地理 - ひこばえ
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ひこばえ


地理 カテゴリーの記事

枯岬

かはらけの跳ねて砕けし枯岬



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年末に出掛けた旅を長々と書いてしまったが、ようやくこれが最後の記事となる。
道の駅で鮒寿司を買って上機嫌で向かったのが長浜港である。そこから「竹生島(ちくぶじま)」に渡ろうというのである。<城ばかり見てきたので最後は島を巡るのもいいだろう>との思いつきである。「神の棲む島」と言われ古来より信仰の対象とされてきたと書かれている。島の弁天様は日本三大弁天の一つである。行くしかないと思った。
船に揺られること30分。小さな港に着いた。係員の係留を待ってゾロゾロと乗客が降り、それぞれがバラバラに先へと進んでいく。何の案内もない。後に付いていくと宝厳寺拝観の受付があり、自販機で切符を買う。かわらけ投げの受付もあったが、何のことか分からずパスをしてしまう。下調べなしというのは後悔の元である。<投げてみたかったなぁ>と旅の最後に小さな悔いを残してしまうことになってしまった。
石段を登り、本堂の前に。弁天様を拝み、小さな姫ダルマに願いを込めてお参りした。その周辺には不動明王、三重塔、宝物殿などがあり、中に入っても何かと気忙しい。時間に限りがあるのでゆったりと見学という訳にはいかないのだ。そそくさと見て回り、次なる観音堂へと向かう。国宝の唐門は見所だが、生憎の修復工事中で覆いがされて見ることが出来ない。中の通路もベニヤ板で養生され、工事作業中。千手観音があったはずだが、見たのだか見なかったのだか。なにやら悪い時に当たったようである。それでも重要文化財の船廊下だけはさすがに趣があり、豊臣秀吉の御座船の船櫓を利用したと聞けばなるほどとも思えてくる。都久夫須麻神社本殿は国宝である。見事な装飾にしばし見取れる。その先に龍神拝所があり、かわらけ投げの場所である(写真)。何人かが願い事を書き入れ、遠くの鳥居目掛けて放っていたが、いずれも届かずじまい。そう易々と願いを聞き届けてくれるものではないらしい。時計を見ながら少し慌て気味に港に戻る。「琵琶湖周航の唄」の碑など見たのち船に乗り込む。滞在80分。ガイドのなしの慌ただしいばかりの竹生島見学になってしまったが、これも旅の思い出である。暮れ押し詰まっての2泊3日の旅。走行900キロ、最後は渋滞に巻き込まれての帰路となった。
                                 (平成30年作)




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雪野原

もののふの声とも風の雪野原



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関ヶ原古戦場は一面の雪野原だった。道路もタイヤ2本分を残して雪に覆われている状態である。ゆっくりと走りながら「笹尾山交流館」という建物の場所まで到達した。笹尾山とは石田三成が本陣を構えた場所である。交流館は生憎の休館日だった。<甲冑体験>の看板が出ていたので<雑兵にでもなってみたかったのに……>と思ったものである。
途中に「決戦地」の幟が立っていたのでその場所まで歩いてみることにした。近づくに従って幟が風にはためく音がパタパタと聞こえてきた。凄い風である。石田三成の「大一大万大吉」と徳川家康の「三つ葉葵」の幟も風に吹き千切られそうである(写真)。大きな石碑と説明書きの看板が建てられていた。そこに書かれていた文章である。
「(略)小早川秀秋が寝返りを決意し、迎撃した大谷隊は善戦むなしく壊滅、西軍は総崩れとなる。その時ここ決戦地一帯は、最後に残った石田隊や島津隊に押し寄せる東軍諸隊で埋めつくされていたと考えられる。東軍の最後の一押しに石田隊もついに壊滅、島津隊は家康の本陣を横切り敵中突破して戦線を離脱して戦いは終わる。天下分け目と言われる国内最大級の戦いは、わずか半日程度でその幕を閉じた」

その場所から笹尾山の方向に幟が立ち馬防柵が並んでいるのが見えた。島左近の陣地である。堺屋太一著「巨いなる企て」、私が時代小説を読む切っ掛けとなった本である。その中で大好きになった島左近である。20㎝ほど積もった雪の中に人の足跡がいくつか続いていた。その足跡を辿りながら陣地まで上っていった。三成に三顧の礼をもって迎えられ「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と言われたほどの逸材である。<ここで戦い、ここで果てたのだなぁ>と思いながら、しばらく眺めていた。
三成の本陣跡はそのすぐ上である。風は強かったが天気は最高である。<雪晴れ>とでも言うのだろうか、関ケ原を一望するのには打ってつけの天気である。見晴らし台が作られていた。「関ケ原古戦場 史跡位置図」という写真入りの看板があり、東軍西軍の配置が分かるようになっていた。家康の桃配山が見える。小早川秀秋が陣取った松尾山も見える。島津が最後に敵中突破して向かった伊勢街道の位置も分かる。
見晴らし台に他のお客を案内してガイドの人がいた。その説明を聞くでもなく聞いていた。
客「三成の大一大万大吉の意味は何ですか?」
ガイド「一人が万人の為に、万人が一人の為に力を尽くせば世の中は吉となり、太平の世が生まれるという意味です。後世ではとかく悪役に見られがちな三成ですが、佐和山の領民には慕われていたそうです。主君である秀吉が亡くなった後も忠節を尽くし、民の為に心砕いた人だったことが、これからも伝わってきます」
風の音のなかに<もののふ>と呼ばれた武士たちの声が聞こえて来るようだった。勝鬨もあり、啜り泣く声もあった。
                                 (平成30年作)




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秋山路

人ごゑの絶えてこれより秋山路



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神社を出てしばらく進むと、山歩きの姿をした人達が屯する休憩所に到着した。いよいよ登山コースの入口のようである。ケーブルカー駅に置いていた簡単な地図しか持っていなかったので、まずはコースの書かれた看板の前に行ってみた(写真)。何も計画していなかったので歩き方が分からない。無難で安全なコースはどこだろうという目で眺めていた。鍋割山という名前が書かれていた。まさかあの鍋割山ではないだろう。1年前の遭難一歩手前のことが脳裏を過ぎった(平成28年12月16日、ひこばえ「冬近し」)。名前が名前だけにそのコースは大変なような気がした。距離もある。前回の山歩きと違い、今回は準備を一切していない。ハードなコースは避けるべきである。このコースは真っ先に除外された。
残るは「綾広ノ滝」へ進むコースと「岩石園」もしくは「七代ノ滝」のコースである。よく眺めてみると「綾広ノ滝」と書かれたそのすぐ上に「上り1時間50分、下り1時間20分」の表示がある。「えっ、この距離でそんなに時間が掛かるの!」まずはこの地図の縮尺を疑った。いやいや縮尺ではない、急斜面かどうかである。見ると緑色に塗られた部分に濃淡がある。緑色の濃さで難所かどうかが想像出来る。
「おー、ヤバイ、ヤバイ、凄いコースを選んでしまうところだった」
地図の上ではそれほどの距離に見えなくても、這い上るようにして進むコースもあるのだ。緑の濃いコースとはおそらくそのようなコースだろう。「綾広ノ滝」コースはそんな理由で除外された。そうなると「岩石園」と「七代ノ滝」を右に回るか左に回るかの選択である。
昔一人で大菩薩峠を歩いたことがあった。今から11年前のことである。会社に山登りの好きな人がいて、初心者向きだからと勧められたのだった。スポーツ用品店で山登りの道具一式を買い込んで準備万端整えた。行く前に言われたのが右回りと左回りのコースがあることである。右回りは最初に急坂を上り、あとはゆっくりと下りて来るコース。左回りはゆっくりと上って行き、最後に急坂を下ってくるコース。最初に苦しむか、ダラダラと苦しむかの違いのように聞こえた。私は最初に苦しむコースを選んだ。嫌なことは早く終わらせてしまいたい方である。現地に着いてすぐに上り始めた。初めての山登りである。いきなり崖面である。すぐに息が切れて想像以上の難所の前にたじろいだ。そこに雨が降ってきた。天気予報では晴れだったのだが、いきなりの雨である。買ったばかりの雨具を着たが、急坂ではそれが暑苦しい。崖を上る苦しさの前では雨具は着ても着なくても一緒である。泣きそうになりながらもようやく頂上に到達したのだった。
看板の前であの時のことを思い出していた。今回は左回りを選ぶことにした。
「よし、決めたよ。滝までゆっくりと降りていくコースだよ」
                                 (平成29年作)

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夏山

夏山に来て笠売りに囲まるる



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ホアルーに到着した。気温は37度を超えている。「帽子と水分補給だけはお願いします」とハンさん。30分ほど歩くという。全員、帽子を持っていると思ったが、一人だけ持っていない人がいた。男性である。この時点ではまだ名前も知らない。自己紹介、挨拶をするタイミングがないのだ。バスを降りるとすぐに帽子売りが寄ってきた。帽子というより笠である。帽子を被っている私にも寄ってくる。「ある、ある」と言って帽子を指さしてみても何とか買ってもらおうと必死である。男性の所へは二人掛かり三人掛かりで取り囲んでくる。それでも男性はいらないと言っている。しかし、ここは買っておいた方が良さそうな気がした。凄い日差しなのである。本当に日射病にもなりかねない。しかし男性は振り切った。日本から持ってきたと思われる小さな団扇を懸命に煽いで寺院の方へと向かったのである。
この場所には中国からの支配を脱し、初めてベトナム王朝を建国した初代皇帝と二代目皇帝が眠っていた。小さな霊廟だったが、ベトナム観光には欠かせない場所のようである。入り口に門柱が建っていた。龍の造形が施されていて立派なものである。
「龍は繁栄を意味します。この国の繁栄を願ってくれています。そのほか鳳凰は幸、亀は長寿、獅子は力を意味します。中国から来たものでしょう。長い間ベトナムは中国の支配を受けていました。柱には漢字が書かれています。しかし今のベトナムの人は勉強をしません。漢字を読める人はあまりいません。残念なことです」とハンさん。
中をお参りしてまた同じ道を戻ってきた。待っているのはまたまた笠売りである。この笠、ノンラーというらしい。ラタニアという木の葉で出来ていてベトナムの象徴のような存在である。よく映像で見たベトコン(南ベトナム解放民族戦線)はこのノンラーと黒い農民服を着ている。
今度は男性、いきなり買う様子である。この暑さに相当に参ったようである。なにせ、これからチャンアンクルーズが待っている。帽子無し笠無しでは耐えられるものではない。写真は交渉の結果、紙幣が受け渡される瞬間である。
「いくらで買いましたか?」
「1ドル」
「あれっ、さっきよりも安い。さっきの人は30,000ドンと言っていた。やりますねぇ(笑)」
10,000ドンが日本円50円である。30,000ドンなので約150円のところを1ドル100円で買った訳である。大幅なプライスダウンだが、30分を無帽で歩く辛さを考えれば、やはり早く買っておくべきだったような気がする。笠売りの商売がここでは成り立つことを目の当たりにした。
                                 (平成29年作)

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夏川

夏川を越え農道にペダル漕ぐ



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来福寺を出て白旗神社へ向かった。ここも和田義盛を祀る神社である。一応地図は持っていたがそれほど詳しいものではない。地図よりも頼りになるのが「三浦半島の史跡みち」という本である。作者の手書きの地図が書かれていて説明文もあるので今回の旅ではとても役に立ったのである。しかし、来福寺を出て走った道は畑の中である。右にも左にも行ける道ばかりで、目指す白旗神社へは近づいているのかどうかさえ分からなくなってしまった。途中、畑仕事をしている人がいたので聞いてみることにした。
「すみません、ちょっと道を教えてもらいたいのですが……」
「……」
「白旗神社に行きたいのですが……」
「……」
最初、何も言わないで近づいてくるので声を掛けたことに怒っているのかと思った。70才位の男性である。ムッとしているようにも見えたが、そうでもないらしい。地図を見て、どう説明しようか迷っているようである。ようやく行く方向を指で差し示してくれたが、どこをどう曲るかとなると口では言いづらいらしい。
「あぁ……うぅ……」
唸りながら私の地図の上に指を置いたが、その瞬間ボタボタとその上に顔の汗を落とした。慌てて拭おうとするが、手が汚れているので却って酷いことになる。
「大丈夫です。自転車屋でもらってきた地図ですから気にしないでください……」
三浦の人は口が重いのかも知れない。分かったような分からないような道案内にお礼を言いながらも、その人が言った「大き目の碑が立った曲がり角を曲る」を目指して自転車を進めることにした。スマホでナビが使えるはずだが、使い方を知らないのでこういうことになるのである。今度、教えてもらうことにしよう。
結局は男性に教えてもらった通りの道を走り、迷うことなく白旗神社に辿り着いたのだから感謝するばかりである。それにしても農道というのは分かりづらい。
                                 (平成29年作)

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