地理 - ひこばえ
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日向 亮司

Author:日向 亮司
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ひこばえ


地理 カテゴリーの記事

春山

春山に御廟といふも穴一つ



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瑞泉寺に行った抑々の目的が初代関東公方足利基氏公の墓にお参りすることだった。瑞泉寺中興の祖であり、歴代の公方の墓も祀られている。庭園内を一回りしたあと墓のある場所を確かめようと山門まで戻った。山門の横に見取り図のような絵看板が立てられていたからである(写真)。ペンキで書かれた絵のようで全体に色褪せているが、よく見れば読めるようにはなっている。本堂、方丈、庫裡とあり、その右側の山のように描かれた場所に「開基足利基氏公廟所」と書かれている。
<どうやって行くのだろう?>
道があるようには見えない。庫裡で聞いてみようと思い、再び山門をくぐった。
「スミマセ~ン」
すぐに女性が出てきた。着物姿である。
「ご朱印帳ですか?」
「いえ、ご朱印ではありません。この裏にある基氏公のお墓にはどうやって行くのかと思いまして……」
「ああ、あいにく公開はしてないんですよ」
「えっ、見られないんですか?」
「はい、すみませんが……」
「写真なんかもないんですか?」
「はい、ありません」
ムムムム……折角来たというのに入れないようである。残念と言うしかない。
山を降りて再び総門のところに戻って来た。先程の男性と目が合った。
「ありがとうございました」
「結構、花、咲いてたでしょ」
「花はいいんですけど、見たかった基氏公の墓が見られなくってガッカリでしたよ」
「ああ、あそこはダメなんだよ」
「そこが見たいトコなんですよね(笑)」
「なんも、小さな穴倉の中に祠があるだけだよ」
「ホコラ?」
「祠っていうか、何ていうか、石を3つ4つ積み上げていて……」
「ああ、石塔だぁ。なるほど……」
見たことのある人には、特段何んということもない物のようである。しかし見ていない者には「一度でいいから……」という思いがある。何となく想像は出来たがあくまでもそれは想像に過ぎない。百聞は一見に如かず。心残りである。お礼を言って瑞泉寺を後にした。鎌倉宮の近くの蕎麦屋で十割蕎麦を啜って12時半には家に戻っていた。
                                 (令和2年作)




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池温む

太鼓橋架けてひようたん池温む



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次に目指すは足利基氏の墓がある瑞泉寺である。「岐れ径」の交差点を曲り、鎌倉宮の前のコインパーキングに車を停めた。瑞泉寺にも駐車場があるようだが、ノンビリと歩いてもみたかったのである。コロナウイルスの所為だろうか、人通りは極端に少ない。夜中に雨が降ったようだが、汗ばむような気温であり雲一つない青空である。途中に「永福寺旧蹟」の碑が建っていた。これも大正9年3月建立である。内容を読んでみた。
「永福寺 世に二階堂と称す 今に二階堂なる地名あるは是がためなり 文治五年頼朝奥州より凱旋するや彼の地大長寿院の二階堂に擬して之を建立す 輪奐荘厳洵に無双の大伽藍たりきと云う 享徳年間関東管領の没落せる頃より後 全く頽廃す」
<オオ、『炎立つ』ではないか。奥州藤原氏、源義経ではないか!>
瑞泉寺に行く前に見ておかなければならない場所が出来た。早速入ってみることにした。
<オオオ……>
広大な敷地である。池がある。その向こうに礎石が並べられている。また、その先に本殿の土台なのか、きれいに盛り上がった場所がある。そこに存在した永福寺の土台部分を発掘した跡らしい。手前に看板が立てられていた。
「永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192年)に、工事に着手しました。鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年(1981年)から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を配した庭園の跡を確認しました。堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られていました。鎌倉市では、昭和42年(1967年)度から土地の買収を行っており、現在史跡公園として整備事業を進めています。平成24年(2012年)3月、鎌倉市教育委員会」
写真はその看板に描かれていた「復元想像CG」(湘南工科大学作成)である。
<これで完成なのだろうか?それとも本殿などを再現する計画があるのだろうか?>
詳しいことは書かれていない。一回りしてみることにした。礎石の上に乗ってみたりしながら本殿の方に近づいて行く。遠くに犬を放し飼いにして遊ばせている人がいた。困った人である。私のように犬嫌いがいることを考えていないのだろうか。もちろん、その人に聞けば「この犬は噛み付くことはない」と言うのだろうが、どんなに訓練された犬だろうが時に不機嫌な時もある。近づいた。案の定、犬が私の方を見ている。ヤバイ。それに気付いた飼い主が犬に声を掛けている。「熊除けの鈴」ならぬ「犬除けの鈴」「犬嫌いを示す鈴」などを考案したら売れるのではないだろうかと思った。犬のいない方を辿りながら池を一周して戻ってきた。犬が怖くて史跡巡りどころではなくなる。
                                 (令和2年作)




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春の山

「おらおらでしとりでえぐも」春の山



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ゴールデンウィークの予定を立てようと旅行のパンフレットを見ていると「テーマのある旅──シリーズ登山」という記事が出ていた(写真)。
私「オッ、これいいなぁ。『シリーズ登山』。5回シリーズで登山の基本を教えてくれる」
妻「何言ってるのよ。私が以前『こういうのがあるよ』って言ったら全然興味を示さなかったくせに……」
私「いやいや、おそらくその時は登る山が低過ぎて、そんな所を歩いたって意味がないと思ったんだよ。だけど、これを見てよ、富士山だよ、富士山登頂まで面倒を見てくれるんだよ。これはいいよ。行こうよ、二人で頑張ろうよ」
妻「私は行かない。ゾロゾロと列をなして登っている姿を思い浮かべただけでも行きたくない。あんなのは楽しくも何ともない」
私「そうなの?年を取ったら登りたくても登れなくなるよ。まぁ、いいや。今回は一人でも参加してみる。これはいいぞぉ。8月に富士山登頂だ。ヤッター!」
以前から登りたいと思っていた富士山が急に目の前に現れた。山小屋にも泊まれるようである。俄然やる気になってきた。
私「事前の説明会があると書いている。出なきゃマズイかなぁ」
妻「参加するなら行って説明を聞いておいた方がいいんじゃないの?」
私「いやぁ、だって、俺は初心者って訳じゃないからなぁ」
妻「そういう自信ってどこから来るのかなぁ。靴紐の結び方だって知らないでしょ」
私「紐の結び方?そんなの、どうでもいいジャン。解けなきゃいいんじゃないか」
妻「何でもそういう風に考えるのよね。謙虚に学ぼうという心がないんだから」
私「まぁ、じゃ行ってくるか。申し込みはスマホでやるようだよ。お願いします」
妻「自分でやってみて」
私「無理、無理、無理、お願いします」
妻「しょうがないなぁ……何でも他人任せなんだから」
妻のスマホ、私のスマホ、自宅のパソコンなどを使って、何だカンだと言いながらも事前説明会と第1回目の高尾山を申し込んでくれた。
私「こんなに面倒なことを、皆、本当にやっているのかなぁ?」
妻「普通だよ。貴方があまりにも出来ないだけだよ」
私「先が思いやられるなぁ……」
妻「……」
私「1回目だけでも一緒に行こうよ。高尾山。ハイキングだよ」
妻「いい、行かない」
頑なである。
(注)宮沢賢治「永訣の朝」の中に(ora ora de shitori egumo)がある。妹が語った「私は私は一人で行きます」の意味である。「しとりで」の「で」は私が勝手に入れたもので原文と違っている。
                                 (令和2年作)




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冬の浜

鳴き砂を鳴かせ師を恋ふ冬の浜



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2日目の行程は丹後半島をバスで周遊して城崎温泉に入るというものだったが、「伊根の舟屋」のあとも見どころ満載のコースとなっていた。伊根の舟屋─経ヶ岬─丹後松島─屏風岩─大成古墳─立岩─琴引浜─玄武洞公園─城崎温泉と見て回るコースである。写真で見る限り、玄武洞は凄い迫力がありそうに見えたが、あとは余り心動くようなものはなさそうである。ただ、琴引浜の「鳴き砂」にだけは興味があった。道川虹洋先生の句に「己が影踏むや砂鳴く浜の秋」があり、句会に出された時に<どこの砂浜に行ったのだろう>と思ったことを覚えていたのである。
大成古墳を歩いている辺りで雨が降ってきた。天気予報では晴れだったが山陰の天気は変わりやすい。ガイドさん曰く「弁当を忘れても傘忘れるな」が丹後地方の教えのようである。天気雨のようだったが心配していた。「雨が降ると砂が鳴かない」とガイドさんが言っていたからである。<鳴き砂の浜に行って砂が鳴かないのでは困る!>
幸い、雨も小止みになって琴引浜に着いた時には晴れていた。ガイドの男性も「大丈夫です」と言って砂浜に案内してくれた。きれいな砂浜である。そこで泣かせ方を披露してくれた。写真はその時のものである。「砂を鳴かせて秋惜しむ」というのも先生の句である。亡くなって7年が経つが先生への思いは尽きない。先生の姿を思い浮かべながら砂浜を踏みしめていた。
玄武洞は想像以上に凄いものだった。自然が造ったものというのは人知を超えて美しいものである。何枚も写真を撮ったが、あの迫力を伝えることの出来る一枚はとうとう手に出来なかった。偉観を呈するとはあのようなものをいうのかも知れない。
ようやく宿に到着である。バスの中で説明があった。
添乗員さん「城崎温泉では3つの宿に分かれてご宿泊いただくことになっております。内2つの宿は温泉街の中にありますが、1つは少し離れた場所となります。外湯に入っていただく場合でもマイクロバスでの送迎になります。これからそれぞれの宿の割り当て表をお配りいたします」
私「ん?<つたや旅館>じゃなかったの?我々はどこの宿に泊まるの?」
妻「ショウガナイでしょ。ちょっと大人しく待っててよ」
私「少なくても、そのマイクロバス送迎の宿っていうのだけはイヤだなぁ」
妻「そうよねぇ。そうならないことを祈りましょ(笑)」
結果として我々が割り当てられたのはそのマイクロバス送迎の宿であった。
第1班と第2班が温泉街の真ん中で降りた時、残された第3班の人達の暗いこと。温泉街を通り抜けて山の方へどんどんと上って行くにつれ「これじゃ歩けないなぁ」とか「外れだなぁ」という声も聞こえて来た。旅館の名前が「つたや晴嵐亭」である。「つたや旅館」とは違うようである。
私「桂小五郎の宿じゃなさそうだなぁ……」
来る前に注文しておいた「幾松という女」という本が家に届いている頃である。
                                 (令和元年作)




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枯山

枯山となりて鬼棲む大江山



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山頂公園を出て次に向かったのが与謝野町にある「丹後ちりめん街道」である。しかし走り出してすぐに眠ってしまったようである。目が覚めた時にバスガイドさんが話していたのが酒呑童子についてであった。
<なになに、酒呑童子?大江山?>
ちょうど語り終えたところだったようで、すぐに目的地到着の案内に変わってしまった。
<ひゃ~、聞き逃してしまった。大江山も見逃してしまった。ああ、ヤバイヤバイ……>
寝起きの朦朧とした頭で「ちりめん街道」まで歩き、あまり見るべき所もなくバスに戻ってガイドさんに話し掛けた。
私「酒呑童子の話、聞き逃しちゃったよ(笑)」
ガイドさん「ちょうど食事の後でしたからねぇ。グッスリとお休みでした(笑)」
前から4番目の席でガイドさんの真正面に座っていた。
私「もう大江山は見られませんか?」
ガイドさん「明後日の帰りに京都丹後鉄道に乗ります。その時に車窓から見えますよ」
私「丹後に来て大江山を見ないで帰るなんて考えられないよね」
ガイドさん「そうですか?」
私「大江山生野の道の遠ければ……だから」
ガイドさん「そうですよね。その話もさっきさせていただきました(笑)」
私「ああ、そうなんですか。いやぁ、残念だったなぁ」
「ちりめん街道」を出てホテルに向かう手前で天橋立を対岸から臨む「雪舟展望台」に立ち寄った。時刻はすでに5時を回っていて日が落ちる寸前である。長い階段を上り切って天橋立を眺めたがよく見えるものではない。増して小屋の天井に掲げられた雪舟の描いたという絵などは暗くて何も見えない。コースにあるので寄ってはみたが……ということになってしまった。
宿泊は10階建てのマンモスホテルである。天橋立に向いて山の中腹に聳えている。しかし大人数を処理するための施設となっていて食事もバイキングである。<日本三景に来てこれではなぁ>と団体旅行の悲しさを味わうことになってしまった。隣の席で大声を出して騒いでいるのは外国人ではなく日本人である。
「団体の酔っ払い客はよくないなぁ」
早々に食事を終えて1階にある土産屋に立ち寄った。見るでもなく買うでもなくフラフラしていると「酒呑童子」と書かれた日本酒を見つけた(写真)。聞き逃してしまったことを思い出しながらこの写真を撮っていると後ろから不意に声を掛けられた。
男性「何か謂れのあるお酒なんですか?」
私「いえ、バスの中で酒呑童子の話を聞き逃したものですから……」
同じバスの人だったかどうかも分からず、ただ反射的に思っていることを口にしてしまった。後で思えば、たとえ同じバスの人であったとしても到底理解されそうにない答え方である。聞き逃したことを相当に悔やんでいたことだけは確かである(笑)。
                                 (令和元年作)




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