地理 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


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冬の浜

鳴き砂を鳴かせ師を恋ふ冬の浜



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2日目の行程は丹後半島をバスで周遊して城崎温泉に入るというものだったが、「伊根の舟屋」のあとも見どころ満載のコースとなっていた。伊根の舟屋─経ヶ岬─丹後松島─屏風岩─大成古墳─立岩─琴引浜─玄武洞公園─城崎温泉と見て回るコースである。写真で見る限り、玄武洞は凄い迫力がありそうに見えたが、あとは余り心動くようなものはなさそうである。ただ、琴引浜の「鳴き砂」にだけは興味があった。道川虹洋先生の句に「己が影踏むや砂鳴く浜の秋」があり、句会に出された時に<どこの砂浜に行ったのだろう>と思ったことを覚えていたのである。
大成古墳を歩いている辺りで雨が降ってきた。天気予報では晴れだったが山陰の天気は変わりやすい。ガイドさん曰く「弁当を忘れても傘忘れるな」が丹後地方の教えのようである。天気雨のようだったが心配していた。「雨が降ると砂が鳴かない」とガイドさんが言っていたからである。<鳴き砂の浜に行って砂が鳴かないのでは困る!>
幸い、雨も小止みになって琴引浜に着いた時には晴れていた。ガイドの男性も「大丈夫です」と言って砂浜に案内してくれた。きれいな砂浜である。そこで泣かせ方を披露してくれた。写真はその時のものである。「砂を鳴かせて秋惜しむ」というのも先生の句である。亡くなって7年が経つが先生への思いは尽きない。先生の姿を思い浮かべながら砂浜を踏みしめていた。
玄武洞は想像以上に凄いものだった。自然が造ったものというのは人知を超えて美しいものである。何枚も写真を撮ったが、あの迫力を伝えることの出来る一枚はとうとう手に出来なかった。偉観を呈するとはあのようなものをいうのかも知れない。
ようやく宿に到着である。バスの中で説明があった。
添乗員さん「城崎温泉では3つの宿に分かれてご宿泊いただくことになっております。内2つの宿は温泉街の中にありますが、1つは少し離れた場所となります。外湯に入っていただく場合でもマイクロバスでの送迎になります。これからそれぞれの宿の割り当て表をお配りいたします」
私「ん?<つたや旅館>じゃなかったの?我々はどこの宿に泊まるの?」
妻「ショウガナイでしょ。ちょっと大人しく待っててよ」
私「少なくても、そのマイクロバス送迎の宿っていうのだけはイヤだなぁ」
妻「そうよねぇ。そうならないことを祈りましょ(笑)」
結果として我々が割り当てられたのはそのマイクロバス送迎の宿であった。
第1班と第2班が温泉街の真ん中で降りた時、残された第3班の人達の暗いこと。温泉街を通り抜けて山の方へどんどんと上って行くにつれ「これじゃ歩けないなぁ」とか「外れだなぁ」という声も聞こえて来た。旅館の名前が「つたや晴嵐亭」である。「つたや旅館」とは違うようである。
私「桂小五郎の宿じゃなさそうだなぁ……」
来る前に注文しておいた「幾松という女」という本が家に届いている頃である。
                                 (令和元年作)




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枯山

枯山となりて鬼棲む大江山



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山頂公園を出て次に向かったのが与謝野町にある「丹後ちりめん街道」である。しかし走り出してすぐに眠ってしまったようである。目が覚めた時にバスガイドさんが話していたのが酒呑童子についてであった。
<なになに、酒呑童子?大江山?>
ちょうど語り終えたところだったようで、すぐに目的地到着の案内に変わってしまった。
<ひゃ~、聞き逃してしまった。大江山も見逃してしまった。ああ、ヤバイヤバイ……>
寝起きの朦朧とした頭で「ちりめん街道」まで歩き、あまり見るべき所もなくバスに戻ってガイドさんに話し掛けた。
私「酒呑童子の話、聞き逃しちゃったよ(笑)」
ガイドさん「ちょうど食事の後でしたからねぇ。グッスリとお休みでした(笑)」
前から4番目の席でガイドさんの真正面に座っていた。
私「もう大江山は見られませんか?」
ガイドさん「明後日の帰りに京都丹後鉄道に乗ります。その時に車窓から見えますよ」
私「丹後に来て大江山を見ないで帰るなんて考えられないよね」
ガイドさん「そうですか?」
私「大江山生野の道の遠ければ……だから」
ガイドさん「そうですよね。その話もさっきさせていただきました(笑)」
私「ああ、そうなんですか。いやぁ、残念だったなぁ」
「ちりめん街道」を出てホテルに向かう手前で天橋立を対岸から臨む「雪舟展望台」に立ち寄った。時刻はすでに5時を回っていて日が落ちる寸前である。長い階段を上り切って天橋立を眺めたがよく見えるものではない。増して小屋の天井に掲げられた雪舟の描いたという絵などは暗くて何も見えない。コースにあるので寄ってはみたが……ということになってしまった。
宿泊は10階建てのマンモスホテルである。天橋立に向いて山の中腹に聳えている。しかし大人数を処理するための施設となっていて食事もバイキングである。<日本三景に来てこれではなぁ>と団体旅行の悲しさを味わうことになってしまった。隣の席で大声を出して騒いでいるのは外国人ではなく日本人である。
「団体の酔っ払い客はよくないなぁ」
早々に食事を終えて1階にある土産屋に立ち寄った。見るでもなく買うでもなくフラフラしていると「酒呑童子」と書かれた日本酒を見つけた(写真)。聞き逃してしまったことを思い出しながらこの写真を撮っていると後ろから不意に声を掛けられた。
男性「何か謂れのあるお酒なんですか?」
私「いえ、バスの中で酒呑童子の話を聞き逃したものですから……」
同じバスの人だったかどうかも分からず、ただ反射的に思っていることを口にしてしまった。後で思えば、たとえ同じバスの人であったとしても到底理解されそうにない答え方である。聞き逃したことを相当に悔やんでいたことだけは確かである(笑)。
                                 (令和元年作)




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冬の湖

それぞれに色変へてゐる冬の五湖



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新幹線の指定された席に座るとすぐに添乗員の女性が声を掛けてきた。
女性「お早うございます。添乗員の加福と申します。3日間よろしくお願いします」
私「お早うございます。加福さんとはまた珍しい名前ですね。どちらのご出身ですか?」
女性「生まれは青森ですがルーツは分かりません。大阪あたりに何名かいるようですので、添乗員をやりながら自分のルーツを探しています(笑)」
「また余計な話をして」と隣から言われそうなのでそれくらいで切り上げて、弁当のことやオプションのことなどについては妻に任せた。名古屋の一つ先の岐阜羽島駅までである。「ひかり」には乗ったことがあっても「こだま」にはない。名古屋まで新幹線で1時間という頭があるので2時間40分を要して到着した時には驚いたものである。各駅停車とは悠長なものである。今回の旅行の3日間が乗り物ばかりに揺られていたようなコースだったので、この各駅停車はその象徴のようなものである。実に腰掛けている時間の長かったこと。岐阜羽島駅からバスに乗り込みホテルに到着したのが5時半なので北海道や沖縄よりはるかに遠い丹後ということになった。
バスは関ケ原を抜けて、伊吹山を見ながら琵琶湖沿いを走り、三方五胡レインボーラインを走った。途中で立ち寄ったのが「レインボーライン山頂公園」という場所である。この山頂に立てば三方五胡全景はもちろん日本海まで見渡せるという。登らない訳にはいかない。ケーブルカーでもリフトでも団体割引料金700円は自己負担である。バスの外に出ると風が冷たい。リフトに揺られながらも手が悴んでくることが分かる。相当なる絶景を期待した。
「オー」
眼下に広がる三方五胡の美しさは格別である。ここまで観光客を運ぼうという理由も分かるような気がした。しかしその山頂にあまりに多くのものを詰め込み過ぎているような気がした。5分もあれば一回りできそうなスペースに展望台2ヶ所、足湯、恋人の鐘、和合神社、かわらけ投げ、薔薇園、野外彫刻、トイレ、売店、カフェ、休憩所、天狗堂、めだかの池などが隣り合いながら並んでいる。来場客に喜んでもらえそうな物を<これでもか、これでもか>と揃えたようである。昨年までは「カブトムシの館」まであったという。
その中でも特に私の心を捉えたものがあった。「五木の園」と題された五木ひろしの記念碑と「倖せさがして」と彫り込んだ立派な石碑である。記念碑に記された「世界のエンターティナー」という表現には心から賛同する一人である。<もう少し書きようがあるだろう>と思うような文章ではあるが世界のエンターティナーのためにもここに載せておくことにする。
『この五木の園の製作にあたり当地出身の五木ひろしさんのふるさとを愛する心とその功績を讃え世界のエンターティナーに最もふさわしい場所と考え三方五胡を背景にした絶景の地を選びました。この地と共に親しまれることを祈念して建設致しました。訪れる方々にこの地で一瞬でもふるさとを想いうかべていただけたら幸せに存じます』
旅行中ずっと「倖せさがして」のメロディーが頭から離れなかったのには少々閉口するところとなった。
                                 (令和元年作)




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秋の浜

腰掛ける木切れ拾ひて秋の浜



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会社では横浜市勤労者福祉共済(略称、ハマふれんど)に加入している。定期的に会報が配られて来て従業員の福利厚生に役立っている。観劇、音楽鑑賞、スポーツ観戦、旅行、各種イベントなどの割引券や補助、様々な給付金支給など内容は多彩である。昔、一度だけ利用したことがある。30年ほど前、子供たちがまだ小学生だった頃、箱根の旅館に宿泊する時に使ったのである。箱根登山鉄道の強羅駅の近くだったと思う。宿の名前を「ゐがゐ」といった。子供たちには「ゐ」が読めない。「るがる」と読んでしまう。今でもその話になると「るがる、るがる」と言って大笑いする。その宿がとてもお粗末だった。詳しくは忘れてしまったが、寝た部屋がガラス戸で仕切られていて枕元を余所の人が通るというものだった。昔ながらの造りで情緒があるといえばあるのだが、大概は安心して寝られないということになる。当時でも少しひどいなぁと思えた。窓から出て屋根に上がることも出来た。危険極まりないものだったが子供たちには印象深く記憶されたようである。過去に泊まった中で最もひどい旅館だったと言える。我々が泊まった半年後にはハマふれんどの指定からも外れたようで<クレームでもあったのだろうか。やはりなぁ>と思ったものである。あれ以来、ハマふれんどは利用していない(笑)。
いつもは会報が配られても読むことなく捨ててしまうのだが、今回は表紙に「地引網」と書かれていたので目に留まった。娘が行きたがっていたことを思い出したのである。伝えると案の定、申し込むという。会員番号などを伝えて手続きは娘が行なった。10月26日(土)、三浦海岸に出掛けることになった。天気は最高である。

10時10分現地集合のところ10時ちょうどに到着した。受付をすると「10時半に網を引くのでそれまで自由に過ごしてください」とのことだった。娘とカズ君は前のグループがやっている地引網を見に行った。私はといえばコンビニに行って缶ビールを買い砂浜で一杯やって待つことにした。房総半島まで見えるいい天気である。海を見ながら飲む一杯は格別である。ビールと一緒に買ったビーフジャーキーも美味しい。
腰掛けた砂浜に植物が生えていた。<何の花だろう?>スマホで調べてみることにした。実はその数日前に妻が見つけてくれたアプリがあった。花の写真を撮るだけでその花の名前が分かるというアプリである。家では図鑑の写真で試してみただけなので本当に分かるかどうかはその時が初挑戦である。しかも写真のごとく花が咲いていない。葉っぱだけである。撮ってみた。すぐに「浜昼顔」と出た。<スゴイ!>花が咲いていなくても検索してくれた。これはいい。これからは旅行に出掛ける時に図鑑を持ち歩かなくてもいいのである。感謝、感謝である。すぐに妻にメールを入れた。
「浜昼顔。花が咲いていないのに分かった。すごいアプリだよ。ありがとう」
                                 (令和元年作)




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滴り

滴りや動く坑夫は蝋人形



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「400年の歴史を誇り、かつて“日本一の鉱都”と呼ばれ大いに栄えた足尾銅山の坑内観光施設です。閉山後に坑内の一部が開放され、トロッコ電車に乗って全長700メートルの薄暗い坑道に入っていくと、当時の辛く厳しい鉱石採掘の様子が年代ごとにリアルな人形で再現されています」
足尾銅山観光のホームページに書かれていた文章である。

朝一番の電車だというのに何組ものお客が乗り込んで来た。3両電車の2両目に座り、全員が座ったところで出発した。ガタン、ゴトンとゆっくりと進んでいく。しばらくすると、すぐに止まった。駅のような場所があり車両の切り離しをするという。ものの1分も走っていない。<なになに?>何をしようというのだろう。先頭車両が切り離され、先に進み、頭のなくなった状態で客車が自力で進むという。<なんだか、面倒なことをやってるなぁ>と思った。電車は再び走り始め、すぐに坑内入口へと突入した。急にヒンヤリとした。
「おー!涼しい」
声が上がる。暗い坑道を走り始めたが、またすぐに止まった。
「はい、終点です。ドアの鍵を外しますので、そのままお待ちください」
<えっ、もう終わりなの?700メートルもあった?随分と短いジャン?>
「乗車時間わずか5分」といった感覚。文句の言う相手もいないので黙って降りたが、あまりの早さに拍子抜けした感じである。
「これで700メートルもあったんだろうか?」
誰に言うでもなく呟いてみたが、返してくれる人はいない。みんな、見学場所がある線路の先へと歩き始めている。それから30分ほど坑内を歩きながら飾られている人形などを見て回った。手掘りの時代、機械化された時代、ダイナマイトで粉砕する時代などと作業方法の変遷が分かるように並べられていた。薄暗くて怖がっていたカズ君も徐々に慣れて来て、ダイナマイト発射ボタンなどをやたらと押しまくっている(写真)。
なるほど、「観光」である。坑内についてのビデオやたくさんの模型などが展示されていたが「鉱毒」については多くを語っていない。田中正造の「辛酸」についてはやはり田中正造記念館に行かなければならないようである。
その後の妻との会話である。
私「700メートルって書いてあったけど、そんなにあったかなぁ?俺の距離感覚からすると、上中里団地一周が600メートルなのでその半分300メートル位の感覚なんだけど……」
妻「トラック400メートルを2周ってことよね」
私「えっ、トラック!」
詳しくは聞いていないが<高校時代に短距離でもやっていたんだろうか>と勝手に想像してしまった。運動音痴の私としては一歩引いてしまうことになり、話もそれっきりになっている。
                                 (令和元年作)




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