2014年12月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2014年12月の記事

牡丹鍋

牡丹鍋酔ふて凭るる床柱



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12月25日が私の誕生日である。先日、所属する会合で12月生まれの人が紹介され、壇上でプレゼントを手渡されたのだが、その時の私のお礼のコメントは次の通りである。「誕生日にはいつもケーキが用意されていました。一度として忘れられたことはありません(笑)。しかし、そのケーキが自分の誕生日のためのものだったかどうかは、いまだ不明です」

昨年の12月25日に還暦を迎え、厚木の飯山温泉で赤いチャンチャンコなどを着せてもらった。誕生日とはいっても、この時ばかりはケーキではなく、宿の自慢の牡丹鍋が運ばれてきた。山間の鄙びた一軒宿であり、野趣に溢れたお持てなし料理である。といっても上機嫌でお酒を過ごした私の記憶は、鍋が運ばれてきて写真を撮ったあたりまでで途切れており、食べた記憶も匂いを嗅いだ記憶もない。「俳句は何でも実際に体験し、その感動を句にするものだ」と先生から教わっている私にとっては、翌朝、みんなに「美味しかったか?」「どんな味だった?」と聞いて回った牡丹鍋で作句するなどは本来あってはならないことなのであるが、記念日に免じて大目にみてもらい詠んでみたのである。案の定、食べないで作ったためか、平板で月並みで誰かが詠んだような句になっているのがお判りいただけよう。実に正直なものであると言わざるを得ない。

あれから1年が過ぎた。年を重ねてからの1年の速さには本当に驚かされる。今年を振り返って、良いことも悪いこともさまざまであったが、何事も前向きに受け止めて新しい年に生かしていきたいと思っている。
1年間、ブログをお読みいただき有難うございました。来年もしっかり作句し、食べてもいない牡丹鍋などで作ることのないようにと考えています。引き続き、よろしくお願いいたします。
                                 (平成25年作)


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数へ日

居眠りをしに数へ日の散髪へ



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髪は30年来ずっと同じ床屋で刈っている。
休日の朝、予約の電話を入れてから出掛ける。前日に予約しておけば良さそうなものだが、いつも朝に思い立ってドタバタする。間際まで何もしないというズボラな性格の現れである。店はご主人1人なので、ほぼ間違いなく2人きりである。私より1才上で、仕事柄、毎日テレビを観ているためか、芸能、スポーツ、政治など、あらゆる部門の情報通であり、話に事欠くことはない。この頃はゴルフに凝っているようで、行くたびに私にもゴルフを勧めてくる。興味を示そうものなら誘われそうなので、聞かないようにしている。
ということで、頭を刈ってもらっている間は話をしているので居眠りをする暇はない。あそこで居眠りをしたのは、あとにも先にも1回だけ。平成23年の繁忙期(9月から11月まで)、やり切れないほどの仕事を抱え、毎日遅くまで働き、心身共に疲れ果てていた12月のことである。散髪台の上で不覚にも眠ってしまい「随分疲れてるねぇ」と言われてしまった。本当にヘトヘトだったのである。

散髪料は昔からずっと変わっていない。通い始めた頃に、髭を剃ってもらって血だらけになったことがあり、それ以来、髭は剃らないということにした。ご主人曰く「日向さんは皮膚が弱い」ということであったが、本当に皮膚が弱いのかどうかは他で剃ったことがないので分からない。通常料金が今いくらなのかは知らないが、私の場合はあれ以来、髭剃り料を差し引いて2,900円ということになっている。消費税が始まった時も、税率が上がった時も一度として変わったことがない。お札を出して100円のお釣りをもらうということを30年近く続けているのである。
「髪が少なくなってきた分、安くなるんじゃないの?」と、冗談を言ったことがあった。
「頭の大きい人も小さい人も同じ料金」と、かわされた。
(注)「数へ日」とは、今年もあと幾日と指で数えられるほどに減ってきた日数のことをいう。
                                 (平成23年作)


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賀状書く

わが姓と異なる孫へ賀状書く



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孫達への年賀状はいつもひと工夫を施す。いわゆる「受けを狙う」のである。
過去、様々な工夫をしてきたが、今年は例の「コイだより」を使っての年賀状となる(写真右上が「コイだより」で裏面がハガキになっている)。このブログで、正月を待たずに内容を発表してしまうので、関係各位には当日の孫達の驚きと、それを想像して過ごす私の楽しみを奪わないでいてくれることを切にお願いする(笑)。
このゴム製の魚の年賀状は実は初めてではない。長女が結婚して間もなくの頃に一度送っている。千葉勝浦の鵜原理想郷を妻と旅した時に、たまたま売店で売っているのを見つけ、年賀状として宿から投函したのであった。あの時は鯵(あじ)だったが、自宅のポストの中にそれを見つけた娘は瞬時に誰かのイタズラだと思ったそうである。
先日、たまたま孫達の部屋に遊びに行った時、おもちゃ箱の中にあの時の鯵を見つけ、今もおもちゃとして使われていることを知り、「よし、今年はこれでいこう」と決めたのであった。

一人ひとりの受け取った時の反応が目に浮かぶ。
なっちゃん(8才)「ふーん、なるほどね。おーちゃんだと思った」
みやちゃん(5才)「わー、何これ?カッコ悪ーい」
さわちゃん(3才)「これ何?これ何?」
かず君(2才)「……バー(奇声)」
当たらずとも遠からず。ともかくもまた一年、孫達が健やかに育ち、家族一同を楽しませてくれることを願うばかりである。
                                 (平成26年作)



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冬泉

水底に碧きわが影冬泉



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冬晴れの富士山を眺めながら、忘年会の翌朝は河口湖から富士浅間神社、忍野八海へと巡った。
浅間神社に到着した時、浜風句会の皆さんと「吉田の火祭り」を見に行った平成22年の夏を思い出していた。
毎年8月26日27日に行われる勇壮な火祭りである。大きな松明から燃え落ちる火の粉を浴びながら、とても感動したことを思い出す。翌日は早朝から起き出して、道川先生とホテルの屋上に上り、赤富士を眺めたことも良い思い出になっている。
もちろん、忍野八海にも訪ねている。駐車場に着くや、先生は民家の生け垣を指して「あの木が何の木か分かるか?あれは一位の木だ。長野の望月宿で食べた一位の実を忘れたか」と言われたことを思い出した。会社の人達と歩きながらも、先生のことを思い出している自分が少々可笑しくもあった。

あの夏ほどではなかったが、相変わらず観光客で賑わっていた。富士山の伏流水が湧き出す湧水池の神秘的な美しさは、いつも変わらないようである。あの時はどうしても詠むことが出来なかった一句を、今回は何としても詠んでみたいと思いながら歩いていた。夏と冬とで季節は逆であるが、池の底に映る自分の影を捉えて、4年振りに作った一句。「先生なら何と評するだろう」と考えると、少し切ないものがある。
バスは午後3時に会社に戻り、解散となった。一人ひとりと挨拶を交わしながら別れたのだが、私が「青」か「蒼」か「碧」かで悩んでいたことを知る人は誰もいない。
                                 (平成26年作)



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年忘れ

年忘れ歓をなすこと幾ばくぞ



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有名な古歌などの一節を自作に取り入れることを「本歌取り」という。芭蕉なども漢詩を取り入れて句を詠んでいるので、私もそれに倣って詠んでみることにした。これは私が高校生の時、漢文の先生から丸暗記を宿題として出された詩の一節である。半世紀近く経った今でも忘れずに暗誦できるのだから、若い頃の記憶力というのは凄いものである。
李白(701~762年)の「春夜宴桃李園序」という詩である。冒頭の部分を紹介しておこう。

 「春夜宴桃李園序」      「春夜 桃李園に宴する序」
夫天地者万物之逆旅     夫(そ)れ、天地は万物の逆旅(げきりょ)にして
光陰者百代之過客      光陰は百代(はくたい)の過客(かかく)なり         
而浮生若夢為歓幾何     而して、浮生は夢の若(ごと)し 歓(かん)を為すこと幾何(いくばく)ぞ
古人秉燭夜遊良有以也    古人燭を秉(と)りて夜遊ぶ 良(まこと)に以(ゆえ)有る也

意味は次のようなものである。
『いったい、天地はあらゆるものを迎え入れる旅の宿のようなものである。
時間の流れは永遠の旅人のようなもの。
人生ははかなく、夢のように過ぎ去っていく。どれほどの時間を楽しむことが出来るというのだろう。
昔の人が燭に火を灯して夜中まで遊んだのも、実に理由があることなのだ』

会社の忘年会を富士五湖の一つ「河口湖」湖畔のホテルで行った。世界文化遺産に登録されたばかりの富士山を見ながらの宴会である。一年の労をねぎらうには最高の場所であり、とても楽しいひとときを過ごしてきた。
夢のように過ぎ去っていくのが人生である。楽しく過ごす時間を大切にしたいと思う。
                                 (平成26年作)

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聖夜劇

禿げ頭越しの立ち見や聖夜劇



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みやちゃんの幼稚園最後となるお遊戯会。劇「わらしべ長者」で主役を演じるというので、取るものも取り敢えず出掛けてきた。着くとすでに満席状態であったが、娘夫婦が席を取っていてくれたので、なんとか座って観ることができた。
舞台が遠すぎて私のデジカメではいい写真は撮れそうもないので、始まる前の引き幕でも撮っておこうと何枚か写しておくことにした。撮っては確かめ、また向きを変えて撮り直しと結構こだわる方なのである。
娘「始まる前から随分、撮ってますねぇ」
私「いやぁ、この席だと、前のオヤジの禿げ頭が入ってしまって絵にならないんだよ(笑)」
娘「おーちゃん(私のこと)の後ろの人も、きっと同じことを言ってるよ(大笑)」
私「……(苦笑)」
他人の禿げ頭のことを、とやかく言える立場ではない。

お遊戯会が始まってしばらくして下の娘(みやちゃんの叔母に当たる)が到着した。中に入れずに立ち見である。もうすぐ「わらしべ」なので、我慢するしかないだろうと思っていると、ちょうど私の後ろの席が空いたようで、ちゃっかりと座っている。そして劇が始まった。カシャカシャと後ろでシャッターを切り始めた。娘のカメラは私のデジカメより、余程しっかりしたカメラなのである。音もいい。
「カシャカシャ撮るのもいいけど、俺の後頭部を入れるのは止めてくれよ」と言っておくことだけは忘れなかった(笑)。

みやちゃん主役の「わらしべ」が大成功であったことは言うまでもない。「本番に強い」と絶讃され、本人もすこぶる満足の出来栄えだったようである。
                                 (平成26年作)



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冷え

喝采から戻りベツドの冷えに臥す



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クロード・チアリの「La foule」を聴き続けて半年も経った頃、「そういえば、La fouleってどんな意味なんだろう?」と、ようやく思い至った。半年もの間、無関心だったのには我ながら呆れる。調べてみるとフランス語で「群衆」という意味であり、シャンソンの名曲であるとある。またエディット・ピアフの歌唱が有名で、1957年のヒット曲とも書かれている。エディット・ピアフ―――早速、その歌を聴いてみた。そして彼女に伝記映画「愛の讃歌(原題La Mome)」があることも知った。
日曜日の朝、一人でそのDVDを観て、彼女の波乱の人生に感動し、その歌声に魅了された。すぐに原作本「わが愛の讃歌(エディット・ピアフ自伝)」を買って読んだ。そして再びDVDを観た。自伝を読んだばかりだったためか、涙が流れてしかたなかった。

映画の最終章は1963年10月10日、ピアフが亡くなる夜のシーンである。死を前にして様々なシーンを回想する。自分が子供だった頃のこと、自分のために人形を買ってきてくれた父のこと、2才で亡くした娘のこと。そして栄光の日々。マルセルとの愛の日々。ベッドに運ばれた彼女が遠くを見つめるようにしてつぶやいた言葉が印象深かったので、字幕に書かれていた通りにここに記しておこう。
映画は、彼女の人生を締めくくるに相応しい「私は決して後悔しない」を歌い上げる舞台シーンで終わっている。

「怖いの
記憶が消えてしまいそうで
頭の中が混乱して
昔のことを思い出したくても思い出せないの
望んでもいないのに別の映像が浮かんでくる
あの時計をもう一度見たかった
マルセルの腕時計よ」
                                 (平成26年作)



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冬の夜

冬の夜の弦を泣かせてギター弾き



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ある人に「最近、感動した映画はありますか?」と聞かれ即答できなかった。映画館で観た映画ばかりを考えてしまったので、DVDで観たこの映画のことが思い浮かばなかったのだ。エディット・ピアフの「La Mome」である。

この映画について書く前に、昨年聴きに行ったクロード・チアリのコンサートのことを書いておかなければならない。法人会主催で上大岡の区民ホールで行われたのだが、会員は無料、一般が500円という安さである。あまりの安さに驚き、知り合いの法人会の事務局長に電話して聞いてみることにした。
「クロード・チアリって、あのクロード・チアリだよね?」
「そう、あのクロード・チアリ」
「随分安いけど、本当に『夜霧のしのび逢い』が聴けるんだろうね」
「大丈夫。前の方の席を取っておきます」
私の中のクロード・チアリは世界のギタリストである。学生時代、ギターに夢中だった頃の憧れの人である。ギターといえば「アルハンブラ宮殿の思い出」であり「禁じられた遊び」であり「クロード・チアリ」なのである。そのクロード・チアリが区民ホールで無料で聴けるというのだから、驚かずにはいられない。前から2番目の席に座り、心をときめかせて待っていた。
第一印象は「随分、太ってるなぁ」であった。しかし、これは幾星霜の結果であり驚くに当たらない。次に感じたのが「随分、しゃべるなぁ」である。いつまで経っても演奏が始まらない。痺れが切れる限界あたりまで待たされて、ようやくギターを抱えてくれた。そして弾いたのが「La foule」であった。名曲「夜霧のしのび逢い」の印象が全く残らないほどに、一瞬でこの曲に魅了されてしまったのであった。
あれ以来、何度となく聴いている「La foule」。これだけ聴いていて全く飽きが来ないというのだから、本当に私の「お気に入り」の曲になのだと思う。そしてこの曲がエディット・ピアフの「La Mome」へと繋がっていくことになる。(つづく)
                                 (平成25年作)



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木枯

木枯や唄ふは古き佳き昭和



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私のパソコンには休み時間などに聴く「お気に入り」の曲がいくつか入っている。
クロード・チアリ「La foule」、エディット・ピアフ「私は決して後悔しない」、別府葉子「百万本のバラ」、中島みゆき「あの娘」、東京大衆歌謡楽団「上海の花売り娘」などである。

土曜日、浅草カッパ橋商店街で東京大衆歌謡楽団の街頭演奏があるというので出掛けてきた。
会場には始まる前から人だかりが出来ていた。会場とは言っても路上である。買い物客もいれば、競馬新聞を小脇にした人もいる。しかし、ほとんどが彼等の歌を聴きに集まった人のように見えた。最初にアコーディオン担当が登場した。椅子に腰掛け、上着を脱いでアコーディオンを肩に掛けた。脱いだ上着は椅子の横に置いたのだが、近くのおばちゃんが拾い上げて汚れない場所に移してやろうとする。「いや、大丈夫です」とアコーディオンは言っているようであったが、おばちゃんも何とかして世話を焼きたいらしく、やりとりはしばらく続いた。次にボーカル担当が登場した。すると、こちらもどこかのおじちゃんが近寄って行って何かを渡そうとしている。木片のようである。おじちゃんがいろいろと説明している。ボーカルは深々とお辞儀をした。始まってすぐに分かったのだが、それはチップを入れてもらうための帽子から紙幣が風で飛ばされないようにするための重しなのである。手作りかも知れないと思った。最後にベース担当が大きなベースを抱えて出てきた。マイクの位置を合わせたところで、すぐに一曲目が始まった。挨拶も曲の紹介もない。音合わせもマイクの調整もない。ただ、立て続けに古い昭和歌謡を歌うだけなのである。曲に合わせて手拍子が起こる。小声で口ずさむ人もいる。「いいぞ!」の掛け声が掛かり、帽子にチップを入れる人が出る。チップが入れられるたびに、ボーカルは深々とお辞儀をする。礼儀正しいのだ。
わずかな時間であったが、本当に心が温かくなったような気がした。彼らの歌声に郷愁をそそられるのだろうが、それだけではない。ポマードで固められた髪型や三ツ揃えの背広、そしてその礼儀正しさに古き佳き「昭和」を見つけて懐かしく思ったのかも知れない。
                                 (平成26年作)



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