2018年05月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2018年05月の記事

行く春

行く春を車中笑ひで締めくくる



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2日目は上田城と別所温泉の北向観音の見学である。NHK大河ドラマ「真田丸」に触発されて4年前の8月に妻と二人で訪ねた場所である。今回は季節が違うので見えるものも違うだろうと期待したが、やはり同じ場所なので真新しさには欠けていた。何となく見て、何となく終わった感じである。
昼食は近くのキノコ専門店で食べた。秋でもないのにと思ったが、今や季節は問わないらしい。大型の駐車場にバスを停め、シメジの養殖する部屋をガラス越しに見て、通された大食堂に鍋が据えられていた。コンニャクの刺身があり、ツマミがあり、ビールがどんどん運ばれてきた。生卵を割って鍋のキノコを摘まみながら、ぐいぐいと飲んでいった。二日目の最後とあって、皆さんペースがいい。
「キノコというのも似たようなものがいろいろあるので、毒があるのか無いのかは分かりづらいよなぁ」
「初めに誰かが食べて、これには毒があると分かった訳だから、最初に食べた人は気の毒だよなぁ(笑)」
「毒だけに気の毒(笑)」
「うまい、うまい(笑)」
皆さん、上機嫌である。食事を終えて目の前で売られている朝採りのキノコを土産に買って、バスに乗り込んだ途端にあちこちでイビキが始まった。軽井沢に戻り、その日ゴルフを楽しんだメンバーを拾ったところまでは覚えているが、高速に入ったあたりで私も寝てしまった。しばらくしてガイドさんのマイクの声に起こされた。
「これから渋滞が続きますのでトイレ休憩を取ります」
全員が起きたようである。朦朧としつつトイレに行き、席に戻り走り始めるとすぐに渋滞となった。
「ここから渋滞では相当に帰りが遅くなるなぁ」の声があちこちから聞こえる。
「渋滞の間、ビデオをお掛けしますのでお楽しみください。何を掛けたらいいかと迷いたい所なんですが、あいにく一本しかありません。でも面白いんです。ご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、その方は我慢してお付き合いください。『家族はつらいよ2』をお掛けします」とガイドさん。
寝ぼけた頭で見始めたが、なかなか面白い。橋爪功の惚けた演技がいい。オーロラを見に行くという吉行和子もいい。
「はい、日向さん、寝起きの一杯」
前の方からまたビールが回ってきた。「もういいよ」と言いながらも一本いただくあたりは、私も嫌いではない。
                                 (平成30年作)




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春惜しむ

春惜しむ美酒は「チヤーリーチヤツプリン」



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ホテルでの夕食のあと、二次会ということになった。カラオケにでも行くのかと思って付いて行くと静かなバーに入ることになった。15人程がゾロゾロと集まった。ビールの人もいたが、カクテルなどを頼んで勝手に始まった。私の前に座った社長がバスの中の話を受けて話しかけてきた。ボヤいた社長とは別の人である。
「日向さんは会社に行きたくないなんて思ったこともないだろうね」
「なんでそう思うんですか?私だっていろいろありますよ(笑)」
「会社の調子がいいと聞いてるよ」
「それとこれは別ですよ。でも行きたくないと思っても、行かなかったということは一度もないですね」
「そうだろう。おたくの前の〇〇社長は行きたくなくて悩んでいたことがあったよ」
いきなり、私の会社の昔の社長の話になった。もう25年以上も前の話ということになる。その社長と当社の社長は生前とても仲良くしていたのである。
「〇〇社長が江の島に行った話、知ってる?」
「江の島ですか?知りません」
「会社に行きたくなくて、朝から江の島に行って海を眺めてきたというんだよ」
「それでどうしたんですか?」
「それでって、分かるだろうよ。いろいろ悩んでいたんだよ」
「そりゃ、分かりますけど、海を見たって何も変わらないじゃないですか」
「社長業は孤独なもんだよ。悩んだ時には海も見たくなるさ。分からない?」
「あのワンマンな社長には想像も付かないような話ですね。私だったら海には行きませんよ。行くんだったら休みの日に行ってもらいたいですよ。みんなが働いている時に一人だけ海に行ったっていい考えが浮かぶはずがない(笑)」
「強いなぁ(苦笑)」
その夜、いろいろな話をして楽しく過ごしたが社長から聞いたその「江の島」の話が妙に心に引っ掛かったものである。もしかして社長同士で悩みを打ち明け合ったといういい思い出だったのかも知れないと思った。それを「海になんか行ってどうするんですか」とやってしまったのである。飲んだお酒は「チャーリーチャップリン」。楽しさの中にも一抹の物悲しさを味わうことになってしまった。
                                 (平成30年作)




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亀鳴く

帰りたい帰りたくない亀が鳴く



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めがね橋駐車場を出て、宿泊先の軽井沢プリンスホテルに向かうバスの中でのことである。前列に座っていたある社長が「旅行が終わるとまた月曜日に会社に行かなければならない」とボヤいた言葉にガイドさんが反応した。
「あらっ、社長さんでも会社に行きたくないなんてことがあるんでしょうか?」
「そりゃあ、ありますよ。しょっちゅうですよ(笑)」
社長はビールを飲んでいてとてもいい気持ちのようである。
「どんな時に行きたくないと思われるんですか?私なんかは常に使われている身ですから、疲れた時とか上司に何か文句を言われそうな時には行きたくないと思ったりしますけど、社長さんがそう思われるなんて思いませんでした」
「そうだなぁ、いろいろあるけどクレームが起きてお客様に謝りに行かなければならない時なんかは行きたくないと思うよ。部下を通り越して『社長を出せ』まで来てるんだよ。半端じゃないよ」
「それはイヤですよね、分かりますわ」
「それから会社の中には変わったのもいるからなぁ。そいつとやり合わなければならない時なんかもイヤなもんだよ。家でカミさんと喧嘩した時に、家に帰りたくないと思う時と一緒だよ」
「あら、それも分かりますわ。家に帰らずに飲みに行く?」
「そうだろう。飲みに行くしかないよ。あれと一緒だよ。社長だからといっていいことばかりじゃないんだよ」
「結構、社長業というのも辛いものなんですね」
「そうだよ、分かってくれる?」
やり取りはバスじゅうに聞こえる声でやっているので、随所で笑い声が起こる。そのような話が随分と続いて、なんとなくその社長さんの苦労も分かったような気がしたものである。随分と儲かっている会社の社長さんである。
                                 (平成30年作)




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滴り

隧道の古き煉瓦を滴れり



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次に向かったのが碓氷峠にある「めがね橋」である。富岡製糸場の近くで昼食を済ませたばかりなので、バスの中で一眠りしたところを起こされての見学になった。駐車場を出ていきなりの急階段は2日後に強烈な筋肉痛となって私を悩ますことになる。
明治から昭和に掛けて国鉄信越本線の横川駅から軽井沢駅までを走っていたアプト式鉄道の跡で、平成13年に遊歩道として整備されている。階段を上がって着いた熊ノ平駅から5つのトンネルの中を歩いて「めがね橋」へと歩いて行くのである。ずっと緩やかな下り坂なので歩きやすい。気の合った仲間と楽しく話しながら歩く人もいれば、一人で黙々と進んでいく人もいる。私はあちこちで写真を撮ったりするので、一人になったり話をしたりして歩いて行った。
熊ノ平駅があった場所に赤い鳥居の稲荷大明神があり、隣に殉難碑と霊堂があった。昭和25年に山崩れがあり、50人が亡くなったと書かれていた。その横には子供を抱いた女性の像が建てられてあり、亡くなった中にそのような人がいたことが分かる。ぞろぞろと歩きながらなので、じっくりと読んでいる時間はない。流し読みしてまた歩き出した。トンネルを歩きながらの会話である。
「こんな山奥の駅に50人もの人が住んでいたんですね」
「いや、亡くなった人が50人なので、もっと住んでいたんじゃないですか、100人とか200人とか」
「何をしていたんだろう?」
「トンネル工事じゃないですか?」
「でも昭和25年ですよ。ここの線路は明治には出来ていた訳ですから……」
「そうだねぇ。木でも伐っていたんだろうか」
「木の伐採かぁ」
「あの銅像からして家族も連れて来ていたんだから相当の木を伐ったはずですよ」
想像で話をするのだから結構いい加減なものである。あとで調べてみると、日本一の勾配という峠越えの難所であったところから小駅でありながら多くの国鉄職員を常駐させていたそうである。6月8日夜半、降り続いていた雨のために駅構内にあるトンネル付近で土砂崩れが発生した。人的被害はなかったが線路が埋まってしまい、夜を徹して復旧作業が行われることになった。翌9日の早朝、昨夜の土砂崩れの地点のさらに上方部が崩落し作業中の職員を直撃した。さらに土砂は職員官舎を飲み込み押し潰した。作業員38名、職員の家族12名が犠牲となったというのである。木の伐採などという話はどこにもない。
                                 (平成30年作)




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糸引く

糸引きし明治を今に毛野国



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旅行を終えた翌日の話を先にしておこう。知り合いの女性と会う機会があった。彼女は富岡の出身である。
「昨日、富岡製糸場に行ってきました」
「あらっ、どうでした?良かったですか?」
「すごく良かったです。あのすぐ側にお住まいだったんですよね」
「そうです。家は5年ほど前に処分しましたけど、おそらくその前をバスで通ったと思います。高校もすぐ側の富岡東高に通っていました」
「のんびりした感じの町でしたが、世界遺産に登録されてから変わったんじゃないですか?」
「町は何も変わりませんよ。人が来るようになっても変わりようがないですよ。恩恵を受けたのは『峠の釜めし』だけじゃないですか(笑)」
「野麦峠の女工哀史の世界かと思っていましたが、全く違っていましたね」
「そうですよ。あそこは立派な家の女性ばかりが働いていたんですよ。うちの母も働いていました。うちがそうだったという訳ではないですが……」
「えっ、お母さんが……」
「そうです。女工をしていました。とても待遇が良かったと聞いています。良い話ばかりしていましたよ。天皇陛下がお見えになった時、母の後ろを通ったそうなんですけど、糸を引く手が震えったっていつも話していました」
「天皇陛下って昭和天皇?明治天皇じゃないですよね」
「そうです。明治天皇の訳がないじゃないですか(笑)」
「ハハハ、スミマセン。明治の話ばかり聞いてきましたので(笑)」

ガイド付きで一通り見て回った。ガイドさんの声がイヤホンから入って来るので少し離れていても聞き漏らさずに聞くことが出来たのは嬉しかった。東置繭所の外観を巡り、繰糸所の中を見学し、首長館や診療所を外から見て戻るというコースである。実際に繭から糸を取り出したり、機械が回る様子などが見られなかったのは残念である。昔、上海に行った時だったと思うが、目の前で繭から糸を取り出すのを見せてもらったことがあったので、今回も見せてもらえるのかと思っていた。少々物足りなさを感じたのはそんなことからだろう。見学したあと、上海の土産店で絹のスカーフやパジャマを買ったことを思い出していた。
「そういえば、あの時お土産に買ったパジャマ、もう着ているのを見たことがない……」
(注)群馬県、栃木県南部あたりを「毛野国」と言った。「けのくに」とも「けぬのくに」とも読む。
                                 (平成30年作)




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前線を訪ねて北へ花の旅



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優申会という会に所属している。「優良申告法人の会」の略である。税務署管内に所属する中小企業の社長さんの会で元気な会社が揃っている。昔は熱海で豪勢な飲み会をやったものだが、バブルが弾けて以来大人しい会になっていた。<別に飲み会を目の敵にすることもない>という意見も出始めてようやく一泊研修が実現した。まさに20年振りの快挙である。と言っても行先は熱海ではない。計画を立てたのが女性なので芸者を呼んでの宴会などは到底期待できない。上品な軽井沢のホテルで椅子席での懇親会となったのである。いやなら止めればよさそうなものだが、会計幹事を任されているので欠席する訳にもいかない。4月21日22日の土日で出掛けてきた。初日は富岡製糸場と碓氷めがね橋を見学し、翌日は上田城と北向観音を見学するというコースである。2日目のコースは4年前に個人で出掛けた場所なので私にとってはお浚いということになる。朝8時15分に新杉田駅前に集合し、30分に出発した。
何人か知らない顔もあったが同伴された奥様のようである。男性はほとんど知った顔である。出発する前からあちこちで冗談が飛び交い笑い声が起きていた。私も仲の良い社長の近くに座って配られた缶ビールで朝からいい気分である。天気は上々。車もスムーズである。会長さんの挨拶や添乗員さんの説明があったが、その後のガイドさんの話は全く見事なものだった。「よくもまぁ、次々と」というほどの話しぶりで「上手いものだなぁ」と聞き惚れていた。そのガイドさんが嬉しい話をしてくれた。
「今年の桜は3月末に開花宣言されましたが、咲いたと思う間もなくその3日後には満開を迎え、4月の声を聞くとともに散ってしまいました。お花見を予定していたのに出来なかったという方も多かったのではないでしょうか。これから向かう軽井沢ではちょうど今、ソメイヨシノの見頃を迎えております。花見をされなかった方には今回の旅は嬉しいものとなります。ご期待くださいませ」
3年前に開通した世界で2番目に長いという山手トンネルを抜け関越自動車道に入り、1回目のトイレ休憩場所の三芳パーキングエリアに到着した時には3本目4本目のビールを空けた人がいたというのだから皆さん上機嫌である(笑)。
                                 (平成30年作)




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虚子忌

虚子の忌の山門人を寄せ付けず



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「花祭り」だというのに訪ねたお寺で一度も花御堂を見ていない。もちろん甘茶も飲んでいない。宗派によるものだろうか、それとも他の理由からか。スマホで調べてみると寿福寺には花御堂があることが分かった。買い物の後で寄ってみることにした。寿福寺には高浜虚子の墓があり、その命日でもあり、年忌法要と虚子忌句会が行なわれると書かれていた。どんなものか一度覗いてみたかったので丁度よいと思った。しかし訪ねてみると山門に<関係者以外立ち入り禁止>の貼り紙がされていた。法要に呼ばれた人か、句会に参加する人か、正装した人だけが中に入っていく。年配の人がほとんどだが、中には若い人もいる。遊び着のままでは紛れ込む余地もない。仕方なく、虚子の墓と北条政子の墓にお参りして帰ってきた。
帰りの車の中で少し悔やんでいた。長谷寺などに行けば花御堂も甘茶もあることは分かっていたが、わざわざ混雑している場所に戻るのも敬遠された。車が杉本寺に差し掛かった時、なぜかここにはあるような気がした。昔、訪ねた時に見たような気がしたのである。拝観料を払ったあと急な石段を上る。山門に仁王像がある(写真)。運慶作だという。囲いのない状態にさらされていて本当に運慶なのだろうかとその扱いに疑問が湧く。
本堂に着くと花御堂が見えた。
「そうそう、これこれ」
すぐに靴を脱いで上がり、カズ君と一緒に正座して甘茶を掛けた。初めての体験である。掛け始めると面白くなったようで何度もやっている。本堂の右手のテーブルに甘茶が置いてあり、飲んでいる人がいる。一回りお参りをして、最後の楽しみということになる。左の仏像から順番にお参りしていったが、その数の多いこと。カズ君もしっかりお参りをした。ようやく甘茶に辿り着いた。ポットに入っていて自分で紙コップに注ぐらしい。<さて、いただこうか>と思って給湯口を押してみると何とも淋しい空の音がした。<さっきまで飲んでいた人がいたというのに>と思いながらも、御守りを売っている男性にポットを持って行って「もう空になっていますよ」と催促すると、何を思ったのか、甘茶を補充してくるのではなく、ちゃぶ台に貼ってあった<甘茶をどうぞ>の紙を剥がし、紙コップを片付けてしまったではないか。いやはや予期せぬ事態である。ようやく在りついたと思った甘茶が飲めない。カズ君に悪いことをしたと思ったその時、お客さんの一人が賽銭を投げて鰐口を鳴らしたではないか。
「オラ、あれやりてぇー!」
甘茶から鰐口に興味が移ったようである。
「よしよし、やり方を教えてやる。おーちゃんのやり方をよく見てろよ」
大人でもなかなか難しい鰐口であるが、何度かやって見事に打ち据えていた。駐車場の自販機で甘茶ならぬ緑茶を買って、鎌倉の旅を終えることにした。
                                 (平成30年作)




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花冷え

花冷えの小町通りに鈴を買ふ



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食事を終えて、娘が行きたいという北欧の小物の店まで歩くことにした。日曜日である。小町通りは混んでいた。ぶらぶらと歩きながら昔「浜風句会」で一緒だった小林真弓さんのことを思い出していた。とても美人で上品で俳句も上手だったので句会にはなくてはならない存在だったが、茨城県に引っ越すことになり途中で退会してしまった。その彼女が作った句「小町通りに鈴を買ふ」を思い出していたのである。今から18年前の平成12年1月に道川虹洋先生と一緒に鎌倉を吟行している。瑞泉寺や寿福寺などを回り小町通りも歩いている。その時に真弓さんが詠んだ句である。しかし上五が思い出せない。
「真弓さんは上五を何と詠んだのだろう?」
家に戻ってから真弓さんの句を調べてみた。彼女の句集「真珠雲」で確認したがこの句は載っていなかった。「浜風句会」を辞めたあと他の句会に移ったのでそちらで作った句を優先したようである。それではと「浜風句会」で作った合同句集を調べてみた。しかしこちらにも載っていなかった。
「???」
どうしたのだろう。私にとっては真弓さんの代表句のようにさえ思っている句なのに、どこにも残されていないというのはどういうことだろう。世の中に存在しない句ということになってしまう。それはないだろう、私が18年も覚えていたというのに……。
そこであの日吟行に持って行った私の手帳を調べてみた。そこにはあの時のメモがたくさん書かれている。途中で開いた句会での句も書かれていた。全員が3句ずつ出句していて、真弓さんも3句出句していた。しかしその中に「鈴を買ふ」の句はなかったのである。
「???」
こんなことがあるのだろうか。絶対に真弓さんがあの時に詠んだはずである。どうしたのだろう。と、思ったその時ようやくメモの中に「小町通りに土鈴買ふ」を見つけたのである。その日のメモの最後の一行である。上五はない。しかも鈴ではなく土鈴となっていた。吟行の最後、電車の中か居酒屋あたりで真弓さんが出した句かも知れない。それを私が勝手にメモしたようである。いいフレーズだなぁと思ってメモをしそれが頭の中に残っていたようである。今度お会いした時に聞いてみようと思う。どうして句集に載せなかったのか、上五は何と詠んだのか。本当に鈴を買ったのか。
そのままにもしておけないので、真弓さんの句ではあるが私だったらどう詠むかと考えて「花冷え」を置いてみた。小町通りに「花冷え」はよく似合うと思った。
                                 (平成30年作)




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春光

春光や混み合ふ古都のカフエテラス



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見終わって10時になっていた。朝は食べていない。
「よし、小町通りに行って何か食べよう」
「オー!」
「例のステーキ屋はやっているのか?」
「ステーキ屋じゃないよ。ブランチキッチンと言ってオシャレなカフェだよ。もうお店はやってると思うけど、別にそこでなくてもいいよ」
「俺もどこでもいいよ。ただ、あの餃子屋はいやだな」
「そうだね、あそこはちょっとね(笑)」
2、3年前のことである。同じように鎌倉に行きブランチキッチンに入ろうと訪ねたのだが長蛇の列が出来ていた。並ぶのを嫌ってその向かいにある餃子屋に入ったのである。鎌倉まで来て餃子はないだろうと思ったが普通の中華料理屋とは違ってオシャレな店である。餃子もこだわりがあるようなことが書かれていたので、ちょっと迷ったが入ってみた。まだ開店して日が浅いようで注文を取るのにも慣れていないような感じだった。お勧めの餃子もいいが、餃子ばかりでは物足りないので他のものも注文しようとしたが餃子以外は置いていないという。今はどうか知らないが、なにか貧しい食事をしたようなイメージが残っている。<あそこはちょっとね>の意味はその体験から来ている。
他の店を探そうとしても大体が11時開店である。小町通りを進むうちにすぐにブランチキッチンに到着した。
「空いてるね。人が並んでない」
「やってるのか?」
「大丈夫、9時からって書いてあった」
店に入るとすぐに店員が近づいてきて奥に案内してくれた。すでに何組かのお客が入っていた。オシャレな雰囲気である。案内された席が室内だったので<外でもいいのか>と聞くと喫煙席だという。なるほど、上手く区分されている。その席に座り渡されたメニューを開いた。いろいろな品物があるがどう選んでいいか分からない。モーニングの定番のようなものが並んでいる。こういうことは考えるより任せた方がいい。これとあれとそれと言うようにして妻が頼んでいたが、注文を終えた後に気付いた。<パンかライスか、聞かれなかったなぁ?>あえて聞かなかった。二人とも分かっているようである。どっちかが出てくるのだろう。出てきたものを食べればいい。出てきたのはパンだった。
<パンかよぉ。ライスの方が良かったなぁ>しかしここは諦めるしかない。<まぁいいか>取り敢えず食べてみよう。パンに手をやった瞬間である。妻に言われた。
「手で食べるものじゃないわよ。熱いから気を付けて」
「あちちちち……」
<二人はすでにここに来たことがあるに違いない>とその時、思った。
                                 (平成30年作)




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仏生会

錫杖の音はるかより仏生会



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次に向かったのが宝戒寺である。東勝寺橋から200メートルほどの場所に参道の入り口がある。9月下旬にはこの参道一面に白萩が咲き「萩の寺」としても有名だという。天台宗の寺なので本来は釈迦を祀るところだが木造地蔵菩薩座像を本尊としている。地蔵は死者を三途の川に導く死者救済の仏である。不遇な死を遂げた者を供養し、怨霊の退散を願うという。北条高時はじめ一門を紅蓮の炎の中に滅ぼし宿願を果した後醍醐天皇だが、北条一門の怨霊は鎮めなければならない。建武元年(1334年)足利尊氏に命じ、北条邸のあったこの場所に寺を建立したのである。
拝観料を納め本堂に進むと作務衣姿の寺男が「中に入ってお参りしてください」と声を掛けてくれた。普段なら賽銭箱の手前で拝んで終わるところだが、中へ入れと言われたのだから嬉しい限りである。さっそく靴を脱いで上がらせてもらった。右手にお守りが売られていた。いろいろなお守りがあったが、無患子(むくろじ)の実で出来た「無病御守」がこの寺ならではのもののようである。文字通り「患うことが無い」ということで寺の境内にある無患子の木に成った実を使っていると書かれていた。
御本尊の地蔵菩薩は立派な須弥壇に据えられていた。誰もいないので勝手に内陣の手前まで進み線香を付けてお参りさせてもらった。右手に錫杖を持っている。どこにでも杖を突いて出掛けて行くという意味である。左手には如意宝珠。どのような願いでも叶えてくれる持物である。右に梵天、左に帝釈天を従え、光り輝くように見えたものである。
外に出ると本堂の他にもいろいろな堂が建てられていた。秘仏である聖天様を祀った「大聖歓喜天堂」、聖徳太子を祀った「太子堂」、北条高時を祀った「徳崇大権現堂」などである。
本堂の横に水琴窟があった(写真)。柄杓で水を掛けると中から美しい音色が聞こえて来る。やってみせるとカズ君がその面白さに気付いた。初めは意味が分からなかったようだが一旦意味が分かると止められない面白さである。何度も水を掛けては小さな穴から聞こえる音に耳を澄ませていた。我々が他を見ている間じゅう水を掛けていたので、どうして水が無くならないのかと不思議になり、もう一度戻って構造を確かめたあたりは私も物好きである(笑)。
                                 (平成30年作)




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地獄の釜の蓋

のぞき見るやぐら地獄の釜の蓋



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最近のカズ君の興味は「妖怪」である。いつも分厚いガイドブックを眺めていて、もはや知らない妖怪はないというほどのレベルに達している。もちろん「がしゃどくろ」についてはページの細部まで暗記していて、野原で死んだ人や合戦で亡くなった人間の霊であり、人を見たら襲い掛かり、頭から食べてしまうということは知っている。
すなわち、「腹切りやぐら」の手前で「オラァ、行きたくネェー」が始まった。最近、幼稚園で悪い言葉づかいを覚えて来ている(笑)。言うことは生意気なのだが意外と意気地がない。それでもみんなが行くので付いて行くしかないようで「どこ、どこ?」と言いながら娘の手をしっかりと握っていた。
入口に看板が立てられていた。<霊処浄域につき参拝以外の立入を禁ず>である。<参拝以外って何だろう?>と思いながらも、結果、参拝を強く意識する看板となっている。腹切りやぐらまでの細い道を歩くと羊歯の葉が触れる。
「……」
心霊スポットかどうかは知らないが、血まみれの武将のブログを読んでいるだけに少し薄気味悪い。金縛りにあった女性のように何かを感じるのだろうか。やぐらの前に到達した。いつもなら<キャーッ!>などと言って驚かすところであるが<参拝以外の立入を禁ず>の場所である。冗談を言うような雰囲気ではない。カズ君はと言えば、やぐらが何だかは分からないようで、中に入って行きそうな勢いである。その前を飛び跳ねている。早々にお参りし、その場を立ち去ることにした。
やぐらを出て、東勝寺跡を金網越しに見て、先程の橋のところまで引き返した時、娘が言った。
「ちょっと寒かったよね」
「何が?」
「やぐらの前の道を歩いていた時に急に寒気がしたんだけど、私だけ?」
「寒さは感じなかったなぁ。却って暑いくらいだったよ(笑)」
「うそぉ~」
「本当だよ」
「……」
「もしかして……」
「やめてよ、もう!」
                                 (平成30年作)




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父子草

父子草川を隔てて敵味方



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車は「腹切りやぐら」に最も近いコインパーキングに停めた。一日1000円である。鎌倉八幡宮前の駐車場などは2時間2000円で以降30分毎に500円なので一日遊んでいたらいくらになるか分からない。少し離れただけで随分と違うものである。
駐車場のすぐ傍に「東勝寺橋」があった(写真)。この橋には逸話がある。執権北条時頼から時宗に至る40年間、幕府に仕え、引付衆(裁判官)としてその名を知られた青砥藤綱の話である。夜この橋を渡ろうとした時に銭10文を落としてしまった。これは大変なことをしてしまったと松明を求め、人を雇って50文を費やして10文を探した。人々は愚かなことをする人だと笑った。しかし藤綱は「10文は天下の宝、ここで失ってしまえば天下の大損。50文は人手に渡って生きているから天下の利。都合60文を生かしたことになる」と言ったそうである。一日1000円の駐車料金を喜んでいる場合ではない(笑)。

次に思い出す話は新田義貞と義父安藤聖秀とのやり取りである。義貞は北条の側近である聖秀の娘を妻に迎えている。それがこの戦いでは敵味方に分かれることになる。安部龍太郎の小説「義貞の旗」の中の一節である。
「聖秀どの、戦いの決着はすでにつきました。兵を解いて出てきてくれませんか」
「投降せよと申されるか」
「すでに幕府は滅びました。前途ある侍たちの命まで散らすことはないでしょう。安藤どのと我らの間には何の遺恨もないのですから」
「婿どののお気持ちは有り難い。だが我らは幕府の恩を受け、今日まで御家人として暮らして参った。その恩に報いるために命を捧げるのが我らの義じゃ」
「しかし幕府は大義を失い、多くの武士に見放されました。こうして滅ぶのはそのためではありませんか」
「それは貴殿らの理屈じゃ。この聖秀は幕府のご恩に報いるために命を捧げると常々覚悟してきたし、人にもそのように意見してきた。この期におよんでそれに背けば、一山国師の教えに背くことになる」
一山国師とは元から渡来して建長寺や円覚寺の住職をつとめた一山一寧のことだ。彼が伝えた朱子学は、言行一致や大義名分、性即理など、人の行動規範や実践を厳しく問うもので、鎌倉武士にも大きな影響を与えていた。
「それがしは婿どのの志が成ることを願って、この身を天に捧げよう。よいか婿どの、大切なのはこの世において銭や地位や名誉を得ることではない。本性のままに真っ直ぐに生きて、美しい生きざまを世に示すことじゃ。その第一歩は死を恐れぬこと。その覚悟のほどを、及ばずながらお目にかける」
聖秀は高紐を解き鎧の胴をはずすと、近習に目くばせして直垂の腹をくつろげた。
そうしておもむろに脇差を抜き放ち、
「方々、おいとまつかまつる」
軽く一礼して立ったまま腹を切った。
                                 (平成30年作)




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日永

いしぶみに読めぬ字を読む日永かな



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九品寺は新田義貞が建立した寺である。戦いが終わった3年後の建武3年(1336年)に義貞は戦没将士の霊を慰めるために本陣を置いたその場所に寺を建てたのである。入口にある山門の扁額「内裏山」と本堂に掲げられた「九品寺」の額は義貞の筆と伝えられている。
車は朝比奈峠を下り、鎌倉霊園を過ぎ、「岐れ道」の交差点の辺りまで来ていた。
「突き当りを左折して、そのまま真っ直ぐね」
「オッケー」
「九品寺は海の近くだから、どんどん進んで大丈夫だよ。寺のすぐ手前に『乱れ橋』という橋があるからそこで一枚写真を撮らせて」
「オッケー」
走りながら隣の妻に話をする。
「橋の名前がいいんだよ。稲村ケ崎から鎌倉に突入した義貞軍は海岸の砂浜に陣を構えるんだ。守る北条軍は丘の上に防御線を布いている。朝方、義貞軍が急襲すると北条軍は崩れていく。北条軍の陣が乱れたあたりなので『乱れ橋』と名付けたというんだ。いい名前だよねぇ」
「そう?それほどの名前にも思えないけど……」
「いや、いい名前だよ。橋だけではなくてその辺り一帯の地名にもなっていたそうなんだ。『乱れ橋1丁目』なんて何とも味わいのある名前だよなぁ」
そんな話をしているうちに九品寺が近づいてきて、いきなり通り越してしまった。
「あれっ?過ぎちゃった。寺の入口の横に駐車場が見えたよ。Uターン、Uターン。橋も通り越してしまったなぁ」
「橋なんてなかったと思うけど」
ひとまず戻って駐車場に入れ、私だけがお参りしてくることになった。山門になるほど立派な扁額が掛かっている。小さなお寺だが格式の高さが窺える。10分程見てお参りしてから車に戻り、引き返すことにした。
「今度は見逃さないでね」
「本当にあったかなぁ?」
戻ってみるとやはり橋はなく、道路沿いに少し傾いた碑が建っているだけだった(写真)。川もなかったが、向かいに細い水路のようなものがあり、それが川の名残りかと思った。
                                 (平成30年作)




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