2016年04月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2016年04月の記事

地獄の釜の蓋

地に伏してこれが地獄の釜の蓋



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塩野七生著「緋色のヴェネツィア」はサン・マルコ広場の鐘楼から男が身を投げる場面から始まる。主人公の名もマルコ。マルコの名はベネチアの守護聖人の聖(サン)マルコに由来している。
「ヴェネツィアで最も重要な教会はサン・マルコ寺院。その前に広がる広場もサン・マルコ広場。その広場の一画に立つ鐘楼も、サン・マルコの鐘楼と呼ばれる。また、ヴェネツィア共和国の正面玄関といってもよい、外国の王侯が到着し、自国の海軍提督が出陣していく船着き場も、サン・マルコの船着き場と呼ばれていた」(同書より)

広場の一画にあった警察署で順番待ちするN君を残し、その周辺の建物を見てみることにした。まずは、鐘楼である。高さ98.6メートル。ベネチア一の高さがあり、登れば町も海も一望出来る。しかし、入り口には長蛇の列が出来ていた。待っている時間はないので諦めることにした。サン・マルコ寺院にも列が出来ていたが、こちらはスムーズに入ることが出来た。列に加わり一通り中を見てきた。隣のドゥカーレ宮殿にも入ってみたかったが、時間が掛かりそうなので諦めて「溜め息橋」や「船着き場」の方に回ってみることにした。ゴンドラの乗り場があった。
「ゴンドラに乗ろうか」
「二人で?」
「そう、きっとN君は落ち込んでいてゴンドラどころじゃないよ」
「悪いわよ。一通りベネチアも見たことだし、このあたりで終わりにしていいんじゃない?ショックで落ち込んでいるのだから、ホテルに戻ってあげたほうがいいわよ」
「……」
「……」
「いや、やっぱりゴンドラだけは乗ろう。N君は今は落ち込んでいるけど、明日には立ち直っているよ。起きたことは起きたこととして、所詮、あとは手続きをして終わる話だよ。しかし、こっちはベネチアまで来てゴンドラに乗らなかったとしたら、あとあと悔やむことになるに違いない。あの時乗っておけばよかったと、一生思うかも知れない」
「大袈裟ねぇ。ともかく、今二人で乗るのはよそうよ。N君も終わって待っているかも知れないし……」
サン・マルコ広場に戻ると、警察署の前の石段に腰を掛けて我々を待っているN君がいた。
(注)キランソウ。漢字では「金瘡小草」と書く。葉が地に張り付くように広がることから「地獄の釜の蓋」とも呼ばれる。道端などに生える雑草である。
                                 (平成28年作)

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春塵

春塵に紛れし中にスリも居り



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呆然とするN君。その姿を見て何が起こったのか信じられない私である。N君はズボンの左のポケットを探りながら「落したのかも知れない」とも言っている。しかし、ボタンは掛けていたのでやはり掏られたと思うとも言っている。
「社長、済みませんがここで待っていてもらっていいですか」とN君。
言うやいなや、今来た道を戻っていった。
「どうしたの?」と妻。
「掏られたらしい。掛けていたボタンを外されて盗まれたようだ」
「今?」
「歩いていて、急に足が軽くなった気がしたと言っていた。すぐ後ろを歩いていたけど、全く気付かなかった。財布にはカードと免許証、お金が入っていたらしい」
「パスポートは?」
「それは大丈夫だと言っていた」
しばらくしてN君は戻ってきた。もしかして落したのかもしれないと思い、念のため見てきたのだという。
「済みませんが、警察を探したいので付き合ってもらっていいですか。折角の旅行をこんなことに時間を取らせて申し訳ないのですが……」
来た道を戻りながら道々交番の在処を尋ねたが、教えてもらう場所はいずれも警察ではなくあちこち歩き回るばかり。最終的にはサン・マルコ広場に警官が立っているのでそこで聞くのがいいということになり、図らずもその日の最終目的地を目指すことになった。道を歩きながら会社の人に連絡し、奥様に連絡し、カードの差し止めや保険などの手続きを済ませていくN君である。一瞬は慌てたと思うが、時間が経つに従い冷静さを取り戻していく姿は見事だと思った。ようやく警察署に着いたが、先客がいて順番待ちだという。待ち始めるとすぐに次の被害者が後ろに並んだ。どれ位掛かるか分からないので、申し訳ないと思いつつN君一人残して広場の周りの大聖堂や鐘楼を見てくることにした。
                                 (平成28年作)

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残り鴨

水脈引きて親に列なす残り鴨



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「ドラゴン・クエスト」というファミコンゲームがあった。今あるかどうかは知らないが、子供たちが小さかった頃、夢中になって遊んでいたものである。私自身はやったことはなかったが、後ろで見ていたので知っているのである。悪者に攫われたお姫様を助けに、主人公が城に入って行ったり、地下に潜ったりするゲームである。主人公の後ろには子分が付いていた。主人公が右に曲れば、その子分も右に曲り、下に潜れば子分も下に潜るといった具合である。
ベネチアの路地を歩きながら、私はそのドラクエを思い浮かべていた。N君の後ろに私がいて、更にその後ろを妻がいる。N君が曲れば私も曲り、そのあとを妻も曲る。目的地はサン・マルコ広場ということになろうが、「緋色のヴェネツィア」に書かれていた通り、人の流れに沿って歩く姿はさながら「ドラクエ隊士」のように思えていた。

細かい路地を幾重にも曲り、いくつもの広場を横切りながらようやく中間地点に辿り着いた。それまでの細い水路ではなく、大きな川の前に出たのである。「リアルト橋」である。この橋の周辺は海抜が高く、洪水の被害が少なかったため、古くから商業の中心地として発展してきたのであった。元々は木橋だったが、人の重みで倒壊したり、火災に遭ったりして16世紀に今の石橋に変わったそうである。
我々が到着した時、橋には大きなテントが掛けられていた。修復中である。
「いやぁ、残念でしたねぇ」とN君は言ったが、彼が言うほど残念には思わなかった。確かに小説の中に何度か名前が出てきたが、ほとんど重要な役割を果たしていなかったからである。それよりもサン・マルコ広場である。
「あと、どれくらい?」
「もう一息です」
「よし、急ごう」
修復中とはいえ、観光客でごった返している。その中を「ドラクエ隊士」は進んでいく。隊列は変わっていない。先頭をN君が歩き、その1メートル後を私、その2メートルあたり後ろを妻が続いていた。N君が橋の階段を10段くらい上った時である。急に立ち止まり、私の方を振り返った。いや、私の方ではなく、私の頭上の遥かその先を見つめていたのかも知れない。N君が言った。
「今、掏(す)られたかも知れません……」
                                 (平成28年作)

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水温む

ゴンドラに山と荷を積み水温む



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翌朝、またまた赤眼鏡のベンツが迎えに来てくれて我々をベニスメントレのホテルまで届けてくれた。前日泊まっているホテルなので勝手は分かっていたが、チェックインは午後になると言われ部屋には入れないという。ロビーの脇の荷置場に荷物を置くように言われた。物騒だなぁと思った。いくらホテルとはいえ、誰でも自由に入れる場所である。「大事な物は入れてないから、何かあったところで大丈夫だよ」と妻。これから待望のベネチア観光なので、もちろん荷物を持ち歩く訳にはいかない。あと一泊だからパスポートさえ無くしなければ何とかなる、と考えることにした。
ホテルの前からベネチア行きの路面電車に乗り込んだ。結構、混んでいる。「持ち物に注意してくださいね」とN君。財布やカードの在処を今一度確認して乗り込んだのであった。
一週間の旅のハイライトともいうべきベネチア観光である。旅が始まる前に塩野七生著「緋色のヴェネツィア」を読んで16世紀前半のベネチアのイメージは出来上がっている。ゴンドラが行き交う水路、細かい迷路のような路地、サン・マルコ広場、大聖堂、ドゥカーレ宮殿……小説の中に生き生きと描かれていた場所を実際にこれから見て歩くのである。期待で胸が膨らんだことは言うまでもない。

駅に到着すると、凄い人込みである。
「これからサン・マルコ広場に向かって歩いて行きます。結構な距離です。細い路地を通ったり、同じような広場に何度も出たりしますので迷わないようにお願いします」とN君。たしかに小説の中にもそのようなことが書かれていた。次の文章である。
「小さな広場(カンポ)でも、そこに出入りする小路は少なくとも二本はあるのがヴェネツィアの街の特色だが、ときにはそのうちの一本は、行き止まりであったり、行き止まりでなくても運河に抜けてしまうことがある。こうなると、同じ道を引き返して、別の小路に向かうしかない。そのような面倒を避ける最良の方法は、人が歩いて行く方向に自分も行く、ということなのだ。これは、迷路の多いヴェネツィアに住む者の、欠くことのできない知恵でもあった」
楽しそう!
                                 (平成28年作)

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星朧

城壁の中なる酒場星おぼろ



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待ち合わせの広場に赤眼鏡のベンツは時間通りに迎えに来てくれた。N君いわく「時間にルーズなイタリア人にしては上出来」ということである。過去に何度となくあてもなく待たされた経験から出た言葉のようである。時速160キロでホテルに戻り、ピペッタさんが来るまで小休止となった。デジカメの具合を調べてみたが中の部品が壊れてしまったようで、機械本体が振動を続け、画像が揺らいでいる。しばらく放置しておくと直ることもあるようなので、騙し騙し使ってみることにした。
ピペッタさんは車で城壁のある町へと案内してくれた。「城壁のある町」というより「城壁に囲まれた町」というべきかも知れない。その中には今でも城があるようである(写真)。中にはいろいろな店があった。夜が更けているので開いているのは飲食店だけだったが、中世の町並みをそのままに今に活用しているようだった。入ったイタリアンレストランは歴史を思わせる造りになっていた。例の如くプロシュートやモッツァレラチーズが出され、スパゲティーも抵抗なく食べられるようになっていた。オリーブオイルに黒胡椒をまぶし、グリッシーニにプロシュートを巻いて食べる術も慣れたものである。イタリア通とまではいかないが、それなりにコツは掴んだようである(笑)。
その日、最後に出されたのがグラッパである。これはワインを作る際のブドウの絞り滓を発酵させたお酒で、度数50度もある食後酒である。小さなグラスに少しの量であるが、鼻を近づけただけで強烈な香りがする。ピペッタさんは一気に飲み干した。食後の胃を洗浄するのだという。私ももちろん一気に飲むことも出来たが、折角のお酒を一気では申し訳なく思え、作法とは違うかも知れなかったが何度かに分けて味わってみた。決して美味しいという味ではないが、嫌いな味でもない。もしかして癖になるような飲み心地かと思いながら味わっていた。
少しほろ酔い加減で店を出ると、ライトアップされた城壁の上に星が瞬いていた。イタリアの夜空に眺める春の星である。城、城壁、石造りの建物、石畳……中世の町に彷徨い、中世に見上げた星のように思えていた。
                                 (平成28年作)

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暖かし

ベローナに愛の落書き暖かし



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ベローナにはもう一つ有名な観光地があった。シェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の舞台となったジュリエットの生家である。たくさんの観光客で賑わっていた。
映画「ロミオとジュリエット」を思い出していた。1996年のディカプリオではなく、1968年のレナード・ホワイティングとオリビア・ハッセーが演じた方である。洋画に夢中だった高校1年生の時、北海道の砂川市の映画館に友達と観に行ったのである。オリビア・ハッセーのあまりの可愛らしさに2、3日は放心状態だったことを覚えている。数えてみると、あれから48年も経ってしまっている。帰ったらもう一度あの映画を観てみよう、あの愛くるしいジュリエットにもう一度会ってみようと考えていた。中庭にジュリエットの像があり、みんな写真を撮っていた。ロミオが登ったような木は見当たらなかったが、バルコニーは残っていた(写真)。
妻もN君も入らないというので一人で建物の中に入ってみた。何でも見ておく主義である。中に入ると英語かイタリア語で係員に何か言われた。写真を撮るなということなのか、室内のことを案内しているのか、言っている趣旨さえ分らない。両手を上げて「分からない」ことを伝えると相手の女性も同じ仕草を返して寄こした。大したことではないらしい。中にはシェークスピアの資料やジュリエットのベッドなどが飾られていた。確かジュリエットはキャピレット家の家柄だったはず。それにしては狭いなぁと思いながら見て回った。外に出て落書きの壁があったので写真に収めたが、あとで見てみると全てボケていた。10年間使ってきたデジカメが壊れた瞬間だった。その後の旅行の写真が極端に少なくなってしまったのは、そういう理由である。

帰国して2週間経った日曜日の朝、ツタヤで借りてきたDⅤDを観た。48年前の感動よ再びである。オリビア・ハッセーの可愛らしさは言を待たない。自分の16才当時を思い出して少し息苦しさを感じていた。
主題歌がいつまでも頭から離れない。
What is a youth? (若さとは何だろうか?)
                                 (平成28年作)

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蛇出る

古代ローマ闘技場より蛇出づる



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ベローナに到着すると、帰りの迎えの時間を約束して赤眼鏡には帰ってもらった。降りると、広場の前に大きな闘技場が見えていた。
「コロセウムだ!」と思った。「しかし、あれってローマじゃなかったっけ?」
日程表をよく見てみれば書いてあったのだが、ベネチアのガイドブックばかり見ていたのでベローナの下調べは全く出来ていなかったのである。急に目の前に現われた古代遺跡である。早速、中に入ってみることにした。素晴らしい石造りで、1階の通路を少し下ると、左右に回廊のように通路が続いている。その途中に会場に出るための石段がある。青空がのぞいている。歩幅の高い石段を上りながら、古代ローマ人が通った場所を実際に歩くという感動を味わっていた。25000人を収容するという観客席は大理石で出来ている。最上階まで上がり、下を見下ろすなどしてみた。舞台ともいうべき中央の闘技場では椅子などを並べ、なにかの催し物の準備をしているようで、金槌の音が響いていた。
あとで調べたところによると、正式名称は「アレーナ・デ・ベローナ」だという。紀元前の建造物で、当初3階部分にも外壁があったようだが地震で倒壊して今の形になったらしい。アレーナとは会場に撒かれる「砂」という意味らしい。人間対人間、もしくは人間対猛獣の戦いが繰り広げられ、相当な血が流されたことだろう。そこに撒かれた砂のことである。啓蟄の季節、そこから蛇が出てくるという発想も悪くないような気がした。

アレーナを出た所に中世の騎士の格好をした男が剣を振り回しながら立っていた。通りすがりの人達に声を掛けている。何だろうと思って近づいていくと、N君から止められた。
「写真を撮ると、料金をボラれますから気を付けてください」
なるほど、そういうことか。そう聞けば胡散臭そうにも見えてくる。こちらに視線を送ってきたので、無視するようにして前を通り過ぎようとすると、男はこう叫んだ。
「ハラキリ、ジャパニーズ!」
全く、馬鹿にしている。
                                 (平成28年作)

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鳥の恋

鳥の恋イタリアーノの赤眼鏡



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翌朝はイタリア本社のピペッタさんがベニスメントレのホテルまで迎えに来てくれた。オーストリアのヘルベルトさん同様、イタリア工場で作る製品のアジア方面を担当する責任者である。この人も若い。30代である。同じようにおしゃれな髭を蓄えている。握手をし、挨拶を交わし、本社の近くのホテルに移動するために車に荷物を運び込んだ。前日の夜に到着したばかりだというのにもう移動である。車を走らせるやスマホをセットしカーナビとして使い始めた。本社に向かう途中に取引先の工場にも寄ろうというのである。車の中でピペッタさんはしきりに誰かと話をしている。行先の案内をしてもらっているようでもあり、仕事の打ち合わせのようでもある。助手席のN君と話しているかと思うと、また誰かと話している。何度も「チャオ」が出て来るので、それぞれ別の人のようでもある。約1時間半の運転中、途切れることなく話し続けていた。あとでN君に聞いてみたが、やはり仕事の打ち合わせや指示をしていたようである。それにしてもよくしゃべる人である。日本人であれだけしゃべる人を私は見たことがない。工場を案内している時も昼食の時も、ホテルに送ってもらうまでずっとしゃべっていた。よくもまぁ、次から次としゃべることがあるものだと驚くばかりである。

ホテルに着くとタクシーが迎えにきた。ピペッタさんが手配してくれたのである。午後の仕事をしている間、我々にベローナ観光を勧めてくれたのである。車は黒塗りのベンツだった。70才くらいのイタリア人運転手である。スーツをピシッと決めている。アルマーニかと思った。我々3人としっかり握手をして満面の笑みである。車を走らせると高速道路を時速150キロのスピードで飛ばし始めた。N君が話し掛けた途端、話が始まった。大袈裟な手振りを交えながら、とても陽気に話をする。時折160キロを超えるスピードで前の車を追い越しながらも話を止めることはない。運転中、ハンドルから手を離しているのではないかと心配になることもあった。ピペッタさん同様、この人もよくしゃべる。イタリアーノという言葉を思い浮かべていた。陽気によくしゃべるのがイタリア人の特徴のようである。しかもおしゃれである。赤縁の眼鏡がとてもよく似合っていた。
                                 (平成28年作)

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春野菜

春野菜添へてペペロンチーノかな



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男性が女性から最も信頼される瞬間とは、レストランなどで女性に変わって料理を注文する時ではないだろうか。それも外国で言葉も通じないような時に、前菜、メイン料理、飲み物、ワインの種類などを次々に選んでいったとしたら、どうだろう。頼りにされること請け合いである。最後に「デザートはどうしましょうか」などと言われた時には完全に見る目が変わってくる。
ベニスメストレのホテルに到着し、3人で初めて摂る夕食である。ホテルの近くのレストランに入り、出されたメニューがイタリア語である。私にもメニューが渡された。日本語も写真もない。何を頼んでいいのかさえ見当も付かないところを、じっとメニューを見続けるN君。
「任せてもらえますか?」という。
もちろん「お願いします」である。ボーイと英語でやり取りしながら、スープやプロシュートやモッツァレラチーズなどを注文していく。「パスタは好みもあるので3種類頼んで取り分けましょう」という。「ビールのあとは渋めの赤ワインがいいでしょう」と言われたときには、世界を股にかける凄い男に見えて来た。
どだい、日本でイタリアン料理など食べたことがない私である。スパゲッティーなど3年は食べていない。モッツァレラなど舌を噛みそうで口にしたこともない。中華料理の単品なら注文するが、それも写真があるから出来るのである。イタリア語のメニューから次々と選んで注文していく姿は、驚き以外の何物でもなかったのである。
妻とN君で料理のあれこれで話が弾んでいた。オリーブオイル、ニンニク、唐辛子、黒コショーのこと、ペペロンチーノ、ボロネーゼはスパゲティーのこと。横で聞いていても、まるで付いて行けない話題である。話を聞きながら、日本に帰ったら少しはイタリアンのことでも勉強しようかとも考えていたが、イカ墨で口の周りが黒いと妻に言われた時には到底イタリアン通にはなれるはずもないとすぐに観念した。
                                 (平成28年作)

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雪嶺

アルプスの雪嶺まぢかに汽車停まる



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翌朝はタクシーで駅に向かった。リンツからイタリアのメストレ駅までの列車の旅である。これまた9時間を要する長旅だ。途中、ザルツブルグとインスブルックで乗り換えるという面倒なコースであるが、飛行機で一っ跳びするよりは見所がありそうに思え、自分の中では良しとしていたのである。特にアルプスを越えていくというのには心惹かれた。塩野七生著「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読んだばかりなので、アルプスを越えてフランス軍がローマに攻め入ろうというシーンに想いは重なり、壮大な景色を期待していたのである。
駅に改札はない。もちろんキップ売り場はあるが、キップを見せることなくそのままホームに上がるのである。キップを買わずに乗り込むことも出来るが、車内で見つかった時のペナルティが大きいという。そんなことより、N君は電車が時間通りに来るか心配だという。日本と違い、平気で30分くらい遅れて来るのだという。9時間も乗るのだから30分くらい良さそうにも思うが、乗り継ぎのことを考えれば気を揉むところなのかも知れない。次に来るのが日本で予約した列車かどうか確認しようとして、ホームにいる人に当り構わず声を掛けていた。英語力と度胸の良さは天下一品である。お蔭で大きな荷物を転がしながらホームを行ったり来たりすることになってしまったのだが。
「これじゃないですけど、乗っちゃいましょう」という。「えっ!」来た電車に乗るという。ビックリである。「ザルツブルクに先に着くから大丈夫です」指定席ではないのかと少し意外な気がした。旅慣れているのか、行き当たりばったりなのか分からなくなってきた。
途中、乗り継ぎで1時間以上も喫茶店に入ったりしながらも、インスブルックで最後の電車に乗り込んだ。その時のことである。我々の予約しておいた4人掛けの席に男の人が座っていた。確かこの席のはずだと話していると男の人はニコニコしながら隣の席に移って行った。空いていたので、人が来るまで座っていたようである。さて、荷物を荷棚に上げようとしたが五十肩が完治していない私には重すぎて上がらない。それを見たN君が手伝ってくれた。力持ちである。席に着いてしばらくすると車掌が回ってきた。キップの確認である。キップは全てN君が持っている。と、その時、N君の顔付きが変わった。「あれっ」という顔をしている。キップが見当たらないのだ。ポケットを当り、バッグを確かめ、荷棚に上げた荷物を下ろし、棚の中を探ったりしている。
「さっきのホームに忘れた?」
「いや、それはありません。席を確かめるために、ここで見ました」
「それじゃ、ないはずがないよなぁ」
「……」
もう一度、バッグやポケットを確認し始めている。形相は必死である。
「無ければ、ペナルティを支払わなければなりません」
ペナルティとはどれ位なものだろう。あの形相からして相当なものが想像された。車掌が一回りしてくる間、何回も同じところを探している。席の下も覗いている。無いはずはないのだが……と言いながら。
最終的にキップのあった場所は先に我々の席に座っていた男の人の尻の下である。私の荷物を荷棚に乗せようとした時、N君は手に持っていたキップを隣の座席に置いたのである。その上にその男の人が座ったのである。我々が大騒ぎしているのを見ていたはずなのに、自分の尻の下に何かがあるとは思い至らなかった様子で、N君の「Excuse me」にもニコニコとして尻を上げただけだった。
                                 (平成28年作)

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余寒

暗がりにひそと余寒の懺悔室



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リンツのホテルに戻ったあと、N君の案内で市内を歩いてみることにした。あまり聞いたことのない町だったが、ウィーン、グラーツに次ぐオーストリア第三の都市である。かつてドナウ川の交易で栄え、様々な建物が古い歴史を伝えている町である。中心地のハウプト広場には三位一体記念塔が立っていた。N君の説明によると、18世紀に起こった3つの災難(トルコ軍との戦い、大火、ペスト)からの復帰を記念して建てられたものだという。次いで向かったのが、聖イグナティウス教会である。ブルックナーがオルガン演奏していた場所とのことで、来る前に聴いた変ロ長調を思い出していた。中はバロック様式の重厚感溢れる装飾である。我々のほかには人がいなかったが、追うようにして子供を連れた物乞いの女が近づいてきたのには閉口させられた。そういえば道々でいろいろな物売りに声を掛けられたものである。リンツの偽らざる姿ということになろう。
ステンドグラスの窓ガラスはキリストの歴史を描いているようだった。壁際に鍵の掛かった箱のようなものが据えられていた。
N君「これは懺悔する時に使うものですよね」
私「ああ、これが懺悔室か。知らなかった」
妻「たしか、告解室というのじゃなかった?」
私「告解?」
妻「カトリック教会ではそう言ったと思うけど」
言われても答える知識がない。きっとそうなのだろうが、懺悔のほうが私には分かりやすい。
私「それにしても、この暗さの中じゃ、告白も暗くなりがちだなぁ」
N君「明るい告白というのはないんじゃないですか」
私「いや、どうせ怒られるのなら明るく言ったほうがいいケースもある」
N君「なるほど」
お互い、どんな場面を思い出しながらの「なるほど」であったかは口にしなかったが、妙に納得のいく「なるほど」であったような気がしたことは確かである。
そのあと、リンツ北西部の山上にあるペントリンクブルグ巡礼教会という所まで路面電車に乗って出掛けてきた。この電車、途中の急な勾配を一気に駆け上り、知る人ぞ知る凄い登山電車だったようである。リンツの町並みを一望する展望台でドナウ川の流れなど見ていたが、夜はヘルベルトさんに連れられてそのすぐ横のレストランまで再び登ってきたのには少々驚かされた。
                                 (平成28年作)

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麗らか

うららかに髭を蓄へ微笑めり



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8時半ちょうどにヘルベルトさんはホテルに迎えに来てくれた。すかさず歓迎の握手であり、明るい挨拶である。とても若い。まだ30代である。車を運転しながらの工場までの40分間も楽しく話をして和ませてくれた。この人が今回当社で注文した機械のアジア方面の責任者である。髭の形が面白いと思った。すべて伸ばせば相当なものだろうが、鼻の下の一部、頬や揉み上げの下などはきれいに剃り込んでいる。おしゃれなのだろう。仕事も日常も如何にも楽しそうに過ごしているのが髭一つ取っても伝わってくる。英語が話せない私にも、余計な気遣いをしなくてもよさそうな安心感を与えてくれるタイプの人である。工場では我々のために日の丸の旗を立てて出迎えてくれていた。到着してすぐに工場を案内してくれた。とても広い工場である。当社向けの機械の所では加工試験を行い、結果を説明してくれた。全世界へ向けての販売実績も説明してくれて、加工能力の素晴らしさをアピールしていた。
昼食は社員食堂で皆と一緒に食べようということになった。肉と魚はどちらがいいですかというので、私は肉、妻は魚をお願いした。オーストリア人は概して身体が大きい。もちろん背の低い人もいるが、体格はいい。食堂に並ぶ人達の腹回りは相当なものである。ヘルベルトさんと我々3人で一つのテーブルに付き、係の女性がどんどん料理を運んできてくれた。最初はスープで、飲み干したところで前菜が来て大皿にメインディッシュが運ばれてきた。ポークカツの大きいのが2枚載っている。その脇に山盛りのポテトフライである。一目見て無理だと思った。1枚の大きさが日本で見るものより大きいのに、それが2枚である。そしてポテトフライの量。日本のマクドナルドで見るものよりいやに太い。初めての食事でもあり、残すのは申し訳ないという気持ちが働くが、食べ切る自信はない。目の前のヘルベルトさんが美味しそうに食べ始めたのを見て私もフォークとナイフを手に取った。まさに大食い選手権である。スープは初めに飲んでしまっているので、あとは水である。油っぽい肉とポテトと水で一挙に腹が膨らんでくる。ヘルベルトさんの食は太い。大切れの肉を口に運び、ポテトフライもフォークに4、5本一度に串刺しである。みるみる完食に近づいていく。N君が途中でギブアップしてくれた。私も便乗した。
「凄い食欲だねぇ」という私の驚きをN君はヘルベルトさんに伝えたようである。彼はこう返してきた。
「今日のこの時のために、昨日から食事は抜いてきました(笑)」
とてもユーモアのある国民性のようである。食後は飲み物の他、チョコレートやアイスクリームが並び、クッキーのようなものまで勧めてきた。遠慮したことはもちろんである。その日の夕食もヘルベルトさんに誘われリンツの山の上の最高級のレストランで過ごしたのだが、昼と同様に凄いボリュームであったことだけは伝えておこう。
(注)私がポークカツと思ったものがオーストリア料理「ウィンナーシュニッツェル」であったことを後日知った。
                                 (平成28年作)

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朝霞

さざ波も立てずドナウの朝霞



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リンツのホテルには夕方に到着した。時計を8時間戻しているので日本時間では夜中の2時頃である。部屋に入ってすぐにN君とホテルのバーに飲みにいった。機内で寝ているせいか眠たくないのである。バーの前にはドナウ川が流れ、さまざまなネオンに煌めいていた。隣の建物がブルックナー・ハウスである。バーにはさすがに日本人はいなかった。ちょっとしたつまみのつもりで頼んだポテトフライが山盛りで出てきた。N君ビール2杯、私がウィスキー2杯飲んで1時間ほど話をし、部屋に戻った。シャワーを浴び、ベッドに横になり、ようやく眠ったところで、私の携帯電話の目覚ましが鳴った。日本時間朝5時半を解除しておかなかったのである。妻には叱られまた寝入るが、しばらくすると目が覚めてしまう。時計を見ると自分の実感する時間と大きく違う。8時間を足したり引いたりして、寝られない夜というものを過ごすことになってしまった。
朝5時過ぎに起き出した。着替えをし、まだ暗い中をホテルの外に出た。朝食は6時半からなので、それまで散歩してこようと思ったのである。物凄く寒い。夜中に雨が降ったのかも知れない。道が濡れている。ブルックナー・ハウスの前を通り、ドナウ川沿いの道を歩き始めた。時折、散歩する人と擦れ違うが暗くて顔も分からない。ようやく白んできた頃に教会の鐘が鳴った。6時である。河の向こう岸にとても派手な電飾の建物があったので、橋を渡ってみることにした。すでにたくさんの車が行き交い、路面電車も走っていた。向こう岸に渡り、その建物や教会を見たり停泊中の遊覧船を眺めたりしながら河畔に続く散策路を辿り始めた。向かいに宿泊先のホテルの建物が見える。前の晩、電子辞書で聴いてみたヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」が口を衝いて出る。鴨が泳いでいて、残り鴨だなぁなどと考えたりしていた。時間が経っていたが、目の前の橋を渡れば7時にはホテルに戻れると思い歩いていた。ところがその橋まで来てみると柵がされていて人も車も通れないのである。慌てた。次の橋までは相当に遠いのである。戻っていては却って遠い。急ぎ足で歩き始め次の橋を目指した。ようやく辿り着いたその橋の上から、通行止めになっていた橋を撮したのがこの写真である。左端に我々の泊まったホテルが写っている。汗を掻きつつホテルに戻ったのは7時半。妻に一言言われたことはもちろんである。
                                 (平成28年作)

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