2018年04月の記事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


2018年04月の記事

木の芽

もののふの都までいざ木の芽道



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七里ヶ浜を訪ねた「春分の日」から2週間ほど経ったので、そろそろ「腹切りやぐら」を見に行こうと思っていた。家族にこの写真を添付してメールを送った。
「腹切りやぐらに祀られている北条高時です。NHKの大河ドラマでは片岡鶴太郎が演じました。今週の日曜日に鎌倉に行ってきます」
すると娘から嬉しいメールが入った。
「行くか……」
すかさず畳み掛けるメールを打つ。
「小町通りで美味しい店に入ろうよ。その日は『花祭り』で美味しい甘茶も飲めるよ」
「小町通りは混んでるからなぁ。早めに出ようよ」
「オッケー」
「ブランチキッチンでサーロインステーキランチを食べたあと、北欧雑貨の店で買い物をしたい」
「ステーキランチ、予約しておいてよ」
「ランチは予約できないんだよ」
「あっそう、店の前に並ぶのもいいかも(笑)」
上機嫌である。一人旅も楽しいが、みんなで出掛ける旅はさらに楽しい。

4月8日(日)天気は上々である。朝8時に家を出た。運転は娘である。助手席に孫のカズ君が座り、隣には妻が座る。
「最初はどこに行くの?」と娘。
「行きたい所は2カ所あるんだけど、最初に腹切りやぐらを見てしまうと、車を停めて移動して、さらにまた移動ということになるんだよなぁ、どうしようかなぁ」
「任せるよ。道案内、お願いします」
「よし、最初に九品寺に行こう。そのあと同じ道を戻ることになるけど、駐車は一回で済むのでその方がいいだろう。小町通りにも歩いて行けるから、そうしよう!」
「オッケー」
                                 (平成30年作)




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山笑ふ

ぶら下がるものの多くて山笑ふ



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「この背中の痛みはなんだろう?」と思っていたところに、たまたまお得意様から送られてきた社内報の記事が目に留まった。名前と顔写真があり、社員一人一人の近況が書かれている。その中の一人の男性がこんなことを書いていた。
「昭和の遺産である『ぶらさがり健康器』がマイブームです。最近のものは進化していて、なんと最初から物干し竿が掛けられる仕様になっています。そんなこんなで、今日も洗濯物に負けず、懸垂に励んでいます」
<この痛み、ぶらさがり健康器で治るかもしれない>
なぜそう思ったのかは私のただの思い付きである。押すばかりでなく、引っ張ってみるのがいいような気がした。背中の痛みを抱えていると何でもそれに関連付けて考えてしまうようである。インターネットで調べてみると、なるほど、いろいろな健康器があった。記事の通り、物干しの機能が付いた物もあった(写真)。さっそく、家族にメールを入れてみた。もちろん写真も添付している。
私「大発見!物干し機能付きぶら下がり健康器。これはいい。感動した。体力づくりにはこれしかない!」
次女「スーツ掛けにはいいんじゃない(笑)」
私「昔に比べれば物凄く進化していると思う」
次女「進化してるの?これが。何の進化かは知らないけど、絶対に買わないでよ(笑)」
長女「(大爆笑)便利!でも絶対に欲しくない!」
世代間ギャップというのだろうか。あのブームを知らない世代である。1台あれば本当に便利だと思った。分かってくれるかも知れないただ一人の人の意見はどうだろうか。あれから数日経っているが肝心の妻からのメールは未だ届いていない(笑)。

日曜日、近くの公園に出掛けてみた。鉄棒にぶら下がってみようと思ったのである。昔に比べれば体重が増えている。若い頃からは20キロ近く増えているので、懸垂が出来るかどうか試してみたかったのである。自分のイメージでは2、3回は出来ると思っていた。それを5回、10回と増やしていけば筋力トレーニングになると思った。跳び付かなければ届かない一番高い鉄棒は避けて、手を伸ばせば届く二番目の高さの鉄棒に掴まってぶら下がってみた。棒を握って足を浮かせてみた。
「お、お、お、おー!」
物凄い引力である。腕が抜けそうに思った。いきなり呼吸困難に陥りそうに感じた。ぶら下がっているのが精一杯で、すぐに足を地に着けた。
<まずい……>
相当に体力が落ちている。2、3回どころか1回も出来ない。ぶら下がってもいられない。
<……>
基礎体力を付けよう。ぶら下がり健康器どころではない。もし買ったとしたら、その日から物干し専用になっていたに違いない。「ぶら下がり健康器がマイブーム」と書いていた男性の顔が目に浮かんだ。
                                 (平成30年作)




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春炬燵

それぞれに用を持ち寄り春炬燵



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ニトリに座椅子を見に行った。いつも使っていたものが壊れたからである。コーナーに行くといろいろな座椅子が並んでいた。座ってみて選んだのがこの商品である(写真)。中にクッションが入っていて座り心地が良いように思えた。妻は店では買わずにインターネットで買うという。その方が手続きが楽なのだそうだ。数日後、商品が届いた。妻が座ってみて気に入っている。「あなたも使うなら買うけど?」と聞かれて「お願いします」と答えた。きっとクッションがいいのだろう。しばらくして家に2台の座椅子が並んだ。座ってみて思ったのが「少し高いなぁ」である。厚みが15㎝ほどあるので、床に座るというより一段上に座った感じがする。炬燵に足を入れても床に足が付かないので、暖かさを感じるのは踵ばかりである。床に足を付けて全体を暖めるためには座椅子を降りて足を伸ばさなければならない。その15㎝の厚み部分が背凭れになるという不思議な使い方である。良かれと思って買ったので文句も言えないが、少々座りにくいと思った。「そのうち暖かくなれば、この座椅子の良さも分かってくるだろう」と思うことにした。

日曜日の午後、この座椅子に座りながら本を読んでいた。そしていつの間にか居眠りをしてしまった。背凭れのリクライニング機能を使えば良かったのだが、考える間もなく寝てしまったので不自然な姿勢を長時間続けていたようである。寝て起きた時はそれほどでもなかったが、翌日身体のあちこちが痛いことに気付いた。右肩から肩甲骨、右の背中が痛い。首も痛い。何だろう?懸命に腕を回して見たり、首を回したりしたものである。背中の痛みを何とか和らげようと机の角やドアノブに押し当てたりもした。家では風呂に入った後、湿布やマッサージチェアに掛かったりして人知れず苦労をしていたのである。その時はまだ「寝違え」とは気付いていなかった。
                                 (平成30年作)




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淡雪

淡雪や行き来途絶えし化粧坂



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日野俊基のお墓を見て卿を祀る葛原が岡神社に参拝したあと「化粧坂」へと向かった。雪は激しくなっていたが、車の運転に支障が出るほどではないようである。神社からどれ位歩くか分からなかったが、車での移動は止めておいた。上って来た道を戻り、看板の矢印に従って歩いて行った。下りきった場所に公園管理棟のような小屋があり化粧坂まであと数メートルの表示があった。
「えっ!ここ?」
下に降りて行く急坂である。しかも細い。人ひとり、すれ違うのもどうかと思えるような坂である。私のイメージしていた「切通し」は稲村ケ崎から来るときに通った「極楽寺坂」のイメージである。新田義貞が本陣を構え、鎌倉突入を試みた場所である。巨大な軍勢がいたはずである。「太平記」には義貞軍50万7000余騎と書かれているが、これはさすがに誇張したものだろう。しかし、それにしてもである。これでは軍勢が攻め立てるというような場所ではない。何かの間違いではないだろうかと思った。まずは降りてみることにした。足元に気を付けなければならない。雪も一層激しくなっている。少し行った所に「通行止め」の看板が立てられていた。工事中のようである。そこから下を見ると民家の屋根が見えた。すごく近い。
「えっ!これだけ?馬も通れないじゃん」
狐に摘ままれるとはこのことである。想像とあまりに掛け離れていた。雪が激しくなってきたのでそそくさと写真だけは撮って戻ることにして帰ってから調べようと思った。どういうことだろう。安部龍太郎の「義貞の旗」には義貞軍は総勢10万ちかくと書かれていた。横浜スタジアムの収容人数が3万人である。その何倍もの人数が源氏山公園の辺りに集合し鎌倉に入ろうとするのに、あの坂道から入るなどということがあるだろうか。歴史はこれだから面白いと思った。
駐車場に戻り、次の目的地「腹切りやぐら」に向かうことにしたが、どうしようかと迷っていた。何のために来たかを考えれば当然見ておきたいところではあるが、何もこの雪の中で見る必要もない。日を改めて出直したほうが良いような気がした。車を走らせながら、途中「腹切りやぐら」を指す看板の前を通ったが、それどころではないほどの雪になっていた。
                                 (平成30年作)    




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落椿

消ゆる身に残る恨みぞ落椿



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「銭洗い弁天」の前の急坂を上がるとすぐに「葛原が岡神社」の駐車場に到着した。ここは鎌倉時代の公卿日野俊基を祀った神社である。行きたい場所は「化粧坂」だが、そのすぐ近くである。雪は本降りになっていた。駐車場の先は崖になっていて谷底のように見えたが、そこに吸い込まれていく雪の美しさにはしばし心奪われたものである。まずは俊基卿のお墓をお参りすることにした。小説を読んだばかりなのでその斬首されるシーンはよく覚えている。新田義貞によって鎌倉幕府が滅亡する11ヵ月前の1332年(元弘2年)6月3日の出来事である。「私本太平記」(吉川英治著)には次のように書かれている。

一人の男が飛び出してきた。
「北の方さまのお文をたずさえ、最期の様子を見たてまつらんと、はるばる都から下ってまいりました。弁ノ殿に一目お会わせくだされ」
執行役である工藤高景はそれを許した。
「長いことは相ならんぞ。寸刻は許す。名残りを惜しめ」
「……おっ、助光か」
筵に据えられた俊基は、よほど意外だったらしく、いかにもうれしそうだった。
「奥方は無事か。病みもせず暮らしているか」
「は、はい……とまれ、ご無事ではいらっしゃいます。こ、これが北の方さまからのお文にござりまする」
何の人前がと、俊基は見得もなくそれをむさぼり読んだ。
「硯を。……工藤どの、硯を貸して給われい」
硯に向かい、俊基は添え小刀を取って一握りの髪を切り、それを妻の文殻にくるんで助光に託し、懐紙へこう偈をしたためた。
<古来ノ一句、死モ無シ生モ無シ、万里雲尽テ、長江水清シ>
「助光、ゆめ、虚勢ではない。わしの心は今この通りだ。かくの如き姿で逝ったと小右京には告げてくれよ。はやこの期だ。言い置くことはない。……ただ倖せに過ごせとな。お汝にも……あとをたのむぞ。たのみおくぞ」
頭上で音がした。びゅっと、素振りした太刀把りの太刀先から飛んだ露の水玉が、俊基の体の外をまず斬った。
「弁ノ殿、およろしいか」
「いつでも」
彼は、鬢の毛をなであげて、白い項を素直に伸ばした。

小説の本文にはなかったが、辞世の歌が伝えられている。
<秋を待たで葛原が岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん>
                                 (平成30年作)




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麗か

仇敵が時を隔ててうららかに



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新田義貞に興味を持ったのはつい最近である。2ヵ月ほど前の夕方、工場にトラックが入っていた。見ると群馬ナンバーである。運転手さんに声を掛けた。
「群馬から来たの?」
「そうです。製品を引き取りに来ました」
「群馬のどこ?」
「玉村町という所です」
「聞いたことないね。高崎の近く?」
「その手前です。藤岡インターで降りて10分くらいの所です」
「ああ、〇〇さんか。いつも有難うございます。社長さんには本当に良くしてもらっています」
「こちらこそ、いつもお世話になっています」
もう10年以上も仕事を頂いているお客さんである。
「これから帰るんじゃ、9時過ぎるねぇ」
「道が混まないので遅い方がいいですよ(笑)」
などと言いながら話が始まった。私の妻が高崎の出身なので群馬県にはすぐに反応してしまうのである。しかも藤岡インターは高崎に行くたびにいつも降りる場所である。どのコースで帰るのかなどの話になりながら、どういう訳か、太田市、足利市の話になり、足利市から足利尊氏へと話が続いていったのである。
「太田は群馬ですが、足利は栃木です。だから僕は昔から新田義貞のファンで、足利尊氏は好きじゃありません」
「???」
わわわ、慌てた。話に付いて行けなかった。全然、調べていなかった。恥かしい~。
彼と別れてからすぐに新田、足利を調べたことは言うまでもない。鎌倉幕府を倒した立役者、南北朝の敵同士。
<よし、今度の墓参りの後は太田市、足利市の見学だ!その前にいろいろ調べておこう>
以前買って本棚に入れっぱなしになっていた吉川英治の「私本太平記」を読み、新田次郎の「新田義貞」を買い、「義貞の旗」が今届いたところである。墓参りの前に鎌倉を訪ねることになってしまったが、近いうちに出掛けることになるだろう。その時は一泊してあの辺りの所縁の場所を見てこようと思ったのである。
                                 (平成30年作)




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春の雨

鎌倉を掘れば人骨春の雨



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次に向かったのが「化粧坂(けわいざか)」である。新田義貞が弟脇屋義助と共に鎌倉攻めを試みた切通しである。源氏山公園の傍にあるというのでカーナビにセットして出発した。車を走らせてすぐに「十一人塚」の碑の前を通った。細い道ではあったが車を停めた。骨董品屋のような店があったのでその前に車を寄せて道幅を確保した。江ノ電の線路のすぐ手前である。「十一人塚」は極楽寺坂を攻めた新田軍の武将大館宗氏らを埋葬して建てたものである。碑の後ろに墓があったのでお参りした。その横に「十一人塚」とは別の説明文が書かれていた。「鎌倉時代の出土人骨の埋葬について」である。
「昭和34年晩秋、極楽寺橋付近の造成現場で、鎌倉時代末期の武士のものと見られる多数の人骨が発見されました。発掘調査の後、鎌倉時代の人々を知るための貴重な研究資料として、その多くは東京大学人類学教室に運ばれました。一部は、地域の人によって左手の丸い石の下に埋葬されたことが、当時を知る人から伝えられ、その経過を記録として残すために本記録板を建てました」というものである。なるほど、鎌倉で人骨が発見された話は何度か聞いたことがあったが、これだけの戦いをしていれば人骨が出土されたとしても不思議ではない。今でもあちこちに埋まっているかも知れない。そんなことを思っている時に車のクラクションが鳴らされた。
「俺の車か?」
すぐに見に行くと案の定、私の車の前で2台の車が向き合い、踏切を越えてきた車がその後ろに付いている。私の車と同じ方向を向いた車が強引に進入したらしい。しかも若い女性である。戻れずに止まったままになっていた。運転席の女性に声を掛けた。
「私の車を少し前に出しますので、後ろに戻れますか?」
「はい、お願いします。済みません」
無理に侵入した女性が悪いのか、停めた私が悪いのか。覚束ない運転の女性がバックして事なきを得た。片足は裸足だし、クラクションは鳴らされるし、朝からあまりいいことがない。
市内に入りコンビニで靴下を買った。どれでもいいやと思って選んだのだが、よく見ると女性用となっていた。妙に薄手で履いた気がしなかったが濡れているよりは余程いい。コンビニの女性も教えてくれたらよかったのにと思ったが、男用女用には気が付かなかったかも知れない。フロントガラスの雨が雪に変わった。<まさか、鎌倉で雪とはなぁ>と思いながらも、化粧坂へ向かって車を動かした。
                                 (平成30年作)




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彼岸潮

義貞が太刀の行方や彼岸潮



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その週の土日は予定が入っていたので、21日(水)「春分の日」彼岸の中日に鎌倉を訪ねることにした。当日の天気予報は雨である。新田義貞が鎌倉攻めを行なった日に雨が降っていたという記述はなかったが、「腹切りやぐら」を見学するのには雨もよいかと思ったのである。見たい場所は何ヶ所もあった。最初に行くところは義貞が鎌倉に攻め入った場所にしたいと思っていた。「腹切りやぐら」は攻め入った後のことなので見学するのも後にすることにした。朝7時に家を出て最初の目的地を「稲村ケ崎」とした。車のメーターでは外気温は4℃となっていた。

新田義貞が上野国(今の群馬県太田市)の生品神社で鎌倉幕府打倒の兵を挙げたのが元弘3年(1333年)5月8日(新暦の6月20日)である。その10日後の18日に鎌倉に到達し、すぐさま軍勢を三つに分け、巨福呂坂、極楽寺坂、化粧坂の切通しから攻め立てたのである。しかし幕府側の守りも固く三か所とも難攻したようである。極楽寺坂攻めを担当していた大館宗氏が戦死したため、中央の化粧坂を攻めていた義貞が援軍を引き連れて本陣を移動した。21日の夜である。有名な「龍神の奇跡」が起こる。
「義貞は馬より降りて冑を脱ぎ、海上を遥々と伏し拝んで龍神に向かって祈誓した。『潮を万里の外に退き、道を三軍の陣に開きたまえ』そして帯刀していた黄金の太刀を抜いて海中へ投じたのである。その夜明けに潮は二十余里干上がり、敵方の舟は遠く沖へと離れていた。不思議なことはあるものだ。義貞は軍勢を引き連れて鎌倉へ攻め入ったのであった」(太平記「稲村崎干潟となる事」より)

7時50分に到着し車を駐車場に入れた。横断歩道を渡って誰もいない稲村ケ崎公園を訪ねた。いろいろな碑が建っていた。傘を差しながらその一つ一つを読んでいった。稲村ケ崎の突端の写真を撮りたかったので、階段を下りて岩場へと向かった。鎌倉攻めの軍勢が渡った場所である。海は荒れていた。波が砕けて飛沫を上げている。いいアングルで撮ろうとするとどうしても波打ち際まで近寄らざるを得ない。飛沫を浴びないギリギリまで近づいてこの一枚を得た。撮り終えてホッとした所で大きな波が来て飛沫が上がった。掛かってはいけないと後ずさりした時に左足を潮溜まりに入れてしまった。ちょうど足の大きさほどの穴が開いていたのである。
「冷めテー!」
スニカーも靴下もズボンの下の方もビショビショである。どうしようかと思ったがどうしようもない。そのまま歩いて公園まで戻り上の見晴らし台まで登って戻ってきた。車の中で靴下を脱いだが、片足だけが裸足というのも不思議な感覚である。朝4℃だった外気温が1℃まで下がっていた。
                                 (平成30年作)




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朧夜

朧夜や墓場の陰にがしゃどくろ



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家での会話である。
私「今度の日曜日に鎌倉に行こうよ」
妻「いやだなぁ、貴方と行く日はいつも土日だから。わざわざ一番混んでいる日を選んで出掛けるみたい(笑)」
私「大丈夫だよ、日曜日でも人の行かない所に行くんだから(笑)」
娘「どこどこ?」
私「腹切りやぐらだよ」
妻「なんでそんな所に行かなくちゃならないの?」
私「新田義貞だよ。今、鎌倉幕府滅亡のあたりを読んでいるから(笑)」
娘「腹切りやぐらって、誰が切腹したの?」
私「北条高時、鎌倉幕府最後の執権だよ。その他北条一族283名ほか家臣合せて総勢870名」
娘「凄い!」
私「誰も行かないようなひっそりとした場所にあるみたいだよ」

そのあとの私の話を二人とも黙って聞いてくれていたのには感謝するばかりである。
私「腹切りやぐらを調べていたら、あるブログを見つけたんだけど、それが凄いんだよ。新婚旅行でそこを訪ねたご夫婦の話なんだけど、ご主人の方は何でもないんだけど、奥さんの方がやぐらの前で異様な体験をしてしまうんだ。ほんの数分いただけなのに不気味なものを感じたようで『気味が悪いので早く帰ろうよ』と言っている傍から近くにカシャカシャという甲冑の音が聞こえてきた。その音が奥さんの方に近づいてきたという。『早く逃げなければ』と思った瞬間、草ヤブの中に動くものを見つける。何人もの傷ついた武士達が苦しそうな表情でこちらを見ているではないか。『キャー!』逃げようとして振り向くと目に前に血まみれの武将が立っていた。『ヒィー!』恐怖のあまり走り出した。やぐらの前から一目散に逃げ出したそうだ。ご主人は奥さんの名を呼びながら追いかけてきたという。
ホテルまで辿り着いてようやく『助かった……』と胸を撫で下ろしたが、話はそこで終わらない。ホッとしてベッドで横になり疲れて寝てしまったそうなんだけど、しばらくして目が覚めると何者かが上に乗っているような感じがする。金縛りに掛かったようで声も出ない。何者かが両足を掴んでベッドの端に引っ張っていこうとしている。見るとさっきの武将が物凄い形相で自分を引き摺り込もうとしている。『なぜ、お前だけが生きているんだ』と言っているという。たくさんの武士達もベッドの周りを取り囲んで睨んでいるという。恐怖のあまり気を失ってしまう。朝が来て目が覚めて『あれは夢だったんだろうか』と思ったがそれは夢ではなかった。その証拠に掴まれた足に人の手の形をした痣が残っていたというんだ。こんな話なんだけど……」
娘「私は行かない(笑)」
                                 (平成30年作)




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春眠

うなされもして春眠も半ばなり



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楽しみにしていたバスケットボールの試合だが直前になってキャンセルのメールが入った。
「おーちゃん、25日の話なんだけど……練習を休んでビーコルに行こうと思ってたんだけど、どうやら新年度のキャプテンが決まる大事な日になるみたいで練習を休めなくなってしまいそう。申し訳ないんだけど、ドタキャンしてもいいかな?ごめんなさい」
夜中のメールだったので開いたのは朝である。すぐに返事をした。
「昨夜は悪夢にうなされました。シュートが決まらず焦っている夢でした。頑張って一人で行ってきます」
「おーちゃん、ごめんね……」

当日、試合は午後2時からと書かれていたので、昼過ぎに車で出掛けた。もちろん一人である。チケットを送ってくれた友人に「行かなかった」とも言えなかったので、ちょっと覗いてくる感覚である。駐車場はいくつかあるようで満車の表示も出ていた。結構混んでいるようである。1時半に到着した。<席はどこか>と尋ねると<自由席だからどこでもどうぞ>と言われる。てっきり指定席かと思っていたので少し拍子抜けした。それにしても立派な体育館である。前の方の席に座って練習風景などを見ていたが、すぐにビールが飲みたくなった。売店に買いに行った。ビールはもちろんだがいろいろなグッズが売られている。写真を撮って席に戻って、また娘にメールした。
「いろんな物が売ってるよ。何か要らないの?」
「おー!ほんとに行ったの!凄い行動力!Tシャツ欲しいけどSサイズでもまだ大きいんだよね。タオルが欲しいかな」
「オッケー」
「おーちゃん、試合の見方、分かるの?」
「加点は2点ずつみたいだなぁ」
「(大笑)遠くからシュートが決まったら3点」
「えっ!遠くって曖昧だなぁ」
「線は決まってるよ。外側の大きな半円だよ」
「まぁ大丈夫だよ。細かいことは気にしないタイプだから(笑)」
「サイズないだろうから、要らないよ」
「オッケー、気が向いたら買っていくよ」
夕方のメールである。
「おーちゃん、今日はビーコルをドタキャンしてごめんね。今日の練習で今年のソサエティ女子のキャプテンになつが選ばれました。4番を背負って1年間頑張ります。応援に来てね。本当にごめんね」
                                 (平成30年作)




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暖か

孫に会ふただそれだけで暖かし



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取引先の経理部長から電話が入った。友達である。
「日向さん、バスケットボールの試合を見に行かない?」
「ナニナニ、バスケットボール?プロの試合なの?」
「そう、ビー・コルセアーズって知ってるでしょう?」
「コルセーズ?」
「違うよ、横浜ビー・コルセアーズだよ」
「聞いたことないよ。何なのそれ?」
「チームの名前だよ。チケット2枚あるので行くなら送ろうかと思って」
「行く、行く。どこでやっているの?」
「北山田。行ける日は3日ほどあるから選べばいいよ」
「どこ?」
「北山田にある地区センターだよ」
「まぁ、調べますわ。有難うございます。楽しんできます」
後日チケットが送られてきた。お礼の電話を入れ、場所の確認をし、日時も確かめた。それからすぐに娘にチケットの写真を送った。実は娘一家はバスケ一家なのである。家族揃って明けても暮れてもバスケバスケなのである。
「今度、ビーコルに行くけど何か買ってくる物ある?」
「えっ!ビーコルに?おーちゃんが!」
「チケットをもらってしまったんだよ」
「へぇ~、いつ?」
「3日間のうち、いつでもいい時にと言っていたなぁ。これでなっちゃんとバスケの話で盛り上がれるなぁ(笑)」
しばらくして娘から写真が送られてきた。同じチケットが5枚写っている。
「うちも持ってるよ(笑)」
「どうしたの?買ったの?」
「もらったんだ~」
「同じ日?」
「いつでも行けるみたい」
「じゃ、一緒に行こうよ」
「日にちを確認してみるね」
「3月25日の日曜日にしようよ」
「オッケー。その日は大丈夫。行こう!」
「ダンクシュート!」
                                 (平成30年作)




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蕎麦掻き

蕎麦掻きの後引く酒となりにけり



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「秋谷亭あらき」で食べた蕎麦掻きが忘れられず、自宅で作ってみることにした。妻に話したが信じてもらえなかったようで、スーパーで蕎麦粉を買って来たのを見て初めて私の本気度が分かったようである。
「さぁ、やってみるか!」
「待って、待って、ちゃんと作り方を調べたの?」
「蕎麦粉に熱湯を注いで捏ねるだけだって言ってたよ。蕎麦屋で教えてもらった」
「いろんなやり方があるみたいだから、調べてからやった方がいいよ」
ということで、インターネットで作り方を調べてみた。なるほど、作り方は様々なようである。大きく分けて<お椀に入れて熱湯を注ぐ方法>と<鍋に水を入れて温めていく方法>があるようだ。泡立て器を使うなどとも書かれていたが、そこまでは必要ない気がした。
「鍋を使う方法で作ってみよう。スリコギとヘラはあるの?」
「あるけど。それよりまず分量とかは調べたの?」
「この袋1袋で280gだから、これでいいんじゃないかなぁ?蕎麦屋で食べた時にこれ位あったような気がする」
「こんなに食べられる訳ないじゃない!凄い量になっちゃうよ」
「レシピには100gって書いてあったなぁ、あれ一人分かなぁ」
「それ位がいいわよ。上手くいくかどうかも分からないっていうのに……」
「100gと言ったって、きちんと計れる訳でもないし……」
「計量器があります。分量は大切だよ。適当にやったら絶対に上手くいかないから」
カップに蕎麦粉を入れる。計量器で計る。1回で100g入れようとすると溢れるので50g2回に分ける。最初の蕎麦粉が52gだった。次は48gである。45、46、47と微量を入れてピッタリの48gを目指す。
「そこまでピッタリにする必要があるかなぁ」
妻が隣でつぶやいている。
ガス台の火の点け方を教わりいよいよ開始である。弱火にして水を270cc入れる。これも計量した。粉を入れる。スリコギで混ぜる。いい感じである。スマホで写す。捏ねる。ダマダマをつぶす。粘りが出てくる。本当に店で食べたと同じような色になってきた。またスマホで写す。ワワワ、焦げそう!火の止め方を教わっていない。ワー!(鍋を持ち上げるということに気が付かない)火を止めてもらって何とか完成した。器に盛る。出来上がり。醤油の小皿も用意して写真を撮る。
「何をやってるの。やめて、みっともないから」
「何が?」
「盛り付けがひどいよ。汚過ぎるよ。それになに?そのワサビの出し方。あり得ない!!!」
ミミズのように出した1本のワサビを妻が丸く形を整えてくれた(写真)。
                                (平成30年作)




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流し雛

雛流す舟の傾ぎて曳かれをり



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浜には大勢の人が詰め掛けていた。神事を執り行う場所には注連が張られ中には入られないようにはなっていたが、その周りは人人人である。私は浜の人混みを避けて堤防の方へ回ることにした。さすがに座る場所はなかったが、遠くから浜の様子を見ることが出来た。神主が中央で御幣を振っている。人の陰になってよくは見えないが雛流しの前の神事のようである。それにしてもなぜ3月3日の「雛祭り」の日に「雛流し」なのだろう。由来を調べてみた。
元々は中国の「上巳節」という行事が起源のようである。季節の変り目には邪気がやってくると考えられていて、3月上旬に水を使った厄払いをする習慣があった。この行事が平安時代に日本に伝わり、3月3日に「上巳のお祓い」が行なわれるようになった。藁や紙でできた人型の人形で自分の身体を撫でて穢れを移し、川へ流すことで身を清めるというものである。これが「雛流し」の原型だという。インターネットで「雛流し」と調べてみると「淡島神社」が出てくる。横須賀の淡島神社ではなく和歌山県和歌山市加太にある淡島神社である。全国に1000社余りあるという淡島神社、粟島神社、淡路神社の総本社である。起源は神話の頃まで遡る。婦人病を始め、安産、子授けなど女性に関するものを祈願する神社となっており、人形供養の神社としても有名のようである。その数2万体とも言われる人形が奉納されているという。その風習をこの横須賀芦名の淡島神社でも受け継いだようである。
30分ほど続いた神事が終わり、いよいよ雛流しである。沖で待機していた船が岸に近づき、乗り込むためのハシゴが渡された。神主が乗り込み、巫女さんも乗り込む。進次郎代議士も乗り込み、船は満杯状態である。人形を乗せた舟は男性が海に入って静かに浮かべた。舟の先端に紐が付いていて先導する船の艫に座った男性が引く役目である。モーターが回り船が進む。男性が紐を引く。しかし思うように舟の向きが変わってくれない。船の位置を変えるなどして慎重に引っ張っている。昨年の転覆を思ったのかも知れない。行きたがらない人形の思いがそうさせているのかと思った。
辺りは夕暮れてきた。浜の夕暮れは寂しい。人がこんなにいるのにと思いながらも、暮れて行く浜は寂しいものである。船が沖に出て大きく右に曲ったところで帰路に付くことにした。
                                 (平成30年作)




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