2016年10月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2016年10月の記事

秋渇き

秋渇き女体山頂下りてより



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ホテルを出てスマホで日帰り温泉を探した。食事もしたかったが、ジェット風呂に入りたかったのである。
すぐに「つくば湯」がヒットした。食事も出来るしジェット風呂もあるようだ。一旦駐車場に戻り車で移動した。温泉のハシゴというのも詰まらない話だが、食事をしなければならないので同じことである。受付の男性にジェット風呂があることを確認してから入浴料1,300円を支払った。風呂は一度入っているので食事を先にした。生ビールとつまみにニジマスの塩焼き(写真)などを頼み、手帳を取り出し思い浮かべていた句の検証を始めた。最も楽しい時間である。
リュックには「季寄せ」を入れてきている。歳時記より薄く、季語がたくさん載っているところがいい。「秋」の部をペラペラと捲り、その日の出来事に相応しい季語を選んでいく。気になった季語はメモ紙に書き写していく。その過程で俳句が口を衝いて出てくることがある。そうやって瞬時に思い浮かぶ句は大体いい句である。あれを言いたい、これを言いたいと捏ね繰り回すような句はろくな句にならない。捏ねれば捏ねるほど、最初の感動から離れていくのが実際である。ビールを飲みながら手帳に5句6句と並んでいく。それを後々推敲していくのである。
「秋渇き」という季語が目に止まった。「夏に減退していた食欲が、秋になって増進すること」と説明されている。まさにお腹ペコペコのその時の状態である。その取り合わせに女体山頂があっているかどうかは分からないが、女体と渇きは付かず離れずくらいの距離に思えたのである。
ビールを飲み、最後の山菜冷しうどんを食べ終える頃には何句も出来ていた。それほどの句でなくてもいい。今は原石である。それをどう磨き上げるかがあとの楽しみである。目的のジェット風呂に入り、足の疲れを取り除き、アルコールを飛ばした。

それにしても登山とは楽しいものである。根が出不精なので何事もその気になるまでには相当の時間が掛かるのだが、一旦やると決めたら行動は早いのである。前回から10年掛かってしまったが、毎朝のウォーキングもあるので次回は早いような気がする。おそらく山歩きの本を一冊買って来て次の計画を立てるに違いない。近場にあり車で行けて歩きやすそうな山。会社に詳しいのが一人いるので聞いてみよう。きっとお勧めがあるに違いない。三つ目の日本百名山をどこにするか今から楽しみである。つくば湯を2時に出発し、4時半に家に戻ってきた。
                                 (平成28年作)

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爽やか

山の湯に伸ばす手足の爽やかに



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ロープウェイのつつじヶ丘駅に到着し、車を置いてある筑波山神社前までのバスに乗り込んだ。所要時間14分。ノンストップで運んでくれた。到着して12時15分になっていた。食事もしたいし風呂にも入りたい。目の前に大きなホテルがあり「空中露天風呂」と看板に書かれていた。入ってみることにした。受付のカウンターの男性に入浴料1080円を支払った。
「食事の場所はあるの?」
「いえ、ございません」
「えっ、風呂だけ?」
「大浴場は向かいのエレベーターで2階に下りていただき、階段でもう一つ下りていただいた所にあります。ここは3階となっております」
「……?」
変な所に入ってしまったなぁと思った。他のお客の姿が見えない。しかし、お金も支払ったことだし、早く風呂にも入りたかったのでエレベーターに向かうことにした。風呂には誰もいなかった。泥だらけの登山靴の紐を解き、脱衣場から浴場を覗いてみた。ローマ風呂と書かれている。
「ここ?空中でもないし、ジェット風呂でもないじゃん!」
さすがにここは駄目だと思った。考えていた所と違い過ぎる。面倒だが返金して別の場所を探そうと思った。私が入りたかったのは空中風呂でありジェット風呂なのだ。なぜ、それに拘るかと言えば10年前の大菩薩峠での体験に基づいている。あの日、初めての山歩きを終え、向かったのが甲府市にあった「天空の湯」である。甲府盆地を見下ろし、南アルプスを眺めながら入った湯は最高だった。風呂もジェット風呂だった。脹脛にジェットを当てて疲れを揉み解した。数日後、現れるはずの筋肉痛が出なかったのはあのジェット風呂の効果に違いないと10年経った今も信じている。これだけの道を歩いてきたのだから数日後きっと筋肉痛に悩ませられるに違いない。それを解消するにはジェットは絶対なのである。払い戻そうと決め、エレベーターに戻った。エレベーターの中に貼り紙があり、そこに空中露天風呂7階と書かれているのを見た。
「……??」
何だろ?なんであの男性は暗いローマ風呂を案内したのだろう?今の時間、7階はやっていないのだろうか?よく分からないが行ってみよう。行って駄目なら払い戻そう。
空中露天風呂には誰もいなかった。狭い脱衣所だが風呂には入れるようだった。床が濡れていないので誰も入った様子はない。石鹸などはないと書かれている。もちろんジェット風呂ではないが、暗いローマ風呂よりは余程良い。入ることに決めた。湯の温度も温めで丁度良い。爽快である。天気も良い。眺めも良い。誰もいないのも気持ち良い。湯に寝て床に寝そべって大いに疲れを癒したものである。
(注)写真はその空中露天風呂から写した筑波山神社の大鳥居である。
                                 (平成28年作)

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穴惑ひ

山の名に男体女体穴惑ひ



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電話は協力会社からのものだった。山頂でこの写真を撮った直後の呼び出し音である。
「どうしたのだろう?何か不幸でも起きたのだろうか。今日は日曜日、いずれにしても明日まで待てない内容だろう。いいことではないに違いない」
悪い予感がしたので、山頂の岩の上での電話は避けようと思った。すぐ掛け直す旨を伝えて早々に切った。人だかりを縫って山頂を下りた。しばらくしてまた電話が鳴った。
「もしもし、社長ですか。お休みの所を済みません。大きなクレームを起こしてしまいました」
「どうした?どんなクレーム?」
「3日ほど前に分かったのですが、場所は九州です。先方の社長が相当に怒っています」
山の電話はよく切れる。話の途中で切れるのでついつい声は大きくなる。広場のような場所を探したが見当たらない。道行く人が何度も何度も振り返る。4回も5回も切れながらもようやく全貌が見えてきた。
「大丈夫だよ。悩んでも仕方ないよ。案ずるより産むが易し。明日、飛行機で飛んで先方の社長さんの顔を見て説明すれば一発で解決だよ。少なくても命まで取られることはないから安心しなさいよ。百戦練磨のアンタにしては珍しいねぇ。先方が怒っていると言ってもクレームの内容からして何の問題もなく解決出来る範疇だよ。最悪、俺が責任持つから安心しな。頼むよ、今、筑波山の山頂だよ。地球は大きいよ。クレームなんて小さい、小さい」
とは言ったものの、電話を切ってからしばらく考えていた。内容を反芻して「大丈夫だな」と思えるまで少し時間が掛かった。「あの人なら無事解決するだろう。それにしてもどうしてあんなに慌てたのだろう。慌てるほどの内容でもなさそうなのに。体調が悪いのだろうか。ほかに悩みでもあるのだろうか。一度、聞いてみよう」
足は来た道を戻るのではなく、女体山の近くにあるロープウェイの駅に向いていた。「弁慶七戻り」を見に行く気は失せていた。電話が来て急に現実に戻され、早く山を下りて一杯やりたくなったのである。ロープウェイで下りる先は車を停めた場所とは違ってしまうが、どうにかなるだろうと思った。すぐにロープウェイは来た。130分掛けて登ってきた山をわずか6分で下山した。
                                 (平成28年作)

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秋の蝶

山頂の岩に影置く秋の蝶



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再び御幸ヶ原へと戻った。登山者と観光客が入り混じっている。子供も多い。ケーブルカーを使えば簡単に登って来られる場所である。久しく忘れていた「行楽」という言葉を思い浮かべた。
女体山に登ったあとは「弁慶七戻り」などという奇岩、怪岩なども見たいと思っていた。疲れていても好奇心だけは旺盛である。歩き始めて気付いたのは女体山への道の緩やかさである。標高は男体山871m、女体山877mと男女が逆転している。背の高い方が男だろうと言いたい所だが、歩いてみて分かった。男坂、女坂というように坂の急峻さ緩やかさで名前を決めたようである。何事も実際に見て自分の足で歩いてみることが大切である。
途中、ガマ石、セキレイ石と名付けられた大きな石があり、謂れなどが書かれていた。その先に茶店があり、「寄って行ってください」と声を掛けられたが、休んでいる時間はない。目が合って素通りも悪いので店先に置いてあった「筑波山を彩る花」という冊子を買うことにした。300円。いろいろと草花を見てこようと思っていたのだが、思わぬ難コースに花に心する余裕を失っていた。「花の名前も知らないで通り過ぎるのは勿体ないからねぇ……」と言いながらお金を支払った。
山頂はすぐ先にあった。男体山より混み合っていた。人数は10倍以上いるような気がした。
「なぜ、こっちだけがこんなに混んでいるのだろう?」
理由はすぐに分かった。来た人が長くその場に留まるからである。御本殿のすぐその裏に天空に突き出すように岩場があり、そこでしばらく時間を過ごしているのである。先に行こうとしても混み合っていて待つほどである(写真)。
「素晴らしい!」
人波に揉まれるようにしながらも、絶景ポイントに立つ喜びを実感していた。本当に来て良かったと思った。高所恐怖症であることも忘れて先に進み、遠く雲海に浮かぶ富士山を眺め、下界を見下ろした。
「これが登山の醍醐味だなぁ」などと感激に浸っていた。大汗を掻いて登ってきた意味がそこにあるのだ。
「来て良かったぁ」と心底思った。と、その時、電話が鳴った。「こんな山頂でも電話が通じるのか?」と思いながら相手を確かめた。「えっ、何だろう?今日は日曜日だよ」いやな予感がした。
                                 (平成28年作)

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山粧ふ

歌垣の地なれば山も粧へり



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ひと休みしてから男体山に向かった。片道15分、山頂の本殿も見えている。「また登るのかぁ」と思いつつも、山頂が目と鼻の先だけに頑張りも利く。しかし、あれだけの距離を歩いてきた後だけに本殿まであとわずかという所でベンチに腰を下ろしてしまった。向かいにご夫婦と思われる二人が腰掛けていた。私より年上に見えたので60代後半といったところか。少し訛りがあった。犬を連れて登って来た人が横を通り過ぎたあと、会話が始まった。
夫「こんな所までワンコロを連れてくることもないだろうになぁ……」
妻「ワンコロなんて言う人いないよ。あんたねぇ、それって差別用語だよ。ねぇ?」
私に同意を求めてくる。
私「……(笑)」
夫「じゃ、何ていうんだよ。犬コロかよ。田舎じゃ、みんなワンコロって言うがなぁ」
妻「あんたは声が大きいんだから、聞こえたらどうすんのよ」
夫「ワンコロって別に悪い言葉じゃないと思うけどなぁ……?」
私と目が合う。
私「私は愛犬家じゃないですが、少なくとも愛犬家の人はワンコロとは言わないと思います」
妻「そうですよねぇ。ほれ見なさい(笑)」
夫「ウチのお袋だってワンコロ、ワンコロって言ってたからなぁ。お袋に文句言ってくれよ(笑)」

そのあと御本殿に登りお参りをした。狛犬が一体置かれていた(写真)。
「あれっ、対になっていない。もう一体はどうしたのだろう?山の上から転げ落ちたりでもしたのだろうか」
よく見ると相当に古いものである。所々に欠けている部分もあり、顔も分かりづらい。話には出てこなかったが、あのご夫婦も見たはずである。まさか狛犬のことをワンコロと呼ぶこともないだろうが、どんな会話になったのか聞いてみたいような気がしたものである。
                                 (平成28年作)

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秋澄む

秋澄むや一人訪ねし嬥歌の地



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鈴の人が教えてくれた難所というのは本当だった。急に傾斜が厳しくなった。目の前の岩に手を付いたり、柵の木杭に掴まったりしながら登って行った。文字通り「這いつくばって登る」である。「ここさえ登り切れば」という思いで頑張ったので情報を与えてくれた男性には感謝である。難所を越えてしばらくした所に男女川(みなの川)の源流があった(写真)。今回の山登りを思い立つ契機となった男女川である。顔を洗い、口を漱ぎ、身体中の汗を拭った。

筑波山のことは万葉集にさかんに詠まれている。男女二峰を有する山容が歌人には恋の山と映ったようである。嬥歌(かがい)のことも書かれている。未婚の男女が歌をやり取りし、求婚相手を探す場が嬥歌であり歌垣(うたがき)である。気の合った相手を見つけると木陰などに隠れて一夜を過ごしたかも知れない。そのような言い伝えが遠く離れた都人の想像を掻き立てて、僧正遍照の歌となったのであろう。
「筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞ積もりて淵となりぬる」
子供の頃、北海道の実家で遊んだ百人一首は取り札が木札だった。上句を読みあげ、木札に書かれた下句を取るのである。「筑波嶺のォ~」と読まれると「恋ぞ」を取るのである。それぞれ好きな木札があったが、「恋ぞ」と大きく書かれた札は目に付いたものである。

男女川源流を越え残りわずかとなったが最後の上りも甘くはなかった。難所のような急勾配はないものの、これでもかこれでもかというくらいの坂が続いた。この坂を走って下りて来る人もいる。鈴の人が言っていた鍛錬の人であろう。追い越して行った人が再び下りて来るのにも出会う。この人もまた鍛錬であろう。凄い人達である。靴もズボンも泥だらけの状態でようやく御幸ヶ原に到着した。9時30分。130分掛かったことになる。看板に書かれていた90分を大きく越してしまったが、まずまずの登頂だったと思う。男体山に行く前に眺望を楽しみソフトクリームなどを買ってみた。原宿などで食べるソフトクリームより断然美味しかったことは言うまでもない。
                                 (平成28年作)

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汗滂沱神の嶺へと一歩づつ



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早朝だというのに前を行く人が何人もいた。若い人も年寄りらしき人もいる。一様にゆっくり歩いている。道は木の根を跨ぐような場所から始まった。考えていたような道ではない。私の想像していたのはハイキングコースのような散策路である。「スタートから結構きついなぁ」などと思いながらも、早朝ウォーキングの成果を試す時でもある。スタスタと調子よく歩き、前を行く人を次々と追い越していった。
「随分とゆっくり歩く人達だなぁ。これじゃ90分じゃ着かないだろうに……」
人の心配をしているような場合ではない。その後に何が起こるか全く分かっていなかった私である。
木の根の道から石がゴロゴロする道に変わっていった(写真)。歩きづらいこと、この上ない。前日の雨で道はぬかるんでいる。滑る。汗が流れ落ちる。まだ足は大丈夫なのだが、足場が悪いのでヨタヨタする。タオルで汗を拭い、リュックに入ったお茶を取り出す。結果、ペースが落ちてきて、さっき追い抜いたノロノロ歩きの人達に一人二人と追い抜かれていく。視線は足元にある。足をどこに置くかが重要である。丁度良い場所に足を掛ければいいが、へたな所に置くと余計な力を使うことになる。休憩場所があるはずだが、そこに行くまで待てずに休むことになる。買ったばかりのお茶がすでに半分になっている。どこまでこれが続くのだろう。急に不安になった。最初に追い抜いた人には全員追い抜かれ、あとの人が次々と追い付いてくる。果たして踏破出来るのだろうか。

道の半分手前あたりにベンチがあり、そこで休憩した。方針は「ゆっくり行こう」に変わっていた。熊除けの鈴を付けた男性が登ってきて隣に座り会話が始まった。
「初心者コースと聞いてきたんですけど、結構ハードですよね」
「この山は冬場も雪が降らないので、山歩きをする人達にとっては練習するのにいいコースなんです。この道を上って男体山、女体山と回り、つつじが丘方面へと下りて行き、またこの下に戻ってくる。このコースを二回りする足を持てば、日本中のどの山も上ることが出来ると言われています」
「そんなにきついコースですか。この登りがまだまだ続くのですか?」
「この先に一番の難所があります。きつい登りですが、そこを越えるとあとは大丈夫です。時間を気にせず、ゆっくり登ることですよ」
男性は鈴を鳴らしながらゆっくりと歩き出した。二本の杖を使いながら登って行く。充分に休んだので体調はいいのだが、汗は相変わらずである。妻が用意してくれた速乾性の下着、シャツの効能は抜群である。しかし、滴る汗は止まることを知らない。
                                 (平成28年作)

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天高し

天高し百名山の前に立つ



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登山前のドタバタから書かなければならない。登山といえば今からちょうど10年前の平成18年8月15日に大菩薩峠を歩いている。たった一回だけである。山歩きが趣味だった会社の元石さんという人に話を聞き、最も初心者向きという場所を紹介され出掛けたのである。スポーツ用品店で靴からリュック、カッパの類まで揃えたが使ったのはその時たった一回だけ。「あの時の靴はまだあったかなぁ」といいながら下駄箱の奥に放り込まれているのを引っぱり出してきた。
「筑波山も初心者コースというから大丈夫だろう。日本百名山で一番低い山だというから大したことはないだろう」と軽く考えていたのである。妻にも一緒に行こうよと誘ったが、準備不足を理由に断られた。その分、いろいろと心配はしてくれて「その服はありえない。こっちの方がいいよ。ズボンはこれしかないから仕方ない。天気は大丈夫?」などとチェックしてくれる。
「今は服も下着も速乾性の物になっているよ。ズボンも買いに行く?」
「いいよ。1、2時間歩くだけだから……」
「天気予報では今、筑波山に雷雨注意報が出ているよ」
「山の天気は変わりやすいというから、明日は大丈夫だろう……」
私はといえば、そんなことより筑波山に祀られているイザナギ、イザナミのことを調べようと古事記を引っぱり出して、国生みの辺りを読んだりしている。

朝4時に起き、あれこれ手間取り5時15分に出発した。空には月も星も出ていた。天気は上々である。高速道路で東京に入ると曇っていた。埼玉県を越え、茨城県に入ると凄い霧である。同じ関東でこんなに違うものかと驚いた。谷田部インターを降りた時も霧の中である。7時に筑波山神社横の駐車場に到着したが、その時は青空が出ていた。天気予報というのも難しいものである。登山靴に履き替え、早速歩き出した。神社にお参りし、ヤマトタケルの像を拝み、登山口に辿り着いた。7時20分。「御幸ヶ原コース、距離2.5キロ、標高差610m、所要時間90分」と書かれている。毎朝のウォーキングの成果を試す時が来た。パラパラと登山客らしき姿が見える。確かに妻がいうように皆それらしい格好をしている。杖まで持っている人がいる。三々五々、上り始めて行く。「よし、スタートだ。90分と書かれているのだから普通に行けば7、80分ということだろう」と自分なりの計算をし、自信満々で登り始めたのである。
                                 (平成28年作)

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爽やか

爽やかに三十一文字が口を衝く



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ウォーキング中はただ歩いているだけではない。いろいろなことを考えながら歩いている。初めの頃は余裕もなかったが、途中からは歩きながら「倫理法人会憲章」の暗記を始めた。会の人達から覚えて来るように言われたからである。朝といっても真っ暗である。新聞配達員を一人二人見かけるだけである。誰もいないので大きな声を出しても咎められることもない。私の目覚ましは平日4時、土曜日3時に合わせている。覚えたフレーズを声に出しながら歩いて行く。
「朗らかに働き、喜びの人生を創造します。約束を守り、信頼の輪を広げます。人を愛して争わず、互いの繁栄を願います」などとやるのである。その声を聞いて寝ている人が目を覚ますかも知れない。悪い夢を見たと思う人もいるかも知れない。うなされることはないだろうが、何事が起きたのかと窓を開ける人がいるかも知れない。真っ暗な夜道が私だけに与えてくれる自由な時間である。(本当はそれほど大きな声ではないので人に迷惑を掛けることはない)
この頃は憲章の暗記も終わったので、別のことを始めている。百人一首の暗記である。子供の頃、家で上句を読んで下句を取る歌留多をやっていたので、大体は覚えているのだが、あやふやな所がたくさんある。この際なので全部言えるようにしておこうというのである。しかも折角なので、一から百までの順番通り、作者の名前も覚えてしまおうというのである。「一番、秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ、天智天皇」といった具合にである。(ちなみに北海道では下句を読んで下句を取るのが一般的なようだが、母は故郷山形の上句を読んで下句を取る遊び方に拘ったようである)

ということで本屋に寄って百人一首の本を一冊買って来た。ペラペラと捲っていくと面白いことが書いてある。「世を宇治山と人はいふなり」の喜撰法師は有名だが、法師の歌はこの一首しかない。それでいて六歌仙の一人になっている。高級茶「上喜撰」の人であり「たった四杯で夜も眠れず」である。これは浦賀に現われた「蒸気船」すなわち黒船4隻で夜も眠れなくなった幕府の慌て振りを皮肉った狂歌である。「乙女の姿しばしとどめむ」の僧正遍昭。僧正とは僧侶のなかでも特に高い地位。相当な年齢を重ねた僧侶が若い娘に熱を上げている、と取られかねない歌である。しかし作者は35才の時、慕っていた天皇が亡くなった時に出家しており、歌はそれ以前の純情多感な年代に詠んだもの。歌集を編む時は作者の最後の地位や身分で呼ぶのを慣例としていたので、このような誤解が生まれることとなる。
読み進むうちに第13首「筑波嶺の峰より落つる男女川」に差し掛かった。仕事の関係で年4、5回は訪ねる筑波である。しかし、筑波山には登ったことがない。男女川(みなの川)とはどこを流れているのだろう。百人一首に歌われた地名で私の家から最も近い場所が富士山と筑波山である。早朝のウォーキングの成果を試すチャンスかも知れないと思い、出掛けてみることにした。
                                 (平成28年作)

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露草

露草の濡れゐて朝のウォーキング



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7月31日(日)の朝、起きてすぐにウォーキングシューズを履いた。もともと早起きの方なので朝起きは苦ではない。辺りはまだ真っ暗である。屈伸運動、足首・脹脛のストレッチを中心に身体をほぐしてから歩き始めた。歩くコースは大体決めていた。家の周りの1.7キロコースである。夜明け前だというのに気温は高く、歩く前から汗を掻いていた。家を出て最初の300メートルは平坦な道である。久し振りの早歩きも苦にならない。しかし続く300メートルは上り坂である(写真)。一気に上がろうと気合を入れたが、途中から息が苦しくなり、心臓がバクついてくる。足は付いていくが息が上がる。頂上に達した時は限界に達したようである。身体に悪いと思った。健康のために始めたのに健康に最も悪いことをしているように思えた。深呼吸を何回もした。心臓の動悸を沈めようと必死に息をしていた。頂上でしばらく死んだようになっていた。そこから300メートルは下りである。汗が噴き出て止まらない。下りたところにコンビニがあり、ヘトヘトの様相で飛び込みドリンク剤を買った。こんなこともあろうかと小銭を持ってきたのである。しばらく休んでから歩き始めた。続く500メートルは平坦な道で息を整えるには丁度良い。最後に60段の上りの階段が待っている。ヨロヨロしながら上り、あとは自宅までの緩やかな下り坂300メートルを歩いた。朝起きて歩くだけと言いながらも結構な運動である。というよりも体力の衰えを感じた。これが難なくこなせるようにならなければならないと思った。シャワーを浴びパンツ一丁で汗の引くのを待ったが、なかなか収まらず、もう一回シャワーを浴びに行った。

3、4日続けたあたりで、あの心臓のバクツキはなくなった。身体の順応性というのは大したものである。何事も鍛錬であると実感した。今では普通に坂を上って行けるようになり、軽くジョギングを交えるほどになっている。歩いた日はトイレのカレンダーに〇を付けている。妻は三日坊主だと思っていたかも知れないが、8月も9月も〇は続けられていった。途中で北海道に行ったが、その時もシューズを持って行った。一日でも中断してしまうとそれ以降止めてしまいそうだからである。雨の日も風の日も〇は続く。このブログがアップされる10月10日は連続72日目ということになる。朝、目が覚めたらサッと起きる。起きたらシューズを履き、外に出るだけのことである。至って簡単である。
                                 (平成28年作)

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朝寝

決めしことあり朝寝などしてをれぬ



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倫理法人会の創始者丸山敏雄先生の本を読んでいる。倫理というくらいなので人の生き方、幸せになる道などが説かれている。その最初に書かれているのが「朝起きがすべての基本」である。「一日に一度必ず目が覚める。目が覚めるということは生きていることの証。ああ、今日も生きていて良かったと機嫌よく起きるのが本当だ」と書かれている。なるほどと思いつつもそれがなぜ重要なのかは分からなかったが、次のような文章で少し気が付いた。
「自分を変えるとは自分の日々の生活の一コマ、一コマを変えていくこと。変えられない人とは気付いても何もしない人、やらねばと思っても先延ばしする人、理由もなく延期し、これが癖になりズボラを決め込んでいる人。そうした悪い習慣の大本が朝寝である」
「気付いた時こそ、物事を処理する最高のチャンスである。それを延ばせば次第に条件は悪くなる。すぐやる習慣を身に付けよう。それを身に付けるための第一歩が朝起きである。朝、目覚めたらサッと起きる、ただそれだけである」

「よし、やってみよう」と思ったが、目的もなくサッと起きるのはアホらしいような気がした。何かをするために起きるようにしなければ続かない気がする。以前聞いた講演で大きな会社の会長さんが話していた内容が頭に残っていた。
「毎朝3時に起き、体操を行い汗を流す。天に向かって誓いの言葉を言い、風呂に入り、仏前に向かったあと写経をする。朝食を摂り、誰もいない会社に出勤し、会社の回りを清掃する。これを何十年にも亘って続けている。何十年も続けようとして始めた訳ではない、一日一日と続けて何十年になっただけの話である」
「素晴らしいなぁ」と思いつつ「自分には出来ないなぁ」とも思っていた。しかし、全部を一度にやろうとするから出来ないのであって、一つずつ近づけて行けばいいと考えることにした。まず思い付いたのがウォーキングである。整体師の先生からも「脹脛(ふくらはぎ)は第二の心臓。軽い運動を是非行ってください」と言われていて気になっていたところなので朝歩いてみようと思い立ったのである。夜は一杯飲んでしまうので私には向かない。丁度いい。朝起きとウォーキング。「よし、明日から始めよう」と思った。
                                 (平成28年作)

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送り火

送り火や涙は人に見せぬもの



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美山寮を出て50年の間に我が家は9回の引っ越しをしている。興山寮、美山、西区2番棟、西区36番棟、北区、北区アパート、中村市街、中島家そして泉町である。狭い地域の中をあちこちと移っている。高校を卒業し東京に出た私が帰郷するたびにどこに帰ればいいのか戸惑ったというのも大袈裟な言い方ではない。
母の仕事も変わっている。興山寮の炊事係に始まり、配炭所の事務、世話所の衛生係、炭鉱事務所の労務係、新事務所勤務、昭和46年の閉山のあとも赤平炭鉱の給与係、試験を受けて歌志内市役所採用となり施設の寮母、戸籍係、市役所の支所、福祉事務所の福祉係へと移っている。
「仕事はいくつも変わったけど、一度として待遇が下がったことはない」
母の矜持である。見るからに責任感が強く、任された仕事は必ずやり通すというタイプである。何事も筋道を重んじ曲ったことは嫌いなタイプなので「人」としても信頼されることになる。誰彼となく世話を焼くので、人から好かれることは勿論である。また字が上手い。市役所に提出した履歴書一枚で寮母から戸籍係に抜擢されたほどの字を書く。自分の親を褒めても仕方がないのだが、本当に上手い字を書く。それにもう一つ、話が上手い。田澤家が大勢集まった時などの様子が今も目に浮かぶ。母を中心に輪が出来、そこで滔々と語り始める。周りはただただ聞き入るばかり。決して面白く話そうとしているのではないが、真実を淡々と語るので思わず引き込まれていくのである。物の考え方、人のあるべき道などについては妙に説得力がありブレがない。苦労してきた分、母にとっては普通と思われることが聞く側にとっては人の道を説かれているようで心に響くのである。
「お前みたいに人前に立って話すようなことは出来ない」と母は言うが、それは慣れただけのことである。「母さんのように人の心を打つような話は出来ない」と答えるしかない。

今回3日間に亘り話を聞かせてもらった。聞いている私には何度も涙をぬぐう場面があったが、母は一度として涙を見せることはなかった。「このように辛い場面を話しているのにどうして涙が出ないのだろう」と何度も思った。
「あまりにも多くの涙を流してきたから」
聞いたらそう答えるかもしれないが、聞くべきことでもないようにも思え止めておいた。
「お盆だからといって、このあたりじゃ迎え火を焚くようなウチはないんだ。内地(加茂)ではちゃんとやるもんだったァ。気休めみたいもんだけど、何もしないというのもなんなので、線香に火をつけて苧殻の替りにしてるんだァ」
加茂から歌志内に来て60年になろうとしている。母にとっての加茂がどんなに大切な場所だったかが今回よく分かった。3日ではいくらも話せなかっただろうが、まずは一通り聞けたことは良かったと思う。次回また詳細に語ってもらう時のために聞きたいことを今から纏めておくことにする。
                                 (平成28年作)

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父の日

父の日のいつも間近に忌日あり



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神威小学校1年1組。授業中に教室から廊下に呼び出された。先生がすぐ家に帰れという。どうしてなのかは知らされなかった。一人で学校を出て、坂を下り美山寮の家に戻った。学校の校門を出て150メートルほどのところに家がある。ランドセルを背負って寮の入口に立った時、一階に住んでいた人達が戸口から顔を出し、黙って私を見ていたのを覚えている。

昭和35年6月17日、落盤事故で父は死んだ。一報は坑内中を駆け巡ったに違いない。美山寮の管轄は東区世話所である。誰かが母に知らせに行かなければならない。世話所の関さんという人が知らせてくれたのだが、いきなり死んだとは言えなかったようで「事故で怪我をしたようで病院に運ばれた」という言い方をしたらしい。それを母は死んだとは考えず、入院することになったと理解したようである。すぐさま病院で必要となる布団の用意をし、リヤカーに積んで運ぶように人に頼んだそうである。自分は郵便局に行き美唄に電報を打っている。電報を受け取った父の長兄は「炭鉱での事故は即ち死」と思ったそうであるが、母はそうは考えていない。一旦家に戻り病院に向かう途中で運んだばかりの布団を持ち帰ってくる人に出会った。寮に住む山口さんである。
「あれっ、どうしたの?布団は要らなくなったの?入院しなくてもよくなったの?」と母。
「あれっ、聞いてなかったんですか?」と山口さん。
そう言ってしまってから山口さんは母がまだ父の死を聞かされていないことに初めて気付いたようで、あとはしどろもどろになってしまったそうである。
事故は父を含め三人の炭坑夫がいた現場で起きた。横坑の奥の鉄柱を移設する仕事で、危ないので他の二人を待たせて一人で入って行ったらしい。その二人佐々木さんと宮永さんはその後何年にも亘って家に線香を上げに来てくれたのである。
病院にはたくさんの人が駆けつけてきたようである。誰が亡くなったのだろうと見に来た人もいたのかも知れない。歌志内で1年8ヶ月しか働いていない父である。知らない人の方が多かったかも知れない。しかし中島のじっちゃんを知らない人はいない。どんなことがあっても涙一つ流しそうもない明治の男、炭坑の男である。そのじっちゃんが泣いた。その姿を見て「あの人が泣くくらいだから相当な人が亡くなったのだろう」との話になったそうである。
その後、陰に日向に中島家は母を支えてくれた。女手一つで男三人を育てるのである。
「もし、これが加茂で起きていたとしたら自殺していたかも知れない。母さん一人じゃ、とても背負えなかったもの。中島の人達があったからこそ、こうしてここまで来られたんだァ。じっちゃんやばっちゃんには本当に感謝している」
                                 (平成28年作)

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