動物 - ひこばえ
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ひこばえ


動物 カテゴリーの記事

金魚

早や知らぬ素振り金魚の名付け親



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鎌倉八幡宮にお参りに行き、境内の出店で孫のカズ君(4才)が金魚掬いをした。店のオヤジから受け取った紙の網をいきなり水に浸けたものだから1秒と持たない。1回300円。再びのチャレンジは娘が手を添えてやってみたが結果は同じである。しかし、よくしたもので掬えない場合は1回につき2匹の持ち帰りが出来るという。ビニール袋に水を入れ、出目金1匹と金魚3匹を大切に持ち帰ったのだった。家に帰って娘は水槽を用意し、ブクブクや砂や餌を買いに出掛け大わらわである。ご満悦のカズ君は4匹の金魚にそれぞれ名前を付けた。あまり難しい名前なので忘れてはいけないとメモ紙に書いて水槽に貼っておいた。その夜、3人娘が夕飯を食べに来た。それこそ大わらわである。

水槽の金魚を見ながらの私となっちゃんの会話である。私には少しだけお酒が入っている(笑)。
なつ「この黒いの、結構エサを食べるね」
私「あっ、なっちゃん、今、黒って言ったでしょ」
なつ「えっ、どうして?駄目なの?」
私「それは可哀そうだよ。この出目金には名前があるんだよ。名前があるのに黒なんて呼ばれたら悲しいよ。なっちゃんがひとみちゃんって呼ばれるみたいもんだよ。なっちゃんだって名前を間違えられたらイヤでしょ」
なつ「そりゃあ、イヤだけど……」
私「名前はカズ君がターコイズって付けたから、これからはターコイズって呼んでね」
なつ「変な名前(笑)」
私「しようがないよ。そういう名前にしちゃったんだから……」
しばらく、二人で餌を食べる様子を見ていた。
私「ホントだ。他の金魚に比べてこの黒いのは食欲があるなぁ」
なつ「あっ、おーちゃん、今、黒って言った!(笑)」
私「あっ、そうか。でもしょうがないよ、何んたって名前が難し過ぎるよ。なっちゃんだって何かを間違えることってあるでしょ」
なつ「ない、ない、名前は一度覚えたら絶対に間違えることはない。間違えたら可哀そうだよ(笑)」
                                 (平成29年作)

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囀り

囀りに一音高き声のあり



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1時ちょうどに入り、商談を終え会社を出たのが2時10分であった。2時50分の電車に乗ればいいのだから楽勝である。
「大丈夫だろう」
「はい、大丈夫です。30分には着きます」
車内であれこれ話しながら余裕を決め込んでいた。ところが大宮駅までの道路は一本道で何度も渋滞を繰り返す。どんどん時間は迫ってきて少し焦り始める。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だとは思いますが、なにせ一車線ですから」
最後は駅の手前300メートルで車を降りることになり、急ぎ足で歩いたものである。駅構内に入りキョロキョロした。湘南新宿ラインの快速に乗るように言われている。
「あっ、これだ」
と思って降りたホームで待つこと5分。出発時間が迫って来るが、電光掲示板に一向に快速の案内が現れない。
「あれっ、間違えたかな?」側にいた駅員に聞いた。
「ああ、それは隣のホームです。もうすぐ電車が来ます。お急ぎください」
「ヒヤー!」
会社で印刷してもらった紙をよく読んでいなかった。見ると出発ホームの何番線まで書かれている。全く注意力不足である。そもそも意識がそこに行かないように出来ているのである。

何とか無事に南林間駅に辿り着き指導員の先生とも落ち合い、時間前に取引先に到着することが出来た。従業員の皆さんも待っていてくれた。
早速、活力朝礼の練習が始まった。やったことのない人ばかりだったので説明している間にも妙な緊張感が伝わってくる。何をさせられるのだろうかと不安に思っているようである。最初に手本を示した。姿勢の正し方、お辞儀の仕方、声の出し方、挨拶の仕方、本の持ち方などである。
「こんな感じで行います。これから皆さんにも同じことをやっていただきますのでマネをしてみて下さい」
全員にちょっとした余裕の表情が見られた。「ああ、こんなもの?」という感じである。初めのうちはぎこちなかった動作も繰り返すうちに覚えてくる。1時間ほどの練習で形が出来上がり、普通に大きな声が出始めた。
「簡単!これでいいんだ!出来る、出来る、これなら出来る!」という声が飛び出す。
いつも元気のない朝礼で困っていると話していた社長さんも嬉しそうである。
「どうなるかと心配していましたが、これなら大丈夫そうです。意外と簡単で安心しました。いい朝礼が出来そうです」と大喜びである。従業員の皆さんも喜んでくれて「こんなに簡単なものだと思いませんでした」と言ってくれた。
朝からいろいろあった一日だったが、埼玉でも座間でも感謝されることになり、ホッとした一日となったのである。
                                (平成29年作)

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鳥雲に

師のあとをただ追ふばかり鳥雲に



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村井さんから連絡が入っていたようで「蓑虫庵」に到着すると男性が笑顔で出迎えてくれた。「聞いています、聞いています、さぁ、どうぞどうぞ」と言葉を二回繰り返す勢いである。私を「凄い人」と思っていたかも知れない(笑)。すぐに庭に案内されて説明が始まった。まずは「蛙飛び込む」の石碑の説明である。「この蛙の石碑は……」
実はこの説明、すでに村井さんから話を聞いていたのである。何といっても芭蕉生家での村井さんとの会話は長かったので、蓑虫庵のことも服部土芳のことも大概は話してくれたようなのである。「これを見てください」スマホを見せてくれる。「写っているのはこの石碑に留まっている蓑虫です。さて蓑虫は何と鳴くでしょうか?」鳴くはずもない蓑虫が何と鳴くかと聞いてくる男性。その熱意だけは充分に伝わってくる。「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」(芭蕉)なので、そう言いたくなる気持ちが痛いほど分かるのである。
男性「さぁ、次は庭を歩きましょう、蓑虫庵の眺めが二番目に好く見える場所にご案内します」
私「二番目?」
男性「そうです。一番目は楽しみにしておいてください(笑)」
私「一番、二番は誰が決めたのですか?」
男性「いやぁ、それは私です(笑)」
私「……」

「笈の小文」の旅程表に貞享5年(1688年)3月11日、土芳の蓑虫庵を訪問したとの記述があった。本文には記載がないようである。あの再会から3年経っている。途中、芭蕉は伊賀に来ているので何度も会っていたことだろうが、庵を訪ねて来てくれた時は嬉しかったに違いない。蓑虫庵が一番よく見える場所に案内し、二番目によく見えるという四阿にも招いたかも知れない。蓑虫の季節とは違っているが、鳴く鳴かないの談義もあったかも知れない。大喜びの土芳さんの姿が目に浮かぶ。
元禄7年(1694年)芭蕉が51才で亡くなった時、土芳は38才である。あの20年ぶりの再会から9年しか経っていない。どんなにか悲しかっただろう。蓑虫庵の中でどんなにか泣いただろう。その後、芭蕉の俳論や俳句を「三冊子」や「蕉翁句集」「蕉翁文集」として後世に伝えた土芳の功績の奥に芭蕉との喜びや悲しみ、深い繋がりがあったことを忘れてはならないようである。蓑虫庵に導いてくれた村井さん、案内してくれた男性には心から感謝したい。男性の方にはお名前も聞かずに立ち去ってしまったことを大変申し訳なく思っている。感謝申し上げると共にお詫びする次第である。
                                 (平成29年作)

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冬の蝶

洞に悲話あり木洩れ日に冬の蝶



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ようやくシムクガマの入口に達しようとした時、目の前にあった蜘蛛の巣に引っ掛かり「ワーッ」と声を上げてしまった。想像していた洞窟とまるで違っていて不気味に感じていたのかも知れない。帽子を脱いで蜘蛛の巣を払い、深呼吸して息を整えた。結構、意気地なしなのである。
遠くから写真を撮った(写真)。これで帰ろうかとも思った。しかし、ここは全員が助かった場所であることを思い出し、中へ入ってみることにした。中央に何やら碑が立てられていた。それ位は確認しようと思ったのである。近づいて見ると「救命洞窟之碑」と書かれ、終戦50周年を記念して建てられたことが記されていた。小銭が供えられていた。まずは手を合わせ、戦争の犠牲になった多くの人達に黙祷を捧げた。奥を覗くとずっと続いているようである。1000人もの人が逃げ込んだ場所である。とてもそちらまで行く勇気はない。入口に戻り周囲を見渡してみた。高い木が生い茂り日の光を遮っている。そこを蝶々が舞っていた。降りて来るかと見れば、また揚がって行く。4、5匹がゆっくりと揚がり下がりを繰り返していた。

その日のことを書いておこう。
昭和20年4月1日、上陸した米軍はすぐにシムクガマまでやって来た。読谷村波平区の住民約1000人が息をひそめて隠れている。アメリカ兵数名が入口までやって来て「カモン、コロサナイ、ダイジョウブ」と呼び掛ける。しかし住民たちは米兵が鬼畜であることを教え込まれている。動揺が走りパニック状態に陥る者も出る。大人たちを掻き分けて米兵に立ち向かおうとして前に出たのは少年で構成された警防団の者たちである。竹槍を手に米兵に向かっていった。米兵も驚き銃口を向け、まさに発砲しようとしたその時である。大きな怒号が響いた。
「槍を捨てなさい!」
その場を凍らせるほどの気迫をもって叫んだのはハワイ帰りの比嘉平治さん(当時72才)という人だった。比嘉さんはハワイで長くバスの運転手をしており、英語は堪能。米兵が鬼畜でも赤鬼でもないことを知っていたのである。比嘉さんの一喝で少年たちは引っ込み、米兵との会話が交わされた。日本兵がいないこと、中に約1000人の住民がいることが伝えられたという。米兵はお菓子や缶詰を置き一旦その場を立ち去ることとなった。比嘉さんは同じくハワイ帰りである比嘉平三さん(当時63才)と共に米軍へ出向き、助けてもらうための交渉を行なったのである。殺されて戻らないだろうと思っていた二人が戻り、「アメリカ人は人を殺さない、投降すれば命は保証される」という言葉が伝えられた。しかし住民逹にはその言葉を信じるすべが何もない。その後の比嘉さんたちの説得がどのようなものであっただろう、困難を極めただろうことは容易に想像できる。その後、一人の犠牲者もなく全員無事に保護され「奇跡のガマ」と呼ばれることになるのである。
                                 (平成29年作)

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蚯蚓鳴く

古文書も元は平易や蚯蚓鳴く



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倫理法人会で書店の社長さんと親しくさせてもらっている。最近は出版や浮世絵の販売などにも力を入れているという。「ひこばえ」の話をしたところ、土日に掛けて読んでくれたようで、すぐさま連絡をもらい会社にまで訪ねてきてくれた。
「面白かったです。最初から最後まで全部読みました。内容も良かったですが、とにかく文章が素晴らしい。一つ一つにオチもあり、ユーモアもあり、楽しませてもらいました。一気に読みました。あのBCGには参りました(笑)」
「BCG?」
「美人の俳人の方ですよ。ノースリーブの肩に痕があったんですよね」
「ああ、そこですか!そこに食いつきましたか(笑)」
黛まどかさんのことである。「他にもっと違う所があるでしょう」と言いたかったが、こればかりは本人の捉え方である。褒めてもらって文句を言っている場合ではない。とにかく絶賛である。加えてこちらは褒められると舞い上がる方である。その後、2時間ほども引き留めてしまい、長々と話をさせてもらうことになったのである。別れ際に社長は自分の会社で手掛けたという書籍をプレゼントしてくれた。私の会社がある「金沢区」を紹介した小冊子と、金沢のマップ(写真)、それに「帰来草」という地元作家の文庫本の3冊である。

早速、次の休日に「帰来草」を読んでみた。副題に「かねさわ かまくら時超え奇譚」とある。作者は松崎雅美さん。1970年生まれと書かれているので45、6才の方である。プロローグが置かれている。読み始めて少し違和感を覚えた。まずは主人公の名前が篠原魔利伽(まりか)である。何だろう、この名前は?凄い名前を付けたものだなぁと思った。最近の当て字による命名にも随分慣れてきたように思っていたが、それにしても魔利伽とは……。
次に称名寺のトンネルから突然発見されたという鎌倉時代の古文書の文体。作者自身も「実に読みやすい」と書いているのだが、あまりの平易文なのには驚いた。ムムムムム……あり得ない……。
「どうしよう、読もうか、読むまいか……」
しかし、社長の顔が浮かんだ。「ひこばえ」をあんなに読んでくれたのである。頂いた本を読まないというわけにもいかない。読まなければ次回お会いした時に話が出来ない。意を決したが、まずは本文に入る前に「あとがき」を先に読んでみることにした。そこには、こう書かれていた。
「私は子どもたちに伝えたいことが山ほどある。だから『帰来草』を書いた。この物語さえあれば、私はいつ死んでも大丈夫。母として子どもたちに伝えたいことも織り込んだ」
子供さん達へのメッセージかぁ、ロマンチックだなぁ、だから平易文なのか……。
                                 (平成28年作)

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