宗教 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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傘雨忌

故もなき芭蕉ぎらひや傘雨の忌



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石川淳選集第12巻「評論随筆」には多くの文人達の死が語られている。「太宰治昇天」「安吾のゐる風景」「敗荷落日」「宇野浩二」「わが万太郎」など、死に際しての思いを語り、交友を振り返っている。
「太宰治昇天」では訃報に接した時の衝撃、入った酒場で太宰を皮肉った青年の一言に激怒するシーン、三鷹の入水現場まで翌日出掛けて行った話などが紹介され、強くその死を悼む筆致で書かれていた。
「それにしても、太宰治といふ今日に掛替の無い作者の死に於て、その天稟も才能もひとしくほろびて、歎ずべし、今後いくたびの春秋にひらくべき花は永く絶えた。惜しいね、きみ、太宰君、べらぼうだよ、何といふもつたいないことをする」と綴っている。
「安吾のゐる風景」ではその交友を語り、生前病を得た坂口安吾の姿を記している。
「安吾の病氣はなにか。はじめ、わたしはその病名を知らなかつた。病院に見舞に行つたとき、安吾はすでに眠つてゐて、其の眠は一カ月つづくべきものだといふ。病名はメランコリイと、主治醫の某氏からきかされた」
眠りから覚めるとまた目まぐるしく活動を始める安吾だったが、何かに追われているような、怯えた気配を示す時もあったという。
「やつらはおれを狙つてゐる。ここまで來る途中も、ずつと追跡された。おれは車を迂囘して、やつらをまいてやつた。一度はあぶなかつた。すんでのことに、やられるところだつた。おい、大きな聲をしちやいけない。ここのうちのまはりにも、やつらは網を張つてゐる。やつらは警察にも、もつと上のはうにも連絡があるんだ。内閣の更迭。おれのやり方次第で、そこまで行くんだ。しつ。足音がする。庭にしのび寄つて來た。きみは知らないんだ。しつ。緣の下に……」
上機嫌な安吾が不機嫌な安吾にすり替わっていく姿に接しながら、愛情深く見守っていたことが綴られている。
それに比べ「敗荷落日」での一文は苛烈なものになっていた。晩年の永井荷風を一刀のもとに斬り捨てている。
「晩年の荷風に於て、わたしの目を打つものは、肉體の衰弱ではなくて、精神の脱落」
「荷風晩年の愚にもつかぬ斷章には、つひに何の著眼も光らない。事實として、老來やうやく書に倦んだといふことは、精神がことばから解放されたといふことではなく、單に隋筆家荷風の怠惰と見るほかないだらう」
そして最後にこの文章で締める。
「日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと緣が切れたところの、一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一燈をささげるゆかりも無い」
迫力のある文章だけにそれぞれの交遊録に重みがあり、とても面白い。
(注)久保田万太郎の章では「万太郎が芭蕉嫌い」と聞いたことへの真意を石川淳が本人に質すシーンがあった。その時の万太郎の答えは「芭蕉は旅と連歌がいい、それを取ります」だったという。
写真は石川淳愛用の帽子とステッキである。
                                 (令和2年作)




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初詣

初詣成田土産の鉄砲漬



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成田駅を出て表参道の商店街の中を20分ほど歩いて新勝寺に到着する。電車の中でいくら飲んだといってもここはピシッとしなければならないところである。手水舎で身を清め、石段を上がり香煙を浴び、本堂に進む。お賽銭を上げて手を合わせる。<昨年はお陰様で良い年になりました。ありがとうございました。今年も商売繁盛、社運隆盛を願っております。よろしくお願いします>
続いて出世稲荷へと進む。それぞれが油揚げと蠟燭を買い名刺を供えて出世を祈る。私はといえばこの頃は下で待っていることの方が多い。そのあと、いよいよ茶店へと向かう。創業者の頃から通っている店である。女将さんが出迎えてくれる。
私「今日はまた混んでますねェ」
女将さん「この時期に混んでいなくっちゃ、しょうがあんめ。ビールでいいの?」
私「まずはビールで乾杯します」
女将さん「ちょっと、ナカゴメの社長さんにすぐビール持って来て!何本でもいいんだよ。まったく気が利かないんだから。5、6本すぐ持って来て。はい、そっちの若いのも早く座って!」
私「相変わらず元気がいいねェ(笑)」
女将さん「元気がなくなったら終わりだよ。それだけでやってるんだから(笑)。会社はいいみたいだね」
私「お陰様で順調です。過去最高益を続けてます」
女将さん「そりゃ何よりだけどサ、自分一人で良くしたなんて考えたら大間違いだよ。ちょっと良くなったら、すぐにみんな勘違いするんだから。お不動様のご加護があって守られてることを忘れちゃ駄目だよ」
私「分かってます」
女将さん「ホントに分かってるの?」
20代で親から店を引き継ぎ、今80才になろうとしている。当社の創業者がお参りに来ていた頃の話をされるのだから頭が上がる訳がない。
女将さん「天慶の乱(939年)のあと、東国(関東一円)の鎮護のためにお不動様をご本尊として創建されたのがこの成田山新勝寺なんだ。1000年以上の昔からやってるんだからご利益がない訳がないだろ。ちゃんとお参りして、この『のり武』で一杯やって、今年も益々商売繁昌、間違いなし!はい、はい、飲んだ、飲んだ」
                                 (令和2年作)




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札納め

お社の細き参道札納



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本丸御殿に到着したのが8時半である。開門が10時なのでどうしたものかである。ひとまず外の空気を吸おうと駐車場に出てみると気温は4℃である。寒い。目の前に大きな石碑が建っていた。「わらべ唄発祥の所」とある(写真)。
<ここはどこの細道ぢゃ 天神さまのほそみちぢゃ>
川越城内の天神曲輪に建てられた「三芳野神社」といい、「お城の天神様」として親しまれてきたそうである。境内を一回りしてみた。地域の人が出て参道などを清掃していた。正月を迎えるための大掃除のようである。「通りゃんせ」についての謂れ書きなどはない。お参りしたあと、車に戻ってから調べてみた。

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

この歌詞の気になる所といえば「御用のないもの通しゃせぬ」であり、「行きはよいよい帰りはこわい」である。少しばかり意味不明ではあるが「この子の七つのお祝いにお札を納めにまいります」は分かるところである。
平安時代に創建された神社であるが、由緒が明らかになるのは太田道灌が川越城を築城し、城の鎮守と祀ったあたりからである。江戸時代以降は幕府直営の社として庇護を受け、1639年の川越城拡張整備により川越城内に取り込まれると一般庶民の参拝が出来なくなった。信仰心の篤い庶民は「お城の天神様」として遠くから拝むだけであったが、それを見ていた当時の藩主が年に一度の神社大祭と七五三のお祝いだけは参拝を許したという。南大手門から入城し、田郭門を抜け、富士見櫓を左手に見て進み、天神門をくぐって直進し、直角に曲がって参道を進みお参りをする。警備が厳しかったことは言うまでもない。まずは入場チェック。密偵などが入り込まないように「御用のないもの通しゃせぬ」となり、退場の際の所持品のチェックはさらに厳しく「行きはよいよい帰りはこわい」となるのである。
                                 (令和2年作)




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漱石忌

黒猫とペルシヤ絨毯漱石忌



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折角の高田馬場なので一駅手前の早稲田駅で降りて「漱石山房記念館」を訪ねてみた。前回、東大、谷根千、根岸と一緒に回った妻には抜け駆けのようで悪いのだが、一駅違いという魅力には勝てなかったのである。地下鉄の駅を出て「夏目坂」を上り下りして、漱石生家跡に建つ碑を眺めたりしてから記念館に向かった。
モダンな建物である。2年程前に漱石生誕150年を記念して建てられたそうである。館内に入るとすぐに受付があるかと思いきや、受付は一番奥にあり、手前に様々な展示物や書棚が置かれ、テーブルに腰掛けて3~4人の女性が本を読んでいた。受付まで進んで入場券を求めた。美人の係員が対応してくれた。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「いや、結婚はしています」
「???……ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ(笑)」
「大丈夫です。危ない人ではありません。夏目漱石ファン1名、お願いします」
「500円になります(笑)」
最近こんなに受けのいい人は見たことが無いというほどに笑ってくれた。無料の音声ガイドも首に掛けてくれた。
「使い方は分かりますか?」
「ニャ~」
「ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ(笑)」
最初に訪ねたのが漱石先生の書斎である(写真)。庭には好きだったという芭蕉や木賊(とくさ)が植えられている。男性が待機していていろいろと説明してくれた。ペルシャ絨毯の上に書籍が積まれている。おそらく探し物をする度にその山が崩れて大変な思いをしたことだろうと想像した。そしてその絨毯を見て前日の家族とのやり取りを思い出していた。絨毯を掃除する時の掃除機の正しい掛け方についてである。
私「そういえば掃除機の正しい掛け方って知ってる?テレビでやってたんだけど、95%の人が間違った掛け方をしているらしい」
妻「知らない。そんなのがあるの?」
私「あるよ。まず今、どうやって掛けてるの?」
妻「普通に掛けてるよ」
私「前後に押したり引いたりしてるんだろう。ほとんどの人がそうやっているんだけど、それが大間違い」
娘「そうなの?正解は?」
私「折角の掃除もやり方を間違っては綺麗にならない。ムダな作業になっている」
娘「もう、勿体ぶって!おーちゃんが掃除をしているのを過去一度も見たことが無い!」
妻「そうよ、そうよ。掃除のことを貴方にだけは言われたくない!」
違う方向に話が逸れそうになってしまった。
私「正解を言うよ。掃除機は引く時に一番吸い込みが良く、押す時には力を発揮しないんだって。すなわち、掃除機は引いて使うものなんだよ。押すはいらないんだよ」
二人「おー、なるほどね。知らなかった」
私「取扱説明書には必ず書いてあるんだって。何事にも正しいやり方があるということだよ」
妻「だから、貴方にだけは言われたくないって」
教えてやって文句を言われるのだから割に合わない(笑)。
                                 (令和元年作)
(注)夏目漱石は大正5年12月9日に亡くなっている。




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酉の市

亡き人に会へる気がして酉の市



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土曜日の朝、会社に向かう途中で知り合いの社長が車のトランクから大きな熊手を取り出しているのを見かけた。
前日8日は酉の市である。急停車して声を掛けた。
「随分と大きなのを買って来たねぇ(笑)」
「ああ、おはようございます(笑)。毎年の恒例にしています」
「またガッツリと掻き込もうってんだ(笑)」
「日向さんとこほどじゃありませんよ(笑)」
会社に到着してすぐに社長から電話が掛かってきた。
「これを買っておかないと落ち着かないんですよ」
「あれでいくらするの?」
「9万円です」
「9万!随分するもんだねぇ。縁起物だから値切りは出来ないんだ」
「いや、値切った値段ですよ。でも引いてくれたらまた御祝儀を包まなくちゃならないんです。1万円引いたら5000円包むって感じです」
「でもまぁ、それがあるから安心して商売やっていけるんだろうなぁ」
「そうなんですよ。オヤジが毎年行ってまして……それを引き継いだようなもんなんです。オヤジは亡くなる前の年の酉の市に足が痛いからって行かなかったんです。いつも行ってたのに……」
「えっ、そうなの?」
「だから続けておかなくっちゃと思うんですよ」
「ああ、それは間違いないなぁ。ということは会長もお酉様に行っておけば亡くならずに済んだかも知れないということかぁ……」
「そういう訳でもないんですが……」
そのあと会社でこの絵を描いた。とてもお世話になった会長のことを思い出しながら描いていた。描き終えてメールで送信した。
<イヤイヤ、熊手が上手く描けていません>という文章を添えた。
社長からは<さすがは、かじがやごろぉさんの門下生。上手いもんですねぇ>と返ってきた。
私のブログをしっかり読んでいてくれているようである。感謝、感謝(笑)。
翌11月10日(日)は前回台風のため中止になってしまった「スケッチ会」が開かれることになっていた。
2ヵ月ぶりのごろぉ先生との再会である。出掛けてきた。
                                 (令和元年作)




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