2017年05月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2017年05月の記事

初夏

山越えていざ鎌倉へ初夏の旅



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いつものゴールデンウィークならとっくに計画を立てて旅館の手配も済ませているところだが、今回はなぜかボンヤリしていた。気が付いた時には宿に空きがないという状態である。
「これから探してどこか行くところがあるだろうか」
はじめは平将門を訪ねる旅を考えたのだが、性格がせっかちでゴールデンウィークまで待てずに出掛けてしまったのだから仕方ない。そこで考えたのが自宅から出掛けられる三浦半島探訪の旅である。三浦一族の歴史を調べ、ゆかりの場所を訪ねてみようと思ったのである。1ヵ月ほど掛けていろいろな本を読み、一族の歴史の概略を頭に入れて計画を立ててみた。読んだ本は次の通りである。永井路子「執念の家譜」中村豊郎「砕けて後は、もとの土くれ」伊東潤「疾き雲のごとく」司馬遼太郎「街道をゆく(三浦半島記)」等々。

三浦一族の始まりは平安時代中期に遡る。元々は桓武天皇のひ孫「高望王」を祖とする桓武平氏の武士であった。永承6年(1051年)奥州に起きた「前九年の役」で源頼義に従い参陣した平為通がその論功行賞で相模国三浦の地を与えられ、その時三浦為通と三浦姓を名乗ったのが始まりである。為通は衣笠城を築きそこを居城とした。以後一貫して源氏の郎党となり、やがて三浦義明の代となり勢力を拡大する。「保元平治の乱」や頼朝挙兵、平家追討、義経追討、そして奥州合戦には義明の子や孫達が参戦し鎌倉幕府樹立に貢献していく。鎌倉に近いという地の利を活かして頼朝の信頼厚く幕府に重きを成していく。源氏三代の時に一族は絶頂期を迎える。しかしその後、北条氏による有力御家人粛清の対象とされ、次々と一族が滅ぼされていく。宝治元年(1247年)の「宝治合戦」では一族全てが北条氏との戦いで滅ぼされる。一族の歴史はそこで一旦途絶えたかに見えたが、分家の佐原盛時だけが生き残る。一族でありながら北条側に加勢し、合戦ののち三浦介の名を継ぐことを許され三浦半島南部を領有したのである。鎌倉末期、南北朝、室町時代を足利、上杉などの郎党となりながら命脈を保ち、やがて三浦時高の代になり勢力を回復し三浦氏を再興する。しかし時高はその子道寸に討たれる。そして最後の戦いに臨む。永正13年(1516年)三浦一族最後の当主道寸は新井城に於いて北条早雲との最後の戦いに臨み一族は完全に滅亡する。宝治合戦より270年の後の出来事である。長い長い歴史を年譜にしながら、まずは鎌倉にある一族の墓を訪ねるところから始めることにした。
                                 (平成29年作)

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