2017年03月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2017年03月の記事

草青む

誘はるるままに道草草青む



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帰りがけに村井さんが、その近くにある「蓑虫庵」のことを話し始めた。素晴らしい所なので是非寄って行って欲しいという。門人服部土芳が建てた庵だという。
「野ざらし紀行で芭蕉が伊賀に戻った時、たまたま土芳は仕事で須磨の方へ行っていました。土芳は藤堂藩に勤めていた侍です。芭蕉より13才年下で、芭蕉が29才で江戸へ出て行く時、土芳は16才でした。幼い頃に芭蕉から俳諧を学び、とても慕っていたようです。戻った時にはすでに芭蕉は旅に出ていました。どうしても会いたかった土芳はそのあとを追ったのです。滋賀県の水口まで追い掛けてようやく再会します。実に20年ぶりの再会でした。それを機に土芳は侍を辞め、芭蕉の弟子として俳句の道を選びます。芭蕉の死後、三冊子などをまとめたのが土芳です」
村井さんの説明はとても熱かった。3時までに友人の会社に行かなければならなかったが、断れるものではない。
私「よし、タクシーを呼ぼう」
村井さん「ありがとうございます。向こう(蓑虫庵)には連絡しておきます」

家に帰って調べてみたのだが「芭蕉紀行文集」の中に紀行旅程表というのがあり、芭蕉の足取りが分かるようになっている。都合5回、故郷に戻ったことが分かる。「野ざらし紀行」の中に、貞享元年(1684年)9月8日、伊賀上野に到着とあり、同年12月25日に伊賀上野に帰り越年とある。翌2年の3月中旬、水口の駅で土芳に逢い数日滞在とあった。これである。本文は至って簡単で「水口にて二十年を経て、故人に逢ふ」の前書きのあと「命二つの中に生たる櫻哉」の句が書かれている。脚注に「故人とは昔馴染みのことをいい、同郷の門人服部土芳をさす」とある。
呼んだタクシーはすぐに到着した。村井さんにお礼を言い、乗り込んだ。
私「時間は大丈夫か?」
工場長「ギリギリですが大丈夫です。これも旅の素晴らしさでしょう(笑)」
                                 (平成29年作)

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梅が香

梅が香や翁しのばん草の庵



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生家の前でタクシーを降りた。「松尾」の表札の下に小さな潜り戸があったが入口のようにも見えず、塀伝いにその奥にある門まで回ってみた。やはり潜り戸が入口のようなので戻って開けてみると土間の明るさが目に飛び込んできた。
「わっ、観光用に改装されている!」
特に驚くほどのこともないのだが、折角の生家に手を入れるのはどうかと思ったのである。生家は生家でそのままに残し、建物の横に小さな管理小屋など設け、観光客を迎えるという姿を勝手に思い描いていたので「わっ」ということになったのである。
先客が二人いたが、我々が入り、入場料を払ったりする間に奥の方へと進んだようである。入場料は生家の他に関連する施設の分もまとめ買いすると割安だと言われたが、時間もないので生家の分だけを支払うことにした。中にいた女性がいろいろと説明してくれた。展示されている品書きのことや臍の緒の短冊のことから始まった。これでもか、これでもかと思うくらい、説明してくれる。
私「失礼ですが松尾家の方ですか?」
女性「いえいえ、ここは財団法人の管理になっています。私はアルバイトです(笑)」
私「あまり詳しいので子孫の方かと思ってしまいました(笑)」
冗談ばかり言っている我々にも、きちんと説明してくれたのである。村井さんという。
しばらくして私は中を見に奥へと進んでいったのだが、工場長はその村井さんと話し込んでいたようである。「うちの社長も俳句をやっています」と言ったのだろうか。どう話したかは聞いていなかったが、村井さんは私のことを「もしかして、凄い先生なのですか?」と聞いてきている。工場長は「はい、凄い人です(笑)」と答えている。
いい加減なことを言っているなぁと思ったが、芭蕉に同行した門人曽良も道中あちこちで「凄い人です」と言っていたかも知れないなどと思ったものである。

句は生家の横にあった「釣月軒」を見てのものである。初めての句集「貝おほい」を書いた場所ということで文机と手炙り、行燈が置かれていた(写真)。そこに正座して筆を認めている俳聖の姿が見えるようであった。庭の白梅がほころびかけていた。
                                (平成29年作)

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春雨

春雨もまた佳し旅の始めとす



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三重県伊賀市の倫理法人会で講演することになった。私を倫理に導いてくれた友人からの誘いである。断るわけにはいかない。というより、ずっと断り続けてきたのだが、いよいよ断りきれなくなってしまったといった所である。伊賀市には2年半前の秋に訪れている。あの時はその友人の会社の工場と朝礼風景を見学することが目的だったので、ホテルの近くにあった松尾芭蕉の生家もよく見ないで悔しい思いをしている。この話が来た時に真っ先に思い浮かべたのがそのことである。講演よりも芭蕉であり、今回こそは見てやろうと張り切ったものである。同行する当社の工場長に生家見学の時間を取るようにお願いしたことは勿論である。
出掛けに本棚から岩波文庫「芭蕉紀行文集」を取り出した。これは「奥の細道」を除くすべての紀行文を纏めたもので「野ざらし紀行」「鹿島詣」「笈の小文」「更級紀行」などを収めている。随分と昔に買ったものなので一部のページが解れたりしている。その中に芭蕉が故郷の伊賀上野に帰った時のことが書かれてないかと探してみると「笈の小文」の中に「旧里や臍の緒に泣としの暮」の句があり、帰郷した時に詠んだものであることが分かった。その前後の文章を丁寧に読んでみると面白い記述があった。無季の句についてである。
四日市市の「日永の里」という所で馬を借り「杖つき坂」に差し掛かった所で荷鞍が落ちてしまい、酷い目に遭ったようである。「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬哉」と詠んでいるが、この句に季語はない。そのことを「物憂さのあまり、ついに入れずに」と書いている。350年も前に季語がないことに拘っている所が面白い。また俳聖と呼ばれた人にも直せない句があった所が面白い。俳句の面白さ奥の深さを改めて知る瞬間である。

名張駅に到着しタクシーで芭蕉生家へ向かう途中、雨が降ってきた。天気予報は晴れだったので傘は持ってきていない。しかし「雨もまた良し」である。これもまた旅の楽しさであるなどと言いながら、同行する曽良ならぬ当社の工場長に「杖つき坂」の話をし、この雨を句に詠む楽しさを語ったものである。俳句をやらない工場長が面白いと思ったかどうかは私の知るところではない(笑)。
                                 (平成29年作)

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のどけし

のどけしや雲か煙か桜島



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旅行を終えての後日談である。倫理法人会の集まりがあり、何人かで一杯飲んでいた。
「日向さん、先週お休みでしたが、どちらかへ出掛けられたのですか?」
「鹿児島です。銀行の付き合いで出掛けてきました」
この会話を隣で聞いていたのが後藤さんという女性社長である。
「あらっ、日向さん、それって、もしかしたら信用金庫主催の旅行ですか?」
「そうです」
「あら偶然ね。その旅行に私の妹夫婦も参加していたんですよ」
「えっ、どなたですか?」
「〇〇と言うんですけど……」
「ああ、分かります。運送会社を経営している方ですよね」
「そうです」
世間は狭いというが本当である。旅行を終えて1週間も経っていない。しかも過去一度も私の横に座ったことのない後藤さんがたまたま隣に座っていたのである。分からないものである。その後藤さんがこんなことを話し始めた。
旅行から帰った妹さんがお土産を持って遊びに来た。開口一番、話し始めたのがカラオケの話だという。「いや、驚いたの何の……」と言いながら、妹さんは指宿の白水館での二次会のことを話し始めたそうである。私も安藤夫妻も岩橋夫妻も行ったその中に妹さん夫婦もいたのである。確かに私達とは少し離れた場所だったが座っていたのを覚えている。妹さんが驚いたというのが最初にマイクを持った岩橋さんの奥さんの歌である。トップバッターで登場し、みんなが注目する中で歌ったその唄の卑猥さに度胆を抜かれたのである。
「ああ、あれですね。知っています。本当に凄い替え歌でした。男の私が聞いても驚きましたから、女性の方は相当に驚いたと思います」
「ああ見えて妹はとても純情なんです。旦那さんの方は遊んでいるようですけど、妹は全く慣れていませんので本当にビックリしたようでした」
「いやぁ、あれは妹さんだけでなく、誰が聞いてもショックを受けたと思います(笑)」
岩橋さんの奥さんはあの替え歌をどこで覚えたのだろう。いきなり前触れもなく歌い出したので全員唖然とするしかなかったのである。純情なご婦人には刺激が強すぎる歌であった。鹿児島の観光地の土産話よりもその替え歌の話をしに来たというのだから、聞いている後藤さんも驚いたに違いない。
「今度、本人に会ったら言っておきます。あの歌は強烈すぎるので、せめて先頭バッターは避けて、二番手以降でお願いしますと(笑)」
元歌を思い出そうとしたのだが、私も相当に酔っていたようで今なお何という曲だったのか思い出せないでいる。
                                 (平成29年作)

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暖かし

払ひたがる人ばかりゐてあたたかし



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霧島温泉の宿は前回夫婦で来た時に泊まった宿である。指宿の「白水館」に比べると相当に見劣りする。建物も古く、廊下や部屋も使い込まれた感じがして、各所に劣化が目立つ。温泉の蛇口を捻っても勢いの弱いお湯しか出てこない。しかし、料理は思いのほか豪勢で信用金庫の奮発具合が伝わってきた。
食事のあと、前日と同じようにカラオケに行くことになった。私と安藤夫妻と岩橋社長夫妻(写真)の5人である。妻は歌いたくないという。岩橋夫妻とは前回の金沢でも一緒だったので羽田空港で会った時から親しく話をさせてもらっている。このご夫婦もカラオケが大好きである。フロントに申込みに行くと予約が入っていて1時間半待ちだという。「それじゃ、卓球でもやって待っていよう」ということになり、何年振りかでラケットを握った。「中学校では卓球部だった」と安藤夫人。「それ以上に上手い」と安藤社長。「本当かいな(笑)」といいながらお相手をした。言うほどのこともなく、ほぼドングリの背比べ。サーブの小技が出来る分、少し安藤社長が上といったところか。
時間になりカラオケルームに入った。1人が歌っている間に次々と予約を入れていくので、歌い終わるとすぐに選曲が待っているという状態である。全員、本当に上手い。飲み物は止めておいた。ウーロン茶も注文せずに水だけである。「1時間だけだから水でいいよ」の誰かの一声に従った。1人5曲位ずつ歌っただろうか、気が付くと1時間半が経過していた。「フロントから電話がなかったねぇ」などと言いながら終了し、売店などに出掛けていった。

翌朝のことである。バスに乗り込んでの会話である。
安藤社長「カラオケ代、誰が立て替えてくれたの?日向さん?」
私「私の分は支払いましたよ。伝票に入っていました」
安藤社長「一人いくら?割ってくださいね」
私「いや、私は自分の分しか払っていませんよ。それぞれ部屋に付いているんじゃないですか?」
岩橋社長「いや、ウチは払っていませんよ。日向さん、いくら支払ったのですか?」
私「1800円。消費税込みで1944円。これって1人分ですよね。前日の白水館では1人3800円だったので、随分と安いなぁと思ったのですが」
全員「???」

結果的には、カラオケルーム1部屋1時間1800円ということが分かった。申込に行った私の部屋に付けられていたのだが、それにしても安い。追加の30分の料金も加算されていない。それを知っていれば飲み物もつまみも注文しておいたに違いない。随分ケチなお客と思われたことだろう。卓球代はいくらかと聞くと1000円だという。お湯の出が悪いくらいで文句を言っていては申し訳ない。
                                 (平成29年作)

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春日和

白無垢に添ひたるは父春日和



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知覧のあと、武家屋敷を見学し、その中の民家で昼食となった。食べ切れないほどの料理を前に飲み物がドンドン運ばれてきた。まさに牛飲馬食の様相である。食べ終えてバスに乗り込むと次の目的地の霧島神宮まで2時間以上掛かるという。走り出してすぐに眠ってしまったことはもちろんである。神宮の駐車場に到着し、ようやく目が覚めた。ぼんやりとした頭で参道を歩き始めた。
妻「ニニギノミコトがちゃんとイワナガヒメを受け入れていれば、人間は不老長寿でいられたのにねぇ」
私「えっ、何のこと?」
妻「寝ていてガイドさんの話を聞いていなかったんでしょ」
私「聞いていない」
妻「面白い話だったのに……」
私「教えてよ」
妻「山の神オオヤマツミに二人の娘がいて姉がイワナガヒメで妹がコノハナサクヤヒメ。ニニギノミコトは美人のコノハナサクヤヒメを妻として、美人でないイワナガヒメは断ってしまうんだよねぇ。もしオオヤマツミに言われた通り、二人とも妻にしていれば木の花が咲くように栄えると共に、岩のようにしっかりとした永遠の命を手に入れることが出来たのに、という話」
私「ヒェー、聞きたかったヨー」
鯨飲した報いである。ここは天孫降臨の地。高千穂峰の頂上にはニニギノミコトが立てた「天の逆鉾」もあるという神話の故郷なのである。爆睡していては罰が当ろうというものである。

霧島神宮はそのニニギノミコトやコノハナサクヤヒメなどを祀っている。ちょうどその日結婚式があったようである。とても美しい花嫁さんがいて写真を撮っていたので思わずカメラに収めてしまった。コノハナサクヤヒメもこのように美しかったに違いないと思いながらシャッターを切っていた。
                                 (平成29年作)

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如月

如月や遺書も遺品も玻璃の中



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翌日は雨模様だった。朝から降っていたが、目的地に着くと上がっているという不思議な雨だった。知覧特攻隊の記念館に着いた時も上がっていた。傘なしで歩いて行くことが出来た。前回も訪ねているので中の様子は分かっていた。
今回はひとつの遺書を探して歩いてみた。旅行に来る前に読んだ「知覧からの手紙」(水口文乃著)に書かれた穴沢利夫少尉という人の遺書である。図書室に勤める中央大学の学生だった青年が自ら志願して陸軍航空隊に入隊する。その恋人だった女性が戦後60年を経て綴った手記である。
「あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの」と彼女は語っている。国を挙げての戦争に多くの若者達が命を捧げていったのである。
「〈この人は日本男子だったんだ〉学生でも兵役を免れる特権をいつまでも持っていられたわけではありませんが、徴兵前に志願する必要はありません。それでも利夫さんは自ら志願したのです」とも綴られていた。
戦争とは死に直面することである。戦地に赴く者にも銃後を守る者にも死が身近に感じられた時期である。その中でも特攻は特別である。最初から生還の可能性を排除し、死を必然としたのである。遺書には様々な思いが綴られていて万感迫るものがある。穴沢少尉の遺書はすぐに見つかった。婚約しつつも最後は結婚を諦めることになった二人だが、そこには永遠の愛が綴られているかのようだった。展示コーナーのガラスケースの中に飾られた手紙を前に、しばらくはその場所から離れることが出来なかった。

記念館では語り部の話を聞くことも出来た。何百回、何千回語ったのだろう。たくさんの遺書の文面を諳んじていて鬼気迫るものがあった。バスの時間があり途中で席を立つことになってしまったのは残念である。後ろ髪を引かれるとは、あのようなことを言うのだろう。記念館の出口あたりで前を行く安藤夫妻が急にトイレに寄っていくと言って中に入って行った。待っている間、わずかな時間が出来た。カウンターに並べられた書籍が目に入った。20種類ほどあっただろうか。その中の1冊を手に取った。「いつまでも、いつまでもお元気で」という本である。
バスに戻ってすぐに読み始めた。中には遺書がたくさん綴られていた。読み始めてすぐに泣けてきた。自分の母親や家族に向けて書かれたものが多い。決意を綴る一方で悲しさが伝わってくる。私が泣いていたことをバスの中で知る人は誰一人いない。後ろの席では安藤社長の笑い声がいつまでもいつまでも続いていた。
息子と娘に宛てた29才の久野正信さんという人の遺書を載せておこう。幼い子供達に宛ててカタカナで書かれている(写真)。

正憲 紀代子へ
父ハスガタコソミエザルモ イツデモオマヘタチヲ見テイル。ヨクオカアサンノイヒツケヲマモツテ オカアサンニシンパイヲカケナイヨウニシナサイ。ソシテオホキクナツタナレバ ヂブンノスキナミチニスゝミ リツパナニッポンヂンニナルコトデス。ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。「マサノリ」「キヨコ」ノオトウサンハカミサマニナツテフタリヲヂツト見テヰマス。
フタリナカヨクベンキヨウヲシテ オカアサンノシゴトヲテツダイナサイ。オトウサンハ「マサノリ」「キヨコ」ノオウマニハナレマセンケレドモ フタリナカヨクシナサイヨ。オトウサンハオホキナヂユウバクニノツテ テキヲゼンブヤツツケタ ゲンキナヒトデス。オトウサンニマケナイヒトニナツテ オトウサンノカタキヲウツテクダサイ。父ヨリ
マサノリ キヨコ フタリヘ
                                 (平成29年作)

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春の夜

春の夜の歌手はマイクを離さない



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今回の旅でお世話になったのが、昨年もご一緒した安藤社長ご夫妻である(写真)。羽田空港でお会いした時から私のことを「先生」と呼んでくる。前回の旅行の時にブログを紹介し、それ以来ずっと読んでくれているようで「俳句はよく分かりませんが文章の面白さだけはよく分かります。よくああやって書けるものだと感心し、私達の間では日向さんのことを『先生』と呼んでいるんです。朝、会社に行って最初にやることが『ひこばえ』のチェックですから(笑)」と持ち上げてくれる。今回の旅の食事の席ではいつも隣同士で、お陰で本当に楽しい旅になったのである。
安藤社長は話が上手い。よくもまぁ、これだけ話せるものだと感心させられる。内容は兎も角も次から次へと話題を振ってくる。社長がいるところ、常に笑いが絶えない。絶妙なタイミングで絶妙な一言を繰り出す。
私「会社でもいつもこんな感じなのですか?」
奥様「いえいえ、会社では意外と大人しいんです」
私「えーっ、信じられない(笑)」
奥様「会社ではパソコンに向かって『ひこばえ』ばかり読んでいます(笑)」

宴会のあと10名ほどでカラオケルームに入った。前回の旅でご夫妻が揃って歌上手であることは知っていた。安藤社長が尾崎豊「シェリー」を熱唱する。本当に上手い。本物そっくりである。尾崎豊が乗り移って歌っているようにも聞こえてくる。咽喉は丈夫なようで張り裂けるような歌い方である。
私「上手いねぇ。尾崎豊そっくりだよ」
奥様「ちょっと、やり過ぎですよね(笑)」
私「これくらい徹底してやれば何でも本物ですよ」
奥様「仕事もこれくらいやってくれるといいんですけど、そっちの方はすぐに手を抜くんですよねぇ(笑)」

『シェリーいつになれば俺は這い上がれるだろう
 シェリーどこに行けば俺は辿り着けるだろう
 シェリー俺は歌う愛すべきものすべてに』
その夜、布団に入ってからも安藤社長の歌声が耳から離れなかったのには少々閉口させられた(笑)。
                                 (平成29年作)

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啓蟄

啓蟄の砂に埋もれて砂の風呂



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JTBが企画した今回のコース、実は4年前に同じようなコースを夫婦で巡っている。あまりにも行先が一緒なので一瞬参加を躊躇したほどである。前回は自分で見たいと思った場所を選び、それに沿って宿を決め、レンタカーで回ったのだが、ツアーコースがこうも一緒になろうとはと驚いたものである。私の企画力も満更ではないらしい。私が選んだコースというのが(1日目)空港でレンタカーを借り、霧島神宮に参詣し霧島温泉に泊まり、(2日目)黒酢の壺畑を見、桜島に登り、フェリーで鹿児島へ渡り、西郷隆盛に因んだ場所を巡り市内宿泊。(3日目)知覧、武家屋敷を見て指宿温泉宿泊という3泊4日のコースである。今回は2泊3日なので桜島も鹿児島市内観光も省かれ、その代わりにイッシーの池田湖と開聞岳、宮崎日南の鬼の洗濯岩の2か所が加えられたというものである。どちらかと言えばその2か所より鹿児島市内を選んで欲しかったのだが、歴史に興味のない人が立てたプランのようで完全に「せごどん」が外されている。
仙巌園のあと「熊襲亭」という料理屋で昼食を摂った。ビール、お燗、冷酒、焼酎と短時間であれやこれやと空瓶が並んだ。バスに乗り込んだ途端、グッスリと寝込んでしまい、目が覚めると池田湖畔である。トイレ休憩かと思いきや、そこで1時間の見学時間と取ると言う。ボーッとした寝起きの頭でイッシーならぬ大ウナギを見学し、ソフトクリームを舐めながら湖畔散策。開聞岳は美しかったが、ほかに見るべきものもない場所での1時間は何のためだったのかとプランを立てた人の気持ちを訝しく思った。

旅館は「白水館」。最高級の宿である。部屋の広さと豪華さには驚かされた。昨年の金沢の「加賀屋」以上に思えた。風呂はもちろん砂風呂である。着替える場所は別々だが、砂場に入ると男女一緒である。妻と並んで横になるとすぐに砂を掛けられた。その重いこと、熱いこと。係員の説明では「時間は10分か15分位です」と言うので「随分と短いものだなぁ」と思ったのだが、なるほどそんなに長くは入って居られないような重圧感である。入るや否や女性が「写真は如何ですか?」と声を掛けてきた。「えっ、写真を撮ってくれるの?お願いします」「一枚1000円になります」「あっ、サービスじゃないの?しっかりしているねぇ(笑)」砂から顔を出しただけの姿を撮ってもどうかとは思ったが、これも旅の思い出である。頭の下に枕を置かれ、撮影用の唐傘をバックに1、2枚写して「はい、オッケーです」といとも簡単に終了である。なんと商売上手であることか。砂に埋まっていては「手も足も出ない」。
                                 (平成29年作)

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春の旅

まつろはぬ熊襲の国へ春の旅



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昨年に引き続き、取引先の信用金庫が主催する「まなびの旅」に夫婦で参加してきた。今回は鹿児島の指宿温泉、霧島温泉を巡る旅である。その所々で「まなび」があるに違いない。まずは下調べとして「せごどん」こと西郷隆盛についての資料を漁っておいた。来年の大河ドラマである。地元は大いに盛り上がっているに違いない。池波正太郎や海音寺潮五郎などの本を読み、史跡などについても調べておいた。旅行に出掛ける前のいつもの私の行動パターンである。しかし、出掛けに行程表を見て驚いた。その中に「せごどん」に係わる場所がないのである。
「えっー!」
生家にも城山にも行かないというのである。辛うじて島津家の別邸「仙巌園」には行くようであるが、あとは幕末とは無縁の旅である。遥か以前に送られてきていた行程表をよく読みもしないで勝手に「鹿児島イコール西郷隆盛」と思い込んでしまった私も馬鹿であるが、「もう少しやりようがあっただろう……」と文句も言いたくなるのも分かろうというものである。大きく溜め息を付いた。しかもそれに加えて今回の旅に友人の落合社長ご夫妻が参加しないというのである。「どうしたのだろう、夫婦仲に何か問題でも生じたのだろうか?」と心配にもなってくる。品行方正な社長なので「浮気でもして……」などという推察は余計なことではあるが、「せごどん」といい、社長不参加といい、少し出鼻を挫かれての旅行となってしまった。しかし折角の鹿児島である。楽しんで来るしかない。

鹿児島に到着し初めに訪ねたのが仙巌園である。向かう車中でバスガイドさんが「三つのへ」のことを教えてくれた。
「鹿児島の方言には『へ』と発音するもの三つあります。一つ目は桜島が噴火した時に降ってくる灰のことです。灰のことを『へ』と発音します。二つ目はブンブン飛んでくる蠅です。蠅のことも『へ』と言います。そして三つ目がオナラです。これは全国共通で『へ』と言っているようです。『へ』(灰)が降っでけだ、『へ』(蠅)が飛んじょ、『へ』(屁)をひった、というように使います。これを鹿児島弁の『三つのへ』と言い、『なるほど、へぇー』とお客様が言いますと、これが四つ目の『へ』ということになります(笑)」
バスの中で笑い声が起こったかどうかは忘れたが、「なるほど」と勉強させられたことは確かである。さすがに「まなびの旅」だけのことはある。
(注)記紀神話などで国の平定事業に逆らい、抵抗し帰順しない者を「まつろわぬ者」と表現した。その「まつろわぬ熊襲の国」にのんびりと春の旅に出掛けようというのである。
                                 (平成29年作)

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春風

春風に四股踏む真似の泥着かな



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外に出て9時40分。中にいたのは正味10分程度である。これではカズ君が相撲嫌いになってしまう、そう直感した私は慌ててもう一つの荒汐部屋を訪ねてみることにした。こちらはガラス越しの見学なので睨まれることはない。車を走らせ大急ぎで駆けつけると、部屋の回りに力士達が出ていて自転車に乗ったりして帰るところであった。稽古が終わったようである。ちょうど10時になっていた。残念とは思ったが、部屋の側まで行ってみることにした。何人かの見物客が力士と写真を撮ったりしている。カズ君の様子を見ると娘にしがみ付いて離れようとしない。力士の姿を見ただけで怖がっているようである。写真どころではないように見えた。仕方ないと思ったその時に声が聞こえた。
「写真を撮りたがっているんじゃないか。撮ってやれよ」
兄弟子が若い者に指示するような言い方だった。私達の姿を見て、そう思ってくれたようである。
「写真、撮りましょうか」
一人の力士が近づいてきてくれて部屋の看板を背に記念写真を撮ってくれた。カズ君の表情は少し緊張気味に写っていたが、そのあと別の力士が来て抱き上げて宙に放ったりしてくれたので最後はご満悦になっていた(写真)。
「とても感じが良かったね。荒汐部屋、サイコー」とは娘である。
「あまり東関部屋を悪く言うなよ。稽古中はどこもあんなものかも知れないよ」と私。
「そうだろうか。稽古が終わって急に荒汐部屋のように優しくなれるんだろうか。考えられない」と娘。相当に印象が悪かったようである。

その後、浅草の蔵前神社にお参りし鰻を食べスカイツリーに上って来たのだが、家に帰ってカズ君と相撲を取ろうとしても一向にその気にはならないらしい。いくら私が「ハッケヨイ」と言っても知らぬ顔を決め込んでいる(苦笑)。
(注)泥着(どろぎ)とは稽古場などで廻しを付けた力士が羽織る浴衣のことである。
                                 (平成29年作)

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凍ゆるむ

押さば押せ押せば土俵の凍ゆるむ



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朝稽古が見学できる相撲部屋を探そうとインターネットで調べてみると、荒汐部屋、八角部屋、東関部屋の名前が出てきた。それぞれ前日の午後に連絡をしてから来てくださいと書かれている。土曜日の夕方に電話を掛けてみた。孫のカズ君には翌日曜日に稽古を見に行くことを話している。まずは八角部屋に掛けてみた。すると「明日は稽古をやっていない」という。しかも見学するにはインターネットで申し込んで下さいという。まさかやっていないとは考えなかったので少し慌てた。次に荒汐部屋に掛けてみた。こちらはやっているという。「いつでもどうぞ」と言ってくれた。しかし稽古はガラス越しでの見学になるという。「ガラス越しかぁ。迫力に欠けるなぁ」
次に東関部屋に掛けてみた。時間帯が悪いのか繋がらない。夕方、ドタバタしていたのでそれっきり電話をするのを忘れていた。寝ようとして布団に入った時に思い出した。少し遅いが仕方ない。
「もしもし、東関部屋ですか……」
電話をして驚いたのは茶の間にいた妻である。寝るものだとばかり思っていた私が、いきなり大きな声で喋りだしたのだから「急に大きな声を出さないでよ。心臓に悪いわよ」と叱られてしまった。

翌朝8時半に家を出た。向かうは東関部屋である。電話応対の感じも良く、土俵のすぐそばで稽古を見せてもらえるという。9時20分に到着した。玄関ドアを押して入るも誰も出てこない。稽古場から声が聞こえる。まず私が入って稽古場の戸を細く開き、中を窺った。外人客が座っている。その向こうでこちらを振り向いたのが高見盛である。
「おっ、高見盛だ」今は髷を落としたので親方になっている。「なんだ?」というような目付きをして私を睨んだ。「スミマセン、昨日電話で予約しておいた者です。4人、大丈夫でしょうか?」すると高見盛、外人の座っている間の座布団を指差して目で合図する。「座れ」ということらしい。振り返って妻に「オッケー」の合図を送る。高見盛が無言なので、こちらもついつい無言になる。外人は全員女性で10人くらいいた。私達のために座布団を用意してくれたが「サンキュー」とも言えない。声を出してはいけない雰囲気なのである。妻は入ってきたが、カズ君が入って来ない。いきなりの裸の稽古風景に驚いたらしい。入りたがらないのを娘が無理やり抱っこして入ってきた。少しざわついた。高見盛が振り向いて「ちょっと、困るんだよなぁ」と低い声で注意する。「スミマセン」と娘。小さな座布団に座って見始めたが、ものの2、3分でカズ君が愚図つき始めた。途端に振り返る高見盛。目がキツイ。堪らずに娘は外に出る。我々もそれから10分程して外に出た。
「もう、雰囲気悪いよ。怖すぎだよ。あんなに睨まなくたっていいのにねぇ」と娘。
「集中して稽古しているから、ちょっとした物音でも怪我の元なんだよ、きっと」と私。
                                 (平成29年作)

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寒明け

寒明けの稽古相撲を見に行かむ



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取り寄せた文庫本を速攻で読み切った。どれも面白く甲乙付けがたいところだが、どれか一冊といわれれば「貴ノ花散る」ということになるだろうか。知った力士が実名で登場し、土俵の上では見えないその裏側のあたりを容赦なく書き立てているのだから、面白さこれに勝るものなしである。
「二子山親方(四十五代横綱若乃花)の末弟、花田満は初土俵以来、十六場所を負け知らずの快進撃で新十両に昇進した。十八歳の十両は当時史上最年少である。細身で均整のとれた体格と甘いマスクから角界のプリンスと騒がれ世間の目が一斉に注がれる。贔屓筋からは引っ張り凧で毎夜遅くまで引き回され朝帰りとなる。その日、花田が稽古場に出てこない。怒り心頭に発する二子山。「あの野郎」全身怒りの火の玉となった二子山に蹴倒されて、現れた時の花田は竹箒の柄で叩かれ全身はみみず腫れで血が吹き出ている。「満、四股を踏め」二子山の声が腹から絞り出された。花田は真一文字に口を結び衆目の中で四股を踏み始めた。その前へ右手に竹箒を持ち、左手を腰に当てた二子山が両足を踏ん張って突っ立っている」(本文より)
土俵の鬼といわれた兄若乃花に徹底的にしごかれる貴ノ花の姿を描いた表題作「貴ノ花散る」を始め、体力の衰えを抱えながら年寄株が手に入らず引退出来ずにいる横綱北の湖を描いた「北の湖凍る」。師匠二子山の長女と結婚し名実ともに部屋の後継者と目された横綱二代目若乃花が、結婚ののち家に寄り付かなくなり苦悶の末に離婚、引退への道を辿る「若乃花墜つ」。その後の二子山部屋の後継の一番手と思われた大関若島津が、二子山の二人の娘のどちらをも選ばず、歌手の高田みづえとの結婚を選ぶ「若島津翔ぶ」。その他、「輪島沈む」「朝潮引く」などタイトルを読んだだけでも面白さが伝わってくるものばかりである。
本を読んで久し振りに相撲が見たくなった。稀勢の里の横綱昇進できっと角界も沸き返っていることだろう。両国に行ってみよう。力士の姿をテレビでしか観たことのない孫のカズ君を連れて行こう。
「よし、今度の日曜日は相撲を見に行こう。朝稽古は面白いぞ!」
                                 (平成29年作)

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冴返る

花道に消ゆる人影冴返る



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もりたなるお(作家、本名森田成男〈しげお〉)氏が亡くなった。享年90才。「昨年11月21日に肺炎で亡くなっていたことが分かった」と1月20日(金)の新聞に載っていた。折しも大相撲初場所は稀勢の里が初優勝を目前にし、もし優勝ならば19年振りの日本人横綱の誕生かと大賑わいの時である。「懐かしいなぁ」と思った。氏の作品を夢中になって読んだのはもう25年も前のことである。本は処分していてもう書棚にはない。もう一度読みたくなり、アマゾンで取り寄せることにした。

平成2年の暮れ、高田川部屋の餅つき大会に次女を連れて参加している。地元金沢区出身の十両力士「前進山」を応援してのものだった(写真)。その頃というのはちょうど貴花田が幕内に上がり、若貴ブームで大相撲がフィーバーしていた時である。次女はその時9才、小学校3年生である。相撲が始まるとテレビ中継で貴花田を応援したものである。横須賀の不入斗体育館で大相撲の巡業があるというので、前売券を買って二人で出掛けたのはその翌年のことである。おそらく春先であろう。若貴はもちろん、小錦や寺尾もいた。
帰りのバスでトラブルが発生した。娘を乗せ、私が乗り込んだところで小銭がないことに気付いた。運転手に聞くと釣り銭がないという。慌てた。
「ちょっと待っててください。そこの向かいの店で両替をしてきます」
そう言って一旦、バスを降りたのだ。そしてその店で何かを買っている所で、いきなりバスが発車してしまったのだ。
「えーっ!馬鹿野郎!娘が乗ってるんだ!」
何を買ったかは覚えていない。とにかく小銭を手に走った、走った。追い掛けた。バスの運転手は私一人だと思ったのかも知れない。いや、実際には娘がいることは分かっていたようだ。途中で停めて待っていてくれた。後ろの車を通そうとして走り出さなければならない道幅だったのかも知れない。いや、それにしても慌てた、慌てた。乗り込んで娘に詫び、運転手を怒鳴りつけた。家に帰って妻にその話をし、逆に叱られたことはもちろんである。あれからしばらくは娘もバスがトラウマになっていたかも知れない。忘れられない苦い思い出である。
その当時、もりたなるおさんの著書を片っ端から読んでいた。相撲界の裏側であったり、力士の悲哀が綴られていた。あれから25年である。訃報を前に自分も年を取ったことを思っていた。
                                 (平成29年作)

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