2014年09月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2014年09月の記事

露けし

露けしや芭蕉生家の連子窓



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9月24日(水)、三重県伊賀市の取引先を訪ねてきた。私を含め4名での出張なので、スケジュールは過密である。初めての訪問ということもあり工場見学はもちろん、翌朝行われる朝礼の見学まで予定されている。朝9時に会社を出発し、2時半に到着。早速、広い工場内を案内していただき、仕事の打ち合わせまで済ませる。夕方からは会食。瞬く間に時間は過ぎ、ホテルに着いたのが夜9時。松尾芭蕉の生家など見たい所はいくつもあったが、翌朝もスケジュールは詰まっている。6時半からのホテルでの朝食、6時50分の迎え、7時には会社に入り、7時20分からの幹部朝礼を見て、7時45分からの現場朝礼を見る。すぐさま9時の電車に乗るので、自由時間はほとんで取れない。本来なら、ここで諦める所であるが、諦め切れないのが私の性分である。

夜9時、会食を済ませホテルに戻ると、すぐに大浴場に行き汗を流す。部屋に戻り、翌朝の日の出が5時43分であることを確認する。目覚ましを4時30分に合わせ就寝。
朝起きると、予報通りの雨模様。外はもちろん真っ暗である。もう部屋には戻れまいと思い、荷物を全て持ち出してフロントに行くが誰もいない。仕方なく荷物を持ったまま、5時半にホテルを出発。前日、取引先の人から芭蕉生家までは500メートルと聞いていたが実際には1キロ。途中から雨も降り出し、傘を差しながらせっせと歩き始めた。左手に伊賀上野城が見えた。生家を見た後にあの城にも行きたいと思い、足を速める。ようやく白み始めた頃に生家に到着。まずはその周辺を一回りし、門の中を覗き、案内板を読み、写真を撮る。中を見てみたいが致し方ない。またの機会とすることにし、すぐさま上野城へと取って返した。忙しい、忙しい。(つづく)
                                 (平成26年作)


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雷神

雷神を宿せし山の名は「神威」



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函館でのスケジュール終了後、歌志内まで足を伸ばした。歌志内は私の故郷であり、今年85歳になる母が待っていてくれる。3時過ぎに函館を出たので、家に着いたのは夜8時。
到着するなり「あれっ、随分太ってどうしたの?急に太るのは良くないもんだ。運動はしてんのか?……」と、いきなり心配を掛けることになってしまった。還暦を迎えたといっても、母から見れば、いつまでも子供なのである。

写真は家の前から写したもので、歌志内のシンボル「神威岳(かもいだけ)」である。標高467メートル。町のどこからでも眺められる山である。アイヌ語からきていて「神が宿る山」という意味であることを小学生の時に先生から教わった。神威小学校、神威中学校と「神威」の名が付く学校で過ごしてきたので、思いはひとしおである。
「氷点」や「塩狩峠」の作家三浦綾子(1922年ー1999年)が昭和14年3月、旭川市立高等女学校を卒業後に代用教員として赴任したのがこの神威小学校である。作品の中に何度かそのことが書かれている。

この句は昨年夏、帰省した時に作ったものである。晴れていた空が急に真っ黒な雲に覆われ、激しい雷雨に襲われた。稲光を放ちつつ瞬く間に通り過ぎていったのだが、その力強さはまさしく神のなせる業に思えたものである。眼前に聳える神威岳が神々しく見えた。
                                 (平成25年作)


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色なき風

聖母像色なき風を指先に



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お取引様からのご招待で2泊3日の函館旅行に夫婦同伴で出掛けてきた。
ゴルフをやらないので二人とも2日間の市内観光である。私にとっては3回目の函館であったが、初めて訪れる場所もあり新鮮な目で見て回ることが出来た。妻にとっては初めての函館である。
いろいろと見学したが、特に心に残ったトラピスチヌ修道院について書いておこう。

ガイドの説明を聞きながら門の中へと入っていったが、もちろん塀の奥へとは進めない。美しい庭園の中を聖母像を見上げたり、レンガ造りの聖堂を眺めたりした。売店で買い求めた修道院発行の小冊子「神を探し求める生活」の中に、中での暮らしぶりが書かれていたので興味深く読んだ。
一度、修道女となれば俗世からは完全に隔離された壁の中での生活となり、そこで一生を送ることになる。入会できるのは年齢23歳位から35歳位までの未婚の女性。厳格な戒律に従い、祈りと読書と労働を中心とした生活を送り、神と人々に生涯を捧げるのだという。三浦綾子「光あるうちに」や渡辺和子「置かれた場所で咲きなさい」などを読んで、肯く所もあったように思うが、一生をその中だけで過ごすということになる決断の凄まじさのは驚かずにはいられない。信仰心というものに遠い場所にいる自分を改めて知らされたように思った。
(注)「色無き風」とは秋風のことである。身にしむような秋の寂寥感を無色透明な風の中に捉えている。
                                 (平成26年作)



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秋暑し

秋暑し少し濃い目に眉を引く



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野毛の都橋にある小さなバー。20年ほど前まで、よく飲みに行った。元の社長が贔屓にしていたので連れて行ってもらったのだが、平成6年に社長が亡くなってからは行かなくなっていた。この句が平成17年の作なので、約10年振りに訪ねたことになる。

ドアを少し開けると、カウンター越しにママの顔が見えた。目が合って「あらっ!」という顔になった。
「大丈夫?入れる?」と聞くと「どうぞ、どうぞ、入ってください」と戸口まで出てきてくれた。カウンターで男の人が一人で飲んでいたが「ちょっと大事なお客さんなんで、悪いけど……」と言って帰してしまった。「何も帰すことなかったのに」と言うと「いいのよ、いつも来てるお客さんだから」と言って「本日閉店」の札まで出してしまった。
「店はうまくいってるの?」と聞くと「いい訳ないでしょ。全然来てくれないんだから」と恨み言を言われる。
「偉くなったの?」と聞かれた。
「まあまあ」
「今、誰が社長やってるの?」
「誰もいないから、俺がやってる」
「えっ!ほんと?」
とても驚いていた。驚くのも無理はない。社長がいた頃の私はただの事務員である。

10年間のことをあれこれ聞かれ、そのあと昔話になった。私が社長に叱られた時の話である。社長の留守中に決裁を待たずに私が独断で仕事を進めてしまい、帰ってきて報告すると、とても腹を立て怒鳴って会社を飛び出していったことがあった。その時のことである。私自身が忘れていた話を10年振りに持ち出されたので、とても驚いた。社長は私を怒った後、この店に来て「今、日向を怒ってきたよ」と縷々説明したらしい。それをママが10年ぶりに本人を前に再現してくれたのである。よくもまあ、そんな詰まらない話を覚えていたものだと感心するとともに、今聞いてきたばかりのように見事に再現してくれたのには驚かされた。
閉店時間近くまで飲んで「また来ます」と言って帰ってきた。その後、何回かは顔を出したが、気が付けばまた10年近く、間が空いてしまっている。
                                 (平成17年作)



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送り火

送り火のしばし戸口を照らしけり



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「石湯」を出て宿に戻る途中、温泉街の中に少し賑わっている参道があった。「北向観音」の参道である。
北向観音は北に向いた厄除観音であり、南向きの長野善光寺と向き合う形で建てられている。その両方にお参りしないと片参りになるという。善光寺には寄っていないが、ともかくもお参りだけは済ませて宿へと向かうことにした。

途中、とある民家の前で何かを燃やそうとしている二人の女性に出会った。立ち止まって声を掛けさせてもらった。
「送り火ですか?」「そうです」
8月16日である。私の故郷では送り火を焚くという習慣はなく、実際に見るのは初めてであった。
「見ていても、よろしいですか?」と聞くと「どうぞ」と答えたあと「お参りですか?」と聞かれた。
一瞬、何を聞かれたのかと戸惑ったが、すぐに北向観音のことであると気付いた。ここ別所温泉はこの観音様の参詣客で賑わっている町なのだ。私のように真田の湯を見に来るような客は少ないのかも知れない。
若いほうの女性は40代に見えた。
「そんなに近くで燃やしたら、家が燃えちゃうでしょ」と母親らしき人が置いた新聞紙の位置を変え、苧殻をポキポキと折って乗せ、チャッカマンで火を点けた。
「送り火って、こんなに明るい時間にやるんですか?」
「いつもは、もう少し暗くなってからやるんですが、今日はこれから人が来たりするもんですから」
火を点けて2~3分ほどで燃え尽きてしまった。
お母さんのきちんと揃えた足元も入れて、記念の一枚を撮らせていただいた。
                                 (平成9年作)


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秋めく

真田の湯出でて秋めく下駄の音



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「真田太平記」には、幸村の隠し湯としての「別所の湯」がたびたび登場する。幸村が生死を共にすることになる従者向井佐平次と初めて出会った場所であり、また女忍者お江(こう)と結ばれるのもこの湯の中である。「石湯」という銭湯の前に池波正太郎の筆による「真田幸村公隠しの湯」の碑が建てられているというので、さぞや物語を彷彿とさせるものがあるに違いないと期待し、旅の締めくくりに別所温泉を選んだのである。

夕方、宿に着いて仲居さんに「石湯はこの近くですか?」と聞くと「石湯ですか?」と聞き返され「知らない」と言われる。すぐに地図を持ってきてくれて「ここですね」と道案内してくれたが、幸村、別所温泉、石湯と頭の中で連鎖させている私にとっては、地元の仲居さんが知らないということが、俄には信じがたいことであった。
石湯はすぐに見つかった。とても新しく、建てたばかりのように見えた。「この新しさは、何だ!」が私の率直な感想であった。唐破風をあしらった豪華な建物で、幸村の時代との隔たりは大きい。入湯券は入り口の横の自販機で求め、番台のご主人はテレビの高校野球に夢中である。
中に入ると案の定、真新しい造りである。どこを見渡しても真田も幸村もなく、近代的石風呂があるばかり。
風呂は混んでいて、5つばかり並んだ洗い場は満席。しばらく男衆のどうでもいい背中や尻などを眺めながら、少し熱めの湯に浸かっていたが、なかなか空きそうもないので出ることにした。
400年の隔たりを考えずに、なんと勝手な想像をしてしまっていたことか。のぼせた頭を冷やしながら宿へと向かうことにした。
                                 (平成26年作)


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爽やか

爽やかに的場に雨の上がりけり



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「真田太平記」の最終章は、将軍秀忠より上田から松代への国替えを命ぜられた信之が、領民に見送られながら上田城を旅立っていくところで終わっている。すなわち「真田太平記」には松代は描かれていない。
しかし、真田家による松代藩は明治維新で廃藩廃城になるまで10代250年続いていくのである。太平記の描く40年と比べても、圧倒的に長い真田家の歴史を刻む「松代」なのである。ここは見ておかなければと思い、出掛けてみた。

信之はじめ歴代の藩主は質素倹約を旨に文武両道に励み、藩の隆盛のため商業を活発にし、善政を敷いた。当時の面影を残す建物が町の随所に見られた。土砂降りの雨の中、真田宝物館、真田御殿と見て回り、文武学校へと立ち寄った。安政2年(1855)、藩士の子弟が学問と武道を学ぶ場として開校された建物である。教室に当たる文学所や、武術を学ぶ剣術所、柔術所、槍術所などが配置されていた。写真は弓術所である。
室内に明かりはなく、よく磨かれた床はひんやりしていた。射位(弓を射る人の立つ位置)から的までは28メートルだという。女性が一人、練習していた。しばらく話をしていると、あれほど降っていた雨が上がり、弓場に日が差してきた。巻き藁へ放つ女性の弓の音が雨上がりの堂に爽やかに響いた。
                                 (平成26年作)



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山霧

山肌を離さじと霧動かざる



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上山田温泉では、またまた早起きをして千曲川沿いを歩いてみた。霧雨が降っていたので宿で傘を借りたが、土手に着く頃には上がっていた。川ではすでに3、4人の人が釣りをしていた。
川沿いに万葉公園という場所があり、歌碑や句碑がたくさん並んでいた。20基以上はあっただろう。それぞれに建てた理由はあるのだろうが、あれほどの数が並んでしまうと、碑そのものの意味合いが薄らぐように思えてしまうのは私だけであろうか。
碑の一つに詩人田中冬二の「千曲川の歌」があった。碑文に「釣糸を垂るれば赤腹といへる鮠のかかるなり」という一節があり、「鮠(はや)とはどんな魚だろう」と興味を引かれた。
早速、釣人に聞いてみようと、土手の上から声を掛けてみた。
「おはようございます。何を釣ってるんですか?」
「ブラックバスです」
「………」
信濃の朝、千曲川のほとり、島崎藤村のように歩き、日本古来の鮠なる魚で一句をものにしてみようかと思っていただけに、いきなりブラックバスと言われてしまっては言葉を失うしかなかった。

川を挟んだ両側の山には霧が張り付いていた。雲も霧も同じ水滴なのだろうが、山から動こうともせず、じっと漂っている様は、山国・信濃の真骨頂のようにも思えた。
                                 (平成26年作)



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威し銃

世が世なら敵に一ト泡威し銃



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上田の次は松代と決めていたので、その中間に位置する上山田温泉に1泊目の宿を取った。近くに「田毎の月」で有名な姨捨山があるので、宿に入る前に行ってみることにした。
「あれっ、月を観るんじゃ、夜じゃないの?」と妻。
「この曇り空じゃ、月は観られないよ」と私。
二人とも何も考えていないことが、この会話で判る。山道を車が登り始めて、ようやく気付く。
「あっ、棚田はいま青田だ」
「田毎の月」とは水を張った棚田に月が映るという春の風景なのである。月だからといって秋という訳ではない。8月には到底見られる風景ではない。
姨捨駅の近くに車を停めて、棚田を歩いてみた。千曲川が流れ、長野盆地が見える。その向こうに川中島があるのかも知れない。信玄や謙信の合戦の様子を想像しながら眺めていた。

時折、鳥よけの空砲が鳴っていた。威し銃(おどしづつ)である。ポーンと鳴り、しばらく忘れた頃にまたポーンとなる。実物を見てみたいとあちこち歩き回ったが、どこにあるのか棚田は予想以上に広い。とうとう歩き疲れてしまい断念。威し銃は諦めて、姨捨伝説でも調べようと思いながら宿へと向かうことにした。
                                 (平成26年作)


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