2013年09月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2013年09月の記事

夜なべ

プレス機が揺らす夜なべのコップ酒



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この句を句会に出した時、メンバーから「日向さんの会社は随分と古い工場なんですね」と言われて、
「これは私の会社ではなく、取引先の工場を詠んだものです」と慌てたことを覚えている。
港北区新羽町にあった工場で、高齢の社長がナイジェリア人の黒人を使い、板金の仕事をしていた。
70才はとうに超していたと思う。当社からの仕事で大きなクレームを出し、それを機に会社を畳むことを決断。
その手続きなどで私が訪問したのであった。(ちなみにその黒人はその後、当社で雇用している)

その社長は戦艦大和の乗組員であった。
たまたま休暇で船を下りていた時に出船し、命拾いしたという経験の持ち主であった。
「仕事を辞めたら、息子のいる千葉の山奥に引っ込んで大和の模型を作るんだ。
もう設計図は出来ている。大きさは3メートル。もちろん鉄製だ」
初対面の私にそんな話をしてくれた。

「今日はこれから徹夜だ」
クレーム品の再製作に掛かるという。
「一杯飲みながらでないと、やってられないよ(笑)」とも。
職人という言葉は、こういう人のためにあるのだろうと思った。
今、生きていれば90才を超えているであろう。
戦艦大和は完成したのであろうか。

(注)写真は昭和50年代の当社の工場内を写したものである。このプレス機は今はもうない。
                           (平成10年作)


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千木箱

千木箱の振ればかそけき音すなり



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東京、芝大神宮の「だらだら祭」。9月11日~21日の11日間にも及ぶ長さから、この名がある。
主祭神は伊勢神宮と同じ天照大御神と豊受大御神。五穀豊穣を感謝し、その恵みを神に捧げる秋祭りなのである。
古い資料によると、その昔、9月16日たった1日のお祭りだったようである。
それが、お伊勢参りの流行した江戸時代に、伊勢までの長旅をせずとも同じ神様へのお参りが出来るという手軽さから、
参詣者が増え、それを受け入れるためにも徐々に期間を延ばし、ついに11日もの長さになったということである。
神社創建当時、その周辺は一面の生姜畑で、神前に生姜が奉じられ、祭礼中に境内などで売られるようになったところから、別名「生姜市」とも言われる、とある。

そのようなことを少し調べてから出掛けてみた。
9月15日(日)は朝からの生憎の雨。台風も近づき、雷まで鳴っていたが、とにかく出掛けてみることに。
着くと、ちょうどお神輿を前に神主が祝詞を上げている最中だった。雨の中、大勢の法被姿がお神輿の出発を待っていた。
出店が5~6店、並んでいた。意外だったのは、生姜を売る店が一つもなかったこと。生姜市なのに生姜がない。
勝手に「朝顔市」や「鬼灯市」を連想してしまっていたようだ。

ようやく、お神輿が動き出し、境内が疎らになったところで、大きな鳥居をくぐり、石段を登った。
お参りをして、その横に山盛りの生姜が奉納されているのを見つける。
社務所に行くと、絵馬を飾り付けた生姜が売られている。お守りの横に千木箱も売られていて、両方とも買い求めた。

千木箱はこの芝大神宮だけで売っている縁起物である。秋の恵みを盛る神器をかたどって作られたものであろう。
三段重ねの白木の曲げ物容器を麦藁の縒り紐で結わえてある。白、紫、緑の絵の具で描かれているのは藤の花だそうだ。
巫女さんの手から受け取ってその軽さに驚く。檜材で作られている。神社の屋根の千木を作った余り材という。
中に煎り豆が入っているらしく、振ると小さな音がする。子供の玩具のようにも思えてくる。
都会のど真ん中に続く由緒あるお祭り。江戸の昔に思いを馳せながら、ざんざ降りの雨の中、神社を後にした。
                              (平成25年作)



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葛の花

葛の花古道は地図に記されず



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自宅から徒歩5分ほどの所に山道への入り口がある。今でも時折、中学生などの通り道になっている。
昭和53年発行「磯子の史話」などで調べてみると、この道が「金沢道(かねさわみち)」の一部であったことが分かる。
東海道の程ヶ谷宿(今の保土ヶ谷駅)から六浦陣屋(今の金沢八景駅)まで通じていた古道である。
鎌倉時代に、鎌倉街道などが整備されていく中で、この金沢道も開かれていったようである。

道の入り口は切り通しになっていて、抜けるとすぐに下り始める。程なくして、写真の石碑の横を通る。
右側に「青面金剛」と書かれた庚申塔があり、その左に「右杉田道、左新町道」と彫られた道標など3基が並んでいる。
享保元年(1716年)などと読めるので、今から300年も前の石碑である。

その昔、ここを行き来した旅人の姿や、庚申塔にお参りする村人達の姿が見えてくるようである。
                              (平成17年作)



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秋風

朱の橋を来て秋風の清洲城



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9月6日(金)、尾張名古屋を旅してきた。
戦国時代は、この尾張の地を抜きにしては語れない。
午前中は地元の知人の会社を訪問し、午後はその知人の案内で歴史探訪。
知人とは、その会社の常務さんである。

前田利家ゆかりの荒子観音から始まり、秀吉の豊国神社、信長の清洲城、家康の名古屋城などを見て回った。
説明役までお願いすることになってしまったが、なるほど地元出身だけあって相当に詳しい。
しっかりと歴史を学んでいて、勉強好きの人柄が伺えた。
歴史のこぼれ話など、興味ある話を行く先々で聞かせていただき、大いに楽しませてもらうことになった。

写真は、平成元年に再建された清洲城を大手橋の上から写したものである。
後ろ姿ではあるが、左が常務、右が当社の工場長である。
清洲城といえば、「千と千尋の神隠し」のモデルとなったという話もあるようだが、やはり織田信長亡き後の後継問題を
話し合った「清洲会議」が有名である。この秋、公開予定の三谷幸喜の映画「清須会議」は必見である。

写真を見ると、体型のよく似た二人である。
清洲会議というより、桶狭間の戦いで勝利を収めた信長がその2年後、家康と結んだ清洲同盟の方を彷彿とさせられる。
現代版「清洲同盟」に向かう二人に見えてくるようで面白い。
お忙しい中を丸一日、我々のために費やしていただいた常務にはお礼の申し上げようもない。
心から感謝すると共に、今後ますますのご交誼をお願いするものである。
                                 (平成25年作)



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震災忌

神々に供へ忘れそ震災忌



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震災忌とは、大正12年9月1日に発生した関東大震災での遭難死者を追弔し記念するものである。
記録によると、神奈川県を中心に東京、千葉、埼玉など広範囲に被害をもたらし、190万人が被災、
10万5000人余りが死亡あるいは行方不明になったとある。想像を絶する規模である。

自然の猛威は止まる所を知らない。平成に入ってからも、阪神・淡路大震災(平成7年1月17日)、
東日本大震災(平成23年3月11日)と立て続けに大きな被害に見舞われている。
我々に出来ることは限られているが、備えることに怠りがあってはならないと思う。

この句は新潟県中越地震(平成16年10月23日)で大きな被害を受けた小千谷市を訪れた時のものである。
神々への供え物を忘れてはならない、という意味である。「忘れそ」の「そ」は禁止の意を表す。
                              (平成21年作)



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