2015年06月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2015年06月の記事

金魚

描かれて赤き金魚の影淡し



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いつもなら興味を示すこともない金魚の記事に目が向いたのは、やはり深堀隆介の「金魚」を見てきたからだろう。
5月31日(日)、横須賀美術館で展示されているのを妻と見に行ってきた。以前テレビで紹介されていたので作り方などは知っていたが、実際に見るのは初めてであった。本物の金魚を生きたまま閉じ込めたと勘違いした外国人もいたというほどなので、それほどのものならと出掛けてきたのである。
桶の金魚はまるで生きているかのようであった。エポキシ樹脂を何層にもわたり流し込み、描いていくのだが、絵とは見えない精緻な出来映えに溜め息を漏らしながら見入ったのである。立体感といい、躍動感といい、本当に本物のようにしか見えない。上手く描くものである。金魚もいいが、その影もいい。また桶の中というのもいい。どれ位の時間を掛けて制作するのかは知らないが、最初の作品を完成させた時は飛び上がって喜んだに違いない。まさに世界に一つだけの金魚を手にした瞬間だったのだから。

美術館では「ほっこり」というテーマで猫などの作品が展示されていた。金魚を見たあと、のんびりと回っていると一つの作品の前で足が止まった。織田一磨(1882~1956)の「東京風景 待乳山から隅田川」である。つい先頃訪ねてきたばかりの待乳山がとても美しく描かれていた。着物姿の人物や隅田川を行き交う帆掛け舟などを克明に描いた大正5年の作品である。絶妙なタイミングとでも言うのだろうか。18年ぶりに訪ねたのが、つい2週間前なのである。食い入るようにして見たことはもちろんである。
しかし覗き込むその姿が美術館の係員には不審に見えたようである。じっと私の方を監視しているのが分かった。私から10メートルほど離れていて、しかも背後にいるので直接目を合わせることはないのだが、作品のガラスに映っているので見張られているのが分かるのである。「やれやれ、ゆっくり観ることも出来ないのか」と思ったが、今はそんな時代なのかも知れない。しかも私の行動のどこかに不審者らしきものを見て取ったのだろうから、私の方にこそ問題があったのかも知れない。「ほっこり」した気持ちでいようと思い、ゆっくりと作品から離れることにした。
(注)写真は深堀作品ではなく本物の金魚を写したものである。
                                 (平成27年作)


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箱釣り

箱釣りの箱に凭れて叱らるる



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先日、日本経済新聞に大和郡山市の「金魚すくい道場」の記事が出ていた。「金魚すくい」を通じて技と心を磨いているのだという。小学1年生から70代まで、門下生は361人。1分間に掬う数が15匹以下なら初段、20匹以下なら2段と段位も認可していて、61匹以上が師範となり現在5人もいるという。1秒に1匹のペースで掬っていくのである。何事に依らず凄い人はいるものだと驚かされる。
「金魚すくい」といえば子供の頃を思い出す。お祭りが来て小遣いをもらい、真っ先に向かう場所が金魚すくいであった。端の方にしゃがみ、人が掬うのを見ていた。弟などはすぐにやっては失敗し、別の場所へ遊びに行くのだが、私は決して自分ではやってみようとはせず、ただじっと見ているばかり。店の人から退けるように言われるまで見ていたものである。
「なぜやらなかったのだろう」と当時の自分になって考えようとすると、ただそれだけで泣けてくる。子供の頃の自分の姿が見えてくる。私はお金を遣うのが勿体なかったのである。上手く掬えるはずもない金魚に大切なお金を遣うことが勿体なかったのだ。やってみたいと思いつつも、無駄なお金は遣うまいと我慢していたのである。家が貧しかったことを知っていたのである。
この本質は今も変わってはいない。いや、この本質があるからこそ今では敢えて無駄なお金を遣おうとするようなところがある。娘2人が小さかった頃、2人とも迷いもなく金魚を掬うのを見て嬉しかったものである。失敗してもう一回、もう一回とせがんでくることに頼もしささえ感じていた。自分と同じような金銭感覚でないことを喜んでいた。
私自身は今でも金魚を掬ったことはない。大人になってもやったことがない。子供の頃の自分を思い出し、そこから超えられないでいるようである。

記事には掬う時のコツが書かれていた。「入水角度は35~45度」「水中では水平に動かす」「金魚の頭側から入れる」「尻尾をポイ(すくい網)の枠の外に出すと破けにくい」「決して慌てず、平常心を保つ」など。
いつの日かポイを手にする日が来るかも知れないが、その一方で「三つ子の魂」という言葉を思い浮かべている。
(注)お祭りなどで浅い水槽に魚を入れて釣らせているものを「箱釣り」という。「金魚すくい」もその一つである。
                                 (平成27年作)


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梅雨

梅雨籠り飼ひて詮なき団子虫



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なっちゃんとみやちゃんがバスケットボールチームに入ってからというもの、とんと我が家に顔を見せなくなってしまった。休みの日にも練習があるのだから仕方ないのだが、なんとも辛い話である。
日曜日、午前と午後に練習があるとかで、その合い間に娘が三女さわちゃんを連れてやってきた。私がさわちゃんと遊んでいる間、娘が妻と話しているのが聞こえてきた。娘が言うには、この頃みやちゃんがダンゴムシを捕まえてきて飼っているのだという。しかも、いろいろと調べているようで「ダンゴムシは共食いをする」というような話もしているらしい。「なるほど」と思いながら聞いていた。
その日は夕食を一緒にしようということになり、夕方、練習の後に寄ることになった。

6時頃、にぎやかにやってきた。早速、外食に向かう車の中で、みやちゃんにダンゴムシのことを聞いてみた。
私「ダンゴムシにエサは何をやってるの?」
みや「エサなんか無いよ」
私「エサはあるでしょ。ないと共食いになっちゃうよ」
みや「共食いするんだよ。おーちゃん(私のこと)、知らないの?」
案の定である。ここまでは想定内の会話である。
私「エサはワラジムシじゃないの?」
みや「違うよ。ワラジムシはお友達だよ。お友達を食べるわけないじゃん!みやが○○ちゃん(友達の名前)を食べるみたいなもんだよ。そんなこと、する訳ないじゃん(怒)」
ダンゴムシ同士の共食いは認めるが、お友達であるワラジムシは断然認められないということらしい。
車内が大爆笑になったことは言うまでもない。
小学1年生の勝ち気なみやちゃん。取り分け、私に対する時の口調はなぜかいつも厳しい(笑)。
                                 (平成27年作)


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浅草祭

浅草を巡る祭の日なりけり



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「待乳山聖天」を出て、足は自然と船着場へと向かった。18年前の吟行と同じコースを辿っているのである。船着場に着いてしばらく迷っていた。あの時と同じように浜離宮まで行き、汐入池の周りを巡ろうかどうしようかというのである。しかし少々疲れていた。「大関ヶ原展」の人混みに揉まれ、汗をかきながらの墨堤の一人歩き。泥鰌鍋での一杯がその頃になって効いてきたのかも知れない。聖天様も拝んだことだし、あまり欲張り過ぎてはいけないと思った。それより何より、その日は三社祭である。ちょうどその日に訪れてそれを見逃すというのは、俳句を志すものとしては絶対にやってはいけないことである。それこそ先生に叱られる。一目だけでも見ておこうと船着場から浅草寺方面へと向かうことにした。
ぞろぞろと歩いてくる法被姿の人達とすれ違いながら進んでいった。浅草寺が見えたが御神輿はいない。その向こうに浅草観音温泉があるのだが、その日は止めておいた。思い出の温泉だが、その話は後日に譲ろう。道を折れて進むと電気ブランの「神谷バー」に着いた。浅草には名所が多い。入ってみたいと思うが、ここもまた次の機会に譲ることにして、威勢の良い掛け声が聞こえてくる雷門の方へと進んだ。
すごい人出である。法被姿が溢れている。御神輿が何基も揉まれて練っている。中に入って行けないので、しばらく遠巻きにして眺めていた。女御輿も練っている。祭髪を結った女性は一様に美しく見える。カメラマンの数ももの凄い。季寄せで「三社祭」を調べてみると「浅草祭ともいう」と書かれている。瞬時にこの句が出来た。一句ものしたところで、その日の浅草散策を終えることにした。次々と上がってくる人波とすれ違いながら地下鉄の入り口の階段を降りていった。
                                 (平成27年作)


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薄暑

妻のこと想ひて待乳山薄暑



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「駒形どぜう」を出て「待乳山聖天」を目指した。ぶらぶら歩いて15分ほどの距離である。今から18年前、私が「浜風句会」に入会し、初めて道川先生と吟行に出掛けた場所である。手帳を見てみると4月20日(日)とあるので、桜も終わった頃である。雷門で集合し、仲見世を歩き、浅草寺にお参りし、その支院の一つである聖天様まで歩いたのであった。
手帳には先生が話した言葉が丹念にメモされている。「江戸の名残の築地塀」「桜蘂降る石畳」「梵字薄れし大板碑」「一人墨田の春惜しむ」など、いろいろと書き記されている。今思えば俳句の常套句であるが、初心者の私には目の前の景を次々と言葉に置き換えていく技術は驚き以外の何ものでもなかったのである。「この先生に付いていけば上手になれる」と確信し、師と仰いだ瞬間だったような気がする。

聖天様は「本龍院」というお寺である。縁起によれば推古天皇の時代に十一面観音が歓喜天(聖天)に化身して現れ、干ばつに苦しむ人々を救ったことに始まるという。歓喜天の像は象頭人身の男女2体が向き合って抱擁しているものが一般的である。また、境内には御利益を表すという「巾着」と「二股大根」があちこちに飾られている。巾着は商売繁盛を表し、二股大根は夫婦和合、子孫繁栄を表すという。
それを踏まえて私が詠んだのがこの句である。先生は「句になっている」と言い、「待乳山が効いている」と言ってくれた。そして「愛妻家だなぁ」とも言われた。浅草から船に乗り、浜離宮で降り、汐留あたりで一杯飲んだ時も「余程いい奥さんなのだろう」と散々に冷やかされたのである。入会して間もなかった私にとっては「これからは妻の句は出さないほうが良さそう」という理解に結びつく。あれ以来、妻の句はほとんど作ったことがない。「妻の靴」と詠んだ「ひこばえ」の句を最後に句会での出句はないと思う。
                                 (平成9年作)



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泥鰌鍋

泥鰌鍋小暗き部屋に通されし



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「大関ヶ原展」を出て、国技館の五月場所の幟を眺めながら隅田川沿いを浅草へと向かった。目指すは「駒形どぜう」である。昼前なので店の前にはたくさんの客が腰掛けていた。待たされるかなぁと思ったが、10分ほどの待ち時間だという。番号札をもらい、久保田万太郎の句碑などを眺めながら待つことにした。40年前に会社の人に連れてきてもらったことなどを思い出していた。
すぐに順番が回ってきて一階の座敷席に案内された。みんな向かい合って座っているが、一人なので向かいはいない。その前には法被姿の人たちが座っていた。三社祭なのである。注文を聞かれ「泥鰌鍋のほかに泥鰌汁も食べてみたい」と言うとセットになっているのがあるというので、それを注文した。
隣でしきりに泥鰌の話をしながら一杯飲んでいる二人連れがいた。二人とも冷酒を飲んでいて、いい顔色である。声も大きい。50代サラリーマンと見た。「泥鰌のカルシウムはウナギの10倍だ」といい「このヌメリがいい」という。「コンドロイチンが多く含まれているので、血液サラサラ、ガン予防」などとも話している。「なるほど」と聞くでもなく聞いていた。
しばらくして私にも鍋が用意され、店の人が食べ方を教えてくれた。葱を山盛りにして柔らかくなったあたりが食べ頃だという。ビールを飲みながら煮えるのを待った。
葱は隣と共有である。私は1回盛っただけだが、隣の二人は何回も盛っている。見ると葱ばかり食べているようにも見える。私が鍋を平らげると店の人に「ご飯を出してもいいですか?」と聞かれた。お願いするとご飯と泥鰌汁とお新香が出てきた。泥鰌汁は少ししょっぱかった。すぐに食べ終え、会計を済ませて出ることにした。隣はと見ると葱ばかり食べていて、二人掛かって泥鰌1鍋を食べ切れていない。冷酒はお代わりしていたが、どうなのだろうと思った。割り下を何度も足された泥鰌の煮崩れがとても気になった。
(注)この句は以前、横浜の野毛で詠んだものである。
                                 (平成24年作)



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家康が陣に翳せし金扇



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5月17日(日)、江戸東京博物館の「大関ヶ原展」に出掛けてきた。2ヶ月近く開催されていたので、いつでも行くことが出来たのだが、なぜか最終日になってしまった。妻からは何度か「いつ行くの?」と聞かれたが、いつも生返事ばかりで腰を上げようとしなかった。とうとう最終日となってしまってから大慌てで出掛けたのであった。
妻は行かないと言う。混んでいるし、暑いし、「泥鰌(どじょう)」は食べたくないと言う。「浅草の夏は駒形泥鰌だぁ!」などと一人で盛り上がってしまったので、結果一人で出掛けることになってしまった。
9時半開演なので、15分前には到着したが、すでに長い列が出来ていた。チケットを買うのに15分、入場の列に15分、音声ガイドを借りるのに10分。さらに中に入って愕然とした。入口付近から混んでいて、前に進みようもないほどである。合戦を描いた屏風絵の前には何重にも人がいて見るどころではない。溜め息を付きつつも、折角なので一番手前に並んで前が進むのを待つことにした。

屏風絵にはちょっとした拘りがある。実は私には俳句の他にもう一つ「油絵」という趣味がある。今、油絵でその屏風絵を描いているところなのである。横2メートル縦1メートルの大きさのキャンバスに関ヶ原の合戦図を描いているのである。制作が遅々として進まないので、妻からは「早く部屋を空けて」と苦情が来ているところである(笑)。
「合戦図は先祖の手柄を子々孫々に語り継ぐために描かせたもの」と音声ガイドが話していた。一番手前に飾られていた「関ヶ原合戦図屏風」も、慶長7年(1612)に家康の養女である満天姫(まてひめ)が津軽信牧に嫁ぐ時に持参した嫁入り道具の一つである。大きさもさることながら、金粉がふんだんに使われ、とても豪華なものであった。
その他の展示物で目を見張ったのが、家康の馬印である「金扇」である。とても大きい。私の描く合戦図にももちろん描いているのだが、実物を見るのは初めてであった。
「これ一つ見ただけでも今日は来てよかった」と言ってはみたものの、もっと空いている日に来るべきだったと後悔することしきりであった。
                                 (平成27年作)


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亀鳴く

涙目の亀もありなむ鳴きにけり



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検眼用の椅子に座って待っている間、先生は前の患者の薬を用意したり会計をしたりしている。本当に一人でやっているのだろうかと考えていると、先生が戻ってきた。視力検査である。私の横に立ち、ボタンを押してどこまで読めるか確認を始めた。読めるか読めないかの所で考えていると「はい、次」と切り替えてしまう。割とせっかちな性格のようである。「1.2と1.0で視力は大丈夫ですね」と言いながら、次の診察室へと案内された。「こっちへどうぞ」と言うので後を付いていくと「ああ、こっちではなく、そっち」と言われる。先生は何かを取りに行ったようで、その後を私が間違って付いていったようである。
年齢は私よりは上に見えたが、頭が薄い分、もしかして下なのかも知れない。
「どうしましたか?」
「最近、目ヤニが酷くて」
「目ヤニの他に気になることはありますか」
「特に気にするほどではないのですが、昔から涙目なんです」
「いつ頃から?」
「もう2、3年になります」
そう言ってから検眼台に顎を乗せ、右目左目と光を当てられ、上瞼下瞼とめくられたりした。
「目ヤニは問題ではありません。まずは涙目から治していきましょう」
「えっ!目ヤニはいいんですか?」
それから先生の説明が始まった。
「目の横に鼻涙管というのがあります。本来その管を通って涙は鼻の方に行くのですが、そこが細くなっているので涙が外に出てくるんです。細くなるのはいろいろ理由が考えられますが、一番多いのは加齢です。そこが細くなると中の涙嚢という場所に雑菌が溜まりやすくなります。涙もタンパク質ですからいろんな病気の原因になりやすいのです。だから、まずその管の洗浄が必要になります」
「なるほど」と思って聞いていた。次に先生は何か器具を取り出して、いきなり「これは注射ではありません」と言った。「えっ!注射?」「注射じゃないって言ってるでしょ。鼻涙管から水のようなものを入れますから、じっと上を見ていてください。鼻から水が出てきたら知らせてください」
大丈夫だろうかと思いつつ、されるがままにしていると、なるほど水が鼻から喉のほうに流れてきた。
「あっ、出ました」「はい、飲んでください、飲んでも大丈夫です」片目2回ずつ、都合4回やってもらった。
「1週間に1回のペースで洗いに来てください。1ヶ月位で涙目が止まると思います」
あっという間だった。長話もなく終わった。涙目と目ヤニの薬を貰い、会計してもらった。
「先生、いつもお一人なんですか?」
「いや、います。はい、お大事に。次の方どうぞ」
素っ気なかったので気を悪くしたかと心配したが、そうでもないらしい。
帰るとき、自動ドアの前で押しボタンを探したが見当たらない。さっきの男性が先生に呼ばれたにも拘わらず「こっちです」と教えてくれた。親切な人である。出るときのボタンは随分と下の位置にあって、小さく「ここです」と貼り紙がしてある。どうして一年も直さないのだろうと思いつつ、もしかして先生は名医なのかも知れないとも考えていた。

(注)あれから2回通院した。目ヤニは5日目で止まり、涙目も治っている。見立ては確かなようである。待ち時間が少ないというところもいいので、これからは目のことはここにすることにした。
                                 (平成27年作)


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春愁

医通ひと決めて春愁始まれり



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朝、目覚めると「目ヤニ」が出るようになった。初めのうちは気にならなかったが、だんだん酷くなってきたので病院に行くことにした。行きつけなどないので、家の近くの眼科に行ってみた。ビルの2階の一室で入り口はタッチ式の自動ドアになっている。しかし壊れているようで張り紙がしてあった。「上の方を強く押してください」
何度か押してみたが開かず、力強く押してようやく開いた。待合室には中年の女性が一人座っていた。受付には人がいない。中で声がするので待っていたが、誰も出てこないので問診票に記入して待つことにした。しばらくして診察が終わり、男性が出てきた。と同時に白衣を着た先生が出てきて、受付でレジを叩いて会計をした。「お大事に」と言ったあと「○○さん、どうぞ」と女性に声を掛け、また中に入っていった。どうやら一人らしい。今どき、受付も看護婦もいないのだろうかと思いながら、待合室を見渡してみた。イタズラ書きされた女性のポスターや随分前の日付のお知らせが貼られている。しかも、テープで貼っていて、一度剥がれた上に更にテープで留めているので汚らしい。ゴミ箱に蓋はなく、一杯に溢れている。何日も捨てていないようである。美観には一切気を配っていないようである。

中年の男性が入ってきて診察券を入れ、私の斜め前のソファに座った。中からは先生と患者さんのやり取りが聞こえてくる。「大分、良くなっていますね。良かったですね」と言っている。その後も話が続く。先生の声は大きい。「私はディズニーランドに行く人の気が知れませんね。あんなに混んでいる所に行って何が面白いんですかねぇ」から始まった。「箱根もいやですね。そもそも日本人は……」などと人間嫌いとも言えるような話が延々と続く。次に待っている患者のことなどは気にならないようである。いつまで続くんだろうかと思っていると、向かいの男性と目が合って思わず二人で笑ってしまった。その人も同じことを考えていたようである。
待っていると、次のお客が来てまた自動ドアの前で入れずに困っているようである。向かいの男性が立ち上がって開けてやった。そして戻ってきて私に言うには「もう1年もこの状態なんだから、直せば良さそうなもんだけど……」
それを聞いて私が驚いたのは自動ドアのことではない。「この人はもう1年も通っているんだ。そんなに長く通わなければならない目の病気とはなんだろう。本当にここで治してもらえるんだろうか」とんでもない病院を選んでしまったかも知れないと不安に思い、問診票を回収して帰ろうかと本気で考えた。その時、中の長話が終わり先生が出てきた。
「ヒュウガさん、こっちへどうぞ」と呼ばれた。「あのォ、ヒナタなんですけど」「ああ、失礼しました」
問診票にフリガナまで振っているのに、わざわざ間違えて呼んでいる。「なんだろう、この先生は」と思ったが、診察は始まってしまった。
                                 (平成27年作)


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