2014年11月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2014年11月の記事

忍草

忍草生えて藤村旧居かな



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鴫立庵から5分ほど歩いた場所に島崎藤村が晩年を過ごした家がある。昭和18年8月21日朝、藤村はそこで脳溢血のため倒れ、翌日亡くなっているのだが、その時の様子が大磯町のホームページに詳しく書かれていて興味深い。
―――その日の朝、書きかけの原稿を静子夫人に読んでもらっていた。「ひどい頭痛だ」と藤村が言い、茶棚にある常備薬を取ろうとしてそのまま倒れ込む。しばらくして気分も良くなり頭痛も治まる。「原稿が間に合うかね」などといい、庭の方に目をやる。「涼しい風だね」といい、気持ち良さそうにしていたという。もう一度「涼しい風だね」と言い、それが最後の言葉となった。翌22日午前0時35分、永眠。71才であった。―――

我々は細い路地をたどり、その家に着いた。着くなり先生が「これが忍草だ」と言った。入り口の冠木門の屋根に生い茂っている草のことである。「古き軒端のしのぶにも、のしのぶだ」と言うので、私が「なお余りある昔なりけり」と続けた。「おっ、知ってるのか」と先生。「百人一首は上の句を読んで、下の句を取っていました」と答えた。子供の頃、我が家で行なっていたカルタ取りのことである。しかし「しのぶ」が草であることも、ましてどの草がそうであるかなどは全く知らない。折角なので覚えようとして歳時記に小さくスケッチした絵が今も残っている。その後、中に入り見学させてもらったのであった。

あれから5年経った。今回訪ねてみると、忍草は思いの外、青々と茂っていて昔を偲ぶには少々勢いがあり過ぎるように見えた。私が写真を撮っていると、自転車に乗った女性がやってきて、裏門から中に入っていった。「おはようございます、○○さん」と家人に声を掛けている。しかし、なかなか返事がない。「○○さん、おはようございます」と繰り返している。それを聞いていて、一瞬昭和18年の朝のことが頭をかすめた。今、どなたが住んでいるのかは知らないが、あの文章を読んだばかりの私である。どうなるものかと見ていると、しばらくしてようやく家から出てきてくれたようであった。
ほっとしながらも写真を撮り終えて、5年ぶりの藤村旧居を後にしたのであった。
                                 (平成21年作)


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秋日和

小余綾の浜まで一里秋日和



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「大磯宿場祭り」を出て、次に向かったのは句会場となっている「鴫立庵」であった。
歩いてもそれほどの距離ではないのだが、何を思ったのか、先生は出てすぐにタクシーを拾い、何人かと一緒に乗って行ってしまった。誰か足の不自由な人を気遣ったのかも知れない。いつもは誰よりも健脚を誇っていた先生なので、珍しいこともあるものだと残された者は歩きながら話したのであった。
置いて行かれた我々は、鴫立庵まで向かう途中に「虎御石」なる看板を見つけ立ち止まった。あの有名な虎御前の開いたお寺とある。門をくぐり、ぞろぞろと境内に入っていった。お寺にお願いし、お堂の中に置いてある石を見せてもらうことになった。
この「虎御石」には二つの言い伝えが残っている。一つは虎御前誕生にまつわる「安産子授けの石」の話。もう一つは仇討ちで有名な曽我兄弟の兄十郎の命を救った「身代わり石」としての話である。陰暦5月28日、曽我兄弟が討たれた日に降る雨を「虎ヶ雨」といい、十郎の愛人虎御前の涙であることを知らない俳人はいない。
先生と合流し句会が開かれ、虎御石の句がいくつか投句された。先生は見ていないので、何のことか分からない。
「虎御石なんて、どこにあった?」と先生。
「大磯まで来て虎御石を見なかったのは、何とも勿体なかったですね」と私。
とても悔しがっていた姿を思い出す。

鴫立庵の後ろは大磯の浜である。「小余綾(こゆるぎ)の浜」といい、歌枕にもなっている。
私の句に対し「あそこから、ここまで一里(4キロ)はないだろう」と先生。
「いいえ、タクシーを使わなければならないほどの距離ですから、一里といってもオーバーではないと思います(笑)」(さらにつづく)
                                 (平成21年作)



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村祭

街道の松を地割りに村祭



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5年前の浜風句会の吟行で「大磯宿場祭り」を訪ねている。道川虹洋先生をはじめ句会のメンバーで句帳を手にぞろぞろと歩いたことを懐かしく思い出す。江戸から数えて8番目となる大磯宿の松並木にはたくさんの出店が並び賑わっていた。とても天気の良い日であった。先生が「秋祭でもいいし、村祭も季語だぞ」と教えてくれたので「村祭、村祭……」と村祭の句材ばかり探して歩いていたことを思い出す。
その日、皆さんが作った句の中から先生は「ちょんまげが歴史を語る村祭」を特選とした。「なるほど上手いこと詠むもんだなぁ」と感心し、人の句ではあるが忘れられない句となっている。ちょんまげのカツラを被った係員が江戸時代の大磯を解説していたことを思い出す。
私の句は大したことのない句のようであるが、「街道の松」と入れて東海道であることを表したかったので、自分なりには納得している句なのである。

今年は11月9日(日)がお祭りの日であったが、その日は別の用事があったので、前の週に一人で訪ねて写真を撮ってきた。実に5年振りに同じ場所に立って、先生のいないこと、浜風句会の皆さんとも離ればなれであること、月日の流れの速いことなどをしみじみと実感したのであった。馬齢を重ねるということは、このような思いを何度も味わうということなのかも知れないと少しく感傷に浸りながら、松並木の写真を撮ったのであった。(つづく)
                                 (平成21年作)



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どぶろく

復興の地のどぶろくと聞けば買ふ



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東京ビッグサイトからの帰り道、川崎に寄ってもらった。その日、開かれている川崎市民まつりの物産展で、頼んでおいた品物を受け取りたかったのである。その品物とは新潟県小千谷市限定の品物「コイだより」である。
数日前、ある雑誌にその「コイだより」の記事が載っているのを読み、何とかして手に入れたいと思ったのが始まりであった。小千谷まで行かなければ買えないのだろうか。送ってもらうことは出来ないのだろうか。インターネットで調べてみると、ちょうどその品物を紹介しているブログにヒットした。しかし、そこにも取り寄せが出来るとは書かれていない。諦めかけたところで、「この連休に川崎の物産展に出展します」との記事を発見した。川崎なら近い。もしそこに「コイだより」が置いてあれば最高である。
ということで、ブログの管理人に問い合わせてみることにした。
「川崎市民まつりに「コイだより」は置いていますか。なければ、ほかに入手する方法はありますか。教えてください(りょうちゃん)」
すると翌日返事が戻ってきた。
「りょうちゃんさん、お問い合わせありがとうございます。1日目は間に合わないのですが、2日目の午後からなら用意出来ます!(鯉丸君)」
「わぁーい、すぐに返事がきてビックリ。なおかつ「コイだより」が手に入ると聞き、またまたビックリ。明日午後、伺いますのでよろしくお願いします(りょうちゃん)」

お祭りはすごい人出であった。ようやく小千谷のコーナーを見つけることが出来た。
「鯉丸君はいらっしゃいますか」
「僕です。りょうちゃんさんですか」
初対面であったが、他人とは思えないものを感じた。挨拶のあと、わざわざ小千谷から取り寄せてくれたという「コイだより」を2匹買い、地元の「にごり酒」を何本か買った。
「小千谷に来てください。本当に待っています」
行列が出来るほど混雑しているにも拘わらず、しっかりと対応してもらったのであった。感謝、感謝である。

(注)「コイだより」をどう使うのかは、12月頃のブログで報告出来ると思う(笑)。
                                 (平成26年作)


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文化の日

機械市巡る文化の日なりけり



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休日を利用して会社の有志で東京ビッグサイトで開催されていた日本国際工作機械見本市を見学してきた。
当社でも様々な大型機械を使用しているので、新しい機械を見たり最新の技術を勉強しておくことは必須なのである。朝一番に集合し時間前に会場に到着したのだが、すでに大勢の来場者が列をなしていた。続々と到着する大型バスからは外人客がゾロゾロと降りてきていた。わずか3日間の開催期間にも拘わらず、世界各地まで宣伝されているのだろうかと驚かされたものである。
当社に関係の深いブースはもちろん、今話題の3Dプリンターや多機能ロボットなどを興味深く見て回った。到底すべてを見ることは出来ないが、最先端技術の粋を集めた見本市の素晴らしさには感動させられることになった。
「世の中は本当に進んでいますね」
「製造業の力は凄いですね」
「まだまだ当社も変わっていかなければなりませんね」
昼食を摂りながら交わすみんなの会話を聴いていて、頼もしく思ったことは言うまでもない。

文化の日である。「機械」と「文化の日」の取り合わせが少々気になったので、家に帰って改めて広辞苑で「文化」の意味を調べてみた。「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ科学、技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形式の様式と内容とを含む」と書かれている。
まさしく文化の日に相応しい見学会になったようである。
                                 (平成26年作)



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太宰忌

太宰忌や酔ふてボトルに名を記す



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美川憲一「柳ヶ瀬ブルース」について書いておこう。
以前よく飲みに行った伊勢佐木町の清正公通り「クラブ川路」でのこと。暮れも押し詰まったある日、会社の仲間と一緒に飲みに行っていた。カラオケを申し込むと、混んでいて順番待ちである。しばらくして女性が歌い始めた。ホステスではなく、お客である。とても上手かったので、歌い終わるとみんなが拍手をした。その次に私の番が回ってきた。「上手い人の後は歌いづらいなぁ」などと言いながら歌ったのがこの曲である。
この曲は平成8年、岐阜県の関ヶ原にある関ヶ原製作所という会社を訪問した時に、隣町の柳ヶ瀬まで飲みに行き「柳ヶ瀬に来たなら柳ヶ瀬ブルースだろう」と言って歌って以来、気に入って歌っていた曲なのである。
歌い終わって席に戻ると隣席の男性から声を掛けられた。
「おたく、歌が上手いねぇ」
「いえいえ、前に歌った女性ほどじゃありませんよ」
「いや、全然おたくの方が上手だよ」
「ありがとうございます。そんなに褒めてもらっても、何も出ませんけど」
物静かな口調の方で、5,6人で飲みに来ていた。我々が話し始めたので、真ん中にいたホステスが気を利かせていなくなり、隣同士でしばらく話すことになった。
「実は私は昭和40年から45年まで美川憲一の曲のプロデュースをしていてね。あいつはなかなか芽が出ず、苦労してたんだ。あれが3曲目だったはずだが……売れたねぇ」
「そうなんですか」
「もう私も引退したので、人の下手な歌を聴かされるのがイヤであまりこういう所には来ないのだが、今日はたまたま同窓会の流れで……。おたくの声がなかなか良いので、つい当時のことを思い出して涙が出てきてしまったよ。私はクラウンレコードの宣伝部にいた吉田って言うんだけど。知ってる人は知ってるんだけど……」
記念に二人で写真まで撮ったりした。そんなことがあったので、それ以降この曲を歌うときは、いつもこう言ってはしゃいだものである。「プロを泣かせた歌。この歌を歌う時はお金をいただきます(笑)」

(注)太宰忌は6月13日。季節はずれではあるが、「クラブ川路」の思い出の句である。
                                 (平成10年作)



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新涼

新涼の夜風に歌ふ花売り女



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その社長との思い出話を一つ書いておこう。
その会社の忘年会を熱海で行なった。自称「にぎやかし屋」の私がすべてを企画し、準備も完璧に行い成功裡に終わった。社長は三度笠と刀まで用意し「旅姿三人男」を歌って上機嫌だった。二次会は人に任せて、社長と私は宿を出て小料理屋に入った。カウンターに並んで座って「今日はご苦労さん」とご満悦で飲み直したのだった。
そのうち「もう一曲歌おう」ということになり社長が歌ったのが春日八郎の「山の吊橋」だった。少し嗄れたような声だが、気っ風のいい歌いっぷりで味わいがあった。今でもその歌を聴くと社長を思い出す。
「日向君も一曲やろう」と言われて歌ったのが「上海の花売り娘」である。なぜその歌を選んだのかは定かではないが、懐メロ好きなのでたまたま思い付いたのかも知れない。歌い終わると、社長はとても褒めてくれた。「上手いなぁ。これからはそれを君の持ち歌にしたらいいよ」
そのひと言があったお陰で、それからは事あるたびにこの曲を歌うようになった。30年経った今でも私の持ち歌なのだから、都合何百回歌ったか知れない。社長にはとても可愛がってもらったので、当時のことを思い出すと今でも胸が苦しくなってくる。
(注)今の会社の社員旅行で上海に行った時に詠んだ句である。新涼とは暦の上では秋になった8月頃、暑い中にも感じる涼しさのことをいう。「花売り女」と書いて「はなうりめ」と読む。
                                 (平成19年作)



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冬待つ

閉ざされて冬待つごとき老舗かな




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みなとみらいでの演奏会を終えて夕飯を食べて帰ろうということになった。
「鰻でも食べようか」「いいねぇ」こういう時のまとまりは早い。「どこで食べる?」というので「関内で一番の鰻屋に行こう」ということになった。インターネットで「梅林」を調べると年中無休で夕方は5時からだという。「ゆっくり歩いていけば、ちょうどいい時間だよ」と歩き始める。大岡川を渡ったところで、看板が見えた。
30年ほど前、当時お世話になっていた社長に横浜の有名な店をたくさん教えてもらった。「梅林」もその一つで、古いビルとはいいながら、味にこだわった老舗の料理屋だと聞かされている。あの時は河豚をご馳走になり、ひれ酒の美味しさを教えてもらった。

5時を回って着いたのだが、シャッターが下りたままになっていた。
「ん?なんだろ。無休って書いていたから、時間を間違えたか?」などと再確認する。「開店時間を遅らすということは、ないんじゃないの?」と妻。「諦めるしかなさそうだなぁ」「鰻を?」「いや、この店をってこと」「あとは知らないの?」「あるよ」
「梅林」の前の道路を挟んだところに「わかな」がある。そこもその社長に教えてもらったところである。
「あっちの方が入りやすいよ」「開いてる?」「ここから灯りが見えるよ」ということで「わかな」に移動する。「昔、連れてきてもらった時は湯豆腐を食べたけど、この時期じゃ、それはないな」などと言いながら久しぶりにその暖簾をくぐった。
                                 (平成26年作)



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