士からその危険性を告げられます。直ちに左舷錨投下、機関全速力後進を行ないましたが、間に合わずヘイムバードは原油桟橋西端の角に衝突しました。船の外板に亀裂が生じ、原油が激しく流出、引火し爆発しました。6月18日に鎮火されるまで27日間燃え続けました。ヘイムバード乗組員8人と引船の船長と機関員が死亡しています。
その時のことを書いたおーちゃんの作文は学校の新聞に載り、北海道のおばあちゃんからも褒められましたが、今その作文は無くなってしまって読むことができません。今度会った時にはその続きとも言える「海賊とよばれた男」の話を用意しておきますので楽しみにしておいてください。なっちゃんの話も聞かせてください。日光には行ったことがありますが片品にはありません。楽しみにしています。もちろん「大富豪」の腕前は上げておきますので、勝負、勝負』
                                 (平成30年作)




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流星

流星や妻のまばたきより速し



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ロッヂに戻るとロビーにパイプ椅子が並べられ「星空観測会」の会場が設営されていた。講師は「星景写真家の有賀哲夫氏」と書かれていた。一番前の席に座って開始までの時間をスライドを見ながら待っていた。さすがに写真家の作品だけあってどの写真も素晴らしい。私のカメラなどでは写せそうもないような星空の作品が次々と映し出されていた。椅子席が全て埋まって8時ちょうどにスタートした。有賀氏の挨拶である。
「今日は生憎の雨でスライドなどを見ながら星に纏わる話をしようかと思っていましたが、今、雨が上がってどんどん星空が広がっています。私もいろいろな星空を50年以上に亘って見てきましたが、その中でも最も好きなのが雨上がりの星空です。空気が澄んで星が普段と違って見えます。さらに今日はペルセウス座流星群が夜10時以降、たくさん見られます。12時から2時頃までがピークとなりますが、たぶん今の時間帯でも見えるでしょう。まずはこれから皆さんで外へ出てみましょう。素晴らしい星空観察を体験しましょう」
メガネの度が少々狂って来ているので一抹の不安はあったが期待の方が大きい。外へ出ると先程とは打って変って満天の星空が広がっていた。全員が外に出ると同時にロッヂ側ではロビーやエントランスの照明を落としてくれた。時折、到着する車のヘッドライトが邪魔をする位で、ほとんど真闇に近い環境が作られた。空を見上げると<こんなに星ってあったのか>と思うほどの多さである。
「(ペンライトを照らしながら)こちらをご覧ください。柄杓の形をした北斗七星が見えると思います。北斗七星は7つの星の内、1つは3等星ですが残り6つは2等星なのでとても見つけやすい星座です。柄杓の先の部分を5倍した場所にあるのが北極星です。分かりますか?」
その後、天の川、土星、さそり座、ペルセウス座流星群などの話になっていく。そのうち「あっ、流れた」の声が聞こえる。「えっ、どこどこ?」の声が続く。どこでいつ流れるとも分からない流れ星である。生まれてこの方一度も見たことがない。見てみたい。
「どこどこと言っても流星は一瞬ですから追い掛けても見られません。首が痛くならない程度にしっかりと上を見て、視野を広げて飽きずに待つしかありません」有賀氏の説明に笑い声が起こる。流星群には放射点があると聞き、そこを視野に入れて待っていた。突然一つ星が流れた。
「見えた!今、流れた!」
妻が隣で「どこどこ?」と言っている(笑)。人生初の流れ星である。感激である。確かに放射点から流れた。嬉しい。感動である。来た甲斐があった。しばらくしてまた流れた。1時間程見ていただろうか。その間に私は5つの流れ星を見ることが出来た。1つも見つけられないでいる妻に何とか見せてあげたいと思ったが、こればかりはどうなるものでもない。その時に口を衝いて出た句である。駄句ではあるが思い出の一句である。
                                 (平成30年作)




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星月夜

雨止みし軒のしづくや星月夜



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昼食を済ませ、帰路に付く。途中に寄った清里高原で雨が降り出した。雲はドンヨリと厚く、雷も鳴り始めていた。
<今日の星空観察はどうなるのだろうか>
そうは言いつつも、ほぼ全員が無理であることを理解していた。満天の星空、天の川、ペルセウス座流星群、流れ星、星に願いを……。ロッヂに戻った時は完全な雨である。夕食まで時間があったので風呂に入り、文庫本を読んで過ごすことにした。写真はその時に部屋から撮った庭の様子である。雨粒が線となって写っているのがいいと思った。
夕食はロッヂからバスで5分ほどの「八ヶ岳高原ヒュッテ」にある広東料理「赤坂璃宮」にて。この建物は尾張徳川家19代当主徳川義親が昭和9年に建てた旧邸で、その後昭和43年に西武が譲り受け、この地に移築、翌年ホテルとして開業したものである。テレビ放映された山田太一原作「高原へいらっしゃい」の舞台になったホテルである。昭和51年に放送されたようだが私は見ていない。妻は見たという。何度も人手に渡るような経営状態の厳しいホテルを任され、再建を図ることになったマネージャー役を田宮二郎が演じている。「面白かったわよ」という。その頃まだ妻とは出会ってはいない。
紹興酒を飲みながらコース料理を楽しんだ。2時間程いただろうか。美味しくいただいて外に出た。雨は止んでいた。バスに乗り込み、最後の一人を待っている間に中の一人が叫んだ。
「星が出ている!」
<どれ、どれ、どれ>と全員がバスの窓から夜空を見上げたのではないだろうか。
「あった!」
たった一つである。
「本当だ。あんなに雨が降ってたのに……」
「凄い!凄すぎる。奇跡を見ているようだ!」
「もしかして星空観察が出来る?」
「ワー!」
都会の空でも星は見えるという。ただ普段は誰も見ようとしていないだけだという。添乗員さんが言った。
「こんなに皆さんが星好きだったとは思いませんでした(笑)。もし雨だったとしても室内で星の勉強会を開くことになっていましたので予定に変更はございません。しかしこの調子では本当に星空が見えるかも知れません。皆様の普段の行いの良さがこうして奇跡を呼び起こしてくれたようです」
「(全員)拍手」
                                 (平成30年作)




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鹿

人ゐなくなれば鹿来て花を喰む



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大急ぎで戻ったつもりだが結構掛かった。妻は石に腰掛けて待っていてくれた。
私「悪い、悪い」
妻「どこまで行ってたの?」
私「(指をさして)あの道の先まで行ってしまった。焦ったよ。バスは何時集合だっけ?」
妻「えっ、覚えていない。確か20分とか言ってたと思うけど」
私「えっ、11時20分?ヤバイよ。今、もう11時15分だよ」
妻「えっ、だって、貴方がいつまでも戻って来ないんだもん」
私「ヤバイ、ヤバイ、急ごう」
頂上からリフト乗り場まで駆け下りるようにして戻った。リフトにはすぐ乗れたが、そこから下の駐車場まで20分以上は掛かる。大遅刻である。バスの中の席が一番後ろだったので全員に謝りながら通って行かなければならないことになる。ヤバイ、ヤバイ、バス旅行で20分以上遅刻した人を見たことがない。どうしよう!
リフトに揺られながらも考えた。遅くなることを連絡する方法がないだろうか?妻に聞くと添乗員さんの携帯番号なら分かるという。オーッ、まずは電話しておこう。
私「もしもし、日向です。〇〇さんですか」
添乗員「あらっ、日向さん、どうかなさいましたか?」
私「いや、スミマセン。ちょっと遅刻してしまいそうなんです」
添乗員「今、どちらにいらっしゃいますか?」
私「頂上のリフトに乗ったところです。あと20分は掛かると思います」
添乗員「あらっ、大丈夫ですよ。集合時間は11時40分ですから。ゆっくりと景色を楽しみながら下りて来てください。お待ちしています(笑)」
あとから添乗員さんとも話をし、勘違いの原因は20分という時間を何度も連呼してしまったことだろうということになった。<リフトの所要時間20分><20分前には山を降りてください><11時20分にはリフトに乗ってください>などなど。集合時間の5分前に到着しリフトを降りた。ギリギリである。早くバスに戻りたかったが、手前に写真売りの男性が待っていて「1100円です。如何ですか?」と勧めて来た。リフトに乗った時に撮られたものである(写真)。
戻らなければならないが、見るとよく写っている。
「1000円にしてよ」
「それが出来れば嬉しいんですが……」
「わかった、わかった。時間がないから1枚ちょうだい」
「ありがとうございます」
「何でも一度は値切ってみることにしているから(笑)」
「そうですよ。大切なことですよ。私は値切って来る人を尊敬します(笑)」
「調子いいなぁ(笑)」
バスの前で添乗員さんとも話が出来、時間前に席に戻ることができた。未だかつて遅刻で人に迷惑を掛けたことがなかったので、大いに気を揉む一事となったのであった。
                                 (平成30年作)




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