2014年05月の記事 - ひこばえ
background movie

ひこばえ


2014年05月の記事

若竹

若竹や蔵は明治の男振り



DSC02708_convert_20140525063448.jpg



小説「雄気堂々」には渋沢栄一の数々の逸話が散りばめられている。その中の一つを紹介しよう。
明治7年、栄一が大蔵省を退官して間もない頃のことである。当時の日本の重要な輸出品に生糸と蚕卵紙があった。蚕卵紙とは蚕に卵を産み付けさせた紙のことである。その蚕卵紙が生産過剰となり、例年にない厖大な量が横浜に集まっていた。どの問屋にも蚕卵紙が山積みされ、価格は暴落し、外国商人は足元を見て買い叩き、破産寸前に追い込まれる農家も現れていた。当時の政府にこれといった策はなく、問屋も手を拱いているばかり。そんな状況で、栄一に相談が持ち込まれた。「こういうことは、渋沢に頼む他はない」である。

相談を持ちかけられた栄一は、すぐさま横浜へ向かい対策を施す。まず、余っている蚕卵紙を買い集める。上物5銭まで買い叩かれた価格を、1枚17銭から21銭で買い上げる。資金は政府に出させる。日本の重要な物産の危機であり、このまま放置すれば、日本中の蚕種製造者が駄目になる事態。ただ同然で外国へ流れている現状を正し、価格を正常に戻すことが出来れば、国全体の利益に繋がるのだから、政府が負担するのは当たり前という理屈である。
買い上げられた蚕卵紙は元吉原(現在の横浜公園)の空き地に運ばれ、山積みにして火が放たれた。買い入れ打ち切りまで42日間、焼却枚数45万枚。「炎は毎日、横浜の夕空を焦がした」とある。5銭まで買い叩かれていた上等品の値が60銭となり、下等品でも30銭まで戻ったという。

後年、栄一は「時の氏神」と言われた。もつれた事件が栄一が仲に立つことで、よく解決した。栄一の地位や社会的信用、多年の経験や知識などのお陰であり、綿密に計画を立て、熱を込めて事に当たる姿勢がそう呼ばせたのである。
(注)写真は血洗島の生家の蔵と竹林である。
                                 (平成26年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

錦鯉

錦鯉跳ねて血洗島の池



DSC02697_convert_20140506181241.jpg



血洗島(ちあらいじま)とは凄い名前である。地名の由来については諸説あるらしい。八幡太郎義家の家来が戦いで切り落とされた片腕を洗ったところからという説、利根川の氾濫で常に川の水に洗われる土地という意味から「地荒れ」「地洗い」が変化したという説。その他にもいくつかあるようだが、まだ定説になっているものはないようである。
火祭りの翌日、ホテルから埼玉県深谷市のこの血洗島へと向かった。渋沢栄一の生家がある場所である。

城山三郎著「雄気堂々」には、渋沢栄一がこの血洗島の農家の長男として生まれ、明治の元勲と肩を並べながら、日本資本主義の父と呼ばれるようになるまでの半生が描かれている。一橋慶喜に仕え、フランスに渡航。帰国後、大蔵省に入省し、明治6年退官。以降、第一国立銀行の頭取に就任するなど実業界に身を置き、多種多様な企業の設立に関わっていく。その数500以上と言われる。日本有数の企業の名前が連綿と連なっている。

生家は明治25年の失火により消失。現存の建物は妹夫婦により、翌年再建されたものである。母屋の奥には栄一が帰郷した際に使ったという座敷が残されており、栄一に纏わる写真などが飾られている。渋沢ファンとして一度は訪ねておきたい場所である。
(注)写真は生家の前庭の池である。池の向こうに栄一の銅像が建てられている。
                                 (平成26年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

暮の春

火祭りに太古の春も暮れゆけり



DSC02684_convert_20140506180105.jpg



さきたま古墳公園には前方後円墳8基と円墳1基が並んでいる。火祭りはその古墳群の中の広場で行われる。
我々はまず、丸墓山古墳に登ってみた。日本最大の円墳であり、石田三成が忍城攻略の陣を張った場所である。頂上まで登ったところで、係員からすぐ下りるように言われた。火祭りの準備を始めるのだという。松明を持った人たちがその上に集結し、広場まで下りて行くらしい。登ったばかりなのに、すぐに下りることになってしまった。
やむなく隣の稲荷山古墳へと向かった。こちらは国宝となっている鉄剣が出土した場所である。ところがここにも係員がいて、同様の理由で上には行けないという。そこを何とかと頼んでみた。「ここまで来て上が見られないというのは何とも残念である」と訴えると「それでは他の人の目もありますので、早めに下りてくださいね」と言って通してくれたのである。いい人はいるものである。お陰で誰もいない古墳をじっくり二人で見て回ることができた。鉄剣の名は「金錯銘鉄剣」といい、両面に115文字の漢字が金象嵌で表されている。当時の雄略天皇に仕え、天下を治める仕事の補佐をしてきたことを記念して作ったことが刻まれているという。火祭りより、そちらを見に行くべきだったかなぁと思ってしまったほどである。

日が暮れてから、いよいよ火祭りが始まった。古代人に扮した大勢の人たちが松明を翳しながら作り上げる神話の世界は、とても見事なものであった。
翌日、帰宅して娘に写真を見せながら話をした。
「えっ、29回目?!昔からやってる火祭りじゃないんだ(笑)。それじゃ、俳句の題材としてはイマイチだったね」と言われてしまった。成る程と思いつつ、それでも何とか句にせずにはいられない私なのであった。
                                 (平成26年作)


にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村                                 

浮葉

さざ波に溺れがちなる浮葉かな



DSC02602_convert_20140511172202.jpg



火祭りまで時間があったので「古代蓮の里」に行ってみた。蓮の開花は7月頃とあるのでまだまだ早いのだが、行田まで来て寄らないのは勿体ないと思ったのである。案の定、訪れている人は疎らだったが、散歩するには丁度良く、ゆっくりと公園内を見て回ることが出来た。
池にはもちろん花は咲いていないが、蓮の葉は浮かんでいた。
「おっ、浮葉だ」―――これはいいものを見つけたと言わんばかりに写真を撮り、思い付く言葉を書き留めた。感動はどこにでもあるものなのだ。花だけが美しいのではない。葉っぱも立派な夏の季語なのである。

公園には高さ50メートルのシンボルタワーがあり、上ってみた。360度の眺望が広がり、上州の山々や東京スカイツリーなどが見えた。展望室に「田んぼアート」の写真が飾られていた。見ると、タワーの真下の田んぼに描かれたものである。2年前、3年前の「蓮」や「のぼうの城」の絵も素晴らしかったが、昨年(平成25年)の「古代蓮の精」という作品は特によく描かれているように思えた。古代のロマンが花開く「行田蓮物語」からの図柄だという。7種類の色の異なる稲を植え付けて描くのだが、その中で最も美しい緑色の部分に植えられたのが「彩のかがやき」だと説明文に書かれている。その日の朝見てきたばかりの稲の名前をそこに見つけた時、とても嬉しい気持ちになったことは言うまでもない。
                                 (平成26年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

雀の槍

雀の槍並びし石田堤かな



DSC02624_convert_20140506175654.jpg



忍城を囲むのは秀吉軍の知将石田三成である。
2万対500の圧倒的優位を以てして臨んだ緒戦であったが、結果は忍城側の勝利に終わる。地の利と志気の高さが2万の軍勢を退けたのである。次に三成は近くを流れる利根川を利用し水攻めを行うこととなる。28㎞にも及ぶ石田堤をわずか1週間で築き上げたのである。しかし、この水攻めも堤の決壊により失敗する。小田原城の落城により忍城もまた開城することになるのだが、最後まで持ち堪えた唯一の支城ということになる。三成をして最後にこう言わしめている。
「この忍城攻め、当方には甚だ迷惑ながら、板東武者の武辺を物語るものとして、百年の後も語り継がれるであろう」

その石田堤を歩いてみた。当時の面影を探すには、時間が経ち過ぎたようである。どこにでもあるような小道にも思えた。途中、小さな雑草を見つけた。「スズメノヤリ」である(写真)。頭花が大名行列の毛槍に似ているところからこの名があるようだが、いかにも雀とは頼りない。小さな忍城の前に崩れ去った石田堤には打ってつけの取り合わせのように思えて詠んでみた。
                                 (平成26年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

麦の秋

水攻めに耐へし城下や麦の秋



DSC02572_convert_20140506175336.jpg




天下統一を目前にした豊臣秀吉が関東最大の勢力北条氏を攻略しようと小田原城を囲む。北条方の支城である忍城にも石田三成率いる軍勢2万が向かう。天正18年(1590)6月のことである。迎え撃つ忍城成田氏の軍勢は500。誰の目にも絶対不利な形勢であるにも拘わらず、総大将成田長親は降伏ではなく、戦うことを選ぶのである。
「豊臣軍にケンカを売った、でくのぼうがいた」―――映画「のぼうの城」のキャッチコピーである。

城は明治6年に解体。現在あるのは昭和63年に再建された御三階櫓である。中は郷土資料館となっており、3階の天守からの眺めは素晴らしい。ゴールデンウィークの真っ只中でもあり、観光客で賑わっていた。
我々が城のお濠を巡っている時、甲冑を身に纏った男の子が記念撮影しているのに出会った。端午の節句である。祖父母やご両親に見守られながら、忍城を背にして写真を撮っている。難攻不落の城をふるさとに持っているのである。少し羨ましくも思いながら、撮影の様子を眺めていた。
(注)「麦蒔き」は11月で冬。「麦踏み」は早春、「麦青む」は春である。刈り入れ時期の黄金の麦畑は美しい。「麦秋」は夏の季語である。
                                 (平成26年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

苗代

苗代に水の届かぬ余白あり



DSC02563_convert_20140506175207.jpg



映画「のぼうの城」を観て、埼玉県行田市を訪ねてみることにした。水攻めに耐えた忍城(おしじょう)はもちろん、石田三成が築いた堤、正木丹波守が創建した寺など見所はたくさんありそうである。調べてみると、5月4日(日)夜、同じ行田市のさきたま古墳公園で火祭りが行われるというので、それに合わせて出掛けることにした。
朝6時に横浜を出発。早めに出たつもりであったが東北自動車道で渋滞となり、加須インターを降りたのは9時過ぎであった。インターを出てしばらく走った所に田圃があり、緑の苗が矩形に植えられているのが見えた。
「苗代(なわしろ)だ」と思い、車を急停車させた。妻を車に残し一人で見に行く。初めて見る苗代である。いいものを見つけたと喜んだことは言うまでもない。
男の人が立っていたので声を掛けさせてもらうと、田圃の持ち主で苗の状態を見回りに来たところだという。話を聞いてみた。昨年は温度管理で失敗したので、今年はこまめに見回っているとのこと。「失敗もあるのかぁ」と妙に感心させられる。水の加減が重要だと言いながら、ポンプから水を出して見せてくれた。
「ビニールハウスじゃないんですね」と聞くと「あれは手間も掛かるし、金も掛かる」とのこと。今植えているのは、埼玉の「彩のかがやき」と群馬の「朝日の夢」だという。

「いいとこ見てきたよ」と言いながら車に戻るも、苗代の何が良いのかを説明できるものではない。すぐに最初の目的地である「忍城」に向けて出発したが、心は苗代をどう俳句にするかで一杯になっていた。
                                 (平成26年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

蜘蛛

戦ひの場へと小箱の蜘蛛放つ



DSC02542_convert_20140503143022.jpg



(承前)今から9年前のことである。会社にアルバイトとして入ってきたSさん(当時65才位か)。ホンチ保存会の会員ということで、連休に行われる大会を一緒に見に行きませんかと誘ってくれた。当時の手帳を見てみると、今年と同じく5月3日である。JR港南台駅で待ち合わせ、円海山へと向かうのだが、Sさんの提案で少し山道を歩き、ハイキング気分を味わい、山の上でビールでも飲んでから行くのはどうでしょうかとのこと。もちろん快諾である。手帳には「9時、港南台駅」とある。今考えてみても、いかにも早い(笑)。Sさんの思い入れのほどが伝わってくる。
のんびりと歩きながらハイキングコースに入っていったのだろう。山頂でビールを飲んだあたりまではよかったが、途中から雲行きが怪しくなってくる。道に迷ったのだ。「社長、少しここで待っていてください。道を確認してきます」と言って、走って坂を上っていったかと思うと、すぐ戻ってきて「ちょっと戻りましょう」などと言う。何度か繰り返した。そのうち、相当に焦ってきたようで「済みません、済みません」の連発になってきた。ようやくホンチ会場を探し当て到着したのは、大会が終わる寸前であった。
「大丈夫、Sさん、気にしないでください。見られたのですから大丈夫ですよ」と慰めたものの、Sさんの恐縮ぶりは大変なものであった。それからしばらくして、Sさんは会社を辞めてしまった。
もし今回いてくれればと思い探してみたのだが、Sさんの姿は見えなかった。ホンチといえばあの時のことを思い出す。
                                 (平成17年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

黄金週間

黄金週間人疎みつつ人混みへ



DSC02558_convert_20140503174817.jpg



5月3日(土)憲法記念日。横浜金沢自然公園でホンチ大会があるというので出掛けてみた。ホンチとは、ネコハエトリという蜘蛛のことで、そのオス同士を戦わせる遊びのことである。以前は円海山の麓で行われていたと思うが、今は変わったようである。ホンチ保存会のブログを見てみると、「当日朝9時半に金沢文庫駅に集合」とある。みんなで集まって、ホンチを捕まえながら会場に向かうらしい。会員でもない私は直接公園の会場へ向かうことにした。公園のどの辺りとは書かれていないが、行けば分かるだろうと思い、昼頃を目がけて出掛けたのである。
着いてみると公園は途方もなく広い。どの辺りなのか、さっぱり見当が付かない。公園の係員に聞いてみたが「先程も聞かれましたが、分かりません」と言われ、「蜘蛛なら動物園の中ですかねぇ」などといい加減なことを言う。念のため動物園の係に聞くと「中ではやっていないようです」と答えてくれた。これでは自分で探し当てるしかないと思い、公園中を歩き回ることになった。「ののはな館」から「バーベキュー広場」の中を通り、公園の一番下まで降りてみる。ホンチの垂れ幕があるはずである。上から見下ろしたほうがよかろうと、ローラー滑り台で賑わう「こども広場」の中を上り、また「ののはな館」へ。さすがに疲れたが諦め切れない。お茶を買い、一休みしながら、今上ってきたばかりの「こども広場」の鯉のぼりなどを見ていると、一カ所に固まって何かやっている集団を発見した。ホンチの垂れ幕も見えた。苦労してようやく見つけた時、ホンチを初めて見に行った9年前のことを思い出していた。(つづく)
                                 (平成26年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

更衣

衣更へて我行く道に迷ひなし



0415.jpg



10年前に当時の社長から社長交代の打診を受けた。私が50才、社長が64才の時である。
人の上に立つ器でないことは自分が一番判っていたのだが、他に人材がいないこともよく判っていた。
即答したかどうかは覚えていないが、当の社長が1期2年しかやっていないので、もう少しやって下さいと頼んだことは確かである。しかし、いずれはやらざるを得なくなることを覚悟していたと思う。

家に帰って妻に話すと「やるしかないんじゃないの。立場上どうしたって苦労するんだから、社長になって苦労した方がやり甲斐があるよ。なりたいと思っても簡単になれないのが社長なんだから、向こうからやって下さいって言われて、断る理由もないと思うけど」と、いとも簡単に片づけられた。
何代もの社長に仕えてきたので会社の状態はよく見えていたと思うが、唯一、工場管理については全く携わったことがないというのが少々気掛かりな所であった。生産現場を知らない者が、製造会社の社長になるのである。無謀とも思うが、あとにやり手がないのだから仕方ない。やってみるかと腹を決めた。6月の決算を済ませ、8月に就任した。

(注)写真はこのほどリニューアルした当社のロッカールームである。色は私が決めた。本体と扉の色を白黒ツートンとし、社内で塗装したのだが、従業員にはすこぶる好評である。衣替えの季節に間に合わせた。
                                 (平成16年作)



にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
フリーエリア