宗教 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


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生身魂

生身魂斯くもよく食べよく喋る



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6時過ぎにチロルを出て、車で15分ほどの滝川に向かった。ジンギスカンを食べようというのである。
「北海道に来てジンギスカンを食べない訳にはいかないだろう。チロルでの夕食もいいけど、やっぱりジンギスカンがいいよ。『災い転じて福と為す』だ(笑)」
しかし、車の中でカズ君が「ジンギスカンは食べたくない」と言い始めた。<どうして食べたくないのだろう?食べたことがあっただろうか?>と思った。昨年のトマムで食べていることが分かった。<記憶力がいいなぁ>と思った。「ジンギスカンは美味しいよ。もし、いやでも他のものもあるから大丈夫」と娘が説明している。
久し振りの松尾ジンギスカンである。奥の個室のような場所に通された。いろいろと注文してカズ君にも「美味しいから食べてみて」と勧めている。しばらくして「美味しい!」が出た。「どうして食べたくないと思ったの?」「前に食べた時、美味しくなかった。ここのジンギスカンは美味しい!」
<おいおい、そんなに味が分かるのかよォ>と思ったが、確かにこの美味しさは子供でも分かるかも知れない。
90才になる母も食べる。「まだ誕生日前だから90にはなっていない」と言いつつも凄い食欲である。
娘「おばあちゃん、よく食べるねぇ(笑)」
母「したって、こんなトコに来ることないっしょ。一人で肉焼いたって美味くもなんともないもんだァ(笑)。昔からここの味は変わってない。肉にタレを浸み込ませてるから美味いんだァ」
初めに注文した分はすぐに食べ終えたので同じ量を追加した。本当によく食べる。
妻「お母さん、デザートを頼むけど何がいいですか?」
母「何でもいい。みんなと同じものでいい」
完食である。肉はもちろん、ご飯、うどんと平らげて最後にソフトクリームを食べている。この食欲が長寿の秘訣のようである。
                                 (令和元年作)




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神輿

鎌倉の道堰き止めし神輿かな



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7月13日(土)、会社には午前中だけ顔を出し、一旦家に戻って3時半に大磯に向けて出発した。「5時半まで来て下さい」とのことだったので、2時間もあれば大丈夫だろうと思ったのだが、鎌倉を甘く考えていたようである。朝比奈峠を下った所から渋滞が始まった。<事故でもあったのだろうか?>いつもは混むような場所ではない。少しずつ進んでようやく「岐れ道交差点」まで辿り着き、八幡宮前の道は避けて裏道に入ったが、そこもまた渋滞である。あっという間に4時半となり、カーナビが示す到着予定時刻がすでに5時半を回ってしまった。
「夕食は6時半と言っていた。1時間は風呂にでも入ってという意味だろう。最悪6時半に遅れなければ良しとしよう」
妻に語りかけながら自分に言い聞かせていた。遅刻するのがとても嫌いなタイプなのだが、渋滞に嵌まってしまっては諦めるしかない。<江の島あたりまでこの調子かなぁ>
途中で電話を入れた。「6時半にはならないと思うけど、遅れます」
渋滞の原因はお神輿だった。道路を堰き止めていたのである。しばらくして急に動き出した。遠くに見える赤信号に向かってドンドン車が進んでいく。<どうなっているのだろう?>交差点に進入すると法被姿の男たちが神輿を担いでワッショイ、ワッショイとやっている。<夏祭りかぁ。気が付かなかった>お陰で「翠渓荘」には20分遅れの5時50分の到着となってしまった(写真)。
昨年同様、女将さんや着物姿の女性が待っていてくれた。
「遅れまして申し訳ありません」
「とんでもございません。お時間はたっぷりとございますので、どうぞごゆっくりお寛ぎください」
10ヵ月前にお世話になった女将さんと久しぶりの対面である。
「社長、大丈夫です。ウチの所長がまだ横浜にいます。6時半には間に合うと思うんですが、その間、ゆっくりと風呂にでも入っていてください(笑)」
営業担当のSさんが笑顔で迎えてくれた。
「なんだ、そうだったのか。言ってくれればもっとゆっくり走って来れたのに。江の島から大磯まで信号無視の時速100キロだったよ(笑)」
「ヒャー(笑)」
                                 (令和元年作)




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夏越祭

夏越祭前のこの海このしづけさ




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先日、工場を歩いているといつも私のブログを読んでいてくれるK君から声を掛けられた。
「社長、梅が咲いていたんですか?」
「梅?ああ、梅ね。梅の花じゃなくて梅の実だよ、青梅。梅の実が生っていたんだよ」
「そうなんですか。なんで梅なんだろうと思いました(笑)」
6月28日のひこばえ「梅は実に天神様は坂の上」を読んでくれてのことである。
「天神様って菅原道真のことだよ。学問の神様。その天神様には必ず梅の木が植えられているんだよ」
「へぇ~、そうなんですか」
「そうだよ。菅原道真が詠んだ和歌に有名な梅の歌があるんだよ。え~と、有名だと言いながら、すぐに浮かんでこない(笑)。とにかく、天神様と梅とは切っても切れない関係なんだよ。天神様の句に違う植物を持って来てもなかなかいい句は出来ない。俳句ってそういうものなんだよ」
「結構、奥が深いですね」
「そうでもないけどね(笑)。天神様にお参りして俳句の題材はないかとキョロキョロする。一句、作りたいと必死だからね(笑)。狛犬があったり、大きな牛の置物があったりする。源頼朝が腰掛けた石なんかがあったりして注連が張られている。普通の俳人ならこの辺りでスラスラと出てくるところかも知れないけど、才能がないんでそう簡単には出てこない(笑)。見ると梅の木がある。近づいてみると実が生っている。ああ、『梅は実に』だぁ。やっとここで季語が決まる」
「ふ~ん」
「季語が決まれば、あとは簡単。どうとでも作れる。あの天神様の特徴は急な石段を上っての高い場所だからね。自ずと『天神様は坂の上』ということになる。大した句じゃないけど、あの石段を上ったことは私も妻も忘れないだろうから、この句を見ればあの天神様を思い出すということになる。俳句は自分史だからね。思い出づくりだよ」

K君が私のこのブログを読むようになったのは平成26年7月21日付のひこばえ「夏越」からである。地元の富岡八幡宮で行われた「祇園舟」というお祭りに当時小学1年生だったお嬢さんと一緒に来ていたK君と出会い、「祇園舟のことを書くから読んでみて」と頼んだのが契機となって読むようになってくれたのである。先日そのお嬢さんとも5年振りで会うことが出来、とても可愛らしい6年生になっていて月日の早さを覚えたものである。
                                 (令和元年作)




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一葉忌

「なつ」の名を記す質札一葉忌



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行きに見つからなかった「一葉の碑」を帰りには簡単に見つけることが出来た。「一葉樋口夏子碑」と彫られた石碑と「樋口一葉終焉の地」と書かれた説明文が建てられていた。明治5年の生まれで亡くなったのが明治29年、わずか24年の生涯である。「本名は奈津。なつ、夏子とも称した」と書かれていた。死因は肺結核である。
「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」「ゆく雲」など珠玉の名作は亡くなる直前の2年間に書かれたもので「奇跡の2年」と言われているそうである。その中の「にごりえ」は白山の遊女を描いたものである。遊郭「菊の井」の看板娘「お力」が、彼女のために落ちぶれて妻子とも別れた源七と情死するまでを描いている。内容も然ることながら文体が素晴らしい。雅文体というらしいが、一つの文章が長く、句点を連ねていつまでも続き、読点が驚くほど少ない。会話も鍵カッコを使わず、地の文に組み込んでいくのでとても滑らかな印象を与える。名作と言われる所以であろう。極貧の生活の中で、必死に書き上げて行く姿が目に浮かぶようである。
碑を見たあとは一葉の旧居跡を目指したが、その途中に一葉が通ったという質屋があった。「伊勢屋質店」といい明治2年の創業である。昭和57年に廃業していたが平成27年にとある学校法人が買い取り、今は建物内部を無料で一般公開してくれている。一葉が亡くなった際にはその質屋の店主から香典が届けられたという。入ると女性が室内を案内してくれた。中での写真撮影は禁止されていたが目を引いた一葉の文章があった。明治26年5月2日の日記である。質草を包んで行こうとする様子を井原西鶴の句などを引いて自嘲気味に綴っている。
                    *******
母君と共に摩利支天もうでに趣く。家主西本来る。かきを結ひ直さんことのおくれたるを言ひになり。此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ、羽織二つ、一風呂敷につゝみて、母君と我と持ゆかんとす。

長持に春かくれ行くころもがへ

とかや、誰やらが句を聞し事あり。其風流には似ざるもをかし。

蔵のうちにはるかくれ行くころもがへ              
                                 (令和元年作)




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荷風忌

荷風忌が過ぎ臘梅は実となりぬ



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松本哉著「永井荷風の東京空間」には生家のすぐ先に「鶯谷」という場所があり、「小径は忽にして懸崖の頂に達し、紐の如く分れて南北に下れり」と荷風先生が書いていると紹介していた。「その場所に立つと荷風先生が書いた文章そのままの風景が現れたのには驚いた」とも書かれていた。行ってみるしかない。本には手書きのイラストの地図まで載せてくれているので迷うことなくその場所に到着した。
「???」
<ムムム、それほどの場所でもないじゃん!>
なるほど、小道は突然のようにして崖の上に達してはいるが下に民家が立ち並び、道より高いマンションや二階建ての家に遮られて崖の上という感じがしない。なるほど、道は二方向に分れてはいるが、舗装され、ガードレールが出来ていて「紐の如く」という風情ではない。荷風先生が見た光景から100年も経っているのだから期待した方にこそ無理があったようである。はるか彼方に富士山でも見えただろうと想像力を働かせるのが精一杯のところであった。またまた松本氏の文章に乗せられたようである。しかしその途中で思いがけない物を発見した。写真の蕾である。何の蕾か、はたまた実か、さっぱり分からないが形が面白い。一つ捥いでみようかとも思ったが、人様の家のものである。
私「あれは何かの蕾だろうか?それともあれはあれで完成形で、ああいう物なのだろうか?」
妻「何かの実じゃないの」
私「実かなぁ。何の実だろう?初めて見た」
もちろん図鑑を持ってきた訳でもなく、スマホで検索しても容易には見つからない。少しモヤモヤした気持ちになりながら「伝通院」へと歩いていった。家に帰ってパソコンで「何の実、画像」と検索してすぐに「ソシンロウバイの実」であることが分かった。荷風先生の日記に何度も登場する臘梅である。

伝通院へ向かう道を歩きながらの会話である。
私「人間、たまたま何何をした日に何何に出くわしたなんてこと、あるよね」
妻「何のこと?」
私「いや、荷風先生が何十年か振りでこの伝通院を訪ねた日にとんでもないことが起こるんだよ」
妻「なに?……」
私「荷風先生がアメリカ、フランスに渡って帰国したのが29才の時。外遊して帰るんだから意気揚揚としたもんだろうと思いがちだが、実際には家にも帰りたくない気分。将来が見通せなかったんだと思う。船が神戸の港に近づくに従い、逃げ出そうかと思ったとも書いていた。着くと港に弟が迎えに来ていた。父親から出迎えに行くように言われたらしい。家では帰還のお祝いなんかをしてもらうんだがその後が宜しくない。厳格な父親から<詰まらない職業に就くくらいなら、屋敷内には場所も食べ物もあるので外に出ないでいてくれ>と言い渡される始末。まぁ、しばらくは籠って小説でも書いていたんだろうなぁ。そんなある日、伝通院まで散歩をするんだよ。<何年振りだろう>などと感慨に浸っている。そしてその日、家に帰って眠りに付いた頃に伝通院は燃えてしまうんだよ」
妻「ほんと!」
私「そういう偶々って、あるよね」
妻「あるかなぁ?」
                                 (令和元年作)




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