2017年12月の記事 - ひこばえ
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Author:日向 亮司
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ひこばえ


2017年12月の記事

鍋焼

鍋焼の汁のこぼれて届きけり



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家に帰って私が最初にしたことはアマゾンで直木三十五の本を買うことである。彼が書いた本ではなく、彼の一生が分かる本である。たまたま「直木三十五伝」(植木鞆音著)という本があったのですぐに注文した。そもそも芥川龍之介の「芥川賞」は分かるが、直木三十五の「直木賞」は分かりづらい。<そんなに有名な作家だったのだろうか?>である。どんな人だったのだろう。いい機会なので調べてみることにした。

直木三十五は明治24年大阪の生まれで、昭和9年に43才で亡くなっている。昭和5年に「南国太平記」を発表し一躍ベストセラー作家になる。幕末の薩摩藩のお家騒動、いわゆるお由良騒動を描いたものである。しかしウィキペディアを読む限りでは良いことが書かれていない。「直木とマキノ省三」という章には次のように書かれている。
『直木は三十三と名乗っていたころ、マキノ省三の家に居候していた。当時中学生だったマキノ雅弘は、なぜ直木が家にいるのか分からなかった。(中略)このころ直木は朝から晩まで着物をぞろりとひっかけるように着て、マキノ雅弘をつかまえると「おい、マサ公」と決まって用をいいつけた。金もないのに「スリーキャッスル(煙草)を買ってこい」といい、「おっさん、金がない」と答えると「盗んで来いッ!」と怒鳴るような人物だった。(中略)直木は大正14年に映画製作に乗り出した。資金は全てマキノ省三に出させていた。映画人からは「作家ゴロ」「映画ゴロ」と陰口をたたかれ、マキノ雅弘は「直木三十五って男は活動屋のブローカーになり下がった奴で、金が欲しいだけで何も書かない作家だ」と人から教えてもらったという』

また次のようなエピソードが残っている。
ある日、直木の家に何人もの借金取りが押しかけて来た。
「今日こそは、どうしても返済してもらいますよ」と詰め寄った。
しかし何をどう責められようと彼はひたすら沈黙し、ダンマリを決め込む。
「利子だけでも頼みますよ」と言われても馬耳東風を貫く。
やがて借金取りの方が疲れて一人二人と帰って行き、粘り強い三人となった時にとうとう直木が口を開く。
「腹が減った。金を貸してくれないか。何か食おう!」
<人を馬鹿にするのも程がある>と怒ってそのうちの二人が去って行ったが、最後に残った一人がウドンを注文して一緒に食べたそうである。
                                 (平成29年作)

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