2015年01月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2015年01月の記事

甘蔗の花

夕さりの風はかそけし甘蔗の花



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(承前)篠原さん運転のバスがホテルに到着し解散となるや、すぐに車で取って返し、教えてもらったばかりの場所のサトウキビの花の写真を撮ってきた。沖縄のどこにでもあるサトウキビだが、その花のことを初めて知ったのであるから記念の一枚なのである。花というからには、勝手に夏をイメージしていた。私の好きな沖縄の歌「イラヨイ月夜浜」にもキビの花が出てくるのだが、もちろん夏のイメージで聴いていたのである。月のきれいな夜に浜辺に出て、唄を歌ったり三線を弾いたりして踊るという歌なのでてっきり夏の歌と思い込んでいたのである。
改めてサトウキビについて歳時記を捲ってみた。サトウキビに関する季語は「甘蔗(サトウキビ、カンショ)(秋)」「砂糖黍(秋)」「甘蔗(カンショ、キビ)の花(冬)」「砂糖黍の花(冬)」「甘蔗刈り(カンショカリ、キビカリ)(冬)」などがあるようである。漢字は「甘蔗」「砂糖黍」両方を当てている。沖縄といえばサトウキビなのに、歳時記も引かないで出掛ける体たらくを反省することしきりである。
写真を撮ってしばらく眺めていた。甘蔗刈りなどという過酷な労働のことを思うこともなく、沖縄での戦争のことを考えるでもなく、ただじっと眺めていたのである。ありなしの風にほんの微かに揺れるばかりであったが、沖縄の冬を感じさせてもらうには充分であったかと思う。
                                 (平成27年作)


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裏白

やんばるの森裏白の径を行く



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ホテル主催の「やんばるの森探検ツアー」があったので、もしかしてヤンバルクイナに出会えるかも知れないと思い申し込んでみた。10数名が集まっていた。「2時間程度の探索となります。寒いですから羽織るものも必要です」ガイドの篠原太郎さん。この人がいろいろな新種の発見者であることを知るのは、ツアーを終えたのちのことである。
10分ほどバスに乗り、森の入り口に到着。なるほど寒い。沖縄にしては、ここに来ての最低気温だという。篠原さんに付いてシダの森を歩いた。運が良ければヤンバルクイナも見ることが出来るが、あまり期待しない方がよいとのこと。足早に歩いて道のどん詰まりまで到着した。そこから篠原ワールドが始まったのである。
まずはオキナワシリケンイモリを一匹捕まえて見せてくれた。指の本数による両生類と爬虫類の見分け方を教わる。ヒカゲヘコやクワズイモなどの森の植物について教わる(写真)。崖面にたくさん空いている斑猫(ハンミョウ)の巣穴について教わる。「斑猫って道教えのことですよね?」と聞くと「そうです。よくご存じですね」と言いながら「この穴でそれだけ驚いてくれるのであれば、次がとても期待できます(笑)」と。崖面にある小さな苔をボールペンの先で捲ったのである。そこには巣穴が。「木村蜘蛛といいます。当時高校生だった沖縄の17才の少女が発見したので、その名前が付いています」巣穴の入り口に糸で扉のような蓋を作り、そこに苔などを付着させてカムフラージュしているのである。また、その蜘蛛のメスがオスを食べる習性についても教わる。嫌いなオスについては巣穴に「引きずり込まれて」食べられ、気に入ったオスについては「招き入れられて」食べられる。
そのほかに教わったことを列記しておこう。触ると糸を引くコモウセンゴケという食虫植物。イスノキに出来たひょんの実と、その中のハダニのこと。モッコクの木に付いた宿り木。女郎蜘蛛の習性。そのオスの小ささ。その巣に宿る居候蜘蛛。ミミズの大糞などなど。
とても寒い日であったが、面白いことをいくつも教わった貴重な探検ツアーであった。篠原さんには感謝感謝である。
帰りのバスを走らせながら、彼が「あれがサトウキビの花です」と言ったので「えっ!花?」と目を瞠った。最後まで私を楽しませてくれる人なのである。(つづく)
                                 (平成27年作)



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元朝

何もせずただ元朝の海を見に



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今からちょうど10年前のことである。取引銀行の課長さんと休日の過ごし方について話をしたことがある。
課長「日曜日は、どんな過ごし方をしているんですか?」
私「家族が寝ている間に起き出して台所でつまみを作るんです。タマネギを刻んで水洗いしマヨネーズを掛けるだけの簡単なレシピですが、これが絶品なんです。それをつまみに政治番組を観ながら缶ビールを飲む、これが私の至福の時間です。日曜日はこれに限ります(笑)」
課長「私は沖縄です。日向さんが政治番組を見終わった頃には、私はビーチで海を見ながら寝転がっています」
私「へぇー、わざわざ沖縄まで行くの!」
課長「それこそ早起きして朝一番の飛行機で羽田を発ちます。向こうではレンタカーを借りて1時間半位走ります。昼前には到着します」
私「そこで何をするの?」
課長「何もしません。ただボーっとしているだけです」

あれから10年経った。沖縄へは何度も出掛けているが、課長が話していたホテルに行ってみるのは初めてであった。広大な敷地に何棟ものコテージが並んでいて、なるほど課長が勧めていた意味が分かるような気がした。海辺を歩いたり、やんばるの森を訪ねたりして、この正月何もしない贅沢というものを体感してきた。
                                 (平成27年作)


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風邪

これしきの風邪と侮つてもをれず



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本来、成田山へ初詣に行き一杯飲んでいるはずの土曜日の午後にこれを書いている。
異変は水曜日の夕方に始まっていた。喉に違和感を覚えたのだ。風邪を引くといつも声が嗄れてくる方なのでまた風邪かなぁと思った。しかし、その日の約2時間の会議をしゃべり続けることが出来たので違うかなとも思った。翌日も喉の違和感は続いた。その日も別のグループとの会議があり、2時間半をしゃべり続けた。インフルエンザに罹った人の話も聞いていたが、症状は違うようなので大丈夫のようにも思っていた。
金曜日は朝から予定が入っていた。夕方からは東京での祝賀会にも出席しなければならない。午前の予定をこなした辺りで、本当に声がかすれ始め鼻水も出始めた。ようやく風邪だと確信した。2時に年始客があり、挨拶を終えたところで、東京の会には欠席したい旨の断りを入れた。1ヶ月も前からの招待だったので大変申し訳ない気持ちであった。
その足で病院に向かった。受付をして問診票に記入するとインフルエンザの検査をしますかと聞かれた。お願いしますと答えるとすぐに検査である。鼻の穴に試験紙を入れられて10分ほどすると「インフルエンザA型です。薬を処方します」と言われた。薬局で薬をもらい家に帰った。
妻にはメールで知らせておいた。「罹った人からは高熱が出るとか、関節が痛くなるとか聞いていたんだけど、何でもないんだよなぁ」と言った辺りまでは良かったが、それからしばらくしてどんどん症状が現れ始めた。用意しておいてくれたスープを飲み、お粥を食べ早々に寝ることにした。布団に入るや、悪寒が始まった。何枚も布団を重ねてもらったがガタガタと震えは止まらない。「インフルエンザって、これかぁ。子供の頃によく罹ったやつだなぁ」と思った。当時、インフルエンザと診断されたかどうかは覚えていないが、少なくとも吸入薬はなかったように思う。高熱が出て、咳き込み、震えも止まらず、寝ては覚めてを繰り返し、ようやく眠ったようである。深夜、相当な寝汗をかいて着替えをした。翌朝8時に目が覚めた時には随分良くなっていた。久しぶりに過ごした悪夢の一夜であった。

悪寒に襲われる直前の娘とのメールである。
私「インフルエンザに罹った」
娘「会社でもらったのかな?薬はもらった?」
私「イナビルという吸入薬」
娘「ゆっくり休んでね。あーちゃん(妻のこと)、にかちゃん(ハムスター)に移さないようにね」
私「すごい悪寒。今、湯たんぽを入れてくれた。やさしい」
娘「湯たんぽ!あーちゃん、優しいじゃん。病んでる時に優しくしてもらえると好きになるよね」
私「もともと、嫌いじゃないけど」
娘「そうなんだ(笑)!」
                                 (平成27年作)

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ちゃっきらこ

蜑の娘の紅も清しやちやつきらこ



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「ちゃっきらこ」とは三浦市三崎町に伝わる小正月の行事である。1月15日の朝、5才から12才までの女の子たちが晴れ着姿で海南神社でお祓いを受け、そのあと扇や綾竹を持って踊りを奉納するのである。楽器はなく、音頭を取る女性の歌に合わせて踊る素朴で美しい伝統行事である。
平成11年、浜風句会の吟行で訪ねている。小雪の舞い散る中、たくさんのカメラマンに交じりながら俳句を考えていたことを思い出す。私の原句は「蜑(あま)の娘の紅も可愛いや」であったが、道川先生はすぐにその場で「清(すが)しや」に直してくれた。「可愛いとか、きれいとか、自分の思いを直接的に句に入れては駄目だ。読んだ人が可愛いとかきれいとかを想像してくれるように、客観的に表現した方がいい」と教えてもらったのであった。また、歌う女性のことを「老蜑(おいあま)」と表現していたことも印象に残っている。蜑とは漁師のことである。

「ちゃっきらこ」については後日談がある。当社がお世話になっている「かながわ信用金庫(当時は三浦藤沢信用金庫)」の当時の支店長と「ちゃっきらこ」の話になった。
支店長「ちゃっきらこをご存じですか」
私「無形文化遺産ですから、知らないという訳にはいかないでしょう(笑)」
支店長「あのちゃっきらこで歌を歌っている人がいますよねぇ」
私「老蜑のこと?」
支店長「そう、その老蜑(笑)、実は私の義理の母なんです」

それからというもの、信用金庫の人が来るたびに「ちゃっきらこを知ってるか?」と聞いたものだが、知っている人はほとんどいなかった。「地元と共にという信用金庫の割には、地元のこと知らないなぁ」と言い、それからしばらく私の講釈が続くことになるのである(笑)。
(注)支店長はその後、専務理事にまでなり、今は関連会社の社長である。
                                 (平成11年作)



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歯固め

歯固めの棒買ふハムスター売り場



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実は我が家でハムスターを飼うのは3匹目である。
初めは15年ほど前であった。NHKの連続ドラマ「スズラン」の主人公の友達の名前から「竹次郎」と名付け「竹、竹」と呼んで可愛がっていた。死んだのは私の浅はかさからである。こんな狭いカゴの中だけでは可哀想と、放し飼いに近いほど大きな柵をこしらえて遊ばせていたのだが、すぐに隙間を見つけて逃げ出してしまう。ソファーの下や冷蔵庫の奥に隠れているのを見つけ出すのだが、その時だけはなかなか見つからなかった。そのうち出てくるだろうと高をくくっていたが、数日後書棚の奥で電気コードを齧って死んでいるのが見つかった。感電したのかも知れない。長女が夜遅く、仕事から帰ってきた。玄関で「竹、死んじゃったよ」と伝えると凄い号泣が始まった。二十歳を過ぎた娘があれほどに泣くものかと驚き、強く印象に残っている。
2匹目は「モミジ」と名付けて可愛がっていたが、歯の育ち方が悪く、家族が旅行中に預けたペットショップで死んでしまった。「悲しい思いばかりさせられるので、もう飼うのはよそう」とカゴも何もみな捨てて10年以上経つ。ハムスターの寿命を考えれば、また同じ事を繰り返しているのかも知れないが、手に載せてみるとやはり無性に可愛い。

家に連れてきた日に名前をどうしようかということになった。みんないろいろ案を出すが決まらない。私が一押しの「官兵衛」は、なっちゃんの一言「古すぎ!」で一蹴される。よく見ていると買ってきたカゴに二階部分があり、すぐにそこに上ってじっとしている。「二階が好きなようなので、二階ちゃんとしよう」と私が言うと「それ、名前みたいじゃない(怒)」とみやちゃん。「二階じゃなくて、ニカちゃんならいいよ」ということでようやく決まった。名付けの親ではあるが、みやちゃんは怖がってまだ一度も手に載せていない。
                                 (平成27年作)



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初仕事

水を換へ餌を足すわが初仕事



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昨年のなっちゃんの誕生日(7月)に、ハムスターをプレゼントしようと考えた。生き物を飼ったことがないので、情操教育にもなろうかと思い娘に提案してみたのだ。娘は「いいかもね」と満更でもない様子。ただ「旦那さんに聞いてからね」のひと言は忘れなかった。プレゼントと言っても、飼うのは娘一家なのだから、彼の意向は重要である。しばらくして回答があった。
「動物はまだ早いと思います。可愛がるのはいいのですが、生き物ですから、なつが責任を持って世話が出来るようになって初めて、飼わせるべきだと思います。折角の提案ですが、今は時期尚早と考えます」
言われてみると成る程と思えるところがあり、話は流れた。
しかし、そこで諦めないのが私なのである。クリスマスが近づき、またハムスターのことを思い出した。
「よし、それでは我が家で飼おう」
孫達は喜ぶだろうし、我が家に遊びに来る回数も増えるに違いない。そして、これなら彼に聞いてみる必要はない。
ところが、またまたこの提案に反対する人物が現れた。妻である。
「絶対、反対。誰が世話するの。あなたは絶対に何もしないことは判っている」
「いや、やる……かも知れない」
「絶対やらない」
爆弾トークを以て反対されたが、数日やり取りしているうちに軟化してきた。
「仕方ないなぁ。あなたはなっちゃん達に会いたいだけで言ってるんだろうけど……みんなの喜ぶ顔も捨てがたいし」
ということで、ある雨の日、孫達を連れて買いに行ってきた。もちろん、みんな大はしゃぎである。なっちゃんは泊まっていきたいとまで言い出した。作戦大成功である。

あれから数日してこの文章を書いている。1日目、2日目と水を換え餌をやるなどしてみたが、妻の言う通り、3日目には世話係を放棄してしまった私であった。
                                 (平成27年作)


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初写真

初写真作り笑顔に硬さあり



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1月5日、仕事始めである。昨年から計画していたのだが、今年から全社員の顔写真入りの組織図が掲示されることになった。これは、ある新入社員からの提案がヒントになっている。「自分の職場の人はすぐにでも覚えることは出来るが、他の職場の人はなかなか覚えられない。顔と名前も一致しないし、どの職場で働いているのかさえ判らない。同じ会社で働いているのにコミュニケーションが図れないのは残念である」という声に応えるために始まったのである。

昨年暮れに写真撮影が行われた。撮影担当が一人ずつ写していくのである。初めに女子社員の撮影が行われた。何枚も写して、本人が一番いいと言うものを採用したと聞いていた。これから男性の撮影を始めるというので様子を見に行くと、一枚撮って「はい、オッケー」とやっている。写された方も「えっ、もういいの?本当に写した?」などと聞いている。「大丈夫、大丈夫。はい、次の人、お願いします」と担当は数をこなそうとしている。女子とは随分違う対応のようであり、一枚しか写してもらえない人の気持ちが痛いほどに伝わってきた。「○○さん、顔の表情を作るのは結構難しいもんだから、何枚か撮って選ばせる位のサービスはお願いします」と声を掛けておいた。
貼り出された写真を見てみると、いろいろである。満面笑みの人もいれば、ムッとした顔の人もいる。総じて笑顔であるが、少し硬さがあることは否めない。
初出勤し、掲示板の前で自分の顔写真を確認することだろう。ムッとして写っている人はもう少し笑っておけば良かったかなぁと思うはずである。清々しい一年を送るためにも、何回でも撮り直しが出来ることをみんなに話しておこう。
                                 (平成27年作)



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初富士

初富士の見ゆる高みに上りけり



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明けましておめでとうございます。
よき新年を迎えられたこととお喜び申し上げます。
このブログも皆様から支えられ、始めてから1年半を経過することが出来ました。
今年も同様に綴っていければと考えておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

年の初めに「初富士」の句を掲げました。新年を迎えて仰ぐ富士の姿は凛として気品に満ちています。
世界文化遺産のことを持ち出すまでもなく、我々日本人の誇りであり、美しさの象徴です。
写真は昨年暮れに河口湖に泊まった時に写したものです。早朝、宿を出て納得の一枚を求めて大池公園を歩き、河口湖大橋の中程まで渡ったところで写した一枚です。
句は平板ですが、あの時の自分の様子を何の気負いもなくそのままに詠んでいて、納得の一句になっています。
今年もこの句のように気負わずに歩んでいこうかと思っています。

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                                 (平成27年作)


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