2015年02月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2015年02月の記事

暖かし

棕櫚の木の見えて熱海のあたたかし



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日曜日、熱海梅園の梅まつりに出掛けてきた。開花情報では472本ある梅の木のうち416本が開花していて見頃だという。「日本一早咲きの梅」とも書かれていたので見逃してなるものかと、天気も良さそうなので出掛けることにした。本来なら一泊したいところであるが、この時期の土曜日はいつも仕事なので日帰り入浴で我慢する事にした。

朝6時半に出発。高速道路は空いていて8時には熱海の海岸道路を走っていた。天気は快晴。絶好の梅日和である。
何度も来ている熱海だが、海岸沿いから見える「ホテル水葉亭」の赤い屋根とその下の赤い鉄橋が目に入ってくると「熱海に来たなぁ」という感じがしてくる。本来なら、その写真を載せたいところであるが、その道路には一時停止する場所がない。走りながらの撮影ではいい写真は撮れないので、やむなく熱海のビーチから写したホテル群の写真を載せることにした。写したばかりの写真を見て妻が「ハワイみたい」と言った。なるほど、言われてみるとワイキキビーチのようにも見えてくる。バブル崩壊を受けて、変遷夥しい熱海なのである。
この句は今から11年前、北海道から母が遊びにきて、私と妻と次女の4人で熱海に泊まりに行った時に詠んだものである。熱海には棕櫚の木がよく似合う。
                                 (平成16年作)



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桃の花

酒酌めば杜甫こそよけれ桃の花



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坂口さんとの思い出話を一つ書いておこう。
平成7年頃から14年頃まで、会社の気のあった仲間で「飲兵衛会」という会を作っていた。初めは居酒屋で飲む程度だったが、そのうち旅行に行こうということになり方々に出掛けた。関東近県は元より長野、新潟、富山、石川、岐阜あたりまで足を伸ばしている。当初は誰かの車を借りて出掛けていたが、そのうち提供者もいなくなりレンタカーに変わった。運転手が飲めないのがつらいということで、電車で出掛けたこともあり、バスツアーに申し込んだこともあった。しかし、これは他のお客様に大迷惑を掛けることになってしまった。何せ板金屋なのでみんな声が大きい。バスの後部座席に席を占め一杯飲みながら話し始めると本当に顰蹙ものである。仕舞いには後ろの席から大量の氷をこぼしてしまい、バスの通路を勢いよく氷が走ったことがあった。バスガイドに注意されたことはもちろんであるが、一斉に振り向いた乗客の怒りの顔が今でも忘れられない。
名前が示す通り、酒好きの7、8名がメンバーであった。中には酒豪もいれば酒乱もいた。その中でただ一人酒を飲まなかったのが坂口さんである。よくもまあ、一滴も飲まない人があの連中と付き合っていたものだと感心するのだが、本人はとても楽しかったと言ってくれている。飲まない代わりに坂口さんは大食漢であった。しかも偏食で野菜は駄目、肉は駄目といろいろ難しいので、飲み屋に行くと彼の分だけは自分で勝手に注文してもらっていた(笑)。
長野県の望月へ行った時のことである。井出野屋さんという旅館に泊まったのだが、夕食には食べきれないほどの料理が出てきた。しかも幹事の計らいで(もしかして私だったかも知れない)、名物の鯉の料理が追加されたのでお膳は山盛り状態であった。「あまり飲まないで、まずは食べるように」と誰かが言ったかと思う。それほどの量の料理が並べられたにも拘わらず、坂口さんがとった次の行動にみんな目を瞠った。自分のカバンから缶詰を取り出して缶切りで開け始めたのである。「こんなに料理があるのに、まだ駄目なの?」
秋元不死男という俳人に「鳥わたるこきこきこきと罐切れば」の句があり、戦後の食べるもののなかった時のことを詠んでいるのだが、坂口さんの「こきこきこき」はこの飽食の時代に於けるただの偏食だと私がみんなに説明してみせた。坂口さんの缶詰はあれ以来の語り草である。誰からも嫌われることのない好人物の坂口さんなのである。
(注)この句は山梨に行った時のものである。飲んでばかりいたので飲兵衛会での句はこれ位しかない。
                                 (平成11年作)


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春を待つ

春を待つこころ奇跡を待つ心



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日曜日の午後、病院に行って来た。痩せたと聞いていたので覚悟はしていたが、顔を見て驚いた。一ヶ月でこんなに痩せるということがあるのだろうか。病室には兄嫁さんがいたが、挨拶のあと席を外してくれて坂口さんと二人きりになった。「忙しいところ休んで済みません」と言われて一瞬意味が分からなかった。「忙しいところ(見舞いに)来てくれて済みません」というのなら分かるのだが、余命宣告を受けた人が会社を休んでいることを詫びているのである。常日頃、相手かまわず「会社を休むな」と言ってきたことを痛切に反省した瞬間だった。
病状を聞き、治療方法を聞き、これからのことを聞いた。「薬を飲んでいるので痛みはないんです。普通に歩くことも出来るので今のところ自分が悪い病気に罹ったという実感がないんです」と言う。泣くまいと思っていた。思ってはいたが、話が昔話になった途端、込み上げてきた。坂口さんの目からもツーと涙が流れた。「いい会社で働いてこられて、幸せでした」といい「社長には本当にお世話になりました」と言った。言葉にならなかった。「坂口さんとは思い出が多すぎるよ……本当にありがとう」というのが精一杯であった。
二人で泣いたあと握手をして、また来ることを約束した。「これから体力が落ちてくると思うので、元気なうちに会社に顔を出しておきたいんですが、いいですか」「もちろんだよ」
ここでいいと言っているのにわざわざエレベータまで送ってくれたので、別れしなにまた泣くことになってしまった。
                                 (平成27年作)



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早春

早春の突堤突端まで歩く



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私が釣りを始めたのは今の会社に入ってすぐのことである。工場でストーブ談義をしていると、随分と釣りの話で盛り上がっている。釣れた話を聞いていると経験のない私にも出来るような気がしてくる。堤防で糸を垂らすと黒鯛が釣れるイメージが出来上がってくるのである。「黒鯛なんか、ちょちょいのちょいだ」と言って盛り上がり、後に引けない状況になってしまった。どんな竿を買えばいいのか教えてもらい、仕掛けも何種類か買い、休みの日に近くの堤防に出掛けてみた。餌は青イソメと聞いていたので、その朝、釣具屋で買い、堤防の上で開けてみた。中を見て驚いた。気味の悪いミミズのような虫が動いているではないか。これを針先に付けなければならないのだ。「無理、無理!」第一、その虫に触ることさえ出来ない。堤防の上で一人呆然としてしまった。これが私の釣り第1日目の姿である。
そこに来てくれたのが坂口さんであった。坂口さんは今68才、当時40才くらいである。仕掛けを替えてくれ、釣り方も教えてくれた。もちろん、青イソメの付け方も教わった。あれから私の「釣りバカ」が始まったのである。黒鯛はもちろん、キス、カサゴ、太刀魚、アジ、カワハギ、マダイ、スズキなどいろいろな釣りに出掛けてきた。師匠であり、ライバルであり、文字通りスーさんハマちゃんの関係であった。また、釣りだけではない。飲みにも出掛けたし、マラソン、旅行、将棋、競馬なども一緒にやってきた。あれから今日まで28年間の付き合いである。

その坂口さんが体調を崩し、年の初めから会社に出てこないでいた。病院に行って診てもらうというので連絡を待っていた。1月も末になり、ようやく弟さんから電話があり、最悪の内容を告げられた。末期癌だという。本人は延命治療はしないと言っているらしい。「顔を見に行ってやってください」という。もちろん、すぐに出掛けた。
                                 (平成9年作)



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鳥雲に

海坂に消ゆる航跡鳥雲に



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これは所属していた浜風句会の最後の句会に出した句である。2月1日に道川先生が急逝され、集まった2月の句会でその後のことが話し合われた。句会に残る者、退会する者、俳句そのものを止めてしまう者などいろいろであり、言葉にならないほど寂しい会合になってしまった。先生がいてこその句会だったので、バラバラになってしまうのも仕方ないと覚悟していたが、それまでとても楽しく過ごしてきた会であっただけに万感迫るものがあった。私も退会することに決めた。先生のいない句会というものが考えられなかったのである。
3月の最後の句会の兼題は「鳥雲に入る」であった。春になり、北へ帰っていく鳥たちが雲間に入って見えなくなる様子をいう。亡くなられた先生と思い合わせ、最後の句会に最も相応しい季題だったかも知れない。

先生は平成15年に「航跡」という第1句集を出している。高等商船(現東京商船大学)卒業後、日本郵船に入り、世界中の海を船長として航海してきた人である。「海の男」に相応しい名の句集である。その航跡が海の彼方へ消えていくと詠んでみたのである。句会では高得点を得て先生に捧げた句として忘れられない句となっているが、肝心の先生の評がないので、いい句なのかどうなのか、いまだ判らないでいる(笑)。最後の最後まで先生頼りだったことを思わずにいられない。あれから3年経ち、そろそろ「先生離れ」しなくてはと思っているのだが果たして出来るかどうか自信がない。
                                 (平成24年作)



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裏山の墓訪ふ春の影法師



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道川先生の命日(2月1日)がやってきた。1月の最後の日曜日に花を携えて訪ねてきた。季節で言えば最も寒い頃に当たるが、その日は風もなくコートなしでもいいほどの天気であった。お寺に着くと喪服の人達が大勢出ていくのとすれ違った。法事があったようである。その人達が帰っていくと、お寺には誰もいなくなった。
手桶に水を汲み、裏山に向かった。お寺の横に墓地はあるが、古いお墓ですでに一杯であり、新しい墓地を裏山に求めたようである。山の上に真新しい墓が並んでいる。先生のお墓も亡くなる数年前に買い求めたものだ。先生が句会で話をされていたのを聞いたことがある。先生は声が大きいので、どんな話も全員に筒抜けなのである(笑)。
花を上げ線香に火を点けお参りをした。墓の横に墓銘碑があり、先生の戒名が刻まれている。戒名には「海」の字が入っている。船長として七つの海を何度も渡ってきた人だから当然である。また「梅」の字も入っている。植物についての造詣の深さを思えば、これも当然であるが、なぜたくさんある植物の中から「梅」なのだろうかとの疑問は残る。お寺さんが付けたのだろうか?それとも親族の方の希望だったのだろうか?いろいろ考えてみるが判るはずもない。
お参りを終えて駐車場に戻った。すると、そこに小さな石碑が建っているのを見つけた。「あっ!」と声をあげた。「不許葷酒入山門」の碑である。葷(ネギやニラなどの臭気の強い野菜)や酒などのような不浄なものを帯びた状態での寺門への入場を禁ずるという意味の碑である。「あれっ、先生。あの句は鎌倉のお寺で詠んだ句ではなかったのですか。てっきり、そう思っていましたが……」思わず、先生に声を掛けている私なのであった。
先生の句に漢字ばかりで詠んだ次の句があるからである。

不許葷酒入山門梅真白  虹洋  読み「くんしゅさんもんに いるをゆるさず うめましろ」

「だから梅だったんだろうか?……」と車を走らせながら考えていた。
                                 (平成24年作)



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冬薔薇

一輪に卓の華やぐ冬薔薇



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心に染みる歌というのは、ある日突然天啓に打たれたようにやってくるようである。もしこの歌を車のラジオで何気なく聴いていたとしたら、これほど感動しただろうか。やはり、あの日、あのような心の状態で聴いたので強く心を捉えたのだろう。この歌を聴くたびに、あの夜のことを思い出すに違いない。

昨年暮れ、挨拶回りから戻ると大きな物件の引合いが来ていた。営業に話を聞くと相当なボリュームである。「見積もりはいつまで出すんだ?」と聞くと明日の午前中までだと言う。「バカヤロウ!これだけの物件の見積もりがそんな短時間で出来るか!何日温めていたんだ!」と怒ってみたがどうなるものでもない。「よし、これから手分けして、みんなで作業するぞ」と号令を掛けた。材料の拾い出しと重量計算をする者、使用部品の単価を当たる者、塗装の面積計算をする者、工数を計算する者など担当を決めて作業に掛からせた。それが午後8時である。指示をし終えて、あとは出来上がるのを待つだけである。私としては帰宅してもいいのだが、人に指示をして自分だけは帰るというのが嫌な性分である。終わりまでいると決めて机に向かった。机の上のパソコンで歌でも聴いて待つことにした。
イヤホンを耳にしてお気に入りの曲を聴き始めた。最近のユーチューブはよくしたもので、一曲聴いていると関連する曲のリストが横に並ぶように出来ている。そこで目に留まったのが小椋佳「少しは私に愛を下さい」である。一度も聴いたことのない曲だったが、聴いた瞬間ゾクゾクする感動を覚えた。1番から3番までの一つの曲を三人の歌手が歌っていた。1番目をピアノを弾きながら歌う歌手は知らなかったが、2番目にギターを弾きながら歌うのは井上陽水であった。観客の拍手が臨場感をもって伝わってくる。最後の3番は小椋佳自身である。あとから知るのだが最初の歌手は来生たかおである。古い歌のようであるが、若い3人の歌声はちっとも古さを感じさせない。何度も何度も聴き続けて時間の経つのを忘れた。見積もりが出来たのが深夜12時であった。
「トータル、いくらになった?」「2億5000万です」「よし、明日確認するから、今日はこれで帰ろう」
みんなを労って帰ることにしたが、物件の大きさよりも何度も聴き続けていたこの歌に感動していた私なのであった。
(注)歌詞の中に「一度も咲かずに散っていくバラ」というフレーズがあったので、以前詠んだ冬薔薇の句を掲げた。
                                 (平成23年作)


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年の夜

年の夜を唄ひ踊りて浮かれけり



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大晦日は静かに過ごすものと思ってきたが今はそうでもないらしい。カウントダウンなどで賑やかに新年を迎えるのも、外国だけの話ではないようだ。宿泊先の国頭村は沖縄北部にあり、那覇などの中心部からは随分と離れた場所にある。1日くらいは中心部も見ておこうと出掛け首里城などを見学してきたが、その帰りの夕食は沖縄民謡などを聴かせてくれる店を選んで入ってみた。それまで空いていた店内もライブ開始前にはぞろぞろと入ってきて、始まったときにはほぼ満席の状態。大晦日の過ごし方も変わってきたと思うしかない。
沖縄の代表的な曲を何曲か歌ってくれた。どれも知った曲ばかりであったが、生で聴くというのはいいものだ。そのうち、カチャーシーという手踊りをお客に教えて一緒にやってみようということになった。泡盛でいい気分になっていることもあってか、私もやってみることに。特に難しいというものでもない。上手い、下手は別にして、音楽に合わせて踊るというのは楽しいものである。両手を頭上にかざし、左右に振りながら踊るのである。沖縄方言の「かき回す」から来た言葉だといい、なるほど左右に振る手の動きがかき回しているように見える。要領は次の通りである。
①腕を伸ばして両手を真上に上げ、手のひらを開いて前に向ける。
②男性は手を握る。女性は広げたまま。
③扉を開けるように、両手のひらを右に向けて腕を右に振る。
④扉を閉じるように、両手のひらを左に向けて腕を左に振る。
⑤腕を左右に振るのを繰り返す。この時、麦踏みの要領で足踏みをする。
とても簡単に踊れた。踊りながら「今年もこれで終わりかぁ」と思っていた。いろいろなことがあった一年ではあったが、終わってみると遠い昔のようにも思えてくる。百八煩悩云々よりも、この方がいいかもと酔った頭で考えていた。泡盛を相当に飲んでの大晦日であった。
                                 (平成27年作)


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