人事 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


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日傘

富士見坂日傘の一歩また一歩



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長女「お巡りさんは何だって?」
私「お巡りは最初、堂本君に謝れという」
長女「えっ、なんで?」
私「なんでだったかどうかは忘れたが、金持ちに依怙贔屓の時代だったのかぁ。しかし、やはり金持ちが悪いということになる。金持ちが謝ったかどうかは忘れたが、最終的には自分の犬ばかり可愛がって人の犬を思いやらない心は醜いということになったんだよ。やはり心だよ、心。一件落着してまた力を合わせて大八車を押して行ったという話だよ」
長女「子犬はどうなったんだろう?」
私「……」
妻「何でまた、そんな話を思い出したの?」
私「だって、引越しだからだよ」
妻「引越しじゃないよ。引越しはとっくに終わって今日はお披露目会だよ」
私「同じようなもんだよ」
長女「そういえばこれから行く所に坂があるんだ。家のすぐ近くなんだけど……」
私「おお、堂本さんの引越しと同じだなぁ(笑)」
長女「その坂に俳句が書いてあった。坂の名前にもなっていた」
私「どんな俳句?」
長女「詳しくは覚えてないけど仕事帰りの旦那さんを思いやるような俳句だったと思う。これから通るから見てみて」
私「そんな思いを書くのは俳句じゃなくて和歌なんじゃないか?」
長女「えっ、どうだろ」
私「俳句は五七五、和歌は五七五七七だよ」
長女「どっちかなぁ。長かったかなぁ、短かったかなぁ(笑)」

写真の和歌が掲げられていて坂の名前にもなっていた。「妻恋坂」。名前を変えたのは最近のことらしい。念のために掲げておく。
『お仕事に疲れて帰る道すがら愛しき妻に急ぐこの坂』

飲み過ぎて昼まで寝ていた日曜日。ぼんやりと「坂道」のことを考えていた。
<いつ読んだっけかなぁ……>
磯子図書館か金沢図書館か、どちらかで読んだような気がする。もう20年以上も前のことである。堂本君と金持ちの主人はどんな言い争いをしたのだろう、お巡りさんのジャッジは正しかったのかどうか、子犬はどうなったのか、質問されても答えようがないほどに忘れていた。もう一度読んでみたいが頭が痛くて図書館に行く気にもなれない。
                                 (令和2年作)




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豆飯

豆飯や育ち盛りの三姉妹



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娘とメールでやり取りをしていた。
娘「あっ!おーちゃん!別件なんだけど、ダイニング用に買った椅子が床から座面までの高さが高すぎて使いにくいから、おーちゃんの会社で脚を切ってもらえないかな~。素材がスチールなので自分では切れないんだよ(汗)」
私「工賃、高いよ(笑)。写真を送ってみて」
すぐに写真が送られてきた。
娘「こういう椅子です」
私「下のアジャスターは簡単に外れるの?拡大して送ってみて」
娘「アジャスターってこれのこと?簡単には取れそうもないけど……」
私「そうだよ。このプラスチックみたいなものをまた付けなくちゃならないんだから。椅子の脚を切るよりテーブルの高さを上げた方がいいんじゃない?」
娘「テーブルの脚がさ……こういう脚なわけ」
テーブルの写真も送られてきた。
私「簡単そうに見えるけど」
娘「えっ!高さを上げる方が簡単なの?」
私「何センチ上げたいの?」
娘「5センチくらいかな」
私「どんな構造かは知らないけど、見たら同じ物を作る自信あり」
娘「そりゃ、すごい!!!!!実物が明日届くから、来たらまた細かいところを見て報告する!」
私「猫背にならないようにね(笑)」
娘「すごいよ~!もっと早く相談すれば良かった(笑)」
私「毎日、テーブルや台を作っている会社だよ。ダイソー、マツキヨ、成城石井、ありとあらゆるお店が当社のお客様だよ(笑)」

テーブルの天板の裏側や脚の写真が送られて来た。翌日のやり取りである。
娘「脚はこんな仕様になってます」
私「今、設計に見てもらいました。脚があれば希望の高さまで上げますとのこと。来てすぐ作るという訳にはいかないので、一旦預かりたいとのこと」
娘「ありがとう!脚だけ持っていけばいい?天板は大きくて重くて、持って行くの大変そうなんだけど」
私「脚だけで大丈夫だって。念のため、天板の裏に開いてある穴の拡大写真だけは欲しいみたい」
                                 (令和2年作)




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古茶新茶

武蔵野に住みしことあり古茶新茶



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益體もなき己の古日記などを取り出して、今は昔の呑兵衞共のあれやこれやを綴つてみた處で詮無きこと、無聊ここに極まれりと長い許りのゴールデンウヰーク、ゴロゴロウヰ~と飮んでばかりも居られず、思案六法擧句の果てにハタと氣付いた文豪石川淳選集全十七卷の小説、戲曲、評論、隨筆の類ひ、埃被つた書棚の奧にまづは一卷手に取ればその讀みづらきこと甚だし、行けども行けども讀點ばかり、文の終はりの句點はと見れば文中にある鉤括弧、會話の中に二つ三つ、一向に一文に終はりなく、如何したものかと讀み進めていくうちに、何といつしかその文體の美麗にして流暢、淸楚、端麗、秀色神采、天衣無縫とは手拭ひの亊にあらず、瞬く閒にその虜となつてゐる始末、浦島太郎禁斷の玉手箱宜しく、明ければ五月の連休も石川淳一色にて白煙の如し。

石川淳の文体を真似て書いてみた。和漢洋に通じた文豪の文章なので真似たといっても真似られるものではないが、およそ雰囲気だけでも伝わっただろうか。
私が石川淳(1899-1987)の本に出会ったのは20才の頃である。おそらく「普賢」や「焼跡のイエス」「紫苑物語」などを読んだのだと思う。すっかりその虜になり、分かったかどうかは分からないが随筆なども読んで何かを感じていたようである。選集17巻を買ったのはそのずっと後のことであるが、諸事に紛れて人生を過ごし、読むこともなく本棚の肥やしとなっていた。思い立ったが吉日である。早速箱から取り出してみると、カバーのセロハンがすっかり茶色に変色し、何もしなくてもパリパリと破れる始末。45年近くを経た浦島太郎の今の姿である。第1巻の「葦手」から読み始めた。
「おー、こんな文体だったなぁ……」
すぐに蘇った。懐かしい。長々しいのは饒舌体という文体で初めは読みづらいと思うがすぐに慣れる。旧字体や旧仮名遣いも慣れてくる。写真は小説「葦手」の一節である。括弧内が一つの文章となっている。
「面白い……」
連休の1日目に第1巻を読み終えた。20才の私が今66才となり、また同じ本を読んでいるのである。感慨を覚えずにはいられない。あの頃に住んでいた西荻窪の「武蔵野荘」のことや一緒に遊んでいた友人の顔が思い浮かぶ。みんな、今頃どうしているのだろうか。ちゃんと生きているだろうか。会ってみたいと思う。
(注)俳句結社「雪解」主宰皆吉爽雨の俳句に「人々と新茶ひとりの今を古茶」がある。当時のことは以前書いている(平成26年6月27日、ひこばえ「爽雨忌」)。
                                 (令和2年作)




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端居

人同じからず端居の人もまた



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呑兵衛会のその後のことを書いておこう。旅行や飲み会はもちろんその後も続いていたが、私も守屋さんも役員そしてその後の社長を務めるようになり、それまでと同じように気楽に騒いでもいられなくなって自然と回数も減っていったようである。7人のうち最初に会社を辞めたのが守屋さんである。平成14年に社長になり、2年勤めて会長となり、その2年後に引退している。平成18年9月15日、66才での退職である。
2番目に辞めたのが野田さんである。彼は工場の中で社内外注として働いていたが、守屋さんが辞めた同じ年の12月末で辞めている。辞める前に一悶着あった。前年6月に社長だった私が一人の取締役の職を解いた。私にとっては苦渋の決断だったが明確な理由があった。しかし野田さんの目には非情なやり方に見えたようである。「日向さんよ。あまりに冷たいやり方じゃないか」「野田さん、傍から見るとそう見えるかも知れないけど良く考えた上でのことだから間違いない。これしかなかったんだ」「だけど今まで一緒にやってきた仲じゃないか」「今までとこれからは違う。俺がそうした理由を説明しよう」「説明なんていらないよ。日向さんは頭がいいからそれなりの理由を挙げるんだろうけど、俺には付いていけない」「理由も聞かないで批判されるんじゃ困るなぁ」それから1年ほど口も利いてくれない状況が続いて辞めていった。辞めて5、6年して会社を訪ねて来てくれたことがあった。会社に飾っている自分の絵を見に来たようである(写真)。「上手くいっているようだね」「まずまずかな(笑)。まだ怒ってるの?」「ああ、あの時のこと?守屋さんからも話を聞いたりしたけど、まぁ、日向さんらしいと言えばそうなんだろう。社長にしか分からない苦労もあったんだろうなぁ(笑)」「誤解があったとしたら許してよ」「とっくに許してるよ(笑)」
3番目が佐久間さんである。平成18年に定年を迎え、その後1年間勤めてくれたが、身体がキツイといって平成19年6月29日に退職していった。塗装の職場だった。61才。今はビル掃除の仕事をして働いていると噂に聞く。会っていない。
4番目が好川さんである。定年後も勤めてくれていたが、足の血管が異様に膨れ上がる病気に罹っていた。医者には通っていたが一向に良くならない様子でビッコを引いていた。「酒の飲み過ぎから来たんじゃないの?」「酒?ああ、あれは薬。大丈夫、大丈夫。へっちゃら、へっちゃら(笑)」仕事が踏み台を上がったり下りたりする内容なので辛そうである。仕舞いには工場の2階の階段が上がれないという状態にまで悪化していた。「好川さんよ。そんな身体では仕事出来ないんじゃないの?医者は何と言ってるの?」「痛いのは今だけ。すぐ治る」「だって階段も上がれなくなってるじゃん」「上がれる、上がれる。平気、平気」「まず、ちゃんと治しておいでよ。治ったらいつでも働かせてやるから」「社長!今、治った。治ったから大丈夫」「……」「治ったら本当に雇ってくれる?」「大丈夫だ。約束する。治して来い。医者の言う通りにしっかり治して来い」平成21年6月4日のやり取りである。その後しばらくして、家に電話しても出なくなり、訪ねて行ったアパートは空き家になっていた。
坂口さんのことはブログにも書いた(平成27年3月16日、ひこばえ「料峭」)。平成23年4月28日に退職し、平成27年3月2日に死亡した。
今も会社に残っているのは私と庄司さんだけである。庄司さん78才。酒は最近あまり飲んでいないようだが仕事は一生懸命、毎日元気に頑張っている。
                                 (令和2年作)




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春の夢

春の夢死ぬも生きるも屁のごとし



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(承前)皆々、鼻を押さえる。堪えきれずに庄司さんは客室の方へ移動して行った。その臭いたるや、自分でも驚くほどに強烈で、広い範囲を漂ったようである。しばらくして急に笑いが込み上げてきた。他人に屁を嗅がせておいて笑ってしまっては弁解の余地もない。必死に堪えていたが、周りでじっと我慢している人達の胸中を考えると申し訳ないと思う気持ちよりも笑ってしまいたくなるような気持ちの方が大きくなったのである。自分で屁をこいて、一人で笑いを堪え、知らぬ顔を決め込んでいる図である。
乗り込んだ時、洞爺丸事件やソ連船に沈められたという樺太からの引き揚げ船を思い浮かべていた。大荒れの海に、これから死んでいくかも知れない船内の緊張を思った。しかしその思いとは裏腹に、沈まぬことを確信し切っている自分が自分の放屁に笑いを堪えているとは何と軽薄で何と詰まらない男の姿であることか。自嘲せずにはいられなかった。哀れな男である。

船揺れて死ぬも生きるも屁のごとし

到着した久里浜港は嘘のように凪いでいた。船は何事もなかったかのように接岸し、ロープが抛られた。係員の合図に従って船底から次々と吐き出される車の列に混ざり、ひときわ大きくエンジンを吹かして我々呑兵衛会7人衆は無事横須賀に上陸し旅を終えたのだった。

翌日この日記をコピーしてメンバーに配った。数日後、野田さんから手紙を受け取った。
「日向さんの安房での思い出が………
東洋一の大仏でもなく
寒風の中で釣り上げた二匹のフグでもなく
下請の人間がどのようにして別荘を手に入れたかという、その興味でもなく
あの荒波の中、船底が海面を叩く「ドーン」と鳴る音で、洞爺丸の惨事に思いを馳せ、放屁一つで生き死の問題を笑い飛ばしていたとは………
弛緩した日常を送る我々に、物事に真摯に立ち向かい畏れを持って臨めという警鐘なのでせう」

別に警鐘を鳴らした訳でも何でもないのだが、そう受け止められたようである。
このあたりから呑兵衛会で行事を行なうたびにレポートするようになり、メンバー全員が終わってからの楽しみとしてくれたようである。
(注)写真左から野田さん、坂口さん、佐久間さん、好川さん、守屋さん、庄司さん。みんな、若い。
                                 (令和2年作)




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