2015年03月の記事 - ひこばえ
background movie

ひこばえ


2015年03月の記事

春雷

春雷や過ぎし月日のことをふと



DSC04571_convert_20150322141623.jpg



七十二候に「雷乃発声(雷すなわち声を発す)」があり、3月30日頃から4月4日頃までのことをいう。遠くで雷の音がし始める頃という意味である。「春雷」は夏の雷のような激しさはなく、一つ二つ鳴ってはすぐに止んだりする。

「春雷」には忘れられない思い出がある。稲光を発する自然現象の方ではなく、フォークグループ「ふきのとう」が歌う「春雷」という曲の方である。妻と知り合い、付き合い始め、初めて妻の部屋に遊びに行ったときの思い出である。
高校卒業後、地元高崎の企業に就職していた妻は当時東京の支社に勤めていて、一人でマンションに暮らしていた。そこに初めて遊びに行き、二人で聴いた曲なのである。妻が20才の頃である。
二人で何度も聴いたので覚えているのだろう。最後のフレーズがとても印象に残っている。

 春の雷に 散るな 今すぐに 桜 花吹雪 命つづくまで

結婚後しばらく忘れていたが、ある時思い出してカラオケで歌ってみたことがあった。久し振りに聴き、すぐにあの当時を懐かしく思い出したのだが、隣にいた妻がどう反応したのかは覚えていない。家族で行ったカラオケだったので、思い出も語れずじまいであり、語る以前に私自身が相当に酔っていたようにも思う。きっと二人だけで静かに聴いていたとしたら、違った展開になっていたかも知れない。
あれから35年も経ってしまったが、出会った時のことを思い出す大切な曲になっているのである。
                                 (平成27年作)


にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

胡葱

胡葱や夫婦二人といふ月日



DSC04476_convert_20150301184903.jpg



私は毎週土曜日、倫理法人会が行っている「経営者モーニングセミナー」に参加している。6時から役員朝礼、6時半からセミナーが始まるので、4時半には起きて出掛けている。セミナーでは毎週講師が変わる。先日の講師は「リーダーの学び」と題して40分間話をしていた。セミナー終了後は講師を囲んで朝食会を行う。そこでは、その日の感想を全員一人1、2分で話すことになる。その日の私の話は次のような内容であった。

『先生、本日はいいお話をありがとうございました。「隣人を大切に」というところでは、ここ数日の女房とのやり取りを思い浮かべながら聴いておりました。2日ほど前の夕食時に胡葱(あさつき)が出ました。女房お手製のカラシ味噌でいただきましたが、とても美味しかったので「胡葱も美味しいけど、お前の作るこの味噌は絶品だなぁ」と褒めました。女房はとても嬉しそうでしたので、やっぱり褒めるということは大切だなぁと思いました。
その翌日、また胡葱が出てきました。「これは本当に美味しい。毎日食べても美味しい。お前のこの味噌は最高だよ」と前日同様に褒めたのでした。ところが、その日の女房はちっとも嬉しそうな顔をしません。あれっと思いました。すると女房が「何か気が付かない?」と聞いてきます。「何だろう。何も気付かないんだけど……」と言うと「もう、いいわ……」と言います。
しばらくして分かったのですが、女房はその日、髪を切っていたのです。「あっ!」
時すでに遅し。「隣人を大切に」という先生の話を聴いて、本当にその通りだなぁと思い至った次第です』
                                 (平成27年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

春光

末の世も春光まとふ円空仏



DSC04461_convert_20150225055849.jpg



「円空・木喰展」は円空のコーナーから始まる。入ってすぐの場所に2メートルもあろうかという十一面観音菩薩像が3体並んでいた。一刀彫の鉈の荒々しさだけでなく、細部に亘って丹念に彫られているのが分かる。入口を飾るに相応しい存在感である。次に荒子観音の木っ端仏が並んでいた。ようやくにして出会えたと思った。鉈で割ったような木肌をそのままに彫刻刀で形が刻まれ、目鼻が付けられている。とても単純であり、それゆえにとても暖かい。
その隣に千面菩薩がたくさん並べられていた。仁王像を作った際の木っ端を利用して作ったもので円空が封印してから開かれることのなかった仏像たちである。発見者が木箱を開けた時の驚きは想像するだに楽しい。
いくつもある中で一番心惹かれたのが、会場入口のポスター(写真)にもなっている不動三尊像の中の不動明王である。河原にでも落ちていそうな木切れに彫刻を施しているのである。火焔光背は朽木そのままの形を利用して作られており、円空の造形の妙が遺憾なく発揮されている。後ろに回ってみると数ヶ所に鑿あとは認められるものの、ほとんどが木片そのものである。まさに朽木に命を与えたかのようである。

仏像でないものも展示されていた。円空が「大般若経」を巻経から折経に修復した時のものであり、その見返しに釈迦の絵などが描かれている。また、円空の和歌も記されている。「歓喜する円空」(梅原猛著)を読んで知るのだが、円空の簡略化された仏像制作と大いに関わりのある円空の仏教感が見て取れるという。和歌は次のようなものである。
 幾度も絶へても垂るる法の道九十六億末の世までも
「仏教は絶えるけど、また復興する。そして五十六億七千万年後の弥勒菩薩の出現の世を待てというのであろう。(中略)釈迦の死後、釈迦の教えが正しく伝わっている正法の世が五百年、教えが形だけ残った像法の世が千年続き、以後は仏教が衰え、人の心が荒廃する末法の世が五十六億七千万年も続くというのである」
歌の中に「九十六億」とあるのは、弥勒菩薩が出現し九十六億の人に説法するという思想と混同したのかも知れないとも書かれている。拝観出来ずに立ち去った一昨年の荒子観音からの思いを漸く遂げることが出来た瞬間であった。
                                 (平成27年作)


にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

木々芽吹く

木々芽吹く堂の中なる木つ端仏



DSC04475_convert_20150301090104.jpg



横浜そごう美術館で開催されている「円空・木喰展」に行ってきた。
円空については一昨年、愛知県の荒子観音に出掛けた時のことを思い出す。
知人の案内で名古屋城や清洲城などの史跡を見て回ったのだが、その時最初に訪ねたのが荒子観音だった。
少し調べてから出掛けたので円空仏で有名なお寺であることは知っていた。木切れに目鼻を彫り込んだだけのような木っ端仏(写真)や昭和47年に多宝塔の木箱の中から発見された1024体もの千面菩薩の円空仏は、毎月第二土曜日だけしか公開されないということも承知していた。分かってはいても見られないというのは淋しいものである。お寺に着いた時はとても残念な思いに駆られたものである。
円空(1632~1695)は生涯に約12万体の仏像を彫ったとされ、現在発見されているのはそのうちの5400体余りである。北海道から奈良県あたりまでで発見されていて、多くは愛知県、岐阜県に残されている。そのうちの1255体が荒子観音にあるという。
それにしても12万体とは凄い数である。荒子観音に伝わる文書「浄海雑記」に「もっぱら行基僧正を慕い、自ら12万体の仏像を彫刻する大願を発した」と書かれているところからきているようである(梅原猛著「歓喜する円空」)。
木っ端仏は諦めるしかなかったので、山門の中に据えられた仁王像を見ようとした。これも円空の作である。しかしこちらも目の前にあるにも拘わらず、細かい格子に邪魔されてほとんど中を見ることは出来なかった。「また日を改めて来ることにしよう」と心に誓い、私にとってはとても心残りな円空仏になっているのである。
その円空が横浜で見られるという。出品目録を見ると木っ端仏も展示されているという。じっくり見てこようと、とても楽しみに出掛けてきたのであった。
                                 (平成27年作)


にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

料峭

料峭や秒針音もなく止まる



DSC04484_convert_20150304214500.jpg



坂口さんとの思い出を書き始めたら切りがない。
釣りには何度も出掛けたが、私の娘たちと一緒に船に乗った時のことを書いておこう。
長女がまだ高校生、次女が中学生の頃だったと思う。金沢八景から釣り船に乗り、キス釣りに出掛けた。陸にいる時はそれほどの風でもなく、沖に少々白波が立っている程度だったが、乗り込んで船が走り始めた途端、これは止めるべきだったと後悔した。千葉の富津沖あたりまで走ったかと思うが、東京湾は大荒れの様相で船の揺れは尋常でない。ましてや、娘たちにとっては初めての釣り船である。二人を両側から挟むようにして座り、私が次女を、坂口さんが長女の面倒をみることにして釣りは始まった。
オモリを海底に沈めても着地したかどうかの感触も得られないほどである。仕掛けを付け、餌を付け、リールの巻き方から教えなければならない。それでも、次女の方はどうしたものか調子よくどんどん釣り上げていく。私より上手い位である。長女の方はと見れば何やら上手くいっていない様子。それもそのはず、肝心の坂口さんが船酔いをしている。
「えっ!そんなことはないでしょ?」
坂口さんの出身は愛知県の日間賀島である。先祖はずっと漁師だったといい「俺には漁師の血が流れている」と言っていたのだが、その日ばかりは違ったようである。大きく揺れる船べりから時折ゲェーと言いながら吐いているのが見える。隣で長女が心配そうに声を掛けている。「大丈夫」と応えているのだろう。吐き終えるとすぐ、長女が絡めた釣り糸を解きに掛かっている。あとで長女が言っていたものである。「あの時は糸を解いてもらうのが申し訳なくって……吐いてすぐだというのにニコッと笑いながらやってくれて、相当に無理していたと思う」

あの頃の坂口さんは口髭を生やしていた。われら家族はファミコンゲームのスーパーマリオに似ているということから「マリオおじさん」と呼んで親しくさせてもらっていた。
そのマリオおじさんが3月2日に亡くなった。余命宣告を受けてから1ヶ月という早さである。長い間お付き合いいただき感謝の言葉もない。本当に心許し合える友人であった。安らかなご冥福をお祈りするばかりである。
(注)料峭(りょうしょう)とは春になってからの寒さをいう。
                                 (平成27年作)


にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

梅見

梅見酒もとより梅も愛でにけり



DSC04451_convert_20150215213412.jpg



梅園を出て日帰り温泉で休んで帰ることにした。昼食には一杯飲みたいものである。梅見弁当とは書かれていなかったが、それらしく見えたので写真の品を注文した。大きな弁当に見えたが、一つずつの食材はそれほどの量ではない。目で味わうといった風情である。お酒のつまみには丁度良いくらいの量であった。
食事のあとは風呂である。大浴場に入り、露天風呂に浸かり、サウナにも入ってみた。あの徳川家康も入ったという熱海の湯である。湯の効用を知り、人の病気見舞いに京都まで湯を運ばせたという。当時はどんな風呂だったのだろう。今、山岡荘八の「徳川家康」(全28巻)を読んでいるところなので、熱海の湯に入るシーンもあるかも知れないなどとボンヤリと考えていた。
汗を流したところでリラックスルームに入ってみた。モニター付きのリクライニングチェアがあり寝ている人もいた。テレビでまたまた落語などを聴いたりしていたが、いつしか自分も眠ってしまい、目が覚めたときは結構な時間になっていた。慌てて妻に声を掛けて帰ることにした。
「梅も観たし温泉にも入った。一杯も飲んだし句材も出来た。日帰り温泉もたまにはいいもんだなぁ」と上機嫌。
しかし、そんな気分でいられたのもその辺りまでで、車を走らせてすぐさま渋滞の列が待っていることを知った。
「ワーッ、帰りが遅くなりそう」
考えてもいなかった事態だが、覚悟を決めてのんびりと梅の句でも考えながら帰ることにしたのだった。
                                 (平成27年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

梅祭

猿芸に沸きし一画梅まつり



DSC04445_convert_20150215212758.jpg



落語を聴き終わって外に出ると、梅の木の下に人だかりを作っている場所があった。「猿回し」である。時折起こる笑い声を聞きながら、人の頭越しにしばらく見ていたのだが、見ながら5年ほど前にあった出来事を思い出していた。

あれは、なっちゃんの3才の誕生日に鬼怒川温泉に出掛けた時のことである。途中で日光江戸村に寄って「猿軍団」を見学したのであった。その少し前に娘と3人で三崎の油壺マリンパークに行ったのだが、その時はイルカのショーを見てとても喜んでいたなっちゃんだったので、猿ならもっと喜ぶに違いないと思ったのである。猿も一匹ではなく集団芸である。面白くない訳がないと思うのが大人の考えるところである。ところが、当のなっちゃんは始まってすぐに外に出たいと言い始めた。
「えっ!これから面白くなるというのに、どうして?」
他の大人達もなっちゃんに続いてゾロゾロと出ることになってしまった。
「どうしたんだろう?」
「おそらく、猿を叱るのがイヤだったんじゃないかと思う」と娘。
「うーん、そこが面白いところなのに。なんと心やさしい」と言ったかどうかは忘れたが、あれから少し「猿回し」には敬遠気味な私なのである。
相変わらず、猿は細い首紐を付けられて叱られていた。
                                 (平成27年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

梅見

木橋いま梅見橋へと名を変へて



DSC04448_convert_20150215213103.jpg



熱海梅園の歴史を見てみると、明治19年に横浜の豪商が約3000本の梅や松、桜などを植えたのが始まりとある。伊藤博文の肝煎りで造成されたとも書かれている。貫一お宮で有名な尾崎紅葉の「金色夜叉」が新聞に連載されたのが明治30年とあるので、その頃にはすでに梅園があったことになる。

8時半開園とあったので9時には到着したのだが、駐車場はすでに満車状態で随分と離れた場所に停めて歩くことになった。今が見頃というだけあって園内には紅白の梅が見事に咲き誇っていた。資料によると59品種の梅があるといい、随分と多いものだと驚かされる。早咲き、中咲き、遅咲きがあり、長い期間を楽しめるのだという。
その中に「思いのまま」という品種を見つけた。道川先生に次の句がある。
 咲き分けて「思ひのまま」といふ古梅
「咲き分けて」の意味が判らないでいたのだが、その花を見てすぐに理解した。一つの枝に紅白の花を同時に咲かせているのである。「何事も実物をよく見て」という先生の教えを今一度思い浮かべていた。
韓国庭園や中山晋平記念館などを回り、空中ゴマの大道芸で賑わう中央広場で甘酒をいただいたりした。また、落語もやっていたので入ってみて一笑いしてきた。
園内には初川という川が流れていて、そこに「梅園五橋」といわれる木橋が架かっている。これらの橋が梅園の風情をより味わいのあるものにしているようである。それぞれに名前が付けられていたが、ここは「梅見橋」と詠んでみた。
                                 (平成27年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

手品師の取り出す春の色とりどり



20150220.jpg



4人で相模湾に大きく望んだ「ホテルニューアカオ」に泊まった。海はもちろん熱海全体も一望出来て、母も喜ぶに違いないと思ったのである。
昔、母をハワイに連れて行ったことがある。その時、一緒にダイヤモンドヘッドに登ろうと誘ったのだが、母は「私はいい」と言って登らなかった。私がなぜ勧めたかというと、旅行が終わってからもハワイの写真を見るたびに「あそこまで登った」と懐かしく思い出すに違いないからである。ハワイの写真に必ず写っている山であり、そこに登ったとなれば、いつまでもいい思い出が蘇るはずである。
同様の発想で熱海の写真を見るたびに「あの先端のホテルに泊まった」と言ってもらえば、いつまでもいい思い出になるはずと思ったのである。思い出づくりが好きな私である。

いいホテルだったかどうかはあまり覚えていない。覚えているのは、ホテルのショップで買った長女へのお土産の花瓶のことである。色といい、デザインといい、とても気に入って選んだのであった。しかし、あれから一度も見たことがない。今はどうなっているのか、今度聞いてみようかと思っている(笑)。
もう一つ覚えているのが、夕食時のマジックショーである。鳩を取り出したり、檻の中に入ったりしていたが、ショーが終わってからも会場を回って記念撮影してくれたりしていた。広い食事会場と赤いドレスを着た外人女性がとても印象に残っている。
その時のマジックを詠んだ句である。「春の色とりどり」という破調が気に入っている。
                                 (平成16年作)


にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
フリーエリア