2016年07月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2016年07月の記事

暑気払ひ

飲み過ぎも楽しさがゆゑ暑気払ひ



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信用金庫が催す毎年恒例の研修会である。箱根湯本の宿に集合し勉強会を行い、そのあと宴会となる。ほとんど知った顔だが、初顔のような人も参加する。昨年は3人部屋で私の放屁騒ぎで大笑いしたのが、今年はメンバーが替わっての6人部屋である。知らない人が2人いたので名刺交換をしてから会場へと向かった。
戻ったのは夜中の12時である。宴会場から二次会のクラブへ行き、隣のラーメン屋に寄って部屋に戻った。さすがにラーメンは食べなかったが、結構な量のお酒を飲んでいる。布団は3人ずつ2部屋に敷かれていて、他の5人は寝ているようだった。一つ残った布団にもぐり込み一瞬で眠りに落ちた。目が覚めたのは朝6時半である。風呂に行こうとして気が付いた。私の頭の辺りに敷かれていた布団が一つ無くなっている。どうしたのだろう、もう帰ったのだろうか。寝ぼけた頭で考えながら風呂へ向かった。朝食の席で聞いた話では、その布団で寝ていた人が私のイビキで眠れなくなり、夜中に布団を部屋の外に持ち出したらしい。
「イビキ?いやいや、私はイビキはかかないタイプの人間ですので……」
とは言ったものの、寝ているのだから真偽のほどは分からない。どの人だろうと教えてもらうと、離れた席で味噌汁を啜っているが、果たして昨日名刺交換した人である。部屋に戻ってお詫びをしたことは勿論である。
もう一人、私の横で寝ていた人が遅れて到着して隣になった。
「夕べは日向さんには参りましたよ(笑)」
「イビキですか、スミマセンでした」
「いやいや、イビキは気にならなかったのですが、目覚ましには参りました」
「目覚まし?」
たしかに私も途中で目を覚まし、スマホの目覚ましを止めた記憶がある。
「何時に掛けているのですか?」
「……わっ、4時だ!」
「あれは4時でしたか。しかも、ずっと鳴りっぱなしなんですよねぇ(笑)」
土曜日である。普通は5時半のところ、土曜日だけは早朝の勉強会があるので4時に設定している。しかも自分で止めない限り、ずっと鳴り続ける設定なので、深眠りの私が気付くまで相当の時間を要したようである。
イビキといい、目覚ましといい、昨年の屁のように笑って済ませる話にはならなかったようで、同室のお二人には大変悪いことをしてしまったものである。
(注)昨年の「屁一つ」の記事は平成27年7月27日に書かれている。お読みいただけると有難い(笑)。
                                 (平成28年作)

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白南風

白南風や百の帆柱揺れ合へり



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7名で資金を出し合って1000万円の中古のクルーザーを購入した。横浜ベイサイドマリーナに係留所を借り、保証金や係留料などを払い込んだ。船の内装を行なったり、什器を揃えたり、ガソリンの契約、保険など面倒な手続きはいろいろとあるものである。会則も作った。全員で使う分にはいいが、個々に使う時のルール決めである。使った人が使用料を支払うことになり、月々の会費の他に個々の費用を計算することになる。すなわち請求業務が発生する。「それを俺がやるの?面倒だよぉ」とは受講料を出してもらっている手前言えない(笑)。
買ってすぐに全員で東京湾クルーズを楽しんだ。爽快である。三浦半島も房総半島も間近に見える。猿島を過ぎ、第二海堡を過ぎ、城ケ島に近づいてくる。船内で好きな飲み物を飲み、食べ物も豪華に用意した。途中、船から海に飛び込んだり、釣り糸を垂れたりした。マリンレジャーは楽しいと思った。
後日、社長から「今度、社員を乗せて船を出そう」と言われた。もちろん運転手は君だという。「無理、無理、無理、絶対無理!」と叫んだことは勿論である。そう言う社長も免許は取ったものの私と同様に運転など出来るはずもない。「何のための免許だ!」と私を怒ろうとしても自分が出来ないのだから怒れるはずもない。結局は仲間の社長に運転を頼んで一度だけ船を出すことになった。社員は喜んだものの、あとにも先にもあの一回だけである。支払った金額を考えれば、物凄い金額のクルージングということになる(笑)。
その後、使う人、使わない人の差が出てきて、やめたい人、続けたい人の差になってきた。いつも使うのは7名の内の2名である。そのうち当社の社長が亡くなり、しばらくは続けていたが、どうしても脱退せざるを得ない社長が現れたため5年ほどで解散することになった。7名のうちの1人に船は買ってもらい、権利を引き継いでもらった。全てのお金を清算したが、共同で何かを行うことの難しさを教えられたような気がした。

磯子ヨットハーバーでも小魚を掬う場所は見つからず、期待させて悪かったなぁと思いながら帰宅すると、今日捕まえてきたというクワガタにカズ君の興味は移っていた。もちろん専用の籠があり、その中に買って来たばかりという土、葉っぱ、木っ端、ゼリーなどが入れられている。すでに心は小魚からクワガタへと移っているようであり、水槽のブクブクは止められていた。
                                 (平成28年作)

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戻り梅雨

あらぬ方向けて接岸戻り梅雨



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家族に小魚を掬ってくると言った手前、汚れきった海を前にさてどうしようかと思った。他にどこへ行けば掬えるだろう。葉山海岸などの岩場に行けばいるような気がするが少し遠過ぎる。近場でと考えて磯子のヨットハーバーを思い浮かべた。昔の記憶が蘇る。

実は私は一級小型船舶操縦士の免許を持っている。七つの海を航海出来る船長の免許である。平成7年の夏、当時の社長に誘われて本牧にある教習所に通ったのである。知り合いの社長7名が集まり共同でクルーザーを買おうということになり、夏休み中に皆で免許を取りに行くことになった。共同購入となると自ずと事務方が必要となる。会計や諸手続き、面倒臭い交渉事などをやらせるためにも私にも取らせておこうということになったようである。お陰でひと夏を学校通いで過ごすことになってしまったが、社長さん達が美味しいものを食べさせてくれたので、まずまずの夏でもあった。試験はそれほど難しくはなかったが、そもそもが興味のないところである。落第するわけにはいかなかったので、前日の丸暗記は必死だった。ガリ勉だけは得意なのである。学科は高得点だったようである。しかし、実技となるとそうはいかない。なにせ、一度として船を操縦したことがないのである。いきなり操縦席に座らされハンドルを握らされ「これから試験を始めます」と言われた時は頭が真っ白になった。教室の黒板で説明された装置が目の前に並んでいるが、操作方法は全く覚えていない。「はい、エンジンを掛けて」と言われても、どれがスイッチかも分からない。一瞬にして教官は私のレベルを理解したようである。
当日は雨模様だった。磯子の八幡橋あたりの河口からボートに乗り込み、海へ繰り出した。スピードを上げて、遥か先に見えるブイを曲れという。ワ、ワ、ワ、ワァ……ハンドルを切ろうにもブイは一瞬で後方へ去っていく。車の運転とは感覚が違う。地に着いていないのだからブレーキも効かない。「はい、やり直し!」何度か繰り返すうちに雨が目に入ったようで泣けてきた。何回かトライして、上手くいったかどうか分からない所で許してもらった。
次は接岸である。「あの岸に向かって接岸せよ」という。「はい!そこでハンドルを逆に切って」という。車と逆である。急にそう言われても長年身に着いた習慣はすぐには変えられない。モタモタしていると接岸が横付けでなく、頭から突っ込むことになる。汗びっしょりで試験を終えた。もちろん不合格を覚悟した。ひとり再試験となるだろう。しかしもう一度やったところで受かる自信はない。どうせ、事務方なのだから免許がなくてもいいだろうとまで思った。後日、合格と言われた時は本当に驚いた。テレビで海難事故のニュースを見るたびに、あの時のことを思い出す。
                                 (平成28年作)

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苦潮

苦潮の寄する汀に波はなし



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先日、カズ君(3才)が海で小さな河豚を捕まえてきた。クサフグの稚魚で大きさは6㎝ほど。たった一匹ではあるが、以前金魚を飼った時に使った水槽を持ち出してきて飼い始めた。翌日には専門店で海水製造液や砂、エサなど買ってきて娘も本気モードである。
「河豚は大きくなっても食べられないなぁ」
私の冗談には耳も貸さず、名前を付けたりして可愛がっている。しかし、その甲斐もなく1週間もせずに死んでしまった。コロリである。
その夜、帰宅すると河豚のいない水槽のブクブクが付けられたままになっている。
「あれっ、どうしたの?水槽、片付けないの?」
「また、捕まえてくるから、それまで水が腐らないようにブクブクさせておく」
そんなに簡単に魚を捕まえることが出来るだろうか。素人には無理だと思った。しかし私なら大丈夫。すぐにでも捕まえて来られると思った。そう確信するには理由がある。もう25年も前のことになるが大きな水槽に海水魚を飼ったことがある。その時、近くの海に行って岩壁の小魚を網で掬ってきたのである。シマダイ、クロダイ、カサゴ、カワハギ。岩壁にはいろいろな種類の稚魚がエサを求めて寄ってきているのである。そこに行けば掬えるという場所を知っているのである。
「掬ってきてやるよ」
「ワーイ!」
家族の期待を一身に背負い、数日後、網とペットボトルを持って出掛けた。「海の公園」の近く、柴漁港のはずれである。本当に久し振りである。確かこの辺りだったなぁと思いながら車を停めて歩いてみたが、記憶した風景とは大きく変わっていた。ヨットハーバーになっていた。早朝で誰もいない。柵がされていて中には入れなかったが、近づくと海藻の腐った臭いと油の臭いが鼻を衝いてきた。
「クサッ!何だ、この臭いは……」
一瞬、辺りを見渡した。ここがあの場所か?「恋する遊び島」八景島シーパラダイスが見える。大勢の観光客で賑わう「海の公園」がある。隣には健康ランド「スパ」まで出来ている。人々が夢を求めて遊びに来る場所である。小魚を掬ったあのきれいな海はどこへ行ってしまったのだろう。
                                 (平成28年作)

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大暑

選び選ばれて大暑に生を享く



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なっちゃんの誕生日パーティの司会は妹2人が担当した。特にみやちゃんの司会は立派で最後までしっかりと務め上げていた。相当に練習、準備を重ねたようで壁に大きくプログラムも貼られていた。最初の乾杯の大役は私ということになっていた。
「話は長くならないようにね(笑)」
娘から釘を差されはしたが、長くならないわけがない(笑)。次のような話をさせてもらった。

「昨日は銀行の集まりで箱根湯本に泊まってきました。今朝は宿を出てすぐに源頼朝にまつわる史跡を訪ねて石橋山、真鶴、湯河原へと回ってきました。最後に「しとどの窟(いわや)」という洞窟を見てきましたが、ここは奥湯河原からさらに山を登った場所にあります。上り口の奥湯河原に差し掛かった時のことです。たしか、この辺りだったなぁ。10年前のことを思い出していました。ちょうど今から10年前です。平成18年7月16日、私は俳句の吟行でその奥湯河原にある日本飛行機という会社の保養所(写真)に泊まっていたのです。俳句仲間の一人がその会社の役員ということもあって利用していました。夕食から宴会へと変わりカラオケも始まっていましたが、心は初孫誕生のことで一杯です。生まれるかも知れない。生まれたらすぐに連絡があるはず。携帯電話を肌身離さず持ってその連絡を待っていました。そしてとうとうメールが届きました。写真も添えられています。
「生まれた!」
私が大声で叫ぶとみんなが集まってきてくれました。
「おめでとう」「おー、美人だなぁ」「これはきれいになるぞ」
みなさん、口々に褒めてくれました。
「あまり美人、美人と褒めないでください。私もそう思います(笑)」
大喜びしたあの日からちょうど今日で10年。10年間、一度も訪ねなかった場所を10年目の今日、初めて訪ねたのです。こんな偶然ってあるのでしょうか。神様が仕向けた出来事に違いないと思いました。
そのなっちゃんが今日10才の誕生日を迎えました。とても明るく、元気で健康に育ってくれました。そしてあの時の俳句仲間が言っていた通り、とても美人です。今日はそんななっちゃんをお祝いして楽しく過ごしたいと思います。
では乾杯します。なっちゃん、誕生日おめでとう!乾杯!」

実は話をしている最中、胸に込み上げてくるものがあり困っていた。人前では話し慣れているつもりだったが、やはりなっちゃんのこととなると話は違うようである。笑いを取る余裕さえなく実に真面目くさった挨拶になってしまった。万が一にも涙など流そうものなら、二度とこの役は回ってこないことになったに違いなく、涙はなっちゃんの結婚式まで流さないことにしようと心に誓った次第である。
                                 (平成28年作)

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恋をして目元きりりとなりし夏



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7月16日、なっちゃん10才の誕生日がやって来た。プレゼントの希望があるかと聞くとサンダルが欲しいという。
「サンダル?」
妻が聞いたことなので、詳細は分からないが人気商品のようでなかなか手に入らない品物らしい。その購入は聞いた人に任せるとして、私は私なりにプレゼントを考えなければならない。いつも意表を突くものを用意するのが私のこだわりで、その結果過去何度かは大きく外している(笑)。
今回は4コマ漫画50作を用意した。きれいなバインダーに入れて、表紙には「なっちゃん、誕生日おめでとう」と手を振る主人公のウサギの顔が描かれている。このウサギ、名前は「よしこちゃん」といい、少々自分勝手なところがあるので「かってなよしこちゃん」と言われている。なっちゃんが生まれる前、私が社長になる前に会社の社内報に載せた作品である。さすがに社長になって漫画を描いている訳にもいかないので止めてしまったが、今自分で読み直してみても面白い作品ばかりである。平成8年12月から平成17年1月まで続けた。
これを今回なっちゃんへのプレゼントとした。果たして喜んでもらえるだろうか。

当日、家族はそれぞれで考え抜いた自慢のプレゼントを持ち寄る。一人ずつ手渡すのだが、その順番まで決められている。本であったり、ゲームであったり、バスケットボール関連グッズであったりと、なっちゃんの心を掴もうとみんな懸命である。その度に私は言う。
「俺の方が上だなぁ」
「えっ、そんなに自信があるの?」
「もちろん」
いよいよ私の番が回ってきた。なっちゃんも期待の眼差しである。
「誕生日、おめでとう!」
手渡された品物の包装紙を丁寧に剥がしていく。みんなが覗き込む。出てきた4コマ漫画。
「………???」
何、何、何と食いついてきたのは意外にもなっちゃんではなく、お父さんの方であった。
「これ、何ですか。お父さん(私のこと)が描いたのですか。これは凄い!本当にこれ全部描いたのですか?」
パーティの間じゅう、ずっと読んでいてくれたのは、なっちゃんではなく彼の方であった。
                                 (平成28年作)

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虫干し

虫干しや有象無象の画布あまた



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もう1点がこの作品で題名はもちろん「象2」である。これはお尻の方から描いている。あの頃は写真に撮るなどということは考え付かなかったので、実物をよく見て寸法を当り、下書きにも時間を掛けて描いたものである。関内のギャラリーに飾られたのを見に行ったが、見に来た人の目を惹いたようで、いろいろな人から声を掛けられた。すぐには象の置物と気付かない人もいて、説明をして「なるほど」ということになり、その後にじっくり見て「面白い」ということになった。抽象的な作品は他になかったので先生は困ったかもしれないが、私としては手応えを感じた作品なのである。展覧会を終えてすぐに教室はやめてしまった。続けていれば、もう少し上手くなったかもしれないと思っている。
25年間で完成した作品は6点しかない。4年に1点という寡作である。なぜかというと途中で止めてしまうからである。描きたいと思って始めるが、すぐに飽きてくるのである。
完成した作品はすべて人にあげようとして描いたものである。娘の結婚祝いに描いた沖縄の酒屋の絵。泡盛の壺を中心に瓶を百本以上描いてある。中央の2本の瓶のラベルには娘と彼氏の名前を書き入れ、世界に一つしかない絵だと言ってプレゼントしたのである。50号の大作であった。あとはなっちゃん、みやちゃんにそれぞれ描いてあげた作品である。二人が3、4才の頃にクレヨンなどで描いた絵を油絵にしたのである。現物そっくりに描き、背景はラウル・デュフィ風などに工夫を凝らした。友人の額縁屋の社長が驚くほど豪華な額を作ってもらい娘に届けたのであった。結婚して家を出ていく時に持たしてもらいたいと娘に言ってある。自分が子供の頃に画用紙などに描いた絵が油絵となっていたら嬉しいに違いない。何年後かに必ず実現することになるだろう。
そのような絵ばかりが完成する。描き掛けの画布が狭い部屋にいくつも立て掛けられている。見るとチマチマした絵ばかりが並んでいる。いっそ屋外に出てキャンバスを立て大自然を思いっきり描いてみたいと思ったりする。以前、真鶴半島にある中川一政美術館で見た映像が忘れられない。画伯が箱根の山に登り、大きなキャンバスに向かって絵筆を振るっているのである。気持ちいいだろうなぁと思って見ていた。いつの日か、チマチマと細部に拘る絵から脱皮して、一気に絵の具を塗りたくる豪快な絵を描きたいと思っている。
                                 (平成28年作)

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涼しさ

青に青重ね絵筆の涼しさよ



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趣味の話を書いたついでに油絵のことを書いておこう。
もう25年ほど前のことになるが、いつも通っている床屋の隣で絵画教室を開いている人がいた。顔見知りの奥さんが先生だったので通わせてもらうことにした。油絵の入門書などより、先生に習ったほうが近道だろうと考えたのである。通い始めて最初にやらされたのがデッサンだった。コンテでダビデの石膏像を画用紙に描いていくのである。絵の基本はデッサンからというのだが1枚描いたところで飽きてしまった。
「先生、もうデッサンは描きたくありません。画家になるわけじゃないので基本はどうでもいいんです。それより油絵の描き方を教えてください」
しようもない生徒だなぁと思ったに違いない。妻とも知り合いだった先生は、そこは譲ってくれて私の我が儘を許してくれた。早速、油絵の手ほどきとなった。飛騨高山で買って来たとかいう糸巻と紙の風車を前にして、よく見て描いてくださいという。絵の具の混ぜ方やペインティングオイルの使い方などを一通り教えてもらったと思うが、それほど難しいものではない。背景や影の付け方などを教えてもらったが、月謝を払って習うほどのことでもないなぁと感じた。しかし、すぐにはやめなかった。ちょうど、その時、教室で習っている人達の作品展を関内のギャラリーで開くことになり「日向さんも出品してください」と言われたのである。もちろん、「はい、わかりました」ということになった。
教室で描いたものを2点ということだったが、入会したばかりなのでまともな作品がない。自宅で描いたものでもいいということにしてもらって仕上げたのが写真の絵である。題名は「象1」。大きさは8号(45㎝×38㎝)である。近所の人からインド旅行の土産にもらった象の置物を、前方から見て一部分だけを大きく切り取って描いたものである。私にとって初めての作品であり、相当の時間をかけて描いた作品である。25年経った今も我が家の玄関に飾られている。
                                 (平成28年作)

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日焼子

日焼子のしづかに寺の書道塾



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習字は小学生の時に寺の書道塾で習った。その頃のことで思い出すのは初めて書いてきた字を見て母が驚いたことである。たしか「ほし」だったと思うが、あまりに上手だったので「本当にお前が書いたのか」と言われたのを覚えている。手本を下敷きにして書いたのだから驚くに当たらないのが、初めてにしては上出来だったようである。
次に思い出すのは塾の帰り道、橋の上から習字道具を川に落としてしまったことである。流されていくカバンを懸命に追い掛け、随分と先に行ってようやく拾い上げたのだった。夕暮れのペンケ・ウタシナイ川を今でも思い出す。
いずれにせよ、小学生の頃の話である。大したものではなかっただろうが、習った基本は多少なりとも記憶されていたようである。
足の痺れを気にしながらも、手本を真似て書いた「梅潤入書」である。梅雨の湿気が書物に染み通るという意味である。4、5枚書いたところで先生のところに持って行った。
「おお、上手いねぇ。初めてじゃないね」と言われた。
「小学生の頃に習っただけですから50年振りです。あとは時々、会社で祝儀袋に名前を書くくらいです」
「いや、本当に上手いよ。お世辞抜きで上手い」と絶賛である。人は褒められて成長するというが本当のようである。とてもいい気分で帰ってきた。

次の日の日曜日は早速デパートに出掛けた。硯、文鎮、紙、下敷き、墨、墨汁。蛍光灯の玉まで買ってきた。本で埋まった2階の部屋に文机を持ち込んで座る場所を作った。嬉しい。楽しい。気分がいい。何だろう、この気持ちは。書き出すと止まらない。何枚も何枚も書いては丸め、一番いいのを一枚書き上げるのに何時間もかかった。足が痺れるのには閉口したが、それもこれから何とか克服していくのだろう。次は和漢朗詠集でも手に入れようかと、思いは先走りする。
                                 (平成17年作)

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薫風

薫風や母に習ひし「とめはらひ」



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3時に塾を訪ねた。塾は先生の自宅である。駐車場が分からないので呼び鈴を押すと先生が顔を出した。「車を停めたら、2階に上がってきてください」と言い、挨拶をする隙もない。建物の脇に車を停め、中に入らせてもらった。改めて挨拶を済ませ、塾のあらましの説明を受けた。時間帯のこと、会費のこと、道具のこと、会誌のことなどである。説明を聞いている横で生徒と思われる女性が一人、練習をしていた。私が目をやったのを見て先生が「いつもはもう少し居るのですが……」と言っている。一人しかいないので私が不安に思ったかも知れないと考えたようである。生徒の数が気になるのは先生としては当然であるが、私としては特に気になるところではない。俳句の会もそうだったように生徒よりも先生である。いい先生ならそれで充分である。
「えーと、どうしますか?入会でいいですか」と聞いてきた。
「はい、お願いします」
同じようなシーンを思い出していた。倫理法人会入会の時である。初めて行った日に入会の意思を問われ、「はい、お願いします」と言うと周りの人が「おー!」と驚いたような声を上げたのである。入会することを決めて行ったのだから当然なのだが、普通は少し考える所なのかも知れない。
「では、この用紙に必要事項を記入してください。それから、入会金と月謝と会誌代で〇〇になります。それと筆は小筆と大筆で〇〇になります。今日、大丈夫ですか?」
なるほど、会って10分も経たないうちの現金授受である。気が引けるところかも知れない。これは事務的に済ませるしかないのだが、人柄の現れるところでもある。
「どうしますか、今日は練習していきますか?」と言う。もちろん、やっていくことにした。会誌を開いて、「今月の題があるので、それを書いてもらいます」と言う。先生が目の前で手本を書いてくれた。私の名前も添えてくれた。「名前は小筆ではなく、太い筆で書いてください」と言う。筆遣いの練習ということなのだろうか。
空いている席に座って書き始めると、次々と生徒が入ってきた。一々、挨拶をする。
「今日から入会しました日向と申します。よろしくお願いします」
                                 (平成28年作)

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乱筆を詫びる達筆梅匂ふ



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まずは塾の選定である。3、4年前に思い立った時は俳句仲間の一人が近所で先生をしていたので、そこに行こうと思ったのだが、その人は塾をやめてしまっている。倫理法人会が行っている書道の会もあるようだが、もしものことを考えて知らないところを選ぶことにした。インターネットで自宅の近くを検索すると車で10分程の場所の塾がヒットした。ホームページに主宰紹介の欄があり、そこで漢詩を書いている主宰の姿がユーチューブで流れていた。
「客暁」という詩をすらすらと書いている。2分26秒である。速い。あんなに速く書いていくものなのかと驚いた。簡単そうにも見える。自分もやってみたいと思った。一瞬で憧れてしまった。いろいろ想像してみたところで始まらないので、申し込んでみることにした。「メールを送れ」とあるので、すぐにメールした。
「初めまして。日向と申します。入会したいと思いメールさせていただきました。習字は初心者です。土曜日の時間帯などを教えて頂ければと思います。車で伺いたいのですが駐車場はあるのでしょうか。折り返しご連絡をお待ちしております」
送ったのが金曜日の午後で、土曜日の朝に確認するとメールが届いていた。直接、電話くださいとのことだった。
「もしもし、メールをさせていただきました日向と申します」
「〇〇です。初めての人でも大丈夫ですよ。最初は誰でも初めてですから、ゆっくり練習を続けていってください」
電話の声に気さくな印象を受けた。いろいろ説明してくれたが、実際に行ってみないと分からないので、その日の夕方に伺いたいとお願いした。
主宰がユーチューブで書いていた漢詩を載せておこう。望郷の詩のようである。

千里作遠客 千里、遠客と作(な)り
五更思故郷 五更に故郷を思う
寒鴉数聲起 寒鴉の数声起こり
窓外月如霜 窓外の月、霜の如し

(注)写真は近所で書道塾を開いていた俳句仲間の女性からいただいた手紙である。句はその時に詠んだものである。季節外れであるが思い出の句なので載せておく。
                                 (平成23年作)

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梅雨に入る

ためらひに滲む墨痕梅雨に入る



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3、4年ほど前のことである。「習字を習おうかなぁ」と妻に言ったところ、即座に「やめた方がいい、絶対に続かない」と言われた。「やるのだったら、会社を辞めてからにしたら?」とも言われた。なぜ妻が自信を持ってそう言うかというと、過去に中途半端になった私の趣味を山ほど知っているからである。釣り、油絵、マラソン、ギター、ジム、英会話、自転車、水泳、山登りなど枚挙にいとまがない。山登りなど最たるもので、スポーツ用品店で靴からウェア、雨合羽まで一式すべて揃えて、行ったのは大菩薩峠たった一回だけ。立派な登山靴が今なお靴箱に鎮座している。図星なのでその時は断念したが、やはり想いは残っていた。今回は思い切って入会することにした。やめないで続けていく自信が出来たのである。その理由を書いておこう。

熱しやすく冷めやすい性格だが、ここに来てずっと続いているものがある。倫理法人会の毎週土曜日朝6時半からの勉強会である。続かないかもしれないと思って始めたのだが、もう2年4か月も続いている。この頃は役員になったということもあり、6時からの役員朝礼に出るようになり、目覚ましは毎週朝4時に合わせている。
なぜ続いているのだろうと考えてみた。飽きっぽい男が休むことなく出掛けて行くのである。妻も不思議に思っている。この会は自分で思い立って入会した。活力朝礼を会社に導入しようと始めたのである。会社名義なので会費は会社が支払う。従業員に活力朝礼を毎朝やってもらう傍らで、私自身には会社を代表して会に参加し倫理経営を学ぶという役割を課せられていると思っている。私個人で始めたことならとっくに辞めているに違いない。会社や従業員を巻き込んで始めたので、途中で止めることは出来ないのだ。すなわち、始めてしまった責任を感じているのである。会員の中には入会しても朝出て来なかったり、途中で退会してしまったりする人が大勢いる。朝礼を行っていない会社も多い。しかし、会費だけを支払い、従業員に朝礼だけやらせ、自分は何もしないというのは自分の性分に合わないのだ。他の趣味には責任が伴わない。だから続かない。しかし、責任の伴うことには執着せざるを得ない。過去に全従業員に嫌われても自分の思いを貫こうとした時期があったが、それも責任感だったと思う。そういう性格なのである。

習字は責任感とは違うだろうと思うかもしれない。しかし、これも私にとっては責任感なのである。倫理法人会の教えに「親孝行の実践」がある。「どうしたら親が喜ぶかを具体的に考え、それを実行する」という教えである。今年87才になる私の母の趣味が習字であり、私が習い始めたと聞くと大いに喜ぶに違いないと考えたのである。案の定、始めたことを伝えると大喜びであった。すなわち、これは「単なる趣味」ではなく「親孝行」なのである。これなら、やめられる訳がない(笑)。責任がある。責任を感じたものはやり通すというのが私の性格である。
(注)写真の「方円」は母の習字の先生に書いていただいたものである。2m×1m.。我が家の居間に飾られている。
                                 (平成28年作)

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汗ばむ

借りてきた猫なる男汗ばめる



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Mさんとの出会いについて書いておこう。
昨年5月、誘われて倫理法人会の夜の勉強会に出席した。入会して1年以上経っていたが、夜はその時が初めてであった。勉強会のあと全員で飲みにいった。野毛の小さな居酒屋で十数名が二つのテーブルに分かれて座った。特に親しい人もいないので、適当な椅子に腰掛けてビールが来るのを待っていた。私の隣の席が一つ空いていて、たまたまそこに座ったのがMさんだったのである。彼もその時が初めての参加だったようで、後日Mさんはその時のことを次のように語っている。
「座る席を探しましたが、あいにく一つしか空いていませんでした。隣に真面目そうな人が座っていて、話しにくそうな感じがしました。しかし、そこしか空いていなかったので仕方ありません。モーニングセミナーでは見掛けていましたが、いつも真面目そうにしていますので話したことはありませんでした。ビールが配られ、乾杯したあと話が始まりましたが、ものの5分もしない内に一挙に盛り上がりました。真面目そうに見えたのは仮の姿で、一杯飲んだ時の姿が本当の姿だと分かりました。あれ以来、いつも隣で飲ましてもらっていますが、外したことはありません。人は見掛けだけで判断してはいけないことを日向社長に教えてもらいました」
それ以来の付き合いである。月1回の飲み会と時折個人的にカラオケに出掛けたりしている。

Mさんはよく奥さんの話をする。決して奥さんが主役になる話ではなく、話の落ちに奥さんを登場させるという扱いである。時に悪妻であり、時に恐妻、しかし最後はあくまでも「主導権は我が手中にあり」という言い回しである。それがなかなか面白い。いつも会場を笑いに包む必勝パターンである。周囲ではそれを自虐ネタと言っている。
先日、そのMさんが奥さん同伴でコンサートを聴きに来たらしい。私は行けなかったのだが、後日ある人がその時の様子を私に伝えてくれた。
「いつも奥さんのことを悪妻のように言っていますが、とても綺麗な人でした。Mさんはずっとその奥さんの横にいて、とても静かにしていました。いつものMさんとは違い、まるで借りてきた猫のようでした」
それを聞いた私が小躍りしたことは言うまでもない。さっそくMさんに言った。
「借りてきた猫の割りには、首に鈴が付いていませんね(笑)」
                                 (平成28年作)

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