2014年07月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2014年07月の記事

ちんぐるま

湿原に遊ぶや風のちんぐるま



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弥陀ヶ原に到着すると、湿原の専門のガイドの人が待っていてくれた。ガイドがあるとないでは大違いである。高山植物について詳しく教えてくれるに違いない。話を聞き漏らすまいと、その後ろにピッタリ付いて歩いたことはもちろんである。木道を渡りながら「天空の楽園」と称される湿原を歩き、池塘に映る雲の流れに心遊ばせた。
植物の名前を手帳にメモすると同時に、写真も撮らなくてはならず、なおかつガイドの側を離れまいとするのだから大忙しである。手帳に書き込まれた花の名前を列記しておこう。

キンコウカ、ミヤマリンドウ、コメツツジ、イワイチョウ(白)、イ(池塘のなか)、ミヤマホタルイ、モウセンゴケ、シロバナクモマニガナ、トキソウ、ニッコウキスゲ、ウラジロヨウラク、綿菅、ハクサンボウフウ、ミツガシワ(池塘のなか)、サワラン、マルバシモツケ、チングルマ、イワカガミ、マイヅルソウ、ミヤマシシウド

これだけの花の名前を教えられたからといって一挙に覚えられるものではない。しかし、実際に見たということが大切なのであり、学ぶチャンスなのである。あとは努力するかしないかである。
バスに戻ると、持参した「高山植物ハンディ図鑑」を捲りながら、早速手帳の整理を始めた。図鑑に載っている花、載っていない花、季語になっている花、なっていない花。はたまた、写真が上手く撮れている花、撮れていない花。
「ちんぐるま」を漢字で書くと「稚児車」であることを知り、大いに感動する。あまり夢中で読んでいたためか、バスが月山の麓へ着く頃には心なしか軽いめまいを覚えたものである。
                                 (平成26年作)



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雪渓

雪渓を越え雲関に入りし人



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連休を利用して、芭蕉が「奥の細道」で訪ねた月山弥陀ヶ原、象潟、鳴子を巡るバスツアーに参加してきた。
さすがに芭蕉が言うような「前途三千里のおもひ胸にふさがりて」といった大袈裟な思いもなく、「旅立ち」に「離別の泪をそそぐ」ようなこともない。東京駅から新幹線で郡山駅に降り、あとはバスに揺られての気楽な2泊3日の旅である。カバンに文庫本「おくのほそ道」を忍ばせて、芭蕉と曾良が歩いた元禄2年(1689年)から325年目の「みちのく」を旅してきた。

バスは一気に月山8合目の弥陀ヶ原まで上った。ここで「おくのほそ道」を開いてみると、翁の記述に「弥陀ヶ原」の文字はない。「月山にのぼり、強力(ごうりき)に導かれ、雲霧の中、氷雪を踏み、息絶え絶えに頂上に登ると、日は没し、月が出て、寝て明けるのを待つことにした」とあるだけである。湿原のことも、高山植物のことも一切触れられていない。
しかし、随行した曾良の日記には「天気は吉。4合目、6合目、7合目と登り、弥陀ヶ原に小屋があり、そこで中食をした」とある。おお(感動)、ここで休んで昼食を摂ったのだ。しかも日記の中の6月6日とは、陽暦でいう7月22日であり、私が訪ねた日と2日しか違わない。雪渓を踏み越え、庄内平野を見下ろし、鳥海山を真向かいに、遙か日本海を眺めたに違いないのである。天候も同じく晴れであり、まさに芭蕉が見たであろう光景を、今、目の前にしているのである。一人、想像し感動に震えた私なのであった。
(注)雪渓とは、夏になっても残っている高山の万年雪のこと。また「雲関に入る」とは、雲がかかるほどの高い山に登ることをいい、芭蕉が文中で使用している言葉である。
                                 (平成26年作)



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夏越

若衆を乗せて夏越の二艘舟



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7月13日(日)、富岡八幡宮(横浜市金沢区)の夏の神事「祇園舟」に出掛けてきた。横浜市の無形文化財である。
朝10時からというので、30分前には行ってみたが、すでに大勢の見物客がカメラを持って詰めかけていた。神事が始まる前に本殿に赤い陣羽織を羽織った関係者が上がって行った。市会議員や知った顔の会社社長などが数名見えて、地元に支えられての行事であることがわかる。
「夏越(なごし)の祓」の行事であり、800年も前から続いているという。直径70㎝ほどの楕円形の茅の輪を舟の形に仕立て、お供え物をして、一年の罪や穢れと共に海へ流すのである。
社殿にて祭式を執り行ったのち、「八幡丸」「弥栄丸」と書かれた幟を先頭に立て、笙や横笛の音に導かれながら、若衆が目の前の浜へと「茅舟」を運んでいく。浜に着くと二艘の舟に沿うように法被姿の男衆が向かい合って並び、宮司の祝詞が奏上される。そしていよいよ茅舟が舟に載せられ沖へ向かうのである。
浜は昭和40年代の埋め立てで小さな船溜まりとなっている。昔は目の前に海が大きく広がっていたのだろうが、当時の面影はない。青と赤のねじり鉢巻きをした男達が、それぞれ二艘の舟に乗り込み、神事はいよいよピークを迎える。この時、ちょっとしたハプニングが起こった。一艘は15人ほどの男達を乗せ、なんなく浮いたのだが、もう一艘は浜が浅いためか、舟底が砂地に付いて動かなくなってしまったのである。どうするのだろうと見ていると、私の横にいた法被姿の長老とおぼしき人が「今時の若いのは乗ったら降りることを知らない(笑)」と、一言ぼやいたあと「オイコラ、二三人降りて尻(けつ)押せ」と怒鳴ったのである。その的確な指示のお陰で無事に舟は海上へと進んだ。舟出の花火が揚がり、二艘が水路へ向かってゆっくりと漕ぎ出すのを見届けて見学を終えることにした。
これから夏本番を迎えようとする海の町の伝統行事である。
                                 (平成26年作)


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風薫る

憲政を守りし神々風薫る



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国会議事堂を見学してきた。いつもテレビで見る本会議場はもちろん、天皇陛下の御休所、皇族室など様々な部屋を見て回った。写真は衆議院議長室に飾られていた歴代議長の肖像画である。新憲法制定後の議長のものだけなので40枚ほどであるが、一人一人の仕事の重みが伝わってくるような気がした。
議事堂中央の広場には憲政に大きく貢献した3人の人物の銅像が建てられていた。伊藤博文、板垣退助、大隈重信である。大隈重信については「雄気堂々」の中で渋沢栄一に大蔵省入りを勧める姿を思い浮かべた。明治2年、自分の商売をしたいと言い張る栄一(30歳)に対し、国造りの意義を説く大隈(32歳)である。当時、新政府大蔵省の実権を握っての説得である。「若き神々たち」という章に書かれていた。憲政を立ち上げ、守ってきた神々に敬意を表したい。「守りし」は「まもりし」ではなく「もりし」と読む。

―――大隈がいきなり大声を出した。「八百万の神達、神計りに計りたまえという文句を、きみは知っているか」
「知っています。祝詞の文句ではありませんか」大隈はうなずき、「いまの日本が、その状態なのだ。新政府のやろうとしていることは、すべて知識も経験もないことばかり。何から手をつけてよいかわからぬのは、きみだけではない。誰もが、わからん。わからん者が智慧を出し合い、これから相談してやって行こうとしている。つまり、われわれみんなが八百万の神々なのだ。きみも、その神々の中の一柱として迎えた」
栄一は大隈の話にひきこまれた。「知らぬからやめるというなら、みな、やめねばならぬ。やめたら、国はどうなる。いかにして財政をやるか、租税をとるかということを、わかっている者は一人も居ないといってよいだろう。われわれで相談し勉強してやって行く他はない。若い八百万の神々が集まって、新しい国をつくって行くのだ」
                                 (平成26年作)



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夏の日

夏の日がラウル・デュフィの絵の中に



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渋谷文化村ザ・ミュージアムで開かれているラウル・デュフィ展に出掛けてきた。
ハチ公前の雑踏を抜け、スクランブル交差点を渡り、109の脇を少し上った所にある美術館である。
「今日はどんな作品に出会えるのだろうか」と心弾ませての入館であった。音声ガイドを借りて、一つずつ丹念に見て回る。しばらくして、一つの作品の前で足が止まった。「トルーヴィルのポスター」(1906年作、65×88㎝、油彩)、写真の作品である。デュフィの初期の頃の作品であるが、今歩いてきたばかりの渋谷の雑踏とは違う明るい雰囲気の町の様子が描かれていた。
「私の眼は醜いものを消し去るようにできている」とデュフィは語っている。セーヌ湾の行楽地の俗悪な看板も明るく楽しげなものとして描かれている。フォービスムの影響を受けた強烈な色彩、強い輪郭線。静止的な印象派とは違う動きのある人物の描写。後年のデュフィの作風が随所に垣間見える作品である。

時間を掛けてゆっくりと見て回った。美術館を出て向かいの喫茶店に入った。いつも美術館を巡った後はそうしている。パンフレットなど見ながら、ゆっくりと余韻に浸る至福の時間なのである。
デュフィの絵には「光」が溢れている。それも「夏の光」である。思わず口をついて出た「夏の日(太陽)」の句を書き留めると共に、次の一言を書き添えることも忘れなかった。―――「デュフィは私を裏切らない」
                                 (平成26年作)



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万愚節

一目見て陥りし恋万愚節



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一目惚れというのは何も異性に対してだけ言うのではない。私がラウル・デュフィ(1877~1953)の作品に出会った時も、まさにそういう状態であった。
何かの会合で箱根に一泊した時のこと。翌朝、箱根ポーラ美術館にぶらり一人で立ち寄ったのである。モネやルノワール、セザンヌなどヨーロッパの印象派絵画が展示されている中、一つの作品の前に思わず立ち尽くしてしまったのである。「ドーヴィルの競馬場」(1950年作、75×81㎝、油彩)。写真の作品である。
大胆な色遣いと、軽妙な筆致。手直しとも未完成とも見えるような部分にも勢いが見て取れた。一瞬にして恋に落ちてしまう。しばらく見て、次の作品へと回ったが、その作品のことが気になって仕方がない。人の流れに逆らって、またその前に舞い戻るのだが、それを何回繰り返したことだろう。しまいには係員に不審を抱かせてはいけないと思い「今日はこの絵だけを見に来ていますので」と、こちらから声を掛けさせてもらったほどである。

あれ以来のデュフィファンである。鎌倉大谷記念美術館に出掛けたり、自分の描く油絵をデュフィ風にしてみたりと「一目惚れ」が本物の恋へと変わってきている。箱根に行くたびにポーラ美術館には立ち寄ることにしているが、あれ以来一度もあの作品には出会えていない。会えないとなれば、なおさら募る恋心なのである。
(注)「万愚節(ばんぐせつ)」とは4月1日のエープリルフール(四月馬鹿)のことである。
                                 (平成18年作)


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緑蔭

師と生徒ゐて緑蔭は教室に



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(承前)「雪解」を辞めて20年以上も経っていたが、俳句への思いは残っていた。たまたま、本屋に積まれていた「俳句という愉しみ」(小林恭二著、岩波新書)という本を手にして、もう一度俳句を作ってみたいと思ったのである。その本には著名な俳人が山奥の旅館に集合し、思い思いの句を出し合って、その良し悪しを楽しそうにやり取りする様子が描かれていた。「面白そう」「自分もやってみたい」と思ったのである。
それにはまず、「雪解」の時のような失敗をしてはならないと思い、俳句の基本を身に着けるところから始めることにした。入門書を買い、現代俳句をたくさん読み、自分なりにいろいろと作って、なんとなく感触を掴んでいった。結局、浜風句会の道川先生に出会うまで1~2年を要してしまうが、一人であれこれやっていた独学の時期である。その甲斐あってか、なんとか句会のペースにも付いていくことが出来、先生の話も理解出来るようになっていた。そうして浜風句会で楽しい17年間を過ごすことになるのである。
先生が亡くなり、浜風も辞め、また一人になってしまった。別の句会にも入ってみたが、自分には合わず、また辞めてしまった。元の木阿弥―――また「雪解」を辞めてしまった40年前の自分に戻ってしまったようである。

この句は昨年の夏、仕事で東京の恵比寿ガーデンプレイスを訪れた際、そこの広場でスケッチ教室が開かれているのを見て作った句である。生徒の作品を見ながら先生が手直ししているのを見て、少し羨ましく思ったものである。
                                 (平成25年作)



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