時候 - ひこばえ
background movie

ひこばえ


時候 カテゴリーの記事

のどけし

のどけしや雲か煙か桜島



21070309_convert_20170310045935.jpg



旅行を終えての後日談である。倫理法人会の集まりがあり、何人かで一杯飲んでいた。
「日向さん、先週お休みでしたが、どちらかへ出掛けられたのですか?」
「鹿児島です。銀行の付き合いで出掛けてきました」
この会話を隣で聞いていたのが後藤さんという女性社長である。
「あらっ、日向さん、それって、もしかしたら信用金庫主催の旅行ですか?」
「そうです」
「あら偶然ね。その旅行に私の妹夫婦も参加していたんですよ」
「えっ、どなたですか?」
「〇〇と言うんですけど……」
「ああ、分かります。運送会社を経営している方ですよね」
「そうです」
世間は狭いというが本当である。旅行を終えて1週間も経っていない。しかも過去一度も私の横に座ったことのない後藤さんがたまたま隣に座っていたのである。分からないものである。その後藤さんがこんなことを話し始めた。
旅行から帰った妹さんがお土産を持って遊びに来た。開口一番、話し始めたのがカラオケの話だという。「いや、驚いたの何の……」と言いながら、妹さんは指宿の白水館での二次会のことを話し始めたそうである。私も安藤夫妻も岩橋夫妻も行ったその中に妹さん夫婦もいたのである。確かに私達とは少し離れた場所だったが座っていたのを覚えている。妹さんが驚いたというのが最初にマイクを持った岩橋さんの奥さんの歌である。トップバッターで登場し、みんなが注目する中で歌ったその唄の卑猥さに度胆を抜かれたのである。
「ああ、あれですね。知っています。本当に凄い替え歌でした。男の私が聞いても驚きましたから、女性の方は相当に驚いたと思います」
「ああ見えて妹はとても純情なんです。旦那さんの方は遊んでいるようですけど、妹は全く慣れていませんので本当にビックリしたようでした」
「いやぁ、あれは妹さんだけでなく、誰が聞いてもショックを受けたと思います(笑)」
岩橋さんの奥さんはあの替え歌をどこで覚えたのだろう。いきなり前触れもなく歌い出したので全員唖然とするしかなかったのである。純情なご婦人には刺激が強すぎる歌であった。鹿児島の観光地の土産話よりもその替え歌の話をしに来たというのだから、聞いている後藤さんも驚いたに違いない。
「今度、本人に会ったら言っておきます。あの歌は強烈すぎるので、せめて先頭バッターは避けて、二番手以降でお願いしますと(笑)」
元歌を思い出そうとしたのだが、私も相当に酔っていたようで今なお何という曲だったのか思い出せないでいる。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

暖かし

払ひたがる人ばかりゐてあたたかし



IMG_1992_convert_20170304141727.jpg



霧島温泉の宿は前回夫婦で来た時に泊まった宿である。指宿の「白水館」に比べると相当に見劣りする。建物も古く、廊下や部屋も使い込まれた感じがして、各所に劣化が目立つ。温泉の蛇口を捻っても勢いの弱いお湯しか出てこない。しかし、料理は思いのほか豪勢で信用金庫の奮発具合が伝わってきた。
食事のあと、前日と同じようにカラオケに行くことになった。私と安藤夫妻と岩橋社長夫妻(写真)の5人である。妻は歌いたくないという。岩橋夫妻とは前回の金沢でも一緒だったので羽田空港で会った時から親しく話をさせてもらっている。このご夫婦もカラオケが大好きである。フロントに申込みに行くと予約が入っていて1時間半待ちだという。「それじゃ、卓球でもやって待っていよう」ということになり、何年振りかでラケットを握った。「中学校では卓球部だった」と安藤夫人。「それ以上に上手い」と安藤社長。「本当かいな(笑)」といいながらお相手をした。言うほどのこともなく、ほぼドングリの背比べ。サーブの小技が出来る分、少し安藤社長が上といったところか。
時間になりカラオケルームに入った。1人が歌っている間に次々と予約を入れていくので、歌い終わるとすぐに選曲が待っているという状態である。全員、本当に上手い。飲み物は止めておいた。ウーロン茶も注文せずに水だけである。「1時間だけだから水でいいよ」の誰かの一声に従った。1人5曲位ずつ歌っただろうか、気が付くと1時間半が経過していた。「フロントから電話がなかったねぇ」などと言いながら終了し、売店などに出掛けていった。

翌朝のことである。バスに乗り込んでの会話である。
安藤社長「カラオケ代、誰が立て替えてくれたの?日向さん?」
私「私の分は支払いましたよ。伝票に入っていました」
安藤社長「一人いくら?割ってくださいね」
私「いや、私は自分の分しか払っていませんよ。それぞれ部屋に付いているんじゃないですか?」
岩橋社長「いや、ウチは払っていませんよ。日向さん、いくら支払ったのですか?」
私「1800円。消費税込みで1944円。これって1人分ですよね。前日の白水館では1人3800円だったので、随分と安いなぁと思ったのですが」
全員「???」

結果的には、カラオケルーム1部屋1時間1800円ということが分かった。申込に行った私の部屋に付けられていたのだが、それにしても安い。追加の30分の料金も加算されていない。それを知っていれば飲み物もつまみも注文しておいたに違いない。随分ケチなお客と思われたことだろう。卓球代はいくらかと聞くと1000円だという。お湯の出が悪いくらいで文句を言っていては申し訳ない。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

春日和

白無垢に添ひたるは父春日和



IMG_2027_convert_20170220222023.jpg



知覧のあと、武家屋敷を見学し、その中の民家で昼食となった。食べ切れないほどの料理を前に飲み物がドンドン運ばれてきた。まさに牛飲馬食の様相である。食べ終えてバスに乗り込むと次の目的地の霧島神宮まで2時間以上掛かるという。走り出してすぐに眠ってしまったことはもちろんである。神宮の駐車場に到着し、ようやく目が覚めた。ぼんやりとした頭で参道を歩き始めた。
妻「ニニギノミコトがちゃんとイワナガヒメを受け入れていれば、人間は不老長寿でいられたのにねぇ」
私「えっ、何のこと?」
妻「寝ていてガイドさんの話を聞いていなかったんでしょ」
私「聞いていない」
妻「面白い話だったのに……」
私「教えてよ」
妻「山の神オオヤマツミに二人の娘がいて姉がイワナガヒメで妹がコノハナサクヤヒメ。ニニギノミコトは美人のコノハナサクヤヒメを妻として、美人でないイワナガヒメは断ってしまうんだよねぇ。もしオオヤマツミに言われた通り、二人とも妻にしていれば木の花が咲くように栄えると共に、岩のようにしっかりとした永遠の命を手に入れることが出来たのに、という話」
私「ヒェー、聞きたかったヨー」
鯨飲した報いである。ここは天孫降臨の地。高千穂峰の頂上にはニニギノミコトが立てた「天の逆鉾」もあるという神話の故郷なのである。爆睡していては罰が当ろうというものである。

霧島神宮はそのニニギノミコトやコノハナサクヤヒメなどを祀っている。ちょうどその日結婚式があったようである。とても美しい花嫁さんがいて写真を撮っていたので思わずカメラに収めてしまった。コノハナサクヤヒメもこのように美しかったに違いないと思いながらシャッターを切っていた。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

如月

如月や遺書も遺品も玻璃の中



FullSizeRender_convert_20170220221348.jpg



翌日は雨模様だった。朝から降っていたが、目的地に着くと上がっているという不思議な雨だった。知覧特攻隊の記念館に着いた時も上がっていた。傘なしで歩いて行くことが出来た。前回も訪ねているので中の様子は分かっていた。
今回はひとつの遺書を探して歩いてみた。旅行に来る前に読んだ「知覧からの手紙」(水口文乃著)に書かれた穴沢利夫少尉という人の遺書である。図書室に勤める中央大学の学生だった青年が自ら志願して陸軍航空隊に入隊する。その恋人だった女性が戦後60年を経て綴った手記である。
「あなたたちは、命は尊いものだと教えられているでしょうけれど、あの時代は、命は国のために捨てるべきものだったの」と彼女は語っている。国を挙げての戦争に多くの若者達が命を捧げていったのである。
「〈この人は日本男子だったんだ〉学生でも兵役を免れる特権をいつまでも持っていられたわけではありませんが、徴兵前に志願する必要はありません。それでも利夫さんは自ら志願したのです」とも綴られていた。
戦争とは死に直面することである。戦地に赴く者にも銃後を守る者にも死が身近に感じられた時期である。その中でも特攻は特別である。最初から生還の可能性を排除し、死を必然としたのである。遺書には様々な思いが綴られていて万感迫るものがある。穴沢少尉の遺書はすぐに見つかった。婚約しつつも最後は結婚を諦めることになった二人だが、そこには永遠の愛が綴られているかのようだった。展示コーナーのガラスケースの中に飾られた手紙を前に、しばらくはその場所から離れることが出来なかった。

記念館では語り部の話を聞くことも出来た。何百回、何千回語ったのだろう。たくさんの遺書の文面を諳んじていて鬼気迫るものがあった。バスの時間があり途中で席を立つことになってしまったのは残念である。後ろ髪を引かれるとは、あのようなことを言うのだろう。記念館の出口あたりで前を行く安藤夫妻が急にトイレに寄っていくと言って中に入って行った。待っている間、わずかな時間が出来た。カウンターに並べられた書籍が目に入った。20種類ほどあっただろうか。その中の1冊を手に取った。「いつまでも、いつまでもお元気で」という本である。
バスに戻ってすぐに読み始めた。中には遺書がたくさん綴られていた。読み始めてすぐに泣けてきた。自分の母親や家族に向けて書かれたものが多い。決意を綴る一方で悲しさが伝わってくる。私が泣いていたことをバスの中で知る人は誰一人いない。後ろの席では安藤社長の笑い声がいつまでもいつまでも続いていた。
息子と娘に宛てた29才の久野正信さんという人の遺書を載せておこう。幼い子供達に宛ててカタカナで書かれている(写真)。

正憲 紀代子へ
父ハスガタコソミエザルモ イツデモオマヘタチヲ見テイル。ヨクオカアサンノイヒツケヲマモツテ オカアサンニシンパイヲカケナイヨウニシナサイ。ソシテオホキクナツタナレバ ヂブンノスキナミチニスゝミ リツパナニッポンヂンニナルコトデス。ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。「マサノリ」「キヨコ」ノオトウサンハカミサマニナツテフタリヲヂツト見テヰマス。
フタリナカヨクベンキヨウヲシテ オカアサンノシゴトヲテツダイナサイ。オトウサンハ「マサノリ」「キヨコ」ノオウマニハナレマセンケレドモ フタリナカヨクシナサイヨ。オトウサンハオホキナヂユウバクニノツテ テキヲゼンブヤツツケタ ゲンキナヒトデス。オトウサンニマケナイヒトニナツテ オトウサンノカタキヲウツテクダサイ。父ヨリ
マサノリ キヨコ フタリヘ
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

春の夜

春の夜の歌手はマイクを離さない



IMG_2014_convert_20170220221957.jpg



今回の旅でお世話になったのが、昨年もご一緒した安藤社長ご夫妻である(写真)。羽田空港でお会いした時から私のことを「先生」と呼んでくる。前回の旅行の時にブログを紹介し、それ以来ずっと読んでくれているようで「俳句はよく分かりませんが文章の面白さだけはよく分かります。よくああやって書けるものだと感心し、私達の間では日向さんのことを『先生』と呼んでいるんです。朝、会社に行って最初にやることが『ひこばえ』のチェックですから(笑)」と持ち上げてくれる。今回の旅の食事の席ではいつも隣同士で、お陰で本当に楽しい旅になったのである。
安藤社長は話が上手い。よくもまぁ、これだけ話せるものだと感心させられる。内容は兎も角も次から次へと話題を振ってくる。社長がいるところ、常に笑いが絶えない。絶妙なタイミングで絶妙な一言を繰り出す。
私「会社でもいつもこんな感じなのですか?」
奥様「いえいえ、会社では意外と大人しいんです」
私「えーっ、信じられない(笑)」
奥様「会社ではパソコンに向かって『ひこばえ』ばかり読んでいます(笑)」

宴会のあと10名ほどでカラオケルームに入った。前回の旅でご夫妻が揃って歌上手であることは知っていた。安藤社長が尾崎豊「シェリー」を熱唱する。本当に上手い。本物そっくりである。尾崎豊が乗り移って歌っているようにも聞こえてくる。咽喉は丈夫なようで張り裂けるような歌い方である。
私「上手いねぇ。尾崎豊そっくりだよ」
奥様「ちょっと、やり過ぎですよね(笑)」
私「これくらい徹底してやれば何でも本物ですよ」
奥様「仕事もこれくらいやってくれるといいんですけど、そっちの方はすぐに手を抜くんですよねぇ(笑)」

『シェリーいつになれば俺は這い上がれるだろう
 シェリーどこに行けば俺は辿り着けるだろう
 シェリー俺は歌う愛すべきものすべてに』
その夜、布団に入ってからも安藤社長の歌声が耳から離れなかったのには少々閉口させられた(笑)。
                                 (平成29年作)

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
フリーエリア