2017年04月の記事 - ひこばえ
background movie

ひこばえ


2017年04月の記事

花人

花人となりて東夷の地を訪はむ



IMG_2914_convert_20170411223318.jpg



吉川英治の「平の将門」を読んだのは何時頃だっただろう。もう20年も前のことだったかも知れない。戦国物ばかり読んでいた時に、そのもっともっと遥か昔にそういう人がいたということを覚えておこうと読んだような気がする。それがここに来てひょんなことから俄然興味を持つことになった。雑誌で将門の故郷のような記事があり、読んでいると何と常総市の豊田という場所が書かれていた。豊田ってどこだろうと思い、調べてみると何と何と私がいつも行っている得意先のすぐ近くなのである。岡村製作所のつくば事業所、住所はつくば市緑ヶ原であるが、将門の本拠地だった豊田のすぐ近くである。
「ひぇー」
いつもその傍を車で走りながら、全く気が付かなかったというのだからウッカリな話である。このつくば事業所には私が社長になる前から何度も何度も挨拶に出掛けている。「よし、しっかり調べてみよう」と思ったのがつい最近のことである。吉川英治を読み直し、アマゾンで海音寺潮五郎の「平将門(上中下)」を取り寄せ、ゆかりの場所をあれこれと調べておいたのである。4月8日(土)は花祭りである。桜も満開である。その日に訪ねてみようと心に決めた。剥離骨折ぐらいで中止するわけにはいかないのである。

当日は雨だった。ちょっと迷ったが、花祭りは動かせないので行くことにした。早朝の勉強会を終え、関内を出発したのは9時少し前である。車内でスーツをジャージに着替え、革靴をウォーキングシューズに履き替えた。カーナビの目的地を坂東市岩井の「國王神社」と入れて出発した。車は渋滞もなく常磐自動車道を走り、柏インターで下りるようにアナウンスされた。
「柏インター?谷和原インターじゃないの?まだ利根川も渡ってないのに。えっ、どうしよう」
慌てることなく柏で降りれば良かったのだが、いつも営業が運転する車が谷和原で降りていたので不安に思ったのである。カーナビに逆らって谷和原まで進むことにした。随分前から計画していたにも拘らず、道順も確認していない私なのである。
インターを出ていつもの道を走り、小絹という洒落た名前の交差点を曲がり一路目的地に向かった。途中、一言主神社の看板が現れた。目的地までにはまだ随分と距離を残しているのだが、一言主神社はすぐそこだという。
「えっ、おかしいなぁ。國王神社と一言主神社とは歩いても行ける距離だと書かれているのに………」
私が手元に置いていたのは坂東市がウォーキングコースとして紹介していた國王神社周辺の地図である(写真)。そこに徒歩90分の3.5キロコースとして書かれているのである。
「一言主神社がどうして、ここにあるのだろう?」
疑問に思ったが、まぁ、寄ってみるしかない。境内へと入って行くことにした。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

接木

接木して縄の余りを断ちにけり



IMG_2824_convert_20170410054736.jpg



工場内を歩いている時に右足を躓いた。何かにぶつかったというのではなく、ただ歩いている時に躓いただけである。「ちょっと痛いなぁ」という感じはしたが、「それほどのことでもないだろう」と簡単に考えた。しかし、階段の上がり降りの際の痛みは少し気になった。
翌朝、足の指が紫色になり腫れていた(写真)。特に痛くて歩けないというほどでもないが、色を見て驚いた。「突き指かなぁ」そう考えた。
夕方、やはり痛みが気になったので、念のため整形外科で診てもらうことにして家の近くの医院に立ち寄った。
先生は一目見て言った。
「これだけ色が変わっていれば、大概は骨まで行っていますねぇ。まずはレントゲンを撮ってみましょう」
2方向から撮影した結果、見立ては剥離骨折ということだった。先生から簡単な説明があった。腱や靭帯との付着部分の骨が剥がれたという。先生を信じていない訳ではないが、大写しされた足の骨の写真のどこが剥がれているのか聞いてみた。
「この写真には写らないんだよ。剥離骨折の場合、レントゲンで撮れないものが大半だから」
「えっ、折れているかどうかハッキリしないんですか?」
「いや、これだけ色が変わっていれば、剥離骨折と考えて間違いないんだよ。まずは動かないようにテーピングしておこう」
「治るのにどれ位掛かりますか?」
「3週間だなぁ」
「えっ、3週間も!」

ビッコを引きながら家に帰った。いまいち、信じていない自分がいる。親指との間に何かを挟んでしっかりテーピングしていたが、とても違和感があり、寝る前に外すことにした。
「ぶつけないようにすれば大丈夫!」
先生の見立てより、自分の見立てを信じることにした。
しかもこの足を以ってして、週末に茨城県の坂東市に平将門ゆかりの地を訪ねようというのである。我が風狂、止まるところを知らない。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

金魚

早や知らぬ素振り金魚の名付け親



securedownload2_convert_20170421053659.jpg



鎌倉八幡宮にお参りに行き、境内の出店で孫のカズ君(4才)が金魚掬いをした。店のオヤジから受け取った紙の網をいきなり水に浸けたものだから1秒と持たない。1回300円。再びのチャレンジは娘が手を添えてやってみたが結果は同じである。しかし、よくしたもので掬えない場合は1回につき2匹の持ち帰りが出来るという。ビニール袋に水を入れ、出目金1匹と金魚3匹を大切に持ち帰ったのだった。家に帰って娘は水槽を用意し、ブクブクや砂や餌を買いに出掛け大わらわである。ご満悦のカズ君は4匹の金魚にそれぞれ名前を付けた。あまり難しい名前なので忘れてはいけないとメモ紙に書いて水槽に貼っておいた。その夜、3人娘が夕飯を食べに来た。それこそ大わらわである。

水槽の金魚を見ながらの私となっちゃんの会話である。私には少しだけお酒が入っている(笑)。
なつ「この黒いの、結構エサを食べるね」
私「あっ、なっちゃん、今、黒って言ったでしょ」
なつ「えっ、どうして?駄目なの?」
私「それは可哀そうだよ。この出目金には名前があるんだよ。名前があるのに黒なんて呼ばれたら悲しいよ。なっちゃんがひとみちゃんって呼ばれるみたいもんだよ。なっちゃんだって名前を間違えられたらイヤでしょ」
なつ「そりゃあ、イヤだけど……」
私「名前はカズ君がターコイズって付けたから、これからはターコイズって呼んでね」
なつ「変な名前(笑)」
私「しようがないよ。そういう名前にしちゃったんだから……」
しばらく、二人で餌を食べる様子を見ていた。
私「ホントだ。他の金魚に比べてこの黒いのは食欲があるなぁ」
なつ「あっ、おーちゃん、今、黒って言った!(笑)」
私「あっ、そうか。でもしょうがないよ、何んたって名前が難し過ぎるよ。なっちゃんだって何かを間違えることってあるでしょ」
なつ「ない、ない、名前は一度覚えたら絶対に間違えることはない。間違えたら可哀そうだよ(笑)」
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

囀り

囀りに一音高き声のあり



IMG_2780_convert_20170405193459.jpg



1時ちょうどに入り、商談を終え会社を出たのが2時10分であった。2時50分の電車に乗ればいいのだから楽勝である。
「大丈夫だろう」
「はい、大丈夫です。30分には着きます」
車内であれこれ話しながら余裕を決め込んでいた。ところが大宮駅までの道路は一本道で何度も渋滞を繰り返す。どんどん時間は迫ってきて少し焦り始める。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だとは思いますが、なにせ一車線ですから」
最後は駅の手前300メートルで車を降りることになり、急ぎ足で歩いたものである。駅構内に入りキョロキョロした。湘南新宿ラインの快速に乗るように言われている。
「あっ、これだ」
と思って降りたホームで待つこと5分。出発時間が迫って来るが、電光掲示板に一向に快速の案内が現れない。
「あれっ、間違えたかな?」側にいた駅員に聞いた。
「ああ、それは隣のホームです。もうすぐ電車が来ます。お急ぎください」
「ヒヤー!」
会社で印刷してもらった紙をよく読んでいなかった。見ると出発ホームの何番線まで書かれている。全く注意力不足である。そもそも意識がそこに行かないように出来ているのである。

何とか無事に南林間駅に辿り着き指導員の先生とも落ち合い、時間前に取引先に到着することが出来た。従業員の皆さんも待っていてくれた。
早速、活力朝礼の練習が始まった。やったことのない人ばかりだったので説明している間にも妙な緊張感が伝わってくる。何をさせられるのだろうかと不安に思っているようである。最初に手本を示した。姿勢の正し方、お辞儀の仕方、声の出し方、挨拶の仕方、本の持ち方などである。
「こんな感じで行います。これから皆さんにも同じことをやっていただきますのでマネをしてみて下さい」
全員にちょっとした余裕の表情が見られた。「ああ、こんなもの?」という感じである。初めのうちはぎこちなかった動作も繰り返すうちに覚えてくる。1時間ほどの練習で形が出来上がり、普通に大きな声が出始めた。
「簡単!これでいいんだ!出来る、出来る、これなら出来る!」という声が飛び出す。
いつも元気のない朝礼で困っていると話していた社長さんも嬉しそうである。
「どうなるかと心配していましたが、これなら大丈夫そうです。意外と簡単で安心しました。いい朝礼が出来そうです」と大喜びである。従業員の皆さんも喜んでくれて「こんなに簡単なものだと思いませんでした」と言ってくれた。
朝からいろいろあった一日だったが、埼玉でも座間でも感謝されることになり、ホッとした一日となったのである。
                                (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

春疾風

首塚や討たれし時も春疾風



IMG_2764_convert_20170405193257.jpg



幸手インターを降り5分ほど走った所に浄誓寺はあった。あたりは広大な畑である。山門を潜ると正面に本堂があり、その裏に首塚があった。周囲をコンクリートブロックに囲まれ、高さ3メートルほどの塚になっている。頂上に五輪塔が据えられていた。入口にあった説明書きでは上の3つは後世のもので、下の2つが江戸時代以前のものということである。「北葛飾郡内最古の五輪塔の可能性が高い」と書かれていたが、いやに狭い地域に限定しており、しかも「可能性が高い」という言い回し自体が何とも頼りない。
平将門は新皇となった僅か3ヵ月後の天慶3年(940年)2月14日(陽暦3月30日)、俵藤太(藤原秀郷)と平貞盛の連合軍に敗れ36才で討死している。首級は京まで送られて晒し首となったが、3日目に夜空へ舞い上がり、故郷に向かって飛んで行き、あちこちに落ちたという言い伝えになっている。最も有名なのが東京大手町の首塚である。すなわち、浄誓寺山門前の立札に書かれていた「愛馬が運んできた云々」というのは俄かには信じられないことなのだが、真実が分からない今となっては各地に伝わる言い伝えこそが手掛かりでありロマンなのである。
将門の最期についての文章を載せておこう。(吉川英治「平の将門」より)

乱れ立った敵陣のさまを見て、
「かかれっ。貞盛の首、秀郷の首、二つを余すな」
将門自身、馬を躍らせて敵の怒濤のなかへ没して行った。(中略)
まさに、乱軍の状である。いや、坂東の土が生んだ、将門という一個の人間の終末を、吹き荒ぶ砂塵と風との中に、葬り消すには、まことに、ふさわしい光景の天地でもあった。
将門はもう、将門という人間ではなくなっている。一個の阿修羅である。(中略)
刹那、彼の顔に矢が立った。
「…………」
何の声もなかった。
戦い疲れた顔が兜の重みと矢のとまった圧力に、がくと首の骨が折れたようにうしろへ仰向いたと見えただけである。
馬から、どうと、地ひびきを打ってころげ落ちた体躯へ向って、たちまち、投げられた餌へ痩せ犬の群れが懸るように、わっと、真っ黒な雑兵やら将やらが、寄りたかっていた。あっけなく、天下の騒乱といい囃すには、余りにも、あっけなく、相馬の小次郎将門は、ここに終った。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

花冷

花冷や麺に秘伝のタレ少し



32811b38_convert_20170405202824.jpg



当日朝9時には会社を出た。途中、手土産を買わなくてはならないし、高速道路がどれだけ渋滞しているのかも分からない。昼飯の時間も必要だからと少し早めに出発したのだった。道は所々で渋滞していたものの順調に進み、11時には目的地の近くまで到達した。
「随分と早く着いてしまったなぁ。早いけど、メシでも食うか」
「そうですね」
ということで、ラーメン屋に入ることになった。
「たっぷり時間があるので、ゆっくり食べようや」
席に着いてラーメンを注文した。店員が「タレはどうしますか?」と聞いてきたので「普通でいいです」と答えた。そのあと、スマホで「平将門、埼玉」と検索してみた。今、将門の本を読んでいて、そのうち茨城県の坂東市にでも行ってみようと思っていた所なのである。もしかして埼玉県にも将門ゆかりの場所があるかも知れないと思ったのである。するとすぐに「将門の首塚」がヒットした。「首塚かぁ、将門の首塚はどこにでもあるからなぁ」などと思いながら読んでみると、なんと俵藤太(藤原秀郷)との戦いに敗れた将門の首がその愛馬によって当地まで運ばれ、そこに埋められたと書かれているのである。
「ほんとかよ!」
浄誓寺、幸手市神明内1469と書かれている。ラーメン屋の女性に聞いてみた。
「ここから幸手市というのは遠いの?」
「そんなに遠くはないですよ」
「車でどれ位?」
「どれ位ですかねぇ」
曖昧である。すぐに住所をメモし、営業にカーナビで所要時間を見て来るように頼んだ。戻って来て彼が言う。
「ここから片道34分で行けます」
「何ィ!本当か。それじゃ10分間で首塚を見ていたとしても1時間半もあれば戻って来られるじゃないか。よし、行くぞ!早くラーメン食ってしまえ。ゆっくり汁なんか飲んでいる場合じゃないぞ」
その店の特製のタレというのが少々辛く出来ていた。「ゆっくり食え」が急に「急いで食え」に変わり、慌てて啜ったタレが辛いときている。「いやに唐辛子が効いていますねぇ」などと言うのを「いいから早く早く」と急き立て、5分後には店を出ていた。急いで乗り込み、車を急発進させたことは言うまでもない。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

風光る

快速が飛ばし行く駅風光る



IMG_2388_convert_20170405211602.jpg



座間市にある取引先の会社に当社で行っている活力朝礼を勧めたところ、話を聞いてみたいということになり、月曜日の午後5時に指導員を連れて訪問することになった。実際のやり方を見てもらうために従業員の皆さんにも待っていてもらうことになった。指導員の先生には予定をやり繰りしてもらい30分前の4時半に南林間駅で落ち合うことにした。
予定を立てた翌日、知人から電話が入った。埼玉県にある会社で社長室と応接室を立派にしたいという話があり、日向さんの会社を紹介しておいたので対応してもらいたいとのことである。「有難うございます。了解です。対応させていただきます」と答えたことは勿論である。先方の社長からすぐに電話が入った。「時間指定して悪いのですが、来週の月曜日に営業マンを寄こしてもらいたいのですが大丈夫でしょうか?」とのこと。座間に行く日と同じ日である。営業マンだけでいいとその社長は言うのだが、ご紹介でもありそういう訳にもいかない。埼玉と座間ってどれ位離れているのだろう。移動にどれ位時間が掛かるのだろう。頭の中であれこれ考えたが一向に分かるものではない。しかも電話の感じでは相当に気の短そうな社長である。座間の時間は動かせないので、中4時間も取っておけば大丈夫だろうと思い、昼1時にお邪魔することを約束した。

会社に戻り、担当する営業に聞いてみた。
「行きはどうにでもなりますが、帰りは微妙だと思います」
「えっ、そんなに時間が掛かるのか?」
「先方での打ち合わせが1時に始まり、どれ位掛かるか分かりませんよね」
「そりゃそうだが、1時間もあれば大丈夫だろう」
「いやぁ、こればかりは内容次第ですので……」
「座間まではどれ位掛かる?」
「少なくても2時間以上は掛かると思います。ましてや、渋滞した時は動かなくなりますよ」
「うーん……」
確かに1時では余裕が無さ過ぎたかも知れない。一瞬、営業だけで行かせようかとも思ったが、初めてのお客様でもあり紹介者のこともある。困った!と思った時、電車はどうだろうかと思い立った。
「電車はどうだ。間に合わないか?」
すぐさまインターネットで検索して調べてもらうと、南林間駅に4時半に到着するには大宮駅で2時50分の電車に乗れば大丈夫ということが分かった。快速電車に乗るという。
「おー、全く問題なし。充分、充分。よし、それで行こう!」
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

四月馬鹿

空手形切つて溜め息四月馬鹿



FullSizeR_convert_20170404052535.jpg



借りた日の土曜日は会社があり、習字があり、家族で食事に出掛ける予定があったりしたので読む暇はなかったが、翌日曜日は目が覚めるとすぐに読み始めていた。プロローグでいきなり強姦シーンである。「相変わらずだなぁ、田中さん」と思いながらもストーリーの展開の速さに引き込まれていく。途中、用事があって出掛けたりしながらも夜中には一巻読み終えていた。
月曜日は祭日だったので火曜日に田中さんにメールを送った。
「お早うございます。このたびはまたまた面白い本をご紹介くださいまして有難うございました。早速読んでみましたが『さすが、船戸与一!』でした。息もつかさぬ面白さで一気に読み終えました。すぐに次が読めないじれったさを味わっております。次回お会いするまでが長そうです」
折り返しメールが返ってきた。
「日向さんは私にとって大切な書友(読書を共にする友人)です。まずは船戸与一の男のロマンの世界を共有しましょう。ありがとう」

1週空けて4月1日(土)、田中さんはやってきた。
「面白かったでしょう。いやぁ、日向さんは最高だよ。日向さんと本の面白さを共有できるというのはこの上ない喜びだよ。ありがとう、ありがとう。重くて全部は持ってこられなかったけど、まずは4冊。あの4兄弟に自分を重ね合わせて読んでいると、まさに歴史のど真中にいるような錯覚に捉われるよ。これぞ血沸き肉躍る世界っていう感じだよね。返さなくていいからね。読み終えたら次に日向さんがいいと思う人に譲ってあげてよ。きっとその人も喜ぶに違いないから(笑)」
朝からテンションが高い。しかも笑顔が素晴らしい。豊かな人生を送っている人であることが分かる。一緒にいてとても心地良い。私もこういう人物になりたいと心の底から思う。
それにしてもあと8巻……フーと溜め息を付きつつ、満州は遠いなぁとも思う(笑)。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

つちふるやかの満州に馬賊あり



IMG_2569_convert_20170404052639.jpg



一昨年の10月26日のブログ「燈火親し」に書いた田中さんのことを再び書かなければならない。あの時は一杯飲んで品川から戻り、上大岡で乗り換えた電車の中で田中さんに会ったのだった。そこから杉田駅までの僅か4分の間に是非にと勧められた船戸与一の「砂のクロニクル」。あれだけ熱心に勧められたのでは読むしかないと上下2巻を読み切ったのだが、それ以降も会うたびに船戸与一の面白さを語ってくれていたのである。

3月18日(土)の早朝勉強会に久しぶりに田中さんが見えた。
「お早うございます。久し振りですね」
「いやぁ、日向さん、相変わらず元気そうだねぇ」
「田中さんの笑顔には敵いませんよ。見習いたいものです」
「日向さん、今、何か読んでいるの?今日はいいのを持ってきたんだよ」
「これから読もうと思う本があり、今アマゾンから届くのを待っている所です」
「ちょうど良かった。それならその前にこれを読んでみてよ」
「また船戸与一じゃないでしょうね」
「当たり。これは凄いよ。絶対にお勧め。彼の絶筆だよ。これを書き終えるまで死ななかった執念は凄いものだよ」
「また、中東ですか?」
「いや、今度は満州」
「満州!」
「壮大なドラマだよ。まさに血沸き肉躍る世界だよ。絶対に面白いからまずは一冊読んでみてよ」
「何巻あるのですか?」
「全部で9巻」
「えっ!9巻も……」
「大丈夫、大丈夫、日向さんなら、あっという間に読んでしまうから」
「相変わらずだなぁ」
「いやぁ、日向さんが読んでくれると思うだけで本当に嬉しくなっちゃうんだよ、ありがとう。今日は一冊しか持ってきていないけど、次はまとめて持ってくるから」
「ひゃー、強引だなぁ(笑)。読むかどうか分かりませんが、それでは一冊だけはお借りします」
「ありがとう、ありがとう。いやぁ、日向さんは最高だ。絶対に読んでくれると思った(笑)」
ということで、第1巻目の「風の払暁」(満州国演義1)を借りることになったのである。
(注)霾(つちふる)とはモンゴルや中国大陸から強風に吹き上げられ、大空を渡って降ってくる黄砂のことである。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

ルピナス

ルピナスや異国に馳せる夢ひとつ



IMG_2141_convert_20170327212400.jpg



シャンソン歌手という言葉は聞いたことがあるが、タンゴ歌手というのはあまり聞いたことがない。倫理法人会が新横浜のホテルで行なった講演会のゲストがタンゴ歌手の香坂優さんだった。別の誰れかが講演したあとでタンゴでも歌うのかなぁなどと勝手に考えて出掛けたのが、何と何と香坂さんご本人が講話し最後にタンゴを歌ったのである。しかもその話の素晴らしかったこと。会場にいた250名は水を打ったように聞き入り、絶妙な語り口に泣かされたり笑わされたりと感動の時間を過ごさせてもらったのである。

話は今から30年前の淡谷のり子さんとの出会いから始まった。初対面同士で行なうジョイントディナーショーである。下手な歌手に対し「あれは歌手ではなく、カスだ」などと言い放つ人である。緊張したことは言うまでもない。しかも会場に到着すると淡谷さんはすでに来ていてリハーサルの真っ只中。大先輩に先を越されてハナから出遅れる。「気が散るので出て行きなさい」と言われた所からお付き合いが始まったというのだから、この話面白くならない訳がない。
「あなたはあと何年、歌っていたいの?」と聞かれ「先生と同じ年になるまで」と答えると「それならその歌い方では駄目。きちんとボイストレーニングしなさい」とアドバイスされる。トレーナーを紹介され、通うこと2年。その後、彼女の前で歌うと「あなたの声はシャンソンでもカンツォーネでもないわねぇ。そうねぇ、タンゴがいいわ。タンゴをやりなさい。やらないのだったら歌手を辞めて再婚でもしなさい」と決め付けられたそうである。「ちょうど5か月後にアルゼンチンのコルドバで音楽祭があるから行きなさい。今からスペイン語でタンゴを7曲覚えて歌ってきなさい。それ位出来ないようじゃ、歌手はやめたほうがいいわねぇ」と追い込んで来る。その後何度となくアルゼンチンに通い、ようやくタンゴ歌手としての道を歩み始め、成功を収め今に至るのである。
話のあと、何曲か歌った。大いなる拍手である。話に感動し、歌に聞き惚れたものである。

終演後、私は著作本を買いサインをしてもらった。感動させてもらったのだから当然である。それを横で見ていた友人の三宅さんが笑いながら混ぜ返してくる。
「話は面白かったけれど、歌は日向さんの方が上手かったなぁ。日向さんが歌う『霧子のタンゴ』には敵いませんよ(笑)」
「何を言っているのかねぇ、この人は……」
と言いながらも、それから二人でボイストレーニングに向かったのだから、これまたよく分からない話になってくる。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

田楽

田楽のたちまち串の山と化し



20170314-2_convert_20170314220253.jpg



この旅の目的はもちろん友人から依頼された講演である。しかし、こうして文章を書いてみると、講演に費やした労力よりも芭蕉に費やした方が大きかったことが分かる。「芭蕉紀行文集」を繙き、服部土芳を調べ、「三冊子」など取り寄せた分には講演で話した40分より遥かに多くの時間を費やしている。芭蕉を「風狂人」という。広辞苑で「風狂」を引いてみると「風雅に徹したこと」と書かれているが、もう一つ「気ちがい。狂気」とも書かれている。芭蕉はもちろん前者であるが、私の場合は後者に近いものがあるようで、何事も程ほどにしておかなければ「紙一重」と言われることとなりそうである。

「蓑虫庵」を後にして友人の会社を訪問し工場見学などをさせてもらった。ホテルにチェックインし、すぐさま夕食会場へと向かった。私は友人と一緒に今回主催の倫理法人会の幹部の人達と会食することとなった。創業200年の店で伊賀の郷土料理だという豆腐田楽をいただいた。串に差された田楽の数16個。豆腐好きでもない者には少し多すぎるようにも見えたが、伊賀の人達は当たり前のように平らげていく。私一人が食べ残すわけにもいかないので全て食べ切ったが、その味噌の甘かったこと。一年分の豆腐を食べたような気がしたものである。あとで聞くとその店は会のメンバーの方のお店だという。翌朝、その女将さんにご挨拶しお礼を申し上げたことは言うまでもない。片や我が工場長は友人の会社の幹部の方々と一緒に伊賀牛の焼肉を食べに出掛けたとか。芭蕉翁が田楽で、門人曽良が伊賀牛である。
「そらー、違い過ぎだろ!」などと洒落てみた所で詮無いことである。食べた田楽で一句詠んでみた。
講演は無事に終わった。聞きに来ていただいた50名ほどの皆さんには喜んでもらえたようで、友人からもお礼を言われ役目を果すことが出来た。伊賀まで行った甲斐があったというものである。

後日談がある。会社に伊賀市の隣の名張市出身の男性がいるので話を聞いてみた。
「伊賀牛ですか?とんでもありません。あんな高級な物、食べたこともありません。まさに高嶺の花ですよ。一度は食べてみたいものです。豆腐田楽ですか?聞いたことはあります。昔からの物ではないと思います。最近、忍者ブームで賑わっていますから、それに便乗して昔風の豆腐を売り出しているのだと思います。大したものじゃないと思います」
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

鳥雲に

師のあとをただ追ふばかり鳥雲に



IMG_2432_convert_20170311190946.jpg



村井さんから連絡が入っていたようで「蓑虫庵」に到着すると男性が笑顔で出迎えてくれた。「聞いています、聞いています、さぁ、どうぞどうぞ」と言葉を二回繰り返す勢いである。私を「凄い人」と思っていたかも知れない(笑)。すぐに庭に案内されて説明が始まった。まずは「蛙飛び込む」の石碑の説明である。「この蛙の石碑は……」
実はこの説明、すでに村井さんから話を聞いていたのである。何といっても芭蕉生家での村井さんとの会話は長かったので、蓑虫庵のことも服部土芳のことも大概は話してくれたようなのである。「これを見てください」スマホを見せてくれる。「写っているのはこの石碑に留まっている蓑虫です。さて蓑虫は何と鳴くでしょうか?」鳴くはずもない蓑虫が何と鳴くかと聞いてくる男性。その熱意だけは充分に伝わってくる。「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」(芭蕉)なので、そう言いたくなる気持ちが痛いほど分かるのである。
男性「さぁ、次は庭を歩きましょう、蓑虫庵の眺めが二番目に好く見える場所にご案内します」
私「二番目?」
男性「そうです。一番目は楽しみにしておいてください(笑)」
私「一番、二番は誰が決めたのですか?」
男性「いやぁ、それは私です(笑)」
私「……」

「笈の小文」の旅程表に貞享5年(1688年)3月11日、土芳の蓑虫庵を訪問したとの記述があった。本文には記載がないようである。あの再会から3年経っている。途中、芭蕉は伊賀に来ているので何度も会っていたことだろうが、庵を訪ねて来てくれた時は嬉しかったに違いない。蓑虫庵が一番よく見える場所に案内し、二番目によく見えるという四阿にも招いたかも知れない。蓑虫の季節とは違っているが、鳴く鳴かないの談義もあったかも知れない。大喜びの土芳さんの姿が目に浮かぶ。
元禄7年(1694年)芭蕉が51才で亡くなった時、土芳は38才である。あの20年ぶりの再会から9年しか経っていない。どんなにか悲しかっただろう。蓑虫庵の中でどんなにか泣いただろう。その後、芭蕉の俳論や俳句を「三冊子」や「蕉翁句集」「蕉翁文集」として後世に伝えた土芳の功績の奥に芭蕉との喜びや悲しみ、深い繋がりがあったことを忘れてはならないようである。蓑虫庵に導いてくれた村井さん、案内してくれた男性には心から感謝したい。男性の方にはお名前も聞かずに立ち去ってしまったことを大変申し訳なく思っている。感謝申し上げると共にお詫びする次第である。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
フリーエリア