2016年03月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2016年03月の記事

逃げ水

逃げ水を追ふて助走のプロペラ機



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飛行機は12時間の長旅を終えウィーンに到着した。手荷物をまとめ次の便へ乗り継ぎである。飛行機を降りる時、キャビンアテンダントが「さようなら」と声を掛けてくれていた。私はその時ある人の話を思い出していた。
その人は国際線のパイロットだった人で今は様々なところで講師などを務められている。講話の内容は「国際人としてのマナー」だったと思う。
「長い旅を終えて、乗務員が『さようなら』と声を掛けてくれています。声を掛けられた人はもちろん、『さようなら』とか『ありがとう』とか言葉を返すところでしょう。これはほとんどの国の人がやっています。小さな子供さえやっています。しかし、ある国の人達はほとんど返事を返しません。黙って通り過ぎるのです。日本人です。恥ずかしいですねぇ。日本人の悪いところです。皆さんは是非これからは声を掛けて飛行機を降りるようにして下さい」
この時の話を思い出していたので「さようなら」と声を掛けて降りたことはもちろんである。私の前を歩いていたN君が素通りだったので、乗り換え場所に向かうまでの間にこの話をすると「なるほど、次からはひと声返すことにします」と言ってくれたものである。

大急ぎで入国手続きをし、ぎりぎりで乗り込んだのはウィーン発リンツ行きのプロペラ機である。客は我々3人とオーストリア人夫妻の一組だけ。しかもそのご夫妻がN君と同じ会社の顔見知りだったのでいきなり英語で話が始まった。その時初めてN君の英会話を聴いたわけである。もの凄く流暢である。あまり勉強していないと言っていたのが大いなる謙遜であったことを知ったのである。当然、我々が日本から来たユーザーであることを紹介された。すかさず笑顔を向けられ、握手を求めてきた。
「Nice to meet you」
その時の私の心の中は「ヤバッ!」である。どんな意味だっけ。何と返せばいいのだろう。オウム返しで大丈夫だろうかである。
「Nice to meet you」
何も言わないという選択肢はなかったので、取り敢えずオウム返しで応えたが、その後、一人でこの最も単純な英語の意味をひたすら考えていたのである。旅行するに当たり、歴史の本や小説を何冊か読んできたのだが、英会話という最も大切なところを完全に忘れていたのである。唯一、孫のなっちゃんに「イタリアの言葉、大丈夫?」と聞かれたことがあった。「大丈夫だよ。驚いた時はびっくり・ドンキー!って言えば通じるよ」と答えたくらいである。何の準備もしないで来てしまっていたのである。
先の講師がこう話していたのを思い出していた。
「世界の3大ムダ教育というのがあります。1つ目はイタリア人に対する性教育。2つ目は中国人に対する道徳教育。そして3つ目が日本人に対して行なう英語教育です」
                                 (平成28年作)

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春燈

作られし夜を春燈に覚めてをり



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窓の外は青空だというのに、食事が終わったあたりでブラインドを下ろすように言われた。機内を暗くしようというのである。全ての窓が閉ざされると本当に夜のようである。一杯飲んでいるせいか、少し眠たくもなってくる。映画を観ている人もいるし、本を読んでいる人もいる。時折、トイレに立つ人もいるが、ほとんどは静かに寝始めたのかも知れない。一挙に8時間の調整をしようというのである。
今回の旅行は会社で発注したオーストリア製の工作機械の生産工場を見学し、その会社のイタリア本社を訪ねることを目的としたものである。夫婦同伴なので旅慣れぬ我々のために、その会社の日本法人の営業担当N君が全行程を付き添ってくれることになっている。年齢46才、なかなかのやり手である。
「それぞれオーストリア、イタリアの工場でアジア担当の責任者が迎えてくれます。工場の案内は勿論ですが、夜も一緒に食事することになっています」と言う。
「アジア担当ということは、その人達は日本語をしゃべれるの?」
「しゃべれません。それぞれの国の言葉と英語だけです」
「えっ、我々二人とも英語は全然出来ないよ」
「大丈夫です。何とかなります。私も英語はあまり勉強はしていませんが、いつもそれなりにやれています(笑)」
本当に大丈夫かなぁと思いつつも、今更ジタバタしてもどうなるものでもない。

「旅行中の注意事項としては、体調管理はもちろんですが、盗難やスリなどの安全面にも注意が必要です。オーストリアは比較的安全ですが、それでも駅構内や雑踏などには注意してください。イタリアは少し危険と思っていた方がいいかも知れません。置き引きやスリにはくれぐれも注意をお願いします」
我々夫婦は結果的には何のトラブルもなく旅行を終えるのだが、言っていた当の本人が旅行最終日前日に被害に見舞われることになる。本当にこんなことが起こるの!と叫びたくなるような出来事である。旅の最後に起きた衝撃的な事件に3人とも心震わせたものだが、それについて書く前にオーストリアのリンツに始まる旅を順を追って記していくことにしよう。
                                 (平成28年作)

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春の空

その下に戦争もあり春の空



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雨の成田を飛び立って、しばらくは雲の中を上昇していた。ようやく青空が見え始めたのは機内サービスの飲み物が配られ始めた頃である。見下ろすと所々に白波を立てながら日本海の深い青が広がっていた。ほどなくしてロシアの雪の大地が見え始めた。北朝鮮や中国の領空は避け、ロシア上空を進むようである。目の前のテレビ画面にナホトカやハバロフスクの地名が見え、何故ともなく終戦直後に捕虜となった人達のことを思い浮かべていた。北朝鮮といい中国といい、またその先の中東といい平和国家日本には想像も出来ないくらい不安定な地域がいくらでもあるのだ。「その下に戦争もあり」とは、あまりに美しすぎる空の青さが言わせた言葉かも知れない。戦争やテロに直面している地域がすぐそこに実在することを感じながら窓ぎわの席で空を眺めていた。
本当に久しぶりのヨーロッパ旅行である。期待に胸を膨らませていると同時に、俳句のことも考えていた。慣れない海外詠ということになる。オーストリアもイタリアも日本と季節はあまり変わらないということなので、季語に戸惑うことはなさそうだが、果たして感動をそのまま句に出来るだろうか。外国ならではの句に巡り会えるだろうか。手帳が句で一杯になることを祈って旅を楽しむことにした。
まずはオーストリア産のオッタークリンガービールを飲みながら、旅の第一報を機内で認めている。時計の針を8時間戻して現地時間に合わせたので、今が昼なのか朝なのか少し分からなくなってきている。だいぶ経ったかなと思ってみてみると、まだ2時間しか経っていない。あと10時間をどう過ごせばよいのだろう。少し腰が痛くなってきた。
                                 (平成28年作)

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春愁

わが春愁変ロ長調聴きてより



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一週間ほど車の中でブルックナー(1824~1896)の「交響曲第5番変ロ長調」を聴いている。演奏時間72分48秒。とても長い。聴いていれば何かを感じ、その良さが分かってくるに違いないと思っていたが、何度聴いてもさっぱり伝わってこない。仕舞いには意味が分からない上、うるさくさえ思えるほどになってしまっていた。「俺にはクラッシック音楽は分からないようだ」と思い、聴くのを止めようかと思ったが、思い付いてボリュームを目一杯上げてみることにした。するとどうだろう。凄い迫力が伝わってきた。音を大きくすれば、迫力が出るという当たり前のことに気付くまでに一週間も掛かってしまったのである。
大音量で聴いてみると、大きな音の後ろに小さな音があることに気付く。また同じ楽器でも強弱があり、作曲家が何かを伝えようとしているのが伝わってくる。言うまでもなく音楽は生で聴くのが一番なのだろうが、こうして室内などで聴くには大音量がいいということに初めて気付いたのである。過去に聴いたことがあるというようなポピュラーな曲ではない。しかし、ヨーロッパの豊かな自然や荘厳華麗な教会の様子がたちどころに目の前に現れてくるのである。おお、凄いではないか!俺にも分かりそうな何かがあるような気がする。
これからブルックナーの生地オーストリアに向けて飛び立とうとするその前日にようやくそのことに気付いたのである。聴いている時間はない。曲の鑑賞は帰国してからの楽しみとすることにして、まずは旅支度に漏れはないかを確認することにした。
                                 (平成28年作)

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春の旅

春の旅歩幅の違ふもの同士



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今回の北陸の旅がとても楽しかったのは落合夫妻、安藤夫妻と親しくさせていただいたところが大きかったと思う。特に初めてお会いした安藤夫妻には負うところが大きい。出会いとなった最初の昼食の場面を記しておこう。
高岡市内の料理屋で和食が用意されていた。私の左に妻が座り、右に落合夫人、その隣に落合社長という順番で横一列に並んだ。お膳の前は人一人が通れるほどに空き、向かいに安藤夫妻が座っている。そもそもそこに安藤夫妻が座ったことが楽しい旅の始まりだったようである。私は2年振りにお会いした落合夫人にいろいろと話し掛けている。
「飲み物はビールでいいですか。トイレが近いようでしたら違う物にしますよ。嫌いな食べ物はないですか。無理して食べなくても大丈夫ですよ」といった具合である。向かいの安藤社長はビールを飲み、熱燗に変え、お代わりなどしている。お互い、適度なアルコールが入ってきたところで自己紹介が始まる。向かいといっても2メートルは離れているので、少し声は大き目である。その中で意外な話が飛び出した。4人が並んだ姿を見ていて、安藤社長は私と落合夫人が夫婦だと思ったそうである。一番話をしているので、そう見えたようである。それでは私の隣の妻はどう見えたのだろう。安藤社長曰く
「あれっ、娘さんじゃないですか?」
「えっ、娘?」
大笑いになったことはもちろんである。その笑っている中にまた安藤社長は被せてくる。
「えっ、違うんですか?奥さん?随分と若くてきれいですねぇ」
その時の妻の喜びようを言葉に表すことは出来ない。その一言でいつもは1杯のレモンサワーを2杯もお代わりしたのだから言わずもがなである。あんなに機嫌のいい妻は久しく見たことがない(笑)。
安藤社長の人を喜ばせる技なのだろう。旅行中、何度もそういったシーンを見せてもらった。今回の旅行のテーマは「まなび」である。様々なことを学んだが、安藤社長に教えてもらったそのあたりのことが一番の学びになったかも知れないと感服しつつ感謝している。
                                 (平成28年作)

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春の灯し

娼家いま春を灯して小商ひ



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「染乃が五歳の時に養女として入籍され、そこで育った杉乃家は、その卯辰山に近く浅野川ぞいの一画にあった。俗に東と言いならわしているその土地は、金沢の町では最も格式の高い花街として知られていた」(「朱鷺の墓」より)

染乃の面影を求めて「ひがし茶屋街」へと入っていった。もちろん、染乃のいた明治、大正時代そのままの遊郭跡とは思っていない。これほどまでに有名になっているのだから、おそらく相当に観光地化されているだろうと想像していたが、私の想像以上にモダンな街並みになっていた。土曜日ということもあったかも知れない。雨降りだというのに大勢の人で溢れ、観光客が列をなして歩いていた。それでもどこかに昔の面影はないだろうかと路地の奥に入ってみたりする私であった。
私はまず写真を一枚撮ろうと道の中央に立ち、人の流れが切れそうな辺りを目掛けてカメラを構えていた。誰もいない茶屋街など望むべくもなく、形になりそうな一枚を撮れればいいと何枚もシャッターを切っていたのである(写真)。その間、妻はいろいろな店に入って中を見ていたようだった。遊郭だった建物は今では様々な店舗に変わっている。小物を商う小間物屋であったり、和菓子屋、茶房、土産物屋などいろいろである。
写真を撮り終えてしばらく妻が出てくるのを待っていたが妻はなかなか出てこない。確か、この店に入ったはずと中を覗いてみると、いた、いた、店員と何やら話し込んでいる。女はこういう時にその本性を現す。金箔を扱う店である。店内を見渡してみると金箔工芸品から食器、小物、食べ物などいろいろな金箔商品が並べられている。妻は化粧品の辺りで話し込んでいる。金箔入り化粧品、あぶら取り紙、エステ用金箔パックなどである。
ズワイガニは要らない、寒ブリも要らないと言っていた妻の本性がここにきて現れたわけである。買い物を終えて出てきた妻の満面の笑み。両手には何やらモダンな紙袋がいくつもぶら下げられている。芸妓染乃の面影を求めていたロマンチストの私が、一瞬にして現実に引き戻された瞬間であった。
                                 (平成28年作)

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春時雨

川一つへだて色町春しぐれ



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兼六園を出て昼食となり、落合夫妻、安藤夫妻とまたまた同席で最後の食事を楽しんだ。ビールが出て、熱燗が出て、加賀名物の治部煮も出てきた。すっかりほろ酔いとなったところで、いよいよお待ちかねの「ひがし茶屋街」の見学である。バスに乗り込み走り出すと、ほどなくして駐車場に到着した。集合時間を告げられ、ぞろぞろとみんなバスを降りていく。私が勇んで降り立ったことは言うまでもない。折り畳み傘を開き、人の行く方へと歩き出した。するとすぐ目の前で、黄色いジャンパーを着た男の人が十数名の観光客とおぼしき人達に囲まれて何やら話をしている。おそらくボランティアガイドだろうと思い、自然とそちらに足が向き話を聞き始めた。
「参勤交代が制度として存在したのは227年間です。毎年1回行うことになっていましたが、加賀藩の場合は190回しか行っておりません。残り37回は、さてどうしたのでしょう」
なるほどと思い、手帳に「参勤交代190回」と書き入れる。そこまで話すとガイドの男性は歩き始め、つられて周囲の人もぞろぞろと歩き始める。もちろん私も付いていくことになる。浅野川に架かる橋の手前で立ち止まり、みんなが付いてきていることを確認し、また話し始める。
「そもそも参勤交代なるものは……」
手帳と鉛筆を持って、しっかり聞こうとしている私の後ろで妻の声が聞こえた。
「ちょっと、何やってるの。こっちじゃないよ(怒)」
「だって……」
「バスの人達はみんな違う方に行ったよ。どこに行くつもり?」
だけど参勤交代が……と、言いたいところではあったが致し方ない。
「ちょっと悪いけど、一枚だけ写真を撮らせて。すぐ終わるから」
そう言って撮したのがこの写真である。浅野川の向こうに見えるのは主計町茶屋街の町並みである。
                                 (平成28年作)

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下萌ゆる

復元の城の内堀下萌ゆる



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「金沢城の城門の瓦は、俗に鉛瓦と言われていた。幕府から絶えず警戒され、何か落度があればたちどころにそれが前田藩の危機をもたらすという情況のなかで、前田家の武士たちは、表は武芸を放棄し、戦意は全くないかのように遊芸や美術などにはげんだという。しかし、その裏で、城の瓦を鉛でふき、いったん事あればそれを溶かして鉄砲の弾丸として使えるようにひそかに工夫をこらしていた」(「朱鷺の墓」より)

兼六園の向かいの石川門から入城した。傘を傾げて見上げた櫓の上には雪が残っていてとても美しく見えた。この鉛瓦の話はバスのガイドさんもしていた。しかし、加賀藩士の心意気を示す話としては面白いが、本当にそのような理由でこれほどの建造物を作るであろうかと少し疑問に思えた。帰宅して調べてみると、いろいろと分かってきた。まず、鉛瓦とはいっても全てが鉛で出来た瓦という意味ではないのである。屋根の下地を瓦の形に木で作り、その上に鉛板を貼っているのである。鉛の厚みは1.8ミリ。本当に薄い。火災に遭えば、みな燃えてしまうのではないかと思うほどである。なぜこのような作りにしたのかには諸説あるようである。まず、積雪の重みに耐えなければならない。石の瓦では重い上に割れてしまう。荷重を軽減する目的があったようである。また見た目が美しい。青白い光沢があり清爽な趣がある。また当時の加賀藩に鉛が余っていたという記述もあり、その方が現実的に聞こえてくる。近年復元された櫓の中に様々な資料が展示されていたようだが、残念ながら入っている時間はない。欲張って本丸跡近くまで行ってみたので、帰りは傘を差しながら大急ぎでバスに駆け戻ってくることになってしまった。
                                 (平成28年作)

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雪吊

池を見て雪吊を見て松を見ず



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今回旅するにあたり、五木寛之の小説「朱鷺の墓」を読んで出掛けた。日露戦争やロシア革命という激動の時代を背景にロシアの青年将校と金沢の芸妓染乃の純愛を描いた感動の大作である。その中に城下町金沢の様々な場所が描かれている。兼六園について語る夫イワーノフと染乃との会話である。

「あの、公園は何と言っただろう」
と、イワーノフが染乃にたずねる。
「兼六園のことかしら」
「そう、あの公園の池は冬も凍らないそうだね」
「ええ、冬の雪の朝がいちばんきれいだと思うわ。雪って好きです。汚いものがみんなかくれてしまって、絵のように見えるんですもの」
「でも、雪が溶けてしまうと、再び汚いものは現われてくるよ」
「それでもいいの。きれいな雪の下にあるものを知っているからこそ、それが見えないことがうれしいのです」

旅行最終日となった金沢の朝、最初に訪ねたのが兼六園だった。あいにくの雨で、傘を差しての見学となった。たっぷりと時間が取られていたので、ゆっくりと巡ることが出来た。数日前に降った雪が所々に残っていて、その上に細かい雨が降っている。途中、水辺でカワセミを見かけた。見ていない妻も見たいと言い、再び現れるのを待ちたいという。しばらく待ったが現れないので次に行こうとすると「本当にせっかちね」と言われる。
見事な枝ぶりで同園の景勝地になっている「唐崎の松」の辺りは観光客で賑わっていた。カメラを持ってあちこち見て回る私をベンチに腰かけて待っている妻。いつもの構図である。雨も強くなってきたので、隣の金沢城に向かうことにした。雪吊の句をものにしたいと思ったが、なかなか思い浮かばない。雪がないので汚いものばかり見えてしまっているのかも知れない。雪吊を詠もうとして雪吊の句になっていない詰まらない句になってしまっている。
                                 (平成28年作)

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巻貝を振れば零るる春の砂



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千枚田を出て輪島に戻り、料亭での昼食となった。もちろんビールが出る。その夜、金沢で一緒にカラオケに行くことになる安藤夫妻が目の前に座っている。とてもいい人達だ。熱燗が注文される。上機嫌である。旅は道連れとはよく言ったもので、これがあるから旅はやめられない。
食事のあとはバスに乗り込んで、一路金沢を目指すのだが、ほどなく車内でグッスリと寝込んでしまった。バスが停まり、みんなが降りようとする気配で目が覚めた。ここはどこ?聞くと羽咋(はくい)市の千里浜だという。みんなが降りるので私も降りたが、とても風が強い。すぐに近くのレストハウスに逃げ込んだ。案内板に「千里浜なぎさドライブウェイ」などと書かれている。相当に長い砂浜のようだ。強風の中ではあるが建物を出て砂浜の方に歩いてみた。右にも左にも長い砂浜が続いている。酔いは醒めているが、頭が回る状態ではない。あちこちと写真を写すだけである。その時の一枚である。壊れかけた砂のモニュメントが可愛いと思った。
出発したバスは突然海に向かって走り始めた。砂浜を走るのだ。白波が立つ波打ち際をバスの車窓から見下ろすというのは初めての経験である。そういえば撮った写真の中にこんな碑の文章が写っていた。
「千里浜なぎさドライブウェイの名が全国的に知れ渡ったのは、そんなに昔のことではない。三十数年前、一人の観光バス運転手が、広々とした波打ち際を思いっきり走れたらと、空バスを試走させたのがデビューにつながった」

帰宅してから調べてみると、そのレストハウスの裏に大伴家持の歌碑が立っていたことが分かった。見逃してしまった。海亀の子が卵から孵り、誰に教えられるでもなく海を目指すのと同じように、私も無意識に海を目指してしまったようである。羽咋の海の家持の碑には縁がなかったようである。
                                 (平成28年作)

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春怒涛

千枚田見に来て能登の春怒涛



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朝市の次は「白米(しろよね)千枚田」である。この春浅き季節の千枚田に何があるというのだろう。そのすぐ先に冬の風物詩「波の花」で有名な曽々木海岸があるというのに。バスのガイドさんに聞いてみた。
「波の花は曽々木海岸に行かなければ見られないのですか?」
「そんなことはないですよ。この近くでも見ることはありますよ」
「これから行く千枚田の辺りでも見られますか?」
「今日はどうでしょうか。暖かいですからねぇ。海が荒れて寒い日なら、あの辺りでも見られると思いますが……」
俄然、希望が湧いてきた。たとえそのものが見られなくてもいい。泡の痕でも見られたら満足すると思う。横浜から能登半島まで来て、すぐ目の前にある「波の花」が見られないというのは悲しい。それが、もしかして見られるかも知れないというのだ。是非とも見たい。何としても見てみたい。そう思うと千枚田がとても有難いものに思えてきた。

駐車場に到着した。出てみると千枚田が一望である(写真)。白波が立っている。海は荒れている。嬉しい。バスから降りた人達が駐車場の下にある展望台までの階段を下りていく。私は迷うことなく、その下の棚田の道を下り始めた。何もない千枚田に興味はないのだ。ただその下の波打ち際まで下りて行き、波の花を探してみたいのだ。下りて行ったのは私だけである。どんどん下りて行き、波しぶきの掛かりそうな辺りまで辿り着いた。しかし、見えたのは波しぶきばかり。波の花はどこにも見当たらない。泡の痕も探してみたがそれさえも見当たらない。
「……」
帰りの道のきつかったこと。上り終えて何人もの人から「元気ですねぇ」と声を掛けられた。ずっと私を見ていたという人もいた。オレンジ色のコートが目立ったのかも知れない。声を掛けられても、すぐには応えられなかった。息が切れていたこともあったが、目的を果たせなかった気落ちの方が大きかったようである。
                                 (平成28年作)

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春遅し

地の物を並べ輪島の春遅し



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翌日は輪島の朝市である。和倉温泉を出て、残雪の山道を抜け、時々海を見たりしながらバスは走った。輪島駅前に到着して観光協会の建物でビデオ研修があった。関係者が新幹線開通後の輪島を宣伝している。NHKの朝ドラ「まれ」を連呼し、ありったけの輪島をアピールしていた。研修と名が付くので、これも「まなびの旅」なのだろう。お蔭ですっかり時間が押してきて朝市が昼近くになろうとしていた。バスに乗り込み、ようやく朝市会場に到着。日本三大朝市というくらいなので、どれほどのものだろうと期待していたが、思ったほどでないと思ったのは時間が遅くて店じまいした所もあったからだろうか。時折降っていた雨も上がっての散策だったが、少し肌寒さを覚えた。「春遅し」。春になってもなかなか暖かくならないことをいう季語である。

ズワイガニでも買おうかと言ったが要らないと言う。じゃあ、寒ブリかと言うも要らないと言う。何かを買いたいとは思うが、妻が買いたいと言わなければその気になれない依存型の人間である。何度か訊いたので何かを買いたがっているということだけは伝わったようで、それじゃあ、娘のところに干物でも送ろうかということになった。晴れて朝市での初の買い物が実現することに。見て歩くとはいうものの、買うとなると最初に足を停めた店で買うことになるのは人情である。それが相手に伝わるらしく、一斉に売りモードになる。
「これ、いくら?」
「千円。買ってくれるなら、これもおまけしておく」と隣の干物も乗せてくれる。
「送ってくれるの?」
「はいはい、じゃあ、こっちに来て。これを先に書いて」
買う物も決めないうちから宅急便の宛名を書かされる。書いて戻ると、あれもこれもと品物を積み上げていく。
「なに、それ?」
「河豚、美味しいよ。カレイも入れとくよ。昨日獲れたばかりだから新鮮だよ。鱈は大きいけど、切り身にしておくから大丈夫」
「随分と量が増えたなぁ。安くしてよ」
「安いよ。これだけ入れとけば、安いに決まってる」
春遅しと言いながらも、いきなり熱さを感じた輪島朝市であった。
                                 (平成28年作)

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春興

春興のすなはち歌は止まらない



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加賀屋での宴会はコンパニオンこそ居なかったが楽しく始まった。皆それぞれ夫婦同伴なのでコンパニオンなど居る訳はないのである。初めに信用金庫の挨拶があり、長老の乾杯があり、越前蟹はじめ豪勢な料理が次々と運ばれてきた。ビールに始まり、日本酒、ワイン、焼酎とお酒は何でもござれである。皿回しや独楽の芸、マジックショーなどの余興のあと、ほどなくしてカラオケが始まった。知人の落合社長(写真)が歌い、私もお決まりの「上海の花売り娘」を歌った。その後は次々と歌自慢が飛び出し、最後まで歌が途切れることはなかった。まさに世はカラオケ天国である。
隣の席の落合夫人との会話である。
私「落合社長の『まちぶせ(石川ひとみ)』は最高だよねぇ」
夫人「えぇ?あの歌が……」
私「あれは何回聞いても最高だよ。本当にエロい歌い方をするんだから」
夫人「大したことないと思うけど……私の方が先生だから」
私「……」
夫人「(笑)」
私「本当にそんなに上手いの?社長より上手いとなると相当なものだよ」
夫人「上手いよ(笑)」
私「プロ級か、大法螺吹きか、どっちかだなぁ。普通、上手い人は自分から上手いとは言わないものだけど」

宴会がお開きになり、我々夫婦は会場を出た。その時、ご一緒していた安藤夫妻が落合夫妻を誘いカラオケに行ったそうである。もちろん、我々にも声を掛けようとしてくれたそうだが、知らない我々は館内をふらついている。館内放送で呼び出し、仲居さんを部屋まで寄こし、携帯電話に何度も連絡をくれたのであるが、とうとう捕まらずに時間が来てしまったそうである。
翌朝そのことを聞いて、また冗談でも言っているのかと思ったのだが、本当だったようで誠に悪いことをしたものである。罪滅ぼしに翌日の金沢の夜は安藤夫妻とカラオケで盛り上がったが、不参加だった落合夫人の歌はついに聞けずじまいである。社長より上手いと豪語する歌声を一度は聞いてみたいと思っている。
                                 (平成28年作)

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