2016年01月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2016年01月の記事

淑気満つ

降神の槇と見ゆれば淑気満つ



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清澄寺の次に向かったのは「小松原法難」で知られている鏡忍寺である。初詣で賑わっていた清澄寺とは打って変わって広い駐車場には1台の車もなく、寺を見ている間にもごく数人の参拝客と行き交うばかり。初詣の混雑とは無縁のような静かなお寺であった。
文永元年(1264)日蓮聖人43才の時である。母危篤の知らせを受けて十年振りに小湊に帰っていた聖人が、天津の豪族で熱心な信者でもある工藤吉隆に招かれてその屋敷を訪ねる途中に起きた出来事である。日頃より聖人に恨みを抱いていた念仏信者である地頭東条景信が数百名の部下と共にその一行を襲うのである。日は西に落ちようとしていた。小松原のあちこちに隠れていた者たちが白刃を翳して襲い掛かったのである。法弟の一人鏡忍坊が聖人を守ろうと松の木を引き抜き振り回すが敵の刃に倒れ、途中駆けつけた工藤吉隆も一命を落とすことになる。日蓮聖人は腕や額に傷を負いながらも危うく難を免れることになる。

仁王門を入ってすぐ右手にたくさんの支え木をされた古木が立っている。樹齢千数百年といわれる「降神の槇」である。その前に「当山縁起」と称し、法難の様子を記した立札があったので、その一部を紹介しておこう。
「景信は乱軍の間に大聖人の御姿を見て、馬乗りよせ、はったとばかり斬付ける。大聖人念珠を以て払わせ給へば、切先御額をかすめて三日月形にぞ傷つけらる。こは仕損じたりと、景信、更にこの太刀を振りかざせる刹那、側なる大槇の上に現れ給へる鬼子母神の神々しき御姿に目眩み、あなやと消魂して馬よりどっと落つ。当時の大槇は今の降神槇即ちこれ也」
のちに聖人は亡くなった二人の菩提を弔うため日隆上人(工藤吉隆の遺児)に命じこの寺を建立させたのである。

「地頭の東条景信とは酷い男だ」と思いながら鏡忍寺を後にしたが、車を走らせてすぐ目に入ったのが東条病院であり東条ホスピタルの看板である。その先に東条郵便局があり東条小学校、東条幼稚園と続いていく。
「東条……」
法難から750年経った今、しっかりとこの地に東条の名が根を下ろしている。私が知り得たのは法敵としての東条だが、知らない東条が確実に功績を残してきたようである。
                                 (平成28年作)


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初日受く

初日受け信徒の家並みな低し



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「鯛の浦」のあと、すぐ目の前にある誕生寺にお参りした。日蓮聖人誕生の三奇瑞の一つ「誕生水の井戸」にはお供え餅が置かれていた。聖人御幼像を見上げながら本堂に進み、一年の弥栄をお祈りした。
孫達とはひとまずそこで別れ、妻と二人で清澄寺に向かうことにした。安房小湊といえば何と言っても日蓮聖人である。千葉に行くと決まった時から関連する本を読み、DⅤDの「日蓮」(萬屋錦之介主演)なども観て準備万端整えていたことは言うまでもない。
この清澄寺での「日蓮宗」立教開宗のくだりは面白い。12才から清澄寺に入り、京の比叡山などで修行を重ね、32才になり戻ってきた日蓮が本堂で初めて説法をするのである。どのような有難い話が聴けるものかとあちこちから村人が集まってくる。当時、民衆に普及していたのは念仏である。南無阿弥陀仏と唱えていれば、どんな者にも死後の浄土が約束されると信じていたのである。浄土念仏宗の信者でもあるその地を治める地頭東条景信までも山を登り、話を聞きに来ている。もちろん、信奉する浄土念仏の素晴らしさが語られると信じてのことである。しかし、法座に現われた日蓮(その時は蓮長と名乗っていた)が聴衆を前に語り始めた話は、期待したものとは全く違うものであった。
「正法千年、像法千年、末法万年。釈尊ご一代で説かれた教えは数多くあれど、この末法の世に広まるべきは法華経一つ。これが釈尊のお言葉である。法華経こそが真実の法。念仏は無間地獄の業、禅は天魔、真言は亡国の法、律は国土の賊である。権教を捨てよ。法華経に集まれ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経!」
南無阿弥陀仏を唱える者は地獄に落ちるというのである。聴衆は驚き、怒り、暴徒と化し、東条景信は日蓮を切って捨てよと怒りまくる。建長5年(1253)4月、法華経を奉じ、時の政権の過ちを説き、世直しを訴えていく日蓮の険しい伝道の道がここから始まる。

初詣で賑わう境内にお参りし、千年杉や聖人像などを見て回った。
写真は「極真空手発祥の地」の碑が建つ見晴台の上からお寺の方を写したものである。本堂や山門の手前に土産物屋などが軒を連ねている。お寺の周りの人達はみんな日蓮宗の信者なのだろうかなどと思いながら詠んだ一句である。
                                 (平成28年作)


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初東風

初東風や鯛の餌付けの儘ならず



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2才の孫カズ君の趣味は魚。大人用かと思うほどの分厚い図鑑を開いては名前を当てていく。似たような魚でも間違うことはない。「ハタタテダイ」と「ツノダシ」も見事に言い当てる。もちろん、まだ文字は読めない。
2日目の朝、目指した場所はホテルから徒歩20分ほどの「鯛の浦」である。船に乗り、鯛の群れを見ようというのだから朝から魚博士は張り切っている。前日の凪ぎの状態からは少し風が出ていて海上には白波が立っていたが、その張り切りようでは行かないという訳にはいかない。日蓮聖人誕生の三奇瑞「湧水」「蓮花」「鯛」の内の「鯛」と「蓮の砂浜と大弁天島、小弁天島」二つが船の上から見られるというのだから私も少し張り切っている。
しかし乗船券を買おうとすると係の人が「今日は波が高いので鯛の生息地までは行くが小島までは行かない」という。100円を値引きすると言われたが、割りの合わない取引に思えた。

走り出してすぐ、湾を出た所で船は大きく揺れた。思った以上に波は高い。しかし船はすぐに停まった。予想以上に近い場所である。半天姿の船頭さんが船の先端に出て行って、右舷側にエサを撒くので、右側のガラス窓を下ろすようにという。エサが撒かれた。すると鯛が海面近くに姿を現した。餌付けである。波が砕けて飛沫が舞う。船が揺れる。撒き餌が舞って窓から入ってくる。風が強いのである。波も荒れて鯛の姿もよく見えない。飛沫も入ってきそうなので、早々に終了となった。カズ君に鯛が見えたかどうかは分からない。
湾に戻って下船すると、乗船する時に写したスナップ写真が売られていた。1枚1000円。我々しか写っていないのだから買わないという訳にもいかない。見ると心なしかカズ君の顔は少し怒っているように写っていた。
                                 (平成28年作)

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初湯

朝日さす黄金風呂を初湯とす



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「ホテル三日月」に到着すると、入口に立てられた黄色い幟が否が応にも目に入ってきた。
「至福の金運、開運の黄金風呂、1億5千万円」
土左衛門事件のことばかりが頭を占めていたが、このホテルの一押しはこの黄金風呂だったことを思い出した。
部屋に入り、すぐに大浴場へと向かった。午後4時。これから沈もうという元日の太陽を眺めながら、久し振りの「現場」に足を踏み入れたのであった。「たしか、この辺りだったなぁ」と庄司さんが寝転んでいた場所を確認していた。そのすぐ先にガラス戸に仕切られるようにして黄金風呂が鎮座ましましていた(写真)。
「あの時もあったのかなぁ?」と考えていた。入ったという記憶がない。会社からのバスの中ではしこたま飲んでいたはずなので、風呂に入ったかどうかも覚えていない。その翌日は病院騒ぎである。金運や開運に何も関係なさそうな小さな浴槽に身を沈め、勿体ないほどのお湯を一気に溢れさせたのであった。
夕食時、給仕の仲居さんに話を聞いてみた。
「黄金風呂って、いつ頃からあったのですか?」
「お客様は、あの盗難事件はご存じですか?」
「ああ、聞いたことあります」
「そのずっと前からですから、もう20年以上も前からですかねぇ」
答えてくれたものの、あまりその話題には触れてもらいたくなさそうな素振りに見えた。いや、給仕に忙しかったのを私が勝手にそう思っただけなのかも知れないが、それ以上のことを聞くのは止めておくことにした。
あの黄金風呂がそっくり盗難にあったのである。しかも事件は未解決。あんなに重い物をどうやって盗むというのだろう。しかも誰の目にも触れずに……。
警察でも解らなかったものを私が詮索してみた所で始まるものではないが、仲居さんが口ごもるほどに何やら曰くのありそうな事件に思えてくる。滞在中、何度も黄金風呂に入ってみたが、その度に自分ならどう盗むだろうかを考えていたというのも実に詰まらない話ではある。
                                 (平成28年作)


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悴む

悴みて待つは八方除祈願



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横道に逸れたついでに寒川神社に通うようになった経緯について書いておこう。
今から13年も前のことである。会社では平成6年から14年までの9年間に3人の社長を相次いで亡くしている。55才、59才、60才と何れも若い。しかも全員が癌である。いきなり社長を失なう訳なので社内は大慌てである。しかも立て続けである。迷信を信じないと言いながらも、さすがに何かあるかも知れないと心配になり、地相などを見てもらい、悪い所があったなら直そうということになった。いつも通っている成田山新勝寺のご縁でよく当たるという占い師を紹介され、新たに就任した社長や当時常務だった私の生年月日、会社の図面などを送り見てもらうことにしたのである。
結果は何の問題もなし。建物の配置などにも問題になるような所はないという。私などはこれから運が上向くなどと言われ驚いたものである。まずは一安心すると共に、当たる当たらないは別にしてもとにかくその結果を信じることにした。そしてその時に占い師から勧められたのが、寒川神社での八方除だったのである。地相、家相、方位、日柄などから起こるあらゆる災厄を祓い除いてくれると勧められた。元々、信心深いという訳ではないが、占い師から言われて放っておけるほどの度胸がある訳でもない。会社から車で1時間という近さでもあり、年に一度でもいいということなので年の暮れに訪れることにした。
あれから13年。授かったお札を神棚に祀り、手を合わせることが私の暮れの行事となっている。
                                 (平成27年作)


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雪しまく

忠臣に二君はあらず雪しまく



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毎年暮れに寒川神社でお払いをしてもらうことにしている。昨年も出掛けてきた。高速を降りて神社まであと1キロというあたりで左に「梶原景時館址」の碑を見つけた(写真)。「あれっ、誰だっけ?」急には思い付かず、取り敢えず車を脇の駐車場に乗り入れた。そして思い出した。前日に読んだばかりの源頼朝の家臣の名である。「昨日の今日で忘れるかなぁ」と血の巡りの悪さに呆れつつも、昨日の今日の偶然にはさすがに驚きも感じていた。
治承4年(1180)、源頼朝が伊豆韮山で平家の代官である山木兼隆の首を挙げ蜂起する。すぐさま敵方の総師である大庭景親との戦いに向け兵を進めるが、石橋山の合戦で敗れ遁走することになる。土肥実平などに守られながら洞穴に隠れていたが敵の探索が近づいてくる。その敵兵が梶原景時である。同じ相模の国の豪族として旧知の仲であった実平を前にした景時は、頼朝が近くにいることを知りながらも逃げる手立てを施してくれる。
「見逃してくれるのか、忝(かたじけ)ない……」と実平。
石橋山から箱根、土肥(今の湯河原)へと逃れ、真鶴岬から安房へと渡り、またたく間に板東の勢力を集め、鎌倉に入り新府を築いていく頼朝。のちに大庭等は容赦なく斬罪に処せられていくが、一人、景時だけは敵方であったにも拘わらず側近として迎えられる。その後の頼朝の信任は厚く、幕府の基礎作りを行う忠臣となっていく。
しかし、頼朝の死後は他の家臣の妬みなどもあり幕府を追われることになる。頼朝の後を継いだ頼家には疎んぜられ、寒川の一宮の館に謹慎することになる。
頼朝の亡くなった翌年の正治2年(1200)1月、雪の降りしきる中を挙兵するも駿河の地で出会った地侍に一族もろとも滅ぼされ最期を遂げることになるのである。
館址には何があるわけでもなかった。小さな天満宮の祠が建っていたがもちろん景時の頃のものではない。
(注)「雪しまく」とは吹雪が激しく吹き荒れることである。景時の最期に相応しい季語に思えた。
                                 (平成27年作)


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初凪

頼朝の逃れ来し浜初凪げる



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元日の朝、家を出て久里浜港からフェリーで千葉の金谷港へと向かった。海は凪いで、空は雲一つない初晴れである。ここ数年、こんなに穏やかな元日があっただろうか。まずホテルに向かう前に立ち寄ったのが鋸南町にある源頼朝上陸地である。カーナビで検索しても見つからないほどの場所であるが、どうしても見ておきたかったのである。
国道から脇に入り込んだ海辺の一角に碑は建てられていた。頼朝の家臣である土肥実平の像が湯河原駅前に大きく建てられているのと比べると余りにひっそりとして何とも寂しすぎる扱いに思えた。碑は2基あったが興をそそられるほどのものではない。その脇に建てられた説明板の方が有難く思えたものである。その冒頭部分を記しておこう。
『治承4年(1180)8月、伊豆で挙兵した源頼朝は、23日、平家方の大庭景親勢との石橋山の戦いに敗れ、真鶴より海路小舟で脱出し安房国へ向かいました。「吾妻鏡」によれば「29日、武衛(頼朝)、(土肥)実平を相具し、扁舟に棹さし安房国平北郡猟島に着かしめ給う。北条殿以下人々これを拝迎す」とあり、上陸地点の猟島が現在の鋸南町竜島とされています』
この浜に僅かな供回りで流れ着き、その後ひと月あまりで安房、相模、武蔵などの反平氏の武士団を糾合し、鎌倉へと進み再興を果たすのである。

碑を写そうとしたが逆光で上手く撮れない。諦めて浜へ出てみると、そこにはとても美しい光景が広がっていた。夢中で写したのがこの一枚である。「獲(撮)ったどぉー!」
私がそう叫んでも、わが家族にこの喜びは伝わらなかったようで「それは良かったね」の一言にまるで心が籠もっていない(笑)。しかし1月1日に納得の一枚が撮れたことは何よりの喜びである。喜びついでに、安房小湊での旅の様子を書く前にもう一つ頼朝にまつわる話を書いておきたい。昨年の暮れにあった出来事である。
                                 (平成28年作)


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御慶申す

生きていてこその御慶を申すなり



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この正月、千葉の小湊温泉に一泊することにした。妻の予約したのが「ホテル三日月」。マンモスホテルである。やんちゃな孫も一緒だというので良しとしたが、実はこのホテルには忘れられない思い出がある。正月早々死ぬだ生きるだの話ではあるが「生き返った」話なのでよかろうと思い書いてみることにした。題して「土左衛門事件」。

平成12年の会社の忘年会。仕事を3時で終わって大型バスに乗り込んで向かった先が「ホテル三日月」。一泊して忘年会を行い、翌日は房総半島を観光して帰ってこようという計画である。一風呂浴びて宴会が始まり、コンパニオンも交じっての大騒ぎである。二次会まではみんな一緒だったと思うが、あとはそれぞれバラバラである。私の部屋では麻雀が始まっていた。チーだポンだとやり始めてしばらくした頃、ホテルの廊下を大声で叫びながら走ってくる人がいる。
「ジョームゥ!常務はいるかぁ」と叫んでいる。当時、私の役職は常務取締役。声は副社長である。「何だろう」と思いながら、「ここだよ!」と叫んだ。副社長が濡れた身体にバスタオル一枚巻き付けた姿で飛び込んできた。
「庄司が死んだ!風呂で浮かんだ!」
「何ィ!」
部屋の連中に「救急車を呼べ!」と言うやいなや、麻雀卓を飛び越えて、すぐさま大浴場へと向かった。廊下がいやに長く感じられた。浴衣の裾も振り乱し、スリッパもどこかへ飛んだ。無我夢中である。酔いは一瞬で飛んだ。死んだというのはどういうことだろう。あいつが死ぬわけがないと心の中で繰り返していた。
浴場の中央のタイルの上に庄司さんは大の字に寝かされていた。
「ショージィ!しっかりしろ!起きろ!バカヤロー、何やってんだ!起きろ!」
何を叫んでもピクリともしない。泡を吹いている。一物の上にタオルが掛けられている。
「救急車は呼んだか!」と怒鳴った。
「はい、呼んでいます。すぐ来ると思います」とホテルの人。
まもなく担架が運ばれてきた。すぐさま部屋に戻り、大急ぎで着替えて救急車に乗り込んだ。脈拍計と酸素マスクを付けられ「庄司さん、庄司さん」という救急士の声にも大きく息をするばかりで反応がない。本当に死んでしまうのだろうかと思いながら見ていた。
あとから聞いた話では次のような状況だったようである。
二次会を出た副社長は一人で風呂に入りにいった。湯気で靄っている。湯船に浸かり身体を洗おうと立ち上がった時、奥から男の人が「人が浮いている!」と言って飛び出してきたという。見てみると確かにお湯に顔を浸けたままの格好で男が浮いている。そのままにしてもおけず、湯船から引き上げてやろうと近づいた時、アレっと思ったそうである。いやな予感。もしやと思い、急いで湯船から引き揚げると意外と軽く上がったそうである。顔を見て仰天。血の気の引いた顔は紛れもなく庄司さんだったのである。
「驚いたなんてもんじゃないよ。こっちが死ぬかと思ったよ。どうしたらいいか分からないので、救急車、救急車と叫びながら、まずは日向さんを探しに走ったよ」とは、あとあと副社長から聞いた話。
救急車で運び込まれた病院に1週間ほど入院して無事退院することが出来た。軽い肺炎だけで済んだようである。それにしても酒を飲まない庄司さんも淋しいが、土左衛門の庄司さんだけは金輪際見たくないと思った。その後、2、3年は忘年会を自粛していたと思うが、いつの間にか復活して今も飲んでいる。今年74才、至って健康で今もバリバリと仕事をこなしてくれている。
                                 (平成28年作)

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元朝

元朝の海見て今日のこころざし



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明けましておめでとうございます。
良き新年を迎えられたこととお喜び申し上げます。
このブログも皆様に支えられ、始めてから2年半を経過することが出来ました。
今年も同様に綴っていければと考えておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

このところ、正月はどこかの温泉地で過ごしています。沖縄、鹿児島、島原、台湾など、いずれも海を見て正月を迎えているような気がします。今年は年末年始に掛けて大きな工事を会社で行っていますので、遠方へ出掛けるのは控え、千葉勝浦あたりのホテルで過ごすことにしました。
宿の大浴場に立ち、裸で眺める初日は最高です。海の広さ、初日の力強さを目の当たりにしながら、一年の抱負を心に誓うのは清々しいものです。立てた志を忘れないように、しっかりとした一年を過ごしていきたいと思っています。

(お願い)
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                                 (平成28年作)


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