2015年04月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2015年04月の記事

汗ばむ

ピアノいま佳境十指の汗ばめる



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(承前)最前列左端の席はピアノを弾く鶴岡雅子さんの真ん前である。距離にして2メートル。自然と目が行く。
黒い帽子、黒い上着、黒い半ズボンに黒いタイツ。とてもシックで黒いピアノによく似合っている。しかも表情が豊かで、愛くるしいほどである。2時間もの長い間、一人の女性をこんなにじっと見ていたことがあっただろうか。
演奏の合間に様々な表情を見せてくれる。背筋を伸ばしたり、鍵盤に前かがみになったり、目を大きく見開いたり、じっと閉じたり。口を真一文字に閉じたかと思うと、尖らせてみたりする。ぐっと顎を引いて身を反らした時に銀の耳飾りが小さく揺れる。とても楽しそうに弾いているのが分かる。曲の合間、別府さんが話をしている間に次の曲の楽譜を見ながら指を動かして練習している姿も新鮮に見えた。
曲が終わると必ず観客席に向かって笑顔を向けてくれるのだが、観客席の最前列は私である。何度か目が合って、その都度この席を選んだことを心から幸運に思ったものである。
ライブが終わって少しだけ話をした。
「楽譜がないと弾けないものなんですか?」
「そうです。ないと駄目なんです」
「あれだけ弾けるんだから、きっと全部覚えているんだろうと思っていました」
何と詰まらないことを聞いているんだろうと話ながら後悔していた。他に聞くことがいくらでもあっただろうに。
さすがに首筋に小さな黒子(ほくろ)を見つけたことまでは話せなかったにしても……。
                                 (平成27年作)


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夏めく

歌姫を囲み夏めく音楽堂



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「別府葉子シャンソンライブ」を聴いてきた。
1ヶ月も前から楽しみにしていたので開場時間より少し早く着いてしまったのだが、すでに入り口には何人かの列が出来ていた。私の後にもすぐに列が伸びていったので早過ぎたということはなかったようである。
会場に入ると、私の前に並んでいた人達が2列目、3列目の席に座ったので意外に思った。てっきり、一番前に座るだろうと思い込んでいたのでファン心理の意外な一面を見たような気がした。もちろん私は何の迷いもなく一番前の席に座った。さすがに中央は避けて最前列6人の一番左端を選んだのである。
ボーカル別府葉子さん、ピアノ鶴岡雅子さん、ベース中村尚美さんの3人によるライブである。出だしこそ緊張気味に見えたが、すぐにペースをつかんだようで、フランス語で立て続けに何曲も歌っていった。ポピュラーな曲も織り交ぜて15曲を2時間で歌い上げた。話も軽妙で、ブログを読んで想像していた通りの別府さんが目の前にいた。
最前列なので話し掛けてもらえそうな緊張感もあったが、実際には目を合わすことさえ少なかった。中央で歌う彼女の視線は常に会場の奥の方にあるようで、決して最前列の人の目を見て歌ったり話したりはしていなかったようである。私も会社で全員の前で話をする時、最前列の人の目を見ながらというよりは、やはり後列の方を見ながら話しているように思う。今度試しに手前の人の目を見て話してみようかなどと考えたりしていた。
2時間はあっという間だった。とても素晴らしい時間を過ごさせてもらった。言葉に出来ない位の感動をいただいた。
ライブが終わり、CDを購入し彼女にサインをしてもらった。完全にミーハーである。AKB48などの追っかけを見て「何をやっているんだろう、最近の若者は」などと冷ややかに見ていた自分が、同じようにサインをもらい嬉々としているのである。もらったサインを大切に眺めている自分の姿を想像し「それも悪くないかな」と考えているのだから「病膏肓に入る」と笑われたところで弁解の余地はない。(つづく)
                                 (平成27年作)


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蔀戸を上げて横笛庵の春



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「蔀戸(しとみど)」も三渓園で道川先生に教えてもらった言葉である。
園内には古い草庵風の建物がいくつかあり、その建物の窓が「つっかえ棒」で上に跳ね上げられている。その窓のことを蔀戸というと教えてもらったのである。先生の横にいて新しい知識を得ようとしているのだから、何でも丹念にメモしていった私である。しばらく行くと「横笛庵」(写真)があった。明治41年(1908)に奈良から移築されたもので、平家物語に登場する女性・横笛の像が内部に置かれていたところからその名が付けられたという。先生はそこでも滝口入道や高山樗牛、平家物語などの話を説明してくれたので「何でもよく知っている人だなぁ」と感心しながら聞いていたものである。
先生の博識ぶりはあらゆる分野に亘っていた。もちろん先生の知らないこともあるが、必ずと言っていいほど後日調べてきてくれて「この間の○○だけど」といって説明してくれるのである。探究心旺盛。80才を超えて益々勉強に励む姿を我々に見せてくれたのであった。滝口入道と横笛の悲恋をひと通り話したあと、さらに本を読んだほうがいいと言われたので、後日図書館で「滝口入道」を開いてみたのだが、古文で読みづらかったのには閉口した思い出がある。

「蔀戸」については一言付け加えておきたい。昨年、真田氏の居城・上田城を訪ねた時のこと、城の「武者窓」の説明書きに「突き上げ戸」と書かれているのを見つけた。形は先生に教わった「蔀戸」と同じだったので「城の場合はそう呼ぶのかなぁ」と思ったりしたが、家に帰って調べてみると、どうも「突き上げ戸」が正しく「蔀戸」は違うようなのである。広辞苑の「蔀戸」には「寝殿造の邸宅における屏障具の一。格子組の裏に板を張り、日光を遮り、風雨を防ぐ戸」と書かれていて「金物で釣り上げて」ともある。「つっかえ棒」を使うのは「蔀戸」ではなく「突き上げ戸」のようである。
「先生、少し違うようですよ」と言ったところで詮無いこと。「似ているが両者は別物」が私の中での結論である。
しかし、あの時に詠んだこの句は思い出なので、そのままにしておくことにした。勉強しない自分がとやかく言えるはずもない。確認の辞書を引かなかった自分の落ち度として心に留め置くことにした。
                                 (平成13年作)


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著莪の花

浄土への径もかくやと著莪の花



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迦陵頻伽の句を詠んだ手前、写真にはその姿を載せたいと思い休日に三渓園に出掛けてきた。このあたりは妙にマメな私なのである。三渓園の内苑に旧天瑞寺寿塔覆堂という建物があり、その扉に迦陵頻伽の彫刻が施されているのである。寿塔とは長寿を祝って生存中に建てるお墓のことである。
豊臣秀吉がその母大政所の長寿を祝い、天正20年(1592)に京都大徳寺内に石造の寿塔を建てたとされる。その寿塔を覆うための建物がこの覆堂である。明治38年(1905)に三渓園に移築されたとあり、寿塔は今も大徳寺内の竜翔寺にあるという。迦陵頻伽の彫刻は400年以上も経っているにも拘わらず、見事な細工を今に伝えていた。

平成13年4月、吟行で初めて道川先生と三渓園を訪れた。その時にこの迦陵頻伽のことを教えてもらったのである。その時の手帳を見てみると、先生が如何に博識かが解る。横にいてその言葉をメモするのだが、俳句を始めて間もない私にとっては初めて聞くような言葉ばかりでとても驚いたものである。
「狐の牡丹、潦(にわたずみ)、雀の槍、剃刀菜(こうぞりな)、木大角豆(きささげ)、水琴窟、梅は実に、結界、切岸、薬医門、乳鋲、郁子(むべ)の花、九輪、相輪、宝珠、風鐸、蛙股、水陽炎、欄(おばしま)、火頭窓、四阿(あずまや)、伽藍石、光悦垣、宝鐸草(狐の提灯)」などなど。次から次へと口を突いて出てくるので、とても書き取れるものではない。「先生、それはどんな字を書くんですか」と聞くと「なーんだ、何にも知らないんだなぁ」と笑いながらどんな字でもすらすらと書いてくれるのであった。
覆堂の先に「著莪(しゃが)の花」がたくさん咲いていた。もちろん、その時初めて知った花である。
「一度聞いたら忘れるな」が先生の口癖。忘れないためにも、何とか句にしてしまおうと捻り出した一句である。
                                 (平成13年作)


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囀り

囀りや迦陵頻伽の声ならむ



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来週、「別府葉子コンサート」を聴きに行く。一ヶ月も前にチケットを購入し楽しみにしていたのである。
彼女は関西を中心に活動しているシャンソン歌手。彼女のブログを読んで私が一方的にファンになっているだけなのだが、チャンスがあれば一度は本物を聴いてみたいとずっと思っていたのである。
そのコンサートが東京で開かれると知り、早速ローソンチケットでチケットを購入した。「した」というより、「してもらった」が正しい。彼女のブログで発売を知り、ローソンに行けば買えるのだろうかと考えたが、「それじゃ買えないよ」と妻に笑われた。一度は自分でパソコンのローチケ販売サイトを見てみたが、どこでどう買うものやら、一瞬で諦めた。とにかく、その手のものが苦手なのである。会社でも昔からコンピュータ関係は人に頼むしかなく、最近では「この資料をこんなイメージで」と、頼む要領だけは上手くなったようである(笑)。
チケットは妻に頼んだ。「えー、面倒だなぁ」と言いながらも手続きしてくれた。こちらは妙に得意なのである。私のこのブログもすべて妻が作ってくれたものであり、写真の取り込み方やもろもろの操作方法も根気よく教えてくれた。機械音痴が今の世を生き抜くには、とにかく頼むしかないのである。

別府葉子さんがどのような人かはブログを読んだ範囲内でしか分からない。代名詞を使わない一人称「別府」で綴る日常の様子は開けっ広げで面白い。時折、「ひえ~」とか「わ~い!」とか「えへへ」などが記されていて人柄が伺える。もちろんシャンソン歌手なので歌声は素晴らしい。ユーチューブで聴く限り凄い歌唱力である。大阪方面に行った時にでもと考えていたのだが、東京でコンサートを開いてくれるというので、迷わず聴きに行くことにしたのだった。ローチケなんのそのである。
聴いてきた感想はまたこのブログで書くことになると思うが、初めてのシャンソンだからだろうか、自分が歌う訳でもないのに少しドキドキしている。「百万本のバラ」や「アムステルダム」が聴けるといいなと思っている。
(注)迦陵頻伽(かりょうびんが)とは極楽浄土に住むという鳥のことである。その声は美しく、仏の声に形容される。顔が人、体が鳥という姿をしている。
                                 (平成27年作)


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うらら

アメ横を流るる人の波うらら



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団子屋を出て公園をぶらぶらと御徒町駅の方へと向かった。花見の時期には早かったが、たくさんの人出であった。
上野といえば「動物園」であり「花見」であり「西郷さん」かも知れないが、私にとっての上野はやはり井沢八郎の「ああ上野駅」である。会社にも集団就職で出てきた人が何人もいて、バス旅行などでこの曲が流れるとみんなで大合唱したものだが、今では場末の飲み屋のカラオケでもあまり聞くことがなくなってしまった。あくせくと働いてきて、気が付くと年を取り、いつの間にかみんな居なくなってしまったという感じである。
西郷さんの下の「聚楽」はもうない。数年前に訪れたとき、新しいビルに改装されていて寂しく思ったことを覚えている。学生時代、郷里の北海道に帰ろうとする時に何度か入った店である。重い荷物を引きずってこれから夜行列車に乗ろうとするのであるが、細々とした東京での暮らしを省みて、溜め息をついた場所である。

中央通りを渡り、アメ横に入る。昨年見た「あまちゃん」を思い出す。主人公アキがアイドルを目指してレッスンに励んだスタジオ「アメ横センタービル」が見える。これも妙に懐かしい。アキ役の能年玲奈ちゃんのその後の活躍を期待している一人としては、「その後のあまちゃん」をNHKにお願いしたいほどである。
アメ横は相変わらず混んでいた。日曜日でもあり、人混みに溢れていた。上野に来るといつも郷愁を覚える。それは上野が始まりの町だからである。東京での成功も挫折も、みんなこの上野から始まっているのである。その上野の町を人の流れに身を任せるようにして歩いた。20代だった自分が、今こうして年を取って流されているのである。田舎から出てきて上野駅に降り立ったことのない人には分からない感覚かも知れないが、人波に流されながら、そんな感傷に捉えられていたのである。
「ちょっと待って。買いたいものがあるの」
後ろで妻の声が聞こえた。振り向きながら立ち止まろうとして、人にぶつかった。次々とぶつかってくる人に何度も謝りながらも、自分にとって一番大切な人のところに辿り着こうとしていることに幸せを感じていた。
                                 (平成27年作)


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草団子

重き荷を負ふてしばしの草団子



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六本木から上野へ向かった。不忍池の畔の水月ホテル鴎外荘に昼食を予約している。この頃お気に入りの日帰り入浴である。上野公園を横切り、不忍池を渡り、森鴎外の旧居を見て、古代檜漆塗り風呂での一風呂である。鴎外荘を出た後は上野東照宮へ参拝した。山岡荘八著「徳川家康」を読んでいるところなので、家康ゆかりの場所には心惹かれるものがある。正面の唐門を拝み、中に入り、様々な彫刻を施した透塀を見ながら社殿へと進む。金色殿とも呼ばれるほどに金の装飾は絢爛豪華である。かの戊辰戦争にも70年前の東京大空襲にも難を免れたようで、家康公を祀るに相応しい威厳を放っていた。
お参りを終えて鳥居を出たところに団子屋があった。いつもなら素通りする団子ではあるが、東照宮の門前とあらば話は別である。昼食を済ませたばかりではあったが入ってみることにした。思い浮かべていたのは家康が武田信玄に大敗を喫した「三方ヶ原の戦い」(1573年)のことである。

室町幕府15代将軍・足利義昭の要請に応える形で信玄は京へ向けて大規模な侵攻を始めていた。甲府を発ち、徳川領の遠江国へと軍を進め、途中の小城を次々と落としていく。その数3万。対する信長・家康連合軍は1万。盟友信長も周囲に敵を抱え、思うように援軍を送ることが出来ない。迫る大軍を迎え撃つべく本城・浜松城で籠城の構えを取っていると、武田軍は城を素通りして三方ヶ原の方へと通過していく。これを知った家康は籠城策から一転、武田軍を背後から襲う作戦に出る。これが世に言う「三方ヶ原の戦い」である。結果は惨憺たるもので、わずか2時間ほどの戦闘で壊滅的打撃を受ける。一方的な敗走となり、わずかな供回りに守られながら浜松城に逃げ帰った家康。生涯忘れ得ぬ負け戦となったのである。
敗走中の家康に逸話が残されている。敗れた家康が逃げ帰る途中に空腹を覚え、一軒の茶店で小豆餅を食べたという。そこへまた敵が追ってきたため慌てふためいて代金も払わずに茶店を飛び出した。驚いた茶店の老婆が家康を数キロ先まで追い掛けて代金を受け取ったというのである。そんなことから茶店のあった場所を「小豆餅(あずきもち)」代金をもらった場所を「銭取(ぜにとり)」といい、今も地名として残っているという。俄には信じがたい話ではあるが、とは言っても一度は訪ねてみたいと思う私なのである。
                                 (平成27年作)


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春光

淡き春光フェルメールの窓辺



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たまには上野にでも行ってみようかということになった。桜には少し早いが、妻と二人で歩くには格好な場所である。ついでに美術館に寄ろうと思ったが上野ではあまり面白そうなものはやっていない。調べてみると六本木の新国立美術館で「ルーヴル美術館展」が開催されているので、そちらを観てから向かうことにした。
パリのルーヴル美術館には20年も前になるが、一度訪ねている。広い館内を見て回り、ようやく「モナリザ」に辿り着いた時にはクタクタに疲れていたという思い出がある。ギリシャ神話に纏わる絵画などもたくさん展示されていたので、今回もそれがあればと期待したが、「風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」という副題が示す通りギリシャ神話とは関係のない作品ばかりであった。
開館時間に合わせて到着したが、日曜日でもあり、すでに混み始めていた。音声ガイドを借りて回り始めた。16世紀初頭からの作品80点ほどが、いずれも精巧な筆致で描かれている。人物などは写真のようにも見える。16世紀といえば、日本の戦国時代である。このような技法が当時の日本にもあれば、家康の顔ももう少しはっきり解ろうものにと考えたりしながら見て回った。
今回の出展作品の中の呼び物はフェルメールの「天文学者」である。ルーヴルに所蔵されているフェルメール作品は2009年に来日した「レースを編む女」と、この「天文学者」の2点だけ。そのためか、この「天文学者」はルーヴルを離れることのほとんどない作品の一つなのだそうで、待望の初来日ということのようである。
作品の前はやはり人だかりが出来ていた。立ち止まらないで観てくださいとアナウンスしている。私が観たかったのはフェルメールの光の描き方である。立ち止まらずにはいられない。窓から差し込む光を室内の人物の横顔や手、衣服、机の上、壁などにどのように描いたのか見てみたかったのである。光の粒子を繊細な筆先で散りばめていったに違いない。その筆致を自分の目で作品の上に見つけたかったのである。何度も作品の前を行ったり来たりすることになってしまった。外に出てから妻に言うでもなく呟いた一言。「350年前の光を今に伝えているんだよなぁ。立ち止まらないというのは失礼だよ」
                                 (平成27年作)


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薔薇

薔薇の香に酔ふて吟遊詩人めく



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妻とは待ち合わせて上野の喫茶店などでデートした。
私の誕生日だったかどうかは忘れたが、妻からプレゼントを手渡された。開けてみるとダンヒルのライターが入っていた。金色に輝き、重みがあり、とても高価なものに見えた。煙草を止めて30年も経つが、その当時は結構なヘビースモーカーだったのである。プレゼントされて、とても嬉しかったことはもちろんであるが、それ以上にこんなに高価なものをくれたこと自体に驚いた。本気で好きになってくれているんだなぁと思った。すぐさま、私は当時流行していたブーツをお返しに買ってあげたのであった。

喫茶店ではいろいろな話をしたと思うが、思い出すのはギリシャ神話の話をしたことである。ゼウスが、アフロディーテが、プロメテウスがなどと盛り上がったと思う。文学少女だった妻がギリシャ神話の話が出来る男と知り合い、恋心を募らせたという構図である。今にして考えると、よくもまぁ、自分がそんな本を読んでいたものだと驚きもする。
後日、ちっとも本を読もうとしない私にその時の話を持ち出してきて「フー、騙された」と溜め息をついた妻である。溜め息をつかれた私としてはいささかの後ろめたさを感じつつも「決して騙したわけじゃないんだけれど……」と言い訳をしたいところではあったが、口にするのは止めておいた。今でも妻は私の何倍もの本を読み、子供達からは「何でも知っているお母さん」としての絶対的信頼を得ているのである。
35年も経ってしまったが、遅ればせながらもう一度「ギリシャ神話」でも読み返してみようかと、ひそかに思っているところなのである。
                                 (平成27年作)


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