2018年06月の記事 - ひこばえ
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Author:日向 亮司
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ひこばえ


2018年06月の記事

家康忌

天麩羅の油跳ねたる家康忌



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調べると、<天守は1657年の明暦の大火で焼失した>と書かれていた。たしか、門井慶喜著「家康、江戸を建てる」に天守建設のくだりがあった。二代将軍秀忠が造った天守のことである。家康が建てた慶長度天守、それを壊して秀忠が建てた元和度天守、さらにそれを壊して三代将軍家光が建てた寛永度天守。江戸時代260年のうちの最初の50年間は江戸に天守が聳えていたのである。
次に出たのが<1863年の大火で江戸城の本丸御殿が焼失した>である。<表も中奥も大奥もその時に焼失した>と書かれていた。
私「おかしいなぁ?」
妻「何がおかしいの?」
私「江戸城の無血開城が1868年なので、その5年前に焼失したことになっている」
妻「そうなの?」
私「黒書院の六兵衛が居座ったのが無血開城の時だから、黒書院が無いというのはおかしいんだけど……」
妻「本当にそこにあったの?」
私「さっき天守閣跡に建っていた看板にも書かれていた。『松の廊下』のすぐ近くだった……」

家に帰ってアマゾンで取り寄せたばかりの「江戸の町(上、下)──巨大都市の誕生(日本人はどのように建造物をつくってきたか)」を開いてみた(写真)。届いたばかりなので、出掛けた時には読んでいなかった。<なるほど、なるほど>面白い。小学6年生以上が対象と書かれているだけあって、とても読みやすい。内藤昌著、穂積和夫イラストレーション。全ページに絵が描かれていて、読んでいてとても楽しい。江戸の原風景から始まり、太田道灌の築城、家康の入城と続き、無血開城までで終わっている。黒書院の疑問はすぐに解けた。六兵衛が居座った黒書院は<江戸城、西の丸の表御殿>の中にあったのである。

来年5月1日に年号が変わる。天皇陛下のお住まいも変わることだろう。江戸城天守の再建話もあるようだが果たしてどのようなものなのか。あの広大な皇居の在り方は日本そのものの在り方でもあるだけに正しく判断してもらいたいものである。徳川家康公の名に懸けても(笑)。
(注)家康の死因を鯛の天婦羅による中毒死とする説もあり、江戸城では長く天婦羅を食べなかったとあった。
                                 (平成30年作)




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薄暑

江戸城の北の護りや橋薄暑



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今回は最初から「横山大観展」が見たくて出掛けたのではない。随分前に読んだ門井慶喜著「家康、江戸を建てる」に書かれていた<江戸城の石垣が見たい>がそもそもの始まりだったのである。小説の中で石切り現場から巨石が運ばれ、石垣として組まれていく様子が描かれている。<あの小説で描かれた石、大手門の鏡石が見てみたい>とずっと思っていたのである。大観展を見終って大手門とは逆の北桔橋門から入ることになった。
出掛ける前に歩くコースを調べておいた。メモ書きだが皇居東御苑の中の見所を書いておいたのである(写真)。その時のメモに「北詰橋門」と間違えて記載していた。橋を渡り、門から入ろうとした時に「北桔橋門」が正しいことに気付いた。しかもその読み方が「きたはねばしもん」だという。
「北に詰めるだとばかり思っていた!本当に桔梗の桔を『はねる』と読むんだろうか?」
歩きながらスマホでいろいろと調べたことは言うまでもない。しかし、<なるほど>と唸らせるような解答には出会えなかった。天守閣跡の大きな石垣を見ても、その上に登って江戸城全体の跡地を見ても<桔梗の桔>が頭から離れない。モヤモヤとした気持ちで登った天守閣跡での会話である。
妻「凄い広さだよねぇ。ここに本丸、二の丸、三の丸があったんでしょ?いつ取り壊されたんでしょ」
私「いつ?少なくとも『黒書院の六兵衛』の時はあったんだからなぁ」
妻「あれは無血開城の時でしょ。明治元年以降の取り壊しということになる」
私は浅田次郎の小説を日経新聞の連載で読み、妻は文庫本で読んでいる。
私「どうして壊す理由があったのかなぁ。明治政府になっても使えたはずなのに」
妻「さぁ……」
私「江戸城がいつ無くなった?……オッー!北桔橋門どころではなくなったなぁ(笑)」
知らないとは情けないものである。松の廊下跡を見ても、富士見櫓の前に立っても一向に気が入らない。大手門の鑑石の前ではさすがに驚いたものだが、やはり下調べは大切である。帰りの電車の中でようやく「北桔橋門」に辿り着いたものである。

① 「桔の漢字の意味」と入力し、
② 「漢字、漢和、語源辞典」が出て、
③ いくつかある中に「桔槹(きっこう)は、柱の上に横木を渡し、その一端に石を他の端につるべをつけて、井戸水を汲み上げる仕掛け」を見つけ、
④ 「桔槹」が「はねつるべ」のことだと分かる。
⑤ 「はねばし」と検索すると「跳ね橋、撥ね橋、跳開橋、桔橋、刎橋」と出た。
                                 (平成30年作)




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竜天に登る

雲を呼び海を逆巻き竜天に



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5月14日の日本経済新聞に「両陛下が横山大観展を鑑賞」という記事が載っていた。前日の13日に天皇皇后両陛下が東京国立近代美術館で開催されている「生誕150年──横山大観展」を鑑賞されたという記事である。<40メートル超の水墨の絵巻「生々流転」など作品約90点を鑑賞。陛下は木炭で描かれた絵の前で「いろいろな試みを当時したのでしょうね」と感想を述べるなど、約20分にわたり皇后さまと熱心に見て回られた。>と書かれていた。
「20分とはいやに早いなぁ」と思った。

私達が見に行ったのがゴールデンウィーク後半の5月4日である。開館時間10時を目指し8時半には家を出て、電車を乗り継いで10時ちょうどに到着したのだがすでに会場は満員状態になっていた。「10時の開館というのは間違いだったようだなぁ」と独りごちた。入場した途端に人が溢れていて作品の前に進めない。人の流れに身を任せるようにしながら作品に近づいて行くようである。しかもじっくりと見たいと思っても後ろが押されるので先に進むしかない。ゆっくりと押し出される<ところてん>のような感じで見ていった。全ての作品を見終わって出てきたのは11時半である。大きく溜め息を吐いたのは作品の素晴らしさに圧倒されたばかりではないようである。話題の「生々流転」もところてんのようにして見た。見始めから終わりまで15分掛かったので、両陛下の全てで20分というのが如何にも早く思えたものである。人のいない会場を専門家のガイド付きで回れば、そのくらいのものかも知れないと考えていた。
それにしても素晴らしい作品ばかりであった。「生々流転」はもちろん、「富士の絵」や「華厳の滝」、「ナイヤガラの滝と万里の長城」の一対の金屏風など、溜め息の出るような力作ばかりである。
外に出て飲み物とサンドウィッチを買い、テラスで休憩した(写真)。
「いやぁ、龍を見逃しちゃったかと思ったよ」と私。
「何の龍?」と妻。
「生々流転の最後に描かれていた龍だよ。海が荒れて雲が沸き、全体のトーンが黒ずんできたので、てっきり最後に大きな龍が描かれているだろうと思っていたので、見つけられずに終った時は慌てたよ。もう一度、列に割り込んで覗いてみたんだけど、龍は思ったよりも小さく描かれていて、なるほど、この描き方が大観先生の落とし所だったんだなぁと納得した次第。確かにあそこに健さんの彫り物のような龍が描かれていたとしたら漫画になっちゃうからね(笑)」
                                 (平成30年作)




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しなだれて凭れて蛇の抱き心地



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前日泊まる予定だった藪塚温泉へ向かって山道を下り始めた。目指すはスネークセンターである。「キジを食べてヘビを見る。動物尽くしの旅行になりそう!」と言って始まった旅行である。義父の話もあり、蛇そのものが夏の季語なので、どうしても見ておきたかったのである。もちろん目的はヘビを首に巻き付けての写真である。日曜日だけのサービスということは事前に調べておいた。問題は果たして妻が一緒に写ってくれるかどうかである。
「昨日は新田義貞の太田市を回ったので、今日は足利尊氏の足利市に行くのでよろしくね。といっても鑁阿寺という足利氏の菩提寺しかなんだけど」
「そうなの?全然構わないわよ」
「その前にスネークセンターに寄りたいんだけど、いい?」
「昨日の話もあるからね(笑)」
「それにしても、オヤジさん、よくそこでヘビ料理を食べたもんだよなぁ。俺なら食べられないなぁ」
「別に無理して食べる必要もないじゃん」
「ま、首に巻き付けて写真を撮るくらいなら出来ると思うけど(笑)」
「……」
スネークセンターでは到着寸前に手前の店のおばさんに車を止められて「はい、どうぞ、どうぞ、ここに入れてください」と言われたところから始まった。カーナビではもう少し先なのだがと思いながらも、言われた通りに駐車すると「はい、500円。前金でお願いします」とイヤに要領がいい。さらに「お客さん、スネークセンターですか?昼はウチで食べてってくださいよ」と売り込んでくる。センターに入る前に<蛇に睨まれた>感じである。入場券を買って入った途端に今度は「お土産は如何ですか?」と声を掛けられた。入口のすぐ奥が土産コーナーである。「帰りに買うので待っててね」と躱して通り抜けた。<蛇の道はヘビ>とも言う。食堂があった。「ここだ!」と思った。オヤジさん達が蛇料理を食べた場所である。覗いてみた。「いらっしゃいませ!」と女性が出てきた。<ヘビ女>かと思った。「あとから来ますから、ちょっと中を見せてください」と言って入ると、食堂のさらにその奥に仕切られた部屋があった。暖簾が掛かっていて明らかに別空間であることが分かる。柱に大きな字で「蝮料理」と書かれていた。覗くとカウンターの奥から男性がこちらを見ている。まさに<鬼が出るか蛇が出るか>である。「ふれあい体験教室」で蛇の習性について<長々と>話を聞いたあと、いよいよ写真コーナーに移った。
「おお、白蛇だよ!太いなぁ。やばいよ。誰か他の人が写すのを見てからにしようよ」
「いいから、いいから、早く写しちゃおうよ」
妻の方がよほど度胸がいい。言われるままにお兄さんに1000円を渡し、無事カメラに収まった写真がこれである。ここで感想を書いては<蛇足>と笑われる。
スネークセンターのあとは足利氏の菩提寺である鑁阿寺を訪ね、足利学校を見学して戻って来た。楽しい一泊二日の旅となった。
                                 (平成30年作)




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蝮草

小暗きに濡れて山路の蝮草



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それにしても山深い温泉宿である。位置的には赤城山の中腹に当る。周囲に宿が見当たらなかったので一軒宿かも知れない。征夷大将軍の柿本人麻呂が見つけたと書かれていたので千二百年も前からあった温泉ということになる。朝早く起き出して風呂に入ったあと、周囲を散策してみた。前日同様、まったき晴天である。何もない山の中だが草花を探すには最高である。図鑑を持参しなかったことを悔やみつつ、写真を撮って歩いた。

山道を歩きながら、前の日に車の中で妻から聞いた義父の話を思い出していた。スネークセンターの話である。妻が高崎の高校を卒業し東京に就職したあとに聞いたというのでもう30年以上も前の話ということになる。新しいもの好きの義父が出来たばかりのスネークセンターに出掛けた。我々が泊まる予定だった藪塚温泉のすぐ近くである。おそらく仲の良い友達と一緒だったに違いない。そこでヘビ料理を食べたという。その「ヘビご飯」の作り方を義父が説明してくれたという。まず釜に研いだ米を入れ、水を張る。そこにヘビを入れ、小さな穴が二つ開いた蓋を被せて火を点ける。火が通って中が熱くなるとヘビも熱くなって蓋の穴から顔を出す。顔を出したところを摑まえて思い切り引き上げる。すると身はほぐれてバラバラになり、骨だけが外に取り出せるのだという。
私「うそだぁ。あり得ない。作り話だよ(笑)」
妻「でも、印象に残ってるのよねぇ、その話」
私「そんな冗談を言う人には見えなかったけど」
妻「いやいや、意外とそういう所があったのよ、本当かどうかは知らないけど」
私「まぁ、あの仲間なので、出来たばかりのスネークセンターに出掛けてヘビ料理を食べたところまでは想像できるけど、その作り方はなぁ(笑)」
運送業を営んでいた義父はその運送業仲間といつも行動を共にしていた。5、6人であるがそれぞれの奥様がいつも一緒なのでとても賑やかである。温泉に行くにも遊びに行くにもいつも一緒で、結婚したての私達をいつもいろいろな場所へと連れて行ってくれたのであった。ヘビ料理を注文したのは大いにありうる話である。
妻の話を思い出しながら、義父やその仲間達のことを懐かしく思い返していた。その時、道端に見つけたのが写真の「蝮草」である。ヘビのことを考えていた時の「マムシグサ」だったので、思わず一人、山の中で笑ってしまったものである。
                                 (平成30年作)




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浴衣

適量を超えし晩酌宿浴衣



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とても広い部屋だった。女中さんが案内してくれたのが一部屋に風呂が3つ、トイレが3つである。ビールサーバーも冷蔵庫の中も飲み放題である。説明を終えて女中さんが出て行ったあと、二人で大笑いしてしまった。
「何だろ、凄すぎるジャン。使い切れないよ」
「3つあった部屋を1つにまとめたって感じね。とてもいいんじゃない」
「気に入った?」
「気に入った(笑)」
それからすぐに大浴場に行き、戻って生ビールを一杯飲み、外に出て散歩を楽しんだ。
夕食は豪勢だった。イワナの刺身にタケノコ、山菜と出て、キジと牛肉のしゃぶしゃぶ、天ぷら、揚げ物、蕎麦などと続き、最後はキジの釜飯。食べきれないほどの量である。日本酒もすすんだ。底上げされた二合徳利が二本、すぐにまた追加で二本、最後に締めであと一本といつになく調子がいい。
テレビでは懐かしの昭和歌謡が流れていた。
「おっ、城みちるじゃないか。イルカに乗った少年だろ。もう、少年って感じじゃないよなぁ。俺より年下だよなぁ」
「貴方より4つ下。私の1つ上だから」
「よく知ってるなぁ。なになに、禁断の恋だって。誰だっけ、隣の女性は?」
「伊藤咲子でしょ。ひまわり娘の……」
「そうかぁ、あのひまわり娘かぁ。年取ったなぁ」
「人のこと、言えないけどね。でもいいんじゃない、何十年経っても、こうしてテレビに出ていられるんだから」
「そうだよなぁ、だけど禁断の恋なんてテレビで流しちゃまずいんじゃないか?」
「どうして?もう知らない人がいないくらい有名な話だよ。知らないのは貴方くらいなものよ」
「そうなのか。知らなかった。過ぎてしまえば何でも許されるんだよなぁ」
たわいない話を続けていた。その時に撮った写真である。テレビの横に座っていたので正面からの写真になっていない。こだわり派の自分にしてはとてもいい加減な写真になっている。相当に酔っていることがこの一枚からも分かる。
                                 (平成30年作)




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雉子

謹みて国鳥「雉子」をいただけり



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宿の名前は「はせを亭」である。金山城の駐車場でカーナビにセットした。すると38キロメートルと出た。
「何だろ?すごい距離だなぁ」
しかし義貞の隠れ湯「藪塚温泉」なので、すぐに着くに違いないと深くは考えなかった。私のいい加減な所である。
山を下りて走り始めたがまだその時は気付いていない。気付いたのは「藪塚温泉」の表示が出始めた頃である。
「あれっ?このナビ、ちょっとおかしい……」
「どうしたの?」
「だって、もうすぐ目的地なのに、まだ30キロも残っている」
「何を言ってるの。行く場所は藪塚温泉じゃないよ」
「えっ、なんで?藪塚温泉でしょ」
「違うよ」
「えっ、どこ?どこへ行こうとしてるの?」
「ちょっと待ってね、見てみる……梨木温泉って書いてあるけど」
「梨木温泉!それ、どこ?」
「だって、貴方が選んだ場所だよ」
「……」
「どうしたの?」
「ちょっと待って。頭が混乱している……」
どこでどう間違えたのだろう。何を間違えてしまったのだろう。考えるのに少し時間が必要だった。おそらく<義貞の隠れ湯>と検索して藪塚温泉に辿り着いたまでは良かったが、いろいろと温泉宿を探している間に違う温泉に行ってしまったようである。ウッカリもいいところだが、ジタバタしても仕方がない。諦めて受け入れるしかないようである。
「オッケー、了解。どこだか分からないけど、思い出深い旅行になりそうだなぁ(笑)」
「そうだよ、雉子(キジ)も食べられるし、大丈夫、大丈夫(笑)」
「それにしても、梨木温泉なんて聞いたこともないなぁ、群馬県だろうか、茨城県だろうか」
(注)写真はその夜に出されたキジ料理である。しゃぶしゃぶ用として小さく丸まっている。
                                 (平成30年作)




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大君の汗し腰掛石に座す



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生品神社のあとに回ったのは矢太神湧水地である。小説「新田義貞」の冒頭部分が水争いだったので見ておきたかったのである。そのあと反町館跡と言われる照明寺に回った。義貞の旧居跡とも言われている寺である。義貞が軍議を開いた時、あまりに蛙の声がうるさかったので一喝したところ蛙が鳴かなくなり、以来「鳴かずの池」と呼ばれているというので見に行ったのだが、どういうわけか池は干上がっていた。これでは鳴くわけがない(笑)。昼食後、向かったのが金山城跡である。1469年築城で1590年廃城なので義貞には関係ないのだが、その山頂付近にある新田神社だけは見ておきたいと思ったのである。この神社も義貞の頃にはなかったのだが、義貞直系という人が起こし、明治政府が許可したというのだから認められた神社である。車を中腹の駐車場に停め歩き始めた。ゴールデンウィーク初日ということもあり、家族連れのハイキング客で一杯である。立派な石垣や見晴台がありハイキングには格好のコースのようである。
神社は頂上にあった。樹齢800年という大ケヤキがあり、幅の広い石段が格調の高さを思わせた。お参りをして境内を回ってみると写真の御腰掛石が4つ並んでいた。それぞれに看板が立てられている。右から
明治25年10月17日 大正天皇
明治42年11月 7日 秩父宮殿下
明治42年11月 7日 昭和天皇
大正 4年11月 7日 高松宮殿下
大正14年10月26日 三笠宮殿下
大正天皇ご一家全員である。すぐに1つ足りないと思った。5人で4つである。別に全員が一緒に登ってきた訳ではないのだから5つ用意する必要もないのだが、なぜかそう思ってしまった。汗して登って来たご一家が笑いながらこの石に腰掛けている様子が目に浮かぶ。
それにしてもなぜこうして天皇ご一家が揃って登って来たのだろう。あとから調べて、なるほど皇室とのゆかりの深さが分かってきた。金山城主だった横瀬氏というのが新田義貞直系である。また義貞の裔孫という新田俊純という人が明治6年に神社創立の許可を得て、明治8年には社殿を建築し、現社号の神社を創建したとある。明治9年に県社に列せられ、明治18年と19年には明治天皇の皇后が参拝されたとある。社殿そのものには傷みも見えたが、由緒正しき神社であることに有難味を感じた。
                                 (平成30年作)




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新樹光

捧げ持つ剣こそ光れ新樹光



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次に向かったのが「生品神社」である。義貞が鎌倉幕府討伐のために挙兵した場所である。義貞が旗揚げの際に鎌倉に向かって矢を放ったという故事にならい毎年5月8日にここで「鏑矢祭」が行われるそうである。これが見たくて旅行を計画したのだがあいにく今年の8日は平日である。それでは仕方がない。またの機会を待つしかない。
駐車場に着いて少し驚いた。砂利が敷いてあるだけである。新田義貞が出陣した場所である。群馬県揚げて、いや少なくとも太田市揚げての集客に力を入れているだろうと想像していたのだが、果たして駐車場も整備されていない。車もない。人影も見えない。ゴールデンウィークだというのに観光客の一人も集まってはいないのである。
<鎌倉幕府を倒した最大の功労者なのに、これは一体どういうことなんだろうか>
私のイメージでは「大中黒の丸に一つ引き」の新田の家紋を染め抜いた旗が何本も並んでいるはずだった。駐車場は舗装されて大型バスのスペースも確保されているはずである。誰もいない砂利の上を歩きながらそれが私の勝手な妄想であったことに気づき始めていた。駐車場の横に義貞の像が建っていた(写真)。剣を捧げ持つ姿である。しかし、これまた不思議な物に見えてきた。像がいやに古めかしく、その下の台座が妙に新しいのである。回りのコンクリート製の柵も新しいし、その後ろに寄付者の名前を連ねた石の銘板も新しい。像をそのままにして台座や周囲ばかりを作り直したようである。なんだか、やらなくても良さそうなことをやったように見えてきた。一部だけを新しくするというのはどうも説得力に欠ける。台ごと古めかしくしておいた方が良いに決まっているではないか。寄付を募って誰かがやったのだろうが、やり方が違うように見えた。後ろに回ればその経緯などが書かれていたかも知れないが、寄付した人の名前が仰々しく書かれたものなど読もうとする気も失せていた。
その横を通り、神社にお参りしようと参道を進むと、これまた妙な物が目に飛び込んできた。台座である。像のない台座が置かれていた。もしかしてここにあった像を正面に移したのだろうか。詳細は分からないが、しなくても良いことをしたように見えてくる。
                                 (平成30年作)




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形代

形代の影もろともに崩れけり



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次に向かったのが「新田荘記念資料館」である。総持寺のすぐ傍にある。駐車場に車を停めて入口に向かうが開館時間には30分以上あった。係の人が竹箒で落葉を掃いていたので「早く入れてくれませんかねぇ」とダメ元で聞いてみると「隣の東照宮は見ましたか?」と言われた。<今回は家康ではないんだよなぁ>などと思いながらも時間があるのでそちらを先に見て来ることにした。境内を横切るようにして正面まで進むと立派な拝殿の前に出た。上野東照宮も凄かったが、こちらも凄い。世良田東照宮という。看板に「徳川氏発祥の地」と書かれている。由来書きには「寛永二十年(1644)、三代将軍徳川家光公は世良田が徳川氏の先祖の地ということから、日光東照宮古宮(元和年間造営の奥宮)を移築し、家康公をお祀りした」と書かれていた。絢爛豪華である。入り口にある黒門を見ようとして外に出ると、その横に長楽寺の看板があった。ここは新田一族の菩提寺である。これは見て来るしかない。さては新田次郎が小説の各章に置いた取材メモに書いていた新田と足利の今を象徴するお寺とはここだったのかと気付いた。こんな風に書かれていたのである。
「新田氏一族の菩提寺の長楽寺は広い敷地を持った大きな寺だったが、訪れる人は少なく、境内は荒れ果てた感じだった。足利氏の菩提寺、足利市の鑁阿寺の賑わいぶりを見てきた私の目には、この二つの古寺が、足利氏と新田氏の最後を象徴しているかのように映った」(「新田義貞」上巻236頁)
覗いてみると書かれていた通りである。シーンとして誰もいない。お寺の風格はさすがに重厚なものがあるが、人がいないのは新田次郎が訪ねた時と同じようである。義貞亡き後の新田一族のことを思った。
一回りして再び東照宮に戻った。受付に男性がいたが、中に入るのは止めておいた。それよりも脇にあった人形代祈願所が気になった。小さな鳥居の先に手水鉢があり、水が流れている。そこに人形(ひとがた)を浮かべるらしい。人形は季語である。形代(かたしろ)とも言う。俄然やる気になった。受付の男性の所へ戻り、祈願料300円を支払い人形の紙を受け取った。「どうやって書くんですか?」と聞くと、鳥居の前に説明書きがあるという。ぶっきらぼうだが、ペンだけは貸してくれた。氏名を書き、願いごとを書き、身体を3回拭い、鳥居の回りをぐるぐる回って手水鉢の前に立った。人形を浮かべてお参りし写真を一枚撮った。「もっと真ん中の方に置いた方がいいんじゃない?」と妻が言う。真ん中に置いたつもりだったが、流されたのである。<そうだな>と思い、指先で移動させようとした。すると紙が崩れた。指で触っただけなのに破れてしまい、一部が底へ沈んでいってしまった。溶けやすい。ペンで字を書き入れる時はしっかりしていたが、水に入れた途端に溶けてしまったのである。<美しいなぁ>と思った。この儚さが心に染みた。
その後に訪ねた「新田荘記念資料館」の中でもこの人形の儚さばかり考えていた。
                                 (平成30年作)




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落椿

獄門の首の行方や落椿



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墓参りを終えてさっそく新田義貞の旧跡めぐりに向かうことにした。カーナビに二体地蔵塚のある太田市世良田町1578番地を入れた。ここは義貞が鎌倉幕府打倒の決意をする切っ掛けとなった幕府の使者を斬った場所である。
元弘3年(1333)執権北条高時は西国(近畿地方)の反乱を鎮めるため、弟泰家を大将として10万の兵を京へ向かわせようとしていた。その戦費を調達するため関東の国々に臨時の税金を掛けることになった。この世良田は長楽寺の門前町として栄え、裕福な者が多いので二人の使者が遣わされた。出雲介親連と黒沼彦四郎入道である。二人は大勢の家来を連れて乗り込んできた。そして5日のうちに6万貫の税金を差し出せと迫ったのである。これを聞いた義貞は法を超えた仕打ちであると怒り、「我が宿」に雑人の馬蹄を懸けさせたのは無念であると、すぐさま出雲介を捕え、黒沼彦四郎の首を刎ねて晒し首にしてしまった。すなわちこれがその遺跡である(写真)。季節はもう夏になろうというのに塚にはたくさんの落椿が汚れて積み重なっていた。
二体地蔵のあとに向かったのは新田館跡に建てられたという総持寺である。ここは義貞居館説もあるようなので立ち寄ってみたかったのである。「我が宿」と義貞が怒ったのがこの場所だという説もあり必見だったのだが、実際に訪ねてみると見るべきものが見つからなかった。
「悪いねぇ、引っ張り回しちゃって」
「いいえ、いつものことですから気にしないで(笑)」
「この太田は新田義貞の生まれ育った場所なんだけど、その一生はほとんどが鎌倉と京、あとは戦いばかりなんだよ。だからあまりこの太田に史跡がある訳じゃないんだ。小説でも初めのあたりに出てくるくらいで、これから行く生品神社を出陣してからは、ほとんど出てこないんだ。だけど一度は見ておきたかった場所なので悪いけど付き合ってね」
「全然大丈夫だよ。でもこれからいい場所に出会えるんじゃない?いつもそうだから(笑)」
「ま、早目に回って今日はゆっくり温泉に浸かろう。義貞ゆかりの湯だから、絶対にいい句が出来るよ。こればかりは自信がある(笑)」
                                 (平成30年作)




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春の雲

悠々とどこへ行くのか春の雲



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5月の連休が来て、新田義貞と足利尊氏の太田市、足利市を訪ねる時が来た。どこに泊まろうかから始まった。
インターネットで「新田義貞ゆかりの湯」と検索し、太田市にある「藪塚温泉」を見つけた。その中でもいい宿をと探して気に入った宿を一軒見つけた。しかし連休は予約が一杯で、僅かに4月28日(土)だけが空いている状態だった。連休の初日である。早過ぎるとは思ったが、最初にやるべきことをやるのだからそれも良いと思った。妻に連絡して申し込んでもらうことにした。こういう手続きは任せた方がよい(笑)。「本当にここでいいの?」と確認があったが、「オッケー、オッケー」と軽く返事をして次の作業に移ることにした。次の作業とは行程表の作成である。宿が決まればあとは楽なものである。すぐに妻から<宿の予約完了>の連絡が入った。

当日は朝3時半に起きて4時には家を出た。いつもの朝駆けである。コースは先日の軽井沢に行く時に教えてもらった東京の山手トンネルを通るコースである。初めて自分の運転で走る道だがナビがあるので簡単である。全て順調に進んで行った。途中、車の中では音楽を聴いて行った。たまたま取り出したのが井上陽水である。我々が10代20代の頃の曲なので、懐かしさはこの上ない。何曲目かに「人生が二度あれば」が流れた。
<父は今年二月で六十五……>
「いやぁ、65かよ。自分がこの曲の父親と同じ年になるとは思わなかったなぁ」
「そうよねぇ、あっという間よねぇ」
<湯呑みに写る自分の顔をじっと見ている……>
「いや、俺は湯呑みの中を覗き込むなんてことはしたことがない(笑)」
「そもそも、顔が写るとは思えない(笑)」
最初の目的地は高崎の実家の墓参りである。
「『おうい雲よ』の山村暮鳥って高崎出身なんだよね」
「えっ、そうなの、知らなかった。あの『どこに行くんだい、馬鹿に呑気そうじゃないか』という詩でしょ」
「そうそう。さっきから雲を探しているんだけど今日は一つもない。本当の快晴だ」
向かうお寺の名前が「向雲寺」である。写真はそのお寺の墓地にある六地蔵。奥に聳えるのが高崎市庁舎である。

おうい雲よ
ゆうゆうと馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまで行くんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか
                                 (平成30年作)




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花あやめ

うとまるるほどに愛らし花あやめ



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5月21日の夜、小林真弓さんから電話があった。すぐに<5月14日にアップしたブログの件だなぁ>と思った。
「もしもし、こんばんは、日向です(笑)」
「小林です。夜遅くに済みません。この時間帯じゃないといらっしゃらないかと思いまして」
「大丈夫ですよ、少し前に帰って寛いでいたところです」
「日向さん、ブログに私のことを書いてくださいまして有難うございました。まさか私の名前が出るとは思っていませんでしたので本当に驚きました。でも嬉しかったです」
「ありがとうございます。思い出の小町通りですから(笑)」
「でも日向さん、実はあの句は私の句ではないんです。鈴を買うなんて詠んだことありませんので」
「えっ!嘘でしょ。小林さんの句ですよね。ずっとそう思ってましたが……」
「いいえ、どう考えても私ではありません。日向さんと同じように私もあの時の手帳を出して調べてみましたが、どこにも書いてありませんでした。どなたかとお間違えになったようですね」
「そうなんですか。18年間も小林さんの句だと思い込んでいました。手帳の最後の最後に書かれていましたから、もちろん句会に出された句ではないと思っていましたが、いいフレーズなので記憶に残っていました。鎌倉に行くたびに口ずさんで、そのたびに小林さんを思い出していました」
「あらっ、嬉しい。そうやって思い出してくれていたなんて、たとえ勘違いでも嬉しいです(笑)」
「俳句は続けていられるんですか?東京の句会だったと思いますが……」
「あそこはやはり通い切れなくて……いまは地元の俳句サークルで楽しんでいます。でも道川先生のような方がいる訳ではありませんので、仲の良い友達とお会いするのが目的のようになっています。駄目ですよね、先生に叱られます」
「先生あっての句会でしたからねぇ。私も同じようなものです。一向にレベルが上がってきません(笑)」
「でもブログがとても楽しくて俳句もいい感じですよ。いつも読ませてもらっています」
「ありがとうございます。もう少し上手い句が作れるように頑張ります。今度また忘年会ということになりますかね」
「そうですね、楽しみにしています。久し振りにこんなにお話が出来て嬉しかったです」
「こちらこそ。本当にありがとうございました。衝撃の小町通りになってしまいましたけど(笑)。また電話してくださいね。お待ちしています」
                                 (平成30年作)




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