時候 - ひこばえ
FC2ブログ
background movie
HOME プロフィール

日向 亮司

Author:日向 亮司
FC2ブログへようこそ!

最新記事 最新コメント
最新トラックバック 月別アーカイブ カテゴリ カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

ひこばえ


時候 カテゴリーの記事

五月

風五月丸めし反古の行方かな



IMG_5058_convert_20200507210340.jpg



年譜を見ていると奥様が書いたという回想録があると書かれていた。「晴のち曇、所により大雨──回想の石川淳」という題名である。すぐに注文して連休前に入手した。石川活さん(1919-1996)、石川淳54才の時にもらった20才年下の女房である。石川淳の知られざる一風変わった一面が覗けて面白い。いくつかを紹介しよう。
「その1」
夫婦で軽井沢に出掛けた。ホテルの窓から幹が太くて大きな葉を茂らせている木があったので「あれは何という木かしら」と聞いてみた。石川はすぐに「あれはゴムの木さ。おれは子供の頃、ゴムの木を育てていたからよく知っている」と言った。しばらくして作家仲間が集まるパーティーがあった。作家先生、評論家先生が草木の話を始めたので何気なく軽井沢でのゴムの木の話をすると「万平ホテルの庭にゴムの木なんかないよ」と一笑された。「軽井沢にゴムの木が育つ訳がない」「それは朴の木ではないかしら」との話になった。隣で石川はダンマリを決め込み私の方を睨んでいる。「しまった。余計なことを言ってしまった」と思ったが遅かった。あんなに物知りの石川だったが、草木の知識だけについては弱かったようである。
「その2」
石川にも嫌いな新聞社があった。ある夜、その新聞社から電話が入ったので石川に受話器を渡した。「何ですか?えー、何かくれるんですか。それなら、お宅にMさんがいるでしょう。Mさんに渡してくれればいいですよ」と言っている。電話は或る文学賞の受賞を知らせるものだった。受賞式の当日、新聞社から迎えの車が到着し「奥様もご緒にどうぞ」と勧められたがいやな予感がして出席を見合わせた。式の様子は見ていないが、どうやら石川は片手で賞状を受け取ったらしい。石川という人は、何か気に入らぬことがあると無礼をして平気な人であった。
「その3」
石川には奇妙な癖があった。人みな寝静まった夜半に突然隣室から大きな叫び声が起るのである。結婚したての頃はびっくりして飛び起きたものである。初めはどうしたことかと不安だったが、次第に分かってきた。石川はどうやら頭の中で考え構想していることを声に出して言うらしいのである。思念が高まってくると、つい叫んでしまうのである。それが分かってからは安眠できるようになった。
「その4」
石川は昼は原稿を書かなかった。石川にとっての昼はおおよそ読書に費やされるための時間であった。石川が原稿用紙に向かうのは、夕食に日本酒を少し嗜んだ後、一眠りして起き出す12時頃からであった。それから明け方5時頃までが彼の大切な己れの全てを賭けた時間なのであった。
石川は下書きというものを一切しなかった。小説であれ、エッセイの類いであれ、いきなり原稿用紙に万年筆を走らせて、そのまま書き直すことなく編集者に渡していた。だから、石川の身辺に反古紙が散らかっていることはただの一度もなかったのである。
(注)写真は亡くなる2年前86才の石川淳である。
                                 (令和2年作)




にほんブログ村

スポンサーサイト



初夏

初夏の海見えて真鶴石切り場



IMG_4907_convert_20200501194731.jpg



石を決めた後、山の裏側にあるという石切り場に案内してもらうことにした。折角なので見せて欲しいとお願いしたのである。工場長と川上君は行かないという。
<ええっ、ここまで来て見たくはないのだろうか?>
社長さんの車の助手席に乗せてもらい、今切り出しているという現場に案内してもらった(写真)。石切りを実際に行っているという男性も一緒に来てもらった。
私「おお、ここで切り出しているんですか」
男性「今、作業しているのはあの先に見える辺りです。このショベルカーで崩しています」
私「自分の方に落ちて来ないように考えながらやるんでしょうね」
男性「罷り間違えると、機械もろとも崖の下に転落ですからね(笑)」
私「命懸けだなぁ。この重機がなかった時代は?」
男性「ダイナマイトです」
私「へぇ~」
男性「そのもっと前は鑿(ノミ)でした。あの山の上からロープにぶら下がりながら下りて来て、鑿でコツコツ削って落として行ったと聞いています」
私「ああ、『家康、江戸を建てる』に出ていました。まさに命懸けの仕事でしたね。この山の所有者は誰なんですか?」
男性「町です。年いくらの賃料を支払って掘っています。この辺りまでが私の場所で、ここからは町ではなくまた別の個人の持ち物になっています」
私「切った石が盗まれるということはないんですか?」
男性「今はなくなりましたが、昔はあったようです。墓石泥棒ってやつです(笑)」

元の場所に戻って別れることとなった。
私「いろいろと有難うございました。まずは見積もりをお願いします」
社長「はい、分かりました。やり取りは川上さんとでよろしいでしょうか。すぐに出させていただきます」
私「それにしてもいい場所を見せてもらいました。またいい石にも出合えました」
社長「本当ならこれから海の幸の場所にもご案内したいところなんですがコロナの影響でそうも行きませんので……」
私「大丈夫です。本当に有難うございました」
社長「お帰りは気を付けて」
車を走らせるとすぐに海が見えた。真鶴の海は青く、まさに初夏の海という趣きである。遠くがキラキラと光っていて目映く見えた。
                                 (令和2年作)




にほんブログ村

夏来る

街角に事件多発の夏来る



IMG_4647_convert_20200423204608.jpg



(承前)一瞬で悪い予感がした。持ち上げた植木の根っ子から土が零れている。次の事態を想像して守屋さんの顔を見ると彼もすぐに事態を把握したようである。行動に移した。君子危うきに近寄らず。三十六計逃げるに如かず。天は自ら助くる者を助く………階段を降りたというより飛んだと言った方が正しい。私より早く、守屋さんの姿はもうそこに無かった。韋駄天だと思った。以前から勘の良さと対応の上手さには感服していたものだが、土が零れるのを見て即座に姿を消す素早さには改めて驚かされた。
100パーセント出来上がっていた好川さんの姿は目にしていない。当然逃げ遅れた口と思っていたが、今日、話を聞くと上手く逃げおおせたとのこと。酔ってはいても、いざとなると上手くやるものである。どこに隠れていたのか、どこをどう走ったのか、彼は語ろうとしない。もしかして、植木に化けていたのかも知れないと思った。
さて庄司さんだ。彼は言う。「植木を倒したのは誰だ?」と。更に言う。「俺はあの日、あんまり酔っていなかった気がする」と。我々は言う。「庄司よ。お前がやったことは完全に常軌を逸していた。犯罪だ。刑法第261条、器物損壊の罪で三年以下の懲役または三十万円以下の罰金に値する。やめろという私の声も聞かず、植木鉢を振り回した罪は大きい」と。三人があっという間に散ってしまった屏風ヶ浦の駅前で庄司さんはあのあんちゃんに捕まる。
私は駅前に停まっていたタクシーに飛び込んでいた。乗り込んだ瞬間、走り出したのでその後のことを詳しくは見ていない。最後に見たのはあのパンチパーマで小太りのあんちゃんが血相を変えて走って行く姿であった。タクシーの中で祈った。何事も無事に終わりますように。警察沙汰にだけはなりませんようにと。
その後の顛末を今日、庄司さんから聞いた。興奮し切ったあんちゃんと交番に行ったこと。運良く巡査がおらず二人で押し問答になったこと。「植木代1万円、支払え」と言われ「飲み代を払った上にそんなものまで払えるか」と言い、「住所を言え」と言われ「テメェに教える住所なんぞ無い」と啖呵を切ったことなど。時間が経つにつれ、あんちゃんの興奮も収まって来て、最後は「また飲みに行ってやるから小さなことを言うな」と言って握手して別れたとのこと。さてさて大したものである。ロータリークラブとロータスクラブを間違えた男と同一人物と思えぬほどの胆力。男の中の男。イヨー、日本一。飲まなきゃもっといい男。

夏休みにまた呑兵衛会で千葉に行くらしい。私は予定があって参加出来ないが大いに盛り上がってくれることを期待している。それにしても「正しい」とか「誠」とか本物臭い名前を持った男には要注意である。くれぐれも事件のないように祈りながら、植木鉢事件のペンを置くことにする。(一部、敬称を略したことをお詫びします)
(注)庄司さんの名前が「正」であり、好川さんの名前が「誠」である。
                                 (令和2年作)




にほんブログ村

夜の薄暑

スナツクの名は女の名夜の薄暑



IMG_4943_convert_20200502043742.jpg



平成6年8月8日(月)「植木鉢事件」
5日(金)に起きたスナックAに於ける植木鉢放擲事件は連日の熱帯夜が引き起こした小さな暴発事件と言える。
主人公は庄司さんだ。またしてもあの庄司がやってくれた。
その日、会社のビアパーティでタダ酒をタラフク飲んでコンパニオンを口説き損ねた庄司さんが二軒目の「のん木」に着いた時には8割方出来上がっていた。隣には9割方出来上がっている好川さんもいて「のん木」の奥座敷はツマミも注文しない連中でごった返していた。いつもの7人衆の内、佐久間さんと坂口さんは来ていない。替わりに須田副社長と岡村先生ご夫妻が同席していて静かに会話を楽しむ場となるべきところではあるが、二人の酔っ払いにより杯盤狼籍の様相を呈していた。
「のん木」を出た我々は屏風ヶ浦の駅まで歩く。もう夜中の12時に近い。当然帰るべき時間ではあるが、岡村先生を送ったあと庄司さんが歌を歌いたいと言い始める。副社長は「のん木」の途中で帰っている。野田さんは翌日千葉に行くとかで「のん木」の前で別れた。残ったのは庄司さん、好川さん、守屋さんと私である。駅の隣の雑居ビルの2階にスナックAはあった。いつも冷静であるはずの私も酔っていたのか店の名前を覚えていない。仮にAとしておく。店にはやーさん風のあんちゃんが居て、最後には我々を追い掛けるという重要な役割を果たすことになる。店は混んでいた。カウンターに7、8人がいたように思う。まずはビールを注文した。「ビール2本」と言うと最低一人1本は注文しなければならないと言う。随分とケチ臭いことを言う店だなぁと思いつつも、まずは歌をリクエストする。すぐに順番がきて庄司さんが立つ。立っているのか座っているのか分からないほどだが、声だけは大きい。あんちゃんが怒る。「もっと小さな声で歌えないかなぁ。貸し切りじゃないんだから」と。「何、言ってやがるんだ」と文句を言いつつ、次は好川さんが歌う。好川さんの熱唱でカウンターの客がゾロゾロと帰り支度を始める。守屋さんが歌う。もう誰も人の歌など聴いていない。めいめいに大声で話している。女性二人連れが入ってきた。ヨシ!と立ち上がって私が歌う。みんなが上手いと絶賛する。しかしあんちゃんだけは文句を言う。「ベラベラ喋ってないで、もう少し静かにしてくれないか」「なにィ」飲みに来て喋るなとは何事か。無視してそれから各自3曲くらい歌って勘定となる。一万一千円。このサービスの悪さにしては取り過ぎじゃないかと思いつつも、ニコニコ現金払い。「じゃ、また来るよ」とドアを出たのは、私、守屋さん、好川さん、庄司さんの順。順番が悪かった。私が最後であれば、あの事態は防げたかも知れない。階段を半ばまで下りて振り返ると、どうしたことか、あの庄司さんが店先の植木鉢から木を引き抜いて、階下に放り投げようとしているではないか。何、何、何ィ!(つづく)
                                 (令和2年作)




にほんブログ村

目借時

はやり目の目ヤニ拭ふや目借時



IMG_4285_convert_20200413200624.jpg



1週間ほど前から急に目ヤニが出るようになった。拭ってもなかなか取れないので、水道の水で洗ったり、家にあった市販の目薬で何とか凌いでいたが一向に良くならない。やはり眼科に行って診てもらうことにした。4月11日(土)の朝のことである。
涙目で杉田の眼科に通ったのはいつだっただろう。ブログを見てみるともう5年も前のことである(平成27年6月1日、ひこばえ「春愁」)。いやに個性的な先生だったことを覚えている。受付にも人がおらず、検眼から診察、会計まで一人でやっていたことにちょっとした不安を覚えたものである。今回は違う眼科に行くことにした。以前、一度だけ行ったことがあった眼科である。女性の先生である。ホームページで番号を調べて電話をしてみた。
私「もしもし、初めて電話します。目の調子が悪くてこれから診てもらいたいんですが」
女性「はい、こちらは予約制ではありませんので、今日でしたら9時から12時までにお越しいただければ大丈夫です。お待ちしています」
歩いて15分である。以前どうしてこの病院に来たのかは覚えていない。涙目だったとしたら「セカンドオピニオン」ということになる。それとも医者を変えようとしたのだろうか。記憶がない。
とてもきれいな受付である。女性が二人いて名前を言うと「ああ、先程の電話の方ですね」と感じのいい対応である。保険証を渡して「4、5年前に一度来たことがある」と伝えると、そのままロビーで待っているように言われた。お客は私の他に1名いただけである。5分程して呼ばれた。いやに早い。まずは検眼台で両目を覗かれ、眼圧などを測定した。次に視力検査である。眼鏡を外して遠くの丸の切り口を当てるのだが、ボワッとしていて見えるものではない。専用の眼鏡を掛けてレンズを何枚か変えて両方とも1.2と言われて終了する。すぐに隣の部屋に移り、先生の前に座った。<ああ、この先生だったなぁ>
先生「日向さん、5年前に一度、見えてますね」
私「はい、そうです」
カルテを見ている。
私「先生、その時の私は何で来てますか?」
先生「涙目ということで相談に見えています」
私「ああ、そうですか。なんで来たのか、思い出せなかったものですから」
先生「その後は如何ですか?」
私「あの時ほどではないんですが、やはりその傾向はあります。鼻涙管が細いようです」
先生「そうですか。それでは診察しますね。ここにアゴを載せてください」
診察の結果「結膜炎」と診断された。1週間分の抗生物質と目薬を処方され1日4回差すように言われた(写真)。
先生「目を触ったりする時にはきちんと手洗いをしてからにしてください」
私「はい」
小学生のように素直な私がいた。3日目に効果が確認された。腰といい目といい、ここのところ続く医者通いは寄る年波ということだろうか。
                                (令和2年作)




にほんブログ村

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
フリーエリア