2013年08月の記事 - ひこばえ
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ひこばえ


2013年08月の記事

盂蘭盆会

母ありてこそのふるさと盂蘭盆会



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突然のお便りをお許しください。私は先日、先生に著作一覧をお願いしました歌志内の日向の息子です。
お忙しい中、突然のお願いにも拘わらず、心温まるお手紙をいただき厚く御礼申し上げます。
先生にお願いした経緯などにつきましては、その都度、母より聞いておりましたので、お便りを頂戴した時は、親子共々、大喜びさせていただきました。芥川賞作家の先生と話が出来た、それだけでも「人生最大の」という形容が付くほどの出来事でしたので、押し花のお手紙を受け取った時の母の喜びようといったら、それはもう大変なものでした。早速、私に見せようと送られてきましたので、親孝行にもなろうかと思い、飾りの付いた額縁に入れ、今、返送してきたところです。
この夏、帰郷の折、母と二人、「ゆめつむぎ」に出掛け、歌志内に関する資料を懐かしく見てまいりました。神威小学校のホームページを開き、流れてきた校歌に胸を詰まらせたり、炭坑の長屋の暮らしを垣間見たりと楽しいひと時を過ごすことが出来ました。心残りと言えば、先生のコーナーが生憎、前日にて終了していたという運の悪さです。(略)
先生の著作には絶版となっているものも多く、その全てを入手するのは難しいようだと、道々、話しておりましたので、母の心に残っていたようです。その後、先生にお声を掛けさせていただく機会を得、著作についてのお願いをすることとなりました。母の表現を借りれば、まさに「蛮勇を奮う」。私のために必死になって声を掛けてくれたその時の母を思うたびに、親孝行しなければならないことを思います。
歌志内の過疎化も進み、子供の頃のあの賑わいも記憶の中ばかりとなってしまいました。先生の作品の中に、様々な歌志内を見つけては、望郷の念を強くしております。
これからも先生にはますますご健筆を振るわれ、ご活躍されますよう心よりお祈り申し上げております。
この度のご厚情に心より感謝申し上げ、御礼とさせていただきます。有難うございました。
  平成10年11月1日
                                       (平成25年作)



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棚経

老い母の棚経僧に低く和す



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(承前)平成10年8月、歌志内で戦没者慰霊碑(写真)の除幕式が行われた。
高橋先生は歌志内市の名誉市民として、私の母は兄を戦争で亡くした遺族として出席していた。
市長を始めとしたお歴々が集う中、母が初めて先生に声を掛けてくれたのである。
「実は、横浜に住む私の息子が先生のファンでして……」
その時、先生70才、母69才。母の勇気と行動力に感謝せずにはいられない。

先生は母とのやり取りをとても喜んでくれたようである。
ひと月ほどして母は先生からの丁重な手紙を受け取ることとなる。その後、色紙も送られてくる。
早速、母は私に見せようとその手紙を送って寄こした。
「汚さぬように」と念を押しつつ、「礼状を書くように」とも書き添えてあった。

本来なら、芥川賞作家の見事な文章を載せたいところではあるが、差し障りもあるやも知れず、
あの時の私の拙い礼状の方を次に載せておくことにする。(さらに、つづく)
                             (平成25年作)



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花さびた

廃坑の山がふるさと花さびた



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昭和30年代には4万人を超えていた歌志内の人口も相次ぐ閉山でまたたく間に減少へと向かっていく。
現在の人口は4109人(平成25年6月現在)で、日本一、人口の少ない市となっている。

高校卒業と同時に上京していた私は、帰郷するたびに変わっていく故郷を見ていくことになる。
歌志内線が廃線となり、学校も次々と廃校となり、炭坑にまつわる建物や長屋なども取り壊されていく。
容赦なく過疎化が進んでいった。

そんな中、私達を大いに喜ばせ、勇気づけるニュースが舞い込む。
歌志内出身の作家高橋揆一郎の芥川賞受賞である。昭和53年7月、小説「伸予」での受賞であった。
夢中で読んだことは、もちろんである。著作を求めて神田古本街を歩いたことも度々である。
作品の中に、懐かしい歌志内を見つけ、炭坑の暮らしや歴史、人間模様を探すのである。
遠く離れてはいても、その本を読むと、忽ち心は故郷に帰ることが出来た。
一度もお会いすることはなかったが、常に私の憧れであり、尊敬する人であった。
その高橋先生と私の母が出会うことになる。(つづく)
                                 (平成13年作)




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盆帰省

余所者に犬の流し目盆帰省



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千歳空港に到着した時は、それほど実感が湧いてこない。
電車が札幌を過ぎ、美唄を越えたあたりから、何となく「帰ってきたなぁ」という感じがしてくる。
高校に通った砂川駅に降りる。駅前は閑散としていて何もない。
タクシーに乗り込み、「文珠まで」と告げる。砂川北高の前を通り、焼山を過ぎたあたりに差し掛かると、
子供の頃、このあたりまで遊びに来たことをいつも思い出す。
文珠に入ると、友達の家の種物屋の前を通過する。四十年以上も会っていないことを思う。

赤レンガの家が見えてきて、タクシーを降りる。ひまわりがあちこちに立っている。
家の向こうに神威岳が見える。家の小庭の花々が見える。
タクシーの音を聞き付けて、窓からこちらを見ている母が見える。

北海道歌志内市―――むかし炭坑で栄えた町である。
                                     (平成13年作)

(注)この絵は、歌志内市出身の芥川賞作家、高橋揆一郎(1928-2007)の
   画文集「帽灯に曳かれて」に描かれているふるさとの山「神威岳」の絵である。



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花火

鎮魂の地へと枝垂るる大花火







山下清画伯の「長岡の花火」には、色とりどりの花火、川面に映る花火、
そしてそれを見ている大勢の見物客が描かれている。昭和25年の作である。
今年、初めてその長岡花火を見に行くことが出来た。

この花火大会は昭和20年、終戦の年の8月1日、長岡市を襲ったB29爆撃機の空襲により
亡くなられた多くの人々を弔うために始まった大会だという。
今では日本を代表する花火大会であり、「フェニックス」「ナイアガラ」などの花火は
多くの人の知る所ではあるが、もともとは鎮魂のためのものだったのである。

信濃川の悠久の流れと、そこに集まった何万人もの見物客。
打ち上げられては消えてゆく絢爛豪華な花火の数々。
そして、その底に流れる鎮魂への願い。

わずか2時間ほどの祭典ではあったが、決して忘れてはならないものに
68年前のあの戦争があることを改めて知らされることになった時間でもあった。

今回、私達家族のために、宿泊先、桟敷席など何から何までご用意してくださった
娘婿の実家のお母さんには心からお礼申し上げたい。
                              (平成25年作)



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土用あい

百合の木の葉裏返して土用あい



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「一度聞いたら忘れるな」―――道川先生の口癖である。
言われた時は「なるほど」と思う。
思うのだが、なかなか、そうはいかないのが凡人の悲しさ。
ついつい同じことを何度も聞いたりして、叱られたものである。

JR磯子駅の近くにあった句会場のすぐ側に、百合の木が立っていた(写真)。
別名、半纏木(はんてんぼく)。葉の形が半纏に似ているところから、この名がある。
金沢自然公園に吟行した時、先生から「この木は何か」と問われ、「半纏木」と答え、
「おっ、覚えたな」と褒められたことを覚えている。

ちょうどその時、もう一つ教えてもらったのが「土用あい」。
夏の土用の暑さの中に吹く、ひんやりとした北風のことである。
自分の句にしてしまえば忘れることはないと言われていたので、その場で作り、
「句になっている」と先生に及第点をもらった句である。

その時の先生の一言は、
「折角、土用あいを覚えたなら、土用の付く季語をみんな覚えてしまった方がいい。
土用波、土用凪、土用干、土用芽……覚える時は、そうやって関連付けて覚えた方が忘れない」
「なるほど」と思いながらも、一向に覚えていない不肖の弟子がここにいる。
                                  (平成12年作)



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暑気払ひ

暑気払ひ一病癒えし者同士



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道川虹洋門下生による一杯飲み会。
今はそれぞれ異なった歩み方をしているが、集まればいつも話題は一つ、心はいつも一つである。
「もう少し、先生に教えてもらっておくんだったなぁ」
「先生はすごい人だったんだなぁ」
「先生に並ぶ俳人はいない」
「我々は、すごい人に教えてもらっていたんだなぁ」
「なんだって、あんなに急に逝ってしまったんだろう……」

いつも、最後は先生を讃える言葉、惜しむ言葉で終わることになる。
瞬く間に、三人で銚子十数本が空くことになる。
                              (平成25年作)



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