人事 - ひこばえ
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ひこばえ


人事 カテゴリーの記事

成木責

手心のなき傷一つ成木責



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翌朝「道の駅」は開いていた。正月休みという情報は何だったのだろう。開店と同時に入ってパック詰めの鮒寿司を一つ買い求めた。
私「臭いってどれ位なものだろう?家に帰ったらまずはカズ君に食べさせて、どんな反応するか試してみよう(笑)」
妻「止めなさいよ。冗談でもそういうことはするもんじゃないでしょ」
私「冗談、冗談。する訳ないジャン(笑)」
妻「分からないからねぇ、あなたっていう人は」
行動に信用のない私である(苦笑)。家に帰ってすぐに自分で食べてみた。
一口目、何と言うことはない。
二口目、「???」
私「何ていうことないジャン。全然、臭くないよ」
妻「あら、良かったじゃない。美味しいの?」
私「まぁまぁだなぁ。ちょっと臭みはあるけど、気になるほどじゃない。これが<臭い物ランキング>第2位とは意外だなぁ。もっと臭いのかと思った。ただ、しょっぱいだけだ」
妻「そんなにしょっぱい物を、全部食べちゃ駄目よ。身体に悪いわよ」
私「オッケー、半分で止めておきます」

残った半分を会社のメンバーで出掛けた初詣に持って行った。ビールのつまみである。
それを見た当社の工場長が即座に言った。
「明智光秀が接待に出して信長に怒られたという例のやつですね」
「接待?えっ、家康の接待か!あの時、この鮒寿司を出したんだっけ?」
「たしか、そうだったと思いますよ」
迂闊だった。そうとも気付かずに危うく全部食べてしまうところだった。確かに本で読んだことがある。あの時の接待に出した物だというのか。すぐに調べてみた。出所は「川角太閤記」というものらしい。私が読んだ本が何だったかは思い出せないが、そこに書かれていた概略は次の通りである。
天正10年(1582)5月、徳川家康は主だった重臣を引き連れて安土へと出発する。信長は街道の警備はもちろん、家康一行の宿泊予定地の領主にも出来る限りの接待を命ずる。15日、安土到着。安土での饗応役は光秀である。京や堺の珍しい食材を調達して最高のもてなしを準備したはずである。その検分に訪れた信長が一歩門に入ると魚肉の腐った臭いがした。怒って台所に向かい「この様子では家康の御馳走は務まるまい」と言って光秀を解任し、饗応役を堀秀政に替えてしまった。赤恥をかかされた光秀は腹立ちまぎれに肴や器を堀に投げ捨てたのでその悪臭が安土の町に吹き散らされたという。この時の遺恨が本能寺での謀反へと繋がったというのが「怨恨説」である。腐った魚がこの鮒寿司だったという話になる。
(注)写真は「絵本太閤記」による。「饗応役を解任され、食い下がって森蘭丸に殴打される光秀」と記されている。
                                 (平成30年作)




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雪礫

雪つぶて悲しき我に当りもす



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桃配山を出て西軍本陣が置かれた関ケ原古戦場跡へと向かった。国道21号線を右に折れるとそのすぐ先に関ケ原製作所があった(写真)。
「ここかぁ……」
一瞬にして21年前が蘇った。私が42才の時である。役職は取締役総務部長だった。当時の社長をサポートして張り切っていた時代である。幹部や営業の若手を引き連れて「ニューセキガハラ運動」を掲げ会社を成長させているこの会社を見学に来たのだった。
建物は新しくなっているように見えた。21年経っているのだから、どこがどう変わろうと驚くことではない。変わっていて当然である。ただ、入口に掲げられていた看板の文字を見てあの時と何も変わっていないことに驚かされた。
「限りなく、人間ひろばを求めて───進化しつづけるセキガハラ」
あの時と同じである。
「会社はみんなで創るもの。社員一丸となってチームセキガハラを創ろう」
とも書かれていた。少しも変わっていない。社員のための会社、社員がみんなで創る会社。素晴らしいと改めて思った。それに引き換え、自分の21年間を振り返って少しも学んでこなかったことを痛感した。
「こんなに良い手本があったというのに……」
当時、私を可愛がってくれた社長の顔が目に浮かんだ。少し胸が苦しくなった。21年前に比べると会社は確かに良くなっている。あの頃に比べれば全く別のような会社に変わっている。しかし、ただ変えることばかりに夢中になって大切なものを忘れてきてしまったような気がした。
「従業員がいてこその会社ではないか。本当にみんなを幸せにしてきたのだろうか。俺は何のためにこんなに頑張ってきたのだろう」
車を降りて写真を撮っている間、胸を過ぎったのはそんな自分への反省ばかりだった。
                                 (平成30年作)




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除雪

除雪して天下分け目の地なりけり



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大垣を出て関ヶ原に近づくと辺りは雪景色へと変わっていった。道は除雪しているようで走るのに不自由はないのだが、いつチェーンを付けなければならなくなるかと不安は募ってくる。その時急に道の左手に「徳川家康、最初陣地」の看板が現われた。
「おお、見なければ……駐車場はどこ?」
それらしき駐車場が見当たらない。その先にガソリンスタンドがあったのでひとまず入ることにした。ガソリンは半分以上あったが、セルフ給油のようなので大丈夫である。係員がいるかどうかが問題だが遠くにそれらしき姿が見えた。給油して支払いを済ませたあと、その女性に近づき声を掛けた。
「こんにちは。今、給油を終りました。あそこの家康の碑を見に行きたいのですが、その間ちょっと車を置かせてもらえないでしょうか?」
女性に笑顔はなかったが「どうぞ」と言ってくれた。お礼を言って車を端に移動し、碑へと向かって歩き始めた。もう少し笑顔があっても良さそうなのにと思いつつも、勝手なお願いをしているのは私の方である。停めさせてもらえるだけでも有難い。
「桃配山」である。家康が最初に本陣を構えた場所である。
西暦1600年(慶長5年)9月15日、旧暦なので今の10月21日頃にあたる。深夜、西軍が大垣城から関ヶ原方面に向けて動いたというので、美濃赤坂の岡山本陣にいた家康も雨の中その後を追うのである。夜中の2時に出て朝6時にここに到着して陣を敷いている。
工事人がいて警備の人もいた。何かの工事である。後で聞くと史跡整備工事中とのこと、柵もされていたが間から入らせてもらった。誰も歩いた形跡のない雪に覆われた階段を上って碑の前に立った(写真)。ここに「厭離穢土・欣求浄土」の幟を立てたのである。看板にはその時に使用したと伝わる「腰掛石」と「机石」のことが書かれていたが417年前のことである。石のことは俄には信じがたいが、その後の天下分け目の戦いを想像するには充分な場所であったことはもちろんである。
                                 (平成30年作)




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賀状書く

ご先祖の一人なりけり賀状書く



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毎年、孫達には愛情たっぷりの年賀状を送っている。今年はどんなものを送ろうかと考えたがそう易々と奇抜で面白いアイデアなど思い浮かばない。しかたなく今人気のパンダの絵でお茶を濁そうということになった。シャンシャンにあやかろうというのである。それを知った妻がアドバイスしてくれた。
「さわちゃんは今、パンダではなくウサギがお気に入りのようだよ」
写真左の年賀状がさわちゃんに宛てたものである。<かわいい!>と喜んでくれること間違いなしである(笑)。
「あけまして(ぴょん)おめでとう(ぴょん)ことしは(ぴょん)1ねんせい(ぴょんぴょん)あまり、べんきょうばかりしないで(ぴょん)たまにはおーちゃんともあそんでね ぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょん」
真ん中が今度4年生になるみやちゃん宛てのものである。勉強がなかなか苦手と聞いている(笑)。パンダの絵の大きさで勝負である。
「あけましておめでとう ことしはやっぱりディズニーランドだよね またゴーカートに乗ろう 勉強もしっかりがんばろう」
そして右端がなっちゃん宛てのものとなる。家系図を書いてみた。自分がいかに多くのご先祖様のお陰でここにいるかということを考えてもらえたらと思ったのである。読書家のなっちゃんに果たして私の思いが届くかどうか。一笑に付される可能性がとても大きい(笑)。
「明けましておめでとうございます。ご先祖さま、ありがとうございます。私は今年6年生になります。ご先祖さまに恥じぬよう一生懸命にがんばります」
                                 (平成30年作)

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福達磨

福達磨富めば則ち事多し



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明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては良き新年を迎えられたこととお喜び申し上げます。
平成25年5月に始めたこのブログも皆様に支えられながら4年半を経過し、回数も570回を超えるまでとなりました。
初めの頃は週2回程度の更新でしたが、いつしか週3回となり、毎回楽しみにしてくれている人もいて励みになっております。これも偏に皆様方の心温まるご支援の賜物と心から感謝しております。

多男子則多懼     (男子多ければ則ち懼れ多く)
富則多事       (富めば則ち事多く)
寿則多辱       (寿ければ則ち辱多し)
是三者、非所以養徳也 (是の三者は、徳を養う所以に非ざるなり)

これは老子と共に「道家」の始祖とされる荘子が書いた文章の一節です。
「男の子が多ければその分なにかと心配の種が増え、裕福になるとなにかと面倒なことが増え、長生きをするとなにかと恥をかくことも多くなる。すなわちこの三つのものは徳を養うためのものにはならない」といったような意味です。本来、誰もが望むはずの「子宝に恵まれる」「裕福になる」「長生きする」を悲観的に見て必要ないと言っています。欲望に執着せず、一見立派なようにも見えますが本当に立派なのでしょうか。文章は次のように続きます。
「男子がいくらいても様々な職があり心配することはない。お金持ちになって要らないお金があるのなら人に分ければよい。こだわりのない生活をすれば長生きをしても恥をかくことはない」
一旦思い込むとその考えに凝り固まって間違った判断をしてしまいがちですが、どんな事柄にも別の捉え方や考え方はあるものです。まずはこだわりを捨てるところから始めるべきでしょうと説いています。
新しい年が始まりました。気持ちを新たに進めてまいります。どうか今年もよろしくお願いいたします。
                                 (平成30年作)

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