2013年10月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2013年10月の記事

牧水忌

みなかみの白き瀬波や牧水忌



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(承前)墓参りを終えて、水上温泉まで足を運んだ。
群馬県の温泉は、妻の両親に連れられて随分と巡ったものだが、どういう訳か水上だけは来たことがなかった。
少し早めに到着し、温泉街やその周辺を歩いてみた。
熱海などと同じく、一時の賑わいは過ぎたようである。連休だというのに閉ざされたままの店も多く、廃屋と化してしまったホテルも見受けられた。川沿いを歩いてみると、ラフティング用のボートが並び、漕ぎ出す人々も見られた。遠くに架かる橋の上からバンジージャンプをする光景も見られ、温泉以外のものにも力を入れようとしていることが見て取れた。
諏訪峡という遊歩道を歩いてみた。吊り橋の上から遠く谷川岳を望み、そのせせらぎに耳を澄ませるなどしてみた。

若山牧水に「みなかみ紀行」という紀行文がある。大正11年10月14日から11月5日までの24日間、群馬県のさまざまな温泉に宿泊しながら利根川の水源を訪ねている。その中に、利根の川原についての描写があるのでここに抜粋しておく。
牧水は昭和3年9月17日、享年43才という若さで没している。

「私は河の水上(みなかみ)といふものに不思議な愛着を感ずる癖を持つてゐる。一つの流に沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其處にまた一つの新しい水源があつて小さな瀬を作りながら流れ出してゐる、といふ風な處に出會ふと、胸の苦しくなる様な歡びを覺えるのが常であつた。(中略)銚子の河口であれだけの幅を持つた利根が石から石を飛んで徒渉出来る愛らしい姿になつてゐるのを見ると、矢張り嬉しさに心は躍つてその石から石を飛んで歩いたものであつた。」
                                   (平成25年作)



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美術の秋

行きずりのダリに始まる美術の秋



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日経新聞コラム欄に「展示された本物の絵はライヴ」と書かれているのを読み、うまいことを言うなぁと思ったものである。本物の持つ迫力は、本物の前に立たなければ味わうことが出来ないということなのであろう。

10年ほど前、会津に旅した時のこと。たまたま立ち寄った諸橋近代美術館で、初めてダリの作品に出会った。
学生時代にシュルレアリスムに興味を持ち、アンドレ・ブルトンやフロイトなどの本を読んだこともあったが、判ったような、判らないような。自分の頭では、到底付いていけるような代物でないことだけは判ったようである。
そのシュルレアリスムの代表的画家であるダリの作品の前に立った時、自分の理解力を超えたところで、強い感動を味わうことが出来たのである。それが、まさに本物を前にしてのライブだったのかも知れないと思っている。

今月、妻の両親の墓参りに行った折、偶然にも高崎美術館で開催されている「ダリ展」を見つけ、再びその作品の前に立つことが出来た。作品への理解力は相変わらずであるが、本物を前にしたライブの楽しさを存分に味わったことだけは確かなようである。

  春愁やダリの描きし象の鼻 (平成15年作)

10年前にダリを観た時に作った句である。句会では誰一人として点を入れる人はいなかった。象の鼻が男性自身を暗示していることを知っている人にだけ判ってもらえるシュールな句なのである。(つづく)
                                   (平成25年作)



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馬鈴薯

じやがいもを洗ふ束子に裏おもて



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馬鈴薯(じゃがいも)を洗ったというのは、おそらく北海道にいた頃、45年以上も前のことである。
しかも、おそらく1回か2回のことだろう。
わずかな記憶でしかない馬鈴薯洗いのことを鮮明に思い出せるというのも不思議なものである。

どんな料理に使ったのかは思い出せないが、洗うように母から言われて束子(たわし)で泥を落としている。
馬鈴薯には窪んだような所があって、そこに入っている泥が気になる。
薯全体を洗ったあと、その窪みに束子の先を押し込んで泥を掻き出そうとする。
調理の時に、最後は包丁の角でえぐり出すのだろうから、そう神経質になることもないのだが、
どうしても、そうしないと気が済まないのである。

また、束子の裏表も気になる所である。
どの面がよく使われているのか、その減り具合などで、裏表を判定しようとする。
鍋釜の底などを洗うのだから、どちらかが微妙に減っていたりするのである。
母が表として使っている所を、裏として使うのは申し訳ないように思う。
作業する前に束子を裏返したりして確認している自分の姿が目に浮かぶ。

些細な所にこだわる、少々変質的な性格。北海道の方言で「しんけたかり」という。
今でもこのあたりの性格のために、家でも会社でも結構嫌われているであろうことを、人知れず自覚している。
                              (平成10年作)



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身に入む

身に入むや汚れ染みたる作業服



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仕事が鉄を扱う板金加工業なので、作業服の油汚れや擦り切れは激しい。
全員、制服を着用しているが、すぐにボロボロになってしまう人もいる。
平成13年(2001年)1月、新世紀を迎えるに当たり、その制服をリニューアルすることにした。
それまでの男子の制服は紺色で、購入した年代によってもバラバラだったので、
全てを統一して、新しい気持ちで21世紀を迎えようとしたのである。
緑色の新しい柄で、会社のネームも赤色で入れることにした。

12月中に支給したと思う。
ところが、年が明けての仕事始め式に、一部の社員が古い紺の制服を着て出席しているではないか。
持参するのを忘れてしまったのかと思ったが、本人に質してみると、まだ古い制服も着られるので着て来たという。
すぐに着替えさせたことは言うまでもない。
まだ着られる制服を着るなというのも勿体ないような話ではあるが、しかし、目的は全員の統一である。
そのあたりのことが徹底できないようでは、組織を維持することは難しいと考えるタイプなのである。
衣服の乱れは心の乱れ。たとえ汚れていようとも、ルールに従った作業服は美しいと思うタイプなのである。

(注)「身に入む」と書いて「みにしむ」と読む。
秋の寒さが身に沁みることを言うのだが、寒さそのものより、心情的な使われ方をすることが多いようである。
「身に沁む」「身に染む」とも書く。
                              (平成12年作)



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夜業

声掛けて一人二人と夜業果つ



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これは当社での深夜残業の情景を詠んだものである。
この句を作った当時は、繁忙期ともなると毎晩のように残業が深夜に及んでいた。
特に最終工程である組立工程では、深夜0時を回るようなことも度々であった。
その日の仕事を終えた工程から順番に帰っていくので、いつも組立工程だけが残ることになった。
塗装工場の仕事が終わると、コンベアが止まり、モーター音が止み、工場全体が静かになる。
その中で組立の人達の作業が黙々と続く。
塗装の人達が帰り支度を済ませ、ばらばらと帰っていく。
「お先に失礼します」などと声を掛けながら、組立の人達の横を通っていく。
組立が完了し作業が終わるのは、それからまだまだ先のことである。

毎晩のように繰り返されていた情景である。
現在は工程管理も随分と改善され、残業が深夜になることはほとんどなくなっている。
繁忙期は残業が当たり前と考えていた所に、改善を阻む甘さがあったようである。
何事もやりようである。
                              (平成10年作)




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甘藷

葉の匂ひ土の匂ひの甘藷届く



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火曜日、友人からの甘藷(さつまいも)が届いた。
日曜日に収穫したそうで、まさに掘りたてである。
段ボール箱を開けた時の、その時の感動そのままを句にしてみた。

彼とはこの6月、一緒に食事をしている。
いろいろな話をして楽しい一時を過ごしたのだが、その時は至って元気であった。
仕事の話といい、遊びの話といい、とても気の合う間柄なのである。
大きな会社の専務さんであり、私の少し年下とはいえ、教わる所は多い。
その彼が、7月の終わりに心臓バイパス手術を受けるという大病に見舞われた。
春先から、時々胸に小さな痛みを感じていたそうだが、大したことはないだろうと放置していたらしい。
大事に至る前に運良く発見され、手術も無事に成功し、今では会社へも普通に出ているそうである。

その彼からの贈り物である。
奥様と一緒に自慢の畑に出て、甘藷を掘り、箱に詰めてくれている姿が目に浮かぶ。
お互い若いつもりでも、そろそろ還暦という年代である。
何事も命あっての物種と自戒しつつ、仕事に励んでいきたいものである。
近いうちに再会出来ることを心から楽しみにしている。
その時、飲むのは私だけであることを先に断っておく(笑)。

(注)甘藷の読みは「かんしょ」であるが、この場合は「いも」と読む。
                              (平成25年作)



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