2017年04月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2017年04月の記事

鳥雲に

師のあとをただ追ふばかり鳥雲に



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村井さんから連絡が入っていたようで「蓑虫庵」に到着すると男性が笑顔で出迎えてくれた。「聞いています、聞いています、さぁ、どうぞどうぞ」と言葉を二回繰り返す勢いである。私を「凄い人」と思っていたかも知れない(笑)。すぐに庭に案内されて説明が始まった。まずは「蛙飛び込む」の石碑の説明である。「この蛙の石碑は……」
実はこの説明、すでに村井さんから話を聞いていたのである。何といっても芭蕉生家での村井さんとの会話は長かったので、蓑虫庵のことも服部土芳のことも大概は話してくれたようなのである。「これを見てください」スマホを見せてくれる。「写っているのはこの石碑に留まっている蓑虫です。さて蓑虫は何と鳴くでしょうか?」鳴くはずもない蓑虫が何と鳴くかと聞いてくる男性。その熱意だけは充分に伝わってくる。「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」(芭蕉)なので、そう言いたくなる気持ちが痛いほど分かるのである。
男性「さぁ、次は庭を歩きましょう、蓑虫庵の眺めが二番目に好く見える場所にご案内します」
私「二番目?」
男性「そうです。一番目は楽しみにしておいてください(笑)」
私「一番、二番は誰が決めたのですか?」
男性「いやぁ、それは私です(笑)」
私「……」

「笈の小文」の旅程表に貞享5年(1688年)3月11日、土芳の蓑虫庵を訪問したとの記述があった。本文には記載がないようである。あの再会から3年経っている。途中、芭蕉は伊賀に来ているので何度も会っていたことだろうが、庵を訪ねて来てくれた時は嬉しかったに違いない。蓑虫庵が一番よく見える場所に案内し、二番目によく見えるという四阿にも招いたかも知れない。蓑虫の季節とは違っているが、鳴く鳴かないの談義もあったかも知れない。大喜びの土芳さんの姿が目に浮かぶ。
元禄7年(1694年)芭蕉が51才で亡くなった時、土芳は38才である。あの20年ぶりの再会から9年しか経っていない。どんなにか悲しかっただろう。蓑虫庵の中でどんなにか泣いただろう。その後、芭蕉の俳論や俳句を「三冊子」や「蕉翁句集」「蕉翁文集」として後世に伝えた土芳の功績の奥に芭蕉との喜びや悲しみ、深い繋がりがあったことを忘れてはならないようである。蓑虫庵に導いてくれた村井さん、案内してくれた男性には心から感謝したい。男性の方にはお名前も聞かずに立ち去ってしまったことを大変申し訳なく思っている。感謝申し上げると共にお詫びする次第である。
                                 (平成29年作)

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