天文 - ひこばえ
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ひこばえ


天文 カテゴリーの記事

夏雲

夏雲や山に物見の岩一つ



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ゴールデンウィーク2日目。翌日は衣笠城を目指した。またまた早起きして渋滞のない道路を走り抜けた。順調に来て「衣笠城址前」という交差点の前で迷った。車を停め、持って行った「三浦半島の史跡みち」(鈴木かほる著)という本で位置を確かめた。この本はなかなかな物である。三浦半島じゅうの史跡を分かりやすく解説してくれている。
衣笠城址の近くに大善寺というお寺があるらしい。カーナビに入れて、その通りに走り出すと細い脇道を上り始めた。凄い坂道である。いきなり傾斜30度はあろうかという急勾配に差し掛かった。途中で力を緩めると落ちて行きそうである。踏ん張って上った。しばらく行くとまた急勾配である。本当にここだろうかと不安になった。しかし、まずは大善寺まで辿り着かなければならない。最後の傾斜を上り詰めてようやく寺の駐車場に到着した。運転の下手な私には朝っぱらからの試練である。少し汗を掻いた。さて、大善寺は分かったが衣笠城址はどこだろう?それらしい案内がない。キョロキョロしてようやく見つけたのがこの標識である(写真)。「分かりづら~い!」
大善寺の横の階段を上って衣笠城址へと向かった。城址なので何がある訳ではない。草が生い茂り、鳥の声が聞こえるばかりである。ベンチがあり、その前にマンガ入りの案内図が立てられていた。絵によるとそこは「衣笠城跡公園」と呼ばれているらしい。桜の花が描かれていたので、その季節には花見客で溢れるのかも知れない。「物見岩」と書かれ石の上に立つ女の子も描かれていたので、四方を見渡せる岩があるらしい。どれくらい上がるのだろうと思いながら上り始めたが、そこから1分もしない場所にあった。
「これっ?」
物見岩とは名ばかりで木々に囲まれて何も見えない。想像すら出来ない。木が伸びるのに任せてしまったようである。「衣笠城址」と書かれた石碑が立っているので辛うじてそれと分かるが、無ければ只の大きな岩である。三浦一族の本城。三浦大介義明が最期を遂げた城という割にはあまりに見る物がない状態になっていた。
「本当にここに城があったのだろうか?」
狐につままれたような面持ちで引き返すことになった。
                                 (平成29年作)
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春陰

春陰や穴より覗く御神鏡



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延命寺の目と鼻の先に「石井の井戸」があった。平将門が王城の地を求めてこの地を見回っていた時に途中で咽喉が渇き水が欲しくなったそうである。そこに老翁が現れて大石を持ち上げ大地に投げつけたところ、そこから水が湧き出したという言い伝えである。井戸は見当たらなかったが、いくつもの碑が建てられていて桜の木や百日紅などが植えられ大切にされているのが分かった。そのすぐ傍に「一言神社」があった。その老翁を祀っているという。常総市の「一言主神社」とは比べ物にならないほどの小ささである。
鳥居をくぐり、社殿に進んでいった。途中から妙な違和感を覚えた。何だろうと思ったが、すぐに気付いた。参道に据えられた灯篭や狛犬が左右バラバラな位置に置かれているのである(写真)。何だろう、何か意味があるのだろうか。意味もなく置かれたとしたら、相当にバランス感覚のおかしな人達の手によって造られたことになる。そんな訳があるはずがない。きっと訳があるはずだ。灯篭の文字を読んだり、狛犬を調べたりしたが分からない。もう一度、鳥居の方に戻って振り返ってみた時に意味が分かった。
「なるほど!」
鳥居から本殿まで約50メートルある。参道は真っ直ぐに進み、途中あと15メートル位を残した辺りから少し右寄りに折れるのである。なぜ折れるかと言えば、本殿の中央を目指すからである。しかし、この参道、昔は鳥居から本殿まで一直線だったようである。灯篭も狛犬もその昔の直線に添って配置されていたのである。本殿の中央に進まない参道はおかしいとの声が起きたはずである。そこで参道の向きは変えられた。そのとき、灯篭も狛犬も移動すれば良かったのである。私だったら、おそらく位置を変えただろう。しかし変えなかった。きっと、次のようなやり取りがあったはずである。現地の言葉でお届けしよう。
「参道はやっぱり、本殿の中央さ向かうのがいがっぺ」
「まっつぐしてる参道を途中から折り曲げんのぉ?」
「んだ。参拝者には本殿に向がってまっつぐ進んでもらった方がいがっぺよ」
「灯篭と狛犬は動がさねぇのが?」
「んなごどしたら、将門さまの祟りがおごっど!!おお、おっかね!」
                                 (平成29年作)
(注)最後5行の茨城弁による会話文は取引先であります岡村製作所様つくば事業所の「梅ちゃん」こと生出様にご教示いただきました。仕事中にも拘らず快くお引き受けいただき心より感謝しております。本当に有難うございました。

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春の虹

騎馬像の春の虹へと駆け出さん



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「それ!」
突如として小次郎は絶叫し、抜きはなった刀を高々とふりかざし馬腹を蹴った。馬はおどろいて前足をあげて、二三度空をかいてもがいたが、その前足をおろすや、疾風のように駆け出した。(海音寺潮五郎「平将門(中)」より)

車で5分ほどの場所に立派なブロンズの騎馬像が立っていた。「ベルフォーレ」という名前の総合文化ホールである。音楽ホールやアトリウム、図書館などの複合施設となっており、その前庭に有無を言わせぬ存在感を放っていた。
初めからここだと分かっていれば、あんなに歩かなくても良かったのにと思いながらも、一目見るや、やはり来てよかったと思った。美しく作るものである。前からも後ろからも、どの方向から見ても美しいと思った。写真は何枚も撮った。その中から近代的な建物を背景に収めたこの一枚が最も美しく思えた(写真)。
以前、流鏑馬神事を見学した時、目の前を勢いよく駆け抜けていく馬の迫力に圧倒されたことがあったが、戦いの場で馬に乗る者と乗らない者の差は途轍もなく大きいに違いない。馬上の将門像を仰ぎ見ながら、振り下ろされる刀剣の鋭さや引き絞る弓の力強さを想像すると同時に、それに立ち向かう雑兵の心持ちも分かるような気がしたのは気のせいだっただろうか。

騎馬像を見たあと、すぐに「國王神社」へと向かった。将門終焉の地である。神社はそこにひっそりと佇んでいた。
将門戦死の際、その難を逃れ奥州にて隠棲していた将門の三女「如蔵尼」が父の33回忌にあたる天禄3年(972年)にこの地に戻り創建した神社である。付近の山林にて霊木を得て、将門の像を刻み、祠を建て安置したのが神社の始まりとされる。一言主神社などとは比べようもないほどの小さな神社であるが、古びた社殿と境内の静かな佇まいに尼の想いが見えるような気がしたものである。
                                 (平成29年作)

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花の雨

川べりを旅してひとり花の雨



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目的地「國王神社」まであと1キロとなったところでお茶を買いにコンビニに立ち寄った。入口に「桜まつり会場、すぐそこ」のポスターが貼られていた。場所はそのコンビニから数百メートルの場所にある岩井公民館だという。そこには確か平将門の騎馬像があったはずである。満開の桜の下に立つ騎馬像。これは絶対に見逃すわけにはいかない。行ってみることにした。
車で会場に近づくと係員が立っていて「駐車場は満杯です」と言われ、遠くの臨時駐車場を教えられた。随分と離れた場所である。途中で止めようかと思った。なにせ剥離骨折である。相当の距離を歩けば骨に悪いに違いない。しかし、痛くて歩けないという訳でもない。駄目なら途中で引き返そうと思い、傘を差しながらゆっくりと歩き始めた。距離にして片道1キロである。随分と歩いたものである。メイン会場にはたくさんの屋台が出ていて大勢の観客で賑わっていた。舞台ではフラダンス大会が行われていた。夏でもないのにどうしたのだろうと思ったが、折角練習したものはいつでも人に見てもらいたいものである。雨の中では可哀そうなものだが、会場は意外と盛り上がりを見せていた。私は騎馬像を探してウロウロしたが、結局は見付からなかった。人に聞いて初めて隣の図書館にあることを知った。
「フー」と溜め息を付く。
間違った情報ほど恐ろしいものはない。私のメモに「騎馬像、岩井中央公民館」と書かれていたので「中央」があるか無いかの違いである。どこかに書かれていたものを写したはずなので信じて確認をしなかったことが悔やまれる。しばらく椅子に腰掛けフラダンスを眺めていたが、それからまたゆっくりと1キロの道を戻ってきた。途中で雨が上がり、傘を差さずに歩いて来られたのだけは不幸中の幸いであった。
写真は通りがかりの公園にあった恐竜のモニュメントである。こんな大きな物を作ってどうするのだろうと思ったが、子供達には喜ばれているに違いない。雨の桜もまた美しいものであり、坂東市民の娯楽を少し垣間見られたのも良い経験だったかも知れないが、恐竜に見下ろされた頃より急に足の痛みを感じ始めていた。
                                 (平成29年作)

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春の雨

将門の御霊鎮めよ春の雨



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立派な神社である。大きな鳥居をくぐり、広い駐車場に車を停めた。さすがに平将門である。坂東の誇りである。この荘厳さは紛れもなく将門崇拝の現れである。小糠雨が降る中、感動を以って境内を進んでいった。まずは神社の由緒書きを読んでみた。大同4年(809年)社殿西方に筍が生え、数夜にして三又の竹に成長したとあり、すなわち神社が「三竹山」と称される所以であると書かれている。フムフム、なるほど。しかし、読み進むうちに疑問が湧いてきた。将門の守護神で水を司る一主明神を祀っているとパンフレットには書かれていて、将門が水を求めて彷徨っているときに現われた老翁の話が出てきたが、ここの看板にはその話は出ていない。本殿は将門の子孫が長禄3年(1459年)に再建したと書かれているだけである。
お守りを売っている巫女さんに聞いてみた。
「平将門に関するものはどこにあるのでしょうか?」
「あっ、それはここではないんですよ。よく間違われます(笑)」
「えっ!」
常総市の一言主神社と坂東市の一言神社。よく似た名前だが全く別の神社だったのである。「紛らわしい」と文句を言いたくもなったが、間違ったのは自分である。帰りの雨が妙に冷たく感じられたものである。

気を取り直して車を走らせ、しばらく行くと看板が現れた。「平将門の胴塚」と書かれている。「延命院」とある。
「えっ、延命院?延命寺じゃないの?」
カーナビに入れた目的地「國王神社」の隣にあるのが「延命寺」で、もちろんこれから見学しようとしていた場所である。その寺とまたよく似た名前の「延命院」である。
「おいおい、どうなっているの?また一字違い?」
そう言いたくなる気持ちも分かってもらえると思う。こうも同じような名前を付けたがるものだろうかと思いながらも胴塚となれば見逃すわけにはいかない。入って行くことにした。
結果は素晴らしいものとなった。絶対に見逃してはいけない場所だったのである。境内に不動堂がありその裏に円墳があった。将門の胴塚である(写真)。将門山または神田山と呼ばれているようだが、大きな栢(かや)の木がその塚を抱くように根を張っていた。敵の矢を受けて討たれた将門の首は京に送られ晒し首となったが、遺体の方はひそかに部下の手でこの場所に運ばれたというのである。この地は相馬御厨の神領だったことから暴かれることなく守られてきたという。誰もいない境内で静かにお参りをし、その日最初の将門ゆかりの地となったのである。
                                 (平成29年作)

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