2014年06月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2014年06月の記事

爽雨忌

濡れそぼつ木々は武蔵野爽雨の忌



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(承前)俳句に興味を持ったのは大学生の頃。芭蕉の「奥の細道」や「猿蓑」などを読み、連歌などにも興味を持っていた。それが高じて、一度でいいから句会というものに出てみたいと思っていた。
当時、私は東京の西荻窪に住んでいた。アパートの名は「武蔵野荘」。武蔵野市吉祥寺東町である。知人の紹介でクリーニング屋のおばさんに連れられて、西荻窪駅前で開かれていた俳句結社「雪解」という句会に出ることになった。主宰は皆吉爽雨先生。年譜によると、先生73才の頃である。畳敷きの大広間にテーブルがコの字に並べられ、主宰を中央に年配の方々が大勢座っていた。主宰の名乗りの声は今でも忘れられない。「ソォーウ」という甲高い声は気品に溢れ凛として格調高かった。何句か投句したと思うが、今でも覚えているのは次の一句だけである。

腹の汗団扇の縁でぬぐい取り

作った句は全員に回覧される。誰が作ったかは判らないようになってはいるが、「腹の汗」の句など他の誰が作ろうはずもない。あちこちでクスクスと笑いが起こる。「俺の句が回ったな」と、すぐに判る。読んだ本の中に「俳句は滑稽なり」などと書かれていたのをそのまま信じ、笑われてもよいと思っていたのだから救いようがない(笑)。
先生は高浜虚子の高弟。「花鳥諷詠」「客観写生」を標榜する第一人者である。今思い出しても「腹の汗」ならぬ「冷汗三斗」の思いである。何回か通ったあと、クリーニング屋のおばさんには悪いと思いつつ辞めることにした。今から40年も前の話である。(さらにつづく)
(注)「爽雨忌」は爽雨先生の忌日である。昭和58年6月29日、83才で亡くなられている。
                                 (平成17年作)


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六月

六月の風雨の夜なり妻の留守



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この句は浜風句会入会の前年の作。誰の指導を受けるでもなく、入門書や雑誌などを買い込んでは作っていた時のものである。当時の作品で今でも自分の句として残しているものは10句ほどあるが、取り立てていいというような句はない。この句も決して褒められるようなものではない。

道川先生に出会ってすぐに思ったのが、「先生が特選や佳作を選ぶ時の選句基準を知りたい」であった。きっと判定の基準があるはずで、それが判れば自分の句の良し悪しも判るはずだと思ったのである。先生の講評などを聞きながら、当時私なりに作った選句基準は次の4つであった。手帳に書き込んでいつも推敲する時の参考にしていた。
①動きはあるか ②季語は効いているか ③飛躍はあるか ④感動はあるか

この句についてもその基準に当て嵌めて考えてみよう。
①動きはあるか―――動きのない句は面白くない。「はい、そうですか。だから、何なの?」と、なりがちである。風雨の夜、妻が出掛けて一人きりであると言っているだけで、動きはない。
②季語は効いているか―――梅雨の季節でもあり、5月でも7月でもない6月らしさはある。
③飛躍はあるか―――飛躍し過ぎると独りよがりで意味不明の句になり、飛躍がなければ平板な詰まらない句になる。「夜なり」で切れてはいるが、前後に飛躍はなく面白味に欠ける。
④感動はあるか―――先生はよく「実際に自分の目で見たもの感じたものでないと人に感動は与えられない。机の上で考えて作ったものに驚きや感動はない」と言っていた。この点でも、この句には疑問が残る。
結果としてこの句はそれほどの句とは言えないことが判る。では、なぜこの句を今でも残しているかというと、思い出の句だからである。「いい句が出来た」と一人で悦に入っていた独学の時代を思い出させてくれるからである。(つづく)
                                 (平成8年作)


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白シャツ

白シヤツや少女にもある力瘤



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なっちゃん、小学2年生の運動会である。
昨年に引き続き、リレーの選手に選ばれたということなので足は速いようである。青組と聞いていたので、どこにいるのかと探してみると、控えの椅子席の最前列に座っていた。いつも下の2人のお姉ちゃんとして見ているので大きいように思っていたが、クラスの中では小さい方のようである。
写真はリレーではなく100メートル徒競走のスタート地点を写したもの。たくさんの人がゴール地点でカメラを構えていたが、遠すぎて本人がどこにいるのかさえ見えない。そこで、近くまで行ってみたのである。探してみると随分と後ろの方にしゃがんで順番を待っていた。
私「だいぶ、後の方だね」
なっちゃん「そぉ、21番目」
私「緊張しないで、がんばってね」
なっちゃん「無理!緊張してる」
少しお怒り気味に返事が返ってきた。

私がスタート地点でカメラを構えているのをなっちゃんは知らない。順番が近づくに従い、身体を大きく動かしたり、足踏みをしたりして、緊張を解こうとしているのが判る。そしていよいよ順番が回ってきた。スタートラインに着くと同時に直立で整列。真っ直ぐに前を見据えている。「ヨーイ」で、この写真である。
天瓜粉まみれのなっちゃん、メダカ1匹のなっちゃんも、いつしか100メートルを猛ダッシュするなっちゃんに成長していた。
(注)運動会は秋の季語であるが、この頃はこのように5月に行う学校も多いとのことである。
                                 (平成26年作)



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亀の子

亀の子に肛門しかと見つけたり



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もう10年以上も前のことになるが、下の娘が家で動物を飼いたいと言い出したことがある。
以前、ハムスターが死んで家族全員、涙に暮れたことがあっただけに、さすがに止めようということになったのだが、その時、娘が「我が家に亀がいること、知らないでしょう」と言い出したのには驚かされた。
数日間、自分の部屋でこっそり飼っていたという。友人への誕生日プレゼントなので近々いなくなると聞いてホッとしたのだが、餌をやってみると首を出して食べたりするので、案外かわいいかも知れないと思ったものである。

その話を会社でしてみた。すると、事務の男性がすかさず「それは、くさ亀ですか」と聞いてきた。
「亀の種類までは聞いていない」と答えると、それから10分程して、手書きのメモを持ってきて「参考にしてください」という。見てみると、亀の裏側を描いたもので、オスメスを見分けるための肛門の位置などが書かれている。
思わず大笑いしてしまった。頭のない亀の絵が面白かったのか、それとも彼の亀へのこだわり具合が面白かったのか判らないが、とにかく笑いのツボに嵌ってしまったように腹の底から笑わせてもらったのである。

どこにでも何かに詳しい人はいるものだが、まさか亀の生態に詳しい人が目の前にいようとは。
それから程なくして彼は退職してしまったが、今でも亀と聞くと彼のことを思い出す。
写真はその時彼が書いてくれたメモである。まだ大切に保管してある。
                                 (平成15年作)



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牛蛙

古池の主にあらずや牛蛙



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歳時記では春の部に分類される「牛蛙(ウシガエル)」であるが、6月に入った今でも昼と言わず夜と言わず大声で鳴いている。今の住まいに越してきたのが平成12年2月なので、その年の春に初めてその声を聞いたことになる。家は公園の池を見下ろす位置にあるのだが、コナラなどの木々に遮られて直接は池の姿を見ることは出来ない。直線にして100メートルほどの距離である。

その夜、妻に言ったものである。
「池のポンプか何かが壊れてるんじゃないか?管理組合に知らせておいた方がいいよ」
その声を言葉に言い表そうとすると「ブオー」「グオー」「ボオオー」の類である。
牛蛙と判ってからも、妻との会話は続く。
「あれだけの声を出すんだから、相当な大きさだよ」
「これ位?」両手を広げてみせる妻。
「いくら何でも、それじゃ、犬だろう。もし、そんなのがウヨウヨしてたらジュラシック・パークだよ」

池は横浜市により自然保護区に指定され、中に入ることは出来ない。金網越しに一部を見ることは出来ても、もちろん牛蛙の姿は捉えることは出来ない。
「古池や蛙飛び込む水の音」と芭蕉翁が詠んだ蛙(かわず)とは大違いである。
(注)「主(ぬし)にあらずや」とは、主ではないだろうかの意である。
                                 (平成13年作)



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蝦蟇

蒲郡その名は蝦蟇を思はする



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我ら夫婦、それほど仲が良いという訳ではない。35年も連れ添っていれば、毎日が淡々と過ぎていき、たまに話が弾んで大笑いなどしようものなら、いやが上にも記憶に残ろうというものである。
先日出掛けた伊勢参りの道中、JR豊橋駅を出たところで、駅前の建物の看板に「がましん」の文字を見つけた。何だろうと思い見てみると、蒲郡信用金庫の略称である。
私「がましんとはインパクトあるねぇ。行員さんは電話を受けると『はい、がましんでございます』って言うんだよ。慣れれば何でもないんだろうが、新入社員なんかはちょっと困るんじゃないかなぁ」
妻「ガマだから?町の名前が蒲郡(がまごおり)なんだから、みんな慣れてるんじゃない?」
私「もし信用金庫でなく銀行だったら、がまぎんということになる」
妻「がまぎんよりは、がましんの方がいいわねぇ」
私「これが信用組合なら、もっと大変だよ。がまぐみだから」
妻「さすがに、がまぐみはいやよね」

悲しいかな、この会話の至る所で起こった笑いを上手に表現する文章力を持たない。話している私も、答えている妻もお腹を捩りながらのやり取りであった。
蒲郡(がまごおり)と聞いて、蝦蟇(がま)を連想する低俗な我ら夫婦に悪意のないことだけはご理解いただきたい。預金も借入もないが、あれからすっかり私達は「がましんファン」なのである。
                                 (平成26年作)



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